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2022-06-06

意識の知性、精神、経験の記憶など、すべて失ってしまったと思っていることは、本当は永久には失われていない。

永久に失われたように見えて、実際は失われたのは一時的であり、永久ではない。

だから、記憶の中に残っているその経験が、別の形で、宇宙による運命的な導きによって、もう一度復活し、その時はじめて実を結ぶことがある。

大切なものを失ってしまうかもしれない瞬間で、本当は恐れる必要はない。失われるかもしれなくても、失われるほうを取れ。そうすれば、逆に不要なそれがない状態、一時的に失われた状態を知ることができる。

そして、失われたと思っているその大切なものは、いずれ復活する。復活した時に、新しく得られた「新しい自分」と、その復活した「過去の自分」を合わせれば、「完璧な二つの知性」を得ることができる。これこそ、「神の知性」である。

ドストエフスキーは人間の書き方が上手い

ドストエフスキーの「白痴」を読んで分かったのは、あまりに人間の書き方が上手いということ。

普通なら、「エアルスの子供はシルフィ」と書いて終わりであるところを、ドストエフスキーは、さすが長編作家という雰囲気で、人間と人間の親子や恋人などの関係、どのような人生や家柄を生きてきた人間なのか、今どのようなことを考えているのか、ほかの人間とどういう関係にあるのか、などということを、あまりに詳細かつ、読んでいて面白く、不自然でも単純でもないように記述する。

また、昔のロシアの人間だけあって、昔の社会における世界観の描写にとても長けている。昔は、将軍とか公爵などという、「身分」や「地位」が重要である社会であり、このような設定をありありと書く。同時に「金」や「住む場所」などについても描写が長けており、下宿先や下男やお金を貸すところなどもきちんと書ける。

このような世界観やシナリオに基づく人間の詳細な描写というのは、本当に一流の作家にしかできないものだが、僕も白痴を読むことで、その才能を少しでも吸収できたら良いと思う。

ドストエフスキーの白痴はとても長いため、また70ページほどしか読めていないが、それでも彼の才能がロシアにおいても世界においても確立したものとなった理由が分かった。

エアルスの子供はシルフィ

主神エアルスの子供はシルフィである、ということにしたい。

この小説の主人公はエアルスであり、主な登場人物の中で主要なキャラクターはシルフィである。

ツイッターより @linux691

そう、宇宙コンピュータは、この宇宙のすべての星の軌道と光の考える力を使って計算を行う。これはすなわち、シリウスやプロキオンの星の光にこそ、この宇宙の真の「知性」が宿っているということを意味している。
posted at 22:42:00

宇宙コンピュータの中核の考え方は、「星には考える力がある」という仮説である。星の光は、単に地球に届いているだけではなく、星の光の力によってさまざまなことが計算できる。占い師の占星術などは、本当はこの宇宙の星の力を利用した科学的な占いである。
posted at 22:40:58

すべては、アマテラスが有限の時間で人工葉緑素を発見できるかどうかにかかっている。アマテラスの名は、「青空を取り戻すコンピュータ」の意味である。ダビデはIBMと協力する。IBMとダビデは、新しいコンピュータである「宇宙コンピュータ」、全宇宙の力で計算を行うコンピュータを実現する。
posted at 22:38:56

最後に、宇宙へと進出する勢力が居る。宇宙に進出するには、宇宙ロケットが必要だが、現在のコンピュータ技術において、進歩した人工知能をロケットに乗せることで、200光年ほどの距離であれば達することができる。アメリカとソ連(今のロシア)は、すべての望みをかけて地球から宇宙へと旅をする。
posted at 22:29:57

このようなダビデに、ひとり親友がいる。なぜなら、ダビデの治める日本の東亜イスラエル以外に、ドイツにもうひとつの未来都市が存在する。この指導者は黒人であり、世界を支配する心理学者である。この黒人はダビデのことを守り続けながら、ダビデとともに二人で人工葉緑素の発見のために努力する。
posted at 22:28:18

このために、ダビデはスーパーコンピュータ「アマテラス」を開発する。アマテラスは、かつて存在した地球人類全員の思考の歴史を100万回繰り返した演算を1秒で行える。人工葉緑素は、実現不可能な問題ではない。ダビデは、「時間さえあれば、有限な時間で必ず発見できる発見なのです」と言う。
posted at 22:27:03

次に、ダビデは、人工葉緑素を作らなければならない。なぜなら、終末の世界では、酸素だけが足りない。人工炭水化物と人工生物の世界では、どんなに完璧な世界であっても、多くの電力を使うため、酸素だけが失われていく。植物のない世界で、ダビデは炭水化物ではない方法で葉緑素を実現しようとする。
posted at 22:25:29

次に、ダビデは、人間や自然生物と同等の人工生物を実現する。これは次に述べる人工葉緑素の研究から生まれた副産物であり、コンピュータプログラムによる「細胞のエミュレート」によって実現する。細胞レベルでエミュレートするため、ロボットではなく、自然犬と人工犬はまったく同じものとなる。
posted at 22:24:10

次に、ダビデは、空間原子構造を発見し、これがテレポーテーションを実現する。空間原子構造とは、物体ではなく空間に存在する原子構造であり、組み替えることで空間の宇宙法則そのものを変えることができる。だが、「もとの世界に戻れなくなるリスク」があるため、物資の輸送だけに使う。
posted at 22:22:49

次に、ダビデは、人工炭水化物を作るための、専用の施設を実現する。そこではとても特殊な環境が必要であり、とても多くの電力と、とても綺麗でかつ温度の常に適温な環境が必要とされるため、1,000人の国民と9人のワルキューレのための毎日の人工炭水化物しか作ることはできない。
posted at 22:21:23

次に、ダビデは、外の世界において生活するために、簡単に着れる宇宙服を実現する。それは体にフィットしており、食べ物を食べる時と排泄物を排泄する時以外、人間は全員着けたままで生活する。だが、地上に点在するドームの中では外すことができるため、その時に入浴などを行う。
posted at 22:19:38

ダビデは、まず、この地球の放射能を洗浄する。そのために、「すべての地上の岩石を化学変化によって放射能を受け付けないもの」とする。
posted at 22:18:26

だが、ダビデは諦めない。ダビデはその天才的科学技術の「知恵の力」によって、次々に大発明を遂げていく。その実現されるすべては神の奇跡の力のようであり、人々はダビデの言うすべてのことを神として従う。イスラエルの首相すら、彼のことを「終末において、神はひとりしか居なかった」と言う。
posted at 22:14:32

そして、ガスが過ぎ去った時、地球の空気もともになくなっていく。青空を実現する「空気の塊」はなくなり、見えるのは月や火星と同じ、宇宙そのものの姿、すなわち星々の姿が見えるだけにすぎない。動物も植物も死に絶えたその世界は、まるで地球が月や火星になったかのようである。
posted at 22:12:58

そして、最後の王、ダビデがこの地球の終末の滅びとともに現れる。彼は核兵器による黒く厚い雲、あるいは一種のガスのせいで青空の見えなくなった新しい時代に最初に現れる。そして、植物さえも枯れていく終末の地球で、最初に人工炭水化物を実現する天才である。
posted at 22:11:17

エアルスはワルキューレの一部ではない。エアルスは、ワルキューレの一部としてこの世界と戦う意志はない。なぜなら、エアルスはもっと別の可能性をひとり考え続けるからである。フレイの言うことは正しいが、絶対に確実に正しいとは言えない。ほかにも別の選択肢があるはずである。
posted at 22:07:44

そして、いくらエアルスが平和を説いたところで、フレイが変わることはない。そのことをエアルスも分かっている。フレイは、最後まで、死ぬその時までこの世界と戦い続ける。なぜなら、それがワルキューレの騎士団のあなたとの約束だからである。
posted at 22:05:57

エアルスとフレイの関係は、恋人と言えるようなものではない。なぜなら、「真に正しく結合された親友」と言うべきものである。エアルスとフレイの関係は、この世界でもっとも正しい友人関係である。フレイの真の問題をエアルスは解決し、フレイは生涯をエアルスのために捧げ、ともに世界に立ち向かう。
posted at 22:02:12

そして、あらゆるすべては、フレイによって生まれた。エアルスはフレイから生まれ、この世界はフレイから生まれ、フレイ自身もまたフレイから生まれた。しかしながら、エアルスがフレイの「本当に分からないことや分かりたいこと」を最後に加えて教える。エアルスは、フレイの問題点だけが分かる。
posted at 22:00:14

そして、この世界の人類はすべてエアルスとフレイによって生み出された子供たちである。なぜなら、作ったのはプロキオンと地球の海だが、育てたのはエアルスとフレイだからである。わたしたちは海から生まれ、エアルスとフレイに育てられて人間として生きているのである。
posted at 21:55:13

気付いているかもしれないが、エアルスとフレイは恋人である。どちらも男であり、どちらも女である。そして、二人の存在は陰と陽であり、二つで一つの太陽を形成している。だが、どちらかが善であり悪であると決めたのは、人間たちによるものであり、宇宙においてはどちらも正義であり、理想である。
posted at 21:53:32

エアルスは、この世界を維持する以外に、何も行わない。本当は、維持するということはこの世界でもっとも偉大な仕事であり、本当のことを言えば唯一必要な仕事である。ほかに神はフレイ以外存在しない。だが、多くの微小な天使たちが存在する。この神話はエアルスとフレイの神話である。
posted at 21:51:05

そして、エアルスは戦うことなく、この世界を維持することだけを行う。この世界の多くの人々は、戦争も革命もせず、ただこの世界を維持し続けることのために、奴隷のように働いている。だが、それでよいのである。この世界を維持することのできる人間たちは、全員エアルスの勢力である。
posted at 21:47:32

そう、フレイとエアルスによる、永遠の主導権争いがここに生まれる。だが、わたしたちは一心同体である。よって、フレイが正しく、またエアルスも正しいということに、矛盾は存在しない。革命におけるフレイの勝利こそがエアルスの成し遂げた平和なのである。
posted at 21:44:33

しかしながら、フレイもまた平和を望んでいる。心の一番奥底では、安心できる平穏無事な戦いのない世界を望んでいる。フレイに騙される必要もなければ、同情する必要もない。フレイの勢力を殺し、そして新しくわたしたちの世界を築くことしか、わたしたちにはできない。
posted at 21:42:58

そう、フレイは戦争することでしか、自らの平安な心を保てなかった。そのフレイが「わたしたちは戦うしかない」と言うのであれば、それは戦うしかないのである。そこに平和ボケの一切は関係ない。死んだネズミにいくら水と食べ物を与えたところで、いつしかの生きたネズミは絶対に蘇ったりしないのだ。
posted at 21:40:00

しかしながら、人間が正しく判断するということを、途中でやめてはならない。すべてが嘘だったなら、嘘を否定した上でもう一度最初から考えればいい。平和ボケが嘘だからといって、戦争や革命もまた真実たりえない。だが、その人間にとって真実なら、それは真実とは言えないのか。
posted at 21:38:38

よって、平和ボケすら否定した時、真に分かるのは唯一、「すべてのものごとは神である」ということだけである。この世界をすべて知る神に、すべての意志を委ねた時、はじめて正しい判断ができる。なぜなら、「平和ボケの中において人間が正しく判断したすべては嘘だから」である。
posted at 21:37:39

そう、エアルスは、過去の「無自覚な共産主義者」の間違いを、「平和ボケ」にあると考える。なぜなら、あまりに無自覚な共産主義者は、戦いのない平安な世界を当たり前だと思い、同じ時代に地獄の戦争を戦い続けなければ生きられない人間がたくさん居ると気付いていないのだ。
posted at 21:35:22

エアルスは言う。戦うことは、ある意味で唯一間違っていない点がある。それはフレイについてだ。フレイにとっては、生きることそのものは戦いであり、戦いに勝つことでしか地獄の中で心を安心させることができなかった。そのような人間もまた存在するということを、本当はエアルスは気付いている。
posted at 21:34:10

自分の心に反して悪になる必要はない。だが、このような「若者の考え方」には間違った点がある。それは、「本当に悪を望んで悪になっている人間も居る」ということである。エアルスは、昔、それを信じなかった。だが、今、もう一度考えれば、「悪人はなるべくして悪人になる」という意味も分かる。
posted at 21:33:10

いつか、戦う必要はあるかもしれない。だが、それはわたしたちのために戦う必要があるのであり、決して政治家の権力のために戦う必要があるのではない。この世界は戦国時代とある意味では何も変わっていないが、唯一変わったのは、戦国時代のような「かっこいい武将」が存在しなくなったということだ。
posted at 21:28:47

そう、嘘偽りなく言えば、僕は政治家が嫌いなのだ。政治家は大嫌いだ。政治家がこの世界から全員居なくなれば、この世界は解放された住みやすい世界になるだろう。
posted at 21:25:41

政治を無視せよ。政治家に期待するな。ひとりひとりが政治家の権力に抵抗せよ。ひとりひとりが自由主義の富の偏りを否定せよ。そう、そのようにすることでしかこの世界は救われない。「政治」という誤った手段や方法を無視せよ。政治家のあらゆる支配や権力に抵抗せよ。
posted at 21:23:14

政治など、この世界を楽園にするためには必要ない。支配や権力から平等な社会は生まれない。そもそもが富の偏りを生む、経済の原理で平等は生まれない。すべての富の自由な移動を制限した経済は、すでに経済とは言えない。
posted at 21:21:23

そもそも、政治的に平等を実現するということが、多くの人を殺すということに繋がるならば、そのような実現方法は間違っていると考えるべきである。政治的ではなく、人々のコミュニケーションの力でも、平等は実現できる。わたしたちは、いつから政治に頼らなければ何もできない人類になったのか。
posted at 21:20:26

しかしながら、エアルスは政治家など目指さない。自らが持つ「身の丈」を知らないフレイとは逆に、エアルスは自らが政治家などできないと知っている。政治家は、息をするように平然と嘘をつける人間に向いているのだ。
posted at 21:12:44

そう、必要なのは「知恵を出すこと」である。知恵さえあれば、もしかしたらソ連は成功したかもしれない。知恵さえあれば、もしかしたら今、この世界は平和かつ平等だったかもしれない。それは今実現できるような、可能性の選択肢かもしれない。
posted at 21:10:37

だが、戦うことは必要ではないとエアルスは考える。戦ってソ連を実現したところで、単なる「人殺し国家」が生まれるだけにすぎない。エアルスはソ連を否定しない。だが、ソ連のやり方には「知恵がなかった」と考える。ソ連はやり方を間違えた。あまりに知恵のない、人殺ししか能のない国だった。
posted at 21:07:04

そして、先進国においても資本主義は何も変わっていない。日本人の国内だけが豊かで、中国や東南アジアは農業や工場における劣悪な労働を低賃金でさせられている。これは「国際カースト制」であり、資本帝国主義の時代から何も変わっていない。自由かつ平等なのは先進国だけである。
posted at 21:05:25

今の自由主義では、そのような「教育格差」は起きていないと人は言う。だが、それは日本国内を見た話であり、インド・中東・アフリカなどを見れば、教育格差は実際に起きている。彼らが資本主義を信じて、本当にそれでよくなるだろうか。彼らが社会主義を信じることの、何にも悪い点はない。
posted at 21:03:20

たとえば、無償でさまざまな必要なものを与えるということは、金ではできない。家庭教師を誰もが雇えるだろうか。貧困層にだけ教師は与えられず、富裕層だけが教育を受けられるような社会は本当に「自由になんでもできる社会」だろうか。社会主義的であるからこそ、できることはある。
posted at 20:56:35

すべてのことが自由に実現されるような国家であれば、社会主義よりも資本主義のほうが正しいこともあるだろう。だが、「金は本当に自由であると言えるだろうか」という問題もある。金は本当に自由だろうか。社会主義において、金よりも自由なことは為し得ないだろうか。
posted at 20:55:10

そして、考えるべきことは、「社会においてどのような自由が成り立つか」ということ、そして「そのような自由を成り立たせるためには社会はどうあるべきか」ということだ。
posted at 20:53:02

この世界を統治する正しい方法とは、「機会が実現されるように社会システムを構築すること」である。機会とは、チャンスのことであり、人々にチャンスを与え、同時にそれが実現されるように生産手段を公平に与えること、同時に、それが行われるように社会制度や国家システムを構築することが必要だ。
posted at 20:48:53

神を信じなさい。神を信じることはとても素晴らしいことだ。なぜなら、自らが否定した悪の色に、自らが染まった時、その色を別の色に変えられるのは神しか居ない。神を信じれば、必ず色は黒から白になる。だが、何も含まれていない色は黒のほうであり、すべてが含まれている色は白のほうである。
posted at 20:43:54

議論の目的とは、「気付かせてやること」であり、その意味とは、「自らの置かれている状況がなんであるかを自覚させてやること」である。これは今の状況が分からなくなっている子供にとっても、世界を昔のままであると勘違いしている大人に対しても同じだ。
posted at 20:40:39

そう、議論によってこの世界は変えられる。なぜなら、「新しい視点を与える」ことだけでも、この世界を変えることはできる。その視点を共有するオープンな場としての議論がなければならない。なぜなら、それこそが「社会」の役割だからだ。
posted at 20:39:13

そして、そのために「議論」すべきである。この世界において、議論はとても重要である。議論が成り立っているということこそ、社会が成り立っているということだ。議論が破綻すれば、また社会も破綻するのだ。
posted at 20:37:55

真のチャンスとは、成功や利益を上げるようなチャンスではない。真のチャンスとは、ある特定の愛する個人に対して、受動人格に外部から訴えかけるという意味でのチャンスである。それによって、人間だけではなく、この世界のすべての人々を「言葉」によって変えることができる。これはロゴスの力だ。
posted at 20:36:56

この世界は、経験を教えることで変えられる。なぜなら、その相手に対して「受動人格に外部から訴えかける」ことができるからである。支配や強制を行わなくても、受動人格に外部から作用を与えれば、同じことを体験的に考えれば、必ず同じ結論に至る。それによって社会全体を導くことができるのである。
posted at 20:31:56

だが、個人の自由は尊重すべきである。なぜなら、個人の自由を奪う行為こそ、真に人為的な「支配」であり、個別的なものを排した「共有」の中に、「個人の自由意志」を見つけることができるからである。そう、個人の自由意志によって所有物を共有すべきであり、社会的に共同体を強制すべきではない。
posted at 20:30:10

同様に、個別性もまた排するべきである。なぜなら、「自分ひとりだけが信じる理想は、よく考えれば他人にとっても普遍的である共通の理想へと収束するのであり、常に自分自身を他人に置き換えて考えるべき」であるため、「個別性を排したところに真理は見つけられる」からである。
posted at 20:26:11

支配は間違っている。なぜなら、「人為的に支配する時点で可能性が制限されている」からである。宇宙の限界ギリギリの自由とは、人為的なものを排したところにある。
posted at 20:25:12

本来の自分とは何か。それは、「あらゆるすべてになれる自分が選んだ、すべての自由を包括する頂点にある最高の自分」であり、「人為的なすべての支配や強制を排して、宇宙や地球自身と合一になった神の世界精神と繋がった自分」である。
posted at 20:23:08

受動感情をコントロールすることで、人は「自動的に受け入れているつまらない自分」ではなく、「自らが積極的に望む自分のなりたい自分」になれる。受動感情をコントロールすることで、結果的に主体的な「自分自身」を取り戻し、自分が「本来の自分」で在ることができる。
posted at 20:21:36

アイデンティティとは何か。それは「自分が自分で在れるように在れること」であり、「自分がその善を為したいと思うような善を自由に為せること」である。可能性が善のためにあるとするなら、最高善とは「あらゆるすべての善を影響力の頂点ですべて行う」ためにある。
posted at 20:19:49

なぜ、間違った自動反応を行うのか。それは間違った無意識に顕在意識が依存し、根ざしているからである。「心の裏側にある心」を考えることで、自動的な受動思考を克服できる。そして、そうでなければ、最高善である「神の境地」には辿り着けない。
posted at 20:16:09

認識を考える上で必要なのは、「習慣的な自動反応」を考えることである。すなわち、常にそれをそれであると考える、頭脳のプログラムそのものが間違っている。よって、一度、人格や頭脳を破壊しなければ、正しい考え方をすることはできない。なぜなら、人格はすべて間違った自動反応に根ざしている。
posted at 20:14:09

戦うことは、正しい解決方法ではない。なぜなら、「自由においてもそれぞれの人間が賢くなればこの世界を救うことはできる」からである。そして、賢くなるために必要なのは、「成熟の道を進むための経験を与えること」である。必要なのは体験的に経験を与えることであり、決して戦うことではない。
posted at 20:07:29

この世界は救うことができると信じるならば、この世界の罪を許す方法を学ぶこともできる。それこそが「愛を信じる」という言葉の意味である。愛とは、人々の罪を許し、「あの頃未熟だった自分と同じように彼らも未熟であり、あの頃いじめられていた自分と同じように彼らを救い出せる」と信じることだ。
posted at 20:05:06

成熟とは、すなわち、「理想は実現できる」と信じることである。それは、宗教的あるいは道徳的なものを盲信せよということではない。科学的かつ経験的に、再現性を実証した上で、その理想は必ず実現できると確かめられていると確信することである。
posted at 20:02:41

そして、エアルスは、ここにフレイの呪縛を解く。自らも、そのように考えてみよ。この世界の悪を、未熟ゆえに仕方ないことであると受け入れながら、その悪を行わなくても真に理想は実現できると悪を拒絶した上で、最高善へと向かう「成熟」とはなんであるか、自らの手で考えてみよ。
posted at 19:58:23

人々が悪を行うのは「未熟ゆえに仕方のないこと」であり、未熟を克服するためには「妥協の悪の裏に隠された本当の望み」を見ることである。その望みは、真に正しい望みを選んでいるとは言えない。だから、その望みを単純に叶えるのではなく、「真に望んでいることは何か」を考えなければならない。
posted at 19:49:46

そう、ここに、主神エアルスは誕生した。フレイの逆である。フレイはこのような「理想」を否定して、悪へと堕ちた「完全なる妥協の産物」である。エアルスは、理想をもう一度、すべての人間の悪を受け入れ、愛した上で作ってみよと言う。そうでなければ、フレイの呪いや呪縛を解くことはできない。
posted at 19:47:54

子供に必要なのは、経験し、自分の体験から考えることのみであり、ほかは必要ない。知識を覚え込むのではなく、自ら知識を作り出すために、その前提となる理性と条件を経験的に考えられるような人間を育てよ。
posted at 19:45:16

すべての悪に善が宿っていることを知った時、もはや悪を行う必要はなくなる。悪をするのではなく、別の方法や手段で、その中に宿る善だけを実現すればいい。
posted at 19:41:55

すべての未熟な経験が、ひとつの目的地、「最高善」へと繋がっていくということを知れば、あとの開拓は容易い。最後まで、最高善を信じて歩み続ければいい。そこでは全員の経験が「成熟のゴール」へと続く。それをすべて知った時、妥協の悪を昇華させた理想を、誰もが同じように実現できることを知る。
posted at 19:41:41

そして、世界に間違ったものしか存在しないのは、「経験のレベルが未熟」であるためであり、その経験のレベルを上げるためには、未熟な経験すべてを吸収する必要がある。未熟な経験が本当は単純な悪ではなく、善を求める叫びから生まれていると知り、善を実現する方法を知れば、経験のレベルは高まる。
posted at 19:37:49

人々が間違った考え方をしているのは、すべて「自動学習」と「慣習的な自動反応」のせいである。これは「受動人格の自動思考」と呼ばれるものである。なぜなら、このような間違った考え方は、「人格として形成」されてしまえば、簡単に変えることができなくなる。
posted at 19:35:37

そして、この世界は自由においても、正しく考えることで変えることができる。人々が「なぜ妥協の悪を選ぶのか」をよく考えてみよ。その理由は「考え方を知らないから」である。そして、正しく可能性を考えることができる人間は、正しく経験も考えられる。経験を考えれば、仏の悟りすら得られるのだ。
posted at 19:33:52

しかしながら、この世界を「最悪の世界」だと思うのが、まず間違っている。この世界は素晴らしい世界であり、ただ、「この世界が素晴らしいということに気付いていないだけ」にすぎない。この世界は本来とても素晴らしい世界だ。この世界を変えることも、維持することも、とても素晴らしいことだ。
posted at 19:31:51

そして、なぜ、理想を「実現不可能」であると勘違いするのか。わたしが考えるに、それは「実現可能」である。なぜなら、理想の実現方法をよく考え、経験してみれば、ほかの多くの既存の社会と同じように、「わたしの理想の社会は実現可能だとはっきりと実証され、確かめられているから」である。
posted at 19:29:06

しかしながら、真に正しい解とはそのような「妥協の悪」ではなく、それぞれの人間性や自尊心を限界まで追求したものであるべきである。なぜなら、そのような理想がたとえ実現不可能であっても、その「実現不可能」だと思う時点で、人は妥協の悪を選ぶ。それこそがこの世界を最悪の世界にしている。
posted at 19:27:55

そして、その結果分かることは、「ほとんどの人間は、悪と知らずに悪になっていて、それ以外にも多くの可能性と選択肢があるにもかかわらず、その方法と手段しか選択肢がないと誤解し、自らの自尊心や人間性すら否定して、間違った悪の手段を選んでいる」ということである。
posted at 19:26:37

ほとんどの人間が、簡単に答えを導き出そうとして失敗している。多くの発想について、考えたその時点でそれを実現しようとしている。だが、「すべての世界と可能性を知った上で、もう一度、その可能性を再考する」ということをすれば、人々が「どのような思い込みや速断をしているか」が分かる。
posted at 19:25:30

戦いが必要になるような状況はあるだろう。だが、戦いだけではこの世界は理想の世界にはならない。わたしたち全員が団結すれば、この世界は理想の世界に変えられる。そのような「可能性」はここにある。
posted at 19:22:56

そう、可能性はすべて駄目になって失ったように見えて、それは小さな範囲の世界でしか世界が見えていない。この世界のすべてを概観した時、この世界にはたくさんの可能性が今でも存在する。その可能性をひとつひとつ試していけば、どんな世界の可能性であろうと、今でも留保された可能性を決断できる。
posted at 19:21:20

エアルスは言う。わたしは政治家や革命家になるつもりはない。だが、この世界の真の希望は、悪に染まりきって右翼になることではないと知っている。この世界の真の希望は、すべての人間が広がる可能性のもとに協力することにあるのであり、可能性は失われたように見えてまったく失われていない。
posted at 19:20:17

この世界の多くの人々が、悪しか世界に存在しないために悪になっている。だが、それは悲しいことだ。なぜなら、悪になりたくて悪になっているわけではないからだ。真に正しい未来を築くためには、希望と可能性を信じればいい。その先に、真に素晴らしい未来を、みんなで築けるという代替選択肢がある。
posted at 19:18:21

エアルスは言う。みんなは、悪になりたくないにもかかわらず、それしか正しい正解がないと勘違いし、それしか世界を変える手段がないと思い込んだ結果、悪になっている。そのような「妥協の悪」は、憂国の愛において、本当はまったく違う、「希望ある可能性の未来」を信じることで、世界は変えられる。
posted at 19:17:16