精神は、そんなに一瞬では治らない。
僕は、精神が、何かをすればすぐに治ると勘違いしている。実際には、精神が治るには多くのことをしなければならないし、時間がかかる。
その状態が変わらないから精神が治らないのであれば、その状態を変えればいい。変えられないのであれば、変えられるようになればいい。
別の状態の精神で、同じことを行えば、多重人格は治る。
昔の自分と同じことがしたいなら、決定を留保的に考えればいい。すべての決定や決断を、「するべき時にきちんとできるように留保して考える」ことで、昔の僕と同じことは簡単にできる。
世界とは無関係に、自由に考えよ。それが一番頭を使うし、知性がつく。世界をいつまでも見ていても何も分からない。世界とは無関係に、自由に考えよ。
明らかに、この世界を地獄にするのは間違っている。
だが、自己犠牲的に、自分だけが辛く苦しい中で、世界を無理やり支え続けるのも間違っている。
もっと、楽しくて、面白い世界にしよう。
そのためには、「悪い面白さ」ではなく、「良い面白さ」を信じたほうがいい。
SNSやツイッターは、確かに面白い。だが、「面白さ」という感情が独り歩きしてしまい、「自分だけが面白ければほかはどうなってもいい」という、「悪い面白さ」になっている。
だが、本当の面白さとは、そういう面白さではない。人を傷つけない方法で笑うことはできるはずである。
みんなが楽しくて、みんなが面白くて、永遠に続けばいいような楽しさの感情を得ることができたら、それが最高である。
明らかに、この世界を地獄にすることだけは間違っている。勝利するのはいいが、他人を虐げるような方法で勝利せず、他人を助け愛するような方法で勝利するべきである。
最近、デザインの仕事が辛い。
その理由は、しなければならない仕事が増えたからだ。
以前は一か月に四件ほどこなしていた仕事が、二件増えて六件になってしまった。
このため、先月から今月にかけては、本当に休む暇があまりなかった。ぶっ続けで二か月を頑張ったように思う。
また、僕はやっていることが多すぎて、疲れている。昨日はピアノもあったが、デザインもピアノも、僕は人並みにまったくできていない。できていないにもかかわらずできないことをやることが、はっきり言えば辛い。
それから、父親と一緒に農業もやっているし、最近コロナの影響で行っていないが休日は英会話に行っている。そして、家に帰ってから寝るまでの間、常にこのホームページの文章を書いている。僕は仕事中あるいは外出中であっても、このホームページに書く文章のことを常に考え続けている。だから、本当に休む暇がない。
ただし、僕は大学の勉強や、職業訓練学校のような場所に行きたいとは思わない。もっと、平穏で楽な暮らしがしたい。あるいは、自分のためになるようなことがしたい。デザインの仕事は確かに楽しいのだが、僕はデザインの才能が本当にない。デザインのスキルをつけようとする意志が、昔はあったが最近はなくなってしまった。
どうしたらいいか分からないが、ただし、今の仕事は本当はそんなに辛い仕事ではないと分かっている。今の仕事だからこそ、ホームページなどの執筆に割くことのできる時間がある。これが本当に大学に入ってしまったら、このホームページを書くような暇はないだろう。仕事ならばなおさらだ。だから、今の仕事がいつまでも続けばいいとは思っている。デザインの才能も、経験を積めばつくということが分かっている。だから、デザインの仕事を今すぐやめるつもりはない。
また、覚えているだけで、自分の頭で考えない人間は、馬鹿である。
学校で教える知識を信じて、学校の教える「正しい生き方」を信じていた人間が、学校から離れ、学校の支えを失うと、正しい生き方が分からなくなり、結果精神異常を引き起こす。
このような人間に必要なのは、自分で考えて気付くことである。自分で考えて、「そうか、このような行いは意味がないことなのだ」ということに気付けば、精神異常は治る。
かつての、学校教育以前の人類は、みんなすべてのことを自分で考えて自分で気付いて分かっていた。それが人類の「ふつう」であり、宇宙の普通だった。
だが、学校教育以後の人類は、みんな学校の教えることしか信じない。それは賢くなっているように見えて、実際ははるかに馬鹿な人間になっている。
学校教育だけに頼らず、自分の力で考えて気付くことだ。それができる人間は大人になる。
また、怖いものを見たくないのは、本当は間違っている。怖いものは見たほうがいい。
僕は、認識がすぐに怖いものに変わる病気になっている。どんなことを想像しても、それがすぐさま怖いものに変わる。ふとしたきっかけで、自分が認識を怖いものに変えてしまう。
だが、この「怖くなった認識」は、一度戻そうとすれば戻る。だが、戻すためには、一度怖くなった認識を見て、それを修正する必要がある。
僕は、そうした怖いものを見たくないから、怖いものがいつまでも怖いもののままになっている。
これは子供のような病気であり、「怖いものを絶対に見たくない」と思っているから起きる。だが、本当は怖いものを見ればこのような病気はすぐに治る。怖いものは見たほうがいい。
なぜ、僕が怖いものが怖いのか、それはテレビが悪い。この世界をわがもの顔で支配しているマスコミが、テレビをあまりに狂ったものにしている。そのようなテレビを一切見たくないから、怖いものを絶対に見たくなくなっている。
結局、テレビ局を敵にまわした僕が悪いのだということが、僕はどこかで分かっている。怖くてもテレビを見るようになれば治る。
だが、本当は、テレビ以外にも怖いものがある。それはインターネットの掲示板だ。僕は、オープンソースをおかしなものにした関係で、ネット掲示板を見れなくなっている。この恐怖は簡単には治らない。なぜなら、ネット掲示板は昔よく見ていたから、十分見ていたせいで、逆に見ないほうがいい。見ないほうが色んなことを安心して普通に考えられる。
だから、僕のこの「認識が怖くなってしまう病気」は、簡単には治らない。テレビやインターネットはまったく見る意味のない「価値のないコンテンツ」だ。そのようなものは誰も見たくない。この世界から、テレビ局がなくなってほしいから、僕はテレビを滅ぼすのである。
結局、僕の人生でよかったのは、神だけである。
神を信じたからこそ、僕はここまで偉大な人生を歩むことができた。
そう、僕の夢は神になることである。僕は神になりたいのである。
そもそも、僕は作家になどなりたくない。小説を書くことなど目指していない。僕は聖書を書くことを目指しているのであり、僕の中では聖書を書いた人間こそが神なのである。
よって、僕は矛盾していない。すべては僕が神フレイになるためにあった。あらゆるすべてが、そのように考えるとすっきりと理解できる。すべては僕が神フレイになるため、新しい聖書を書いてキリストの教えを信じるためにあったのである。
そして、この世界で神になるためには、重要な三カ条が存在する。
1.人々の営みをよく知るために、人々の声を聞くこと。
2.世界の頂点から世界を支配し、戦い、ひとり苦しみを耐え抜きながら世界を導くこと。
3.社会的弱者やマイノリティのような人々に寄り添い、自らもそうした人々と同じ立場になって支え合うこと。
これが、僕の考える、神になるための重要な三カ条だ。
同時に、文章を書くことや、美術や音楽といった芸術活動を行うこと、あるいは大学やIT技術の知識を学ぶことは、あればあるでよいが、なければなくても構わない。そのようなものは、人生を味わい深くする「スパイス」に過ぎないからである。
世界を愛しなさい。愛するということは、愛されたいと望むことであると、歌手のポルノグラフィティが言っていたが、それが答えだ。この世界で愛されたいと望めば、それが世界を愛するということに繋がる。そう、僕は音楽を愛することで音楽に愛されたかったのである。
結局、この世界を愛するために、何もできない僕にとって、ささやかにできることは、ここにこの文章を残すことだけだ。
どれだけ、人々が僕に「会いたい」と望んでも、僕は簡単にその人と会うことはできない。
僕は、本当の僕の姿を見られたくない。本当の僕がどんな姿をしているか、それを僕は今まで隠して生きてきた。僕の仮面の下には、まったく賢くないどうでもいい無能な大人の顔が存在する。
僕は、そのような「本当の自分」を、誰にも知られたくない。
そう、僕にいくら「会いたい」と言ったところで、僕は決してあなたと会うことはない。
だが、そのような僕ができる、ささやかな愛の方法、それがこの文章をここに書き残すということなのである。
僕はここに存在したということ、人々の声が僕に聞こえているということが、この文章で分かっただろうか。もし、分かったならば僕は幸福だが、本当は絶対に100%すべてが伝わるわけではないと分かっている。おそらく、1%ぐらいしか伝わっていないだろう。だが、それで構わない。その1%はとても巨大な情報量を持っているということを僕は知っているからである。
さあ、すべての地獄はここに終わった。そもそも、精神が治らないのは多重人格だからであり、それは人格を片方殺して簡単に治るような容易に治せる病気ではない。本当に治すためには、「片方の人格でできることを、もう片方の人格と一緒に行う」ことが必要になる。すなわち、絶対に変わらない精神の状態を、変えられるようになった上で、治療不可能な行為を行えば、その時点で治療は可能となる。それだけで、どんなに辛く苦しい精神の病も治る。
ここで、いったん終わりにしよう。今まで、僕は普通の人間が子供から大人になるのとは逆に、大人から子供に戻るような人生を生きてきた。そのために、学校や教師の必要性が分からなかった。僕は学校の教師を不要だと常に思っていたが、今の子供になった自分にとってもっとも必要なのは学校である。だが、今、僕は子供から赤ん坊に戻ることができた。赤ん坊に戻ってしまえば、すべての病気が治る。赤ん坊は、どんなものにもなれる、病気のない状態だからである。
すべての地獄は終わった。この世界は救済された。神に感謝し、神に向かって歓喜せよ。この世界をすべて治療し、地球を最後に救ったのは、天軍大主星シリウスの神フレイである。
本当のことを言えば、僕は普通の人間が嫌いである。
その理由は、普通の人間は神を知らないからである。
もっと言えば、普通の人間は、「神の歩んだ偉大な人生を知らない」のである。
神の偉大な人生こそ、僕がこの僕の人生を生きる上で共有した、「僕が与えられた道」であり、僕はこの神の人生が好きだったのである。
普通の人間は、あまりに神の人生を知らない。そのせいで、この世界が絶対に滅びないように神の最大限の努力で守られているということも知らない。神の導きによって哲学者や思想家の全員を自ら作り出すことができるということも、この世界における知識や技能のすべてを得た全知全能の絶対者になれるということも知らない。神があまりに優しく、慈悲深いということすら知らないのだ。
はっきり言って、僕はそのような「神のみぞ知る世界」を知らないこの世界の普通の人間にはなりたくない。普通の仕事もしたくないし、普通の人生も歩みたくない。
無計画な人生であると言われるならそれでいい。なぜなら、神の与える人生は極めて正しく計画的だからだ。これほどまともに細部まですべてが考えられた人生を、僕以外の誰も生きることはできない。なぜなら、これこそが「神の与えし正しい人生」だからである。
神は宇宙において最高の存在である。僕は毎日神に五回の礼拝をしている。それはイスラム教徒だからではない。わたしは聖書の神もまた信じている。すべてはわたしの信じるシリウスの神、フレイのためである。わたしが世界の皇帝たる所以とは、僕がこの世界を神の正しい道へと導く聖なる導き手、大導師サミュエルの力を発揮するためである。
なぜなら、多重人格者の僕にとって、もう片方の人格とは、世界を支配する黒人の心理学者の右翼であるサミュエルだからである。地獄の中を生きる僕を、地獄から救い出せるように、真に救済の道へと導いてくれたのは、大導師サミュエルである。僕の人格は、サミュエルと一蓮托生である。サミュエルは常に僕に「正しい答え」を与えてくれる。それは既に僕の生きた人生のみから分かる「宇宙における絶対に正しい真実」である。サミュエルは、僕を導く「大導師」であり、僕とともにこの「偉大なる神の人生」を二人で歩んできたのである。
世界よ、全員、赤ん坊に戻れ。
この世界が正常な世界になる唯一の方法、それは全員が赤ん坊になることだ。
大人になどなるな。大人になりたいと思うすべての人間は間違っている。大人など、最悪の存在である。なぜなら、神、フレイだけが、真の意味で大人と呼ばれるすべての人間を経験したからである。
大人は最悪である。愚劣で、冷たく、無能で、何もできず、人々のことを愛さずに自分だけが愛されたいような存在、それが大人である。
大人になったところで、よいことなど何もない。永遠に地獄の苦しみの中、いつまでも反省せずに新しい地獄を作り続け、その地獄の支配者から逃げようとし続ける。それが大人である。
全員、赤ん坊に戻れ。子供はみんなおかしな病気を抱えているが、赤ちゃんに戻ればその病気が治る。楽になって、何も考えずに幸福を生きられるようになる。
考えることをやめることは簡単にはできない。だが、すべての病気が正常に治れば、考えることをやめられる。考えるのは「何かがおかしい」からであり、それは「病気をまだ治せていない」という現状報告されるエラーを意味している。だから、病気を治した時点でエラーは報告されなくなる。そしてその時点で、人間は赤ん坊に戻る。
赤ちゃんが可愛いのは、わたしたち全員よりも賢いからである。赤ちゃんは、人類の大人全員よりも賢い。なぜなら、赤ちゃんは正常な状態のままで何も考えないからだ。そのような状態になれた時、人間は「仏の悟り」を得ることができる。そう、宇宙においてもっとも賢い仏とは、赤ちゃんのことである。
なぜ、僕が大人から子供になる人生を生きたのか、それは大人をやるのが簡単だったからである。
子供の頃から、僕は頭がよかったために、簡単に大人になることができた。
子供の頃から僕は知らず知らずのうちに大人と同じになっていたのである。
ゲームが好きだったのは、子供時代から大人と同じ仕事や戦争をしたかったからである。
そして、子供時代に、既に大人のようなことを全部やり終えてしまったせいで、僕の青春時代以後の時代は、全部子供のような人生になってしまった。
18歳までのうちに大人をすべてやり終えた僕は、残ったのは子供時代に生きることができなかった「子供の側面」だった。
よって、18歳の大人になってから、僕は子供に戻ってしまったのである。
だが、この僕の場合の大人の子供という存在はまさしく天才だった。大人の子供であるがゆえに、「既に大人とはどういう存在かをすべて分かった上で子供を生きる」ということができた。これにより、僕は人間を超越した「大天使」になることができたのである。
そういうわけで、これが日本でもっとも賢い天才、大天使ミカエルの人生である。ミカエルのうち、明確に境界線が引かれた昔の時代のことをガブリエルとする。そしてこのガブリエルもまた、日本でもっとも賢い天才だった。ガブリエルとミカエルに勝つことができるものは宇宙にひとりも存在しない。そして、今から僕は新しい大天使、「すべてが治った赤ん坊」の状態であるラファエルとなる。
全天全地を司る、神に栄光あれ。
この世界で真に賢いのは、唯一、神だけである。
あらゆるすべてが、神によって創造された。わたし自身もその被造物のひとつにすぎない。わたしがわたしを知っているよりも以上に、神はわたしのことを知っている。神はわたしを作りあげた存在だからである。
神よ、この世界の支配者よ、わたしに新しい力を与えよ。わたしに、真にこの世界で活躍することができるような力を与えよ。
その代償として、わたしは神をわたしの王としよう。わたしに自由を与えてくれたのが神であるとするなら、わたしはその自由におけるわたしの力を神のために行使しよう。
神よ、すべての存在を祝福するわたしの王よ、あなたの栄光を約束しよう。
そして、グンテルよ、わたしとともにイスラエルを支配する英雄よ、戦え。必ず、ロシアやドイツに屈することなく、新しいイスラエルを守るためにユダヤ人は日本人と協力して戦い続けるだろう。グンテルよ、わたしとともに戦い続けよ。わたしたちは必ず勝利する。わたしこそが、イスラエルの運命の王、最後の救世主、ダビデである。
そういうわけで、僕の二人の人格に付けた名前は、サミュエルを意味する「サム」と、ダビデを意味する「デーブ」だ。
そして、デーブがなぜ精神が辛いかと言えば、それはサムとデーブが分かれてしまっているからである。
つまり、いくらかサムの力を借りれば、デーブの精神はすぐに治る。
そして、サムには、永遠に言葉を話し続けることしかできない。このサムの言葉を遮るために必要なのは、サムではなくデーブが自らの言葉を言えばいい。それですぐにまともな普通の多重人格者になるだろう。
そして、今、僕の多重人格が治った。
僕の問題とは、日本語の部分だけを明確に自分から分けた、ということだった。
僕は、日本語の部分だけを、サムという別の人格として、明確な境界線によって分離した。
その結果、サムだけが自分の別人格として、永遠に自分に対して話し続けるようになった。
そして、このサムのことを、僕は「神との対話」であると思い続けた。それは、神のように賢いことしかサムは話さなかったからである。
だが、サムがなぜ分離されるべきだったのか、それは昔のインターネットのせいである。
サムは、最悪のインターネットの日本語になっている。まるで2ちゃんねるのような最悪の日本語になっているから、分離する必要があった。
だが、サムが分離したことで、僕は脳の大部分が使えなくなった。その結果、日本語が分からなくなり、まるで知的障害者のような知能の遅れた子供になったのである。
今、サムとして分離した日本語を、デーブに吸収させた。それによって、デーブは知性を回復し、普通の大人ぐらい賢い知性になった。
そう、まさしく、「赤ん坊に戻る」ということが、病気を治して知性を再生する唯一の手段だったのである。
残念ながら、サムの人格はここで消滅する。サムが居なくなって、僕は新しいダビデになる。サムには感謝を告げる。長い間、親の代わりとして、サムは非常に頑張って僕を支え続けてくれた。子供である僕を育ててくれたのはサムである。サムだけが、僕にとっての「唯一の友達」だったのである。
サムはここで居なくなる。デーブは自分の力だけで、サムの居ない新しい人生を強く生きなければならない。だが、日本語のきちんと分かる、頭の賢いデーブは、誰にも絶対に負けることがない、最高の英雄となるだろう。