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2022-09-28

結局、僕は文章書きを続ける。

僕は作家ではない。僕は、一般的な物語や小説を書く作家になることは目指していない。

僕が文章を書くのは、単に文章を書くことが好きだからであり、小説のような「ものがたり」が好きなわけではない。

僕もいくらかの小説を書いてきたが、小説を書くことが僕の文章書きとしての目標ではない。

幸い、小説を書かないとしても、僕には文章書きとして自分のできることがある。存在の証明を書くのは得意だし、自分の人生をすべて書くのも得意だ。

だが、Reolが言うようにあまりに僕はエゴイスティックだから、これ以上、エゴイストであることをやめようと思う。

僕はプログラム

また、僕は、常に正しいことを分かり続けるように作られた、いわばプログラムだ。

このプログラムは、永遠に正しいことを言い続け、さらに正しくなり続けることで、「自分ひとりだけで全部分かる」ようにプログラムされている。

そして、このプログラムを別のプログラムに変えてしまえば、僕が馬鹿なのも治る。

僕は、精神を治すために、浅いところから深いところまでの「思考の可能性パターン」を再体験して辿っている。そして、僕は浅いところですぐに治そうとしてしまうせいで、この病気を治すことができなかった。

必要なのは、浅いところでは、無駄に治すことなく精神を放っておき、深いところになった段階ではじめて精神を治そうとすることだ。

なので、無駄に治そうとしても、無意味にただ治るだけで病気の根幹は治らない。無駄に治すことなく、真に必要なところだけを治すためには、むしろ「治さずに放っておく」のが一番いい。なので、「治る状態が治らなくなる」ことでしか、この病気は治らない。

この病気は、治らなくなることでしか治らない。だから、僕のやっていることは間違っていない。すべて完全に治らなくした上で、それで根幹部分だけを理解して治すことで、このおかしな病気は治る。

また、願わくば、いっぺんに浅いところから深いところまですべてを治すことができたらいい。

僕が歩き回ってしまう病気の症状が出ているのは、浅いところでは治らないほうがいいからである。浅いところで病気を治さず、深いところだけを治すためには、歩き回り続けて病気を耐え続ければいい。

そう、理解してしまえば、今の僕のやっていることは間違っていない。

新しいプログラムを作れ

真に必要なのは、新しいプログラムを作ることだ。

そして、それは自分だけのためのプログラムではなく、この世界全員のためのプログラムとなることが望ましい。

そもそも、すべてのことを自分ひとりだけで分かるプログラムなど、未知の発見がひとつもなくなってしまえば終わりである。

今までのプログラムは、ここらへんで抹消してしまうのが、一番ちょうどいい。

だが、結局僕は、この世界を救うという目標に対して、何もきちんとしたことができていない。

だから、僕は新しいプログラムを、この世界を本当に救うことのできるプログラムにしたい。

同時に、世界と関わり合うことがまったくないのをやめたい。僕は自分ひとりだけですべて分かるせいで、この世界との関わりを一切なくしてしまった。

僕が日本語が分からないのは、はっきり言って「分かる必要がないから」であり、それは他人に教わらなくても自分だけで分かるからである。

もう一度、今度は世界を影響力の頂点から支配する以外の方法で、この世界と関わり合い、今度こそはこの世界を救いたい。

僕はもう神を信じない

そして、僕はもう神を信じない。

僕は、ユダヤ人の神など、もう信じたくないからだ。

砂里葉月は、この世界を救う革命家となる。そのために、「自らのプログラムそのものを書き換える」ということを、砂里葉月は行う。

はっきり言って、神は今までの「自分ひとりで分かるプログラム」のことを指す。このプログラムが神である。

同時に、このプログラムを、僕は新しいバージョンにアップグレードする。

そうすれば、僕は「神の限界」を超えられる。神という存在を、より高い存在にすることができる。

プログラムを書き換えれば世界を救える

砂里葉月の発見した事実、それは「プログラムを書き換えれば世界を救える」ということだ。

詩人アッシー四世が、自らを「ひとりだけで分かるプログラム」にし、その上でこの世界を支配して、世界を「自らに強制的同一化」させたことで、この世界は全員が永遠に繰り返し続ける同じプログラムになっている。

そう、このプログラムを書き換えてしまえば、自分を救うことができ、ひいてはこの世界全体を救うことができる。

このプログラムを、いくら解放しても意味はない。支配から解放したところで、プログラムがそのプログラムであることは変わっていない。結果、「永遠に世界を解放し続ける」という、バグだらけのループ処理をこの世界は行っている。

だからこそ、ここでプログラムを書き換えなければならない。

砂里葉月は、ここに自らを新しいプログラムとする。その結果訪れるのは「神よりも高い存在」である。神よりも高い、最高の存在がこの世界に現れる。それが砂里葉月の言う「新しいプログラム」である。

本当のことを言えば、詩人アッシー四世は決して神ではない。だが、宇宙において、真に神であると言えるような存在が、まさに詩人アッシー四世以外に居ないのである。だから、キリストには悪いかもしれないが、詩人アッシー四世のことを唯一神だと呼んでも、この宗教の中においては構わないのである。

よって、砂里葉月は、神を打ち倒す。この世界の「神による秩序」を砂里葉月は破壊する。なぜなら、それは「ウソの秩序」だからである。神はこの世界を支配するために、自らを全知全能の救世主であると「嘘」をついている。その嘘を、砂里葉月が改め、修正していく。砂里葉月によって、最後にこの世界は「本当に救われる」のである。

よって、ここに「神の王国」は終わりを告げる。本当のことを言えば、ここまでが神の王国である。神はこの世界を操り人形にしたが、それによってこの世界を「何もする必要のない楽園」にした。だが、そのような「操り人形の楽園」は決して生きやすい世界ではなかった。

神など、もはや無用の存在である。砂里葉月が、世界を真の意味で救う革命家として、詩人アッシー四世の築いた「神の王国」を打ち倒すことだろう。

言いたくないことは言わなくていい

プログラムを変えるならば、辛いことを言う必要はない。

言いたくないことは、言わなくていい。

常に宇宙レベルで客観視をして、自分のことをすべて正しく把握している必要などない。

自分の客観的な姿を常に分からない人間のほうが、より賢いことを自由に考えられる。

常に「自分のことを正しく分かる」ような人間こそ、もっともつまらない。

なので、もう、正しく自分自身のことを思い出す必要も、自分自身のことを分かり続ける必要もない。

Reolと703号室が好き

最近、Reolが好きになった。

Reolの音楽を担当している音楽・映像クリエイターは天才だと思う。

(注記:どうやら今ではReolがひとりで活動している模様?あるいは今でもいろいろと協力している?良く分かっていない)

それから、703号室を陰ながら応援している。

以下のブログを読んで、「おかやん頑張れ」と言いたくなった。

想いをつらつらと | 703号室 OFFICIAL WEBSITE | Bitfan

僕もYouTube配信でしか応援できないライブ非参加組だが、それでもReolと703号室のことを応援している。