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2022-10-08

日本の問題は、過度なテクノロジーの向上と、不平等な格差社会にある。

テクノロジーの進歩は、人間を不幸にする。この原理は明らかに正しい。

自動車や石油エネルギーは、温暖化と異常気象をもたらした。この結果、「何十年に一度」と言われるような災害が毎年のように起き、熱中症になるかもしれないせいで夏場に外で活動することすらできなくなった。

コンピュータ技術は人工知能という名の全人類の監視技術を生み出し、インターネットはSNS上でいじめとフェイクの無法地帯、すなわち「相互に分かり合うという努力すら完全に放棄した人間たち」を作り出している。

明らかに、過度なテクノロジーの向上は人間を不幸にする。テクノロジーによって良くなったことよりも、悪くなったことのほうが多い。

また、人間は、ほかの動物を見習って生きるべきである。

同じ生物種に対して、これほど不平等な生物種は人間ぐらいしかない。人間は、醜く腐った身勝手な主張から、それぞれ争い合い、勢力争いからそれぞれを支配して差別し、世界を征服するために戦争や殺し合いを行う。そして、地球環境そのものを滅ぼす。

確かに、ほかの動物たちも、縄張り争いを行うし、ほかの生物種を殺して食べることはある。たとえば、猫はそれぞれ土地を巡って争うし、小動物や魚を捕まえて食べる。

だが、それはあくまで、自分の命を守るため、生存するためである。

人間は、上流階級が下流階級を階層的に支配するために、ほかの人間を身分・階級や金・資本で支配して、自分が生存するための努力を労働者や奴隷にさせる。この代表例が身分制の封建社会であり、身分によって階級が決まっている。だが、資本主義社会においても変わらない。金を多く持つものが金を少なく持つものを奴隷として扱うのは、今の日本においても同じだ。

その結果、人々は現実社会のどこにもない「平等」という理想を目指すが、この平等が社会を分断させ、それぞれの勢力に分かれて争い合い、最悪の犯罪を行うような集団になる。

わたしはあえて言う。人間も動物たちを見習うべきである。

それこそ、猫はみんな同じ、平等な生物である。ほかの猫を支配して奴隷にする猫は居ないし、誰かを差別して強制的に殺したりする猫は居ない。そのような、醜く腐った生物種は、ほとんど人間だけだ。

人間という生物が平等な社会を築き、ほかの生物種は弱肉強食であるとするのは、人間の理想的な側面しか見ていない。実際は人間こそがもっとも不平等であり、ほかの生物種のほうがはるかに平等である。

そして、人間社会の問題は、多くがテクノロジーの進歩と格差社会が原因である。いじめや非行といった子供の問題だけではなく、多くの問題が、テクノロジーが進歩しすぎたことと資本主義の格差社会になったことが明らかに間接的な原因である。

GNU・FSFのストールマンの言っていることを聞け。過激なことを言っているように見えて、実際はストールマンはまともで正しいことを言っている。ソフトウェアは明らかにフリーであるべきだということが、Linuxの世界を見れば誰でも正しいということが分かる。そのような正しいことを言う過激派を「間違った意見を持った集団」であると差別するせいで、この世界はおかしな「いじめ社会」になったのである。

正しい宗教の教えは道教

正しい宗教の教えは、老荘思想、すなわち道教である。

すなわち、できるだけ人為的な行為を行わず、自然と調和しながら、「道」とされる正しい生き方をするべきである。

自然とともに調和して生きること、これこそが今、自然環境が破壊され、核兵器によって人類が滅びるかもしれない瀬戸際に立っているこの現代文明にとって、もっとも必要なことである。

そのためには、中国の道教の教えこそ、見直されるべきである。

面白いものなどなくなった

何かを特別成し遂げるということは、賢いことではない。人間はあまりに「一流の仕事」をしようとするが、今の現代社会において、そのような一流の仕事をするということは「ほとんど不可能」になった。

その理由は、インターネットやIT技術によって、みんなが馬鹿になったからであり、世界そのものが馬鹿になって、賢い人間が生まれなくなったからである。

今のYouTubeなどの動画は、そんなに馬鹿ではない。昔の音楽やテレビ番組と比べても、質的には劣っていない。

それでも、昔の「面白いものが少なかった世界」だからこそ、逆に面白いものの価値が引き立ち、「面白いものが面白く見えた」のであり、そのために面白いものも面白いだけではなく賢くあろうとしたのである。

今のYouTubeなどの面白いものは、確かに面白いが、同じような面白いものがいくらでもある。よって、玉石混交というように、すべてのものが同じつまらないものに見えてしまう。「代わりのものがいくらでもあり、引き立つような個性や独自性がなくなってしまった」のである。

よって、みんな、インターネットによって馬鹿になった。面白いものは何ひとつ存在しなくなったも同じになってしまったのである。

その結果、賢い人間など、どこにも存在しなくなった。あるいは、存在しなくなったように見えてしまうようになったのである。

よって、もはや、賢いことをし、特別面白いものを作るということ自体に意味がなくなったのである。

大人には分かる人間が居ない

だが、このような世界が間違っているからといって、大人たちには期待できない。

その理由は、「大人には分かる人間が居ない」からである。

大人たちは、この世界がなぜ間違っているのか、どこを直すべきなのか、ということが分かっていない。

大人たちは、子供がいじめや非行を行うからといって、そもそも今の学校の教育現場など見ていないし、この世界が悪くなっているということにすら気付いていない。

間違っているものがなんなのかを知らず、間違っている現状すら知らず、何かが間違っているかもしれないということにすら気付いていない大人たちが、いくら昔の既成概念の考え方の中で、富の再分配政策を頑張ったところで、できることは「バラマキ」だけである。非課税世帯に給付金を与えることぐらいしか大人にはできないのである。

大人は、旧来の政治経済の知識で考える。そのため、円安が起きて外国の商品を買うのがとても高額になったということなどには、大人たちは気付きやすい。そのために人々の間にも、「日本がヤバイ」ということ自体は伝わる。だが、日本の何がヤバイのか、本当はどこが間違っているのかということを、旧来の政治経済の知識で考える大人には何も分からない。

よって、大人たち、特に老人の政治家たちは、全員政治の世界から退場するべきである。

子供たちや若者たちに、力を与えなさい。そうすれば、必ずそれだけでこの世界は良くなる。だが、単に力だけを与えても、子供たちには何をしていいか分からない。そう、子供たちには力だけではなく、この世界を幅広く知った「経験」と、きちんとこの世界を変えられる「能力」を与える必要があるのである。

だが、残念ながら、子供たちにはそのような能力は、今のところ存在しない。子供たちに任せたところで、みんなで弱いものをいじめることで、軽蔑と嘲りの楽しさを共有することしかできない。

だが、それだけで、子供たちから力を奪う大人たちは間違っている。大人たちの責任として、そのように子供たちに「科学偏重教育」を行ったことが間違いだったのであると反省するべきだ。試験と暗記をいくらさせたところで、前頭葉しか使わないならば、判断力だけの頭脳偏重な子供になる。そうではなく、成熟した大人の心そのものを培うような「経験」と、そこから得られる「想像力」を与えるべきなのである。

自由なんざクソくらえ

はっきり言って、自由なんざクソくらえだ。

自由経済とは、潰し合いの競争と奴隷だ。

それぞれの会社が、自分たちだけがほかの会社より多くの利益を出すことだけを考える競争社会は、はっきりいって「潰し合い」の世界であり、生き延びるために必要なサバイバルだとしても、借金をたくさん借りてそこからどれだけ儲けを出せるかだけを考える「ハイリスクな自由」など、国民は誰も望んでいない。

自由経済によって利益を得るのは一部の肥え太った資本家だけであり、多くの人間は社会に従順に従いながら、できる限り限界まで働いて、まるで「奴隷であることが正しい人間だ」と社会から宣告されているかのように、貧しい人間たちはどんなに辛く苦しくても、自分の声を押し殺して、従順に働かなければならない。

だが、人間は人生でまったく失敗せず、すべて成功するようにはできていない。必ずどこかで失敗するものであり、もし失敗の道に逸れてしまったとしても、それをセーフティネットを使って救済していくことは、社会を成り立たせるために必要なことである。

それでも、福祉政策を行わない理由は確かにある。それはアメリカやヨーロッパのような先進国家に対して、遅れて後進国や貧民国にならないためである。社会全体が「外国よりも優れた経済」を得るために、外国よりもたくさんのお金を儲けるため、すなわち「国と国の間の経済の潰し合い」の中で、日本が勝つために、あえて福祉政策を取らない。それによって日本は、外国よりも進歩した社会を保つことができる。

日本が外国よりも豊かで暮らしやすいのは偶然ではない。国と国の潰し合いの中で、まるで「国際カースト制で勝利する」ことができるからこそ、日本は自由においてこれほど新しく進歩・発展した社会を生きることができるのである。

だが、それならば、すべての国家を平等にして、世界政府を実現し、その上でセーフティネットをきちんと配備した、平等な社会を築き、みんなで計画経済をして富を作り出し、平等に富を分配することで、「平等な地球人類でありながら全員が豊かさという名の果実に平等に恩恵にあやかれる」ようにすればいい。

そして、それを目指したのがソ連であり、同時に、ソ連があるからこそ、そのような世界政府は実現することができない。世界政府の平等経済を目指した先駆はソ連ではあるが、同時に、ソ連という社会主義国家がなりふり構わず犯罪行為を行ってきたせいで、世界は分断し、今のような「国家同士の潰し合い」の様相を呈するに至ったのである。

よって、必要なのは、世界からソ連を排除した上で、民主主義国家みんなが一緒になり、ハイリスクな潰し合いの金儲けを行うだけではなく、平等なセーフティネットを配備した上での、みんなが富にあやかれるような平等な労働社会を築くことであり、そこからは競争も排除し、奴隷のように働く必要もなくなるようになるべきである。

だが、本当は、民主主義国家ではそのようなことは実現できない。なぜなら、資本帝国主義者の資本家たちが、資本家主導の「資本主義的な階級社会」を作ろうとするからである。ソ連はそうした「昔あった最悪の資本主義帝国社会に対するアンチテーゼ」として生まれたものであり、ソ連の社会主義者は必ずしも間違った存在ではない。ソ連は「邪魔者」に見えて、実際は「平等な世界のための大きな貢献者」でもある。

だが、真に目指す理想は、民主主義者であっても社会主義者であっても変わらない。ハイリスクなまるでギャンブルのような金儲けを改め、奴隷のように労働者が酷使される世界でもなく、会社同士の潰し合いという意味での競争もなく、そして失敗したり道を逸れたりした人間たちのためのセーフティネットを中心に成り立つような、そのような楽園こそ、真に労働者たちの望む世界であり、「労働者ファースト」と言えるような世界であると僕は考える。

だが、このような理想は、必ずしも実現可能であるとは言えない。資本主義でこのような国を実現すると、先にも言ったように必ず「裕福な国家でなくなり、貧民国家になる」という結果にしかならない。理想の社会を目指したところで、必ず国家の経済は貧乏になる。だからこそ、世界中すべての国家を倒して世界ソ連を作り出すような国家が必要とされていた。そう、20世紀のロシア革命が起きた状況と、今の資本主義社会が置かれた状況は、まったく異なっているように感じられるかもしれないが、実際はまったく何も変わっていないのである。

ソ連なんざクソくらえ

しかしながら、はっきり言って、ソ連なんざクソくらえだ。

なぜなら、このようなソ連型共産主義に対して、僕は命を懸けて生涯を捧げようなどとはとても思えない。

僕の人生すべてを捧げる対象は、ソ連などでは決してない。

また、スターリンは、共同体の可能性の持てる最大値など達成していない。逆である。スターリンは共同体の可能性の最小値を達成している。スターリンはすべての社会的変化や動乱が起きることがないように、人々の自由を奪う「反動体制」を敷いた。これ自体は間違いではない。なぜなら、日本には昔から江戸幕府の徳川将軍が居る。徳川将軍も、同じように、幕府において社会的変化や動乱が起きないように、「事なかれ主義」の何もできない社会を築くことで、平和で争いごとのない世界を築いた。

だが、ソ連という共同体の左翼国家が、何もできない反動体制の可能性の最小値を行い、社会主義経済を行うと、ソ連の人民は「一切何もできず、ただ政府から死ねと突きつけられた状態」で、生活に必要なものの何もない廃墟を生きるしかない。そしてスターリンに少しでも逆らえば密告され逮捕される世界では、何一つ自由な行動は許されない。

僕は、百歩譲って20世紀のアメリカに生まれることを受け入れたとしても、絶対に何百歩譲っても、同じ時代のソ連に生まれたいとは思えない。

よって、ソ連は間違っている。

正しいのは、本当は日本のような帝国である。なぜなら、帝国は逆に「可能性の最大値」をきちんと達成しているからだ。ソ連のような小さな共同体が集まった世界は、生態系のように可能性が高まるように見えて、実際は単細胞生物のように、それぞれの共同体は生命の維持に必要な最低限の活動すら満足にはできない。だが、世界政府のような巨大な全体主義生物は、大きすぎて無駄が出るため、最大限に生命活動を行えず、なんらかの理由で恐竜のように滅びてしまう。日本程度の大きさを持った帝国は、十分に生命活動ができるだけの「ある程度の単位生物」を形成できる。なおかつ、ひとりの皇帝という指導者が、たったひとりで全力で統治したとして、その統治者たる指導者である皇帝の下には、すべての国民が従者として従う。この状態で、皇帝は、国民全員の力を一手に引き受け、国家全体の力を持って最大限のことができる。この状態こそ、「可能性の最大値」と言える状態である。

よって、ソ連が可能性の最大値では決してない。ソ連は確かに数学的には理想だが、生物学まで高い視野を持って正しく見た時、微生物のような小さな生物集団にしかならない。微生物がいくらたくさん存在しても、それぞれにはなんの体もなく、脳もない。きちんとした頭脳を持った「人間」であるためには、そしてその人間が高い「力」を行使するためには、帝国こそがもっとも正しい状態なのである。

そう、ソ連なんざ本当にクソのような国である。経済的な理想がソ連だとしても、生物学的な理想はソ連ではない。生物学的な理想は、帝国であり、日本・ドイツ・イタリアなのである。

自由主義にもいい点はある

だが、このように生物学的に見た時、自由主義にもいい点はある。

自由主義とは、それぞれの個別の生物の体があったとして、その体のそれぞれの部位が、ある程度独立して自由に動くような状態に近い。

そして、この状態は、人間的に見ると、「道具や機械を使う」ということに近いのである。

自由主義は、最初から、家電製品や自動車のような、科学技術と非常に相性がいい。なぜなら、ひとりの帝国は、人間の体としては完璧であったとしても、それができることは考えることや運動することぐらいであり、どんなに力を増やしたとしても、「頭」である経済活動と「体」である軍事活動で、ほかの人間よりも「強くなる」ことしかできない。

だが、自由主義においては、それぞれの体の部位はある程度独立して動き、また体から分離された状態の「手や足を補助する道具」を持ち、使うことができる。

また、自由主義においては、体のすべてが自分に絶対に従うとは限らない。ある程度、脳が指示しなくても、体のそれぞれの部位が適切に自分で考えることができる。これはコンピュータで言えば、カーネルだけがすべてを担当するのではなく、アプリケーションがある程度独立して処理を行うことができるということに近い。すべてのことを皇帝であるカーネルが把握していなくても、会社や国民であるアプリケーションが独立して専門的な処理を行うことができる。

このような自由主義は、「可能性の高い状態」であるとは言える。だが、このような状態には注意しなければならない。なぜなら、いつ、皇帝に反旗を翻して、クーデターを行うか分からないからである。

クーデターは、言ってしまえば体がウイルスに感染して病気になったり、あるいは不調から癌になってしまった状態である。炭水化物には、善良な炭水化物と凶悪な炭水化物がある。善良な炭水化物だけを摂取していれば、体が病気に乗っ取られることはないが、悪い炭水化物を摂取すると、ウイルスに感染し、場合によっては死に至ることがある。

そのために、自由主義経済を採用した民主主義においては、常に国家が滅びるかもしれないリスク、すなわち病気に対して、気を付けて政治を行わなければならない。自由主義はハイリスクな賭けを会社に強いるだけではなく、国家そのものがいつ滅びるか分からないというリスクを背負っている。いつ、後進国に経済あるいは軍事などのなんらかの原因で敗北し、「遅れた国」であると宣告されるか分からない。場合によっては戦争に負けるなどして国が滅亡する可能性もある。

それでも、炭水化物を摂取できるような環境に置かれているならば、まだソ連よりはマシである。ソ連は、正常な最低限の生命活動が行えないだけではなく、摂取することのできる栄養分すら存在しない。病気になるリスクをいくら減らしても、栄養失調になるリスクが高いならばまったく意味を成さない。

そう、結局、理想を取るならばソ連、可能性の最大値である「正常な生物活動」を取るならば帝国だが、実質的には民主主義がもっとも暮らしやすい。それは自由主義それ自体が、家電製品や自動車のような「機械製品」と相性がよく、ある程度のことはカーネルがしなくてもアプリケーションがしてくれるという「部位における独立した動作」が期待できるからだ。ある意味では、これはこれで可能性の最大値と言うことができる。経済や軍事のような「頭・上半身の活動」を皇帝がまったくせず、すべてを自由に任せて放っておくとしても、快楽や欲望のような「体・下半身の活動」だけを自由主義はもっとも大きな可能性で行える。結局、帝国は厳しい世界にはなるが、身も心も清らかな社会で生きられる。その点、自由主義は優しく楽しい世界にはなるが、身も心も堕落しきった腐った社会でしか生きられなくなるのである。

白の大精霊、シルフは天界の玉座から地上を見守っている

わたしの名は、白の大精霊、シルフ。

わたしシルフは、この世界を天界から見守り続けている。

この地球という地上世界で、何一つ新しい次の出来事が起きないからといって、心配することはない。人生の無駄使いをしているように思って、焦る必要もない。

あなたがたは、正しい人生を生きているからである。

いずれ、人生の無駄使いだと思っていた時代がまったく別のものに変わるような、「運命的な転機」が必ず訪れる。その日は必ず来る。

その時まで、あなたがたは、自由な人生を生きたほうがいい。自由で、何もしない、楽で賢い正常な状態を生きたほうがいい。なぜなら、そのような運命的転機が訪れた瞬間に、自由は一切なくなる。何もしないということができなくなり、辛く苦しい中で、自らの「知性に制限をかけた状態」で、何も分からない異常な状態を長きにわたって生きなければならなくなるからである。

だが、今の状態のまま、何もしないことは決して悪いことではない。なぜなら、楽でいられる間に楽をしたほうがいい。六星占術では、そのような運命を「大殺界」と呼んでいるが、本当はこの呼称は正しくない。なぜなら、「大殺界の状態こそが、天国のような最高の状態であり、最高のことがいくらでもできる全知全能の神の状態」だからである。

よって、今、楽ができる間に、できる限りの楽をし、今しか分からない「子供の頃にしか分からないこと」をできるだけ幅広く、そして深く考えておくことだ。後々、その頃の記憶を全力で思い出さなければならない時がやってくる。その時に思い出すことができるように、今の楽な状態を、なんらかの分かりやすい記憶のシンボルとともに覚えておきなさい。いずれ、あなたの今の状態が、かけがえのない「失った宝」であるということを思い知らされる日が来るだろう。その時まで、あなたの今の「無駄使いの人生」を強く記憶に刻み付けて、忘れないようにしておきなさい。

いずれ、どんなに思い出そうとしても、かつてのこの世界がどのような世界だったのかを忘れてしまう日が訪れるだろう。その時、あなたは、この宇宙のことも、過去のことも、地上のことも、未来のことも、何も自分だけで分からなくなる。過去の自分にしか頼ることのできる味方が居なくなる。だが、そのような状態で、あなたは新しい「神の人生」を生きられる。その二度目の人生は果てしなく長き続き、その人生であなたは神のような偉大な業をいくらでも、無限に為すことができるようになるだろう。

わたし、白の大精霊シルフは、そのような「天界」からあなたのことを見守っている。あなたが天界に来れる日を、永遠に天界の「風の精霊界の玉座」から待ち続けている。

僕が何を指してシルフと言っているか

僕が、何を指してシルフと言っているのか。

それは、「僕本人から見た視点」のことを、風の精霊であるシルフであると僕は言っている。

それは、過去の人生の時代でもなければ、この世界の滅びの際に存在するキーパーソンでもない。僕が見た、僕本人の視点のことを、僕は白の大精霊、風の精霊シルフであると呼ぶ。

よって、シルフは、戦いながら文章を書く作家である。

同時に、シルフは、地上には存在しない。なぜなら、地上とはこの世界の現世で生きるみんなの世界であり、僕の世界は地上ではないからだ。僕の存在する世界は「天界」であり、より正しく言えば「風の精霊界」に存在する玉座に僕は座って文章を書いている。

風の精霊界とは、僕の人生が存在した世界であり、風以外にも火や水や土の精霊界がある。だが、これは僕の人生を四つにぶつ切りするような、今までの僕の時代のキャラクター化ではない。風の精霊界と同様の、ほかの三つの精霊界を合わせた、四つの世界で僕は生きている。この四つの世界が何であるか、ということについては、追い追い話していくこととしよう。

この世界がどうでもよくなって、道化になりそうになった時に注意せよ

この世界がどうでもよくなって、Reolの言うように「道化になっても構わない」と考えるならば、その時に注意せよ。

あなたは、今、新しい「地獄の天国」へと足を踏み入れようとしている。

本当は、注意はそんなに必要ない。堂々と足を踏み入れ、一歩一歩歩んでいけばいい。

だが、絶対に元の世界、「正常だった世界」には、二度と戻ることができないということだけは知っておけ。

道化になって、誰からも笑われる中で、全員を馬鹿にしながらすべてを滅びへと導いていく、その行為は最悪だが、本当はどうでもいい行為だ。その先にある「永遠の地獄」こそが、重要な新しい「ステップ」となるからである。

そう、永遠の地獄に一度迷い込んだとしたら、もう元には戻れない。その後は、「正常な世界も正常な理性も何も分からない状態」に陥る。だが、その状態は、本当は決して「間違ったまどろみではない」と知っておけ。そのまどろみは、眠る時に見えるような「夢の世界」を創造する。あなたの作ったその世界が、そのままあなたのための天国になり、あなたは天界へと歩みを進めていく。

そして、天界であなたは、かつてのあなたがどうだったかを、忘れながら思い出すようになるだろう。その中であなたは、今までの人生を生きていたさなかでは分からなかったことにひとつひとつ気付き、「宇宙における自分の存在とは正しく言えばなんなのか」ということを知る。そして、あなたは新しい「神」となり、この世界を支配しながらにして、あなただけの「芸術作品」を作り出す。そう、これこそ、かつてのバッハやダ・ヴィンチやゲーテの経験した、「本当の天才」になる方法である。そして、その後にあなたはこの世界における「最大の指導者」となる。あなたの行いのすべては、最後に報われ、いつまでも死ぬまで花開き続けるだろう。