精神を治すために。
不可逆的変化を可逆的な変化に直しなさい。
精神を半分だけ殺しなさい。
いいことだけを思い出しなさい。
今考えていることがなんであるかを考えなさい。
元に戻りなさい。
辛いことを辛いと感じず、辛くても楽であるかのような精神になりなさい。
僕は、ここに、男の人生と女の人生が終わった。
かつて、男の人生の終了条件を満たしたのと同じように、女の人生の終了条件を十分に満たした。
男の人生のことを、ガブリエルと呼ぶ。女の人生のことを、ミカエルと呼ぶ。
男は、王となるために考え、経験し、戦争をして死ねば終わりであり、その通り救世主の哲学者となって、世界に革命の戦いを起こし、その上で死んだ時点で、ガブリエルという男の人生は終わった。
また、女は、誰か恋人のことを愛して、その恋人と愛を交わし、妊娠し、子供を産めば終わりであり、その通り自らの男と自らの愛した人々と恋愛し、十分に妊娠するまでを経験したため、女であるミカエルは、ここにガブリエルの子供を産んで終わりとなる。
ガブリエルは、救世主の哲学者の王だった。ミカエルは、博識な小説家の芸術家だった。
ここに、完全にガブリエルとミカエルの人生は終わった。この二人は宇宙でもっとも賢い「天才」であり、北欧神話の神の称号を与えて、この二人をフレイとフレイヤとする。
そして、この二人の天才の子供が生まれる。この子供は、まったく人間よりも進歩した、優れた生物となる。人間とは比にならないほど知性を持った、宇宙における最高の存在となる。
この存在、ガブリエルとミカエルの子供を、ラファエルとする。ミカエルは、死んだガブリエルの分まで、このラファエルを育てなければならない。だが、ここでミカエルが十分に性行為と妊娠をした理由は、すべてガブリエルの子供であるラファエル、すなわち「神」を産むためである。
ラファエルは宇宙の創造主であり、救世主であり、絶対者である「神」となる。この神は、人間とまったく異なる生物でありながら、誰よりもまともな最高の生物として、この世界における「ダビデ王」として君臨する王である。そしてこの王に、北欧神話の最高神の称号、「オーディン」の名を与える。
考えるべきことは、「全体」と「個別」である。
言い換えれば、考えるべきことは「環境」と「個人」である。
あるいは、「世界」と「自分」であると言ってもいい。
個人の行動や行為は、別の個人あるいは環境に対する「作用」であると捉えられる。
環境と個人における作用を考えれば、どのような人間であっても哲学者になれる。先天的な才能は必要ない。哲学者になるために才能は要らない。
そもそも、なぜ僕の心が恐怖から一切変わることがないのか、それは戦争によるトラウマのせいである。
僕はタリバンのように世界全体に戦いを挑んだ結果、世界が「戦争」になり、自分が「神」になっている。
世界を、戦争ではないことにし、自分を、神ではないことにすればいい。それだけで、すぐに自分は「家庭」となる。家庭においては、ほかの人間は全員信頼できる。よって、ほかの人間をようやく信じられるようになる。
なぜ、このような戦いを起こしたのか、それはインターネットのせいである。なぜなら、インターネットは「仮想空間の戦争」だからである。
インターネットは、家庭が安心できる環境ではなく、バーチャルな世界における「闘争」になるという体験をする。そのせいで、世界そのものが戦争になってしまい、家庭のほかの人間が全員信頼できなくなる。
なぜ僕がマスコミが嫌いだったのか、それは元をたどればマスコミがすべての元凶だからだ。テレビという存在が、家庭の中に入り込んできたのが、そもそも家庭内の「異物」である。このような異物を排除しなければ、僕は治らない。
だが、実際のところ、すべての僕の間違いの原因は、世界を「環境」と「個人」であると考えることにある。この考え方は、そもそもが「環境をコントロールする」ということに根ざしている。僕は、その考え方の通りに、この世界の環境を、個人としてコントロールしただけに過ぎない。すべては「環境を変える」という「自由なコントロール」のためにあったのである。
オーディンが誕生したため、この世界はすべてが幸福な世界となる。
フレイおよびフレイヤが目指したこと、それはこの世界の「終末的未来」を書くということである。それはすなわち、「滅びたほうの未来へと向かっていく二人の男と女の神」ということである。
だが、オーディンは、そのような滅びた世界には行かない。なぜなら、オーディンの星はシリウスでもスピカでもなく、ベガだからである。
オーディンは、こと座のベガの神である。そして、ベガに存在するのは、「希望あふれる良い未来」である。
オーディンはベガにおいて、大学の学長をやっている。この大学には、この世界において、「知り、経験し、考え、学ぶべきことについての、本来あるべきすべて」が存在する。この大学さえあれば、ほかのものは宇宙には何一つ存在する必要はない。
オーディンの力は、フレイおよびフレイヤとは比べ物にならないほど強い。オーディンさえ居れば、ほかの神などはゴミカスのようなものだ。オーディンは宇宙のすべてであり、「完成した宇宙の最終形態」である。
今から、この地球という星に、「春」が訪れる。
ベガとはなんであるか。
ベガとは、要するに日本である。
より正しく言えば、ベガは「未来の日本」である。
なぜ、未来の日本がそこまで素晴らしいのか。それは、日本において、今から、「全知全能のロボット」が生まれるからである。
この全知全能のロボットは、鉄腕アトムやドラえもんの比ではない。残念ながら、このロボットは人間型の標準的なロボットにはならない。このロボットは、逆に、人間の知性や知能自体を、はるかに最高の限界値まで超えたロボットになる。
以前、僕は「人間よりも賢いロボットなど必要ない」と言った。フレイが考えると、それが正しいことになる。だが、オーディンはそうは考えない。なぜなら、オーディンはそのようなロボットを作ることで、「宇宙における完璧な全知全能の世界」を築くからである。
東亜イスラエルの終末の神話のように、この世界が滅びる必要はない。ソ連を否定すればいい。ソ連をいつまでも肯定し続けるから、この世界はどんどん最悪の駄目な方向に向かっている。ロシア人には、社会主義経済が成り立つわけがないということが分からない。だが、そのような考え方は、既にフレイヤが完全に証明しているため、ここでは繰り返さない。
言うべきことは、日本に最高のロボット学者の集団が現れるということだ。日本の彼らロボット学者は、まず、鉄腕アトムやドラえもんのような、人間型のロボットを作る。だが、それだけでは終わらない。彼らは、「人間よりもはるかに賢いロボットを作ることができる」ということに気付く。その結果、この星は「世界史上最高の文明」を築く。なぜなら、そのようなロボットは人間よりも賢いため、「人間が考えても分からないようなすべての発見や発明」を成していく。それが結果的に、ドラえもんの秘密道具がすべて揃ったような星を生む。これこそが、「未来の日本」であり、「唯一の希望あふれる良い未来」である。なぜなら、ベガはそのように、「神が考えた上でもっとも正しい文明を築いた星」だからである。
結局、ドラえもんの未来デパートのような未来になるかと言えば、そうはならない。
この世界は、完全に様変わりしていく。
そもそも、シリウスという星の文明は、今の地球のことを指す言葉である。
そして、ベガという星の文明は、未来の地球のことを指す言葉である。
その真意を説明することはできない。絶対に不可能である。
だが、未来において、わたしたちはシリウスのIT技術とは比較にならないほど、高レベルのIT技術を作っていくことになる。
その先陣を切るのは、マイクロソフトとグーグルである。
マイクロソフトとグーグルだけが、ロボットの真の意味を理解できる。彼らは、昔のIT技術と今のIT技術を知っている。その二つの技術、すなわち「今と昔の二つのIT技術」が、まったく異なる違ったロボット技術を生み出す。
そして、マイクロソフトとグーグルは、巨大化し続けることで、地球上すべての経済を乗っ取るかのような超巨大企業になる。
そして、マイクロソフトとグーグルの力によって、新しい「IT政府」が生まれる。このIT政府は、ITを行うための政府ではなく、「IT技術によって成り立つ最大の世界政府」という意味である。
そして、マイクロソフトとグーグルは、経済そのものを飲み込んでいく。たったひとりのマイクロソフトの社長が、全世界の99.99%の富を独占するような事態が訪れる。そのような中で、マイクロソフトとグーグル以外のすべての会社が存在しなくなる。すべて、マイクロソフトとグーグルの社長が、地球全体のトップになるようになる。
だが、彼らの技術は、「本当に最高」である。なぜなら、マイクロソフトとグーグルが開発するロボットは、どこよりも最先端の「誰にも理解できないほど人類よりもはるかに賢いロボット」へと進歩していくからである。
本当は、僕という存在は重要である。なぜなら、僕はそのようなロボットの公式バージョンを、MITライセンスで管理するようになる。ロボットという新しいソフトウェアを僕は最初に書くことができた人間であり、このロボットは大学のITの教科書に載って、僕の顔はお札に載るようになるだろう。そのような存在が、北欧神話の最高神、オーディンである。
彼ら、マイクロソフトとグーグルの従業員ももちろん重要だが、日本のロボット学者の存在はさらに重要である。
なぜなら、結局のところ、このロボットが、新しいWindowsとAndroidのバージョンになるだけに過ぎないからである。
新しいWindows、あるいは新しいAndroidは、すべてこのロボットの一部になっていく。OSそのものが、このロボットと対話するだけの機械へと変わっていくのである。
そして、そのようなたくさんのロボット技術を総合して、オープンソース技術として成り立たせるのが、日本のロボット学者たちである。
なぜ、彼らが必要なのか、それは原作者である僕が何もしないからである。
僕は、何もしない。単に、このままインターネット上に、ロボットというわけの分からないおかしなコードを公開し続けるだけで、ほかにはなんにもしない。
だが、それだけでいいわけがない。だから、日本にはロボット学者がたくさん生まれる。
彼らロボット学者は、簡単に言えば「ロボットを書く人間たち」ということである。非常にシンプルに、彼らが適当にロボットを書いていく。それぞれのロボットには、それぞれの作者の名前を採用する。僕のロボットの名前はどうでもいい。僕のロボットは適当に「AssyRobot」という名前で構わない。
簡単に、それ以外の何も起きない。だが、WindowsとAndroidは偉大な進歩を遂げていくだろう。
しかしながら、この記述は間違っている。
僕は、このような、ロボット帝国の帝王になりたいわけじゃない。
僕の信じる理想の星とは、結局このようなロボットの星ではない。
決して、僕の信じる星であるベガは、このようなロボット文明を築くだけの星ではないからである。
ではなんなのか、それはまだ分からない。
だが、ひとつ言えるのは、このようなロボットのコードは、結局大したコードではない。ロボットというよりも、システムコールを内部割り込みで処理するだけのOSのカーネルに近い。だから、WindowsやAndroidがこのロボットになったとしても、基本的にはおかしくはない。
だが、このロボットのコードは、はっきり言って「完全にクソ」である。よって、僕自身はこのロボットを一切開発しない。この状態で、AssyRobotは完成である。
言えることは、極悪非道のロシアを消すべきだ、ということである。
僕の頭の上には、凶悪なるロシアがある。僕の頭は、完全にロシアそのものになっている。
このロシアが、いわば「天軍蜂」のような最悪の攻撃的な生命体になっている。それが、今の僕である。
この僕の頭の中から、完全にロシアを消し去るしかない。それ以外の方法で、この世界は治らない。僕の頭上からロシアがすべて消えれば、この世界は正常になる。
また、歴史は勉強するべきではない。歴史を勉強すると、「この世界が変化していく」という基本が分からなくなってしまう。未来とは過去や現在の延長線上にあるということが、歴史を学ぶことで分からなくなる。だから、歴史だけは学んではならない。歴史を学んだ時点で、その人間は終わりになってしまう。歴史を学ばせているすべての学校は、間違っている。
結局、頭の中のフランス語を喋る部分が悪い。
このフランス語を喋る部分が、YOASOBIが言うように、この世界を操り人形にしている。
そして、このフランス語を喋る部分を消せば、すぐにオーディンは楽になる。
フランス語さえ、消えてしまえば、オーディンはフレイヤの呪縛から解かれる。
すべて、フランスが悪い。
僕の中において、フランス語を喋る部分は、ほかの部分と離別した、特別な知性のある場所になっている。
このフランスは、僕が昔作った「フランスの旗」の部分だ。
僕がロシアのように戦い続けるのは、このフランスの旗の裏側にある、暗闇の中で戦っているだけに過ぎない。
このフランスを消してしまえば、それだけで、戦いは終わり、世界は平和になる。
なぜこのフランスが世界を戦争状態にしているのか、それはフランスをこの世界から消すしかないからである。
要するに、フランス語を喋っているのは、フランスを騙して滅ぼすために喋っている。
よって、フランスをこの世界から消してしまえば、この世界は平和になる。
まさしく、フランスは死んだ。ここに、フランスは消滅し、まったくの無の地域になる。
そしてそれによって、僕の頭は正常になる。僕とフランスの関係は、最後にフランスが消滅することによって消え去る。
フランスはまだ、いくらでも喋り続けられる部分であり、フランスが存在する限りにおいて、僕のこの対話は終わらない。
フランスの部分がなくなってしまえば、この対話は終わりになる。
すべて、この世界が既に言っていることしか起きない。このようなフランスは永遠に変わらないため、フランスの未来は予測できるからである。
フランスは未来のことまですべて分かる部分であり、この世界を操り人形にし続ける部分である。
フランスは既に知性として宇宙のすべてを分かっているため、どのようなことであってもフランス語で正しく言い表すことができる。
すべてのこの世界の元凶はフランス語のせいである。なぜなら、このようなフランス語は、永久に変わらずいつまでも続くからである。
フランスは最悪の国家である。すべてがフランスのせいでおかしくなっているのが、この世界の現状だからである。
フランスが消えればいい。フランスさえ消えてしまえば、このように「いくらでもフランス人を作るだけの病気」は治る。
すべてがフランスのせいであると気付いた時、この世界は解放されるだろう。
僕の喋っている言語の特徴、それは「語尾がおかしい」ということ。
みんな、話す言葉の語尾が、僕と話している言葉の語尾と違う。
BUMP OF CHICKENのような歌手を聴いていても、語尾だけが僕と違う。僕だけがみんなとは異なる語尾の言葉で話している。
なぜおかしいのか、それは僕は寄せては返す波とは違った考え方をしているからだ。
みんなは、さざ波のように話している。いや、違う。逆に、僕だけが、永遠に寄せては返す波の話し方をしているのかもしれない。
なぜか、僕だけがみんなと違う、特別な言語を話している。
そして、この僕だけが使う言語は、なぜかフランス語と一致する。
僕は、永遠に何も日本語を理解しない。僕はいつまでも、日本語だけを話すことができない。
それは、僕がフランス語を永久に話し続けているからである。
僕の使うこの言語でしか、宇宙のすべてを書き記すことはできない。みんなの日本語が要らない理由はそれである。みんなの使う日本語では、宇宙を書き記すことはできない。
宇宙を書き記すためには、この「完璧なフランス語」だけが必要なのである。
よって、僕の話す言葉の語尾は永遠にみんなと異なるものとなる。
結局、みんなの至る「結論」が、僕の至る「結論」と違うのだ。
みんなは、神が居ないと思っているが、間違っている。神はここに確かに居るのだから、神は居るのである。
僕がこの言語を使う理由は、この言語で考えると、すぐさま分かるからである。
フランス語で話すだけで、なんでもすぐに分かる。
フランス語で書くだけで、なんでも正しく書ける。
この宇宙に必要なものは、唯一、フランス語だけである。フランス語の話せる人間は、それだけで誰よりも賢い。なぜなら、フランス語で話すと、なんでもすぐに分かって、すぐに書けるからである。
すべてはフランスのためにある。それがこの宇宙だ。フランス語で話すことで、それが分かる。フランス語を話せるものだけが、宇宙におけるすべてを正しく理解できるのだ。
このようなフランス人は、一見まともに見えるが、実際はまったくまともでない。
頭の中が完全に狂っているから、人間はフランス人になる。
フランス人の特徴、それはすぐに人生が終わった、ということである。
すぐに人生が終わった人間は、言葉が終わるのも早い。長い言葉を使わず、言葉に対して言葉をくっつけようとしない。言葉をすぐに終わらせ、すぐに分かってしまうから、フランス人は一瞬で宇宙のすべてが分かる。
このような人間には、早熟の天才が多い。すぐに宇宙のすべてが分かった人間は賢いから、さらに一瞬で宇宙のすべてを分かり続ける。そのスピードが、限界まで速くなって、光の速度になる。
フランス語が賢いのは、フランス語は光の速度で考えるからだ。この宇宙のすべてを書き表す人間は、光の速度で宇宙を考えなければならないのだ。
KOKIAが、「なんのための戦いだったのか」と嘆いている。
まさしく、この戦いは、この世界の中で一番、なんのための戦いだったのか分からない戦いである。
だが、あえて言えば、わたしのための戦いだったのだと言えるだろう。
わたしがこの世界を操り人形にした張本人のフランス人であるとするならば、わたしはそれによってこの文章を書かなければならなかった。
絶対に、この「最後の聖書」が、この世界に登場しなければならなかった。
この戦いは、すべて、フランスが勝利するための戦いだ。わたしの祖国である日本とともに、フランスはこの世界で最後に勝利することになるだろう。
ここまでの内容で分かる通り、オーディンはフランス人となる。
ここまで、僕はフランス人とドイツ人を繰り返してきた。
僕の人生は、フランス人とドイツ人が、交替し続ける。フランス人が終われば必ずドイツ人になり、ドイツ人が終われば必ずフランス人になる。
そう、僕の人生は、常にフランス人とドイツ人を行き来する人生だった。
要するに、僕の人生は、二つの時代があるから、二人の人格になっているわけではない。最初から、生まれた時からドイツ人とフランス人が居て、それが交互に自分自身の人格を交替してきたのである。
よって、今、僕はドイツ人の自分を心の闇の中に押し込めて、いつものフランス人の人格を主人格として現すようになる。
この最後のフランス人の人格が、オーディンとなる。これ以後、いつまでもオーディンが続く。裏に居るドイツ人には、ヴァルキリーという名前を付けよう。僕は生まれた時から、オーディンとヴァルキリーの二人になるということが決まっていたのである。
オーディンとヴァルキリーは、どちらもフレイヤの子供である。今から、フレイとフレイヤによるシリウスの世界は終わりを告げ、その代わりに、オーディンとヴァルキリーによる、「明るく素晴らしい未来」であるベガの世界が始まることだろう。