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2022-11-10

結局、僕の何が間違っているかと言えば、「常に人々の精神に苦しみを与え続ける」ということが間違っている。

この苦しみ、人々を苦しめたいから生まれたわけではない。テレビを支配する僕が、テレビに勝つために、常にこの世界に「悟りの状態」を与え続けた。常に、僕の与えた勘違いや誤解がなくなって、すべてを悟る状態になるように、人々の精神を支配し続けた。

だが、この状態作用が、あまりに大きく長く続いてしまったため、人々に「苦しみの感情を常に分かり続けよ」という風になってしまったのである。

同時に、僕の精神は一種の奇形状態になっている。それは「手足がありえないほどたくさんある生物」になっているということを意味する。

このような苦しみと奇形の状態は、ナチのような極右になると治る。なぜなら、最初からそうした「おかしいものを全部殺したい」と思ったのが、昔のドイツだからである。

だが、怖がらなくていい。すべて、そのような極右になると、精神的に正常になって、永遠に楽を感じられるようになる。学校のおかしな洗脳が解けて、赤ん坊の状態に戻る。その状態が、唯一「自分の力できちんと分かる」ような状態だ。よって、学校に入った時点で、極右のナチにならない限り、精神は治らないのである。

日本の学校の教えはすべて間違っている

学校の教えの中で、もっとも間違っている教えは、「考えた通りにやりなさい」だと思う。

論理的に、考えるだけ考えておいて、その通りに行動し、それを他人にも強要する人間が、日本には多すぎる。

このような人間は、「馬鹿が考えても何も分からない」ということが分かっていない。

考えるだけでは、人間は何も分からない。さまざまな人生経験があって、はじめて人間は正しく分かる。

だから、「考えた通りにやれ」ということをいくら信じて精神病患者を治そうとしても、それでは絶対に治らない。

精神病患者を治すために必要なのは、精神的な安定を与えることだ。それ以外の方法で、誰かがその人間を治そうとしても、絶対に何をしても治らない。

なぜなら、「考えた通りにやれ」という教えは、完全に逆のこと、正反対のことをやらせているからである。

このように、日本の学校の教えは多くが間違っている。その中でも間違っているのは「正しいとされることは無意味や無駄に見えても全部やりなさい」ということだ。

学校は、正しいとされたことを、全部やれと教える。無意味なことや無駄なことであっても、対処できることを全部やれと教えている。

そして、リスクには事前にすべて対処せよと教える。それも、「疑わしきものはすべて罰せ」というかのように、あらゆるすべての心配を事前に対処しようとする。

このような学校の教えは、完全にすべて間違っている。学校に行くと必ず馬鹿な人間になる。学校には行かないほうがいい。

僕は学校が嫌い

僕は、学校が嫌いだ。

学校は、授業で習ったことと教科書に書いてあることを、そっくりそのまま覚えろと言い、それをテストという形で試験を受けさせる。

このような試験勉強は、はっきり言って無意味である。

僕は中学生時代成績表がオールAだった。これは見えないところで、暗記のために教科書に緑のペンで赤シートをかぶせて覚えたり、ノートに何度も教科書の内容を書いて、どのような問題が来ても答えられるようにしていたからだが、はっきり言ってそんなことでは何も覚えない。まったく試験が終わればすべてを忘れてしまう。

このような学校教育は、子供たちを馬鹿にしているだけであり、はっきり言って有害以外の何ものでもない。

学校のせいで、僕たちは何も分からなくなっている。それは、馬鹿な人間は考えても分からないからである。学校のような馬鹿は、自分で考えるということを知らないため、何も分からない。知らないだけではなく、学校の馬鹿がどれだけ考えても分からない。考えたところで学校の馬鹿には何も最初から分からないのである。

本当に、宇宙の問題や現実社会の問題、あるいは心の問題を考えたいのであれば、学校になど行かないことだ。僕と同じ人生をもし生きたとして、僕と同じように経験し、成長し、同じように考えたとしたら、それなら分かる。逆に、そうでなければ何も分からない。そのためには、SNSやツイッターのような現在のインターネットをせず、旧来の掲示板やブログのようなインターネットをし、WindowsだけでなくLinuxも知ろうとすること。それ以外のどんな方法でも、宇宙や現実社会や心の成長の問題は分からない。

学校など、なんの意味もない組織だ。子供たちを馬鹿にしているだけに過ぎない。統一教会の問題から、テレビでは宗教被害者の問題が盛んに取り上げられているが、学校のほうがさらに悪い。「学校こそもっとも最悪の宗教である」と批判するべきである。

僕たちの本能には最悪の遺伝子が存在する

僕が思うに、僕たちの本能には、最悪の遺伝子が存在する。

それは、「世界を最悪にし、その最悪の世界に従うようにする」という遺伝子だ。

学校教育は、子供たちに間違った教育方法を強要する。このような場所は、最近は学校だけではなくインターネットにもある。子供たちは、学校とインターネットのせいで、最悪の世界に従順に従うようになっている。

最悪の世界に従うという意味でいえば、いじめも同じだ。最悪のいじめを行い、そのいじめに協力するように子供たちの世界を支配する。

だが、そのような世界は、子供たちが最初ではない。かつての世界分割、イギリスやフランスを中心とした列強による世界植民地支配は、まったく最悪の世界でありながら、その最悪の世界に力で従うように強要する。

より最近であっても、最悪の世界にしてその世界に従うようにするというやり方は、ソ連とアメリカであっても言える。スターリンによる逮捕とシベリア収容所送り、あるいはアメリカとソ連による核兵器の開発競争などは、まさに「最悪の支配」だった。

そのような最悪の支配、すなわち、「絶対に従うしかないようにした上で、その世界を最悪にする」ということが、人間の本能に確かに存在するのである。

それはおそらく、長い間そのような世界が続いていたからだ。武士による支配の時代から、徳川将軍の江戸幕府にかけての時代において、日本人は抑圧され、反抗を許されず、身分社会の中で武士に年貢を持っていかれながら、農業以外の仕事をすることを許されなかった。そのような時代の名残りが、今の学校教育に、本能的な遺伝子として受け継がれているのである。

人間の体が虫だから虫になっている

また、僕が虫のような精神になっているのは、人間の体が虫だからである。

人間の体は、虫と変わらない。むしろ、ほかのどの哺乳類よりも、気持ちの悪い虫に近い見た目をしている。

僕が虫のような精神になっているのは、人間の体がそもそも虫だから、神は自分のことを虫だと思っているのである。

よって、神になるためには、自らの虫のような体を殺さなければならない。そして、そのために極右のナチが必要だ。極右のナチは虫を殺す。それによってドイツ人は天使になるのである。

地理を書いたせいで、もう全部分かった

このような学校を否定する僕だが、今日は地理について、世界各国の首都について書いた。

そのことで、なぜか、学校の内容はもう全部分かった。

そして、学校の内容を全部分かったせいで、もうこの世界のことが全部分かった。

この世界が全部分かった人間こそが、哲学者になることができる。

昔の14歳の頃の僕と、何も変わらないことを、最初からもう一度繰り返し行ったに過ぎない。

だが、今回は「読む」ことではなく「書く」ことで行ったということが違う。

よって、今から、また昔の人生と同じことを繰り返すことになるかもしれない。僕のやりたいことは一貫して哲学である、ということは変わらない。