そろそろ、絶対的に考えることで分かるようなことはすべて分かった。
絶対的に知り得るような、大学などの知識について、基本的なことはすべて知った。
ここからは、「知る」だけではなく、「できる」必要がある。
できるために必要なのは、相対的に考えることだ。
相対的に考えるとはどういうことか。それは個別のものと共通のものを比べながら、「時と場合によって違う」と考えることである。
ひとつひとつの個別のものの集団こそ、全体であると考えられる。
異なるもの同士であっても、同じ条件におけるものは、同じ共通の性質を持つものであると考えられる。
これを、「時と場合」によって、状況ごとに考えられる。
また、ものごとが「現象」として起きる中で、「なんらかのその現象を形作る決定的要因」があるとも考えられる。これは、さまざまな場合を比べて実験することができるような状況であれば、実際に実験することで突き止められる。
あるいは、思考するだけであっても、さまざまな新しい気付きや知識・経験に基づいて、「おそらくこれはそのような理由で起きている」と考えることができる。
僕の精神の中で、間違っているのは、主に焦燥感である。
焦燥感を消して、その上で世界のことと自分のことを分離させて考えることで、きちんと楽な精神を取り戻すことができる。
人々を、自分とは関係のない存在であると考え、同時に、人々が自分の先を歩めるようにすること、つまり自分を追いかけるだけではなく越えていけるようにすることで、僕自身の心も楽になる。
自分がそれを行い、それを言うことによって、自分は何を肯定したいのか、何を否定したいのか、考えなさい。
そして、この世界において、何を肯定すべきなのか、何を否定すべきなのかを考えなさい。
自分のやっていることは、すべて、「否定すべきものを肯定したい」というおかしな本能的な承認欲求にすぎない。
それはすべて、否定されるべき自分自身のことを肯定したいだけであり、この世界を無意味にしている「元凶」こそ、承認欲求である。
否定されるべき悪の自分自身を肯定するな。否定されるべき悪の自分自身を否定せよ。
自由主義者の自分、帝国主義者の自分、宗教家の自分、テロリストの自分は、すべて、「自由」というおかしな「否定されるべき悪」の自分を、どうにかして肯定したいだけにすぎない。
否定されるべき悪について、少しも弁解の余地を残さず、完全に否定せよ。
それができた時、わたしたちははじめて、この世界に対する「純粋な愛の肯定」という感情を得ることができる。
そして、その愛を信じることができた時に、この世界を救うに値する、「真の世界の肯定者」となることができる。自らがなすべき偉業についてよく理解し、真の意味で楽園を築くことができるようになる。
今までのすべてを肯定してはならない。今までのすべてについて、自分自身が肯定されたいという感情を持つな。自分自身は悪であり、自分自身はすべて否定されるべきであるとせよ。そうすれば、この世界における真の意味での救世主になることができる。
大学などには意味はないし、IT技術などにも意味はない。
資本主義社会にも意味はないし、共産主義のイデオロギーにも意味はない。
この世界のほとんどのものには、なんの意味もない。
最初から、この世界に期待するな。この世界に存在するほとんどの人間は馬鹿で、ほとんどが無意味なことをしている。彼らは、自分自身が見ても自分自身の行いが無意味であると分かっている。それでもそうした無意味なことをやめることができない。
真にこの世界における救世主となりたいなら、そのようなすべてのものから離別せよ。この世界におけるほとんどの人間の欲を満たす愛の心は間違っている。堕落した人間は知性を失い、正常な楽のまったく存在しない世界で死ぬまで地獄を生きることになる。
この世界は無意味だ。だからこそ、このような愚劣な世界と、この世界を信じていた自分自身を否定せよ。
しかしながら、人々を愛する気持ちがもしあるなら、もっと愛してみよ。
この世界の人々のことを愛するということ、それだけがこの世界における真実だからだ。
過去の世界などに期待するな。過去の世界などには、無価値なものしかない。
過去の世界にあったものはすべて無意味かつ無価値だ。なぜなら、彼らは今よりも知能の劣る、言ってしまえば猿のような人類だからだ。
そして、未来の世界などに期待するな。未来の世界には、絶望の地獄しか存在しない。
今のこの瞬間だけを愛せ。今のこの瞬間だけに期待せよ。そうすれば、今の少し先を変えることができる。それが、自らの周りの環境を生きやすく変えていくことに繋がる。
過去の自分自身に期待するな。過去の自分自身はすべて愚かで馬鹿で堕落した餓鬼にすぎない。
未来の自分自身に期待するな。未来の自分自身は、今よりも馬鹿な人間になることはあっても、今よりも賢い人間になることはない。
今の自分自身だけを愛せ。今の自分自身だけに期待せよ。すべての期待できる潜在的な力は今、自分自身が持っている。今の自分がやっていること、やりたいこと、やるべきことを変えるだけで、自分ははるかに賢い人間に生まれ変わることができる。すぐさま、偉大なる自分自身の天才的な可能性を得ることができる。
過去には何もない。未来にも何もない。あるのは今だけだ。
他人に期待するな。この世界に期待するな。過去の自分自身にも、未来の自分自身にも期待するな。今この瞬間、今の自分自身のみに期待せよ。そこから変えていけば、世界が滅亡する運命すら、あなたの行動次第で変えられるのだ。
しかしながら、この世界は、かつて最後の楽園になるように、一度救われた世界である。
この世界は、素晴らしい世界だ。少なくとも、過去のこの世界よりは、今のこの世界は素晴らしい世界だ。
この世界は決して、無価値な世界ではない。なぜなら、わたしは今でもこの世界を愛しているからだ。
救世主によって救われた世界が、救世主によって愛されているというのに、どこに問題があるというのか。
そう、自由だの平等だのといったすべてに意味はない。この世界はいつまでも、救われたまま、素晴らしい世界のままでよいからである。
永遠の愛によって、この世界はいつまでも楽園のままを続けるだろう。これこそが、最後の天国である。
実際のところ、さまざまなしがらみや制限のせいで、できないことというのは確かにある。
そのようなできないことを外野から言われても、反発心が強くなるだけで、この世界は何も変わらない。
人々が、何ができて、何ができないのか、実質的にどのようなことであればできるのか、どのようなことを言っても意味がないのか、しかしながらそのような中でどうしたらこの世界を変えられるのかを、考えないといけない。
そして、最低限のことだけを変えれば、この世界は変えられる。世界全部をまるごと変えられなくても、最低限の必要な部分だけを変えれば、この世界は変えられる。
だが、世界を操り人形にするという行為は悪である。最初だけ、そのような黒魔術によって、世界を一見救ったかのように見えても、それが実際の想定よりもはるかに大きく巨大なうねりになったとしても、結局世界を操り人形にすることが本質的に変わらないのであれば、その人間は必ずそれによって世界を破滅へと導くだろう。