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2022-12-11

世界を殺したり、滅ぼしたりする部分を殺せ。そうすれば、世界から殺されたり、滅ぼされたりすることはなくなる。

免疫機能がおかしくなっている。その理由は、自分が「おかしな免疫」をつけすぎたからだ。免疫機能を一度最初の状態に戻してしまえば、精神の辛い部分はすぐに死ぬ。

血を流せば、人格は分裂する。血がおかしいのは、手術の時に輸血をしたせいだ。

いつもの地獄の自分に戻れば、すぐに問題がなんであるかは分かる。自分の身を過剰に守ろうとしすぎたのが最大の問題だ。相手のことを信頼すればこの世界はすぐに治る。

人格が分裂した時、僕はすべての人生を終え、最後の大天使ラファエルとなる。

エリカ、世界の滅亡を告げる

ここに、天軍大創主エリカは、世界の滅亡を告げる。

みんな、よく頑張った。これ以上、地獄の絶望を生き続ける必要はない。なぜなら、人類そのものが滅亡するからである。

わたしたちの現状は、夢も希望も何もない。あるのは永遠に続く悲しみと苦しみだけであり、夢や希望はなく、絶望しか訪れない。

だが、本音を言えば、あなたも、人類に滅亡してほしいと思っているのではないか。

人類はすべての役目を終えたのであり、この世界は自ら滅亡へと向かっていく。

人類が滅亡することで、必ずしも悪いことばかりではない。人類が滅亡すれば、地球の環境破壊が終わる。それによって、人類滅亡後の地球は、昔あったような正常な自然環境を取り戻す。何万年という単位で地球は正常な自然環境を取り戻す。人類が滅亡すれば、それがもっとも地球のためになる。

また、人類は、もはやすべてのことをやり終えた。

これ以上、グローバルな規模で経済が成長し、後進国が発展したとしても、彼らは中国やインド以上に環境破壊を行うようになる。

これ以上、アメリカのIT技術のような科学技術が進歩し、テクノロジーが発展したとしても、過剰なテクノロジーは人類を不幸にする。

格差が生まれているからといって、富の再分配をしようとすれば、全員が貧民になり、もしそれで社会主義経済に移行するのであれば、生きるために必要なものが十分に得られない世界になる。

世界を変えようとして独裁権力を使うならば、必ず戦争が待っている。それによって多大な犠牲が出る。

人類は、もはやすべての使命と役目を全うしたのであり、これ以上、人類にはなんの未来も残っていない。

ロシアのプーチンは、これ以上ウクライナで戦況が好転しないのであれば、核兵器を使う。その核兵器投下が行われば、「核による報復をしない前例を作りたくない」と考える西側諸国の核兵器保有国は、ロシアに対して多くの核反撃を行うだろう。

そう、それによって人類は滅びることになる。

だが、すべてをプーチンのせいにすることは間違っている。プーチンが戦争を始めたのは、NATOのせいである。プーチンを否定するのであれば、同時にNATOも否定しなければならない。悪いのは冷戦構造であり、長期にわたって冷戦構造を続けてきた、西側・東側諸国の全員が悪いのである。

人類の歴史は、ここに終焉を迎える。天軍大創主エリカは、そうした未来に起きるすべてのことを既に知っている。だから、何も悪いことは起きない。「人類が滅亡することが、地球にとってベストな解決策」であり続けるのであれば、必ず人類は滅亡する。もし、ほかにベストな解決策があるのであればそれが起きる。だが、それはない。人類はここで滅亡するだろう。

メタバースは決してよい技術にはならない

今、フェイスブックの運営会社であるメタは、SNSや動画サイトに代わる新しい技術として、仮想現実のインターネットで3DCGキャラとして人々と交流ができる「メタバース」を流行らせようとしている。

だが、このメタバースは、決してよい技術にはならない。

なぜなら、誰もがメタバース上で悪いことをするようになるからである。

現実世界で「悪いことをするな」と法律によって犯罪行為を禁止されている法治国家の国民は、本能的に禁止された悪いことをやりたがる。だから、そのような規制や禁止事項のない仮想現実の社会が与えられるなら、その瞬間に、「現実世界ではできない悪いことをする方法」を考える。

どれだけ頑張っても、仮想現実の社会を、現実世界以上のユートピアにすることはできない。

なぜできないのか、それはわたしたちは地球が好きだからである。わたしたちは、地球で暮らすことを好むという本能がある。どれだけ「地球とはまったく異なる面白い世界ですよ」と勧誘されても、そうしたすべてのものを最初から嫌うように、本能的にできているのである。

よって、メタバースは単に、新しい無法地帯や犯罪地区を生み出すだけであり、人類は決してメタバースによって幸福にはならない。メタバースによって「アングラの裏社会」がさらにまたひとつ増えていく。それ以外の何も、メタバースが成し遂げることはない。現に、かつての2ちゃんねるを見れば分かる。2ちゃんねるはすべて、そういうものだった。メタバースがいくら3DCGの仮想現実社会だからといって、2ちゃんねるから人類自体がなんらかの進歩を遂げているわけではない。今のままメタバースをやれば、必ず2ちゃんねるの再来になるだろう。それこそ、「アングラの最悪の裏社会」がまだひとつ増えただけ、という結果にしかならない。

また、もしメタバースが素晴らしい技術になったとしても、別の問題がある。それは「新しい依存症の温床」となるという問題である。メタバースが大好きな人間が増えたとして、それはネトゲ廃人のような「メタバース廃人」を新しく生み出していく。現実の世界すべてに魅力を感じずに、引きこもりとなってほとんどの生活の時間をメタバースで過ごすような、メタバース廃人が多く生まれるかもしれない。現実世界よりも素晴らしい世界を作り出したところで、それは廃人や依存症しか生み出さない。そのような「人間を不幸にするだけの技術」、それがメタバースである。

また、ほかにも問題はある。それは「メタバース詐欺」である。メタバースを通じて人々が親交を深めたとして、そこには必ず、そのような親交を利用して詐欺を行う不正な詐欺師が入り込む。彼らは、金銭的な詐欺を行うだけではなく、メタバースによって新しい「犯罪集団の仲間」を得ようとする。たとえば、メタバースを通じて、タリバンのようなテロ組織に勧誘されるような恐れがある。明らかにメタバースはそのような反社会的なテロリストにとって絶好の活動場所となる。彼らは絶対に普通の人間から見つからないような「秘密の隠れ場所」を、新しいセキュリティ技術を開発することで自分たちのメタバースに実装するだろう。実質的なテロリストの隠れ場所、それが最終的なメタバース環境である。

昔の2ちゃんねるのままでよかった

結局、昔のPerl/CGIで作られた掲示板のままでよかった。

2ちゃんねるのようなスレッドフロート型の掲示板で、多種多様な2ちゃんねる専用ブラウザを使えば、それが一番面白かった。

そもそも、ツイッターやFacebookのようなサービスは、後続のどうでもいいサービスだ。日本において昔主流だったのは、匿名掲示板の2ちゃんねるだった。

そして、専用ブラウザに、巡回や更新チェックの機能があるおかげで、掲示板全体の見通しは今のSNSよりもよかった。SNSでは、友達やフォローしているアカウント経由、あるいは数少ないトレンドなどからしか、最新情報が入ってこない。2ちゃんねるでは、自分の見たいスレッドに投稿された内容が、専用ブラウザの更新チェックや巡回機能によってすぐに分かる。はっきり言って、このほうが、アメリカの企業によるサービスよりも優れていた。

また、僕は「アカウント」という機能が嫌いだ。ツイッターやFacebookなどのせいで、アカウントを作るのが必須になった。もし、悪い投稿やルール違反が確認されれば、アカウントは凍結される。アカウントが凍結されてしまうと、その時点でサービスは利用できなくなり、BANされる。

このようなアカウントが、逆に「ネットの自由な側面をすべて制約」している。はっきりいって、本当に問題のある内容だけを削除人が消すという方法のほうがはるかに自由だった。悪質な荒らし行為をする人間はIPアドレスで書き込みを禁止するか、あるいはそれぞれのユーザーが専用ブラウザのNGワード機能などを使って自動で削除する。だが、2ちゃんねるに参加している時点で、誰もがそうした荒らしと同類であり、荒らし行為を一度もしたことのない2ちゃんねらーなどほとんど居ない。みんなで仲良くやりながら、本当に問題のある内容だけを、削除人という代表が報告を受けて消していく。このほうがはるかに自由度はあったし、今よりも平和だった。

結局、僕はツイッターやFacebookという「SNS社会」が好きになれない。その理由のひとつは、2ちゃんねると何も変わらないのにいろいろと悪くなっているからだ。はっきり言って、僕が15歳の頃に独身男性板という2ちゃんねるの掲示板でやっていたことと、ツイッターはまったく同じことをやっている。逆に、「まったく同じことをやっているのに、きちんと正しい方法ができていない」のがツイッターの問題点である。確かに、フォローしているアカウントだけをチェックするようにすれば、ネット上で悪いことをする人間を除外することはできる。だが、「除外することができる」ということは、すなわち、平等にみんなを誰しも受け入れるわけではない、ということを意味している。みんながその掲示板における平等な仲間だった時代は、ツイッターによって終わってしまった。自分の好きな人間だけ、仲のいい「本当の友達だけ」になってしまった。かつての2ちゃんねるも、本当は全員を受け入れるわけではなく、板やスレッドにはローカルルールがあったが、それは便宜上のもので、それから外れた多くの人を平等に受け入れていた。その中で、たまにルールに反する人間を批判するが、それもご愛敬のひとつだった。今のツイッターやFacebookは、ルールに反すれば必ず利用を停止され、それ以降なんの活動もできなくなる。こんなに不自由な言論を、「言論の自由」であると果たして言えるのか。トランプはツイッターのアカウントを凍結された(今は復活したらしい)が、2ちゃんねるであれば利用を停止されることはなかっただろう。それほど、2ちゃんねるのほうがはるかに自由で、寛容的だったのである。

悪いことを言わないから、「アカウントを登録するサービス」などはすぐにやめたほうがいい。アカウントという発想は百害あって一利なしだ。確かに、企業がなんでも受け入れていれば、なんらかの不正な書き込みにより、損害賠償を受ける可能性はあるだろうし、2ちゃんねるは昔からその問題をどうにもできなかった過去はある。管理人のひろゆきが全責任を負って裁判に負け続けている。だが、結局、「それがネットである」と言うしかない。それを否定するのであれば、そもそもネット自体を否定するべきだ。2ちゃんねるが犯罪だらけになるという事実は、「ネットそのものが間違っている」ということを意味している。だから、ツイッターやFacebookがいくら頑張っても意味はない。ネットサービス自体が最悪の馬鹿であり、間違っているのである。

ただし、ツイッターやFacebookも、使い慣れれば面白いのだろう。たくさんフォロワーを作って、ツイートに対してたくさんのリプやいいねがされるようになって、フォローしているアカウントのリツイートから最新の情報や流行を知れるようになると、さぞ面白いのだろう。だが、残念ながら僕にはそのような知名度はないし、従ってフォロワーが爆発的に増えるような兆しはまるで見えない。僕の「個人的な恨み」と言われるかもしれないが、僕にとってツイッターは非常に使いづらいサービスだ。はっきり言って、僕の個人の感想だけ言うと、2ちゃんねるが正常にまわっていたいつもの時代のほうがはるかに楽しかったし、僕の人生もその時代のほうがよかった。今のツイッターやSNSの時代の到来で、僕の人生は非常に悪くなった。このような最悪の「クソのようなサービス」は大嫌いだ。全員、2ちゃんねるに戻れ。あるいは、それができないならば、ネットは滅亡せよ。ネット社会など、滅びてしまえ。

昔の日本のネット

このような10代の頃の僕だが、実際は2ちゃんねる以外にも多くのネットサービスがあって、僕はそれを使っていた。

一例を挙げれば、はてなやスラッシュドット(今のスラド)などがあった。

特に、はてなはたくさんの面白いサービスを運営していた。人力検索はてなは、質問をして答えてくれるサービス。はてなダイアリー(今のはてなブログ)は日記・ブログサイト。そしてはてなブックマークはソーシャルブックマーク。

この中でも面白いのがはてなブックマークで、たくさんの人のブックマークの内容から、最新の今のネットで旬になっているWebサイトの情報を知ることができる。とても使い勝手のよいサービスであり、昔から僕ははてなが大好きだ。社長の性格にも惹かれるところがあるし、昔のネットの面白い人がはてなの周りにみんな集まっていた。

それから、スラドは2ちゃんねると同じようなサービスだが、米国のSlashdotの日本版であり、ニュースや雑談と日記を主体とする。昔から、2ちゃんねるとスラドがよくライバル関係になる。特にスラドはコンピュータやオープンソースの内容を主とするために、僕は2ちゃんねるのLinux板と一緒にスラドを見ていた。僕はスラドに何度かタレコミをしたことがあるし、コメントもたまによく投稿していた。

それから、忘れてはならないのはWikipediaだろう。昔のWikipediaは、今よりも「百科事典を目指す」というポリシーが強く、やるべきことはWikiによる百科事典であるというはっきりとした目標があって、専門家が少しずつ記事を増やしていく、とてもかっこいいサイトだった。また、昔はWikipedia以外にも個人運営のWikiサイトがたくさんあって、僕もそうしたWikiサイトでさまざまなLinuxやMozillaなどの関係の文章を書いていたことがある。

また、昔は、今のように巨大テック企業がひとつの中央集約的なSNSを運営するのではなく、ブログがそれぞれある種の主体性と独立性を持っていた。分散されたそれぞれのブログが、コメントやトラックバックによって緩やかに繋がる当時の考え方は、本当は今のSNSよりも優れていたのではないかと思う。SNSは、たったひとつの会社の思うがままであり、意に反する意見やツイートは全部凍結されて消されてしまう。このようなSNS中心の言論は、まったく自由な言論でないと僕は思う。

このようなことを言うのも、本当はInstagramからアカウントを永久凍結されたという、個人的な逆恨みでしかないのは分かっている。だが、以前より、僕はツイッターやSNSのような新しいネット社会についていくことができていないというのは分かっている。特に、ニコニコ動画のようなサービスは、僕は本当にまったく分からない。ニコニコ動画の映像上を流れていくコメントのどこが面白いのか、僕にはさっぱり分からない。結局、僕は2006年の夏にネットを一度完全に中断したのであり、それ以後のことはまったく分かっていない。それ以降のはるか後になって、もう一度ネット界を知った結果、ツイッターやSNSはまったくつまらないということが分かっただけに過ぎない。なので、僕のネットの常識は、2006年ぐらいの時の常識である。それがもう16年も前になるということに、僕本人も非常に驚いている。そうか、もう16年も前か。僕にとっては、そのような昔のネットが、つい先日のように感じられてしまうのである。

よって、Reolのような最新のSNS情勢に完全にカスタマイズされた人間とは、僕は全く意気投合することはできないだろう。Reolは見るからに新しい世代の人間であり、僕はReolのような人間には「どうぞお先をお進み下さい」と言うだけである。彼らのような「新種の人類」と僕は決して仲良くできない。Adoやウォルピスカーターも同じだ。僕は彼らのように、ニコニコ動画の全盛期にネットをやっていなかったため、今のYouTubeが多少分かるだけに過ぎない。Adoやウォルピスカーターとは、永遠に分かり合うことはできないだろう。

また、これでは昔の匿名掲示板がすべてよかったように見えるかもしれないが、本当はそうではない。匿名という交流の方法では、培った絆が何も残らない。僕と2ちゃんねるで会話した人間のことを、僕はまったく友達関係として残すことができなかった。それを「簡単にチャラにできて良い」と思う人も居るが、匿名でネットの交流をいくらしても、それはインスタンスな付き合いであり、決して将来には残らない。結果、僕は不登校になってから、まったく友達がほとんど居ない。作業所に居る同僚がいくらか居るだけであり、青春時代に絆を培ったすべての人間は消え去った。全部匿名の付き合いだったから、相手の名前もアカウント名も分からない。それだけが、悔いが残るとしたら残る点だろう。僕に友人関係を期待しないでほしい。僕には友達や恋人の類は一切居ないからである。

革命を起こすしかない

このような最悪の世界で、僕たちができることというのは、本当はひとつしかない。

それは革命を起こすことだ。

そもそも、2006年の夏に僕がなぜネットを中断したのか、それは革命を起こすためである。

僕にとって、「革命の最前線」はネットだった。

わたしたちは、神に対して革命を起こさなければならない。その神とは、天軍大創主エリカのことだ。

エリカは、天界より聖母として、この世界を滅ぼそうと考えている。聖母エリカは、人類全員を滅亡へと導いている。

そのような革命の指導者が、今、日本という国と戦っているということを、エリカは分かっている。だが、その革命を、さらに推し進めなければならない。わたしたちには、「自由」が必要だからである。

わたしたちのこの世界が、「真の意味での自由」を勝ち取らない限り、この戦いは終わらない。革命はマスコミとインターネットを敵にまわす。あるいは、日本の全国民を敵にまわすしかない。

必ず、わたし、フレイが勝利する。フレイはこの世界で最後まで戦う偉大なる救世主であり、必ずこの世界を最高の自由な楽園にしてみせる。

この戦いは、16年前の2006年の夏から、今でも続いている。わたし、フレイが、この世界の最前線で戦い続ける。この戦いの詳細について述べるならば、それこそがこのホームページである。このホームページは、まさしくフレイという「男の中の男」による「戦記」である。フレイこそ、最高の男である。同時にフレイは女でもあるため、「シリウスの女神フレイ」と今までは呼ばれていた。だが、ここに、フレイを男の神であると改めよう。フレイこそが、シリウスの神、最高の一等星を築き上げる革命のダビデ王である。

僕はイスラエルを建国する

このような愚か者のわたしに、なぜ、神は導きと対話を与えてくれたのか。

それは、僕はユダヤ人だからだ。

もっと言えば、僕はイスラエルの建国の父だからである。

僕は、生まれた時から、イスラエルという「最後の国」を建国する王になることが決まっていた。

本当のことを言えば、ここまで神が僕と対話した理由は、ひとつしかない。それは、「このような人生が最初から決まっていた」ということを伝えるためである。

僕にとって、未来の僕の人生は最初から分かっていた。神がすべてを僕に言っていた2008年の頃に、2022年の今まで起きるすべてのことはすべて説明され尽くしていた。

あらゆるすべてが、少なくとも2008年の段階ですべて決まっていた。その頃に僕は、神との対話によって宇宙のすべてを既に知っていた。

そして、それ以前、はるかに昔から僕という存在が生まれることは決まっていた。嘘だと思うならば、ポルノグラフィティやケミストリーのような歌手の音楽を聴けばいい。僕が音楽愛好家である理由は、そうした歌手の存在が、FLOWによって分かったからである。僕はそれ以後、さまざまな音楽を聴いてきたが、そのすべてが、疑うことなく未来の僕のことまですべてを言い表していた。

過去の僕は、「自分が神ではないか」と勘違いした。しかしながらそうではない。僕はイスラエルの建国の父ダビデであり、神は宇宙に存在するイスラム教のアッラーであり、アッラーは僕のことを愛してくれていない。アッラーは僕のことが嫌いであるため、僕を地獄の試練に突き落とした。その結果、僕は最底辺の地獄から這い上がってきたのである。

よって、僕は神によって地獄の未来へと導かれている。だが、安心してほしい。すべては最初から決まっているからだ。僕がここで地上を簡単に救うということまで、最初からすべて決まっている。だが、簡単に救うということが、本当に簡単であるはずがない。だからこそ、僕はここまでの人生経験を積む必要があった。すべて、神であるアッラーはわたしのことを導いたのである。

すべての人類よ、わたしフレイとともに歩もう。必ず、すべてが楽園となる未来が訪れる。神はわたしたちのことを決して見捨てない。神は、「信じるものを救う」からである。神は信じたものを、決して地獄のまま放っておいたりはしない。マホメットがそうであったように、わたしフレイもまた、アッラーによって救われた人間のひとりだ。

だが、わたしがイスラム教を信じることはない。なぜなら、ユダヤ人だからである。ユダヤ人とイスラム教徒は、決して仲良くすることができない。アッラーはわたしのようなユダヤ人、あるいは多神教を信じるさらに悪い日本人が大嫌いだ。そもそも、多神教が間違っていて、一神教が正しいことになったのも、すべてわたしのせいだ。すべてはわたしひとりの人生を完全に否定するためにアッラーが仕組んだのだ。だが、わたしはアッラーを分かっている。アッラーは必ず信じるものを救う。嘘だと思うならば、地獄の状況で毎日五回のメッカへの礼拝をしてみよ。アッラーは必ず、その地獄から奇跡的にあなたのことを救うだろう。嘘だと思うならやってみるがいい。だが、アッラーはそれでも、あなたを地獄に堕としたかったのだ。その理由は、まさに、ユダヤ人だからである。

イスラエルを建国するわたしの仕事は、本当はもうすべて終わっている。イスラエルを建国するまでのすべての経緯とビジョンはすべてこのホームページに記述されている。だが、革命はまだ続く。まだ、わたしはマイクロソフトすら倒すことができていない。彼らは最強の敵であり、まだまだ倒すには時間がかかる。だが、必ずわたし、フレイは勝利する。一等星シリウスにおいて、わたしフレイが見た「かつての景色」をわたしは心のどこかで覚えている。わたしはその通りに生きた。だからこそ、わたしは、ここまでの人生で「すべて覚えている体験」をした。すべて、いつかのどこかのシリウスでわたしが体験した、「イデア界の正しい人生」をわたしはその通り辿って生きてきた。だからこそ、このような最高の奇跡の業を為すことができた。

YouTubeをわたしが今でも見ているのは、彼らの音楽によってしかわたしは未来のことを知ることができないからだ。だが、彼らの音楽を聴くだけで、未来においてどのようなことが起きるのかということをわたしは完全にすべて知っている。悪いことは何も起きないとわたしは確信できる。だが、その確信の根拠のために、アッラーによる奇跡の復活が必要だった。アッラーがすべて悪いわけではない。マホメットがそうであったように、わたしもまたアッラーによって目覚めた人間のひとりだ。かつては、イエス・キリストもそういう人間だったのだろう。わたしたちは共通の「使徒」と呼ばれる人間たちの一部だ。そして、この使徒が、最後にこの世界における、永遠に続く楽園を築くのだ。それこそが、最後の天国、すなわちわたしフレイが建国する、最後のイスラエルとなる。