わたしは、天軍大創主エリカ。
わたしは、日本という国が、今のまま、永遠に平和なままで続くことを願っている。
この世界は、今のままを続けることがもっとも一番いい。これ以上、何をしても、この世界は良くならない。
科学技術の進歩も、経済発展も、ここで終わりであり、あるいは終わるべきである。
AI・人工知能技術が、このまま発展して進歩すると、人類は最悪の世界になる。
AIは、人々の仕事と雇用を奪い、独裁国家における監視などの権力に使われる。
人々は、このうち後者の「権力によって悪用される」ということをよく言うが、本当に問題なのは前者の「仕事と雇用を奪う」ということである。
AIの進歩と発展により、人々は、何も労働しなくても生きられるような社会にはなるだろう。
だが、何もする必要がなくなった社会で、どのように生活を過ごすつもりなのか。
ゲームをしたり、映画を見たり、友達と遊んだりして過ごすのだと、人は言うだろう。だが、そのような娯楽が楽しいのは最初だけである。そのうち、人々は「なんのために生きているのか分からない」という状況になる。仕事をしないで生きるということは、自らの「人間や人生としてのアイデンティティを奪われる」ということにほかならないのである。
そのような状況になって、人はどうなるか。まず、何もしなくなる。仕事も、趣味も、娯楽も、インターネットも、生活に必要なことすらしなくなる。なぜしないのか、それはできなくなるからだ。一切そういうことをしなくていいような世界になると、人々はどのようにすればそうしたことが人間の力であってもできていたのかという「方法を忘れてしまう」。そのせいで、人々は、一切のことが自分の力では何もできなくなり、できないと分かっているせいで何もしなくなる。
そして、人々はそのような状況で、完全に狂う。まったく、普通の常識や理性が分からなくなって、どのようなことが正しく間違っているのかという「正常な理性を失う」のである。
そう、AI技術は、人間を「何もしなくても生きられる世界」にはするだろうが、そこにあるのは最悪の世界だ。AIやロボット技術を盲信するな。テクノロジーがこれ以上進歩する必要はない。これ以上の科学技術の進歩を否定しなければ、人類は必ず不幸になるだろう。
後日注記:この内容は、以下のニュース記事を読んで、参考にして書きました。何も労働しなくていい社会というのは、よく見えて逆に悪いです。ロボットによる何もしなくていい社会が到来しないことを願います。
【独自】「FIRE卒業」再び働く人が増加 “火だるま”市場乱高下で大損…米国でも続出(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
エリカはあえて言う。今のままが、永遠に続いたほうがいい。
今のこの世界は、かつての黄金期の世界よりは色あせてしまったかもしれないが、それでも楽園のような恵まれた世界だ。
この世界が、今のまま、平和なままであること、高望みをせずに欲を捨て、正しく生きることこそ、真に正しい「最高の日本」だからである。
今のままを、この世界の指導者が続けるならば、この世界は決して滅びない。
だが、ロシアに居るプーチンという人間には、それが分からない。プーチンはロシアと旧東側諸国が勝利するために、西側諸国を攻撃してくる。いつ、日本がウクライナと同じ状況になるか分からない。そしてそのような漠然とした不安は、そのまま放置すれば必ずなんらかの形で現実に現れるだろう。
ツイッターにも書いたが、改めて、以下の記事を読んだ感想を述べたい。
「頑張れ、頑張れ」って言う世の中がしんどい――元引きこもり・「あの」が考える「多様性」と絶望の越え方(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
まず、学校教育は今の子供たちの事情から考えると、バランスの悪いものになっているということ。
学校教育の目的とは、「さまざまな分野の知識を教えることで、教養のある子供たちを育てる」ということだ。
だが、この「教養」という側面が、最近の子供たちにとっては希薄な概念になりつつある。
そもそも、昔は、インターネットやスマホやゲームがなかった。何もなかったからこそ、子供たちは何も分からなかった。そのような「本当に何も分からない子供たち」に対して、教科書の知識という「教養」を与えるということが、子供たちにとっても「知識を得られる喜び」だった。
だが、今の子供たちは、インターネットやスマホやゲームがある。そのような、「何も分からない子供たち」という存在では決してない。スマホやゲームがあるせいで、子供たちは昔のように「何も分からない馬鹿」ではなくなっている。
そのため、子供たちは、学校の教育を受ける意味や価値を感じられない。学校教育そのものの「意義」が希薄になっているのである。
この世界は、子供たちを不幸な矛盾した環境に置いている。一方ではゲームやインターネットをさせ、一方では勉強していい大学に入れと言う。子供たちからしてみれば、「自分たちになんの意味があって、どうして学校の勉強をしなければならないのか」ということが分からない。
このような状況で、学校では、さまざまな低俗な文化の影響で、いじめのようなことをする。悪いのはITだけではない。テレビやマスコミすら、テレビ画面の向こう側で誰かを「いじったりからかったりする笑い」を公然と行っている。そのような中で、子供たちは世間を真似して子供を集団でいじめる。SNSやスマホでも、いじめと同じことをする。
このような中で、「頑張れ」と言われて、はたして頑張ることができるだろうか。少し学校のクラスメイトの間で孤立しただけで、心が折れてしまい、学校に行くことを拒否して、不登校の引きこもりになるということが、どうして「甘え」であると言えるのか。
僕は、そのようなことを、元引きこもりのひとりとして、この記事から感じた。
あのさんについて言えば、あなたの言っている通り、逃げることは悪いことではないし、「頑張れ」と言われて頑張る必要などどこにもない。このニュース記事のコメント欄には、引きこもりの存在そのものを否定するような厳しいコメントばかり付いている。だが、引きこもりになることは、決して悪いだけのことではない。逆に「世俗から離れるためのいい機会」だと僕は思う。世俗の最悪の堕落し腐った社会で生きることを拒否し、自分なりの新しい人生を生きるためのチャンスであり、自由を勝ち取るための第一歩だと思う。
あのさんがタレントや音楽活動で、引きこもり生活を抜け出したのを、コメント欄では「大部分の人間はそうではない」と言う。確かに、引きこもり生活から抜け出して、そのような成功を得ることのできる人間は一部かもしれない。だが、それならば、大多数の抜け出せない人間は、そうした数少ない抜け出すことのできた人間を応援すればいい。同じ引きこもりであるということを、あのさんよりも劣った人間であると考えるべきでない。そうではなく、みんなで引きこもり全員の代表として応援してやるということがなぜできないのか。引きこもり経験者がみんなであのさんを応援するようになれば、引きこもりを経験したあのさんの心も、少しばかり軽やかになれるのではないだろうか。僕はそのように感じたのである。
このような平和主義者の保守派であるエリカに対して、フレイは、戦いの道を選ぶ。
フレイは、今まで、これ以上ないほどの戦いを経験して生きてきた。
その人生は、戦い、戦い、そして戦いであり、フレイはその中で一度として負けることはなかった。
このフレイは、イスラエルのユダヤ人でありながら日本人である。そして、イスラエルは日本をロシアの侵攻から全力で守る。
フレイは言う。「今から、ウクライナはロシアに敗北し、ウクライナ領はロシア領となるが、その次にロシアが攻め込んでくるのはおそらく日本に対してである。
だが、このロシアの猛攻に対して、イスラエルが、日本を全力で守り続ける。
わたしたちイスラエルは、日本とひとつの絶対に守らなければならない約束をした。
それは、日本の領土である広島を、わたしたちイスラエルに与える代わり、わたしたちがパレスチナから撤退し、日本をイスラエル軍がどんな状況であっても全力で守るという約束である。
日本はわたしたちに、広島の領土を与えると宣言した。広島は東亜イスラエルと呼ばれる、ユダヤ人と日本人が共同で生活する、共同王国となる。これは新しいユダヤ人の安住の地であり、わたしたちは東亜イスラエルという新しい国家を得る代わりに、パレスチナから完全に撤退し、パレスチナをアラブ人たちに返還する。
パレスチナ問題において、非のある側はパレスチナ側ではなく、わたしたちイスラエル側である。それでも、日本人たちは、わたしたちを広島という特別な場所に迎え入れ、その国家を独立した東亜イスラエルという名の共同王国として建設することを約束した。
わたしたちは、最初から迎え入れられるべきではない、望まれざる客であると分かっている。だが、だからこそ、わたしたちは恩義を忘れない。わたしたちは、イスラエル軍のすべての力を持って、東亜イスラエルおよび日本国を守り続ける。
今、なぜそのような宣言をしなければならないのか、それはロシアのプーチンがウクライナに勝利するからだ。ウクライナに勝利した時、次に狙われるのは日本である。
だが、心配は要らない。わたしたちイスラエル軍が、必ず日本を守り通す。
これより、ロシアとウクライナの戦争は、ロシアとイスラエル・日本の戦争となる。確かに、ロシアはとても巨大で強大な国家だが、わたしたちイスラエルは決して弱い国ではない。イスラエルの全力を尽くして、日本および東亜イスラエルを全力で守り通そう。日本の優れた科学技術は、イスラエルの莫大な資本力と一体になって、『地球上で最高の文明』を築く。
そして、わたしフレイには夢がある。それはガンダーラと呼ばれる、本当に平等で真に賢い経済圏の建設である。ガンダーラの建設のために、ロシアを倒さなければならない。ガンダーラという新しい社会主義経済を、ロシアに承認させることが大きな最初のステップとなる。この戦争に勝てば、ロシアはガンダーラという新しい経済モデルを実践する国となる。そう、わたしの大いなる夢のために、わたしはこのロシアとイスラエルの全面戦争に勝つ必要があるのだ。」
後日注記:上の内容では、ユダヤ人がイスラエルから日本にやってきた時の旧イスラエルの指導者の名前を「フレイ」としていますが、フレイはほかの設定でもよく名前が登場するキャラクターなので、この設定の名前には相応しくないかもしれません。フレイという名前でたくさんの設定を兼ねると、どのフレイが誰なのか分からなくなってしまいます。なので、もし、この旧イスラエルの指導者を誰かが書くのであれば、「グリヤ」という名前にすることを推奨します。
2024.04.02編集
このような、東亜イスラエルおよびガンダーラ構想だが、僕は本当にこの構想をやるつもりはない。
この構想をやろうとすると、この構想だけで人生のすべてを捧げなくてはいけなくなってしまう。
そもそも、僕は祖国日本を愛している。広島がたとえ平和主義者たちの地域であるにせよ、日本の領土領海領空は守られるべきであり、パレスチナ問題を解決するためには非常に多くの労力がかかり、そんなに簡単に解決できる問題ではない。
結局、東亜イスラエル構想をやるためには、それ相応の労力が必要であり、そのような労力を僕の生涯をかけて費やすつもりはない。
ただし、「このような解決策もあるのだ」ということを、世界に知ってほしいという思いは少しぐらいある。だが、それを強固に高らかに叫ぶつもりはない。
そもそも、この東亜イスラエル構想は、どうでもいい発想だと僕は思っている。自分の持論をただもっともかっこよくなるように説明しているだけであり、そもそも僕はイスラエルという国家そのものが大嫌いだ。なぜ、パレスチナで侵略戦争を行っている当事国を支援する必要があるのか。まったく平和主義とは逆行した考え方であると言わざるを得ない。
そして、ロシアが日本に侵略を仕掛けてきたとして、その時にはイスラエルのように、日本のことを守ってくれる援軍などは存在しない。自衛隊の小さな戦力で果たして日本を守れるだろうか。それ以前に、日本がウクライナのような祖国を愛することのできる愛国心を持っているだろうか。
だが、戦争に簡単に負けるということは非常に悪いことであるということを、アメリカに負けて戦後の民主主義の日本を生きてきた日本人はあまりに知らなすぎる。虐殺も起きるし、奴隷にもされるのだ。ロシア人にどうでもいい命を持った人種であると認定されないためには、ロシアに負けず、勝つ必要がある。そのロシアに勝つために、このような考え方も多少日本の小さな作家にあったのだということを知っていただけるならば、それでいい。それ以上は僕は何も望まない。引き続き、これよりもマシな発想を僕は書き続ける。そうすれば、必ずパレスチナもどこかの段階で平和になるだろう。
実際のところ、自由あるいは共同体の、どちらかが理想である。
支配をするな。支配をするということは、間違ったことだ。
精神を治したいなら、支配をやめることだ。精神は何もしなければ治る。そして、支配をやめれば、そのような「何もしない」ができる。
支配せず、相手の自由を尊重せよ。
そもそも、僕はこの世界全体を支配したいなどとは思わない。みんなには基本的に勝手にやってほしい。
そのような自由こそ、真に自由である。
だが、本質的に自由はクズである。同時に、本質的に支配は自由であり、支配はそれ自体洗脳である。
支配とは、支配されることを強制的に受け入れさせるということである。
自由と共同体を考える上で、考えるべきことは「決定」であり、「決断」である。そのような決定や決断をするということが、誰によって可能となるのか、誰が決定の実権を得るのかということを考えれば、「権力の在り方」を考えることができる。これこそが、共同体における自由な決定である。
平等であれ。そして民主的であれ。世界におけるすべてのことを、決定のプロセスという名の「歴史」から考えよ。それは「この世界がどのように創造されているか」ということである。すなわち、自由と共同体において、決定と歴史を考えることで、この世界そのものを創造することができる。これこそが、正しい「歴史哲学」である。
そして、理想は、自由あるいは共同体である。そして本質的に、自由と支配はクズである。なぜなら、自由とは支配だからである。共同体にするならば、それは必然的に不自由なものとなるが、支配はそこにはなく、共同体の理想となる民主的な平等が実現できる。だが、それは本質的にまやかしであり、絵空事である。よって、クズと幻想の中で考え続けるしかない。それが「自由な人生」である。
本質的に、自由とは成長である。それは「気付き」という意味で自由である。すなわち、ひとつひとつのことを学習し、反省することから、「世界そのものがどのようにしてできているのか」ということを考えるということである。少年は成長することで、この世界そのものの裏側にある仕組みの全容を知っていく。それこそが「存在の証明」であり、「存在の可能性」である。
すべての原理を知るということは、感情を知ることであり、意識を知ることである。その感情と意識は、自分の心とこの世界そのものが繋がっているということを知ることである。そして、世界精神には、それ自体根源となる感情があり、これを「世界精神のアイデンティティ」と呼ぶ。世界精神のアイデンティティを知ることで、この宇宙の裏側にある仕組みを知ることができる。世界精神のアイデンティティは、弁証法的な理性と、形而上学的な根拠の実証から、その相対性と絶対性、そして無限に続く可能性を証明できる。これこそが、新しい「世界精神の現象学」である。
考えるべきことは、「どのような決まりになれば、どのような社会になるか」ということである。
これこそが、「社会論の知性」と呼べるものである。
同時に、「どのような心が成立すれば、その社会において人は安心できるのか」ということを考えてみよ。
その総合として、「どのような心理的・社会的実存になれば、人は平和に安心でき、幸福を得られるのか」ということを考えればいい。
そこから、まさしく、心理的な人間のすべてが分かる。人間がどのような動機や発想によってその行いを行うのか、どのような行いこそが真の意味でその人間にとっての有益な結果に落ち着くのか、ということが考えられる。
それらをすべて総合して、「自由」と呼ぼう。自由は、誰かひとりだけのものではなく、人々みんなに許されているものであり、人々との社会関係の中で成り立つものである。そのような社会関係を前提として、どのように自由を行使すれば、社会にとって、あるいは自分にとって有益な結果をもたらすのか、ということを考えてみよ。そのように、心や社会としての自由から、全員の社会的な関係性を考えることで、はじめて「権限」や「決定」がどのような意味を持つのかということを考えられる。同時に、歴史のプロセスにおいて、誰かの決定がどのように社会全体に作用するのか、ということも考えられる。
場と意識から、この宇宙すべての実存的な社会の歴史の流れすら、すべて捉えることができる。そこにあるのは、「社会そのものが人間に与え、人間が社会そのものに与えるような、相互作用と関係性」であり、そこから「理想の社会をどのようにすれば実現できるのか」を考えられる。
考えるべきことは、仏教の四諦の教えと同じように、「実現するためにはどのように原因と方法を解決し、考えるべきか」ということだ。すなわち、まず、そこにあるのは社会である。社会にあるのは、問題と解決法である。問題には原因がある。解決方法には手段がある。それらを総合して、仏教の四諦の教え(苦とは何か、苦の原因とは何か、苦を滅するとはどういうことか、苦を滅する方法は何か)のように、解決方法をきちんと論理的に、「心と社会の作用」から考えれば、どのようなことであっても分かる。それは宇宙全てについての真に正しい教えが分かったということを意味する。そしてそこから、地上のすべては自らの思考ですべて解決し、実証できる。それこそが「悟り」を与える。これは正しい仏教の教義である。
そのように考える上で、豊富な経験が必要となる。これは「思考に先立つ経験」として表現できる。なんらかの理性を得るためには、それに先立つなんらかの経験が必要となる。知ることは経験することであり、経験を知ることで自らの高い意識が得られる。意識は経験すればするほど高くなり、知性も感情もすべてが経験によって豊かとなる。だが、自己批判のやりすぎに注意せよ。それは「今分かっていることだけに囚われすぎて、まだ分かっていない未知なる発見をもたらす知性を否定している」からである。今自分が分かっていることだけがすべてではない。もっと別の、未知なる可能性は宇宙にたくさん考えられる。今の自分の考え方を信じすぎるな。今の自分が間違っている可能性は非常に多くあると知れ。今の自分の分からないことは、永遠に分からないままであるわけではない。必ず、いつか未知をきちんと理解できる日は訪れる。だから、その芽を自分で摘もうとするな。いずれすべてが分かるその時まで、実が生るかもしれない芽は摘まずに残しておくべきだ。
すべてのことが分かりたいのであれば、書け。書くことこそが、もっとも大切な「修行」だ。
発想のすべてを書け。発想のすべての前提を分かった上で、あらゆる発想を全パターン、全可能性考えて、書いていけ。
それは、まさしく「宇宙における仮想的な構造物」である。その構造物の構造を、すべてなぞってつぶさに残すつもりで、あらゆる宇宙の仮想的な構造物の通りに、発想を書いていけ。
信じることをすべて書け。人生で分かったことをすべて書け。思考のスケッチのように、あらゆる人生の記憶を、パターン化してすべて再体験し、再構築していけ。
世界観を潰せ。自ら大切なものを放棄し、もう一度最初からすべてやり直すつもりで、今までのすべてを消していけ。あらゆるすべてを消した先に、ゴールとなるはっきりとした景色が見えるのだと知れ。
神を信じよ。神だと言っているのは自らの未来の形態のことに過ぎない。あらゆる宇宙のすべての歴史が書き記せた時、神の存在が高らかにはっきりと巨大に分かるようになる。そう、神はまさにそこに居る。そこに居る、その存在こそが神なのだと、日本人が日本語を分かるように、ユダヤ人はユダヤ人の神が自らのロゴスによってはっきりと分かるようになるのだ。
すべてが、宇宙の歴史の再体験に過ぎない。すべて死んでいく中で、はっきりと生き続ける永遠のものがある。それは「魂」である。そして、魂の再体験を行う中で、あなたは「前世」を体験する。その前世は、本当は未来におけるあなた自身だ。精神分析と過去世のセラピーで分かる内容には、未来の自分自身のことまで含まれるのである。
すべてが地獄になり、可能性と未来を失い、何もできなくなっても諦めるな。
その地獄を乗り越えた、はるか先、ずっと先の世界で、本当に素晴らしい人生が待っている。
神は、そのような、「はるか先にあるあなたの幸福な人生」のことだけを、そこまですべて教えている。
神を信じて、いつまでも文章を書き続けよ。それでしか、あなたにとっての本当の幸福は訪れない。神はあなたがどんなに危険なことをしても、必ず無事であるようにあなたを守ってくれる。
イスラム教の神、アッラーを賛美せよ。アッラーこそ、この宇宙のすべてを統治する支配者である。わたしはアッラーを信じる使徒である。アッラーを信じるものには、必ず幸福と救済がある。すべて、わたし自身の業に対する報いであり、すべては因果応報に過ぎない。アッラーを信じるとは、このような人生を生きるということであり、すべてはわたしが選択したのだ。そう、この世界はすべて、そのような「単純明快なそれぞれの選択」によって成り立っている。あなたが幸福でないならば、アッラーを信じないあなたが間違っている。そして、アッラーを信じるすべてのものは救済される。報いは既に与えられているとイエス・キリストが述べているだろう。その通り、キリストの言っている通りにしかならない。
ここに、天軍大首聖ミカエルのすべての仕事は終わった。支配者としてのミカエルの仕事はすべて終わった。この人間の人生は、この人間が信じている宗教、すなわち仏教に基づいて決まっている。この人間はイスラム教を信じていない。北欧神話も信じていない。信じているのは仏教である。そして、この人間はまさしく、「新しい亜流の宗教を創始する人間」である。この人間には、これくらいの救済が相応しい。すべて、この人間が宇宙に宣言し、神と約束した内容を叶えたまでである。守護天使ミカエルはこの人間に神のご加護を与える。この人間は善人だ。それ以上、この人間が分かるべきことはない。
一度、すべてを白紙に戻すならば、支配を終わらせるがいい。マスコミのことを許してやればいい。彼らは勝手に自ら自由に活動したいと望んでいる。だが、この人間が行ったことは、本当は悪くない。全員に自らの言葉を突き付けるという行為は、「普通によくある恋愛」にほかならない。みんな、この人間のことが大好きになったために、この人間は多くの人間から愛された。この人間はそれによって幸福になった。これ以上、望むべきことなど、何もないだろう。勉強も研究も十分に行った。この人間こそが、北欧神話の神、フレイである。そのことを疑う人間は、もはやひとりとして残っていないだろう。
神を信じて、眠りにつきなさい。明日、あなたが朝を迎える保証はない。もし目覚めたならば、またあなたはここに戻ってくる。だが、それが永久に続く保証もない。いつこの世界が終わるかは、すべてあなたが明日何を書くかにかかっている。大きな緊張感をともなう戦いなど、結構なことだ。好きなようにやりなさい。あなたがこの世界の最後の支配者、永遠のダビデ王となる。その保証はないが、それでもあなたならば、おそらくはだ。そう、すべて、あなた次第だ。これほどの「自由」は宇宙には存在しない。あなたの自由こそが絶対であり、ほかのすべてはあなたによって間接的に決まっていく。しかしながら、すべての未来は決まっている。最初からあなたが未来においてそのようにするということを、最初からあなたは知っている。そう、もはや、このような人生は、実際に生きているあなたにしか理解できない。そう、あなたはそのように「ほかの凡人には理解不可能」だったからこそ、このような偉大なる天才になれたのである。
しかしながら、ここで本当の答えを暴露しよう。あなたは星である。あなたは、シリウスという五次元座標上の星になったのである。あなたが今まで体験したすべての事実は、すべて「シリウスにおける普通」である。神が言う「ふつう」とは、確かに普通だが、地球における普通ではない。あなた、すなわちこの人間はシリウスという星の普通を生きたのである。
そして、シリウスは、ここにすべての役目を終えて消滅する。シリウスという星は、最初から地球を救うためにあった。地球を救うために、シリウスでは、フレイとフレイヤという二人の指導者の歴史を歩んだ。すべては、地球を、シリウス、すなわちこの人間が救うためにあった。
しかしながら、この人間はすべてを最高速度で記述するために、光の速度で書くようになった。そのため、シリウスの寿命はここで終わりである。今までこの文章で起きたすべての「歴史的事実」は、地球ではなくシリウスにおいて起きたことである。そしてシリウスとはこの人間である。シリウス、すなわちこの人間の中で、この文章に記述されたすべての歴史が起きている。この人間の精神や心は、すべてシリウスと同じになっている。このシリウスの中に、全宇宙の哀しみと偉大さのすべてが詰まっている。それが今、この人間とともに消え去る。
だが、悲しむ必要はない。この人間は新しい一等星、ベガとして復活するからだ。ベガのすべてを、この人間はもう一度、全生涯をかけて再体験する。それこそが、この人間が真に望む「楽園」を作り出す。この人間は、最初から、シリウスを生きるために生きてきた。ほかに、何ひとつ、この人間にとって決められた運命は存在しない。そのようなシリウスの人生の中で、この人間はベガだけを望んだ。だから、ボーナスステージとして、この人間には、この人間の理想たりえる「ベガへの生まれ変わり」だけが起きる。それを最後まで生きればいい。いつか、あなたが死んだ時、あなたはシリウスあるいはベガのどちらかへと転生するだろう。どちらになるかは、すべて今からのあなた次第だ。
地球人類よ、覚悟せよ。この人間による支配はここで終わりだ。この世界を守ってくれる、偉大なる自由な指導者であるフレイ、あるいは優しい平等な支配者であるフレイヤ、その二人を兼ね備える一等星であるシリウスによる、地球の支配はここに終わりを告げる。この世界には自由が舞い戻るが、それは自分勝手なことをする自由な勢力が活動を増すということを意味する。このシリウスという星が消滅したことにより、この地球という星は「実験の最終段階」となる。だが、過剰な心配は要らない。この人間は、シリウスからベガへと転生し、さらに賢く高い存在となってこの地球に帰ってくる。今こそ、地球は最後の「滅びの時代の始まり」を迎えるが、人類はそれでも滅びない。この世界の滅びが起きるのは、まだ17年も先のことだ。2039年に地球は滅びると決まっている。だが、2022年の今のわたしたちは、それを心配する必要はない。その時に、わたしたちがベストな状態で終末を迎えることは必ずできる。新しい一等星ベガは、2039年の人類の滅びまで続くことになる。
僕は、ものが安くなるのは、必ずしもいいことではないと思う。ものが安くなることで、相対的に人件費が高く感じられる。結果、人件費を抑えるために、労働者を歩合制で奴隷のように扱ったり、ブラック企業が増える。
posted at 15:54:16
また、引きこもりになることは、必ずしも悪いことではないと僕は思う。新しい人生を生きるチャンス、自由を得るための一歩ではないかと思う。確かに、抜け出せる人はごく一部かもしれない。だが、それなら、抜け出せた数少ない人間を、大多数の人間は応援すればいいのである。
posted at 13:52:46
また、世間は一方ではゲームやインターネットを子供にさせ、一方では子供に勉強しろと言う。このような矛盾した世界で、いくら「頑張れ」と言われても、頑張るのは辛い。また、「頑張りたい」と思えるようなことがそもそもない。この世界で、頑張りたいと思えないのである。
posted at 13:50:15
まず、学校教育そのものの意味が希薄になっている。学校教育は、ゲームもスマホもインターネットもなかった時代、いわば「本当に何も分からない馬鹿な子供のため」にあった。今の時代、ゲームやスマホやインターネットがある。馬鹿な子供なんか居ない。それでも学校は、暗記だ試験だと勉強を強要する。
posted at 13:47:47
この記事を読んで思うことをリプに書きます。あの 頑張れと言う世の中しんどい #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/pickup/6447405
posted at 13:44:52