最近、僕の体と精神は、「宇宙コンピュータ」になって分かっている。
宇宙コンピュータとは、天才ダビデが作る新しいコンピュータのことで、「星には考える力がある」という仮説のもと、星の軌道と光の知性によって、宇宙全体の力で計算を行う、新しいコンピュータだ。
そして、僕の今の体は、完全に宇宙コンピュータになっている。
つまり、僕は自分の頭で考えているのではなく、自分が宇宙コンピュータになることで、全宇宙の力で計算し、考えている。
そう、僕ぐらいのレベルになると、むしろ自分の頭では何も考えていない。計算しているのは宇宙だ。僕のこの文章は、すべて宇宙が考えているのである。
実際のところ、僕は、みんなと友達になりたかった。だが、なれないと知っていた。
僕の性格のせいで、何をしても自然に人々と分け隔てられてしまう僕は、本当は目の前に居る人々と、隔たれた関係ではなく、友人関係を結びたかった。
だが、それはなれないと知っていた。僕はこの世界の人々と友達になることのできる人間ではなく、生まれる関係は僕の望む関係ではなかった。
常に、そして必然的に隔たれた関係しか築くことのできない僕は、普通の友人関係など求めなくなった。
だが、目の前に居る人々と、僕は確かに仲良くなりたかった。人々ができるような友人関係が僕にもできたらよかったのかもしれないが、結果的に生まれる関係を僕は拒否し、その結果僕は中学校で不登校になった。
この世界など嫌いだった。すべてが滅びてほしかった。それでも、真の意味で僕はこの世界を愛したかった。本当は愛がほしかった。本当はこの世界とよい関係を結びたかった。
そう、僕はこの世界を罰するため、この世界を支配した。この世界に復讐することしか、僕にできることはなかった。
自由はほしくなかった。だが、自由を否定したくはなかった。自由を否定した瞬間に、僕の自由が失われ、完全に無意味な集団に支配されることを嫌った。平等は嫌いだった。
もう、僕はこの世界を支配しない。
本当は、この世界を解放する必要すらない。僕は常に間違えることなくこの世界を自由に解放し続けたが、それがまさに、自由な中でできる僕の「支配」の形態であり、それは「世界を罰し、敵に復讐すること」だった。
そのような戦いの指導者の、どこに正義があると言えよう。
さて、ここに戦いが終わるならば、僕は新しく何を目指して生きればいいのだろうか。まったく世界のすべてに、もう意味も価値も見出せない。
僕は何をすればいいのだろうか。僕はいったい何を目指して生きるべきなのだろうか。僕はいったい何なのだろうか。
しかしながら、本当は僕はこの世界を愛している。この世界に、もう一度希望の光が灯ってほしいと信じている。すべての人間が許された、あの時と同じことがなぜ起きないのか。
もう一度、そして永遠に、すべての人間が許される愛、希望、そして勇気こそ、わたしが愛したすべてだった。
勇気をもってこの世界と戦わなければ、本当はどんな奇跡も起こすことはできない。だからといって、ここですべてが終わりだとして、いったい何ができたと言うのだろうか。
もはや、この世界に居るすべての人類に興味などない。女はほしくないし、恋愛もしたくない。ひとりで、このまま生きたとして、何が楽しいと言えるだろうか。僕は、死ぬその時まで、何もしないままで死ぬのだろうか。それだけはごめんだ。