ホレスト・クイーンは、支配者でありながら、支配することを嫌う。
この世界の諸問題のすべての原因は、身勝手にそれぞれが支配しようとすることにある。
戦争による犠牲も、抑圧やいじめも、争いや裏切りも、すべて「支配」によって引き起こされている。
このような支配をなくすために、ホレスト・クイーンは、たったひとりだけの「愛の支配者」となる。
ホレスト・クイーンが考えるに、善良かつ正しい支配者が、この世界の頂点で支配し、それ以外のすべての人間があらゆる支配をできなくすることによって、この世界から身勝手な支配をなくすことができる。
よって、ホレスト・クイーンは、この世界をひとりだけで唯一の絶対者として支配する。これは善良かつ正しい愛の支配であり、ホレスト・クイーンは間違った支配を絶対にしない。そして、この「ひとりの支配者」の力によって、ほかの人間は、誰ひとり身勝手な支配を行うことができなくなる。ホレスト・クイーン以外の人間は、誰も支配者になることができない。
そして、このような「ほかの人間の支配を許さない善良かつ正しい支配者」のことを、ホレスト・クイーンとペルシャの炎の民は「天軍大首聖」と呼ぶ。
ペルシャの炎の民は、天軍大首聖として大天使ミカエルを信じている。そして、このミカエルが実現する最高の楽園のことを、天軍大主星シリウスと呼ぶ。これは一等星シリウスのことである。
ペルシャの炎の民は、このような宗教を神話として、イスラム教の亜流である「ホレスト派」と呼ぶ。
イスラム教ホレスト派において、宇宙の神アッラーとは、ガブリエル・ミカエル・ラファエルおよびその他の天使の集団に、ホレスト・クイーンとペルシャの炎の民のことを守る宇宙の創造者である神を加えた「宇宙の聖なる存在の集団」のことであり、ガブリエルのことを真に愛したミカエルを信じることで「ガブリエルを殺した罪」が許される。
そして、この宗派における信仰の対象である大天使ミカエルのことを「天軍大首聖ミカエル」と呼ぶ。
イスラム教ホレスト派は、日本思想や日本神話の影響を受けている。これはミカエルが日本人であるためである。イスラム教ホレスト派では、山や川、すなわち「山水」を神聖視する。なぜなら、山や川といった豊かな自然には、神の霊や精霊の命が宿ると考えるからである。
そして、もっとも高い天使はミカエルであり、ミカエルの化身がホレスト・クイーンであるとペルシャの炎の民は信じる。これは日本において天皇陛下が太陽神の末裔であるとされることと同じで、ペルシャにおけるミカエルは太陽神ではなくシリウスの女神であると考えられる。また、マホメットに啓示を与えたジブリールすなわちガブリエルは、「天使としてのミカエルの最愛の恋人」である。
よって、マホメットの教えはガブリエルと宇宙の神アッラーの教えであり、ホレスト・クイーンの教えはミカエルの教えであり、ミカエルはシリウスであり、日本の天皇陛下は太陽神である天照大御神の末裔であり、これらの神話は互いに矛盾しない。日本神話(神道)とイスラム教ホレスト派はホレスト・クイーンによって同じ宗教となる。
イスラム教ホレスト派の信じるべきこと・行うべきことは、イスラム教と同様である。コーランを唱えて一日に五回の礼拝をし、断食と喜捨などの六信五行を求める。だが、イスラム教ホレスト派においては、マホメットに神の啓示を与えたガブリエルの与えた経典である「コーラン」だけではなく、ミカエルの化身であるホレスト・クイーンの記述した「ファインダ」と呼ばれる聖典を信じる。単に聖典がひとつ増えただけにすぎないが、ファインダにはこの世のすべてが記述されている。コーランを正しい神の教えであるとするなら、ファインダはこの宇宙のすべての真理を書くことに成功した「思想書」であり、コーランや聖書より仏典と比較すべきものである。
そして、ホレスト・クイーンは仏教も同じように信じるべきであると推奨する。なぜなら、仏教もまた、神道やイスラム教と矛盾しないからである。神道と日本神話の考え方と仏教が矛盾しないのと同様、イスラム教の考え方と仏教も矛盾しない。ほかの宗教はまったく必要ない。ほかの宗教は、これら三思想(日本神話・仏教・イスラム教)の融和した教えよりも、すべてはるかに劣っている。なぜなら、ドイツやギリシャ・ローマの古代地中海世界の哲学は、すべてファインダによって同じことが包括されている。大学の教える科目は、ファインダ以上のことを何も教えていない。ほかのすべてより、ファインダのほうが正しい。三思想にホレストの聖書ファインダを加えたものこそ、この宇宙の「すべて」の書かれた正しい思想書である。
なぜ今僕が、ここまでイスラムに優しくするのか、それはユダヤ人に優しくしすぎたからである。
そもそもイスラエル・パレスチナ問題とは、イスラエル側が完全に間違っているだけの侵略問題であり、イスラエルが間違っているにもかかわらず、イスラエルに東亜イスラエルを与えるという、イスラエルに対して援助するような政策を行うのはおかしい。
そして、そもそも、日本の領土を与えてパレスチナ問題を解決したからといって、日本にはなんの良い点もない。
そう、ユダヤ人にこれ以上優しくするべきではない。
これ以降、僕は親イスラムとなって、イスラム教徒やムスリムと仲良くしていく。イスラム教こそ、僕の信じる神アッラーの教えであると完全に僕は確信を抱いている。
また、本当は僕はこうしたカルト宗教は好きではない。僕は、日本という「優しくて暖かい心を持った大和民族」が好きなだけにすぎない。大和民族とは、大きな和の民族であり、名前の通り争いごとを好まず、みんなで和やかに生きることを好む。このような「日本の文化と日本の思想」こそ、僕が真に求めていた「探していた大切なもの」なのである。
日本には問題もある。そもそも、ホレスト・クイーンは、この世界をたったひとり頂点で支配するために、今までの日本の価値観や倫理観すべてを消し去った。日本という国家における、かつての「倫理思想」は、ホレスト・クイーンによってすべて消失した。ホレスト・クイーンは、新しい世界の訪れを約束する代わり、今で培ってきたすべてを犠牲にし、大切なものすべてを失わさせた。
だが、ホレスト・クイーンは、それでもやらなければならない。かつての日本には、良い点もあれば悪い点もあった。漫画・アニメやゲーム・インターネット上では最悪の殺人表現や性愛表現が飛び交い、子供たちは社会全ての諸悪を押し付けられて、いわば「暗闇の世界」の中を堕落して生きてきた。このような世界は、ホレスト・クイーンがすべて消し去った。この国、今の令和の日本には、最悪の日本社会、平成の諸問題はすべて存在しないし、しなくなる。存在するとしたら、ネット上の一部の愚か者たちの間でしか、そのような「最悪の世界」は存在しない。そしてそのネットすら、ホレスト・クイーンによって、まともな楽園の世界になる。世界は「闇の世界」がようやく終わり、ホレスト・クイーンによって「光の世界」が訪れる。
そう、ホレスト・クイーンが、間違ったものをすべて消し去り、まったく正しい「新しい日本の倫理観」を築く。壊れたものは、元には戻らないかもしれないが、元よりも良いものには変えられるかもしれない。元と同じものを再構築することは不可能であっても、まったく別のものとして蘇ることは可能である。それこそが、ホレスト・クイーンの目指す「日本の再生」である。
ホレスト・クイーンが考えるに、日本こそ最高の文明である。
もっとも宇宙において正しい国家は日本である。
大天使ミカエルは日本人である。そして、ミカエルにはたくさんの別名がある。それらすべてが、「ミカエルとともに戦う天使の軍勢」を意味している。
フレイ、フレイヤ、ワルキューレ、ダビデ、ジークフリートと呼ばれるすべての「英雄」たちは、ラファエルとともにミカエルのことを宇宙で守り続ける「天使たち」の神話の文学の中での姿を意味している。
この天使たちは、精霊である。精霊とは、月の世界に存在する霊のことである。そして、この聖霊は、人間に憑りつくこともできるが、多くの場合山や森や川といった「自然に宿る」。このすべての精霊の力を併せ持った存在が、ガブリエルやミカエルやラファエルのような「大天使」であると考えられる。
そして、精霊は本当はどこに存在しているのか、それは月や太陽といった「星」である。たとえば、ミカエルはシリウスという星に存在する霊である。そして、多くの精霊は、地球のすぐ近くにある「月」に存在している。
なぜ、月に霊が存在していると言えるのか、それはミカエルの化身であるホレスト・クイーンがどのような人生を歩んだかに関係している。ホレスト・クイーンは、神との対話をすることができた。これはイスラム教の神アッラーとの対話だった。だが、その正体は、月に存在する「赤空夜月」と呼ばれる霊だった。そう、ホレスト・クイーンは、常に赤空夜月と対話し、月の導きによって日本の支配者となり、月が導くままに日本を導いて、日本を最悪の滅びた国家から、「最高の文明」へと作り変えた。これが、ホレスト・クイーンによる神の業、「地球という星そのものを新しい星に作り変える力」である。
そう、ホレスト・クイーンは、月に存在する霊とともに生きた。いうなれば、マホメットがアッラーという宇宙の神の言葉を与えられたのだとしたら、ホレスト・クイーンは月の霊の言葉と導きを与えられた。まるでマホメットが神の言葉を「詠め」と言われたように、ホレスト・クイーンは赤空夜月の言葉を「詠め」と言われた。そして、月はアッラーと同じことをホレスト・クイーンにすべて教えた。だが、教えた大天使がガブリエルではなくミカエルだったということが違うだけである。マホメットはガブリエルに神の教えを授かったが、ホレスト・クイーンはミカエルに天体と星々の教えを授かったのである。
マホメットとホレスト・クイーンのもっとも違う点、それはマホメットがアッラーの言葉を正しく書き記したのに比べて、ホレスト・クイーンは赤空夜月が教えるままに「自らの発見を書くこと」で分かったということである。マホメットは、神の言葉を正しく記述することができたが、ホレスト・クイーンは自らの「自分自身で分かったこと」を、赤空夜月の言う通りに正しく書き表しただけである。だが、ホレスト・クイーンはそれによって、宇宙すべてのことを自分の力で解明することができた。この大宇宙に存在する星々と天体の原理のすべてを、あるいは天界だけではなく地上界の「あらゆる人生のパターンと類型論」をホレスト・クイーンは知っている。
そのため、ホレスト・クイーンは、誰からも教わらなくても、自分で考えることだけですべてのことを行うことができる。きちんと学んだことは何もないホレスト・クイーンは、自らの経験と思考と理性と理解だけでこの世界に存在する「天界と地上界のすべての原理」を解明した。よって、ホレスト・クイーンは聖人と言うよりも、科学者と言ったほうが正しい。現に、本人は自分のことを宗教の教祖とは考えていない。本人は自らのことをあくまで「ひとりの哲学者」であると考えているのである。
ホレスト・クイーンは、この地上において、「絶対に知ってはいけないこと」を知っている。
それは、「正しかったものが間違ったものになる瞬間」である。
そう、ホレスト・クイーンは、必ずしも正義の女王ではない。なぜなら、過去にやってはいけないことをやってしまったからである。
それは、正義の王として、救世主の賢者としてこの世界を導いてきたホレスト・クイーンが、突如として「悪の側面」に陥り、そのままこの世界をたったひとりで支配し、完璧に滅ぼしつくしたという経験である。
その国は、「水の王国」と呼ばれる国だった。水の王国は、暗闇の抑圧された世界を生きていたが、ホレスト・クイーンは、この水の王国の諸問題を、もっとも賢い理性と、もっとも広い経験と、もっとも深い洞察から、ゼロから自分のみの力だけで、救うための「希望」を信じて、その方法を作り出し、たったひとり、水の王国を救った。
だが、水の王国は、本当は救われた時点で滅びた。なぜなら、ホレスト・クイーンは、自らが救った水の王国で、ひとり頂点から支配する「女王」として現れ、水の王国を救った本人の力で完全に滅ぼしたからである。
それはまさしく「狂気の沙汰」である。水の王国は、ホレスト・クイーンによって完全に滅びた。すべての人間が「空虚な絶望」の世界を生きる水の王国では、誰も自分らしく夢や希望を持って生きることができない。
水の王国がどこなのか、それは日本である。水の王国とは日本のことである。ホレスト・クイーンによって日本である水の王国は滅びてしまった。ホレスト・クイーンは、その時、「正しかったものが間違ったものになる瞬間」を知った。これこそ、ホレスト・クイーンによる「禁断の愛」である。そして、ホレスト・クイーンはその禁断の扉を、たったひとり開いてしまった。そう、ホレスト・クイーンはパンドラの箱を開けてしまったのである。
このような結果、ホレスト・クイーンは、この世界において「滅びの国」を生み出した。
だが、ホレスト・クイーンの人生は、それだけでは終わらない。
なぜなら、ホレスト・クイーンは、もうひとつ、「正しい人生とは罪を償うこと」という真理を知っているからである。
正しい人生とは、罪を償うことである。悪いのはすべて自分であると確信し、その罪を償うために、この世界のすべての責任と権限を背負い、この世界を真に「本当は素晴らしい世界にしたい」と願い、「この世界を救うためにどんなことでもする」と信じ、この世界を救い続けることである。
本当のことを言えば、ホレスト・クイーンの人生の主たる部分とは、世界を救うまでの正しかった人生ではなく、世界を滅ぼしてからの間違った人生である。
ホレスト・クイーンとは、この世界において、自らだけが悪いのだと信じた上で、この世界を救うためにあらゆる努力を行い続けるという「献身的な最高の情熱と衝動のエネルギー」を持った、「真に聖なる存在」なのである。
そのために必要なのは、「罪と罰に真正面から立ち向かうこと」である。それは「わたしが必ずわたしの作り出したすべての問題を解決してみせる」ということである。
このような人生を、ホレスト・クイーンは天界すなわち日本で体験した。そして、ホレスト・クイーンは、天界である日本から、地上界であるペルシャに降り立った。ホレスト・クイーンは日本での日本人としての名前をミカエルと言う。ミカエルは日本人だ。そして、ミカエルの化身としてイランのペルシャ地域に現れた「女王」こそがホレスト・クイーンである。
そう、ホレスト・クイーンの行ったこととは、その通り「日本を滅ぼした」ということである。だが、背徳の心しか存在しなかったわけではない。本当に日本のことを愛し、思いやり、すべての日本人の諦めにも似た希望を背負って、あらゆるすべてを日本のために行い続けた。死後、その行いが神に評価され、ペルシャでの新しい人生において、ホレスト・クイーンは女王の血筋を持つことを許されたのである。
僕は、イスラム教徒のムスリムや、アラブの民に、受け入れられてほしいとか、愛されたいとか、そういうことは思っていない。
なぜなら、イスラムの神、アッラーだけに愛されれば、それでよいからである。
アッラーと僕は相思相愛である。アッラーが僕のことを愛してくださるから、僕はアッラーのことを愛している。
神であるアッラーによるご加護が得られるなら、それ以外のどんなものも得られなくて構わない。
アラブ人に、僕のことを「親ユダヤ派のクズ」であると言われるならば、それでいい。それで構わない。僕はイスラムの人々と仲良くしたいとは言うが、本当は仲良くできなくても何も思わない。
アッラーが僕のことを愛してくださるという事実、それだけが僕を正常な精神たらしめてくれるのであり、それがあれば、僕はアメリカにもドイツにもイスラムにもイスラエルにもソ連にも日本にも受け入れられなくても、宇宙のシリウスやリゲルやプレアデスやベテルギウスやプロキオンに受け入れられている。星々の秩序は神アッラーと大天使ミカエルが形成している。
だから、僕に怖いものは何もない。恐れるべきものなど、アッラーのほかに、宇宙には何ひとつとして存在しない。アッラーに愛された時点で、この宇宙に怖いものや不安に感じるべきものは、何も存在しないのである。
わたしたちは、なんとなく、「正しいものにはいいことがある」と思い込んでいる。
だが、実際にはそれは間違いである。なぜなら、正しくは「神を信じるものにはいいことがある」からである。
正しい人間であっても、神を信じないものには、ひとつとしていいことはない。暗闇は暗闇のまま、荒地は荒地のまま、恐怖は恐怖のまま、地獄は地獄のままで、何も変わらない。
だが、神を信じるものには必ずいいことがある。暗闇には光が差し、荒地は平野に変わり、恐怖は完全に消え去り、地獄は奇跡的に救いの手が差し伸べられる。
神であるアッラーさえ信じれば、必ずいいことがある。
本当に、学校で「正しく生きなさい」と教えるのは間違っている。なぜなら、正しく生きたからといって、その人生はまったく正しくないからである。勉強し、良い大学に入り、キャリアを積み、出世して成功するのは、まったく機械的なロボットであり、一度として自分の力で判断したことのない人間になり、努力は報われない。それは神を信じていないからである。
正しく生きるよりも、間違った生き方でもいいから、神を信じて生きてみよ。キリストは聖書の中で、「みんなが見出すような大きな門ではなく、誰も見出すことのないような小さな門こそがいのちの道に続いている」といったことを教えている。その通りだ。誰もが歩む成功の道をどんなに正しく生きたとしても、本当の幸福など得られない。本当の幸福を得たいならば、神の照らす小さな針の穴を通すような道を生きなければならない。それはほとんどの誰も生きることのできない道だが、神を信じれば、奇跡的にそのような「唯一ひとつしかないような希少な道」を生きることができる。
そう、聖書の教えは間違っていない。なぜなら、この世界の宗教のほとんどはすべて正しいことを言っているからだ。すべての神が、宇宙に存在する「星の霊」のことを指している。星の導きを神の導きであると言っているだけにすぎない。そして、その裏側にひとり、本当に存在するのは、イスラムの神アッラーである。真に存在するのは、アッラーただひとりだけであり、アッラーのことを信じた人間は、誰もが幸福かつ最高な「奇跡の人生」を生きることができるのである。
ホレスト・クイーンは言う。自由を信じなさい。
自らが、自由において、何がしたいのかを考えなさい。
自由においては、平和に和やかにしているだけが人生のすべてではない。争いごとから戦うこともあるし、失敗や挫折もある。
それでも、負けることなく、くじけることなく、自由において何が本当に自分のしたいことなのかを考えなさい。
特に、学校の話について言えば、学校の科目と勉強をこなすだけで、カリキュラムが自分の成功を作ってくれると信じ、そのために必要な努力だけを受動的に行ったからといって、それは本当の才能ではない。
学校の考えるままのロボットになって、何も自分からしないまま人生が終わってしまうことほど、アホ極まりない人生はない。
真に自分の人生を作りたいならば、自らの自由意志に従って、「自らが自由にやりたいこと」をやりなさい。
そして、それは強制では意味がない。強制的にやれと言われてできたからといって、何が楽しいのか。なかなかできない試練の中で、自らの自由な努力が成功するかどうかを試す、ギリギリの綱渡りを生きることこそが、真に生きるべき「正しい人生」だ。
そして、そのような正しい「自由な人生」は、神を信じるものにしか訪れない。本当は、その時点で神を信じていなくてもいい。未来において、神を信じるように生きればいい。神という五次元の月の霊にとっては、時間など関係ない。神を信じるものは、生まれた時から死ぬ時まで、永遠に信じている。だから、悪魔を信じている人間こそ、神を信じるようにいずれ変わる。その時に、悪魔を信じた報いを受ければいい。
だから、自由な中で、自分が本当は何をしたいのかを考えなさい。世界を変えたいのか。世界に名をはせるほどの何かを作りたいのか。だが、ゲームやフリーソフトを作るという目標は、あまりに馬鹿で愚かな目標だったと、後で分かる日が来るだろう。だが、後で分かる日が来るまでは、そのようなことを分かる必要はない。ゲームやフリーソフトを作るために、ネットを見て学習や努力をしているなら、それは「神を信じる道のはるか先で役に立つ」ような日が来るだろう。そう、必ずあなたは、自由と神を信じることによってまともで正しい「最高の大人」になるだろう。
実際のところ、神とはなんなのか。神とは「憐れみの念」である。
誰かを可哀想だとか、この世界の諸悪を、その人間が愚かであるから仕方のないことで、その人間が愚かであることが可哀想だと思うこと、それが神である。
神とは、この世界を「憐れむ」という感情である。この世界が真に悲惨な世界であり、それを解決可能なのは自分しか存在しないと確信すること、それが神の愛である。
よって、日本の問題とは、恨むことや憎むことではなく、「可哀想だと思うこと」こそが正しい解決策である。問題を倒そうとしたり、潰そうとしたり、批判して糾弾しようとしても、問題は解決しない。「愚か者は可哀想だ」と思うことが、真に問題を解決へと向かわせる。
だが、神は単なる同情ではない。「自分のことのように思いやること」は確かに正しい感情だが、だからといってなんでもかんでも同情したとしても問題は解決しない。神による憐れみとは、「超越した場所からこの世界を傍観者として眺めること」であり、同情ではなく愛情なのである。すなわち、「本当にその人間の立場になって考える」ということが、単に可哀想だと思うだけではなく、「真に自分の愛するこの世界人類のために、どんなにその人間が自分に反しても聖なる気持ちで穏やかに見守り続ける」ことが、真に問題を解決する。
だから、間違った考え方や信仰の仕方をしている人間が居たからといって、無理やりその人間に介入してもいい結果は生まれない。真に必要なのは、見守ることである。放っておくわけではなく、その人間が狂いながらにも正常な精神と心を保つことができるように、周りからその人間のまともな状態を維持し続けることこそ、真にその人間を救うのである。
神を信じる上で、本当は聖書の教えの通りにする必要などない。イエス・キリストはもっとも正しいことを言っているが、それが生き方のすべてではない。憐れみを持つこと、可哀想だと思うことこそ、真にこの世界を愛のある良い世界にしていく。そう、「憐れみを持ちなさい」という教えが、ホレスト・クイーンによるイスラム教ホレスト派の教えである。
ただし、「可哀想だ」と面を向かって言われた時、怒り出すような人も居るだろう。自分はそれを好きでやっていて、受け入れてやっているのだと、そう主張する人も居る。だが、それは「受け入れなければならないから自分は受け入れるしかないのだ」という、「強がり」でしかない。強がって自らの人生の失敗と不幸を受け入れているだけであり、それに気付いた時、強がりの壁はガラスの心のように壊れる。必要なのは、「自分は不幸のままでいいのだ」と強がることではない。その人間が真に幸福を選ぶために、神はあえて、そのような人間に対しても「可哀想だ」という憐れみの念を持つのである。