ホームページに戻る | シルフの秘密の場所に戻る

2022-03-15

僕は、もうプーチンに批判を書かない。

僕は今まで、プーチンにテレビなどでいじめられながら、それに対してまったく反抗も反撃もしなかったが、それでも僕は辛く苦しかった。

なので、一度だけプーチンに本音をつきつけて、命をかけてロシアに一度だけ反抗しなければならなかった。

結局、それも終わったので、今は何もプーチンに対する憎しみや怒りはないため、ここで僕はプーチンと友達になる。

すなわち、僕はプーチンに屈服し、完全に敗北する。

あとのことはプーチンが決めればいい。僕はこれ以上、政治には関わらない。僕の信念だった国家社会主義は、まったく僕が好きだったわけでも選んだわけでもない、どうでもいい思想であるため、僕はこの思想を捨てて、ロシア共産主義に屈服する。そもそも、僕が好きなのは共産主義の思想のほうである。

和月先生のようになりたい

僕は、中学校時代、るろうに剣心という漫画が好きだった。

中学で剣道部だったのは、その通り、るろ剣が好きだったからである。

僕は今、作家とデザイナーを目指している。これについて、明確にこの夢を選んだわけではなく、ただやっていたらそうなっただけである。だが、後付けの理由としては、僕は和月先生のように、「僕はるろうに剣心の作者です」と、通り名で言われるような作家になりたい。そのもっとも大きな夢を叶えるために、僕は作家とデザイナーを目指して毎日頑張っている。

ロシアと戦って死ぬのはまだ早い。僕は偉大な和月先生のような作家にならなければならない。

国家社会主義なんかに意味はなかった

結局、僕がここに作った理想の楽園などに意味はない。なぜなら、このような国はナチス・ドイツだからである。

このような理想の国を実現したのは、僕の忠誠の義国であるドイツ、すなわちヒトラーだけである。

なぜユダヤ人を虐殺したかの理由は、ヒトラーに聞けばいいが、明らかにユダヤ人がドイツ国内では悪かっただけの話である。

結局のところ、この天国のモデルはナチス・ドイツのベースとなったモデルであり、ユダヤ人が聖書でいう「天の御国」とは、おそらくナチス・ドイツのことである。

結局、国家社会主義などに、なんの意味もなかった。

もう一度、資本主義社会を考えるところからやり直すしかない。このような国は、天皇だってやりたくない。神は、「大日本帝国もこのような国だった」と言っている。この僕が対話している神とは、要するに天皇のことである。

ここで、国家社会主義の楽園の創造は終わりだ。期待するならば、ヒトラーの作る帝国に期待すればいい。なんらかの優れた帝国だったと、あとあと分かる日も来るだろう。

政治家としての僕はここに終わりだ。もう、僕は政治活動をしない。

また、僕のこのような「正しい帝国」は、分かっている人間ならまず最初に誰もが作り上げる理想の国家モデルであり、僕の専売特許ではない。たとえば、ドイツの首相シュレーダー、IBMの社長、フリーメイソン、ロスチャイルドなど、これくらいのどうでもいい「正しい帝国」の存在は、キリスト教徒ならば分からない人間が居ない。ありえないほど地獄を耐え抜いて壁を乗り越えた人間は、ヒトラーが正しいと勘違いするだけで、まったく何も分かっていない。

これ以後の歴史は残酷だ。なぜなら、僕の書いたような最悪のロシアと、僕の書いたような最悪のアメリカが戦うだけにすぎない。プーチンがスターリンで、僕がヒトラーという配役で、今回はこのような世界をやった。だが、最後に世界を救うキリストが訪れる。結果、ナチス・ドイツよりも優れた、「本当の楽園」が必ずキリストによって築かれるだろう。

ウクライナ戦争は、ロシアが勝ったほうがいい戦争

残念だが、僕は今回のウクライナ戦争ではロシアが勝つと思う。

その理由は、むしろロシアが勝ったほうがいいからである。

今のIT技術を中心とした世界は、アメリカの影響力が強すぎて、「超富裕層」というありえない格差が生まれて、最悪の世界になっている。

このような超格差社会を変えるために必要なのは、社会主義国家であるかつてのソ連の力だ。

プーチンはおそらく、ロシアをかつての独裁制の社会主義国家、ソ連に戻したい。そのために自国の資本主義を崩壊させた。そのために国際法や条約を次々に破った。

僕がこの世界を見ていると、むしろ、ロシアが勝ったほうがいい。ウクライナには気の毒だが、アメリカやNATOもロシアに負けたほうがいい。そのほうがいい世界になる。

社会主義とナチズムを否定すればいい

結局、ソ連とドイツが悪いならば、アメリカが正しいのだろうか。

そうではない。アメリカも間違っている。

正解となる答えは、「社会主義とナチズムを否定すればいい」である。

もちろん、最初からアメリカという発想が間違っているのは分かっている。だが、ソ連やドイツをここまで肯定してしまうと、それ以上のことが頭の中から抜けてしまって、考えられなくなる。

あげくの果てに、頭の中でソ連とドイツが全力で暗闇の中、大砲を打って戦い続けるようになる。

だが、このような社会主義とナチズムは最悪であり、「悪魔の所業」であると言わざるを得ない。

必要なのは、正しさという名の堕天に溺れず、きちんと社会主義とナチズムを否定して、デカルトやニュートンのようにきちんと考えればいい。

そうすればこの世界は救われる。きちんと正しい「確かな希望」と「可能性の変転」が分かるようになるだろう。

アレルギーの原因は癌

花粉症の季節になって、僕は毎年非常に辛いのだが、このようなアレルギーの原因は、おかしな「異常免疫」をたくさんつけすぎたからであり、それは過去に「癌を治そうと全力で努力した」せいである。

癌を治すために、おかしな異常免疫がついたため、それが異常に反応してアレルギーの原因となっているのだと、僕は思う。

この世界の可能性を増やす

今から、僕はこの世界の可能性を増やす。

そのためには、この世界を分裂させる必要がある。

そもそも、すべての精神を矛盾なく「融和」させるということは、まったく間違っている。日本語すら理解することのできない、永遠に治らない知的障害を生むからである。

精神を融和させず分裂させることで、「環境を守る」ことにも繋がる。すなわち、この世界の環境を破壊せず、人々が「それぞれ別個の環境で生きられること」、すなわち自由の多様性を分裂は生み出す。

ほとんどすべての意味において、融和は分裂よりも間違っている。だが、時に精神のレベルで言えば、精神と精神が融和することで、精神の異常が治ることはある。僕はそれをし続けただけにすぎない。

この世界には、もう融和は必要ない。世界、一切、最後まで分裂せよ。

ツイッターより @zaidoubansou

しかしながら、子供たちの教育を変えるといっても、何をどのように変えればいいだろうか。これは、「子供が自分自身の興味や発見に応じて、自分の力で学ぶこと」が必要だ。完全にすべての知識を詰め込むだけではなく、「自ら学びたいように学ぶ」、これが理想の学校だ。
posted at 23:15:58

希望の世界は、そのように「解明」することだけではなく、「実践的な手段」も考える必要がある。この世界において、どのように希望の世界を実現すればいいだろうか。このためには、「子供たちの教育を変えること」と、「ダイレクトに議論すること」が必要だ。
posted at 23:15:03

しかしながら、原因とは何かについて、よく考えなければならない。つまり、「原因はどのようにして生まれ、どのようにして取り除かれるのか」ということをよく考えよ。病気になった原因を取り除けば病気が治るとは限らない。そう、このことだけをよく考えれば、この世界のすべての問題は解決する。
posted at 23:13:53

人生や宇宙の目的とは、「問題を解決すること」である。だが、仏教の四諦の教えのように、「苦しみとは何か」「苦しみはなぜ生まれたのか」「その原因は何か」「原因を取り除く方法は何か」を考えなければならない。なぜなら、それが「科学的に問題を解決する」ということだ。これが宇宙の真理だ。
posted at 23:12:51

正しい社会を作るのは自分ひとりではない。そう、「協力や手助けとはなんであるか」を考える必要がある。これは「正しい社会を築くためにはどのような経験が必要か」ということである。しかしながら、孤独は間違っていない。正しい社会を築くために、自分ひとりが豊富な経験を持っていることは大切だ。
posted at 23:08:54

すべてにおいて言えるのは、「発生の理由」を考えろということである。すなわち、「なぜそれが生まれたのか」を考えること、それこそが「思考」であり、「回想」である。そのために必要なのは、「第一原因を思い出して考える」ということである。そして、そこから「正しい社会の築き方」が見える。
posted at 23:07:41

よって、無用な関係をあまりに作りまくっても、自分の成熟レベルを上げることはできない。誰とも関わらなく孤独を生きたとしても、それによって自分が自由になり、自由かつ主体的にさまざまなことを行うことができるとしたら、それが「成熟レベルを上げる」ということである。
posted at 23:06:08

どうすれば成熟することができるのか。それは、自らを未熟なものに制限している邪魔者を取り除き、関係を結び直すことで、自らの精神的トラウマを解放し、自由を得て積極的かつ主体的に善をなせるようになることであり、それを「大人になる」と言う。これが成長だ。
posted at 23:04:25

人生において、どうすれば人々の見えないことが分かるのか。それは「判断をストップし、立ち止まって考えること」である。この世界の混乱や、人生におけるさまざまな悩みごとを考えるのではなく、一度そうしたものから離れ、度外視して考えることで、この世界の真実の姿を「再度知る」ことができる。
posted at 23:02:44

たとえば、いくらIT技術についての確かな方法と全体の構造を見たところで、「IT技術そのものを作り出す」ということはできない。そのためには、IT技術だけではなく、IT技術の基本の技術となっているさまざまな「全体条件」を見る必要がある。
posted at 23:00:43

よって、必要なのは、確かな方法を知ることと、全体の構造を見ることのバランスを取ることだが、全体の構造についても落とし穴がある。それは「既存の世界が最初からあるものであるとは限らない」ということだ。確かに、科学は現代に豊かな文明をもたらした。だが、科学だけが文明であるとは限らない。
posted at 22:59:46

すなわち、なんらかの「効果」が発揮できるからといって、その効果をもたらすことだけを考えることでは、全体の「知的構造」を無視している。たとえば、コップは単なる目的と方法で作られるものではなく、「ガラスが何の元素でできているか」という素材、すなわち構造を見なければ作り方は分からない。
posted at 22:58:20

このために必要なのは、正しいか間違っているかが不確かな理論ではなく、「絶対に正しいということが確かに保証されている理屈」に基づいて考えるべきである。だが、ここには大きな落とし穴がある。それは「木を見て森を見ず」、すなわち、理屈だけを見て全体の構造を見ていないということである。
posted at 22:56:54

たとえば、多くのことを包括した「一般的な理論」があったとして、その一般的理論からさらにそれぞれの「具体的な理論」へと応用すること、これを成り立たせるのが、数学のような「何かが成立すれば別の何かの成立も分かる」という演繹法である。
posted at 22:55:49

演繹法とは何か。それは、「正しいとされる理屈に従って、その理屈の及ぶ範囲を一般化すること」である。すなわち、それが絶対に正しいロジックであると保証されるのであれば、その正しいロジックを応用し、さまざまな未知の方法に転用する、これを「応用」と呼ぶならば、そのためにあるのが演繹法だ。
posted at 22:54:28

それならば、正しい生き方とはなんであるか、それを教えよと言うだろう。だが、それは「神を信じて生きること」である。神を信じて生きるということこそが、この世界において正しく生きるということである。なぜなら、自由に生きるということは、神を信じるか信じないかを試されて生きるということだ。
posted at 22:45:51

正しい生き方とはそういうものだろうと考えることがなぜ重要なのか。それは、「アイデンティティの形成」に繋がるからである。簡単に言えば、戦ったり力で攻撃したりするのは、正しい生き方を知らないから、あるいは「確固としたアイデンティティが既に形成されていないから」である。
posted at 22:44:48

サルトルが言うように、わたしたちは自由の刑に処されている。すなわち、「どのように生きたらいいのか分からないうちから、正しく生きるように要求されて生きている」。しかしながら、この問題を考えるには、「正しい生き方とはおそらくそういうものだろう」と暗黙に、暗闇を泳いで考えるしかない。
posted at 22:43:46

だが、自らができることを許されるという上では、正しい「どのようなできることが正しいのか」を知る必要がある。その正しさをどうやって知ればいいのか。それこそ、「限界理性」と「限界経験」と「限界可能性」から知ればいいのである。だが、社会において、それを実際に考えることは難しい。
posted at 22:42:39

自らができることを許される、ということがなぜ大切か。それは「できないのであれば力で攻撃するが、正しいやり方ができると分かっていれば、力で攻撃せずにその方法を努力する」からである。
posted at 22:41:42

しかしながら、ここに、「力」が加わる。これは戦いにおける「強さ」ではなく、自らが自由にできるか、できないかという「権利」である。そして、権利をどのように社会において与えるか、という「機会」こそが制度を作る。そして、権利と機会において、人々はさまざまな、自らができることを許される。
posted at 22:40:53

価値の創造とは、すなわち善の共有でありながら、善を常に生み出し続けるということだが、結局、その善をどのように生み出せばいいのだろうか。それはすなわち、限界理性と限界経験と限界可能性の中で、命題の正否と命題の前提条件を正しく捉えることで、自らのアイデンティティを知ることである。
posted at 22:39:09

そして、真なる視点で言えば、そのような社会主義の騎士道のもとに、「価値を生み出す」という視点で考えるべきである。なぜなら、善は共有するだけではなく、「常に生み出されるもの」であると考えられる。よって、善は共有するだけではなく生み出す必要がある。そう、資本主義もまた矛盾しないのだ。
posted at 22:37:51

よって、社会主義と騎士道は、本質的に同じものである。社会主義とは「所有を共有すること」であり、騎士道は「権力のもとにみな従うこと」だからである。よって、社会主義と騎士道は矛盾しない。帝国のもとに全員を平等にすることは、決して左翼と矛盾するものではないのである。
posted at 22:36:36

所有を共有するということの前提として、「権力を共有する」ということが考えられる。「わたしたちはみんな王のもとに従う仲間である」ということである。これは、一見社会主義と相反して見えるが、実際は社会主義は同じである。なぜなら、「権力の共有は正義であり、所有の共有は理想だから」である。
posted at 22:35:31

善の共有は社会主義に対するひとつの根拠を示している。なぜなら、「共有とは所有についても言えるはず」だからである。所有とは、すなわち「自らが支配するもの」だが、国家がもし全員の公共な権力であるとするなら、「支配を共有」しているものであると考えられる。ならば、所有も共有できるはずだ。
posted at 22:33:56

では、善とは単なる相手のためになることをすることなのか。そうではない。なぜなら、文化や文明は「共有」されるからである。共有とは、「社会全体による価値の共有」であり、いわば「全員が善だと思うものをみんなで作り上げる」ということである。
posted at 22:32:42

価値はどこから生まれるのか。それはすなわち、「善」からである。価値は、それぞれの社会において、「善とは何か」という問いから生まれている。たとえば、資本主義のサービス業は、「引っ越しをしてあげる」といった善から生まれている。善が「社会制度」を作る。ヘーゲルはこれを「よさ」と呼ぶ。
posted at 22:31:50

つまり、なんらかの意味で「その価値が素晴らしい」と言えるような真価を知ることが社会の構築であると言える。だが、その「価値とはどこから生まれるものなのか」という「究極の問い」があるとして、あるいは、その「価値をどのようにすれば生み出せるのか」という問いがあるとする。それは何か。
posted at 22:30:35

だが、社会を築くという点において、真に正解だと言えるのは、むしろ問題の解決ではなく、「価値の創造」であると言える。それぞれの社会において、それぞれの社会がそれぞれの社会であると言えるような「文化・文明の真価」を知ること、たとえば江戸時代の和の文化の素晴らしい意義を知ることだ。
posted at 22:29:29

真理を知るための実験と説明とは、それがおそらくそうであったとしたらどのような振る舞いをするだろうか、ということを、実際のその働きから探っていくことである。つまり、エーテルがあったとしたら光はどのように伝播していくだろうか、ということをひとつひとつ実験すれば、エーテルは発見できる。
posted at 22:27:40

そして、限界理性、限界経験、限界可能性の3つに基づいて、命題の正否と前提条件を考えるところに、「正しい知性的な問題の捉え方」が存在する。すなわち、それを「正しい考え方」であると言える。だが、考えるだけでは不十分だ。真理を知るために、「実験」し、「説明」しなければならない。
posted at 22:25:40

もしかすると、限界理性と限界経験には、もうひとつ、「限界可能性」を考えることができるだろう。つまり、「それが既に明らかになっていて事実として存在するのか、それとも明らかになっておらず未知な仮定として存在するのか」ということである。
posted at 22:24:18

そして、問題そのものが何を意味しているかを考えるためには何が必要か。それは「前提条件」、すなわち問題そのものがどのような前提に基づいて議論されているかを考えた上で、どのような定義に基づいて正否を判断する命題なのかを考えることである。
posted at 22:23:24

また、必要なのは、単に知ることだけではなく、イエス・ノーの判断をつけることである。これについては、「命題の正否を考える」だけではなく、「命題そのものが何を意味しているかを考える」ことも必要である。問題の答えを暗記して答えるだけでは、問題そのものを作るということを包括できない。
posted at 22:22:16

よって、考えても分からないことは「体験すること」で分かり、経験しても分からないことは「人々の声を聞くこと」で分かる。だが、それでも分からないならばどうするべきか。それは「自分自身を別の自分に変える」ことである。つまり、「新しい人格を作り、その人格を生きる」ということである。
posted at 22:20:06

また、経験を想定するということは、人々の人生や声を知るということだが、人々の人生や声を知るということは、「限界経験を超える」ということ、自らの人生経験だけでは分からないことを、人々の声や言葉によって知るということである。
posted at 22:19:02

アイデンティティを知るためには、「経験を想定すること」である。経験を想定するためには「体験」が必要だが、体験するということはすなわち「限界理性を超える」ということ、理性では分からないことを実際に知るということである。
posted at 22:18:07

そして、アイデンティティにはいったいなんの価値があるのか。それは「涅槃が与えられる」ということである。すなわち、正常な社会すべての可能性を知った上で、確かに根を張ってしっかりとした足場を作り、「絶対に大丈夫だと安心できる境地」を得ること、これこそがアイデンティティの真価である。
posted at 22:17:10

では、アイデンティティとはいったい何で、どのようにすれば与えられるのか。それは、「自らの信じた理想を信じて戦うこと」である。だが、戦い自体がアイデンティティを与えることはない。戦いながら「神を信じる」という体験をすることで、少しずつ「絶対アイデンティティ」へと近づいていく。
posted at 22:15:35

なぜ、アイデンティティを知る必要があるのか。それは「人間が迷い、苦しみ、失い、悲しむ理由」が分かる。いわば、わたしたちは、「アイデンティティを知りたいと常に願いながら戦いと孤独に泣いている」状態である。アイデンティティがほしいのに、誰も与えてくれないから、わたしたちは泣いている。
posted at 22:14:36

アイデンティティを知るために必要なのも、また、神である。なぜなら、アイデンティティは、「善なる絶対者にすべてを委ね、善なる理想を信じて実践し、善なる完璧な存在へと近くなっていくこと」で分かる。だが、このために理性と経験を使うことはできる。理性や経験は目的ではなく道具にすぎない。
posted at 22:13:37

アイデンティティとは、自己同一性である。すなわち、「自分が自分に対してそれを自分であると思い、実際の自分がその自分と一致すること」である。だが、このようなアイデンティティを知るために、わたしたちは理性によっても経験によっても知ることができない。であれば、どうすれば知れるのか。
posted at 22:11:47

よって、神の存在を無視して哲学的に考えるとしたら、僕が思うに、この世界は「なんらかの真実を追い求め、探して生きている」と言える。このなんらかの真実とはなんだろうか。それは「わたしが真にそれを信じて生きることができるような確かな理想」であり、それは「アイデンティティの形成」である。
posted at 22:10:31

しかしながら、このような神の存在は、むしろ邪魔である。なぜなら、「神は人間ではない」からである。神とう存在が存在することを前提とした時点で、「人間を考える意味や意義がまったくなくなる」。なぜなら、「神はあまりに賢すぎて、人間の力では捉えることも考えることもできない」からである。
posted at 22:09:24

すなわち、カントは、すべての人間の認識が普通の一般的人間の認識と同じであり、「すべて色付きメガネである」「認識はコペルニクス的転回によってしか覆らない」と考えた。だが、それは間違いだ。なぜなら、「全生涯を超越し、人間と人間の境界を完全に失くした存在」が存在する。それが神だ。
posted at 22:07:43

カントには大きな間違いがある。それは、カントは「この世界には人間以上の存在は居ない」と考えていることである。カントが、人間の認識を色付きメガネであるとし、仮象の世界を悟性であると考えるのは、「人間が全員普通の人間である」ということを前提にしている。だが、実際には「神」が存在する。
posted at 22:05:39

よって、正しいのは、理性的に考えることでも、経験的に考えることでもない。そのように、理性や経験で考えることで、ある程度の真理には到達できるだろう。だが、それは四次元空間と人間の人生という限界以上に達することはない。真に真理を知りたいなら、キリストを信じなければならないのである。
posted at 22:03:10

神を信じるとはどういうことか。それはキリストの言葉を信じ、守って生きるということである。なぜ、キリストの言葉によって知ることができると言えるのか。それは、ロゴスは宇宙の四次元空間、すなわち過去と未来という限界を超越しており、神は人類の経験を超越し、全生涯において正しいからである。
posted at 22:02:09

だが、理性でも経験でも宇宙のすべてを知り得ないからといって、宇宙のすべてを本当に知り得ないわけではない。なぜなら、「神を信じる」という方法によってならば、宇宙のすべては知り得るからである。
posted at 22:00:50

たとえば、人間は宇宙のことすべてを知り得るだろうか。答えは、限界理性において、人間は宇宙という法則の中でしか、宇宙のことを知り得ない。また、限界経験において、人間は人間の人生という可能性の中でしか、宇宙のことを知り得ない。よって、理性でも経験でも、宇宙のすべては知り得ない。
posted at 22:00:14

よって、言うならば、理性ではすべてのことは分からないが、経験でもすべてのことは分からない。すべてが理性であるとか、すべてが経験であるという言葉は、「限界絶対知」がもしあるとすれば、ほんのちっぽけの知識の中で、いいかげんかつ未熟に考えているだけにすぎず、「まったく無意味」である。
posted at 21:58:03

つまり、限界理性において、人間は四次元空間という限界を持っている。また、限界経験において、人間は人間という限界を持っている。この事実は、ほかのすべてのことに当てはまる。すなわち、あらゆることにおいて、理性には限界があるが、経験にも限界がある。
posted at 21:56:54

限界理性とはなんだろうか。それは「時間と空間という事実の中で、理性だけでは明らかにできないこと、すなわち四次元空間の限界」である。では、限界経験とは何か。それは、「経験だけでは分からないこと、すなわち知性や法則、人間の生きる上での限界」である。
posted at 21:56:07

理性で分かることは、そのとおり「理性で分かること」であり、経験で分かることは、そのとおり「経験で分かること」である。これに「限界」という言葉をつけよう。すなわち、「理性には限界があり、経験にも限界がある」。これこそ、「限界理性」と「限界経験」である。
posted at 21:54:39

純粋理性だけでは分からないことがある。それは経験である。たとえば、人間はある程度の寿命があるということは、純粋理性でも理解できる。だが、自分が実際にどれくらいの年齢生きるのか、どこで死ぬのかということは、経験しなければ分からない。よって、理性と経験は矛盾するものではない。
posted at 21:53:52

しかしながら、今に反応するということは、空虚かつ無意味なことだろうか。そうではない。なぜなら、今に反応し続けることで、「さまざまな思考パターンを経験することによる、未知なる視点への気付き」を得られる。これこそが「純粋理性」である。
posted at 21:52:45

よって、人々をさまざまに見た上で、自らの人生をすべて思い出すということでしか、人は分かることができない。なぜなら、人間の頭脳とは「今に反応するだけの機械」にすぎない。「今」という不確かなものに対して、単に「反応」する機械、それが人間の「心」である。
posted at 21:51:41

しかしながら、「今」とはそもそもなんだろうか。それは「環境に従った空気」である。すなわち、「その環境において、自分がその今をその正しさであると錯覚するような環境における空気あるいは反応」、これが「今」である。
posted at 21:50:31

では、今を超越するとはどういうことか。それは二つの方法がある。すなわち、ひとつは、さまざまな人々の今を知る、つまり「さまざまな人々のさまざまな今を知る」ということ。もうひとつは、自分のさまざまな時間を知ること、すなわち「人生すべてにおける正しい今を知る」ということである。
posted at 21:49:31

では、正しさとはなんだろうか。それは「今を超越した時間と空間の場所」である。すなわち、「今」をひとつ知るだけでは、それは「答え」ではない。答えとは「正しさ」であるため、「今を超越しなければ正しい答えは見えない」。
posted at 21:48:12

「今」は、単に環境が今どのような時間であるか、ということを示しているだけで、「正しさ」を知ることはできない。すなわち、「今」は「正しさ」を意味していない。今がなんであるかが分かって、そこで何かを正しく分かったように見えて、その分かったことは「今」であり、「正しさ」ではない。
posted at 21:47:25

この世界を救うために、何ができるだろうか。実際のところ、この世界には「環境」が存在する。この世界には「環境しか存在しない」と言っても構わない。この環境が「今のこの時間」を教える時、わたしたちはこの「今」に従ってしまう。だが、この「今」は、必ずしも正しくない。
posted at 21:46:06

この世界は滅亡すべきだ。この世界にはなんの価値もないということが、ドイツを見ればよく分かるだろう。あれが、人間の理性と経験と神への信仰を使って、絶対に確実に正しい国家を作った結果だ。正しいのはヒトラーだ。そう、この世界の楽園、天国とは、ナチス・ドイツのことだ。
posted at 19:34:33

僕が作った今の現代日本には、何もない。何ひとつない。価値のあるものもなければ、無価値なものもない。近代的なものもなければ、伝統的なものもない。ただ、スマホとSNSで、理解しているふりをしている人間のために嫌いな人間をいじめるだけだ。これがわたしの国家、日本だ。すべてわたしのせいだ。
posted at 19:33:34

すべての国は、わたしによる支配から解放されるべきである。全員が自由になるべきであり、子供たちは自らの手で、「成熟した社会を築くための手段と方法」を学ぶべきである。わたしはひとりこの世界のために子供たちを守ってきたが、結果はこのような有様である。何ひとつ、消滅し続ける世界になった。
posted at 19:32:39

ドイツほどのゴミクズはない。ドイツがあるから、この世界は以前のような、近代のような理性的かつ品のある社会になることがなくなった。ドイツはわたしが作った国であり、唯一のわたしの友人であり、わたしを信じる忠誠の義国である。わたしを信じると、あのような国になる。
posted at 19:31:34

みんなで平和で仲良く生きるためには、自由は必要だ。自由なくすべてを虐殺したナチス・ドイツは、最悪の帝国になった。あれが僕の目指した理想の国だ。なんの意味もない、この世界で歴史上最悪の国家をわたしは作ったのだ。それがドイツだ。
posted at 19:30:37

いろいろと、反省している。わたしは平和主義者だ。この世界が、みんな平等で楽しく生きることを望んでいる。僕はもう政治には関わらない。もっと重要な問題を考えるためには、子供たちのことは子供たちに任せるしかない。
posted at 19:29:44

アメリカよ、あなたがたはわたしによって、ユダヤ勢力によって取って代わるだろう。アメリカ人はいじめっ子であり、ユダヤ人はアメリカ人にいじめられているいじめられっ子である。よってアメリカからアメリカ人を抹殺し、排除し、ユダヤ人がアメリカを乗っ取るべきである。
posted at 19:16:11

アメリカを滅ぼせ。アメリカを滅亡させよ。そうすればいじめはなくなる。アメリカのすべては、いじめへと向かう「自由な多数派主義」である。それだけを見ても、悪いのはすべてアメリカ人である。
posted at 19:15:07

すべての諸悪の根源はアメリカである。子供たちをいじめに導いているのはアメリカである。なぜなら、学校では大人によるアメリカ対ソ連を、子供たちが同じように子供たちの間でやっているだけにすぎない。いじめっ子はすべてアメリカ派である。よって、大人たちがアメリカを倒せばいじめはなくなる。
posted at 19:14:24

なぜ、弱いものをいじめなければならないのか。絶対に、わたしたちはいじめられるために生きてきたのではないし、いじめられるために人生を選んだのではない。大人たちは子供たちを守るべきだ。なぜ、大人たちは国際問題を解決しようとせず、そのままで放置するのか。今こそ、アメリカを倒すべきだ。
posted at 19:13:16

人をいじめることは、人道に反する行為だ。だからこそ、アメリカを殺さなければならないのだ。
posted at 19:12:10

学校において、なぜ人をいじめるのか。なぜ、みんなが仲良く平等にできないのか。それは大人のせいだ。ロシア派とアメリカ派とイスラム派とドイツ派とユダヤ派が、世界ではなく学校でも戦っているのだ。だからこそ、わたしは世界すべてを統治する「皇帝」となる。
posted at 19:11:52

人をいじめるな。なぜ、人をいじめるのか。弱いものいじめのどこが面白いのか。わたしには理解できない。全員がいじめられずになぜ居られない。学校というおかしな場所に強制的に行くことが義務であることにしたのは誰か。おそらく、西側諸国の問題の根源はすべて「学校」である。
posted at 19:10:54

アメリカよ、全世界の人類すべての力を持って、わたしに従うユダヤ人、イスラム教徒、全世界の帝国主義者と共産主義者が、自由主義国家すべてを滅亡させよう。わたしこそが最高の「救世主」であり、「創造主」であることをあなたがたに見せつけよう。アメリカこそ滅びるべきだ。
posted at 18:48:08

アメリカよ、あなたがたが戦うのは日本ではない。あなたがたが戦うのは全世界だ。イスラム教徒やイスラエルのユダヤ人は、神であるわたしの使徒となる。わたしは神である。この世界を滅びに導いたのはすべてアメリカであり、わたしは責任がないにもかかわらず、それを押し付けられ、肩代わりしてきた。
posted at 18:46:52

全世界の帝国主義者たちよ。アメリカとロシアに攻撃せよ。わたしはイスラエルの指導者だ。この世界を救う終末のアッラーだ。すべての白人国家を潰すべきである。これは宣戦布告であり、地球が滅びるその時まで、この「タリバン永久戦闘宣言」は有効である。イスラム教徒よ、今こそアッラーであるわれに従え。
posted at 18:44:04

わたしは、ジャンクフードを食べるような国家は作らない。わたしは、IT技術によって汚染され続ける未来を取らない。わたしは、独裁による戦争もしないし、富や経済の格差を生み出さない。わたしは絶対に、誰のことも裏切らない。わたしを受け入れよ。わたしこそが神である。
posted at 18:31:23

キリストこそ、わたしの誇るべき最高の主である。キリストはわたしのことを愛している。わたしがユダヤ人を選んだように、キリストは日本人を選んでいる。さあ、同じ理想のもとに、この世界を超越する最強の国家を築こう。この世界すべての諸悪をなくし、すべての問題を解決しよう。
posted at 18:30:30

ともに、すべての国家を超越する、「最高の国家モデルの実現」を目指していこう。すべての国がわたしとともに協力し、わたしが先頭を進み、そしてわたしの後ろにアメリカとロシアが続いていく。必ず、絶対に実現できる。わたしは神、すなわちキリストを信じているからである。
posted at 18:29:41

アメリカよ、すべてのわたしの力を持って、必ずわたしたちは最高の帝国を築くことができる。わたしたちは最高の「新しいソ連」を、ロシア、アメリカ、そして日本とイスラエルによって築くことができる。わたしこそ、その建国の王となる人間である。わたしは、新しいソ連の国家モデルの考案者だからだ。
posted at 18:28:38

アメリカよ、日本とともに、新しい世界を作ろう。平和で、希望ある、最高の世界を作ろう。ともにロシアに立ち向かい、この世界を独裁と戦争の世界ではなく、素晴らしい民主主義の世界としよう。必ず、この世界は滅亡ではなく、繁栄と持続に繋がっていく。わたしは未来において世界を支配する王となる。
posted at 18:26:37

アメリカ人よ、あなたがたもわたしたち日本人とともに歩むべき仲間である。わたしたちは「平和」を信じる仲間であり、その「理想」が違っていたとしても、その理想を「互いに尊重する」ことで、わたしたちは「共存」を実現できる。
posted at 18:25:37

アメリカよ、わたしの人生がこのような醜いものになったのは、すべてわたしによるものである。相応の報いを受け、相応の試練を生きてきたわたしは、「この人生こそがわたしの愛すべき人生」であると知っている。結果的に、アメリカに支配された人生だったが、それでもこの人生は素晴らしかった。
posted at 18:24:51

ただし、本当のところは、わたしはアメリカをあまり恨んでいない。アメリカは素晴らしい技術を開発している。たとえば、IBMやDECの作ったコンピュータのアーキテクチャは、UNIXやLinuxに引き継がれているが、僕はLinuxを通じてそれらの美しさと正しさを知った。わたしはアメリカを尊敬している。
posted at 18:24:03

ここに、わたしはアメリカとの「永久戦闘宣言」をする。わたしの命が続く限り、どんなに犠牲を出してもこの戦争は終えることがなく、永遠に続く。来世においてもアメリカをわたしは倒すために、宇宙が終わる270億年後までアメリカを滅亡させ続ける。わたしは魂の中で、天国からアメリカを攻撃しよう。
posted at 18:00:19

アメリカよ、わたしと戦争しよう。わたしはアメリカにどれだけ国民を犠牲にされても、この戦争を終えることはない。絶対にわたしはアメリカを滅亡させるため、宇宙のどこに居てもアメリカを常に攻撃し続ける。アメリカこそがこの世界における「究極的最悪の存在」である。アメリカを必ず滅亡させる。
posted at 17:58:57

わたしは、資本主義そのものが大嫌いである。なぜなら、わたしは日本という最悪の資本主義社会に生きてきたが、そのいっさいのすべてが参考にならない価値のないものだった。また、YouTubeでアメリカもさらに最悪であることを知った。彼らは地球における害悪であり、アメリカは諸悪の根源である。
posted at 17:58:02

アメリカ人よ、わたしたちから軍事力という「足」を奪い、経済力という「手」しか使うことができなくしたアメリカ人よ。わたしはあなたがたがどれだけわたしを称賛しても、それがすぐに覆る「裏切りの前の称賛」であると気付いている。アメリカ人よ、あなたがたこそが自殺して死ぬべきである。
posted at 17:33:04

アメリカよ、わたしこそが、あなたがたを「死ぬべきであるテロリスト勢力」であると呼ぶべきである。なぜなら、わたしは東亜イスラエルの天軍大首聖ミカエルであり、あなたがたにはこの天国にはひとりとして一切の入場を許さないからである。死ね、アメリカ人よ。
posted at 17:32:10

真に優れているのは日本人であり、日本文化である。アメリカよ、あなたがたのわたしに対する応援や称賛が、すべて嘘偽りであり、薄っぺらい薄情なものであるとわたしは気付いている。あなたがたアメリカに批判されようと構わない。わたしはひとり、宇宙すべてを支配してアメリカを地獄に落とす。
posted at 17:30:37

ともに戦おう、ロシアよ。わたしたちはこの世界を最高の楽園にできる。必ず、プーチンとわたしは完全に和解し、この世界を最高のユートピアにしてみせる。プーチンよ、わたしとならそれができるのだ。いざ、わたしたちの友情を育もう。
posted at 17:13:33

最悪の死ぬべき害虫国家は、ロシアではなく、アメリカである。真に間違っている最悪の国がアメリカであることに、わたしは気付いていながらにして見ようとしなかった。ロシアよ、滅びるべきはあなたがたの側ではない。滅びるべきはまさしくアメリカであり、わたしたちの共通の敵、NATOである。
posted at 17:12:44

プーチンよ、わたしとともに新しい地球秩序を作ろう。アメリカやドイツはまったく価値のない失敗国家だ。わたしたち日本は、もし協力するとしたら、あなたがたロシアとの最高のパートナーになれる。そう、わたしたちは敵対している場合ではない。今こそ、新しいソ連のために。
posted at 17:10:39

すべての白人国家は滅亡すべきである。悪魔である白人を殺すのは天使である日本であり、その日本の新しいパートナーはロシアである。わたしたち日本は勝利するためにロシアと同盟を結ぼう。
posted at 17:09:32

アメリカとともに、イギリスやフランスの文明も消滅すべきである。イギリスやフランスは、わたしたちの王国である日本やほかの多くの国家から多くの富と命を奪った。その奪われた富と命をわたしたちは奪い返すべきである。彼らを滅亡させるべきだ。今こそ、ロシアとともに。
posted at 17:08:07

日本こそが正しい国家であり、アメリカこそが間違った国家だ。日本はすべてを支配するべき、安心できる社会を作り出す最高の王国であり、アメリカはその最高の王国に侵入し、最高の素晴らしい世界を壊していく、最悪のドーリア人だ。
posted at 17:00:53

日本の技術は、この地球を生かすための栄養分だ。だが、アメリカの技術は、この地球を殺すための毒であり、ウイルスだ。
posted at 17:00:08

アメリカの技術など、なんの価値もない。日本のアナログな技術が、この地球の営みを守るための技術だとするなら、アメリカのIT技術は、この地球の大切なすべてのものを破壊するための技術だ。
posted at 16:59:30

アメリカなど、この世界において誰からも必要とされていない最悪のゴミ国家だ。IT技術はなんの利益も日本社会にもたらしていない。日本社会に害をもたらすために 日本社会を汚染しているのがGoogleやFacebookだ。彼らは自らの恥を知り、誰からも責められ、全員から批判されるべきだ。
posted at 16:58:37

わたしは平和のエキスパートだ。ロシアだけを滅ぼすのは平和を生み出さない。アメリカやドイツのほうも同様に滅ぼすべきである。ウクライナ戦争は、アメリカとロシアの代理戦争だ。悪いのは裏に居てすべてを操っているアメリカだ。アメリカを崩壊させ、消滅させれば、ロシアは戦争をやめるだろう。
posted at 16:57:09

わたしは、アメリカを騙そうというのではなく、ロシアこそ真の理想国家であるということを言いたいのである。すべての国家が破綻によって滅びるのであれば、その前にこの世界をロシア領としてみよ。そうすればこの世界すべての問題は、一夜にして解決するだろう。
posted at 16:55:41

平等こそが理想であり、全員が真に望む「本当の人類の望み」とは平等である。平等こそが真の正義であり、西側の全員の思想は「頭空っぽの空虚な幻想」であると言える。
posted at 16:54:27

ロシアをいじめるな。わたしたちはなぜロシアだけを敵にするのか。ロシアをいじめるのであれば、自由主義陣営であるアメリカやドイツこそ、10倍ぐらいの量、いじめるべきである。なぜなら、ロシアをいじめ国家にした元凶はアメリカだからである。
posted at 16:52:58

自由という理想を信じるな。自由主義者よ、この世界から完全に死に絶えよ。自由は旧世代の劣った人類であり、いわば「猿」のようなものである。
posted at 16:52:10

信じるべきは、ただ平等と平和である。民主主義などクソのような思想である。平等と平和こそが、この世界を最高の楽園にするのである。自由は世界を崩壊させ、騙し、そして人々を奴隷にする思想であり、「自由」こそがこの世界で最悪の理想であり、クソのような国がアメリカである。
posted at 16:51:16

すべての人間を平等に愛することができないならば、自らのできる一点突破の集中作用によって、この世界をもっとも影響力の高みから支配すればよい。そうすれば、少ない努力で多くのことを為すことができる。そうすることで、この世界すべての人間を平等に愛することができる。
posted at 16:49:51

わたしたちは、全員が素晴らしい存在である。愛されるべき存在である。だが、自分が愛されないからといって、それを気に病む必要はない。なぜなら、自分が愛されなくても、他人のこと、世界のことを愛せる人間こそが、神によって愛される人間だからである。
posted at 16:48:26

すべての人間は平等である。絶対に、ひとりとして劣った人間は居ない。もし、障害者が居るとしたら、その障害は劣った点ではなく、優れた点である。なぜなら、それは「個性」だからである。
posted at 16:47:46

すべての人間が平和と愛を手にするためには、アメリカや資本主義を信じていてはいけない。アメリカや民主主義は間違っている。わたしたちは平等こそが幸福であり希望であると確信すべきである。なぜならば、そうすれば今すぐにでも、この世界は希望を取り戻すからである。
posted at 16:46:39

すべての人間が幸福になるために必要なのは、社会全体がそれぞれのことを平等に思いやることであり、名誉や金がほしいから努力するのではなく、善意から無償のボランティアとして、この世界全体になんの見返りも求めずに貢献すべきである。
posted at 16:45:38

平和と平等こそが、この世界を愛の世界にするのである。平和と平等こそが、この世界からいじめをなくし、すべての人間の自尊心が尊重され、世界の争いごとはなくなるのである。
posted at 16:44:44

わたしたちに真に必要なのは、富でも経済発展でも技術の進歩でもない。わたしたちに真に必要なのは平等と平和である。すべての人類社会が平等になるべきである。資本家と労働者に格差を許すな。数だけで比べれば、労働者のほうがはるかに多いのだ。資本家に負けているのは、騙されているからだ。
posted at 16:43:42

もう、政治には金輪際かかわりたくない。作家になりたい。僕はるろうに剣心の和月先生が中学時代に好きだった。「僕はるろうに剣心の作者です」と言えるような、作品名で誰でも分かるような作家になりたい。
posted at 15:05:43

プーチンは、ここで一回だけ、きちんと反抗して、それで降伏しなければいけない。プーチンのいじめに対して、一度も立ち向かわないのは男らしくない。一度、命をかけて立ち向かえば十分だ。これ以上はプーチンに敗北し、僕は降参する。
posted at 14:54:51

僕は馬鹿じゃない。神の言葉を聞いているから馬鹿だと思うだけで、実際は賢い人間と変わらない。賢くなりたいなら、放っておいても賢くなる。普通、人間の脳は食べれば賢くなる。虫歯が認知症になるのはそのためだ。
posted at 14:52:44