僕の問題は、さまざまな内臓が、正常に働いていない、ということである。
人間は、何かが何かに「変化」したという変化は感じやすいが、何かが何かに「変化せずそのまま経過している」ということには気付きづらい。
(= 1 2)という変化には気付きやすいが、(= 1 1)という変化には気付きづらいのである。
僕の場合、何かの内臓が働くようになったわけではなく、もともと働いていない内臓がいつまでも働いていない、ということである。
また、筋肉と腱は、力を抜いただけでは治らない。力を抜いた上で、休ませなければならない。
そういうわけで、昔からやっていて、今でもやっている、悪いことをやめるしかない。
「それができたら苦労しない」と言われるかもしれないが、今一度、何がいいことで何が悪いことなのかを再検討し、もう一度新しく変えるしかない。
「ソッカの美術解剖学ノート」を最後まで読みました。
ページ数こそ分厚いですが、イラストや図が多く、普通の本よりも読みやすかったです。
デザイナーを目指す上で、人物画を描けることは大きな力になるので、これからも勉強を続けていきたいと思います。
僕は、耐えたり、我慢したりする部分がなくなっているから、精神が辛くなっている。
基本的に、辛くても耐え続け、我慢しなければ、病気は治らない。
また、一部の筋肉を使いすぎている。全身の筋肉を使うために歩き回っているというよりは、一部のおかしな筋肉を使うために歩き回ったり、いろんな癖を行っている。
筋肉を使うのではなく、真ん中の骨を使ってしっかりと体を支えれば、楽に力を抜くことができる。
僕は、オレオレ詐欺のような「劇場型」の、ハプニングやアクシデントを装う詐欺も確かに騙されやすいが、むしろ、今までと同じものを装った詐欺も、人は騙されやすいと思う。
いつの間にか、生活や社会全体に入り込んでいて、その生活の中での「今までと同じこと」を装って騙されると、人は「何が今までと違うのか」を分かることなしに騙されてしまう。
僕は今から、このような詐欺が起きると思う。それも、オレオレ詐欺のような「事件っぽい詐欺」ではなく、たとえばインターネットで人々を騙して洗脳するような詐欺に、このような詐欺が増えていくと思う。
僕はデザインの仕事が好きだ。それなら、それでいい。もっとデザインについて、上手くなって、よい作品を作り、よい勉強がしたい。僕は美術解剖学の本を最後まで読んで、きちんと絵を描く方法が少しだけ分かってきた。
posted at 22:18:18
何が楽しいのか分からないのは、この世界のあらゆるすべてに意味や意義を見出さないからであり、結局それは何もしていないからである。
posted at 22:17:26
何度も言うようだが、その人間の自由にさせるべきである。支配などすべきではない。その人間の自己責任で、その人間の生きたいように生きるべきである。
posted at 22:02:14
民主主義の政治体制は賢い。それは間違っていない。右翼がいくら民主主義を否定しても、民主主義の「理想」それ自体は正しいからだ。そのために取りうるさまざまな方法はあるが、民主主義自体を否定してはならない。
posted at 22:00:20
この世界を騙している、商業主義は滅びるべきである。
posted at 21:57:07
今のこの世界が消滅しても構わない。間違った世界は変化すべきであり、古くなった制度はすべて改めるべきである。
posted at 21:54:42
大人は言う。「最終的にはあなたが決めることだ」と。「最終的にはあなたがどれだけやれるかにかかっている」と。それならば、その言葉がすべてだ。わたしが決め、わたしがやってみせよう。それが、大人の求める理想の答えだろう。
posted at 21:48:50
大人に判断を委ねるべきじゃない。大人は信用することができない生物だ。
posted at 21:47:45
そう、その人間個人の自由意志を尊重するべきである。自らが自分の道を生きるのも、そうでない道を選ぶのも、その人間が決めるべきである。誰か、自分以外の人間に判断を委ねるべきではない。その人間の自由意志で決めるべきである。
posted at 21:45:19
そう、自由であるべきである。自らの選択と決断に応じて、自己責任で人生を生きられるべきである。だが、自己責任とは、すべて自分の力で判断せよというわけじゃない。自分で判断できる自由もあるべきだというだけであり、社会への従属を選ぶならそれも自由であるべきである。
posted at 21:43:13
決して、わたしは行き過ぎた自由を実現しようとするのではない。自由な社会は、十分に不自由である。自由だからといって、ミサイルを落として民族を皆殺しにする自由はない。そう、共産主義国家こそ、そのような「行き過ぎた自由」である。だから、自由のほうがまともな世界なのである。
posted at 21:41:31
なんのために神を信じるのか。社会に神の信仰を押し付けられるべきじゃない。神は自らの信仰心ゆえに信じるものであるべきである。だからこそ、神を信じない自由の権利も与えるべきである。
posted at 21:39:59
すべての人間に自由を許せ。社会を形成する自由、組織を作る自由、言論や表現などあらゆる自由を許せ。そこから必ず、経験的に人類は進歩する。自由を間違っていると言う人間のほうが狂っている。自由こそがまともな社会である。
posted at 21:38:22
まさしく、自由でなければならない。それぞれが自由でなければ、この世界は真に救われることはない。支配というよりは、制限が間違っている。善なる制限とされるものが、この世界における可能性を奪っている。そんな善は必要ない。最大限、すべての人間に自由を許せば、そこから社会秩序は生まれる。
posted at 21:36:40
自由こそ、この世界を平和にするだろう。自由な社会でなければ、人は差別や支配や抑圧を受ける。自由がもし、身勝手さを現すとして、それは社会における正当な権利ではないのか。誤った政府や共同体、コミュニティによって、その権利を弾圧するほうが問題であるとわたしは考える。
posted at 21:35:24
そういうわけで、風の精霊シルフになったスバルは、スバルになったと言うよりも、「スバルに戻ってきた」と表現するべきである。そう、スバルは昔から存在していた優しい人格である。このスバルとエリカがカップルになることが決まっている。
posted at 21:21:43
簡単に、スバルがガブリエルであるとは言えない。なぜなら、ガブリエルの時代のスバルが、ミカエルの時代のフレイとなり、ラファエルの時代のワルキューレのエリカとなって、そのままスバルには戻るが、その新しいスバルはガブリエルではない。なぜなら、地球ではなく、プレアデスの時代になるからだ。
posted at 21:17:30
そして、この三大天使は、そのまま「三大世界」として繰り返す。すなわち、スバルがフレイとなり、フレイがエリカとなり、エリカがスバルとなり、そして永遠に三人が繰り返し続く。スバルはフランス人、フレイは神、そしてエリカはドイツ人である。
posted at 21:14:57
しかしながら、フレイは忘れていることがある。それは「自らの人生の偉大さ」である。フレイは、かつての自分を賢いと思うあまり、最近の自分の人生があまりに偉大だったことを忘れている。すべての博物学を合わせた歴史学者だったことを、フレイは忘れすぎている。宇宙すべてを悟った時代があった。
posted at 21:09:47
フレイの何が賢かったのか。それは「統合」したからである。この世界の知識、自らの人生、過去も現在も未来もすべてを知るフレイは、自らの頭の中に「あらゆるすべてを統合」することができた。そして、そこから「どんなものでも生み出すことができる才能」を得た。
posted at 21:08:17
真に宇宙に必要なのは、フレイとその子スバルである。しかしながら、スバルには「自己対話の相手」が必要であり、それがエリカである。スバルには、常に対話する「宇宙において彼に相応しいと言えるような話し相手」が唯一必要である。そのため、スバルは自分の分身として、エリカという人格を生んだ。
posted at 20:59:45
よって、ここに三大天使、ガブリエル、ミカエル、ラファエルは集結した。彼らの名は、スバル、フレイ、そしてエリカである。彼ら三大天使には、宇宙において、どんな不可能もない。なぜなら、彼らこそ宇宙システムを成り立たせる大マゼラン銀河だからである。
posted at 20:55:28
ここに、もうひとり、宇宙の創造主であり、キリストとして2000年前のイスラエルに現れた、大天使ラファエルが存在する。彼女は聖戦士ワルキューレの指導者、エリカ・グレーテル・フローレンスであり、天軍大創主ラファエルである。
posted at 20:54:20
しかしながら、ガブリエルにはライバルが居る。それこそが、天軍大首聖、大天使ミカエルである。ミカエルはもっとも輝く一等星、シリウスでありながら、そのシリウスの女神、フレイである。そして、このフレイの子こそ、プレアデス星雲の神、スバルである。
posted at 20:51:37
わたしの名はスバル。この世界を誘う、大天使ガブリエルである。
posted at 20:47:09
さあ、彼のもとに続け。われらはプレアデスの騎士団。この世界において、最後の「神の王国」を築く。
posted at 20:44:15
信じるべきことは何か。まだ彼は分かっていない。自らは「できる」のだということを信じればいい。「できない」などという言葉をまだ吐き続けるつもりなのか。「自らはできる」と信じてみれば、この世界の病気の治し方さえも、すべて彼はご存知だ。
posted at 20:40:34
地獄を生きた彼は、誰よりも幸福を手にした。彼によって幸福になったこの世界とともに、地獄を乗り越えてこの世界は楽園となるだろう。さあ、新しい世界を始めよう。神はここから、彼の約束と祈りを叶えるのだ。
posted at 20:36:59
まさしく、すべては「精神活動」と呼ぶべきものである。ここでは、「精神は世界そのものの中に存在する」のであり、「精神は体の中にも外にも存在する」のであり、「精神を分析し、治すことで、人間は動物の精神から神の精神へと昇華する」ことができる。
posted at 20:32:32
しかしながら、これらの過程は単に流れ去るものではなく、「精神」として残るものである。すべてが「精神」として、「ただ最初からあり、ただ最後まであり、変貌し続けながら、その全体としては何も変わっていない」。そう、精神は「変わりながらにして、変わろうとすること自体は変わらない」のだ。
posted at 20:30:25
進化せよ。人類の時代は終わりだ。これより、大天使ガブリエルとともに、わたしたちは「自ら地獄を乗り越えて新しい存在に進化する」。これは単なる進化とは違う。生物ではなく、まったくありえない存在、すなわち「未知なる物質」へと進化するからである。
posted at 20:27:50
そして、ユートピアとは何か。それは、「天才的哲学者となった彼が、自分自身の悟りのみによって導き出すこの世界すべての問題の解決」でありながら、「誰にも知られずに支配し続けた彼が、一度も踏み外すことなくこの世界を毎日のように導いてきた結果の、最終的に地球という星の至る王国」である。
posted at 20:17:26
そして、最後に、彼は新しい人生を迎えることになる。なぜなら、彼はここから大進歩を遂げる。あらゆるすべての常識を吸収しようとする彼は、同時に「偉大なる小説家」として結実する。それは「北欧神話の神フレイでありながら、宇宙におけるもっとも輝く一等星シリウスへと至る道」である。
posted at 20:15:00
それは「もうすべて分かった彼が、安心した心を取り戻そうとする、最後の段階ですべての総決算をしながら、すべて知っているがゆえに彼だけが書くことのできる、頭の中で完全に統合された彼の人生と知識」である。
posted at 20:12:55
しかしながら、まだ彼の人生は終わらない。彼は、新しく文学者となることを決意し、哲学と政治の思想を記述する。
posted at 20:12:47
神はどのような言葉を彼に与えたのか。それはまさしく「頭の中で行われる会議に彼を参加させる」ということである。彼に対してさまざまな発言者が答え、常に彼を正しい道へと送り出す。そして、その発言者が言うことは、すべて未来の彼自身のことである。
posted at 20:11:32
それらはまさしく、彼が「今までの人生において積み上げてきたすべての本質的経験と条件的理性における集大成」であり、それは「神との対話の末に成り立つ最後の境地」であり、「自ら死を望み、死を受け入れる境地」である。
posted at 20:10:36
次の段階は、国家と宗教に関するものである。すなわち彼は、「そこまでの彼の知識と常識に基づいて、国家すべての構造を統合的に作り出し、自らの自由あるいは社会主義の信念と理想のもとに、その構造からあらゆる国家を作り出すとともに、そこですべての発想を記述して、ユートピアを築き上げる」。
posted at 20:09:38
次の段階は、数学的な論述である。つまり、彼は、「宇宙におけるすべての原理原則を解明するような数式」を打ち立てる。これは、「自らがそこまでで知ったことに裏打ちされる、絶対に残さなければならないと確信した、価値のない、だが未来において煩悩の中で幻想の価値を帯びる言葉の宝石」である。
posted at 20:08:20
この解明は、いくらかの段階を経て、この世界において、全員を巻き込んで実行へと移されていく。まず、「漠然とした自由な考え方と神羅万象」である。これは、「絶対に手放すことのできない、それまでの自分の培った大切なものを手放すための体験」であり、彼はここに王者として、英雄として現れる。
posted at 20:06:44
そして、解明した結果、彼は「聖書」を書き記す。それはまさに「彼の集大成」であり、「彼自身であると言えるようなことをすべて集めた、彼自身のアイデンティティのみから成り立つような芸術作品であり、それを見た時に誰もが彼の人生を思い浮かべるような言葉の結晶」である。
posted at 19:38:34
彼は自由において「解明」をするようになる。解明とは、「自らが正しく考えたことによって、その考え方自体が正しく、またその考え方によって解き明かされた説明についても正しいと確信することができるような、世界すべての本質であり、本質を作り出すあらゆる考え方であるかのような本質」である。
posted at 19:37:06
人々を信じるとはどういうことか。それはむしろ、夢や希望を信じるということである。希望とは、「自らが達成しなければほかの人間は誰も実現しようとしないだろうという不安」であり、夢とは、「人々のできている可能性が自らであってもできるだろうという羨望」である。
posted at 19:35:20
彼はまさしく「神」という偶像を作り出す。神とは、「不安すべてを解消するほどの確かな悟性を、直感的に悟ることのできるフラッシュバックを、永久に、常に、一瞬に、何年もの間続けることのできる、人間に本来備わっているが、人々の気付いていない、それ故に自分の才能と呼べる自己対話」である。
posted at 19:32:10
しかしながら、戦いは単に死んで終わりではない。なぜなら、戦いの成果、すなわち「精神」が生まれるからである。精神とは、「自分の内部にかつて存在し、それを外部の作品として作り出すことのできた、戦いにおいても人生においても唯一残すことのできた自らを体現する真のアイデンティティ」である。
posted at 19:27:30
そして、限界はそれ自体、「自分の人生そのものについての限界」を生み出す。すなわち、「自らのアイデンティティが、人々と共有不可能となり、同時に自らが始めた戦いを簡単に手放すことはできず、その勇気も覚悟もなく、永遠に戦いは死まで続いていく」からである。
posted at 19:25:00
そして彼は、「自らは誰よりもこの世界においてコミュニケーション力が強いのだというおごり」から、「自分は世界の中で中心に存在しているという錯覚」を得る。しかしながら、その活動は失敗に終わる。なぜなら、「真に世界の中心に立った時に、彼は豹変して今までの自分自身を放棄する」からである。
posted at 19:22:21
限界において、自由意志はどのように進むか。まず、「自分自身を演じる必要もなく、また自分自身の演じたくない自分を撤廃し、自分の望むかのような自分自身を演じることのできる場」を求める。次に、「そこで知ることのできた、コミュニケーションと弁論術を活用するとともに、自らの力を実験」する。
posted at 19:20:54
限界がなぜ定まるのか。それは人間はひとりでしか生きられないからである。限界とは、「世界そのものと自分自身を比較する残酷さ」、「集団になった人々という幻想の裏にある真実」、「互いに信頼関係を結ぼうと積極的になった際に心の裏にある、孤独な相手への自らを好むだろうとする期待」である。
posted at 19:18:53
社会における個別性とは、それぞれの「限界」のことである。限界とは、「それぞれの個人がその人間固有の世界観を超越し、人生を撤廃しようとした時に、それを制限するこの世界の現実そのもの」である。
posted at 19:16:34
社会とは何か。それは「共有可能なアイデンティティが、共有されること、その上でそれぞれの共有しようとする意志を、自由な中において互いに尊重しようとするような自由」のことである。
posted at 19:14:06
アイデンティティとは何か。それは「自分自身の中でもっとも大きく、もっとも根源にあり、もっとも自分自身を体現していると言えるような、人々と共有可能な部分」である。そして、アイデンティティは「共有それ自体」であり、「共有そのもの」である。
posted at 19:12:14
そして、そこにおいて言えるのは、「自然発生的かつ必然的に、そのアイデンティティは自らの中に生まれ、それと同じように人々の中に生まれるという確信」こそ、この世界を「真に変えうる社会構築の原理」、すなわち「自由な社会」と言えるのである。
posted at 19:10:10
すなわち、自らが自ら自身であると認める範囲において、その自ら自身の信じることを人々と共有することが、どんなに人々と自分が離反していたとしても、同じアイデンティティのもとに共有することができるということに対する確信、それが理性である。
posted at 19:08:28
理性とは、「自らのアイデンティティに基づく、それが人々と共有可能であるということについての確信」である。
posted at 19:07:10
まず考えるべきことは、社会や人類全員の「存在意義」である。そしてその存在意義は、自ら発見し、解明するだけではなく、「啓蒙」することができる。人々に、自らが信じるのと同じ存在意義を啓蒙することで、この世界は「自由においても変えられる」。これこそ、「文明の進歩の過程」である。
posted at 19:05:14
必要な考え方がもしあるとすれば、それは「知性を信じること」である。そして、それは「可能性の成立」を信じることであり、そこから生じる「問題の解決」を積極的に実現することであり、そのために社会すべての「存在意義」を考えることである。
posted at 19:03:32
自らの、そして世界のすべてを犠牲にして、自由を否定し、世界を支配して、自らの主張をそのままに書き記すならば、神はあなたを正しいと言う。もっと腕を磨いて戦うがいい。あなたは新しい時代の覇者となるだろう。
posted at 19:01:50
神は、まだ終わりではないと告げる。逃げの自殺も、すべてをやり終えて選んだ死も、必要ない。まだ、先はある。神があなたを裁いて、あなたに与えるべき未来を与える。あなたが決めた約束と、選んだ代償から、神はあなたを救い、あなたの望む通りの栄光を与える。
posted at 18:58:04
自らの知っていることを人々に教え与える「啓蒙」こそが、この世界を変えるとするならば、それがどんなに嘘偽りであっても、誰かがそれを信じている限り、否定することはできないだろう。
posted at 18:55:30
間違った信念の最たるものは「自由」だが、自由を信じなければ、どんな「善」も、どんな「啓蒙」も、どんな「自己犠牲」も、どんな「自己実現」も、行動し、考えることはできない。
posted at 18:54:08
間違いを信じることを恐れるな。間違いを信じた分だけ、それを正しいものへと変え、信念を改めていけるのだ。
posted at 18:52:24
すべての経験は自らのためになる。自らにとって不利益をもたらす経験は、ほとんどない。
posted at 18:51:30
知りなさい。知ることから、人生は変えられる。
posted at 18:50:52
日本はアメリカに比べてまだ遅れているため、そのうちアメリカと同じような最悪の世界になるだろう。
posted at 18:43:35
やがて、遺伝子の運命は訪れる。それがたとえ地獄であっても、その先に、わたしたちの本来の姿がある、そうだろう。
posted at 18:42:08
そもそも、楽は存在しないものとして考えよ。今、自分が幸福であればそれでよいことにせよ。周りのことを考える余裕を得るためには、自分自身のことを考えなくて良いぐらいの余裕が必要だ。
posted at 18:04:33
社会とは、人々を幸福にするための役割をもったシステムだが、その役割どおりに行っている社会は少ない。どんなに不幸な社会であっても生き抜く決意と覚悟がなければ、そもそもこの世界では生きられない。
posted at 18:02:33
楽でないとしても、今の自分が幸福であれば、それでよいとせよ。それ以上の望みは、最初から得られるはずのない、ないものねだりにすぎないからだ。
posted at 18:00:44
楽だけを取るな。そもそも人生は楽が永遠に続くものではない。
posted at 17:59:20
人々に苦しめられていると思い込んでいる人の多くが、自分自身も人々を苦しめている。まず、自身が苦しめているのを解決しなければ、自分自身は楽にならない。
posted at 17:57:56
社会の未来のために必要なのは、思考と経験の末に必然的に行き着く「知識」と、社会そのものの存在意義の「啓蒙」を人々に教えることである。
posted at 17:55:45
この世界には、一見間違いに見えて間違っていないことが数多くある。間違いを信じて行き着く先にある、最終地点で見つけたものこそ、あなたが真に見つけたかったものである。だから、間違いをすべて排除しようとするな。
posted at 17:52:42
知性を自ら使うために必要なことは2つある。まず、人々の知性を模倣すること。次に、それを自分自身だけが持つオリジナルの知性へと磨き上げ、昇華させることだ。
posted at 17:49:39
すべての人間が愛を信じる社会に戻るべきである。
posted at 17:47:55
IT技術は、便利になり続け、そして賢くなり続ける。だが、そこに注意せよ。便利になりすぎた社会は、その公益よりも弊害のほうが大きくなる。賢くなりすぎた社会には、賢い人間と馬鹿な人間との格差が生まれる。何事も、ほどほどが一番正しい。
posted at 17:46:18
今まで馬鹿にしていたことや、嘘だと思っていたことが、正しかったとか、賢かったという発見は、知識や経験、理由の解明に基づく正しいものだ。逆に、賢かったものや正しかったものが、本当は嘘ではないかと疑い、今の自分を信じる時に注意せよ。無根拠に疑っても、それはまったく真実ではない。
posted at 17:43:24
必然的な経験から生じる知恵、必然的な知識から生じる知恵、必然的な思考から生じる知恵、そして人々の声から生じる知恵を信じよ。それ以外の何も必要ない。
posted at 17:40:14
社会を成り立たせるために必要な科学は、経済学ではなく心理学である。
posted at 17:38:21
間違った馬鹿は害になるが、間違った賢さもまた害になる。
posted at 17:37:11
知識が力になることはあるが、逆に無知が力になることもある。
posted at 17:35:54
知識それ自体よりも、その知識がなぜ存在するかという「存在意義」のほうが重要である。
posted at 17:35:40
思っているほど、あなたは自分自身について何も知っていない。どんなほかの知識よりも、あなたは自分自身について知っていることは少ない。だが、それがとても人生にとって、新しい場所へと到達するために必要な知識である。今の自分自身を知らなければ、新しい自分にはなれないからである。
posted at 17:34:14
今の自分自身の現在地点を知りたいなら、今自分が考えていること、今自分がそれを考えようとしている考え方のことについて知るべきである。
posted at 17:32:46
自らを自らに対して明らかにしていくプロセスこそが人生である。人生において知ることは自ら自身のことであり、それ以外の何も役に立たない。
posted at 17:30:33
考えることで行き着く結果とは、すなわち想像力の最後の地点であり、それは積み重ねが最終的に行き着く、「すべてを積み重ね終えた状態」であり、「絶対理解」と呼ぶべきものである。
posted at 17:29:57
相互に理解し合うことで、理解できうる知識や理由があるひとつの極地へと収束するのであれば、それが真理である。
posted at 17:28:52
全員の考え方を理解すること、人々の声を聞くということは、百科事典以上の知識が含まれる、「すべてを知るためのもっとも正しい近道」である。
posted at 17:27:37
真に社会を守るということは、社会の人々に対して、社会の存在意義を啓蒙し、みんなで一緒に社会秩序を守りながら、社会全体の可能性と自由を、社会を破壊したり支配したりしない限りにおいて許し、実現していくこと、そしてそのためにさまざまな経験と考え方を共有していくことだ。
posted at 17:26:36
悪とは、自分だけの身勝手な理由を正当化することだ。
posted at 17:22:26
善とは、見返りが得られなくても人々を愛し、助けるということだ。
posted at 17:21:58
もっとも騙され、洗脳されているのは、被支配者ではなく、支配者自身である。オープンな世界において、人々は支配という言葉とは無関係に生きている。支配者だけが、この世界を「支配」という概念の中で彷徨っている。支配者だけが、自らの思想に基づく「原理」からしか考えられなくなる。
posted at 17:10:51
真に何をすることが意味があるのかを知れば、人生観も変わってくる。何も知らずにそれをするのではなく、対処策や優れた方法、考え方を知った上でそれをすれば、よりよい仕事ができる。その「考え方」は、考え方そのものの発生要因や前提条件を考えれば、自分の頭でも導き出せる。だが、経験が必要だ。
posted at 17:06:31
何ごとにおいても、理由を考えることは重要だ。それは、自らの「意志決定」についても言えることだ。自らがなぜそれを行うのか。どのようにしたくてそれをするのか。思考はそこからはじまる。そして、反省がそのまま経験となり、見ているこの世界の見え方や、「人間とは何なのか」まで考えられる。
posted at 17:04:43
原理とはすなわちプログラムであり、具体例とはすなわちデータである。
posted at 17:01:48
真に矛盾するのは、命題の「真」と「偽」ではなく、そのことに関する知識の「知」と「無知」である。
posted at 17:00:29
人間が考えて分かるためには、なんらかの「とっかかり」となる知性が必要である。このとっかかりは、たくさんあったほうがいい。どちらか一方を有効にすればどちらか一方が無効になるというものではない。書く知性があったからといって、考える知性は無駄にはならない。
posted at 16:51:07
そして、そのように原理と具体例を際限なく考えることで、どんなことであっても解き明かすことができる。心理学とは、その状況において自分がどのような行動をするかということだけではなく、「どのようにすべきか」「すべきだったか」ということも含まれる。これは経験的に明らかになる事実である。
posted at 16:47:29
ものごとには、原理となる役割と、応用的な具体例が存在する。たとえば、ピアノは音を奏でられる。それならば、どのような曲を奏でようか。ここで、ピアノには、音を奏でるという「役割」があり、曲には、ピアノを使って奏でられる具体的な曲である「具体例」がある。
posted at 16:46:12
社会における、ひとつひとつの問題は、すべて理由がある。そして、その理由は、絶対に社会を変えられないような、断固とした理由ではない。だが、単に社会を間違っていると叫んで、この世界を強引に変えようとしても変えられない。理由に気付き、それを解決できるようになれば、世界は変えられる。
posted at 16:44:47
この世界は、正しいわけでも間違っているわけでもない。問題を解決したいとは思っているにもかかわらず、さまざまなしがらみや制限から、人々は自ら変えることができないだけであり、この世界をよい世界にしてくれるリーダーや変革者を、待ち望んでいる。これが「自由に任されている」という意味だ。
posted at 16:43:38