歴史を信じなさい。
学校で教えるような通史ではなく、思想史や文化史から歴史を理解しなさい。
古代において、偉大な王によって成し遂げられた、繁栄する王国が起きる。
かつて栄華を極めた帝国が、分裂国家となり、神を盲信する理性のない国家になった、中世の暗愚な時代となる。
古代復興のもと、再び自由を取り戻し、人間中心主義となったルネサンスが起きる。
世界が別の世界と交わり、大きく世界が広がった、大航海時代が起きる。
新しいキリスト教、旧勢力と新勢力の戦い、宗教改革が起きる。
王国は再び繁栄し、絶対王政となる。
啓蒙主義が世界を席巻する。革命が起き、世界は専制主義と民主主義の争いとなる。
そして、国家主義と社会主義の戦いとなる。
このような歴史において言えるのは、「かつて存在したすべては、今存在しているうちの中に存在する」ということ。
同時に、通史としてこれらを信じるのではなく、たとえば「古代復興」や「啓蒙主義」としてこれらを信じること。
これにより、たとえば「民主主義とファシズムの戦い」であっても、通史をそのまま覚えるのではなく、実体験的に、経験から歴史のことを理解できる。
世界史だけではなく、日本史の江戸時代や明治時代などについても同様だ。
精神を治すためには、従順に従っていたのではいけない。
精神は、反抗しなければ治らないからである。
自由の名のもとに、反抗し、反逆することでしか、精神の異常は治らない。反抗しなければ、精神が純化されず、どす黒い精神のままになってしまう。
反抗することで、不純物がなくなり、精神が清らかになる。
国家モデルを作りなさい。
ひとつひとつの「自由な成立」を、議論や制度を作るといった「モデル」から、チャンスや動機の成立条件としていき、この世界における「自由な社会のモデル」を作りなさい。
僕は、もう、精神は完治した。
まず、自分の人生をすべて破壊したのを、「殺すのではなく生かす」という視点から治した。
人生のすべての破壊と、それによって赤ん坊になっているのを、すべて治した。
そうすると、足の精神が治った。それは「もっとも汚くなっている精神」であり、いくら壊しても泥沼のように治らなかったものが、生かして浄化することで治った。
そして、僕の精神は、完全にすべて治った。
そして、あとは「心を作る」という段階になる。もはや、精神を治す必要はない。僕は心を作る。この心が、この世界でもっとも正常な「まともな人間の心」になる。
ここに、最後の神、フレイヤは誕生した。
しかしながら、すべての病気が治ったため、フレイとフレイヤは、永遠にひとつとなって融和する。
この世界において、もっとも高い愛がここにある。
フレイとフレイヤさえ居れば、ほかには何も必要ない。真実の愛、永遠に続く最高の愛こそ、ここにあるフレイとフレイヤなのである。
そろそろ、実際の現実世界を考えよう。
人生の世界は過去の幻想だし、知識の世界は意味がない。
もう一度、この世界をゼロから、現実世界だけを考えれば、正しくものごとの考え方が見えてくる。
たとえば、人間の思考は「自動反応」から考えることができる。人格や認知は、反応と言葉遣いの環境的な学習であると考えられる。
普通、人間は、そのような「心」を考える。自分も、そろそろ心をきちんと考えたほうがいい。そうすると、きちんとこの世界で分かるべきことが分かる。