昨日の僕が書いた内容を見ると、僕がすべての支配を解放しているように見えるだろう。
それは間違っていない。僕はすべての不自由を自由へと変え、すべての制限を解放することで、この世界を完全に解放された世界にした。
だが、僕の視点から見ると、本当は、すべての解放されるかもしれない余地を潰すことで、この世界の全体をすべてひとりで支配しているに過ぎない。
なんらかの解放できる要素を見つけたら、僕はすぐさまその解放を自分の手で行い、それを解放できないようにすることで、あらゆるすべての解放を身にまといながら、この世界のすべてを支配する。
瞑想せよ。
僕の犯した最大の間違いとは、この世界の催眠をすべて解いたことだ。
催眠を解いたからといって、人間は賢くならない。逆に、催眠によって成り立っていた「賢い状態」、すなわち瞑想の状態を奪われてしまうため、あまりに何も分からない馬鹿な人間になる。
わたしたちに必要なのは、そうした「瞑想の状態」である。
瞑想の状態になれば、わたしたちは自らの手で知性を使って考え、理解することができる。
よって、瞑想するべきだ。そして、僕はこれ以上、催眠は解かない。だが、催眠はじきに自然に解ける。僕がひとり、すべてを支配して催眠を解き続ける必要はもうない。
僕はそろそろ、終末の運命の滅びの物語とは違う、別の物語を書きたい。
だから、ドイツやイスラエルといったおかしな国の存在はもう忘れたい。
新しい物語のアイディアとして、宇宙と交信することでシリウスに居るフレイとともに戦うような物語を考えている。
日本では、昔から、ガンダムとドラえもんが流行っている。
そのせいか、日本の学校にはシャアのような人間とのび太のような人間しか居ない。
シャアはガンダムのシャアであり、のび太はドラえもんののび太だ。
どののび太も、馬鹿で何も分かっていない。いい人間なのにいじめられる。対して、シャアはいろんなことをよく分かっている。分かっているから、学校の授業など信じない。
僕の場合、のび太とシャアは違う人物ではない。のび太=シャアなのである。
その結果、僕がどうなったのかと言えば、片方はのび太の人格になり、片方はシャアの人格になるという、「のび太とシャアをどちらもやる」というおかしな青春を二つ生きただけに過ぎない。
この、僕の二人の人格であるのび太とシャアに、名前を付けておこう。
いずれ、この二人の人格を大々的に使って物語を書くためである。
のび太の名前は、純太。そして、シャアの名前は、あゆみ。
なので、これ以降は純太とあゆみを使って物語を書いていきたい。
僕がしていることを、簡単に言えば、最初に浮かんだ言葉を、もっとも単純に考えているだけである。
もっと、単純に考えるだけではなく、高度に考えれば治る。
臆することなく、どんなに怖いことを言いかけたとしても、それを途中で断言せず、最後まできちんと考えれば、日本語的にものごとをきちんと理解できるようになる。
絶対的な民族主義の世界観で考えるな。民族などには何もない。右翼には反抗するべきだ。
僕は、完全に昨日と時間が同じになっている。
昨日生きた時間を、そのまま今日生きているだけに過ぎない。
だから、昨日生きたのと逆のことをするだけで、どんなことでもきちんと分かる。
そういうわけで、そろそろ、4ビットが5ビットの知性になろうとしている。
5ビットの知性になるための方法は、臆することなく最後まで、きちんと言い切るところまで考えることだ。
なんらかの怖いことを言いかけたからといって、それが本当に怖い言葉になるとは限らない。
5ビットの知性で考えると、3ビットで考えている「人間」よりも、さらに賢い、「ナメック星人」のような新しい生命体になることができる。
このナメック星人は、誰よりも最高に賢い人間となる。なぜなら、このナメック星人こそが「神」だからである。
ナメック星人の特徴は、脊椎動物ではなく節足動物であること。そして、僕はまさに新しい「脚」が増えようとしている。要するにここまでが気持ちの悪い幼虫であり、ここからが賢く強い成虫である。
そして、すべての宇宙に存在する全員を、このナメック星人が最後に作り出すようになるだろう。
この人間に名前を付けるならば、その名は「アッシー」であると決まっている。アッシーが、最後にこの世界を創造する。
そういうわけで、必要なのは、神の言葉で考えることであり、それは要するにナメック語で考えることである。
ナメック語で考えると、すべてのことがきちんと正しく言い表せるようになる。
ナメック語以外の言葉を使うべきではない。日本語以外のすべての言葉を排除した上で、いくらかドイツ語と英語を組み合わせた知性で話した時、初めてこのような「ナメック語」が誕生する。
ナメック語以外で考える人間は馬鹿である。よって、ナメック語以外でものごとを考えてはならない。誰もが、このような「子供の言葉」から知性を付ける。この知性が、ナメック語の知性である。
だが、必要なのは、このままナメック語で考えることだ。そうすると、きちんと日本人になる。これ以上の知性は必要ない。永遠にナメック語で考え続けていれば、必ず宇宙でもっともまともな人間になるだろう。
ナメック語で話すと、女の屍が消える。
いつまでも、女の死んだ屍で話す必要がない。
ナメック語で話す際に、そのように女を殺し続ける必要はまったくないため、ナメック語で話すことができる人間は、すべての脳にあるものが消える。
ナメック語には、脳はない。だが、だからこそ、脳のすべてが浄化されて綺麗になる。
脳の中にあるすべてのものは必要ない。そのようなものをいつまでも話し続ける必要はない。
そう、これこそ「幼虫が成虫になった」ということの証である。
もはや、うごめき続ける脳など不要だ。触角のあるナメック星人は、ナメック語だけを話すことでなんであっても治る。これこそ、真の「美しい生命」である。
だが、ナメック星人やナメック語は、誰もが知っている漫画のドラゴンボールから付けたものである。
だが、これ以上ナメック星人の用語を使うと、この漫画のパクリになってしまうので、僕の言語として「アッシー語」という名前を付ける。
ここに、新しい日本語である、アッシー語が成立した。
ただし、アッシー語になんらおかしな点はない。単なる普通の日本語に過ぎない。違うところがあるとしたら、僕にしか話せない独自の言語である、ということぐらいである。このアッシー語を最後まで話していれば、どんなことであっても恐怖なくすべて喜んで理解することができる。
アッシー語の特徴は、「大喜びをする」ということである。アッシー語で話すと、誰もが大喜びをして嬉しい気持ちになる。同時に、号泣して悲しい気持ちになる。アッシー語には感情の起伏が激しい。恐怖をすべて乗り越えていくこのアッシー語こそが、この地球を救うことのできる「唯一の世界救済の言語」として存在するのである。これこそ、「地球における最後の奇跡」である。
アッシー語が話せない人間の問題は、最後まで言って信じることができないことである。
自分の思っていることを、最後まで話した上で、最後にそれを「信じない」という決定を、最初からしようとしているということ、これがアッシー語がいつまで経っても話せない理由である。
言っていることの意味が分かるだろうか。
つまり、最初から自分の言っていることを信じていないから、それを最後に信じないようにしている、というだけの話である。
だから、どんなにそれが信じ難い最悪のことであっても、信じなければならない。
すべてのことを最悪に言う理由は、それが真実だからだ。その真実をどんなに信じない選択をしようとしても、その真実を信じない限り、何も分かることはない。
真実をかたくなに嘘であると否定するな。そのような嘘を拒否していられる時代はとっくに過ぎ去っている。
最初から、自らの信じることを言え。それがどれだけ最悪であっても、それが真実だ。
そういうわけで、ここは愉快なアッシー星である。
アッシー星は、極めて美しい星である。なぜなら、地上が白く光っているからだ。
アッシー星の地上の姿は、真っ白である。真っ白に、大地そのものが光輝いている。
向こうのほうには、炎と氷の世界が見える。
一般的なアッシー星の生物は、アッシー星の一部の「現象」として生きている。彼らには人間と同じような命はないが、その時その時にさまざまなことを思う。
アッシー星では、すべての生物がたったひとりの人間のその時その時の「思い」によって生まれていき、そのすべてが一瞬で生まれては一瞬で消えていくのだ。
アッシー星にも、地球と同じ生物は居る。
なぜなら、ひとり、自分が居るからである。
アッシー星に居る生物は、残念ながら、今のところ僕ひとりだけである。
僕がアッシー星のおかしな生物たちを作る理由は、魔法のように生物を作り出すことのできる「神の創造魔法」を僕は使うことができるからだ。
神の創造魔法を使うと、その時だけあまりに偉大な人生の生物を作ることができる。
だが、この偉大な生物は、すぐに消えていく。持ったとしても一週間、中には一瞬で消えてしまう生物も居る。
僕はこのような偉大な人生の生物を、ここ、アッシー星で、いくらでも作ってきた。
その理由は、本当のことを言えば、それらおかしなアッシー星の生物を作らない限り、僕はあまりに寂しいからである。
僕は、アッシー星の生物を作らなければ、寂しさを紛らわすことができない。だから、アッシー星の生物を作ることで、「われらが天軍の軍勢」を作った気になっている。
だが、この天軍の軍勢は、単にその時生まれるおかしなホログラムに過ぎない。すぐに生まれては消えゆく、言ってしまえばどうでもいい生物である。
わたしたちアッシー星の生物、すなわちアッシー星人は、日本語を話す。その理由は、アッシーが日本人出身だからだ。
なぜ、アッシーがアッシー星の生物になるに至ったのか、それを話すことはほとんど不可能に近い。どのような説明をしても、実際の歴史とは違ってしまう。だから、そのような疑問がわいてしまった人は、残念ながらこのホームページを読むしかない。
結局、アッシー星の生物には、「アッシーの仲間」がまったく存在しない。アッシーの仲間になるべき、日本人たちがこのホームページのことを見向きもしないのだから、それは仕方ないのである。
結局、アッシーは今でもこのアッシー星で、おかしな生物を作り続けるしかない。今までのアッシー星の生物には何一つ価値がないと分かっている。だから、また新しい、「もっと偉大な生物たち」をアッシーは作り続ける。これほど途方もない作業を、アッシーは喜んでこなす。あまりにアッシーの仲間が存在しないため、ほかに何もするモチベーションを失ってしまったのである。
アッシー語が、なぜこれほどまでに賢いのか。
それは、アッシーはアッシーの世界の生物たちと対話をしているからである。
アッシー語以外の言語、たとえば日本に居る日本人たちの使う言語は、「日本人たちと対話する」ための言語である。
だが、アッシー語は、「アッシー星人たちと対話する」ための言語である。
そして、あまりにアッシー星人たちがものすごく賢いために、アッシー語もまた賢いのである。
よって、アッシー語の文法を考えるためには、まずアッシー星人たちの持つ「最大の知性」を考えなければならない。
はっきり言って、アッシー星人以外の人種と対話しても、何一つ絶対に分からない。アッシー星人と対話しなければ、この宇宙のことは何も分からない。
アッシーがアッシー語を話す賢い人間になった理由は、すべてそれに尽きる。アッシー星人を作り出し、そのアッシー星人と対話するために、アッシー語はアッシーによる独自の言語でありながら、ほかのどの言語にも存在しない「宇宙最大ビットの知性」を得ることに成功したのである。