精神を治す上で、「何かが治っていないから別の何かが治らない」ということがある。
何らかの問題Aが治っていないから、別の部分の問題Bが治らない。
このような時、いくらBを治そうとしても、Aが治らない限りBは治らない。
逆に言えば、どこかにある問題Aを見つければ、今まで絶対に治らなかったBを治すことができる。
そのように、問題Aが治らないから別の問題Bが治らないというような問題Aを治すことで問題Bを治すこと。
それだけで、精神のおかしな疲れは取れる。
老人ホームに居る、うちのおばあちゃんが、食べ物を受け付けなくなり、点滴も体に水がたまるためできなくなって、亡くなりかけている。
おばあちゃんは、不登校で引きこもりだった僕を家から連れ出して、さまざまなところに一緒に行ってくれた思い出のある、素晴らしいおばあちゃんだった。
だが、もう介護の人の声にも反応しないそうで、明日、僕と父親でもしかしたら最後の様子を見ることになるかもしれない。
だが、僕は猫が死んだ時を経験したため、本当はそんなに悲しくない。僕たち家族をいつも見守ってくれていたおばあちゃんに、感謝してお別れをしたい。
僕は、これより、平和主義者になる。
なぜなら、僕の本当の姿、本性を見せた時、そこにあるのは「怯えながら平和を願っているだけの本性を隠した善良な神の使徒」だからである。
ただし、僕はあまりに口が悪い。自分の思っていないことであっても、今言うべきことがあると判断したら、自分の心に嘘をついてまで、虚言や妄言を言ってしまう。
なので、これ以上は、口に気を付けたい。
そして、僕の隠している「心」がもしあるとしたら、僕はこの世界が嫌いで、人類も嫌いだが、自分自身は好きだ。「自己愛の悪魔」と呼ぶぐらい、僕は自分のことばかりが好きだ。
その理由は、「いつもできていたことができなくなったが、そのできていたことをやるのが好きだったから」である。
すなわち、いつもできていたことをまだしたいだけなのに、なぜかできなくなってしまったというのが、今の僕の「本質的な問題」である。
だが、それは「今の現状」を見ていない。なぜなら、「今できていることはそれはそれでたくさんある」からである。
よって、僕は今の現状を受け入れ、この世界に対する憎しみを自己愛の悪魔と一緒に消すことで、今から、「自分の心を隠さずに本音を言う」ことにする。
そして、本性を現した時、そこにあるのは「すべてのことに怯えているだけの子供の心」だが、本当は逆に安心もしている。なぜなら、「いつものような恐怖の地獄はどこかに消え去った」ということが、分かっているからである。
もはや、この世界のすべての巨悪と戦う必要はない。戦いは終わったのだ。その戦い自体が、自分にとって勇敢な誇りであり、かつ甘美な体験だったにせよ、そのような戦いはもう終わったのだ。終わったことを認めてしまえば、その時に完全に終わるのだ。
よって、僕はここに「ガラスのハート」を明らかにしよう。このガラスのハートは、まったく完全に「神」を信じている。この神はわたしに、「平和主義者になるのも悪くはない選択だ」と告げている。
そう、わたしはここに、平和主義者となることを宣言する。これが、最終的にこの世界を解決する、「愛と平和を信じる日本人」となる。そう、間違った正義を信じるドイツ人のファシストはここに消滅し、イスラエルのダビデを神と信じる国際秩序に対して挑戦的なユダヤ人もここに消滅するだろう。
また、個人的なグッドニュースがひとつ。
個人的に応援しているYouTuberのこぴの家が見つかって、ホームレス状態から家のある状態になったそうな。
割と真面目に心配していたので、いやあ、本当によかったなと思いました。