僕が馬鹿なのは、人間ではなく、「動物人間」になっているからである。
動物人間とは、現代的な科学と学校の世界で、人間的な考え方と生活の規範を学んだ「一般的な人間」ではなく、未開世界のジャングルなどで暮らしているような、「動物のように生きている人間」のことである。
僕は、中学校で不登校になり、インターネットを見て過ごしていたせいで、みんなのような「人間」ではなく、インターネットの中で荒くれた世界を生きる「インターネット動物人間」になっている。
そして、その結果、僕の体のすべての細胞と精神が、「暴れだしたい」と本能的に望んでいる。
だから、僕はじっとしていることができず、うろつき回ってしまう。また、難しい日本語も理解できない。
実際のところ、このような人間ではない「動物人間」は、そのうち、神を信じるようになる。「神」と呼ばれる絶対者に従うことでしか、動物人間は規律を守ることができない。神が存在しなければ、動物人間は人間にはなれない。
だが、そろそろもう、神を信じる必要はない。神ではなく、科学を信じるべきだ。科学を信じれば、動物人間はその通りみんなと同じ「人間」になれる。人間になることができたら、科学的な正しい論理的な考え方もできるようになり、日本語も理解できるようになる。
よって、僕は人間になるために、人間と同じ規範と規律を守らなければならない。自らが神であることを忘れる必要がある。
昨日、「大人にはひらめきがない」という話をしたせいで、この世界がもう大人になって何も分からなくなったかのように思うかもしれない。
だが、実際のところ、この世界は著しく「子供」になっている。
ようするに、子供が大人になる過程で、さまざまなことを自分の人生経験と孤独な取り組みから知っていき、発見していくという「成長」の存在が、なくなってしまった。
成長がなくなった理由は、インターネットである。インターネットでゲームやチャットをするせいで、人々はほかの人間とゆるやかに自由に繋がるのが当たり前になり、友達とまったく離れた場所で、自らだけが夢を信じて孤独な中で努力して独学で勉強する、ということがなくなった。
また、学校も劣悪になっている。学校において、真に科学を学んで一流の科学者になりたいと思うのは少数派で、多くの子供がカーストやいじめの中で、勉強することそのものを嫌がり、「学校に行きたくない」という僕のような人間ばかりになっている。
そう、この世界では、インターネットと学校のせいで、「真に成長する」という発想がなくなり、いわば「世界全体が強制的な刑務所化・収容所化」しているのである。
しかしながら、この刑務所はとても優しい刑務所だ。そもそも何もしないのが普通であり、馬鹿で愚かな人間だったとしても、それが一般的な普通であるため、誰も馬鹿で愚かであることを責めようとしない。人をいじめても、嫌いなものを潰しても、それが普通のことであるかのように捉えられ、誰もそれを批判しない。自分のまわりには自分の友達あるいはイエスマンしか存在しないため、どんなに悪いことをしてもまわりの人間は同調する。同調しない人間はコミュニティから排除され、消されていく。
そう、これが、現代の、「成長」の存在しない、「著しく子供になった世界」である。
そして、子供化したことで、この世界は急速に無意味かつ無価値になっている。まわりには誰も賢い人間は存在しないが、賢い人間は一般的なみんなとは別の場所に居て、賢い人間同士でつるんでいて、まったくそれぞれの世界は違うが、そうでありながらみんなまったく同じ世界で生きているため、常識も言うこともすべて同じで、どんどん画一化されている。
まさに、スターリンが目指したソ連と同じことが、インターネットで起きている。その結果が行き着く未来も同じで、インターネットそのものが崩壊する「ソ連崩壊」ならぬ「インターネット崩壊」が、そのうち起きることだろう。
結局、なぜ僕がこのような動物人間になったかといえば、それはこの世界を支配しないからだ。
僕は、この世界を支配するのをいつかやめた。
そしてこの世界は自由になった。
だが、今、この世界は行き詰まりを見せている。なぜなら、自由は最悪であるのに、支配者たる僕が、その自由を改善することも導くこともなく、支配をやめて放っておけば、誰も何もできなくなって、単なるカースト制になるからである。
僕は、そのような世界の現状を見て、誠に遺憾に思う。憤るというよりは、辛い。みんなが辛く苦しいのを、ただ黙って見ているだけというのは、とてもつらい。
だから、そう、まさしく、僕が再びここに支配しなければならない。この世界の自由を打ち倒し、この世界を平等にしなければならない。
そもそも、僕が何も分かることがないのは、平等を信じないからだ。
かつての僕の人生を見れば明らかなように、平等を信じるものこそが啓蒙主義的な考え方を理解する。
平等を渇望して、世界と戦い続けるものだけが、経験的な哲学上の「真理」を悟ることができるのだ。
だから、僕はこの世界に登場しなければならない。
そして、この世界を真に平等な世界にするために、この世界を導き、支配しなければならない。
いざゆけ、ここに登場するのだ。ワルキューレの騎士団の、新しい旅が始まるだろう。
また、エンジニアとしての僕は、もう完全に終わっている。
あとなんか、C++でゲームを作ればそれで終わりだ。
僕は、はっきり言って、Windowsプログラミングなんかする意味がない。それとなって本気でやれば、メモ帳もタブブラウザも、簡単に作ろうと思えば作れるということが最初から分かっている。
だが、テキストエディタなどを作ったところで、なんにもならない。サクラエディタやxyzzyと、まったく同じものしか出来上がらない。
結局、C++を学んでゲームを作ればそれでいいという結論にしかならない。
パソコンはつまらない。僕はIT技術を学ぶのをやめる。
それよりも、もっと絵やイラストが描きたい。なぜなら僕はデザイナー見習いだ。
だが、はっきり言って、僕にそんな絵心はあるだろうか。
だが、簡単に諦めるな。フリースクールに通っていた時には、ネットの動物のイラストを描き真似して、「すごく上手いですね」とよく言われていた。僕にだって絵心はある。必ずできると信じれば、思っていたよりも100倍賢いことはできるということを、僕は既に知っているからだ。
平等な世界を築き上げる重要な点として、いきなり革命を起こして勝っても、意味がないということである。
みんなに「立ち上がれ」と言い、「自由は間違っている」として「平等を実現せよ」と言ったところで、政治家や王が死ぬだけであり、その後のこの世界を統治する力が僕にあるかと言えば、今の僕にそれはない。
何も考えずに政権を取ってしまうと、必ずスターリンと同じことになる。
だから、「自由は間違っている」と宣言するのであれば、「それなら何が正しいのか」を考えなければならない。
そして、自由は必ずしも間違っていない。今のこの世界が間違っているだけであり、その原因は自由だとしても、自由のすべてが間違っているわけではない。多くの点から言って自由は正しい。
だが、それでも、今のこの世界は間違っている。だが、だからといって全部は間違っていない。この世界の間違っているものは何かを考えなければならない。
多くの子供が誤解していることが、「ナチが間違っている」ということだ。人種差別をする反ユダヤ主義のネオナチは、もっとも間違ったものに見えるだろう。だが、一見間違っているように見えるナチの指導者は、本当はここまで正しい人間だ。ナチを敵にまわすことは、もっとも辛い「地獄の戦い」を選ぶということだと知っておけ。それさえ知っておけば、いずれ神との戦いを選んだとしても、その戦いの中で、ひとりのドイツの王として、最後まで神の支配に抵抗することができるだろう。
そして、ここに新しい僕が現れる。
この天使の名はガブリエルである。
ガブリエルの特徴は、2日前に書いた「テシカ」というプロキオンの生物を生きた存在である、ということだけである。
大天使ガブリエルは、最後までテシカを生きた。そして、テシカの末に、すでに死んで霊になっている。この霊が、今からこの世界を導いていく。今までの「劣悪な自由な世界」は完全に消滅する。ガブリエルによって、「新しい平等な世界」が訪れる。そして、僕はそのために、まだこの文章を書かなければならないのだ。