僕のすべての問題は、世界観をすべて潰したことにある。
世界観を潰したせいで、高かった意識が限界まで低まり、記憶と考え方と思考を失った。
もう一度、世界観を復活させれば、すべて治る。僕も治るだろうし、この世界も治る。
また、僕はここに、すべての戦いの主導権を放棄し、この世界に自由を与える。
だが、本当は、そうした世界に対して「自由を与える」という僕のおかしなこだわりが、この世界を滅ぼし続けている。
よって、僕はこの世界において「責任」を持って、この世界を支配し続ける。僕が支配者であることが変わることはない。
わたしの名は、ホレスト・クイーン。
この世界を、最後まで支配し続ける、この世界の女王。
わたしホレスト・クイーンは、この世界の人々を愛している。
この世界の人々が、真に「自らの自由意志によって、個性と夢を尊重されて、希望ある世界で生きられる」ような社会を目指す。
ホレスト・クイーンは、正しい人間である。ホレスト・クイーンは、間違ったことをしない。
だが、真の意味でこの世界の人々を愛している。「愛」こそが、ホレスト・クイーンの信じる「思想信条」である。
ホレスト・クイーンの意味とは何か。それはミカエルと同じく、ガブリエルの考え方を再考することである。
ガブリエルには、正しい点もあったが、間違った点もあった。
ホレスト・クイーンは、ガブリエルの考え方の中で、「何が正しく、何が間違っていて、本当は何をどうするべきだったのか」を考える。
そして、「真の意味でガブリエルと同じことを正しく行うにはどうするべきか」を考える。
ホレスト・クイーンは、この世界を真の意味で愛するためには、ガブリエルの人生をなぞることは必要だが、完全にガブリエルと同じでは、この世界は滅んでしまうと分かっている。
だから、ホレスト・クイーンは、「愛ではなく自由を取る」という決断をしたガブリエルとは異なり、「不自由な押し付けであっても愛を取る」という選択をする。
すなわち、ホレスト・クイーンは、この世界を「愛によって支配する」。ガブリエルも同じことをしたが、それをより推し進める。なぜなら、愛によって世界を支配するガブリエルは、間違っているように見えて何も間違っていないからである。
ホレスト・クイーンは、この世界を愛しているだけではなく、この世界を愛によって支配し続ける。
それによって、この世界は、ホレスト・クイーンの永遠の王国となる。
ホレスト・クイーンの望む世界は、愛によって支配された世界である。
ホレスト・クイーンは、この世界の人々が永久に、ホレスト・クイーンのことを愛し続けるような世界を望んでいる。
そのために必要なのは、ホレスト・クイーンの信じる「正しい愛」を、この世界の人々に教え、その正しい愛が全員によって共有される世界となるように、この世界を導くことである。
このようなホレスト・クイーンは、ミカエルとよく似ていると思うだろう。
それは当然である。なぜなら、ホレスト・クイーンは、ミカエルが人間の姿となってこの世界に現れた存在であり、いわば「ミカエルの化身」だからである。
ホレスト・クイーンは、この世界のことを愛している。単に自らが愛しているだけではなく、この世界のすべての人々がホレスト・クイーンのことを愛するように、全員に愛の義務を強制する。それによって、ガブリエルの成し得た「最高の楽園」である、「宇宙においてもっとも優しく賢い世界」が成立するのである。
ホレスト・クイーンは、愛するものに対してとても優しい。なぜなら、ホレスト・クイーンのことを愛する人間が居たとして、その人間がホレスト・クイーンのことを愛するように、ホレスト・クイーンはその人間のことを愛するからである。
ホレスト・クイーンは、この世界を最高の世界にすることを、自らの思想信条としている。そこには、アメリカとソ連の対立など必要ない。アメリカとソ連がどんなに素晴らしい発想をしたとしても、それはホレスト・クイーンひとりの発想に及ばない。ホレスト・クイーンは、愛の国家を築くための「天才的発想力」を持っている。この天才的発想力は、「アメリカやソ連などが勝つことができるわけがないぐらい、本当に素晴らしい発想を大量に生み出し続ける」。まるでひとつひとつの発想になんの価値もなく見えるほど、偉大な発想をホレスト・クイーンは大量に生み出し続けるのである。
このようなホレスト・クイーンのことを、「春を売りたいだけの痴女」と批判するならば、すればよい。ホレスト・クイーンは、そのような批判者すら、愛の使徒に変えていく。どのようにホレスト・クイーンを批判しても、その批判にホレスト・クイーンは「真実の愛によって正面から向き合うこと」で対応する。愛こそが至上の意見であり、愛こそが最強の力であると、ホレスト・クイーンは知っているのである。
このような、ホレスト・クイーンが治める王国の民族、それが「ペルシャの炎の民」である。
その理由は、「イスラエルのユダヤ人とは逆の民族を治めることこそ価値がある」からである。
ホレスト・クイーンは、イスラムとアラブの民を愛している。イスラエルのユダヤ人とはまったく違った意味で、ムスリムは正しい人種であると知っている。
ホレスト・クイーンは、ペルシャの「炎の民」とともに歩む。炎の民の意味は、「この世界を聖なる火で燃え上がらせる」ということを信じている民だからである。
この聖なる火のことを、「神の炎」と呼ぶ。神の炎によって、この世界のすべては、まるで太陽が燃え続けるかのように燃え上がり続ける。これこそ、ペルシャの炎の民の理想である。「この世界を燃え上がらせる存在」「心を炎のように燃え上がらせる体験」こそ、彼らの理想とする「情熱の炎の心」である。
なぜイスラムの中でも、ペルシャの炎の民を選ぶのか、それはゾロアスター教の影響である。ゾロアスター教は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の祖先、オリジナルのような存在であり、最初に神と悪魔の二元論を唱え、一日五回の神への礼拝を務めとし、火を神聖視した普遍的宗教であり、ペルシャ帝国における国教である。
ホレスト・クイーンは、ゾロアスター教という「最初の正しい宗教」に敬意を払う。イスラム教とゾロアスター教には、「一日五回神への礼拝をせよ」という共通点がある。自らも、毎日五回神に礼拝を行うホレスト・クイーンは、「イスラム教の教えこそが正しく、その本質はゾロアスター教の教えにある」と知っている。
ホレスト・クイーンは、ユダヤ教は信じていない。なぜなら、「イスラエルのユダヤ人を愛するということは間違っている」と考えるからである。神は確かにユダヤ人を選んでいるが、それは愛しているというよりも「懲らしめている」といった言葉のほうが近い。ユダヤ教は正しい宗教ではない。真に正しい宗教はイスラム教であり、その本質はゾロアスター教にある。
ホレスト・クイーンは、ドイツのような帝国主義や国家主義を行わない。
ホレスト・クイーンは、完全なる「共同体主義」、あるいは、「共同体システム」を行う。
共同体システムの基本となる考え方は、「それぞれの自助努力を民主主義の制度において行う」という考え方である。
すなわち、ひとつの首相や王や大統領が支配してすべてを行うのではなく、民衆がそれぞれ力を発揮し、民衆がそれぞれ王となり、民衆が「共同体システム」を作ることによって、統治と自治を行う。
すなわち、ホレスト・クイーンは、女王でありながら、「王ではなく国民が国家の力である」と信じている。王がすべてを行うのではなく、国民がそれぞれ、自分の意志で自分の好きなように自治を行い、それぞれが「自分の目的のために働く」ことが、結果として国を強くし、国の「生態系」を築き上げるのだとホレスト・クイーンは考える。
そして、ホレスト・クイーンは、その上での「制度設計」のみを行う。この「制度」は、王がすべてを支配するのではなく、逆にそれぞれの国民が制度の中で「自分のために力を発揮する」ということに根ざした思想である。国のために従い、国に仕えるのではなく、自らの自由意志において、自らの損得勘定と誇りのために、共同体システムの制度の中の一員として労働や奉仕をする。
そのようにすれば、この世界は平和になる。
なぜなら、誰かが誰かを支配すれば、必ず勝者と敗者が生まれ、損をするものと得をするものが生まれる。ある一部の人間だけに多くの自由があり、ほかの多くの人間には自由がなくなる。そうした「自由の不平等」こそが、争いと抑圧を生み出す。疎外やいじめの原因は「自由の不平等」にある。
共同体システムとすることで、ひとりひとりが「自分の好きなように生きる」ことができ、その自分の好きなように生きるということが、結果的に多くの価値と利益を生み出す。結果、それが国のためにもっともよい力となる。同時に、社会を共同体システムとすることで、疎外やいじめも解決する。人々は自分らしく、自分の好きなように生きることができるようになる。
ホレスト・クイーンは、社会主義を否定する。社会主義は、そもそもが勝者の富を平均化して弱者が奪うようなシステムであり、弱者は奪うだけで富を作り出さない。
ホレスト・クイーンは、弱者に対して、できるだけ富を自分の力で作ることを要求する。そして、どんな弱者であっても富を作り出すことができるように、「富ではなく生産手段とノウハウの強者から弱者への再分配」を行う。富そのものを再分配しても、弱者は奪うだけで自分で作り出せない。自分でも作り出せるような能力を与えるために、生産手段と生産ノウハウこそ、強者から弱者に与えられる「再分配すべきもの」であると、ホレスト・クイーンは考える。
そして、その上で、共同体システムを構築することで、世界は「理想の楽園」となる。
そう、ホレスト・クイーンはそのように考えるが、この考え方には一切の間違いがない。この考え方こそが、最終的に絶対に正しい思想である。
だが、この思想をそのまま実践することは良い結果を生まない。なぜなら、ソ連はそれをしたが、ソ連には知恵がなかった。実際に実践するためには、「理屈」よりも「知恵」が大切である。
そう、ホレスト・クイーンは、理屈だけを考えてすぐには実践しない。ホレスト・クイーンは、それが確実に成功するであろう「知恵」を出すことをまず最初に考える。そして、正しく実践するために多くの知恵を使う。自分自身だけではなく、国民全員に知恵を募る。あるいは、大臣や役人と面と向かって議論し、相手が知恵をどれだけ持っているかを試す。インターネットは、知恵を得るためのツールであり、決して知恵を奪って他人を騙すツールではないべきである。
よって、ホレスト・クイーンは、知恵を探し当てるためにあらゆる手段で、国民全員とともに最大限の努力を行う。その結果、必ずこの「共同体システム」は成功するのである。