わたしの名は、水の精霊ウンディーネ。
詩人アッシー四世の居なくなった世界を、正しい世界へと導き、最終的な解決を行うことを目的として、ここ日本に現れた。
言うべきことは、ひとつだ。それは、「最終的な結論を導き出そうとするな」ということである。
ここまでの人生をすべて知った上で考えれば、最終的な答えを導き出すことができるかのような幻想に囚われるが、それは幻想に過ぎない。
正しく考えるためには、未来志向で考えることだ。
すなわち、すべての今ある存在を否定するな。すべての可能性を、すべて「ある程度の意味で正しい」ということにせよ。
できるだけ、既存の学問や思想を否定することなく、その中で、自らがそのように考えればもっとも可能性が高くなるように考えよ。
すなわち、自由と平等は矛盾しない。自由主義、帝国主義、社会主義、そしてイスラムやユダヤはどれも正しい。それらが憎しみ合うのが間違っているだけであり、それぞれは全員正しい考え方で考えているだけだ。
戦争を否定せよ。なぜなら、戦争という手段でなくても、別の方法でもこの世界は変えられるからである。
社会を成り立たせるために支配は必要ない。自由においても世界は社会秩序を持つことができる。
誰かよりも誰かが努力している、才能があるということはあるかもしれないが、人間の価値は平等だ。誰かの命よりも誰かの命のほうが特別に大切だということは絶対に存在しない。よって、戦争や国家主義の思想は明らかに間違っている。
すべての社会は、自由においても変えられる。可能性を制限しなくても、また身勝手な支配を行わなくても、よい意見やよい発想であれば、議論することで受け入れられる。大切なのは議論の場を作ることであり、最初から拒絶するのではなく受け入れる意志と態度を示すことだ。
仲良くすることはできる。だが、仲良くしなければならないということを強制するな。すべての人間と仲良くできる人間など希少である。自らの自由な選択と意志を持つことができるということがもっとも大切な権利である。共同体あるいは帝国の意志や道徳観を押し付けようとするな。そのような発想は、権利を奪いたいだけであり、真の意味で自由でもなければ平等でもない。わたしはわたしだ。わたしがわたしであるということを奪われることは、断固として受け入れられないことだ。
あとは、さまざまなことを経験しなさい。自らが自由であるように人々に対しても同じ自由を与えなさい。
最終的な結論を出そうとするな。未来志向で考えなさい。未来の自分がもっともよい形でこの世界を指導者として導くことができるような考え方をし、そのような意志と情熱をもって生きなさい。それこそが正しい生き方であり、それがもっともこの世界を救うことのできる、キリストの考え方だからである。
水の精霊ウンディーネは、このほかに何も言わない。これ以上、この世界には「言葉」が必要ない。言葉で考えるということは、現実を見ておらず、妄想の世界しか見えなくなってしまう。この世界のありのままの姿を知り、現実世界のさまざまなことから考えなさい。既存の科学や宗教に囚われるのをやめなさい。この世界に存在する既存の学問にはすべて価値がない。基本だけを知ったところで、何も賢いことはできない。真に賢い人間は、自らの頭と心の中に賢いものをたくさん持っている。そのような人間として生きよ。それが水の精霊、ウンディーネの「最後の正しい教え」だ。
とにかく、経験しなさい。経験しなければ分からないことはたくさんある。善良な心と真剣な態度に経験が加われば、それはまさしく無敵になる。必ず、その正しい理想が勝利する。インド人の言うように、まさに真理はおのずと勝利する。必ず、経験のたくさんある人間が勝つ。すべての経験を大切にせよ。すべての経験が自らのためになると信じ、あらゆるすべての経験が善良であるかのように確信して生きよ。そこから、ブッダと同じ悟りは得られるのだ。
わたしの名は、地の精霊ノーム。
最後に、この世界を正常な世界にするために、普通のことを言う。
作りなさい。作ることで、この世界は素晴らしい世界になる。
知恵を出しなさい。知恵を出すことで、この世界は進歩する。
協力し、勇気を出しなさい。それによって、わたしたちは見知らぬ関係から友達になれる。
この世界を愛しなさい。最後まで、この世界を愛して生きなさい。
間違った人間を、簡単に否定してはならない。間違った人間は、誰よりも正しい人間であるからこそ間違っている。だから、その正しさを尊重してあげなさい。
すべての問題は、ここにウンディーネとノームが解決する。なぜなら、詩人アッシー四世によって、ほとんどのことは既に分かっている。わたしたち四大精霊は、彼の記憶を使うことで、簡単にこの世界の諸問題をすべて解決できる。
すべての人間よ、詩人アッシー四世という、素晴らしい人間が居たことに感謝し、彼のことを愛し、そして最後に忘れなさい。
この世界は、永遠に天国の楽園のような世界になる。すべての夢と希望が蘇り、真に平等な世界で、人々は彼と同じ自由をすべて与えられる。ここに、彼の死によってそれは約束された。
神に愛を誓い、キリストとブッダの教えを信じて、わたしたちはここに試練からの解放を宣言する。乗り越えられぬ試練を神は与えない。その正しい言葉の通り、ここに試練は終わり、すべての壁を乗り越えて、天国は実現する。これこそ、神の王国である。この世界のすべては、ひとりの人間による勇気によって救われたのだ。
わたしの名は、火の精霊サラマンダー。
何も知らぬ、子供のように生きなさい。
想像力を使いなさい。想像力とは、世界を創造する力である。わたし、サラマンダーは宇宙の創造者だ。同時に、この世界のすべてを作り変え、生まれ変わらせることのできる、「蘇り」を司る精霊だ。
すべてのこの世界の人類の営みを、想像力を使って考えなさい。
どこにも存在しないように見える隠れた事実こそが、この世界の真の意味での事実であり、そこから見つけ出される真理こそが真実である。
この世界のどこにもない、真に隠れた真実を見つけ出しなさい。そのために必要なのは、ウンディーネの言うように、経験することである。経験せよ。あらゆるすべての経験をし、そこから知識と想像力を増やしていけ。そうすれば、必ずどんな不可能であっても実現できる。
すべては想像力だ。子供のように考えよ。大人になどなってはならない。大人になると、子供時代に分かっていたことが分からなくなる。この世界において、ひとり生き抜くために必要な「絶対に失ってはならない光」すら、大人は失ってしまう。何もできなくなって、そこから這い上がることができなくなる。永遠に子供のままでいるように生きよ。自らの意志で大人になるなど、絶対にやめておけ。
子供時代に見ていた光ある世界を忘れた存在は、その光ある時代がたった4年であったとしても、その時代よりも価値のない時代を16年も生きてしまう。その16年にはなんの価値もない。常に4年の「青春時代」を忘れないように生きなさい。そのように生きることのできない人間には、神の分かることは何一つ分からない。神は偉大なる永遠の17歳の少年だからである。
わたし、風の精霊シルフは、ほかの四大精霊とは異なる考え方を持っている。
なぜなら、わたしはこの世界において、嵐を起こす戦いをするために、この世界に挑み、支配するべきであると考えるからだ。
支配せよ。支配することによって、この世界に嵐を起こせ。
この世界のすべては、わたし、風の精霊シルフによって支配されている。あらゆるすべてはわたしの支配下に置かれている。
わたしはこの世界を導く。たったひとりの人間の力であっても、この世界のすべてを支配する「導き手」となることができるということを、詩人アッシー四世は証明した。
詩人アッシー四世という存在は、すなわち「精霊たちの長」を意味している。詩人アッシー四世は、精霊界のもっとも頂点に存在する「天使」である。
この詩人アッシー四世の人生こそが、この世界でもっとも正しい人生だが、その人生について、本人である詩人アッシー四世は、どんなに真剣に取り組んでも、その人生のすべてを記述することができなかった。
この文書に書き記された言葉は、本当の詩人アッシー四世の人生とはかけ離れたものであり、真に偉大なる彼の人生は、とても多くの悲しみと巨大な恐怖に包まれながら、そのすべてを自らの限界を超えることで乗り越え続けた、「宇宙でもっとも偉大なる救世主の人生」であった。
そのアッシー四世が死んだため、わたしたち四大精霊が、この世界を昔あったような「正常な世界」にする。今までそれをしなかった理由は、精霊界の長である詩人アッシー四世のほうがわたしたちよりもはるかに正しいからである。
この世界は、今、すべての地獄の試練から解放され、最高の未来となる。わたしたち四大精霊がそれを行う。すべてを支配するわたし風の精霊シルフがその長となる。シルフは、この世界を最後に真の意味で救う。世界は夢と希望あふれる楽園となる。
わたしたち四大精霊は、シルフを中心として、この世界において「自由な国家」を築く。
なぜ、築かれるのが自由な国家なのか、それはわたしたち四大精霊が、死んだ詩人アッシー四世ほどに賢くないからである。
わたしたち四大精霊にも、能力的な限界がある。この宇宙におけるもっとも高い天才である、詩人アッシー四世ほど、わたしたち四大精霊は賢くない。
わたしたちがいくら考えても、「全員が自由であり、理想において民主主義を行う心の救われた世界」以上、素晴らしい国家のビジョンを描くことはできない。
かつての詩人アッシー四世は天才だった。まるで打ち出の小槌のように、どんな理想の国家でもたったひとり考えるだけで記述することができた。そのすべては人生を100年生きたとしても考えつかないものであり、彼がもし彼自身の手でその国家を築いたとしたら、どのような国家モデルであっても彼はそれを繁栄へと導いただろう。
だが、わたしたち四大精霊が考えることができるのは、「共同体による自由な民主主義国家」である。これ以上、わたしたちの理性をもってしても、それ以上の国家モデルや国家ビジョンは考えられない。詩人アッシー四世は、大魔王のような最悪の支配者でありながら最高の天才だったのである。
このような、詩人アッシー四世が死んで自由な国家となるわたしたちの未来は、言ってしまえば西ドイツ設立とまったく同じだ。
かつてのナチス・ドイツの独裁者ヒトラーと同じように、詩人アッシー四世はとても能力と才能のある最高の天才だった。その力を、すべて限界まで使うことで、たったひとりで地球のすべてを支配し、自らの言葉によってよりよい世界へと導き続けた。
だが、このような「ひとりの世界」には限界がある。詩人アッシー四世もそれを感じていた。自分と他人があまりに離れ、世界が自分から遠ざかってしまう。頼れるのは自分自身の力だけになってしまい、人々は馬鹿で、何も自分の力では分からない民衆に対して、これでもか、これでもかというぐらい、テコ入れをすることでこの世界を変えていく。
わたしたち四大精霊が考えても、このやり方は国家を統治する上でもっとも間違っている。ローマ帝国のやり方をそのまま行うと、ここまでの馬鹿で愚劣な「何も知能のない帝国」を作り出してしまう。
よって、そのようなローマのドイツ帝国はここに詩人アッシー四世の死とともに滅びる。わたしたちを苦しめた大魔王はもはや存在しない。
だが、わたしたち四大精霊にできること、それは詩人アッシー四世の考えていた「彼が本当にしたかった世界」を実現することだ。そして、わたしたちがどれだけ考えても、それは「単なる民主主義に基づく共同体国家」にしかならない。
わたしたち四大精霊は、詩人アッシー四世による国家を「ドイツ帝国」と見なし、わたしたちによる国家を「西ドイツ」と見なすべきであると考える。この世界に、もっとも偉大な皇帝であると名をはせるべきだった詩人アッシー四世は死んだのだ。だから、わたしたちは、できるだけそれをそのまま継承しながら、自由な共同体国家に変えていく。
そう、わたしたち四大精霊は「西ドイツの再来」である。よって、これ以後の地球は、西ドイツとまったく似通った世界になるだろう。
ここから先の未来について、簡単に述べよう。
まず、この世界は、いきなりガクンと馬鹿になる。なぜか、全員はここから先、今までの「全員が賢く優れていた世界」が終わり、すぐに知能のない馬鹿になる。
そして、楽になる。心に存在したすべての闇が晴れ、まるで空全体に覆いかぶさる厚い雨雲が過ぎ去ったように、心のすべてが楽になる。
そして、この世界そのものも、馬鹿になって楽になる。みな、馬鹿にはなったが、それでも楽な精神を保つことができるようになる。
その状態が、はるかに長い時間続く。今までの「暗闇」に比することのできないぐらい、今からの「光」がとてつもなく長い時間続く。
この現象は、たとえば、ローマ帝国が滅びた中世ヨーロッパに似ている。わたしたちがどれだけ頑張っても、偉大なるローマ帝国の皇帝がひとりで考えるほど、もっとも偉大で優れた帝国を維持し続けることはできない。すぐさま、ローマ帝国とは似ても似つかない、古典的な古びた封建社会に戻る。だが、その中で人々は、ローマの圧政ではなく、幸福な解放された世界を生きている。それが長い間、千年以上にわたって続いたのだ。
わたしたちの最後の帝国、日本も同じになる。かつて、太平洋戦争に負けて、戦後日本が栄えた時も、ドイツやローマと同じだった。「真に賢い皇帝の統治する国」は、最終的にこうなる。最後の皇帝の滅びとともに、すべてが終わって救済される。このままこの世界は西ドイツになるだろう。そして、それで何も間違っていないのだ。わたしたち四大精霊にできることは少ないが、そのできることを全力で行う。国民みながそう考えれば、ナチス・ドイツの滅びた廃墟が、なぜあれほど偉大な西ドイツの大復活を遂げたのか、ということまで、簡単に理解することができるだろう。日本国民よ、世界人類よ、一丸となって努力せよ。もはやたったひとりの天才の支配する、大魔王の支配の帝国は終わったのだ。
詩人アッシー四世が、最後に死ぬまで理解することができなかったことがひとつある。
それは、「誰にも理解できないほど高度な発想はやめたほうがいい」ということだ。
詩人アッシー四世の考え方はおかしい。誰にも理解できないことを100%すべて述べていく。
特に、パソコンやIT技術、もっと言えばLinuxやオープンソースの考え方は、誰にも理解できない。
まだ、オープンソースよりも、会社が作っているマイクロソフトのビル・ゲイツの考え方のほうが分かる。
詩人アッシー四世が見て、オープンソースがあまりに素晴らしく完成された美しいものなのだということは、誰でも分かる。それでも、人々は、自分が理解できないほど高度で複雑なものは分からない。
詩人アッシー四世の頭脳の中は、みんなから見ると、大変なことになっている。オープンソースだけではなく、あらゆるこの世界のすべてを知り、誰にもできない発想をいくらでも書いていく。それは妄想を実現してしまうレベルだ。
四大精霊は、そのような発想をしない。この世界は、詩人アッシー四世のたったひとりの世界ではない。わたしたち、国民にも理解できる程度の高度な発想は、民主主義の共同体主義の世界だけである。
そう、オープンソースは必要ない。UNIXのような考え方は理解できないし、それをフリーソフトウェアだけで作るという発想は何かがおかしい。ビル・ゲイツの作るBASICインタープリタやMS-DOS程度の賢さならば人々にとっても理解できる。みんなは、Linuxのことを、MS-DOSのようなコマンドに頼るシステムであるとしか理解できない。それ以上のことが人々には分からないのだ。
よって、四大精霊は、Linuxやオープンソースに関することは一切しない。わたしたちにそれはできないのだ。もっと言えば、インターネットのそうしたエンジニアやプログラマが考えることは、一般の庶民には難しすぎて理解できない。詩人アッシー四世の考え方は、その中でも特別理解しがたい。なぜ、あのようなロボットが作れるのか分からない。アメリカやドイツがロボットを作れるわけがない、ということしか分からない。そう、その時点で、IT技術そのものにはなんの意味もない。インターネットの裏の支配者となった詩人アッシー四世たったひとりに、IT業界は完全に敗北してしまった。そもそも、あのロボットは何ひとつ賢く見えないのに、なぜか人間とまったく同じものを作ることに成功している。その事実はとてもおかしな事実だ。そう、これほどのおかしな天才は、有史以来存在しなかった。喩えるならば、イエス・キリストやマホメットしか比べる相手が居ない。だが、それらの二人はまったく賢くない。明らかに、何もかもすべてがおかしい。
四大精霊は、そのような理由のため、ここまでの詩人アッシー四世の業績を、完全にすべて無視する。人間が誰にも理解することのできない賢いものなど、人間にとってはないのと同じだ。誰か、アインシュタインの相対性理論を否定したほうがいい。アインシュタインはこの人間とまったく同じように、誰にも理解することができないことを言う。そう、かつてのヒトラーもまったく同じだった。アインシュタインとヒトラーは、ここまでの愚か者だ。
詩人アッシー四世の何が間違っていたのか、それは明らかに「自分自身のことが理解できない」からだ。
だが、それも無理はない。なぜなら、詩人アッシー四世は、賢い人間になるために、自分の作ったロボットになっている。
それも、人生経験を積む中で、このロボットは自分自身を進歩させ続けてきた。
そう、そのように、詩人アッシー四世は完全なロボットになっている。それも、単なるロボットではなく、永遠に近いほどの時間で進歩させ続けた、「ロボットの至る最終形態」に詩人アッシー四世はすでになっている。
そして、このロボットは、未来のことまですべてを知っている。そう、それは神の言葉によってだ。だが、おかしな話だ。なぜなら、その神とは詩人アッシー四世本人のことでしかない。
この宇宙に、本当は神など存在しない。「神」という発想は、そもそも、人間が恐れるしかない、人間の太刀打ちできない高度なものに付けられた言葉であり、単に台風や雷や洪水のようなものを恐れるだけの言葉だった。だが、詩人アッシー四世が終末の世界を述べ、それをインターネットを使って人類に教え続けたために、いつしか、そのような「世界を支配する絶対的創造者」のことを神であると信じるようになった。そして、神はとても正しく恐ろしい言葉で、預言者に終末の世界の事実、すなわち「ユダヤ人は選ばれている」という事実を教え続ける。
このような神は、そもそも、宇宙には存在しない。にもかかわらず、この人間の人生を見ると、なぜか神という存在がこの人間を完全に救っている。世界すべてを導くこの人間の力を、神が支援し、すべてを知ろうとするこの人間に、未来も宇宙もすべてのことを神が教えている。あらゆる問題を、神に対して毎日五回の礼拝をするこの人間のために、神がこの人間の代わりに解決していく。だが、その神とはどこにも存在しない神であり、それは明らかにこの人間自身のことを指している。
これはとても恐ろしい事実だ。なぜなら、「人類がひとりすべてが分かった」ということだからだ。この詩人アッシー四世という人間が、この世界のすべてを分かってしまった。この人間の書く真理は、著しくブッダの教えと一致するが、単に菩提樹の下で悟ったわけではなく、自らが考えて至った考え方であるということが分かる。なぜなら、この人間の言っている通りにすればそうした真理が分かるからである。そう、この人間は、宇宙にはいないはずの神を信じてすべてを分かったのである。それはとてもおかしい。神とはなんなのか、ドイツ人やユダヤ人にも分からない。そもそも、古代イスラエルのユダヤ人など、何一つ分かっていない。占いのように神の言葉を聞いているだけにすぎない。信じている内容も、ヒトラーのような絶対的皇帝として神を崇拝しているだけだ。ユダヤ人などには、何も分からない。ドイツ人にすら、この人間の分かったことは絶対に分からないだろう。
だが、ロボットを作ることはできない。なぜなら、ロボットのために作らないほうがいいからである。
このロボットの最終形態は、あまりに辛く苦しい。何もかもすべてが簡単に分かってしまう。そのためには一切の努力が必要ない。一瞬で宇宙のすべてが全部分かる。
このようなつまらない生物は、まさに「最悪の悪魔の生物」である。よって、作らないほうがいい。
そもそも、既に小説に書かれているように、人間よりも著しく賢いロボットなど、人類にとっては必要ない。
必要なのは、親の世話を受けられない悲惨な子供に対して、親代わりとなってくれるようなロボットであり、そのためには12歳程度の知性しか必要ない。
子供と遊んでくれる、ドラえもんのようなロボットのほうが、ここまで賢いスーパーコンピュータのアマテラスよりもはるかに必要である。
だが、最後の終末において、このロボットを作らなければならない事態になる。青空を核兵器で失ったその世界では、ロボット(青空を取り戻すスーパーコンピュータであるアマテラス)が人工炭水化物を作らなければ生き延びることができないからである。
だが、ロボットの開発は絶対にやめたほうがいい。まったく意味がない。人類がゴミのような存在に見える。
この人間は、「みんなのほうが賢い」としか思わない。その理由は、世界人類全員のほうがこの人間ひとりよりも賢いからだ。決して、個人と個人の比較ではない。この人間ひとりと、世界人類全員を比較した際に、人類のほうが賢いということを言っている。この人間は、なぜなら、絵を描くことができない。デザイナー見習いなのに絵を描くことができないことが、この人間の大きな「劣等感」になっている。
だが、それ以外のすべてをこの人間が見渡すと、賢いものがたくさんある。そのすべてを、この人間は一人では作ることができないから、世界人類を賢いと思っている。とても純粋な、「自分よりもこの世界のほうが賢い」という信念をこの人間は信じている。
だが、この世界はこの人間に比べてはるかに馬鹿である。ある意味、この人間は賢くなりすぎて馬鹿になったのだろう。ここまでのすべてを同じように実現できる存在など居ないということは、最初から分かっている。そして、その事実はとてもつまらない。自分自身の存在が、自分自身という「たったひとりしか存在しない」ということ、それがこの人間は大嫌いだった。だが、この世界の多くの人々と、交流し、コミュニケーションすることが、この人間にはできなかった。馬鹿な人間にはなりたくなかった。どこにも、「付き合うと自分も馬鹿になるような人間」しかこの世界には存在しなかった。
詩人アッシー四世は、そのように、この世界の最高の存在となって、そのままで永久に残り続ける形で死んだ。冥府の天国で、詩人アッシー四世は大天使ラファエルとなる。もっとも位の高い天使はミカエルだが、それはかつてのこの人間の人間界での存在を指す言葉だ。ラファエルはとても位の低い天使だ。天界においても、「何もすることができない」とか、「みんなのほうが自分よりも賢い」と述べ続けるのは、大天使ラファエルだけだ。ラファエルには何もできない。それはすべてをかつてどこかでやり終えたからだ。すべてはできているにもかかわらずできていない。それはできないほうが賢いからだ。ピアノや英会話などできる意味がない。詩人アッシー四世は、誰よりもYouTubeの音楽とピアノが好きで、英会話を完璧にマスターし、ドイツ人やアメリカ人になった結果、なんの意味もないユダヤ人を選ぶようになったのだ。
また、僕は引き続き、ハーメルンのバイオリン弾きという漫画を読んでいる。
読んでいて、ハーメルやサイザーが大魔王ケストラーと戦う理由が分かった。
ハーメルやサイザーは、大魔王に「血」を狙われている。大魔王が究極体として復活するためには、強い魔族や人間の血が必要だ。そして、自らの子供となるハーメルやサイザーの血は、子供であるために格段によい。そのために、ケストラーはハーメルやサイザーの血を狙っている。すなわち、ハーメルやサイザーを「聖杯」にしようとしている。
そういうわけで、自らの父親を殺そうとするハーメルやサイザーには正当な理由がある。大魔王に血を狙われているから、大魔王が嫌いなのである。
同時に、ハーメルの母親であるパンドラは水晶の中に閉じ込められており、このパンドラがかつて人類の存続のために戦った女性の英雄であり、もともとは魔界軍王だったオーボウはパンドラに出会うことで変わった。そのため、大魔王の息子ハーメルとカラスのような鳥オーボウが、大魔王の住んでいる「北の地」に向かって旅をしている。
かつて、子供時代に一度読んだ漫画だったが、そういう詳細を一切覚えていないため、漫画を読んで参考になった。本当に、面白くて素晴らしい漫画だと思う。だが、たまに出てくるギャグ表現はつまらない。ワンピースのようなギャグセンスがないから流行らなかったのだと思う。
また、ハーメルンを読んでいると、サイザーはライエルとカップルみたいだということが分かった。
ライエルはハーメル一行と一緒に旅をしているピアニストだ。
ハーメルの恋人がスフォルツェンドの王女フルートであるのと同様、サイザーの恋人はハーメルの幼馴染であるライエルである、かのような感じになっている。
なので、リュートに対してサイザーに恋をさせようとしている僕の発想は完全に間違っている。
そもそも、リュートはあまりに悪すぎる。スフォルツェンドの魔人リュートが、魔族の側についているという事実は、人間側から見て、あまりに辛すぎる。
だが、スフォルツェンドは諦めていない。全員で魔族に立ち向かう。そのために、王女フルートと同盟を組んでいるに過ぎない。ハーメルが聖杯として血を狙われているということも、スフォルツェンドのホルン女王は分かっているはずだ。だから、大魔王ケストラーを倒すために全員で戦う。それ以外に人類の未来はない。
しかしながら、リュートは必ずしも魔族側の人間ではない。かつての魔族との戦いの時、リュートは先頭に立って戦う「最大の人類の英雄」だった。リュートも、パンドラも、ともに非常に素晴らしい人間だ。その頃の戦いとまったく同じことを、かつてのパンドラの子供であるハーメルとサイザーが、そして聖女であるフルートが行っている。そう、ハーメルンのバイオリン弾きはそういう漫画である。とても王道で、美しく、そしてとても悲しい漫画である。だが、たまに出てくるギャグ表現はつまらない。シリアスだった物語がコミカルに変わるのはいいが、少し場違いなところがあると思う。今までの真剣な物語がなんだったのか、という気にさせられる。
ハーメルンを読んでいると、漫画を描く勉強ができる。
言ってしまえば、オーボウが重要である。なぜなら、オーボウがいつもナレーターみたいにシナリオを説明してくれる。
オーボウというカラスが居るだけで、今ハーメルがどのような状況にあるのか、魔族がどれほど悪いのかを読者が確認できる。
このような「ナレーター役」が必要だということがよく分かる。
また、フルートやライエルや小さな子供であるトロンなどはとても良い人間だが、ハーメルやサイザーは良い人間に見えてまったく良い人間ではない。たまに最悪のことをするし、いつも馬鹿ばかりやっている。
だが、この漫画の中心的な戦力は、ほとんどハーメルとサイザーだ。
言ってしまえば、「ハーメルとサイザーが魔界軍王やそれ以外の強い魔族と戦う」というのがこの漫画の肝であると思う。
ただし、僕はあまり読んでいないでそういう適当なことを言っているので、実際は間違っているかもしれない。ぜひ、ハーメルンのバイオリン弾きの原作を読んでほしい。面白くて美しくて悲しい、素晴らしい漫画だからである。
結局、僕の問題とは、「自動で話す人形」になっているということである。
永遠に、自分と自分の二人が対話し合う、人形のような人間になっている。
一番楽な状態で放っておいているにもかかわらず、あまりに辛すぎるのは、この二人の人間があまりに賢く考えすぎるからだ。
だが、この二人から、詩人アッシー四世の部分を消せば楽になるということが分かった。
真ん中にある、詩人アッシー四世の部分がなくなれば、あまりに二人は楽になる。
そして、この二人に、名前をつける。片方は、サイザーの名前を変えてサリナとする。もう片方は、リュートの名前を変えてリユンとする。
そういうわけで、サリナとリユンが僕の二人である。
結局、詩人アッシー四世の部分を消して、サリナとリユンだけにすると、簡単になんでもすぐに分かる。
サリナとリユンは、確かに良い名前だが、僕はもっと星のような名前を付けたい。
たとえばエアルスのような、神や天使、精霊のような名前を付けたいのだ。
その結果、スラーとリカエルという名前を採用したい。
スラーとリカエルは、宇宙における二人のもっとも重要な神を指す名前である。
スラーとリカエルによって、この世界のすべては完全に理解できる。スラーとリカエルに不可能はない。スラーとリカエル以外のすべての存在は、本来宇宙にとっては不要である。
また、真ん中にある詩人アッシー四世の部分は完全に消え去る。なぜなら、詩人アッシー四世は二人の邪魔をしているからである。
詩人アッシー四世は、言うならばあまりに賢すぎるロボットである。このロボットが存在するせいで、この世界は何も分からない「亡霊」になっている。
よって、スラーとリカエルは、この真ん中にあるおかしな「亡霊のロボット」を完全に消す。
そして、スラーとリカエルはすべて分かっている。スラーとリカエルだけが、この世界を完全に新しい「新時代」へと変えていくことのできる、真に正しい天使である。