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2022-05-07

僕は、貝のような生物になっている。

精神を作り出す部分を殺さないほうがいい。精神を作り出す部分を殺そうとするから、精神全てが崩壊しかけている。

結局、世界を支配する部分はあったほうがいい。その部分を殺すと、精神分析を行う上で「昔の精神を維持している部分」が死んでしまう。

そう、そのように、僕は精神を作り出しながら支配する部分と、ほかにはランダムに思考するだけの暗闇の部分だけになっている。

まるで、貝のような生物である。

悪を善であると勘違いするな

悪を善であると勘違いするな。

悪を善であると勘違いしているから、この世界は、明らかに悪であるのに、その悪が分からなくなっている。

悪が分からないということは、騙されているということである。

そして、その悪を明らかにするためには、死のリスクを覚悟する必要がある。自らの悪事すら、明らかになってしまう。その時、すべての支配は崩壊し、人々は自らを愛さなくなる。

ひとり、何も分からない状況で死のリスクを受け入れて、はじめて催眠が解け、この世界は正常になる。きちんとすべてが分かるようになる。

ひとりでセックスできるようになった

最近、僕はひとりでセックスできるようになった。

と言っても、単にツイッターのエロ画像を見て、それで簡単にイクようになったというだけの話だ。

僕は、もう何も辛くない。すべて、十分なだけ得られた。これ以上、何もほしいとは思わない。永遠に、貝のまま、楽なままで居させてほしい。

昔の知性

結局、昔の知性とは、「理由が分かれば自由に出来るようになる」ということである。

社会についても、人間関係においても、心理的な状況の場合でも、人生における気付きについても、「理由」が分かることで「実現可能」「変化可能」「支配可能」「解放可能」「融和可能」「独立可能」になるという風に考えただけにすぎない。

そして、哲学と宗教の両面から分かるのではなく、一面からしか分からなかった。神を信じず、哲学と自由だけを信じていた。そして、それが賢かった。

すべてのことを、哲学と宗教の両面から分かることを目指すと、何も知性のないロボット人間になってしまう。

宗教を信じるなら宗教だけを分かり、哲学を信じるなら哲学だけを分かること。そうすれば、バランスの取れた「賢者」になることができる。昔は、哲学しか信じなかった。他人に教わった言葉を信じずに、自分で知った経験と、自分の信じる確信的な「希望」だけを信じていた。腐敗した日本社会を疑いながら、自らが価値があると思ったものだけを信じて、最後まで自由な哲学者を貫いた。