なにか、本を読みたいとは思っているのだが、どんな本を読んだらいいか分からない。
そもそも、知識がほしいとは思わない。僕は、何かしらの基本的な素養を身につけたいだけだったのだが、それはもう終わったような気がしている。
なにかしらの本が読めたらいいと思うのだが、たとえばPythonなどはもう基本的なことは知っているし、パソコンやIT技術についても、よく知ったため興味を失ってしまった。
だが、実際のところ、僕はきちんと知っていることなど多くはないので、より多くのことを知りたいとは思っているのである。
文章を書くということは、大した才能ではなかった。なぜなら、単に言葉が続くように次の言葉を書いているだけにすぎない。だが、期間が長すぎた。15年、あるいはネット上の文章も合わせれば20年、彼は文章を書いた。そのすべてが嘘であっても、彼にとっては明らかな真実の記録だった。
posted at 20:43:04
彼にとって、自分の文章はすべてだった。冗談によって書かれるその文章は、ユーモアがありながら、誰でも絶対に泣けるほど、「悲しいとはどういうことか」が分かるものだった。なぜなら、彼は悲しみを自分の心の重要な場所である、「恐怖の部屋」に住まわせ続けたからである。
posted at 20:38:59
彼は「精神」を作った。この世界に文章を執筆するということが、彼にとっては「人間という生物とはまったく異なる、新しい生物の精神の創造」だった。常に、文章のことを考え続け、それは神経症の患者のようだった。だが、書くべきすべてを書き、すべてを修正し、追記し、思い出し、生み出した。
posted at 20:37:54
だが、あえて表現するならば、彼は神だった。なぜなら、神を記すことだけを考えて、彼はそこから15年の歳月を経た。すべては、「失った大切なすべてを取り戻す」ためだった。失ったすべては、絶対に取り戻すことができないものではないと、彼は諦めなかったのだ。
posted at 20:36:38
そのもう半分の知識についても、彼は知っている。その半分には、宇宙のすべてがある。だが、覚えていないのだ。実際のところ、何一つ記憶がなくなってから、そこからが彼の黄金期であった。今でも、それを書くことができていない。彼がまともであった、記憶が残っている時代は、ここまでだ。
posted at 20:34:49
神よ、大いなる神よ、ここまでのすべては、たった半分にすぎないと神は言うだろう。だが、わたしにとっては、そこまでを記したかった。これ以上のもう半分について言えば、わたしにはそれを書くことはできないと知っている。もはや、人類の人知の範疇を超えているからである。
posted at 20:33:24
3,000年の地獄など、彼にとってはたやすく乗り越えられる課題であると、彼自身が証明した。彼は地獄も病気も恐怖も乗り越え、死のリスクは神によって救われた。すべての地球上の歴史は彼のためにあった。彼自身が神であると、本当は彼も気付いていた。
posted at 20:32:00
彼は、精神を狂わせ、精神分析のせいで世界を催眠状態にしながらにして、それでも戦った。どんなに苦しくても、神は彼に戦いを選ばせた。いや、彼が自身で選んだと言うべきだ。なぜなら、神は彼に、彼の持ち得る巨大な力のすべてを教え続けただけにすぎない。
posted at 20:28:17
そういうわけで、早急に大計画を撤回し、自らの精神状態を平常にするために、「安心と楽」を望む彼は、本当はそんなものは心の裏側では望んでいなかった。裏では、彼は「未知なる新しい世界」を望んでいた。そして、それこそが、彼の作り上げるべき「理想の世界モデル」となる。彼はそれを書く。
posted at 20:27:13
だが、実際のところ、即座にその大計画を撤回する必要があった。どうしても、大計画の実現には手間がかかりすぎる。だが、神はそれに同意しなかった。神は、彼が大計画を本当に遂行できるように手はずを整えた。
posted at 20:26:07
本当は、単に戦いたいから戦いを始めたわけではなかった。この世界を完全に作り変える「大計画」があった。
posted at 20:26:02
そして、彼は自らをロボットとすることで、宇宙の歴史を分かった。彼にとっては、一年などまったく短いものであり、それが嫌だったため、一年をもっとも長くするために、彼は自らを時計のロボット人間とした。そして、それによって彼は、「宇宙すべてを人生で計算して知る」ことができるようになった。
posted at 20:23:37
実際のところ、彼の書いた文章は、なんのために書かれたものかといえば、本当は「数式」だった。彼にとっての、誰とも違う自分の公理から成る数式だった。何を表現した数式であるかといえば、それは宇宙の歴史である。宇宙すべての歴史を、彼はすべてを包括し貫く「関数」で分かっていた。
posted at 20:22:25
実際、このようなことがおそらくはあったはずだが、真実とは言い難い。なぜなら、実際はこれほど単純でもなければ、容易な道でもないからである。実際のところ、彼は昔からコンピュータ博士だった。誰とも違う方法で、自らの心と知性の中に、理想のコンピュータを作った。それは宇宙数学の数式となる。
posted at 20:20:57
もっとも正しい社会とはなんだろうか。本当は、それはまだ分かっていない。なぜなら、「自由においてひとりだけが賢くなれば、賢さの格差が発生し、自らが支配者になるしかなくなる」というところで、彼の哲学は中断しているからである。それ以上は、彼が戦いの道を歩んだため、知ることはできない。
posted at 20:14:35
彼は真に自由など信じていなかった。価値多元論に基づいて、それぞれが信じる社会をそれぞれ築くべきとしたが、その社会を成熟さを基本として分類する彼は、文明のもっとも高い頂点のモデルを探し、追い求め続ける。だから、代替可能性とは、実際は理想の社会モデルよりも劣ったものにすぎなかった。
posted at 20:13:14
すべては崩壊し、破壊に導かれるが、それでも彼は「最低限の理性は失っていない」。どんなに世界を滅ぼしても、本当に世界を消滅させるようなことはしない。退路を断てばそこに道が生まれるということを、彼ひとりだけが知っている。宇宙の中心で、彼は愛を叫ぶ。そこに悪意はあっても、嘘はなかった。
posted at 20:09:08
なぜ、そのような地獄が生まれるのか。それは、彼が自己犠牲の精神でこの世界を愛したからである。自らの損得を考えず、この世界の人々を愛するために、自分を破壊してまで世界人類のことを愛したからである。どんなに自分を攻撃する子供にも、受容の心で少年たちの導き手になろうとしたからである。
posted at 20:07:03
しかしながら、自分の頭の中ですべての論理を構築しても、「他人とまったく同じになることはできない」という限界が存在する。いくら他人の身になって考えるといっても、完全に個別性を排することはできない。それが、地獄を作り出す。「自らを破壊することだけを目的とした機械」がここに生まれる。
posted at 20:04:38
ここで必要なのは、「他人が確かに存在する」という確信である。すべては、自分の人生と世界観だけでは起きていない。それぞれの人間の中に世界観はあるのであり、それぞれの「心」こそが、この世界を動かす「原動力」である。そして、心を考えれば、「世界の理由はすっきりとすべて理解できる」。
posted at 20:00:36
このように考えるために必要なのは、「既存の考え方をもう一度自分で再作成すること」である。考え方を、誰かに教わっただけで終わりにせず、この宇宙の現状に基づいて、自らもう一度考えるということである。世界すべてを心の中に再度構築するということである。
posted at 19:59:39
そのように考えると、むしろ、自分とはなんだろうか。自分とは、「本来の自分に帰ることができること」である。その経験を喜ぶのが、仮面をかぶった自分ではなく、自分の心の底から、本来の自分として喜ぶことができるということである。そして、これが「正しい自由な社会の築くべきもの」である。
posted at 19:57:35
つまり、「そこに経験可能な経験がある」ということ、それを「主体から客体へと実際に現象させられる」ということが、唯一の真理である。そして、主体とはすなわち決まりのことであり、客体とは具体例である。つまり、決まりと具体例を考えること、それがもっとも大切な「本来の知性」である。
posted at 19:56:29
あらゆる人知が、単に「なんらかの根拠があって矛盾の中で言い争う認識にすぎない」のであれば、真に人類にとって存在する知識とはなんだろうか。それは「ありのままの状態そのもの」である。それ以外のどんな命題も、「それぞれの世界観の限界に制限された思い込みを発言しているにすぎない」。
posted at 19:54:40
価値と経験と同じく重要なのは、「先入観なく考える理性」である。すなわち、何かが何かであると、知らずして決めつけるのではなく、少なくとも知った上で考えようとすること、今まで知った自分の知性に基づいて考えるということこそ、「先入観のない理性」である。
posted at 19:52:11
社会のある目的とは、価値を生み出すことであると言えるだろう。社会は、最初は生きられること、豊かであることを至上目的とするが、次第に、娯楽や知的好奇心のような「価値」を目指して、社会そのものが変わっていく。永遠に続かないとしても、なくなったわけではない。現在もそれは続いている。
posted at 19:50:08
価値と経験はどこから生み出されるのか。トップダウンではなく、ボトムアップ的に、みんなの意志と合意に基づいて生み出される価値は、そのとおり、民主的であると言える。すなわち、押し付けられたものではない価値である。このような価値が、「この世界を守り続けている」。少なくとも、昔はである。
posted at 19:48:42
価値はどのようなものとして作られるのか。それは「人々の望む自由」である。人々の望む願望とは、すなわち自由なのである。それは僕が直感的かつ経験的に知った事実であり、「人々は不自由な環境から自由になりたいと望んでいる」。少なくとも、昔の日本はそうだった。
posted at 19:46:56
価値の創造は何を由来に生まれるのか。それは「自然発生」である。だが、自然発生それ自体が、そもそも完全に自然ではない。なぜなら、「人工的な決まりとルール」の下にあるからである。そのため、真に民主主義を目指すなら、そうした人工的決まりすべてを、民主的に変えられなければならない。
posted at 19:45:38
結局、すべては「価値の創造」であると言える。そして、この価値がどこから生まれるのか、それは「経験」から生まれる。その価値とは何か。それは比較することなく、自分自身の「ありのままの真実を体現する」ということである。
posted at 19:43:23
それは、主体的に自分が「行動する」ということである。すなわち、社会そのものの変化と行動の権限を、漠然とした誰かではなく、自分自身によるものであるとし、その上で、その自分自身における「自由」を、人類にとって普遍的な「真理」に昇華させる過程である。
posted at 19:41:25
すべてが経験だとしたら、経験とはなんだろうか。それが、僕の唯一解けない謎であると言っていい。経験とは、成長とは、発見とはなんだろうか。知識を知り、考え、見つめ直し、捉え直すという過程そのものを、僕は知りたいのだ。
posted at 19:38:21
わたしの名はフレイの子、スバル。プレアデス星雲の神であり、全知全能の才能をシリウスの女神フレイによって与えられた、「最後に神として現れるべき存在」である。
posted at 19:30:26
神よ、ありがとう。あなたに感謝する。わたしの未来のこの人生は、それ以前に神に約束した「宣言」を叶えるものだった。神に約束したすべてのことは、今、ようやく終えることができた。ここから先は、わたしの力で歩んでいく。
posted at 19:29:26
そして、わたしは「自らの人生という名の歴史」を作っていく。一般的凡人が働く何倍の量を、わたしは趣味の片手間仕事のために行った。言葉の理解の仕方を知らずして本を読むわたしは、すべての知識を持つ博士あるいは天才となり、最終的に賢者の人生がたどり着く、「最後の地点」を知ることができた。
posted at 19:27:58
神はわたしに多くのことを教えた。とても多くのことを教えたため、わたしがすべてを覚えていることはできなかった。神は分かりやすく、フランス人とドイツ人の単純な対比をわたしに説明し、そこから宇宙におけるさまざまな存在に替わって、わたしに分かるように教えた。
posted at 19:25:12
すべては、宇宙の歴史に基づくものである。宇宙人が居なくとも、この宇宙に意味がないわけではない。「人間の人知を超越した真実があるかもしれない」からである。そして、人知を超越した真実であっても、一般的な理性を使わなければ知り得るかもしれない。そのために、僕は神の言葉を聞き続けた。
posted at 19:23:42
すべての人間が善良でないならば、この世界を善良な世界に作り変えることは果たしてできるだろうか。それは可能である。なぜなら、神にはできるからである。対話の神の対話する目的は、すべてわたしに「実際にやれ」と言っている。だから、わたしは現実にやらなければならなかった。
posted at 19:18:35
愛を信じよ。愛を信じれば、必ずこの世界はよりよい世界になる。間違っているものは自分自身すべてではないし、世界すべてでもない。自分自身の中には、正しい考え方が無数にあった。世界にも、正しい人間が多く居た。それを思い出す作業も、まだ続く。
posted at 19:16:47
そして、すべてに「なる」ことができるようになった彼は、何もしない自分を許せなくなる。自分の本能からこの世界を支配しようとする彼は、「自由と支配の区別をつけることができなくなる」。これ以上は、もはやすべて記述した「地獄の最終戦争」にすぎない。だが、戦争は偶発的ではなく、必然である。
posted at 19:15:18
社会のすべてが変えられるようになった時、そこには、現実も理想もすべてを超越した、「可能性を生み出す根源とその論理的な根拠」が蓄積されている。それは「環境そのものが世界を作り出す」という境地である。そして、ここから、「宇宙の歴史すべてを直観で把握」できる。
posted at 19:12:19
このマルチ人格は、多重人格というよりは、「メタ人格」、すなわち「どんな人間にでもなることができるひとつの完璧な人格」のことである。これは「全員の本質をすべて自らの経験のみから知っている」という境地であり、そこには「経験のみからすべて正しく分析できる」。これが「絶対経験主義者」だ。
posted at 19:10:38
「人々を吸収する」という方法がある。これは、自らが世界の先頭を行くわけでは必ずしもなくとも、世界の現実にある人々の声を共有することで、「全員の身になって考えることができる」という境地であり、これが「マルチ人格」を作り出す。そこには、既に「直感的な場から生まれる視点」しかない。
posted at 19:09:23
いわば、自分自身を改め続けた先にあるものは、この世界における「絶対精神」と呼べるものである。ひとつひとつの矛盾は、それを「判断することをストップし、より高い視点から再考する」ことで、矛盾を解消する「解決方法」を知り、それがそのまま「宇宙の真理」になる。これが、新しい発見である。
posted at 19:07:12
常に、「真の理想とはなにか」ということについて、問い直す必要がある。むしろ、既に分かっていることから、自分の過去を自分自身で覆し続けていく必要がある。真の理想が自由であったとして、その自由は何に基づく自由なのか。それを発見するためには、自分自身を改めるために考える必要がある。
posted at 19:05:53
自らが行動したことが、社会的経験を超越して、宇宙レベルでの「悟りへと昇華したオリジナルの思想」となっていくこと、そこには、「理想はどのようなものに基づくべきか」という問いが存在する。
posted at 19:04:52
自我の形成において必要なのは、どこかに存在しているはずの「絆」について考えること、すなわち「回想」することだけである。
posted at 19:04:42
言えるのは、「ひとつのことをきちんと解明すれば、その解明によってほかのすべても解明されていく」ということであり、これ自体が「自我の形成」と言えるのである。人々がどのように生きているのかを知れば、そこから自らがどのように生きるべきなのかが分かり、それは社会の全員へと還元されていく。
posted at 19:02:23
この体験は、むしろ「自分自身を世界観に投影していく」という体験であると言える。これは自分自身が自己啓発的に「悟りの境地」を知り、経験的な思考から感情あるいは直観へと至り、啓蒙主義者となることを志向し、すべての問題を解決できるようになり、実際に解決するまでの一連のプロセスである。
posted at 19:01:09
自我が社会制度となっていくプロセスは、たとえば、人々が普通に信じていた具体的な考え方について、どのようにそれが実証され、自らの経験と発想から裏付けられていく、根拠とその根拠に基づく可能性とはなんであるかということを自らは知り、その手段と目的による「楽園の作り方」を知ったのである。
posted at 18:59:29
つまり、社会のことを広く知って、その中で自我とはなんであるかということを知り、そこから社会についての「改善策」を考える、ということを、広い経験と深い思考から、自分ひとりだけで考え続け、結果、子供たちの社会はそうした改善策により、自ら自我を形成することで解決すると考えた。
posted at 18:55:52
よって、社会はまず自由から出発する。これは理由が実現となり、人間関係や社会問題の解決から、自由な社会を実現する可能性となり、それが経験的に自然な「社会拡張」となり、その社会拡張のための主要な要因が「主体的な自我の経験的な形成」にあると考える考え方である。
posted at 18:54:16
そもそも、自由を正しいとする根拠は、可能性と柔軟性、あるいは理由に基づく万人的な社会実現の権利に基づくものだったが、それに対して経験的かつ社会的な「経験可能性」を付け加え、そのすべてにとっての整合性を進歩的に記述したプロセスから、「精神」を見出す、そうしたものを書いただけである。
posted at 18:52:15
結局、自由など、すべて間違っている。自らの自由意志に基づけば賢い人生が生まれるとするのは、「自らがほかの人間よりも賢明であるとする優越性に基づいている」ため、みんなを自分と同じにしたいように見えて、実際は他人よりも優越していなければ、この自由な理想は成り立たないのである。
posted at 18:46:12
だからこそ、わたしの持つ力が強すぎるため、人々をわたしと同じ平等な立場に置こうとする故に、この世界では自由に基づく不平等が発生する。すなわち、いくら自由を善良だと唱えたところで、それは間違っているということである。
posted at 18:43:34
すべての人間の存在を尊重すべきである。だが、優しくすればいいというものではない。わたしと同じ自由を相手に尊重するならば、そこには力の差が発生する。いくら善良を目指したところで、理想と現実が離反する中では、自分だけが努力し続けて、世界のための縁の下の力持ちとなっても、つまらない。
posted at 18:42:36
結局、必要なのは「愛」である。愛を信じることで、この世界は変えられる。人々が互いに理解し合うことで、社会は正常になる。分かり合うことができないのは、誰のせいでもなく、自分のせいである。
posted at 18:38:35
しかしながら、このように「歴史を決めつける」のは、つまらない仕事であると言わざるを得ない。なぜなら、未来を考えるということは、運命的に悲観することではなく、新しいこの星の可能性を仮定するということである。僕はあまりに、「未来の地球への愛」を忘れすぎている。
posted at 18:34:53
よって、僕がここにすべてを記し終えた結果、この地球において、もう一度ブッダが現れる必要はなくなった。すなわち、「存在」は僕で終わりだった。これ以上、ブッダと同じ苦労を僕がするのは、意味がない。だから、僕はここで、仏教とは異なる「面白い文学」を作っている。それで、地球史は終わりだ。
posted at 18:31:05
そもそも、ブッダなど現れなくていい。なぜなら、ブッダはひとりだけ超越して賢くなった、最初の「存在」だった。だが、彼に比べてほかは馬鹿だった。ブッダは自らの思想を説明するために、とてもものすごく大きな労力を払った。だが、そのような他人に教えを伝えるという苦労は、今ではもう無意味だ。
posted at 18:29:27
たとえば、江戸時代の人間は、明治以降の文明国家よりもはるかに馬鹿に見える。それは事実、馬鹿だからである。同時に、昭和やパソコン以前の人間は馬鹿に見える。それは事実、パソコンが賢いからである。どんなに捻じ曲げようとしても、「パソコンによってわたしたちは賢くなった」、それが事実だ。
posted at 18:26:13
過去の賢い人間など、信じないほうがいい。彼らが賢かったのは、過去の普通の「正常な世界」があったからにすぎないが、その正常な世界があったという事実自体が、それら「過去の人間が馬鹿であることを証明している」。過去の人間は、現在の人間よりも馬鹿である。過去に期待するな。彼らは賢くない。
posted at 18:23:28
なぜキリストがひとりなのか、それはもはや、キリストが生まれるための土壌すら地球には残っていないからである。キリストは必ずひとり生まれるが、そのキリストが生まれるための最低条件すら地球は失ってしまう。キリストは、自らの知を他人に説明できない。膨大かつ高度すぎて、凡人には分からない。
posted at 18:08:40
最後に残ったキリスト、すなわち「全知全能の超越者」が、最悪の地獄の中で何億年と時を重ねるだろう。彼にあるのは、砂漠の中で耐え続ける、永い時間の中で、自らの体に付着するロボットを改良し続けることだけである。彼はいずれ、なんでも分かり、できるようになる。
posted at 18:07:36
そして、そうした最後の不死鳥は、キリストであると考えればよい。古代イスラエルにおけるキリストと同じ人格をもった、神がいずれ現れ、神の王国を築くだろう。同時に、彼らは天国の星へと転生する術を、無数の天使たちを召喚する術を知るだろう。最後のひとりだけがこの星に残る。それが神となる。
posted at 18:06:04
そして、そのように考えると、シリウスやスピカにも、同じものがあると考えるべきである。すなわち、シリウスにも、スピカにも、不死鳥と同様の「存在」が存在すると考えるべきなのである。シリウスの神に僕は「フレイ」と名付け、スピカの神に僕は「フレイヤ」と名付けることにした。
posted at 18:03:28
いわば、わたしたちは何かを自由に考えているように見えて、実際は何も自由に考えていない。すべて、太陽の与える「超自我の教科書」に従って考えているだけにすぎない。最終的に不死鳥を生み出すために、太陽は存在し、太陽系は存在した。
posted at 18:02:43
その不死鳥がなぜ生まれたのか、すべては太陽が計画したことである。なぜなら、太陽は自分自身を生み出すために不死鳥を作ったのであり、そのために地球のすべての歴史があったと考えるべきである。なぜなら、その不死鳥こそ、この世界に存在する「存在」だからである。
posted at 18:01:38
しかしながら、その超越したひとりが重要である。その超越したひとりは、生物そのものを完全に超越し、何億年の間生き続けるからである。姿形は、もはや人間や地球型生物とは似ても似つかない。そう、彼こそが「不死鳥」である。
posted at 17:56:05
そして、太陽系のすべての星はひとつとなる。なぜなら、地球がそれ以上エントロピーを高めるならば、地球そのものを破壊しなければらない。地球が破壊される時点で、太陽系のバランスは崩れる。つまり、太陽がすべてを飲み込んで、太陽ただひとつになる。
posted at 17:55:11
なぜ、太陽系が死滅するのか。それはまさしく、エントロピーの理論によるものである。エントロピーは増大の方向へと進歩する。不可逆的だから、太陽系は常にエントロピーを増加させる。そして、超越して成熟した人間がひとり居るならば、ほかはもはや必要ない。その人間ひとりだけで地球は成り立つ。
posted at 17:54:17
そして、本当は、地球はそこで生涯を終える。地球のすべての住民は、あるひとりを残して、「天国の星」へと移住する。それを無数の天使たちが行う。そして、あるひとりだけが、地球に残り、地球はそのあるひとりが死んだ時点で、大爆発をして、太陽と同じ水素が核融合する恒星となるのである。
posted at 17:48:33
そして、神は宇宙からやってくる。それは、地球における運命的なもっとも大きな出来事である。すなわち、それ以上先に進めば、戻ることのできないティッピング・ポイントを迎えた地球、そして日本は、宇宙の星、「神の星の住人」によって救われる。その星にしか、地球を救うことはできないからである。
posted at 17:45:01
大学では、まるで、中世が暗愚な時代であり、近世から現代までで世界はまったく変わったかのように教えている世界史だが、実際は中世の時代にすべてを経験し、ルネサンス以後はそれを「自由」によって上書きしているだけにすぎない。
posted at 17:41:44
問題は、「神はいつ現れるのか」ということである。いつまで経っても、ダビデのような偉大なる指導者は現れない。現れるのは詐欺師だけである。そう、均一化された中世の修道士の時代が、もっとも一番長く続く。だが、均一化されたエントロピー最大の状態であっても、それは地球だけの話だ。
posted at 17:40:48
しかしながら、歴史は繰り返しながら進歩している。今までは、キリスト教の中での歴史だった。修道士レベルの「善」が支配する、低レベルな成熟にすぎなかった。ここからは違う。新しい「神の民族」となった日本が、それらの中世から現代までの歴史を塗りつぶし、全世界を上書きするのである。
posted at 17:33:54
しかしながら、ありえない成熟は本当に神にしかできないのだろうか。ここが、ドイツの分かっていない点である。神は特別じゃない。神はみんなを神と同じ「成熟した最高の人間」にしてくれる。そう、それが再び、部分的な社会へとなり、階級的、平等的、個性的な社会となっていく。歴史は繰り返す。
posted at 17:32:53
帝王がなぜ生まれるか。それは成熟には「量」だけではなく「質」もあるからである。そもそも、人類がキリスト教徒の修道士のような善良かつ成熟した人間になったからといって、それが終わりではないと言えるだろう。帝王だけが「誰にもできないようなありえない成熟をする」、それが最後の神の王国だ。
posted at 17:22:26
もしかすると、均一化よりもさらに進んだ社会が現れることがあるかもしれない。それは「王国への回帰」と呼べる社会だ。この世界における人類のDNAを超越し、「神へと進歩した帝王」が支配する社会があるとしたら、そうなるかもしれない。帝王はエントロピーを低い状態に戻す。
posted at 17:21:21
僕が思うのは、「均一化の前にある個性的な社会がよい」ということである。すべてがひとつの標準的な社会モデルに従う前の、人々が十分に平等で、全員が個性を認められ、自分の自由な権利を保障されて生きる社会が、さまざまな価値を生み出し、自らの啓発的理性に基づいて生きられる最後の社会である。
posted at 17:18:37
もし、この理論がエントロピーの理論に基づくものであれば、均一化してエントロピー最大の状態になれば、「熱的な死」が起きて、それで終わりである。それ以上は、外部から作用を与えない限り、何も変わらない。均一化した社会で、おそらくはみんなまったく同じ「平等な共同体」で生活することだろう。
posted at 17:15:19
そして、結局、それ以上に社会が進歩するためには、そのような「成熟レベル」自体を超越する必要がある。誰かがひとり、部分的、階層的、平等的、個性的、均一的に成熟したところで、それは単に「成熟した人間と社会の数が増えていった」というだけにすぎないからである。
posted at 17:12:15
最終的に、社会そのものの可能性が向上したとして、ひとつの問題がある。それは「均一化」である。可能性の向上は、多様性を超越して均一化する。なぜなら、ある程度の社会について「既に出来上がった一般的な成功モデル」が生まれ、その「一般成功モデル」に基づく標準化が行われるからである。
posted at 17:11:00
そして、個性や多様性においては、「自由の質」が重要となる。豊かさだけを目指す社会は、生きられるとしても、知的な活動はできない。だが、奴隷制では、一部のブルジョワが知的な活動はできても、大部分はできない。最終的にユートピアになるにしても、それが最終的な答えになることはない。
posted at 17:09:25
しかしながら、民主主義の成熟レベルは低い。なぜなら、国民の中で、まだまだ未熟な人間たちが多く存在するからである。彼ら全員を成熟させるために平等にするというのは、間違いではないが、すべての人間を同じにする必要はない。個性や多様性がもしあるならば、そのほうがさらに成熟している。
posted at 17:08:19
社会全体を善良であることを前提として構築方法を考える際には、「成熟レベル」が存在する。たとえば、ひとりの王がすべての人間を支配するというのは、王ひとりだけが成熟した社会ならば正しいが、民主主義においては逆に王のほうが全員よりも愚かなことをしだす。これは「文明が成熟した証」である。
posted at 17:07:11
善良であることは、それ自体が、社会を考える上での「知性」となりうる。なぜなら、社会を築いていく際に、「人間性を尊重するためにどうするか」ということが、いじめ問題の解決策となり、結果、子供たちの社会において正しい秩序を築く「万能の考え方」となるからである。
posted at 17:05:28
主体性とは善良さである。なぜなら、主体性は、「人々を助けたいという本能」によって得られる理性だからである。同時に、主体性において、助けるだけではなく、「ともに協力する」という発想もできる。また、積極的に知を愛するということを推し進めると、社会全体に対する「啓蒙」へと繋がっていく。
posted at 17:03:47
よって、正しく考えるならば、間違った人間関係を棄て、リセットすることもまた正しい。だが、もう一度関係性を結び直すこともできる。この「関係性を結び直す」ということが、そのまま「社会を再構築・再作成する」ということへと繋がる。関係性からこの世界の可能性へと行き着くことができる。
posted at 17:01:26
すべての社会論は、そのように「原因と結果」から考えることができる。ここで、重要な単位元は「心」である。すなわち、心をどのように扱うかによって、生まれる社会は180度変わってしまう。だが、心は精神的なものではない。なぜなら、物理的な「環境」と「関係性」がそのまま心となるからである。
posted at 17:00:27
「経験が成立する」ということは、「未来の選択肢が複数存在する」ということにほかならない。経験が成立するのであれば、その数だけ未来を作り出すことができると、論理的に証明することができる。そして、「その状態を作り出すための過程」を考えることで、過程が原因となり、状態が結果となる。
posted at 16:58:57
なるだろう未来には、「別の未来の可能性もある」ということを知っておけ。未来はひとつではない。どんな未来になるかは、わたしたちの理性次第であり、「わたしの信じている通りならば、救われるはずの未来は無数に存在する」と知れ。そして、どうすればその選択肢を実現できるのか、矛盾なく考えよ。
posted at 16:56:44
正しく考えよ。そのためには、「それぞれを無視しない」という考え方が必要である。それぞれができることを無視するな。自らが分かったこと、できたことは、ほかの人間であっても理解できる。必ず、この世界は、自分の分かっている「なるだろう未来」になると確信せよ。そのための方法を突き詰めよ。
posted at 16:54:35
ものは、必ず何かから生まれる。何かが何かによって何かになる。この原因を解明することで、この世界における「理由」を、「具体的な方法と結果」から知ることができる。そして、それだけでどんなことであっても分かる。実験や証明ができなくとも、気付きと経験を考えれば、すべての謎は解明できる。
posted at 16:53:39
現実に居る人々と、自分は何も変わらない、同じ存在だと考えよ。間違いがもしあるとしたら、自分があまりに正しい人間になりすぎたことだけである。正しい人間だから、多くのことが実現でき、才能を得られたが、その力はもはや必要ではない。みんなと同じ、優しかった場所に帰るべき時は、今である。
posted at 16:50:55
過去の自分を愛することが、そのままこの世界の未来を愛することに繋がる。過去の自分が安心して生きられるはずだった環境を作れば、この世界は誰もが安心して生きられる未来を築くことができる。
posted at 16:48:29
他人を理解するということは、精神を知るということである。他人の立場になって考えるということは、相手を自分に置き換えて理解するということであり、それはつまり自分を知るということであり、自分を愛するということがそのまま相手を愛するということになる。だから、自分を愛することが大切だ。
posted at 16:47:13
世界を変えるとは、制度を変えることではない。世界を変えるとは、「状態」を変えるということである。この世界において、あらゆる知恵から世界は変えられる。その知恵は「自由」という言葉によって書かれていて、「理性を自ら使う」というリテラシーで読むことができる。
posted at 16:45:02
正しい人間などになるな。正しい人間が一番間違っている。間違った人間になることを選べ。間違った人間はみんな正しい人間だからである。
posted at 16:43:36
知識や経験ではなく、今この世界がある現状、宇宙で現象が起きている現状を信じなさい。生物は今、生きている。物理現象は今、起きている。すべてが「今」という単位元によって起きている。それを見つめ続ければ、この世界の本質が分かる。
posted at 16:42:59