僕の問題は、強すぎる「意志」である。意志が強すぎるせいで、逆に辛くなっている。
なんらかの致命的な失敗をしそうになって、それを寸前で踏みとどまるような「恐怖」を感じれば、精神はすぐに治る。
思い出すのはゆっくりでいい。今すぐに全部思い出そうとすると、それが「記憶のゴミ」を作り出して、逆に再び思い出すことができなくなる。ゆっくり、自由に思い出せばいい。
今日はおばあちゃんに面会した。
おばあちゃんは、言葉を発することも目を開けることもできないが、声を話せばおそらく分かっているようなそぶりを示してくれた。
なので、「喫茶店やデパートや美術館に一緒に行ったね」とか、「テレビが好きだったね」とか、「猫のトラちゃんが天国で待っているからね」とか、「お父さんのおかげでみんな生きられているから心配要らないよ」とか、「僕は仕事をしているよ」などと耳元で話しかけた。
そうすると、なんとなく、泣いているような感じだった。
はっきり言って、僕に欠落しているのは、「いつ」という発想である。
思い出や記憶についても、それが実際あったということは驚くほど鮮明に覚えているのに、それが「いつあったのか」ということをまったく覚えていない。
だが、作業所に行ってから治ったのは、この「いつ」ということについて、「作業所に通う前と後」で分かるようになった。また、作業所のメンバーやスタッフが変わっていく中で、ある程度の時間の流れは分かるようになった。
僕の頭が馬鹿なのは、いつでも「自由」に考えてしまう。この自由とは、「自分がその時思う順番で思い出す」ということであり、この自由が僕から「知性」を奪っている。
よって、本当に頭を使いたいならば、自由に考えるのではなく、「時間」を使って考えること。それが大切である。
生きる上で狂わないために重要なのは、考えたらすぐに決めてすぐに行動することだ。
そんなに長い時間考え続けて、どうでもいい選択肢のために迷い続けるな。
正しく考えたら、すぐに決めて、すぐに行動して、すぐに終わりにせよ。
何も間違っていることなどない。誰かから間違っていると言われても「自分がそう決めたのだからそうする」とせよ。そうしないと狂った人間は治らない。正しい答えなどないし、正しい選択肢など最初から分かっていない。正しい答えのある問題だけが世界ではない。間違っていないと考えるならば、それを決めた自分が正しいとせよ。