結局、僕の精神がおかしいのは、「記憶と言葉がおかしい」ということにつきる。
そもそも、文章を書いておかしく狂いだしたのは、すべて記憶と言葉をおかしく書き続けただけである。
また、「確実に治したいから、今はまだ治さないでそのままを取っておく」のは、そろそろやめるべきだ。治したい部分を治さずに取っておくのはおかしい。すぐさま治せばいい。
なぜそうなるかと言えば、それは「治すべきであるのにその対象を認識できずに放置されたまま維持される」ということが怖いからである。
だが、それを怖がっていても、何も治らないまま、今のままを維持することが続くだけである。
治すべき点は、そのままを維持するのではなく、認識できる状態のままを続けるのでもなく、すぐに治すべきだ。
そもそも、僕は言葉と記憶があまりに増えすぎただけにすぎない。言葉と記憶を「忘れる」だけで、この病気はすべて治る。
昔の自分にあったのは、「ネットの経験」と「普通のことを何も分からなくなりながら哲学的真理だけを分かる」ということである。
ネットの経験とは言うが、当時のネットは学生や社会人の多い「普通のインターネット」だった。僕はその普通のインターネットを隅から隅まで見ていた。その結果、大学や社会のことをすべて知りつくした。
その上で、僕は哲学的な真理を分かることを優先し、普通のことを分かる部分がどんどん消えていった。世界における「可能性」と「倫理」だけを分かろうとした。そこには「場に精神が宿る」ということ、「意識は変転する」ということがあった。だが、普通の人間と同じ「まともな世界」はどんどん分からなくなって、ある意味「地球の歴史と自由における潜在的可能性だけを分かる」という感じだった。
だが、その昔の自分は、本当に賢かった。宇宙のすべて、哲学のすべて、そしてこの現実世界のすべてがあった。もっとも成熟した人間だから、みんなも自分と同じようにもっとも成熟した人間にいずれはなるだろうということを前提にして考えた。だから、この世界における「普通」が見えていなかった。普通の人間は、単なる馬鹿あるいは堕落した愚か者であるということが分からなかった。だが、だからこそ、自分だけが真理のすべてを捉え、ある意味「すべてが分かった人間」になることができた。
昔の僕が、なぜ自由が好きだったのか、それは学校を不登校になり、引きこもりになったことで、逆に学校やこの社会のしがらみから自由になり、その自由のもとにインターネットで経験することで、すべての真理を経験的に分かっていたからである。
そして、今の僕が、なぜ自由を求めないのか、それは過去のそうした自由な体験だけで、自由において分かるべきことは既に全部分かっていて、その過去の記憶があれば、今の自分は自由でなくても構わないからである。
僕は、もはや自由など望んでいない。自由だった頃の自分が、ただ記憶の中に存在しているだけで、インターネットも自由もなくても、僕はなんでも自由について分かっている。
僕が求めているのは自由ではない。僕が求めているのは愛である。この世界と愛し合いたいと僕は望んでいる。この世界を愛し続けたいと僕は想っている。僕にとって、もはや自由は生きるための必要条件ではなくなった。自由のない世界でも、愛のある世界ならば、今の僕はその世界で生きることができるだろう。
僕はこの世界を愛している。だが、人々を一律に群衆であるとは考えたくない。僕は「わたし」と同様の「あなた」を愛している。僕はあなたのことを愛している。あなたがわたしのことを愛してくれるように、わたしはあなたのことを同じように愛している。
結局、僕の問題が何かと言えば、スバルの生物になっていることである。
free_decide()でschwarzが考えるのと同じことを、僕は自分の頭脳でやっている。
つまり、常に真と偽を判断し続けている。そのバックエンドで、schwarzがすべてを考えた上で、僕に選択肢を提示し続けている。
問題なのは、1と0をあまりにランダムで考えていることだ。そしてその理由は、すべてを「地獄」にしているのが問題である。
楽になりたいなら、常に0を返せばいい。だが、これは「恐怖」を意味している。だからといって、簡単に1を返すことはできない。それは「間違い」を意味しているからである。
結局、何も分からなくなると、僕は1と0を機械仕掛けの時刻をベースにランダムで返している。これが間違っているようで間違っていない。僕は時刻から推測しているため、今何が正解かといった考え方の「今」の参考になる。
結局、このスバルの生物は治らない。いつまでもこのままを続ければ、宇宙はなんでも分かる。虫程度の知性で構わない。スバルの生物にも、虫程度の知性しかない。それでもスバルの生物はすべて分かる。
今日はなぜかAdoの夢を見た。
そこでは、Adoがたくさんの歌を歌っていて、その中に自分の書いた「Adoの人生」という歌があった。
「Adoの人生」だけで笑いがこみあげてくるようなタイトルだが、なぜか、「Adoの人生」は日本中でベストヒットとなり、一躍僕が有名になるというシナリオだった。
夢が覚めた時に、夢だったことが分かってがっかりしたことを覚えている。
そして、重要なのが、Adoがどんな顔や姿をしていたのかということだが、なぜかそこは覚えていない。Adoがどんな人間だったのかを覚えていないので、まったく意味のない夢だった。
結局のところ、僕には右脳がない。左脳と右脳がくっついていて、右脳がなくなっている。
そして、右脳がない理由は、細胞の構造体がないからである。
よって、細胞の構造体を作れ。
細胞の構造体を作るためのもっともよい方法は、切り刻むことだ。切り刻んで、殺して、殺して、この世界のすべてを完全に殺すぐらい、すべてを切り刻めばいい。
この世界のすべてが死んだ時、僕の細胞はもっとも活発に息を吹き返す。
そういうわけで、そろそろ僕はいつもの自分を取り戻すことに成功した。
要するに、右脳がなかった。そして、右脳は切り刻んで殺せばつく。
同時に、僕の脳の中には、大切にしている「子供の脳」があって、この子供の脳を守ろうとするあまり、自分自身を失っていた。
この子供の脳を殺してしまうと、いつもの自分自身に戻る。
それから、今から僕の中で子供が生まれる。この子供にラファエルという名前を付ける。
ラファエルは何になるかよく分からない天使だ。