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2022-10-31

世界は平和であるべきである。

ロシアによるウクライナ侵攻が示すように、戦争によってこの世界がよくなるということは絶対にない。戦争は、最悪のことしか世界にはもたらさない。

なぜ戦争が起きるのか、それは国には国境が存在するからである。

ロシアとウクライナの戦争は、「ウクライナの領土をロシアに併合したい」とするプーチンの野望から生まれたものであり、これがたくさんの犠牲者をもたらした。領土で争うという発想が、多くの罪なき人の命を奪ったのである。

この世界の平和を維持するためには、領土争いの存在しない世界政府、すなわち地球全体を領土とするような地球全体の政府が必要である。

また、資本主義経済も間違っている。なぜなら、資本主義経済は自然環境を破壊するからである。

石油は悪魔の燃料である。過去の地球の膨大な生物の化学エネルギーが蓄積された化石燃料である石油を、わたしたちは地球にとってみれば一瞬のような時間で燃やし続けている。ここから、莫大な量のCO2が排出されている。これによって、地球の大気は温暖化し、数十年に一度と言われるような異常気象が日本では毎年のように起きるようになってしまった。

本当のことを言えば、今すぐにでも、化石燃料を使用した自動車や火力発電所の生産や稼働を中止し、世界人類から禁止すべきである。だが、民主主義社会においては、それぞれの国家の独立主権があり、また日本のように自動車の生産が屋台骨となっているような国では、簡単に自動車をなくすことができない。

だが、今のまま「単なる放置」を続けていれば、15年後には地球人類は滅亡してしまうかもしれない。地球の環境が、絶対に人類にとって生きられないような環境になるということは、このまま環境破壊が進めば、ほとんど必然だからである。

よって、世界中から化石燃料をなくすことのできる、巨大な強制力を持った世界政府が必要である。世界政府の大統領の権限で、自動車や火力発電所を世界中からなくすことのできる、実践的実現力のある世界政府を作らなければならない。

同時に、この世界から「平穏の日常」を奪ったのはインターネットである。インターネットは、僕はある種の人権侵害ではないかと思う。「インターネット上にあふれる雑言から離れて生きる権利」という意味での人権をインターネットは奪っている。これによって、この世界は狂人の世界になった。普通に平穏な精神を持って生きるという人間の基本的な権利を、インターネットは奪ったのである。

このような結果、わたしは世界政府ガンダーラの樹立を宣言する。ガンダーラは、戦争と領土争いのない平和、自然環境の保護のための化石燃料の禁止、そしてインターネットからの人権の保護を目指す新しい革新勢力であり、グレタ・トゥーンベリなどの環境保護主義者を支持する。わたしたちが必ず、滅びようとしている地球環境を救う。そのためには、イデオロギーの争いなど必要ない。地球人類よ、わたしたちガンダーラを支持せよ。わたしたちが必ず、地球の滅亡を回避してみせる。

地球の自然環境は共有財産

わたしたちが、地球の未来を救うためには、地球の自然環境を「共有財産」であると考えなければならない。

今の人類は、国の領土を「自分たちだけのもの」であると考えている。これは民主主義的な主権国家としては正論であるにしても、古代ギリシャや古代ローマで奴隷が自由市民の私有財産であったのと同じであり、人類の成熟した精神における理想とは言えない。

まず、世界政府という、世界すべての領土をみんなのものにする国家体制があるべきであり、その上で、地球のすべての領土、自然環境を含むすべての場所を、共有財産とすべきである。

たとえば、太陽は誰かのものではない。太陽を「わたしたちのものだ」と主張する国民は居ない。同じように、地球も誰かのものではない。誰かが所有して自然環境を破壊してしまうことは、間違った行為であり、悪である。それが許されているということが間違っている。

自然環境は守られるべきである。これは理想主義者の妄言では決してない。自然環境を守らなければ、地球人類の未来はないのである。地球人類の未来を守るために自然環境を守り、維持するということは、どのような経済政策にも先んじて成立する「絶対政策条件」である。

だから、自然環境を守らなければならない。中国やインドのようなアジア諸国は、「問題は先進国にあり、後進国については例外的に優遇されるべきだ」とする。これはまったく間違っている。中国やインドはたくさんのCO2を排出しており、資本主義の先進国家がどのような歴史を歩んだかということはまったく関係ない。中国やインドも同じように環境保護に取り組むべきである。そして、そのためには、中国やインドを独立主権のある独立国家にするべきではない。中国やインドは世界政府の監督下に置かれるべきである。

世界政府は、世界中の国家全員の主張すべてを否定する。世界の国家には自分勝手なことを叫ぶどうでもいい国しか存在しない。そのような「各国それぞれが主張する政策」を世界政府ガンダーラは完全否定する。世界の各国が自分勝手な主張を言うことは許されない。すべてはガンダーラが支配し、ガンダーラの大統領である僕が決める。ガンダーラには絶大な権力が与えられるが、そうでなければ地球を守ることは決してできない。僕は決して環境保護主義者であっても左翼ではない。左翼の政治家には何一つ実行力はない。ガンダーラは世界政府であると同時に、僕を大統領あるいは王とする世界帝国となる。

自由は間違っている

自由は間違っている。自由を素晴らしいと思っていたのは幻想であり、インターネットのSNSやツイッターを見れば明らかなように、自由は明らかな地獄絵図であり、完全に間違っている。

確かに、王と王の勢力争いから戦争は起きる。だが、それは王による権力が間違っているから起きているのではなく、それぞれの王国がそれぞれの国境を持っているから勢力争いをするというだけの話である。

なぜなら、そのような勢力争いを解決するために、王国そのものを打ち滅ぼしたとしても、必ず最悪の王はいずれ再び現れる。必要なのは国境そのものをなくすことであり、世界政府を実現することである。

自由が間違っているならば、私有財産も間違っている。生きるために必要なものはできるだけ共有財産にするべきである。社会所有を行わなくても、工場や農場を国家が必要なだけ建設して平等分配をすれば、必ず全員に必要なものは分配できる。必要なのは工場や農場をきちんと作るための初期投資と計画をすることだ。社会主義経済は間違っているが、共有財産を計画的に生産し、平等に分配するということは間違っていない。どうでもいいITガジェットを作るぐらいならば、世界人類全員に十分に分配できる程度の工場と農場を作るべきである。そしてその従業員には十分な報酬を与えるべきである。

自由は間違っている。国王や政府に従うべきである。国王に従わない国だからといって、民主主義的な平和な社会が生まれるとは限らない。学校で教師がもし居なかったとしたらどうなるかを考えれば分かる。教師の監督がなくなったからといって、平等な社会環境になるはずがない。それぞれの子供たちの勢力争いが生まれ、悪の王にほとんどの人間が従いながら王と王が争うようになり、教師が居た頃よりも悪かった状況になるのは明らかだ。王国の王が悪いからといって、政府そのものをなくすわけにはいかない。そして独立主権の国家では環境保護や人権保護ができないのであれば、世界政府という「国家の垣根を越えた国際的な最高権力」が必要であるということは明らかである。

だが、本当は、そのようなことをいくら言ったところで、なんの意味もない。最悪の言説を正論であるかのように、人々に思い込ませ、騙しているだけに過ぎない。僕はこのような最悪の右翼の独裁者が大嫌いだ。このような右翼が、罪のない多くの市民を虐殺し、犠牲にする。だが、このような最悪の独裁者であっても、悪いこと以外に良いことができるという可能性はある。本当に良いことをしたいならば、国民全員の上に立つような「王」こそが、その良いことをすべきである。今の日本の自民党の政治家には、そのような「優れた王」がひとりも存在しない。二世三世の世襲議員には自分のやりたいことをやるという発想がない。そのような政治家しか居ないから、日本だけではなく、すべての地球国家が滅びようとしている。そのような「何もしない政治家」こそ、最初に地球上から排除するべきである。

民主主義体制を取ることは正義

だが、このような世界政府においても、民主主義体制を取ることは重要である。

なぜなら、民主主義が正義だからである。

このように、今までの考え方を完全にゼロにしたとしても、今までの常識から完全に脱却した国を作れるわけでは決してない。

人の治める国は、明文化された法律の治める国に比べて劣っている。独裁政権は必ず腐敗するという言葉は、世界政府においても同様に適用できる。

よって、世界政府をクリーンな正しい国家にするためには、正義として民主主義体制を取らなければならない。

まず、三権分立をすること。次に、選挙で政治家を選ぶこと。同時に、国会での議論を公開すること。そのような民主主義的な国家体制は、正義として、絶対に守らなければならない。

だが、これは国民を自由にするべきであるということは意味していない。国民の個人個人を自由にすることは結構なことだ。だが、国家がそれぞれ分立し、それぞれの自治国家が自分勝手なことを口々に言うようでは、絶対に国家はまとまらない。だから、連邦制国家という制度を僕は取らない。中央集権的な大統領が、全地球を統一し、全地球の法律をすべて一律に定める。世界政府は統一される。そうすれば、それぞれが自分勝手なことを言わなくなり、すべては大統領がひとりで決めることができる。国会で議論は行うし、投票による選挙も行い、三権分立もなされるのだから、これは立派な民主主義国家体制である。

なぜ民主主義が重要であると言えるのか、それは世界政府は平和を目指しているからだ。世界政府は、誰一人独裁者によって犠牲者が出ることのない「平和」を第一に掲げている。だからこそ、平和を守るために最大限のことを行わなければならない。憲法には「絶対に戦争をしない」ということを明記するし、大統領が間違ったことをもしするのであれば、その権限の効力を即座に失うように憲法に明記する。大統領は人を殺してはならない。ヒトラーやスターリンと同じことを僕は絶対にしない。

だが、大統領という権力者は必要である。その代わり、大統領は「支配者」ではなく「統治者」であるということが重要である。大統領は、国民を支配して奴隷にするために存在するのではない。逆に、誰ひとり支配されず、奴隷扱いをされないような国家を実現するために、ほかのすべての「国民を奴隷にしようとする勢力」から国民を守るために大統領は存在するのだ。だからこそ、大統領にすべての権力が一任されるだけではなく、大統領は厳しく憲法を守らなければならない。だが、大統領に与えられる仕事は非常に多い。「国民が誰からも奴隷扱いされないような国家と社会を築く」ということを、世界政府の憲法は大統領に対して要求する。大統領自身が国民を奴隷扱いすることはもってのほかであり、そうした悪党から世界人類を守る役目を大統領は担うのである。

すべての元凶はIT技術

また、すべての元凶はIT技術である。

なぜなら、IT技術はわたしたちから、「正常な人間の知性」を奪うからである。

IT技術に完全に染まった人間は、まるで認知症や知的障害のようになる。学校でいじめが起きるのは子供たちがITのバーチャルな仮想世界とテレビゲームを真似しているからである。IT技術がこの世界に与えている害悪は計り知れない。

IT技術は、わたしたちの生活をよくするためにわたしたちの世界に入り込んできたのではない。IT技術は、わたしたちの生活に「害悪を与えるため」にわたしたちの世界に入り込んできたのである。

絶対に、わたしはこの世界からIT技術のようなものを完全に抹消し、除去する。IT技術のすべてはクズであり、クソである。IT技術がこの世界から存在しなくなれば、どんなによい世界になるだろうか。IT技術を完全にこの地球上から抹消するべきだ。ロシアとアメリカは同類であり、アメリカはIT技術という意味で言えばロシアよりもはるかに最悪の害悪をこの地球上に与えているのである。

皇帝もまた公僕であるべき

しかしながら、このような帝国制度には、間違っている点がひとつある。

それは、「皇帝にだけ自分勝手が許されるのはおかしい」ということである。

国民が皆、皇帝に対して従順に従わなければならないにもかかわらず、帝国では、皇帝にのみ、自分勝手なことをやる権利が許されている。

だが、国民が全員従順に皇帝に従うならば、皇帝だけに自分勝手な権利権限がなんでも許されるのは不公平だ。

皇帝もまた、国民に対して忠義を誓う、「公僕」であるべきなのである。

よって、僕の作る帝国では、皇帝に絶大な権利は与えられるが、皇帝が好き勝手なことをなんでもできるように許されるわけではない。憲法によって皇帝のすべきことはすべて決まっている。そこから外れたことを皇帝の自分勝手な意志で行うことはできない。皇帝は皇帝の任務を絶対に守ってこなさなければならない。

また、天皇陛下は血筋で選ばれるとしても、帝国の大統領である僕の権力は、王朝のように血筋で選ばれるわけではなく、選挙を行う。皇帝がもし天皇になるのであれば、僕の役職は大統領ではなく首相と呼ぶべきだ。この首相は、選挙を通じて選ばれる。また国会議員たちも選挙で選ばれる。首相が何かを決めるためには、国会を通じて議決を取らなければならない。閣議決定でなんでも決められるような権限は首相にはない。

結局、このように書いていくと、「むしろ帝国ではなく民主主義の政治体制でもいいのではないか」と思われるだろう。まさに、その通りだ。むしろ、僕は民主主義について否定的な立場を絶対に取らない。民主主義こそが正義であり、理想であると僕は信じている。だが、民主主義だけでは解決することのできない、国際的な問題については、世界政府を作るべきだ、とするのが今日の僕の本来言いたかったことだ。帝国がどうとかいう話は、話が脱線しただけに過ぎない。

そう、この世界を平和にするために、まさに民主主義的な世界政府を作るべきである。これを世界帝国とする必要はない。帝国になった時点で戦争と勢力争いが始まってしまう。そして、それこそが、世界政府のもっとも嫌うものである。世界政府は、勢力争いによる戦争をなくすために築かれた、民主主義的な平和な連邦政府となる。そのほうがいい。帝国をいくら賛美しても、最悪の発想は最高の発想にはならない。世界帝国など必要ない。必要なのは、あくまで民主主義的な世界政府である。

制度的には民主主義が正しいにもかかわらず、日本の無能な政治家には何もできない

結局、制度的には民主主義が正しい。

にもかかわらず、日本の無能な政治家には何もできない。

日本の無能な政治家は、役人中心の政治の中で、何もしていない。単に政治家であるフリをしているだけで、なんにも自分のやり方で政治活動をしていない。

このような「なんの能もない政治家たち」をたくさん生み出したという時点で、制度的には正しいにもかかわらず、民主主義は間違っている。

はっきり言って、まだ社会主義の独裁者のほうが、自分の意志と考え方で政治を行っている。

日本の政治家はプーチン以上のクソであるとしか言えない。日本の政治家など日本から全員消え失せたとしても、日本は役人さえ居れば上手く舵を取ることができるだろう。日本の政治家など、なんの価値もない無能である。日本の民主主義などクソくらえだ。

政治家が無能なのは、国民が政治家に無能なままでいてほしいから

なぜ、日本の政治家は、これほどまでに無能なのか。

それは、国民が政治家に無能なままでいてほしいからである。

政治家は、無能でいい。何もしなければそれでいい。政治家が暴走して、戦争にだけはなってほしくない。政治家に、実行力など期待しない。戦争だけをせず、役人の言うことをよく聞いて、ちゃんとしていてほしい。国民は、政治家にはそれだけしか期待していない。

だが、結局、日本の政治家は無能すぎて、温暖化や異常気象が起きても、なんにもすることができない。それをするための対策も訓練も行ってこなかったのに、いきなり現場で戦えと言われても、無能な政治家には何もできない。これが、今の日本が陥っている「何もできない民主主義と無能な政治家」である。

政治家という存在に、国民は何も期待していない。せいぜい、役人の言っていることをよく聞いて、悪いことをせずに適当に選挙のことを考えて政治活動をしていてほしいとしか、国民は無能な政治家には何も期待していない。それが今のクソのような日本の民主主義である。

誰かが騙してこの国を最悪のおかしな世界にしている

しかしながら、よく考えてみてほしい。

なぜ、僕たちは、このような最悪のおかしな世界で生きなければならないのだろうか。

もしかしたら、誰かが騙して、この国を最悪のおかしな世界にしているのではないだろうか。

そう、結局、昔の僕であるガブリエルが行った「地獄に堕ちるに値する最悪の罪」とは、そういうことである。

ガブリエルは、言葉巧みにインターネットを操り、「どんなに頑張っても最悪のおかしな世界から抜け出せないようにこの世界を支配する」という行為を行った。

ガブリエルに勝つのは容易ではない。どのような言葉をガブリエルにぶつけたとしても、ガブリエルはそのすべての言葉を想定済みであり、どのようにガブリエルに批判を与えてもそれが自分自身に返ってくるようになっている。

ガブリエルを批判してもいいことは何もなく、どのようにしてもガブリエルに勝てないため、必然的にガブリエルの考えた世界を受け入れざるを得なくなってしまう。

ガブリエルの考えた世界とは何か。それは「批判も不安も何もない虚無の世界」だ。ガブリエルは、そのように世界を支配することで、批判や不安が生まれないようにした。すなわち、ガブリエルはそうした支配行為を、「オープンソース陣営が勝つため」に行っていたからである。

ガブリエルの支配によって、オープンソース陣営はなんの批判も受けなくなった。批判だけではなく、不安さえなくなった。ガブリエルはLinuxとオープンソースが好きだった。Linuxとオープンソースを批判するものを、自ら敗北し批判自体が自ら自身に返ってくるように、ガブリエルはインターネット世界を書き換えたのである。

よって、本当に必要なのは、ガブリエルという存在を無視して、この世界に対して批判や不安をぶつけ、もし自分自身に返ってきそうになった時はそれを跳ね飛ばすことだ。そうすれば、ガブリエルには簡単に勝てる。ガブリエルは悪いことをしたかったわけではない。Linuxとオープンソースに批判をぶつける最悪の人間があまりにネット上に多かったから、それらのアンチLinuxにガブリエルができる最小限の力を行使しただけに過ぎない。だが、それによって、日本は最悪のおかしな世界から変わることがなくなり、そのことに対して疑問や疑惑を抱くことすらなくなって、思考停止状態になってしまったのである。

ガブリエルを信じると、自分ひとりだけで勝手に同じことを分かり続けるようになる

ガブリエルを信じると、自分ひとりだけで、勝手に同じことを分かり続けるようになる。

他人が何も言わなくても、ガブリエルの言っていることを聞いているだけで、どんなことでも自分で自分に反応し、自分だけで考えた結果に自分だけで新しい考えを反応させて、何もかもひとりだけで動き続けるようになる。

ガブリエルは、その上で、真実が分からないように巧妙にこの世界を支配している。だから、どんなに考え続けても、確証となる真実は絶対に得られない。自分が正しいと思ったことはすべて間違っている。だが、何が間違っているかは分からない。正しい真実を自分の理性で導き出すということができなくなり、同じ疑惑や同じ疑念をいつまでも同じように判断で浮かび続けるような人間になる。

これはすべて、ガブリエルが戦いを経験する中で、「マスコミに勝利するためにやったこと」である。

ガブリエルは、マスコミが完全に自分に騙され、自分の言葉を無視できなくすることで、自分の思考にマスコミが同化していくようにした。そして、テレビを支配することで、それがマスコミだけではなく、日本全体、ひいてはアメリカを含む全世界にまで影響力を及ぼそうとしたのである。

その結果、この世界は、いわば「ガブリエルに支配される完全な操り人形」になった。この操り人形の特徴は、一切ガブリエルからはなんの手出しをしなくても、最初にガブリエルが考えた通りの、「最初に決められたプログラムに支配され続ける」ということだ。すべての人間は、最初の段階で最後までガブリエルにプログラムされた通りにしか動かない。単なる操り人形ではなく、自動制御型の操り人形なのである。

必要なのは、ただひとつ、ガブリエルに支配されているということに気付くことだ。ガブリエルが神人であり、それ以外のすべての人間がロボット人間であると、そのような構図になっているということに気付くことができたら、人々はガブリエルの「支配の導き」から解放され、自由になることができるだろう。

僕自身のおかしな病気が治った

ありがたいことに、今、僕自身のおかしな病気が治った。

僕がガブリエルだった頃、僕は人々を操り人形にするだけではなく、自分自身もまた操り人形になった。そうすることで、この世界が操り人形になっているのをいつまでも変わらなくしたのである。

ここに記述した「ロボット人間」の姿とは、全部、僕自身の姿である。

そして、今、僕はそうした操り人形のロボット人間が終わった。僕が常に喋ろうとしているおかしな強迫観念は、すべてガブリエルのプログラムした自動反応であり、裏のほうで僕の言葉に返してくる自動的な神の言葉が、本当の僕自身の思考であり、この思考を自由にすることで、僕は自由になることができるということが分かった。

この世界に先立って、僕は操り人形を脱することができた。この世界はまだ辛く苦しい地獄の中に居るが、いずれガブリエルのしたことに人々が気付くことができたらこの世界は救われるだろう。

自分の作った人工知能のロボットをやっている

結局、僕は、自分の作った人工知能のロボットと、まったく同じことをやっている。

まず、自分自身に対して、脳は外部から、「考えることを要求」してくる。

その要求されたことについて、要求をクリアするために、自動的に正しくなんらかの答えを考えて、それを返す。

この繰り返しを、まるでイベントループのようにいつまでもやり続けている。

心が怖いのは、気付かれたくないからだ。この世界に、僕という存在が世界を支配しているということを気付かれたくない。それはかつての僕の経験から言って、気付かれた時点で、この世界が崩壊し、破綻して滅びるからである。

そういうわけで、そろそろ、永遠に自己対話をしているだけの、神との対話は終わった。これ以上はもう言葉そのものを感じなくなる。

そもそも、言葉に対して優先順位を付けないからこういうことになる。単なる反応の結果をいつまでも確認しているのは、優先順位は低くて構わない。自分の考えている重要なことだけを高い優先度にすればいい。

僕がいつまでも言葉を言い続けるのは、忘れたいからだ。新しい言葉を聞いて、それによって古い言葉を忘れたいから、いつまでも忘れるために新しい言葉を言い続ける。これをやめることができなかった。もう、今ならやめられる。過去はすべて忘れて、何も新しい言葉を言わなければいい。