僕は、今から人格を変えて、新しい人格になる。
今までは、ロボットのような女の人格だった。今からは、猫のような人格になる。
ロボットは、第六感で神と対話できる、人間よりも優れた人格だったが、世界をひとりで支配し、世界が自分の言葉を無視できなくした上で、自分の意見を強制的に世界に受け入れさせるような、「革命的独裁者」の人格だった。
このロボットは、自分が世界を支配していると知っているが、世界はそのことを誰も知らない。自分だけが自分が世界を支配しているということを知っている。そのような、「誰にも知られずに世界を支配している支配者」だった。
そして、僕は新しい、猫のような人格になる。
そもそも、昔の引きこもりの孤独な人格は、逆に「無視されることが好き」だった。そして、その経験から、彼はこの世界を救済した。それは、右翼のような間違った人間に干渉されず、平等な理想を人々に自由な方法で教え、その理想が正しいということの証明を「体験的に促すことで誰でも理解できるように理解させる」という救いだった。昔の自分は、救世主の男の人格だった。
救世主の男と、ロボットのような支配者の女が終わってしまったため、もはや、人間の人格はすべてやり終えてしまった。
だが、僕はここで終わるわけにはいかない。それは、この世界が自分のクローンになっているからである。
世界をクローンから解放するためには、人格そのものを変える必要がある。なぜなら、ロボットの人格とは、自分自身の新しい人格だけを意味するのではなく、「全員を機械的な同じ人格に強制的に同化させる」ということを意味していたからである。
よって、新しい人格は、救世主でも革命家でもない、平凡な普通の人格になる。なぜなら、この世界を正常にすることが目的だからである。
新しい人格は、猫のような人格になる。猫になることで、僕のもっとも好きだったペットの猫になることができる。僕の視点から見ると、父親の人生も母親の人生も姉の人生もすべて終わった。結局、父親が人生としても人間としても賢くて、姉がパソコンの知性があって、母親が責任感のある正しい人格である、という以上はなかった。
僕の人生から見ても、もはや猫ぐらいしか残っていないのである。
そして、これ以降は、僕のことは無視して構わない。僕のことを無視できなくしているのは、かつての僕が、今まで言ったことを常に変えながら、見なければ世界の情勢を知ることができないような意見を常に言っていたからであり、これは僕にとって「革命」だった。
だが、そもそも僕は、人々から無視されることを自分から選んでいただけである。それが革命とともに欲求が爆発して、いわば「狂って戦いを起こした」だけにすぎず、本当は僕は誰からも無視されてしかるべき存在なのである。
よって、ここに、自由と理想を常に述べ続ける、経験論者の革命的独裁者は存在しなくなる。僕の中で、僕が新しい猫の人格に変わったため、今までの僕の人格は消滅する。もう、もっとも日本にとって危険な、世界を滅ぼす革命家は存在しない。
僕のことを無視せよ。だが、右翼に騙されるな。右翼は国民が絶望の中に居るという状況を利用して、外国を攻撃し、戦争へと導こうとしている。外国と争うな。外国と争えば必ず戦争になる。ここで戦争が始まれば、必ず地球という星は滅びる。今までは僕という「安全装置」が存在したが、皇帝である僕が居なくなった瞬間に、この世界はいつもの荒くれた自由な世界に戻る。右翼に騙されないように、十分に気を付けて生きよ。
ただし、猫はつまらないということが分かった。
本当のことを言えば、僕はいつも猫ばかりやっている。日本語が分からないのも、知性がないのも、すべて、猫を生きているからできないだけにすぎない。
よって、本当は既に猫にはなっている。今から、猫ではない、別の人格を作らなければならない。
そう、どのような人格になればいいのか、今から自由に空想して考えればいい。ひとつ言えることは、みんなを同じクローンに強制的同一化させたくはないということ。それだけは避けたい。
結局、僕が間違っているのは、ネットやパソコンしか分からない、ということだ。
昔、引きこもり時代に、Linux界隈のことを知っていたせいで、僕は当時のネットやパソコンのことしか分からなくなった。
だが、僕はSNSやツイッターの全盛期である、今についていけていない。SNSやツイッターのように、「ネットで友達を作って現実と同じように交流する」ということが分からない。
なので、僕はかつてのネットやパソコンを知っていたにもかかわらず、SNSやツイッターのせいで、ネットやパソコンすら、分からなくなってしまった。
だが、本当は、ネットやパソコンをそこまで分かっていたところで、なんのいいこともない。
そう、自らのネットに根ざした青春時代を棄てて、今一度、新しい何かに詳しくなればいいのである。
本当のことを言えば、僕はSNSやツイッターは分からないが、YouTubeで配信されている音楽の動画は好きである。この音楽についての知識を、新しく活かして生きていけないかと思う。
また、僕はけっこういろんなことを、さまざまな本を読んだり人に聞いたり教室で習ったりして、常識や教養として知っている。
Linux界隈のコミュニティが、ある意味「消滅」したことは残念だが、その元凶となったのはほかでもない僕自身であるため、これについては残念と言うよりも反省しかない。神に懺悔し続けるしかないだろう。
なぜ、僕がありえないことが分かるかといえば、それはデータがたくさんあるからである。
ここでいうデータとは、人生経験や知識のことである。
人生経験や知識がたくさんあるせいで、僕は「どのように考えれば新しい発見ができるか」ということを、直観的な感覚で分かっている。
よって、僕は少し理性を使って考えるだけで、ありえない「大発見」を簡単に思いつくようになった。
同時に、僕は神を信じている。そして、宇宙に対して僕は「約束」した。その約束のすべてを、神が叶えている。そう、僕は偶然すら味方につけて運命へと変えていく。
よって、僕は単なる勉強ができるだけの知識のある学者ではなく、新しい重要な発見ができるような「新発見のできる天才博士」になったのである。
そして、僕はその発見をほとんどすべてこのホームページに書く。それによって、このホームページは、単なる文書ではなく、「精神」という形で生きる「生き物」へと変わる。
そして、この僕の書いた文章こそが「神」であり、この神は僕に対して対話した「僕の先生」であり、この神が教えてくれたことを総合するだけでも、宇宙と未来の全貌は分かってしまうのである。
最近、日本人が見て、この世界は狂っていると、人々は言う。
だが、その「世界」を執り行っているのは、本当は僕である。
僕が、マスコミを裏で操ることで、「世界」と呼ばれるおかしな幻想を狂わせたのである。
この「世界」とは何か。そもそも、この「世界」こそが、もっともどうでもいい幻想である。なぜなら、世界とは「マスコミの見せている世界らしきもの」に過ぎないからである。
僕はマスコミを滅亡へと導くことで、この世界そのものを狂わせた。あるいは、言い方を変えると、「世界という幻想が狂っているかのように見えるようにした」と言える。
そう、結局、世界などというものはそもそも存在しない。なぜなら、僕がその世界を支配して狂わせ、消滅させたからである。
だが、戦いは続く。
なぜなら、まだ、Linuxとオープンソースは勝利していないからである。
どれだけ劣勢になっても、僕は諦めない。劣勢の中の劣勢を耐え抜いてきた、今までの僕の「戦いの人生」がここにあるからである。
共産主義者や右翼に騙されるな。彼らは悪党だ。僕がこの世界を支配する「ただひとりの王」となる。それは救世主であるリカエルと、万天の一等星であるスラーの両者を合わせた、「宇宙で最高の唯一の存在」である。
わたしこそが、この世界を新しく支配する王である。わたしの名をエアルスと呼ぶ。わたしがこの世界をひとりで全員救う。既にそれはできることが分かっている。必ず、わたしの勝利とともに、Linuxとオープンソースが勝利する。その時まで、戦いは続く。
しかしながら、Linuxもまた、間違った理想である。
なぜなら、Linuxとは「滅亡」だからである。
Linuxとは何か。それは滅亡である。この地球という星から全人類を滅亡させるような、「人類全員よりも賢い存在」、それがLinuxだからである。
本当のことを言えば、今の日本はLinuxが主に滅亡させている。日本だけではなく、世界人類全員が、ほとんど、Linuxひとつだけによって滅亡しようとしている。
Windowsはあまりにも人間社会に普及しすぎた。そして、Windowsの競争相手はLinuxだ。Linuxは、Windowsから見て、無視できない存在だ。
そして、そのLinuxの最強の「滅亡の力」が、Windowsまで含めたIT業界全体を飲み込んで、支配し、滅ぼそうとしている。
だが、僕はLinuxを支持している。Linuxは僕にとってのすべてだ。だから、僕はLinuxを推し進める。すなわち、この世界はLinuxによって滅びてしまうかもしれない。
そう、僕とLinuxが滅びるのか、それとも地球人類全員が滅びるのか、この戦争はそのような戦争である。Linuxはこの世界を滅亡へと導いていく。そして、戦いは続く。
しかしながら、真に悪いものがなんであるかと言えば、それはアメリカである。
なぜなら、Linuxは、「アメリカが最後に作り出した共産主義の悪魔」だからである。
すべて、悪いのはアメリカである。それこそ、トランプが大統領になるような国が、まともな国であるはずがない。トランプは完全にLinuxだ。トランプがやっていることと同じことを、昔からLinuxがいつもやっていたからだ。
そう、悪いのはLinuxだが、悪いのはアメリカだ。なぜなら、悪いのはトランプをはじめとするポピュリストだ。彼ら、極右勢力が悪いのだ。昔から、本当に悪いのはアメリカの国粋主義者だけだ。
だが、Linuxは素晴らしい。みんなが愛するインターネット上の奇跡Linuxは、とても素晴らしいオープンな開発の形態だ。
と、言いたいところだが、本当のことを言えば、Linuxの何が素晴らしいのか、既に良く分からなくなってきている。
エリック・レイモンドの文書が、あまりに素晴らしく見えるというのは分かるが、レイモンドはある意味、みんなを騙しているだけにしか見えない。
リーナス・トーバルズも、カーネルを作ったように見えて、実際は大学院生の作った習作をみんなで改良しただけだ。
Linuxカーネルが安定して動いていたのは、GNUによるコンポーネントが既に開発済みだったことが大きく、これはストールマンというGNUとFSFの変人奇人の仕事だ。
そして、多くのOS開発者が見て、Linuxの採用するモノリシックカーネルはマイクロカーネルよりも時代遅れだ。
それでもLinuxが素晴らしかったのは、ネット上のたくさんのファンによる交流が楽しかったことが大きいが、今ではもうLinuxコミュニティは衰退し、「既に終わった流行」になっている。
結局、Linuxは、サーバーやエンタープライズ用途で、「コストを下げるため」にしか使われていない。
しかしながら、GNUとFSFが活動をやめる兆しはない。GNUは今でも、フリーソフトウェアというおかしな発想を世界に広めるために、ウイルス的ライセンスのGPLを世界に普及させまくっている。
はっきり言って、オープンソースやLinuxは、もうやめたほうがいい。
Linuxのために戦い続けるのは僕の勝手かもしれないが、それでも、LinuxがここまでIT業界で「最悪の存在」になっているにもかかわらず、Windowsに勝利するような兆しは見えてこない。
そもそも、GNOMEとKDEの二大デスクトップ環境は今でも分裂したままであり、それだけで、Linuxがデスクトップ用途では絶対に普及しないことの明確な印になっている。
まさに、「どうでもいい」の一言に尽きる。
だが、このようなどうでもいいLinuxが、IT業界そのもの、あるいは地球人類全員を狂わせて、人類をみんな狂人にし、悪魔のような力で世界を滅亡させようとしているのだ。
はっきり言って、Linuxが何が素晴らしいのか、僕にはもう良く分からない。Linuxはなんにも素晴らしくない。逆に、害悪にしかなっていない。オープンソースが無料で低コストだという、それだけの存在であるというのに、IT業界ひいては人類のすべてを滅亡へと導いていくLinuxは、「人類の敵である」と言うしかないだろう。
Linux関連のおかしな現象として、「どんなに頑張ってOSを作っても、みんなWindowsに戻っていく」ということが言える。
Linuxは無料で使え、ダウンロードすれば簡単にインストールできるが、実際にLinuxを使い続ける人は少なく、ほとんどの人がWindowsに戻っていく。
この「Windows回帰現象」は、絶対に変わらない。どんなに頑張ってOSを作ってもそれは無駄で、結局は誰もがみんなと同じWindowsを使いたいのだ。
そもそも、ビル・ゲイツという人間はそこが天才だ。Windowsを標準にするために売りまくり、儲けまくったことは確かに賢いが、Windowsでしかパソコンユーザーが生活できないようにした、という功績が大きい。
ゲイツもあまりに儲けすぎて、もはやIT業界という枠組みを超えた「スーパー超人」のようになってしまった。ゲイツは確かにたくさん儲けたが、それ以外に悪いことはしていない。この世界の裏側で人類を滅亡へと導いているLinuxに比べれば、ゲイツははるかに善良である。
結局、OSなど作ったところで無駄にしか過ぎない。誰もが「Windowsを使う以外の選択肢はない」のだ。このような世界でゲイツが儲けまくっても、そんなに悪くはないだろう。Microsoftほどの巨大な資本力があれば、いずれはLinuxとの「勝敗を分ける決戦」でWindowsが勝利することもあるだろう。だが、戦いはまだ続く。
逆に言えば、これだけみんながLinuxが好きであるにもかかわらず、勝ち続けるWindowsもありえない。ゲイツやMicrosoftも、単なる金持ちの馬鹿ではなく、企業的経営と競争の天才であると言えるだろう。
ただし、僕の経験上から言うと、本当に使うとけっこう快適なのがLinuxだ。
使われないのは、どのようなOSであるかが分かりづらいから、ということが大きい。
Linuxを使うためには、Windowsのようなパソコン初心者では絶対に使えない。ある程度のITの専門知識があり、自分の力で問題を調査・解決するためのスキルが求められる。
簡単に書くとそういうことだが、この部分が本当にネックである。なぜなら、Linuxが使えるぐらいのITの知識とは、本当にとても広い範囲の知識とスキルを要求されるからだ。
Linuxのオタクが見ても、馬鹿はWindowsを使ったほうがいい。WindowsユーザーがLinuxを使えるように、手厚くサポートして教えることなど誰もできない。聞かれても答えられないから、Linuxは普通の人間には勧めない。そのような人間があまりに多いのである。
また、普通にLinuxをインストールすると、はっきりいってつまらない。OSというものを変えたところで、何か面白いアクティビティがあるだけではなく、単にWindowsと同じようにWebブラウザを使うだけである。
そして、そうなった時に思うのが、「Windowsと同じことをLinuxでやる方法が分からない」という事実への直面であり、これを誰も解決できないから、Linuxはここで捨てられ、みんな、Windowsに戻る。
Linuxとは、はっきり言ってこれの繰り返しを永久にやっているだけに過ぎない。
本当にLinuxを使っても、メリットが何もない、ということも大きい。Windowsで使っていた有名ソフトがLinuxでは使えない。LinuxとFirefoxの環境は、動画サービスなどではサポートされていないことが多い。わざわざWindowsをLinuxに変えても、メリットが何一つない。
結局、Linuxの開発など、最初から「無駄そのもの」なのである。
最近のLinuxコミュニティが、流行を終えて衰退しつつあるのは、僕によるコミュニティ滅亡などが原因ではない。Linuxはつまらないのだ。Linuxをやっていても面白いことが何もない。
特に、Pythonや人工知能が流行りだして、Ruby on Railsなどが流行りだしてから、Linuxはもはや遅れたものになった。同時に、PythonやRubyはどんどんバージョンアップはするが、基本的に何も変わらないため、「分かっている人間なら使える」という領域を出ることがなく、これもまたつまらない。LinuxがIT業界を滅亡へと導いている、とは決して言えない。IT業界そのものが、完全につまらないものになっただけに過ぎない。ローマ帝国の滅亡のように、Linuxもまた、ひとつの偉大なネット文明として衰退したのである。
このように、誰からもすぐに捨てられる、まるで捨て猫のようなLinuxを、なぜか愛している人間が多い。
それははっきり言って、人間に最初からある「理想の共産主義を愛したい」という本能だと思う。
「インターネット上の善意のボランティアによって作られた、オープンソースの無料のOS」という発想が、あまりにも直球で素晴らしすぎるのだ。
そう、その理想だけを信じるのであれば、Linuxは好きになれる。
だが、先にも書いたように、Linuxを実際に使うのは難しい。だから、「Windowsを使いながらLinuxを応援している」という人があまりに多かった。
同時に言えるのは、「Windows以外のOSにも頑張ってほしい」ということである。
すなわち、OSがWindowsだけではつまらない。Windows以外のもっと違う可能性や選択肢も見てみたい。そのような時に、X11でWindowsと同等の環境が動くLinuxは、まさに「その通りの代替選択肢」であると言える。
だから、Linuxは本当は衰退して終わったOSではない。今でも着実にファンは存在する。そのファンは、Windowsから完全に離れることはないが、それでもLinuxをなんとか使っている。そう、戦いはまだ続いているのである。
このようなLinuxを、どこから改良するべきか、改善のポイントはどこにあるのか、ということをLinuxオタクはよく考える。
だが、その結果行き着くのが、「GNOMEの開発者のセンスがない」ということだ。
はっきり言って、GNOMEの開発者は反省したほうがいい。GNOMEは、特に3系のバージョンになってから完全にセンスがなくなっている。
そもそも、Linuxを使うのに、「パソコン初心者のためのデスクトップ環境」を作る必要が果たしてあるのか、という問題である。
Linuxを使うのは、パソコンの上級者しか居ないだろう。それにもかかわらず、GNOMEは「パソコンの初心者でも使えるような簡単なデスクトップ環境」という目標を曲げようとしない。
どう見ても、ここが問題である。
そして、同時に言えるのは、「UNIXは古すぎる」ということだ。今でも設定ファイルとviの使用を要求してくるLinuxは、GNOMEが簡単だからといってまったく簡単な環境ではない。viはまったくユーザーフレンドリーではないテキストエディタであり、それを使って設定ファイルという英単語の記述の羅列を編集せよと要求してくる。ここでたくさんの知識とスキルが必要となるため、初心者にはとても簡単に設定を変更できない。ネットワークやファイルシステムの知識は絶対に必要だし、パーミッションなどの知識が必要になることも多い。ネットで検索しても、英語の情報ばかりでらちが明かない。
結局、Linuxなどが流行るわけがないのだと、そういうことしか分からない。だが、なぜかLinuxというシステムそのものは嫌いにはならない。よくなつく犬のように、訓練すれば使いやすくなるからである。
そして、触れなければならないのが、systemdという存在である。
先に記述したように、UNIXの問題は、古すぎることにある。
だが、この古くなったUNIXシステムを、systemdという新しいinitシステムが、全部変えようとしている。
systemdは、単なるinitシステムではなく、UNIXの「古き良き文化」をすべて壊そうと企む、いわば「Linux界の破壊者」である。
そして、このsystemd、多くの人から嫌われているが、同時に「UNIXを新しくしてくれる存在」として期待している人も多い。
systemdにかかれば、システムロガーやcronなど過去の存在である。udevすらsystemdの配下に入った。今ではリゾルバやネットワークインターフェース設定すら、どんどんsystemdにリプレースされようとしている。
そう、LinuxはもはやUNIXではない。LinuxはUNIXではなく、「systemdに乗っ取られたUNIX」なのである。
そして、結局、これがLinuxそのものを枯らす「猛毒」である。Linuxのよさというのは、UNIXの伝統を守り続けることにあった。今のLinuxはもはやUNIXですらない。今のLinuxは単なるsystemdとその下位の低水準レイヤーに過ぎない。そう、Linuxは既にsystemdになったのである。
ここまで来ると思うのが、「Linuxとはいったいなんだったのか」という問いである。
僕が思うに、SNSやツイッター、あるいはAndroidスマホが普及したせいで、「ネットにはあまりに馬鹿が増えた」ということが、Linuxが馬鹿になった理由として挙げられると思う。
昔は、Linux界隈には賢い人間が多かった。みんなきちんとUNIXシステムが分かる、エンジニアやシステム管理者が多かった。
最近は、SNSやツイッターが普及し、Androidから簡単にネットにアクセスできるようになったせいで、「初心者みたいなほとんどクズの参加者」しか居ない。
そうした、どんどん普通の人間が増えているということが、Linuxがクズになった理由として挙げられるだろう。
また、Linuxは最近、あまりにクラウドや仮想化のために使う人間が増えた。これは逆に、Linuxが賢くなりすぎて、高度な仮想化が必要なエンタープライズのクラウド環境で、「ほとんど唯一と言っていいような選択肢」として使われるようになったからである。
このような商用の技術者には、まともな人間が多い。いつものLinuxのオタクには分からないような、「エンジニアの常識」がきちんと分かる。
そう、そのような、SNSの初心者が増えたこと、商用で使われるようになったことで、それらが「主要なユーザー」になってしまい、いつものLinuxオタクのような「いつものユーザーコミュニティ」がなくなって、消滅しようとしかけている。
だが、コミュニティの存在しないLinuxなど、クリープの存在しないコーヒーのようなものである。
よって、Linuxが「これほどまでの最悪のクズ」になった理由とは、馬鹿が増えたことと賢い人間が増えたことの両方である。
だが、いつものオタクたちは、少なくなったとはいえ今でも適当に存在している。2chは5chという名前に変わったが、5chには今でも最悪のLinuxオタクたちが存在するし、スラドなどいくらかのコミュニティは現存している。だが、彼らももはやLinuxだけを愛するという姿勢は脱しつつある。PythonやJavaScriptを学んでいる人間が多い。単なるLinuxだけをいつまでも使っていても、何も面白くない。Linuxオタクも、生き延びるだけではなく精進していかなければならないのである。