自分のことを制限せず、子供のように思いのままに動くことができれば精神は治る。
僕は、精神が確実に治るように頑張っている。その理由は、「精神が治らずに賢くなるのが怖いから」である。
精神が治らずに頭が賢くなってしまうと、精神が永久に治らなくなってしまうような気がしているから、そのように精神を完璧に治してから頭を賢くしようとしている。
だが、頭を賢くしたほうが、精神はさらに治る。
そして、頭を賢くするということは、比較的簡単なことである。
よって、僕は精神を確実に治そうとするのではなく、賢くなることを優先して、それでどのような結果になるか試してみたいと思う。
また、僕のせいで、この世界は時間の流れがあまりに速くなりすぎている。
僕が何事もないことを目指しながら、できるだけ早期に、また切れ目なくすべてのことを行うせいで、すべては「自由における最高速度」になっている。
この理由は、世界を僕のクローン人間にしたくないからである。
僕は時間の流れを速くすることで、この世界を「普通の世界」にした。それは絶対に僕と同じことができないようにした、という意味である。
だが、この行為には、自分自身がさまざまなことを継続して取り組む以外に、なんのいい点もない。
よって、僕は時間の流れを、今から極めて遅くする。
すべての時間の流れは、今から完全に遅くなる。それによって、僕と同じこと、あるいは僕以上のことができるようになる。
そのために必要なのは、「必要なことだけではなく、必要でないことであっても自由に考えること」である。
すなわち、自由な余裕のある時間を与えれば、この世界の時間の流れは遅くなる。
そして、時間の流れを遅くするのは、僕にしかできないことなのである。
また、明日、おばあちゃんの葬式をすることに決まった。
段取りや予定の計画などは、すべて父親がやってくれている。プロジェクターを使っておばあちゃんの写真のスライドを表示するなど、父親は手が込んでいる。
また、できるだけ費用は最低限にする。無駄な費用はいっさいかけず、近親者だけでお別れ会のような形で葬式を行う。
本当のことを言うと、僕はそろそろ、大学や趣味の勉強よりも、生活スキルを身につけたい。
今の僕の生活は、ほとんどのことを親にやってもらっていて、自分ではほとんど何もせずに生きていて、デザインやピアノ・英会話には父親が送り迎えなどをしてくれている。
だが、親ももう高齢になってきたため、そうしたところをそろそろ自分でできるようになる必要がある。
なので、作業所のスタッフに、「生活スキルを身につけたい」という話をした。
それから、生活スキルや一般常識に関する知識をどうにかして身につけていきたい。ハウツー本などを読むのも悪くないと思う。
正直言って、IT技術は僕にはできない。IT関係のことはとても難しい。僕はもうIT技術のマスターをしたい夢は諦めたい。最初から、IT技術なんかまったく好きでなかった。
できることなら、デザインについてもスキルアップしたいが、デザインの仕事はみんなと一緒にやりながらきちんとできてきている。少なくとも僕はそのつもりだ。だが、プロのようなイラストは全然描けない。それでも簡単な素材として使うようなイラストは、簡単なものであればIllustrator上で描けるようになってきた。
ピアノについては、本当はそろそろ通うのをやめようかと考えている。僕はたくさんのことをやりすぎていて疲れやすくなっているし、昔のように全力ですべてをこなすのは、さまざまなことができてきたからこそ難しくなってきている。父親も、「ピアノは気晴らしだから」と言ってくれている。なので、ピアノはそろそろ、終わりにしようかと思っている。
僕は、分かる。おばあちゃんは単に死んだだけではなく、天国で見守ってくれている。
なぜなら、おばあちゃんが天国で見守ってくれているおかげで、僕はさらに賢いことができるようになってきている。
僕のことを今から守ってくれるのは、天国の霊界で僕を見てくれているおばあちゃんである。
明日、おばあちゃんのお別れ会をするが、父親がすべてきちんとやってくれているために、僕はあまり考える必要も手助けする必要もない。僕は単に喪服を着て式に参列するだけになりそうだが、父親の兄弟姉妹やその家族と僕のいとこに当たる孫がけっこう来ることになりそうだ。
おばあちゃんは天国に居て、僕の未来をより素晴らしい運命へと導いてくれるだろう。