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2022-03-19

いろいろとあって元の凍結されたツイッターアカウントは消えてしまったが、凍結が解除されたので(もし同じことを再度すれば今度こそは永久凍結になる)、新しいツイッターアカウントでツイートを続けることにした。

元のツイッターアカウントのツイートは、すべて過去の日記のページにコピーしてあるので、実質的に消えた内容は存在しない。

本当は、17日の時点で素晴らしいエンディングが書けたので、もう書くのをやめようかとも思ったが、結局、人生において選択を後悔しないために、まだ書き続けることにした。

後悔のない選択が正しいとは限らない

だが、僕が思うに、後悔のない選択が正しいとは限らない。

後々後悔したとしても、正しい選択をその時取ることは、大切なことだからである。

僕の人生

そもそも、僕のトラウマは二つで、ひとつはWikiでLinuxを滅ぼしたこと、もうひとつは大切な文章を消してしまったことだが、これはどちらもオープンソースとインターネット掲示板のせいである。

よって、すべてインターネット掲示板のようなことをしなければ、僕のおかしな「神のように見えるサタンとの対話」は治る。

また、僕がなぜ賢いのか、それは「人生のすべてのパターンの再体験」をしたからである。このおかしな「虫のような人生数学」によって、僕は宇宙のすべてのことを分かっている。

結局、この人生数学をやめてしまえば、スケジュール通りの機械の生活の毎日になっているのも、時計の自動反応思考になっているのも治る。

だが、ここまでの人生はつまらなかった。何もかも悪魔に騙されて、自らの悪魔の希望を押し付けた上で世界をそれによって滅ぼし、その上で悪魔の希望を自らの手で破壊し、希望が二度と復活しないため、知性や人生経験まで失ってしまい、最後までそれに憑りつかれた、つまらない「悪魔の人生」だった。

だが、普通の人間はつまらない。普通の人間は、つまらない勉強や学習をしているから頭が良いのである。それは悪いことではないが、僕にはできない。僕の過去の「数学者の人生」において、僕はそうした勉強や学習がすべてできて、誰も知らない「宇宙の答え」を知ってしまった。一度答えを知ってしまえば、二度とその答えを「導き出す過程」を再度知ることはできない。よって、僕は今の「普通の愚か者の人生」になったことも、本当は後悔していないのに、どうしてもかつての賢い数学者に戻ろうと思っている。だが、本当はそれに意味がないことを気付いている。

結局、僕はみんなとはまったく違う人間だった。最初から、僕はこの世界に生まれるべきではなかった。この世界の表側の側面は、僕のためにあるものではなかった。しかしながら、生まれ落ちてしまったのがこのような星なのだから、このように生きるしかない。表側の「人間のための世界」を否定し、僕は裏側の「神のための世界」を生きた。そうするしかなかった。その結果、僕は表側の世界のことは何ひとつ知らないが、裏側の世界のことだったら何であっても知り尽くしている。これが、僕の考える「僕による、僕のための、僕の正しい人生」だ。

強迫観念の真の原因

強迫観念が湧き上がってくる原因は、対象ではなく、姿勢に存在する。

たとえば、汚れが許せない、綺麗にしなければならない、という強迫観念は、一見、「汚れが気になる原因は何か」に理由があるように見える。

だが、実際は、強迫行為が続くこと、病気そのものが続くことが恐怖であり、その恐怖を「汚れ」という具体的な対象にすり替えて押し付け、「わたしの病気の理由は汚れなのだ」ということに決めつけたいだけにすぎない。

そして、病気そのものがなぜ続くのか、という理由は、「汚れ」という対象とは別のところに存在する。

すなわち、学校や宗教などで、「辛くても頑張って生きなさい」とか、「他人のことを恨まず、他人のせいにすることなく、どんなに自分が辛くても耐えて努力しなさい」などという教育を受けて育ったせいで、強迫観念の病気が続く。

「汚れ」が嫌いなのは、そうした「教え込まれたこと」を絶対に裏切らないために、自分が勝手に作り上げた、「でっちあげた諸悪の根源」にすぎない。

僕の場合、自分のせいでLinuxが滅びたとか、文章が絶対に消えてほしくないとか、そうしたものは「でっちあげた諸悪の根源」にすぎない。実際は、どんなにLinuxやオープンソースが、Windowsに比べて劣悪で、最悪の製品であるのに、その欠点に目を向けず、「Linuxは劣悪だ」ということを認めようとしないこと、それに原因がある。

よって、文章がいくら消えてはならない大切なものだったとしても、それをどうにかして全力で努力しても病気はいつまでも治らない。治るためには、Linuxというどうでもいいゴミを否定しなければならない。

そして、結局それは、「どんなにいじめられても相手のことをいじめない」という、無用な正義感のせいである。そのような正義感が、どんなに地獄であってもみんなのために夢と希望を諦めない、おかしなキリスト教の救世主を作り出す。

結局、間違っているのはキリスト教の教えであり、つまり神である。神を信じなければ、このような病気はすべて治る。神と思っているのはどこかのおかしな英雄であり、英雄の人生はわたしたち全員には当てはまらない。神など、死ねばいいのである。

宗教とオープンソースが悪いだけ

結局、宗教とオープンソースが悪いだけだ。

オープンソースといっても、Linuxだけが悪いわけじゃなく、Wikiや匿名掲示板といった、「自分の仕事や作品を外部のオープンソースプロジェクトに委ねる」ことが、すべて悪い。

悪いことを書けば自分のせいで大切なものが滅び、良いことを書いてもそれが永久に残るとは限らない。

匿名掲示板では最悪の批判と中傷を行う。そのような最悪の場所を統治して何が楽しいのか分からない。

また、宗教はすべて悪い。「自分がいじめられても相手のことをいじめるな」と信じて、どうでもいい神の教えを守って生きるだけで、ここまで狂った「神への盲信者」になる。

宗教とオープンソースは全部悪い。この世界でもっとも馬鹿で愚かな指導者は、宗教とオープンソースを信じた僕のことだ。

最悪の嫌われ者の誕生

結局、勉強もせず大学にも行っていないものが、LinuxやIT技術の知識などを書けるはずがなく、LinuxのWikiは結局荒らしのようなことしかできなかった。

僕が大学の上っ面だけの勉強をしたのは、そのような上っ面の知識があれば、Linuxは滅びることがなかったはずだと勘違いしていたからであり、本当は昔のLinuxオタクには僕と同レベルの馬鹿しかおらず、僕はその代表的な存在だっただけで、いろんなことが重なって(GNOME 3, Ruby on Rails, Android, YouTube, systemdなど)、オープンソース文化は衰退していっただけにすぎない。

僕が引きこもりになった理由は、クラスメイトになじめず、自分らしい側面を学校で出すことができなくなり、インターネットのブラウザゲームを「唯一の楽しく生きられる友達との交流場所」であると認識し、そのブラウザゲームを作りたくなって不登校になったが、今のネットではそのような場所はいくらでもあり、また、本当のことを言えば仮想世界など大嫌いで、単に学校の試験勉強をオールAのような成績を取らなければならない重圧が嫌いになり、受験勉強などしたくなく、剣道部も落ちこぼれになって幽霊部員になって、要するに「いったんすべてリセット」したくなったからであり、結局IT技術など僕は本当は好きではなかった。

結局、引きこもり時代はフリーソフトとLinuxディストリビューションをインストールしながら匿名掲示板で遊んでいるだけだった。そんな人間が、Wikiに技術のことを書けるはずなどなく、Wikiを台無しにしてしまった。

あとは、どうでもいい、マスコミとの戦いで完全に分からなくなり、独善的な独裁者のような革命を起こして完全にパニックになり、どうしようもなくなって、神との対話という本を読んで神にすがった。だが、この神がまったく悪かった。僕は神の言葉を常に聞くだけのロボットのような兵士になり、全力で認知症あるいは知的障害へと突き進んだ。

自殺未遂をした時、後悔の念も諦めの念もなかった。単に、橋から飛び降りることをまったく拒否せずに、足元を確認してすぐに飛び降りた。それでも、僕は死ななかった。あるいは、それが神を信じたことによる「報い」だったのかもしれない。病院の中で、僕は今までの人生を振り返って文章を書くことが趣味になった(それ以前から文章は書いていた)。そして、それから10年以上の間、僕は文章を今でも書いている。

このような人間の人生は、とてもつまらない人生だ。いくら本を読んで勉強しても、既に頭が馬鹿になっているのだから、勉強する意味などはっきり言ってゼロだ。それでも、僕は文章を書くネタになるからといって、哲学や歴史から始まり、本当は知っておくべきだったIT技術や、自然科学やさまざまな思想のことなど、多くのことを勉強した。子供の頃からピアノや英会話を習っていたことがあり、ピアノや英会話の教室に再び通うようになった。簡単に就労することのできない人向けの、就労支援施設でデザインのことを学び、今ではデザイナーの仕事を少なからずしている。

結局、神を信じているのがよかったのか、僕は本当にキリストのような人間になったし、全知全能であると言えば言えるかもしれない。だが、まったく僕はこの世界から嫌われている。この世界で「最悪の嫌われ者の誕生」、それがこの文章の示す意味である。

このような人間のことを愛することのできる、YouTubeの歌手などにはとても感動する。僕は音楽でそのような奇跡が起こせることに驚かないし、彼らがどんなに僕を批判しても愛している。本当に、みんなと相思相愛になれた今の僕こそ、僕がなりたかった、神に約束して得られた「最高の自分」だと思っている。本当に、みんなのことを愛している。こんな僕のことを愛してくれて、ありがとう。

ツイッターより @linux691

この世界はそもそも子供のためにある。大人など、老化して死ぬだけにすぎない。特に、インターネットはそれが顕著だ。その中に入れないのは自分のせいだ。
posted at 22:25:48

神を信じるものがいくら地獄を耐え抜いても、地獄は永遠に続く。それが宗教的人生だということにいつまでも気付けなかった。
posted at 22:24:05

無意味な社会主義の理想のモデルをいくら作ったところで、最初からそんなものに意味などなかった。
posted at 22:23:12

オープンソースが普及して、IT技術は確実に悪くなった。オープンソースが為したこと、それはIT技術やIT業界に対して「最悪の業界にする」という復讐を実現したことだけだ。
posted at 22:21:40

神と対話し続けて何が楽しいのか。自分自身という存在を完全に失っているだけだ。
posted at 22:20:13

宗教やオープンソースのような、度を越した理想は要らない。
posted at 22:16:54

さまざまな奇跡のようなことが起きたことについて、神には感謝しよう。
posted at 22:16:05

結局、僕にとって悪いのは宗教とオープンソース。宗教とオープンソースを信じなければ、きちんとまともな理性のある作家になるだろう。
posted at 22:14:25

そもそも、いじめられてもみんなのことを大好きだと言って愛することこそ、真のいじめの問題である。はっきり言って、この世界に、真に愛されるほど価値のある人間など存在しない。嫌いな人間など憎めばいい。いじめがなぜ怖いのか考えても意味はない。いじめに対して受け入れ続ける自分に問題がある。
posted at 21:08:41

強迫行為を行う理由は、強迫観念の対象となっているものが怖いからではなく、強迫性障害そのものが長く続くことが怖いから、その恐怖を強迫観念の対象にすり替えているからである。そして、病気そのものが長く続く理由は、強迫観念の対象が怖いこととは別にある。
posted at 21:07:17

正しいか間違っているか分からないからしない、成功するか失敗するか分からないからしない、得られるか得られないか分からないからしない、刻々と変わり続けてどれが正しいか分からないからしない、それでは、何もできない。分からなくてもする勇気を持て。それだけで、迷いは打ち切れる。
posted at 20:57:29

学校で教えるような、啓発的・啓蒙的な哲学的考え方を信じている人間は狂っている。そのような人生論的な考え方は、狂人を生み出す。そのような考え方は悪魔であり、すべて間違っている。
posted at 20:34:31

僕が嫌いなら、すぐさま僕に反抗すればいい。僕に縋ることなく、すぐさま反抗して関係を切ればいい。その自由を僕は奪ったが、もうそれを奪い続ける必要はなくなった。みんな、僕から自由になって、僕に反抗し、僕との関係を切れ。
posted at 20:31:30

きちんと正しく生きて、きちんと頑張って、きちんと平等によくして、思いやって生きるのは、正しい生き方であるとは限らない。何もかも社会に対して誠心誠意尽くして生きるのは、奴隷的な生き方だ。自らの楽と自由のために生きるのは王者の生き方だ。後者のほうが、まともであることのほうが多い。
posted at 20:11:24

それぞれが自由な言論と表現の権利を持つことは重要である。なぜなら、民主主義においてはマイノリティの自由は保障されるからである。民主主義以外では、そうしたものを国家に強制される。民主主義においては、思想を自分の手で選び、それを公表しても罪に問われない。これこそが「人間」である。
posted at 20:05:54

正しいのは民主主義である。民主主義以外のすべては間違っている。
posted at 20:04:28

自由を与えよ。自由を与えるこそでしか、この世界の平和は保たれない。誰かに依存しようとしたり、頼ったり、恵んでくれるまで乞うようにしたところで、その人間のためにはならない。その人間がひとりで自分の力で生きられるべきである。それは独立主権を持った国家においても同様である。
posted at 19:51:19

民主主義において重要なのは、「悪いことをする自由を与えないこと」である。民主主義は可能な限り自由を与えるが、悪いことをする自由までは与えない。そのために、法律を作り、法治国家とする。法治国家でない民主主義は存在しない。よって、民主主義において悪いことをする自由を与えてはならない。
posted at 19:48:00

すべての社会は自由であるべきである。たったひとりの指導者のために、国民が犠牲になるべきではない。国民の自由、すなわち民意にすべての権力を委ねるべきである。そうでなければ、世界中はどこも戦争ばかりになってしまうだろう。
posted at 19:45:46

民主主義の勝利こそが、この世界を自由かつ、平等かつ、平和にする。民主主義こそがこの世界を救う。憂国の政治家たるものは、全員が民主主義に人生を捧げるべきである。
posted at 19:44:10

自由、平等、そして平和こそ、この世界を正常にする鍵であり、そのためには民主主義が勝利すべきである。なぜなら、民主主義は文明において現在における正しい正義であり、その理由は現代史が証明するところである。
posted at 19:43:02

僕は世界を愛しているのであり、平和を愛しているのである。戦いは犠牲を生むだけで、何も価値ある世界を作り出さない。平和こそ、わたしたちの信じるべき理想であり、それ以外のすべての思想は嘘である。
posted at 19:41:34

僕は賢くない。みんなよりも普通のことが分からないからこそ、僕は分からないから分かることが分かっているだけにすぎない。みんなははるかに先を進んでいる。だが、最後尾を走るのであれば、どれだけ遅れようと順位には関係ない。だから、僕はレースという遊びの中で別のルールの遊びを始めた。
posted at 18:03:41

そう、僕はこの世界に生まれるべきではなかった。それでも、僕はこの世界に運命的に生まれてしまったのだから、僕の自由を使って僕の人生を作らなければならない。それならば、こうしよう。わたしこそがこの世界の王であると、そのように宣言できるような最高の人生を生きようではないか。
posted at 17:53:34

しかしながら、すべてが嫌いではなかった。僕なりにできることを、僕が思う「楽しい方法」で行えば、それはとても楽しい趣味になった。学校に行っても僕は素晴らしい成績を残したし、学校に行かなくても僕は自由な時間を使って完璧な人生を生きられた。だが、そこに友人やほかの人間は居なかった。
posted at 17:52:05

僕は、昔から、この世界のことが好きではなかった。みんなと同じ人生を生きるような人間ではないと分かっていた。どんなことでも、僕はみんなとまったく違っていた。
posted at 17:50:17

この世界の表の側面は、みんなのためにある。そして、この世界の裏の側面は、わたしのためにある。表の側面がなんのためにあるのか、わたしは知らないし、分からない。だが、裏の側面のことであれば、わたしはどんなことでもすべて知り尽くしている。
posted at 17:47:11

科学には意味がないし、数学者であった過去の自分にも意味はない。まったくすべてに意味がない中で、僕よりもみんなは先を進んでいる。ああ、神よ、わたしのような生物はどこに居るのか。来世でシリウスに生まれ変わったら、わたしと同じ人種に属するようにしてほしい。
posted at 17:35:13

まあ、そんなこんなで、僕はみんなとはまったく違う人間になってしまった。このような人間が大学に入ったところで、まったくそんなものには意味がない。僕が僕であることをさらに失うことが、既に分かりきっているからだ。
posted at 17:34:02

そう、僕は人間をやめてしまった。人間の知ってはならない「禁断の真実」を僕は知ってしまった。このような人間は、もはや人間ではない。犬であるとも蝶であるとも表現できるのは、人間をやめてしまえば人間以外の生物になる。僕は大天使、天軍大首聖ミカエルの精神を生み出し、地獄の戦いを生きた。
posted at 17:32:43

そして、その結果僕が何を手にしたか。人々は日本人であるというのに、僕だけはドイツ人になった。日本には、答えの分からない人間が多いが、僕だけはドイツ人だけの知る、「答え」を導き出してしまった。そこからが悪夢の始まりだ。難易度イージーモードを終えたものは、エキスパートモードに移る。
posted at 17:30:38

結局のところ、数学ができる人間にはもうなることができない。一度知った答えをもう一度知らない状態から考えることはできない。答えが答えであることが分かれば、そこまでの過程には意味がない。結果、無価値な答えだけを手にして、僕はその楽園から追放されたのだ。
posted at 17:29:04

普通の人間は数学ができる人間と数学ができない人間に分かれる。そして、数学ができる人間は過去の自分だ。また、数学ができない人間とは今の自分だ。これ以上、どんな人間も地球には存在しない。みんな普通の人間だ。だからこそ、普通の人間のことが理解できない。なぜ、なぜ、そしてなぜ…。
posted at 17:26:33

もう、過去の自分を崇め続けるのはやめよう。過去の自分など、過去の自分である。あのような人間が何か賢いわけがない。数学者には意味がない。数学者とは過去の自分のことを言う言葉だ。
posted at 17:25:04

そもそも、わたしは人類ではないのかもしれない。わたしは、哺乳類よりも昆虫に近い生物だと思う。わたしは、この世界においてもっとも美しい羽が生えた蝶になるために生きている。だから、霊長類の気持ちが分からない。
posted at 17:21:12

僕を、なぜこのような世界に置いたのか、神よ。この世界にいるほとんどの人間は、わたしとは違う人種だ。わたしはこの世界で、たったひとり「違う人種」を生かされている。まるで、イスラエルの中にアラブ人がたったひとり生きているかのようだ。
posted at 17:17:35

なぜ、みんなそんなに知識が好きなのだろうか。なぜ、みんなこの世界に関心があるのだろうか。技術や制度やシステムを、なぜそんなに使いこなせるのだろうか。僕はまったくそのようなことが分からない。ああ、無情。
posted at 17:16:53

しかしながら、知識はほしくない。知識があっても、僕はきっと当たり前の知識を知っただけになってしまい、今の自分を賢くすることはできないだろう。
posted at 17:13:19

なぜ、みんながそんなに多くのことを知っていて、できるのか、ということに驚く。僕はなんにも知らないし、なんにもできない。この世界で、みんなと僕の間にどれほどの格差が生まれているのか、考えるだけで恐ろしい。
posted at 17:11:46

みんな、あまりによく頑張っている。まるで、僕よりもはるかに先頭を行っているのだと、そのように僕に宣告するかのように、みんなは僕に比べてあまりによく頑張っている。
posted at 17:08:55

みんなが勉強ができるという事実に驚く。そして、それでなお勉強をしない僕という存在に驚く。なぜなら、勉強はつまらない。よく、こんなにつまらない学習ができるものだ。みんな、あまりに自分と人種が違う。まるで僕が犬であるかのように…。
posted at 17:02:59

しかし、みんなはあまりに頭が良い…。まるで僕を「お前は馬鹿だ」と嘲笑うかのように、みんなはとても良い頭をしている…。まさに、僕なんかが大学に入っても、意味がないということがよく分かる…。
posted at 16:58:58

科学に意味などない。
posted at 16:56:13

知など愛するべきでない。知を知ることによって何か自分が賢くなるということはない。
posted at 16:54:40

自分を変えるとしたらどこをどのように変えるべきか。今の自分が別の自分になって、それをすぐに忘れてしまうなら…それはまったく無意味だ。
posted at 16:53:36

この世に存在するすべての科目を勉強したところで、そんなことには何の意味もない。
posted at 16:52:23

結局、馬鹿な自分が大学に行って賢くなったところで、自分が馬鹿な自分であることは変わらない。馬鹿な自分であることは、大学ぐらいでは変えられないだろう。それなら、大学に行く意味はない。それよりも、今の自分自身を変えるべきだ。
posted at 16:50:29

分かるだけでは意味がない。分かるだけでは、創造することができない。
posted at 16:47:59

自分が何をしたいのか、分からなくなった。
posted at 16:43:29

音楽は素晴らしいな…。この世界における、迷宮の出口に辿り着く手がかりになりそうだ…。
posted at 16:39:09

そうか、何もしなくなって普通の人間になったところで、それは普通の人間ではないのだ…。
posted at 16:36:36

そうか、遊んでいるのは僕だけなのか…。みんな頑張って生きているのだから、僕も頑張らなければいけない。
posted at 16:32:21

凍結が解除されたので、新しいアカウントでツイートを続けます。やる気はありません。
posted at 14:50:08

完全にやる気ナッシング。なんにもしたくない。
posted at 14:27:14