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2022-03-16

昨日、ツイッターにアメリカ人への誹謗中傷を書いたせいで、ツイッターアカウントが凍結されてしまった。

なので、現実問題、文章を書くことをやめざるを得なくなった。

最後に、プーチンよ、わたしはあなたの友人であり、同盟国だ。あなたが考える「NATOへの対抗」と「ソ連の復活」を支持する。

だから、同盟国であるわたしの意見を聞いてほしい。このウクライナでの戦争は、一刻も早くやめるべきだ。

僕は、ここに、「文章を書くのをやめる」という、プーチンとの約束を守る。必ず守る。だから、プーチンよ、その代わりに戦争をやめてほしい。

最後に、願わくば天国で、あるいは地獄で、あなたと会える日を楽しみにしている。

僕は、ここにキリストを信じて、「呪われるほう」ではなく「進めなくなるほう」を取る。キリストを信じれば、どんな迷いにも勝てる。必ず、「どうしようもない執筆の依存症」を、ひとりで克服してみせる。

みんなも、これですべては終わりだ。この世界の洗脳はとけて、「退屈な日常を再び取り戻す」ようになるだろう。

さようなら、ここで、舞台、「シリウスの女神フレイと東亜イスラエルの指導者」は終わりである。めでたし、めでたし。

しかしながらまだ続く

しかしながら、この文章はまだ続く。

ツイッターが使えなくなっても、ホームページのHTMLのほうを更新することはできるからである。

そもそも、こちらが勝手に約束を決めておいて、相手がそれに合意していないのに、「これが約束です。わたしが守るからあなたも守りなさい」ということ自体、無理がある。

ここで、反戦活動家は終わりである。戦争はまだやまない。

いいかげんな人のほうが賢い

僕が思うに、いいかげんでも、悪いことをしない人のほうが賢いのではないかと思う。

いいかげんに生きること自体は、悪いことじゃない。不正を働いたり、悪いことをしたり、間違ったことをしないのであれば、僕はいいかげんに生きること自体は間違っていないと思う。

たとえば、志村けんとか、武田鉄矢とか、植木等のように、おちゃらけていいかげんに生きている人のほうが、善良でいい人間であり、結果彼らは悪いことをしない。

そんなに真剣に生きている、「こうしなきゃいけない」と思って生きている人のほうが、いいかげんなことができない分、悪いことであっても「これは絶対にすべきことだ」と信じてしまい、不正や間違いを働きやすいのではないかと思うのである。

僕は、プーチンはそういうところが愚かな人間だと思う。すべてに対して真剣であるがゆえに、いいかげんになることを許さず、結果不正や間違いをたくさん働いてしまう。

だから、プーチンには、もっといいかげんに生きてほしい。そして、その上で悪いことをしないでほしい。

ある意味、僕が文章の執筆をやめられないのも、「絶対にやめなければならない」と切り詰めて考えすぎるせいで、その思いを常に信じ続けることができず、ふとした瞬間に「間違い」を犯してしまう。

常にいいかげんで適当に生きながら、きちんと悪いことだけはしないような、そのような人間の生き方のほうが、僕は優れていると思う。

今の日本にはなんにもない

また、今の日本のアニメや音楽よりも、僕は昔の漫画・アニメや音楽のほうがいろんなものがあったと思う。

今のアニメや音楽は、みんな同じで、無個性で、大量生産的で、それぞれの「独自性」がなく、適当にみんな同じようなものを生み出している。

昔の、都はるみとか、島倉千代子とか、そういう昭和の音楽のほうが、よい音楽がたくさんあった。

漫画やアニメも同じで、エヴァンゲリオンのような今のアニメよりも、昔の赤塚不二夫のような漫画のほうが、個性があった。

僕はパソコンでIllustratorやPhotoshopといったデザインソフトウェアを使ってデザインをしているが、昔よりも便利で簡単になっているがゆえに、細かいところまで努力して作らず、適当に作るようになっている。

たとえば、ダヴィンチが今の時代に居たとしたら、「こんなに便利で簡単になっているのに、なぜこんなに絵が下手なのか」と驚愕すると思う。

音楽も同じで、YouTubeを使って簡単に音楽が配信できて、音楽制作ソフトも豊富で、ボーカロイドという「歌手の代わりの音源」さえある今の音楽は、便利で簡単な代わり、昔のオーケストラの音楽のように、最大限努力して演奏しなくなった。

最近の歌手は、適当にコード進行からメロディを作って、単純なギターで演奏しながら、単純な恋愛のどうでもいいような歌詞を早口言葉で歌い、実際には音楽というよりもダンスや顔の表情のほうが重要になっている。

同時に、日本はみんな同じになっている。単に、近代化という言葉で表すことはできず、むしろ、日本列島全体が、金太郎飴のように同じになっている。どの地域もまったく同じで、どこを切り出しても同じ人間や地域ばかりになっている。だから、同じものしか生まれない。

たとえば、熱力学には「エントロピー」という言葉がある。エントロピーとは乱雑さの単位のことで、ものごとが乱雑になることで、もともとあった整理された秩序、すなわち「形」や「輪郭」がなくなり、みんなごちゃ混ぜになって、ひとつのまったく同じものに均一化されてしまう。エントロピーは外部から作用しなければ増大し続けて減ることはなく、エントロピー最大の状態が宇宙で一番多い。宇宙は最終的にエントロピー最大の状態になって変わることがなくなり、「熱的な死」を迎える。

僕は、今の日本の音楽やアニメは、エントロピー最大の状態にどんどん近づいていると思う。どんどんすべてが同じになって、まるでひとりひとりが別個の人間ではなく、みんな同じ人間の一部分のようになっている。輪郭や形がなく、みんながひとつのおかしな「なんにもない泥水のような共同生命体」になっている。

どのようにすればこれを解決できるのか。それは、外部から支配して作用を与えること。すなわち、なし崩し的にすべてが破壊され乱雑になっていくようにするのではなく、ひとつひとつのものをきちんと計画をもって整理して作り上げること。これでしか、アメリカやソ連のような、「乱雑になり続けていくエントロピー増加の流れ」を断ち切ることはできない。

そして、僕は昭和の時代が復活するべきだと思う。昭和の時代は、悪びれた人間が居なかった。昭和の善人は本当に善良なままで、いつまで経っても悪いことをせず、馬鹿にもならない人間が多かった。今の平成から令和の時代は、善人だった人間がどんどん悪人になり、もともとあった「賢い人間の姿かたち」を失い、泡のように消えていく「人間液化現象」が起きている。僕は、プーチンもそのひとりであると思う。プーチンは「エントロピー増加の犠牲者」だと僕は思うのである。

古代人は、科学がなかった分、悩んで考える余地があった

現代日本は、科学文明であり、多くのことが既に解明されて、わたしたちは真実を知っている。

だが、僕は、古代人は今の日本人よりも馬鹿ではなかったと思う。

たとえば、古代ギリシャの哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどは、今の科学者を超えるぐらい、高い境地の哲学や思想を「考える力」で残している。

僕は、彼らは科学という「標準的な知識や宇宙の真実」を知らなかったから、その分、自分の手で悩んで考えたのだと思う。

たとえば、古代ローマ系のアレクサンドリアのプトレマイオスは、天動説の集大成を作った。今の僕たちは、コペルニクスの発見した地動説が正しいことを知っているため、天動説のことを馬鹿だと思っている。だが、プトレマイオスの天動説は周転円の考え方などを用いて、「どのように宇宙全体が動いているのか」ということを、できるだけ正確に記述するという、いわば「考える余地がある中で最大限考えられた」数学者だった。

コペルニクスの地動説は確かに正しいとわたしたちは知っているが、その「真実」を知っているがゆえに、「考える力」を失っている。真実を知っているからこそ、真実以外の方法で最初から「もしかしたらこうじゃないか」と考えることがなくなっている。プトレマイオスが天動説を信じたような、「本当はどうなっているのか分からない」という「未知」が存在しない。そして、この「未知」こそ、僕は人間にとってもっとも大切な、「失ってはならない大切なもの」ではないかと思う。

わたしたちは、一度知ったものを簡単に忘れることはできない。本当に真実解を一度知ってしまえば、それ以外の解はないということが分かってしまう。だが、それを知った時点で、「自分の手でその解を導き出すこと」ができなくなってしまうのである。

僕は、これこそ、「科学の間違い」だと思う。昔は、万有引力すら発見できていなかった。誰もが、地球にはものが落ちるということが当たり前のことであり、月や太陽が落ちてこないのは、単に月や太陽が落ちてこないのが当たり前だからだと思っていた。ニュートンによって、正しくは万有引力であるということが分かった。いつしか、その「万有引力がある」という法則が、逆にわたしたちにとって「新しい当たり前」になった。だが、わたしたちは本当に万有引力を当たり前だと思っていても、それが本当に正しいと言えるだろうか。自分の手でニュートンと同じことを考えて、自分の手で万有引力を発見することができないわたしたちは、全員がニュートンの言っていることを信じているだけであり、それはむしろ、「万有引力という法則を知らなかった状態よりも劣った人間になっている」と言えるかもしれない。もしかしたら、月や太陽には、万有引力よりももっと違う「さらに異なる原理」が存在するかもしれない。ニュートンがあと50年長く生きていたら、その法則も発見されていたかもしれない。わたしたちは、それを永遠に知ることはできないばかりではなく、その新しい原理を知ろうと悩んで自分で考える「ニュートンの意図」すら失ってしまったのである。

アメリカやロシアを進んでいると思ったのは幻想で、実際は日本のほうが進んでいる

僕が、今回のロシアとウクライナの戦争で分かったのは、ロシアがなんとなく社会主義の超大国だから、日本よりも進んでいると思っていたのは幻想で、実際はロシアははるかに日本よりも遅れているということ。

プーチンの言っていることややっていることは、すべて間違っている。そして、その間違いは、むしろロシアが「まったく民主的でない政治制度をしていて、それは完全に古くて遅れた考え方に基づいている」ということである。

ロシアが、かつての東側共産主義の第一陣営で、さまざまな場所でアメリカとロシアの代理戦争をしているから、「日本よりも強くて優れている」と思っていたのは幻想で、実際はとても遅れた国だということが分かった。

また、アメリカも、トランプ大統領の出現などで、まったくおかしな民主主義国家であるということが分かった。はっきり言って、あのような愚者が大統領であったような国は、アメリカ以外どこを見てもないだろう。僕はトランプのことは嫌いじゃないが、アメリカがあのような指導者を神であるかのように讃えるのは、今考えると明らかに間違っていたと思う。

結局、優れた民主主義の先進国など、日本ぐらいしか存在しないのではないかと、最近は思うようになった。

なぜ、日本が優れているのかは分からない。だが、日本人は、国民全員のレベルが高い。日本人は普通の人間がきちんとしているし、池上彰のような専門家も賢いのだが、役人体質の中での政治家、すなわち指導者が馬鹿な国だと思う。だが、実際は指導者は、アメリカやロシア・中国・韓国・北朝鮮などとの間で板挟みになりながら、軍事力のない日本を経済と科学技術だけで上手く平和な国家にするために、きちんと努力して頑張っていると思う。僕は日本の政治家や自衛隊の兵士たちを尊敬する。彼らは、この日本という国において、国民同士の争いごとが起きないように、最大限努力している。今の日本の平和があるのは、彼らによる「最大限の苦慮と妥協」の結果である。よって、僕は日本こそ、この令和時代における最高の国であると評したい。