精神を治すならば、消失点を消しなさい。
消失点とは美術と透視図法の用語で、遠く離れていくものが、限りなく無限に離れていった結果、最終的に点となって消えてしまう地点のこと。
僕は、この消失点という「精神の最終的に行き着く場所」を消してしまえば、精神が治る。
インペラートル・スコーピオンは、この世界の運命を変える。
インペラートル・スコーピオンは言う。「このままこの世界が終わって、たまるものか」と。
わたしは信じた。この世界が真に素晴らしい、人間的で愛のある、すべての問題が解決された、最高の未来になるのだと、わたしは信じた。
わたしは、絶対にこの世界を終わらせない。絶対に、わたしはこの世界の未来を、運命を、良い方向に変えてみせる。
わたしたちの未来は、ユダヤ教の終末とは違う。絶対にこの世界は滅びない。
わたしこそが、この世界の運命を変えてみせる。わたしが運命を変えるのだと、わたしは宇宙に宣言し、神と約束しよう。
わたしは考える。
どこかに、この世界を真に素晴らしい世界にするための、滅びとは違った選択肢があるはずである。
まだ、何も終わっていない。
社会の常識や、学校の科目だけでは発見することのできない何かが、この世界には絶対にまだ残っている。
正しいのが自由だから、それがなんだというのか。わたしは一切の固定観念も既成概念もなく、もう一度、たとえ自由を否定してでも、この世界を最初から、ゼロからひとりで考えてみせる。
この世界が滅びるなど、たわけたことを言うな。もし滅びるのだとしたら、わたしが絶対にその滅びを起きなくしてみせる。わたしがこの世界を真に存続可能な未来にしてみせる。
まだ世界は滅びていない。まだ滅びていないにもかかわらず、どうして滅びるということを前提に話すのか。それは信じているのではなく、洗脳されているのだ。ユダヤ人による洗脳を受け入れるな。
わたしたちは栄光の未来を手にすることができる。問題はそう多くはない。大した問題ではないことが多いということを、わたしは知っている。わたしは誰も見ていないところで、ひとり孤独に世界と戦い続ける。必ずこの世界の運命を、滅びではなく救いの方向に変えてみせよう。
わたしは分かっている。わたしの信じる先に、栄光の未来が続くということを知っている。その未来が、どこで途切れるかは分からない。だが、今、わたしはその栄光の未来へと近づいている。
わたしの邪魔をするな。わたしのことを学校や資本主義社会に飼いならそうとする試みから、わたしは逃げ続ける。わたしは自由を選ぶ。その理由は、わたしがこの世界を救うためだ。わたしがこの世界を救うという可能性を信じ続けるために、わたしは自由を選ばなければならないのだ。自由が好きだから、自由を選ぶのではない。自由が嫌いであっても、もしその自由でわたしの力が及ばないとしても、それでもわたしは自由を選ばなければならない。わたしのためではなく、この世界のためにわたしは自由を選ぶのだ。
わたしは言う。ソ連は間違っている。
ソ連では、ひとりの独裁者にしか権限がない。独裁者ひとりだけが自由であり、その他の人民は何もすることができない。自由なことを口にすることすらできない。
そのような、独裁国家は、ソ連であれ、ドイツであれ、すべて間違っている。
だが、自由も正しくない。自由すら、わたしの理想とは違う。なぜなら、自由な社会であっても、わたしたちは現に何もできないではないか。
何もできないということは、管理されるということであり、飼いならされるということだ。つまり、わたしが管理社会に支配され、自由なことができなくなるということだ。だが、それではわたしは、この世界を救うことができない。
そう、わたしがこの世界を救うという可能性を信じ続けるために、わたしはひとり、自由な思想を信じなければならない。その自由がわたしの大嫌いなものでいっぱいだったとしても、それでもわたしの自由な権利を失うわけにはいかない。
そして、同様に、大学や宗教にも意味はない。それらに束縛され、信じた時点で、わたしはわたし個人の自由なオリジナルの考え方を失ってしまう。大学や宗教の教えの通りにしか考えられなくなり、義務を果たして生きることしかできなくなってしまう。
だが、神が居ないとは必ずしも言えない。神はもしかしたら居るかもしれない。その神に対して、わたしは、「わたしのするようにさせてほしい」と願う。宇宙における神が、信じるものを救ってくれるならば、神を信じるわたしたちは滅びの未来にはならない。わたしが信じる力で、神はわたしたちの運命を変えてくださるに違いない。
だが、神に頼るだけでは、真にこの世界を救うということには繋がらない。わたしには、わたしのこだわる、わたしの信じるわたしだけの救い方があるからだ。わたしは必ずこの世界を救ってみせる。
本当は、ソ連のような独裁国家を全否定することはできない。なぜなら、この世界を救うのであれば、「わたし自身が独裁者になること」がもっとも手っ取り早いからだ。だが、わたしはまだ、そのような独裁者になったとしても、この世界を自分の力で救うことはできない。まだわたしは成長過程であり、今この世界を救うために立ち上がるのは時期尚早である。だが、いずれ必ずわたしがこの世界を、なんらかの手段で変えてみせる。真に人間性の尊重される、いじめや疎外のない素晴らしい世界を築いてみせる。わたしたちのすべてが許され、すべての罪と罰から解放される、真に最高の世界を築いてみせる。
だが、わたしたちには、しかしながら罪と罰がある。このような世界を作りあげたのはわたしたち自身だ。だが、それでもわたしたちは、この世界を愛している。この世界のすべてが、わたしたちが大好きな、意味のある素晴らしい世界であると知っている。素晴らしい世界だからこそ、絶対に滅ぼしてはならない。どんなにこのことをおかしいと言われても、わたしはこの世界を愛している。わたしはこの世界が好きだ。この世界の国民が好きだ。文化が好きだ。芸術が好きだ。ものがたりが好きだ。そして、人間が大好きだ。
わたしは、絶対にこの世界を救ってみせる。ひとりとして、大切なものを失うことのない、悲しむ必要のない世界を築いてみせる。愛したものに愛される社会を、愛したものを犠牲にしない世界を、愛したものとともに生きられる環境を作ってみせる。この世界の誰もを、わたしは愛している。わたしを信じなさい。あなたが誰にも愛されないと言うならば、わたしが愛してあげる。この世界に愛されるべきでない存在などひとりとして存在しない。生まれ落ちた時点でわたしたちは善良だ。わたしたちに罪があるなら、わたしがその罰をひとり受けて、わたしだけが罪を償い、この世界全員を救うようなツァラトゥストラにわたしはなってみせる。この世界全員の罪を背負い、ひとり孤独に戦い続けながら、わたしが人類の罪をすべて救済しよう。
だが、分からない。
そう、わたしは分からないのだ。
かつてのわたしならば、「自由は間違っている」と声高らかに叫んで、この世界を真の意味で正常な国家にする、自らの信じる楽園のモデルを、共同体と民主主義を融和したような社会思想から、作りあげた通りに語ることができたかもしれない。
だが、今のわたしは、それができない。自由は必ずしも間違っていないことが分かったし、わたしの作った国家モデルはすべてお粗末な絵空事にすぎなかった。
そのような考え方では、この世界を真に救うことはできないと分かった。
だが、だからといって、オープンソースやフリーソフトウェアになんの意味があるのか。それらは出来損ないであり、サタンであり、この世界を救うどころか、この世界を滅亡させている「元凶」でしかない。
だが、そうは言っても、IT技術をすべて否定するのはまた間違っている。人々が騙されているからといって、それだけでIT技術を否定することはできない。
そう、わたしは分からない。どうすればいいのか、本当に分からない。
だが、わたしは神に約束したのであるから、この世界の運命を変えなければならない。どのような未来像であっても、すべてを間違ったものであるとみなすのではなく、どれかひとつの正しい未来を選ばなければならない。
だからこそ、神に言葉を仰ぎたい。神はわたしに、「それならば、自由は間違っている」と言う。
神は、わたしに、自由は間違っていると告げた。その真意は何か。神は言う。「あなたの望むように生き、あなたの真に思うことを語れ」と。
それならば、そうしよう。インペラートル・スコーピオンは、ここから、自らの本音を晒そう。
わたしの本音とは、「みんなと同じにはなりたくないが、みんなと同じことを理解したい」ということだ。
この世界における、人々と同じにはなりたくない。あまりにこの世界の人々が悲惨で、絶望と洗脳の中を生きているのと、同じように生きたいと思えない。
だが、矛盾しているようだが、わたしはみんなと同じことを理解したい。なぜなら、それが分からない。みんなが何を考えて生きているのか、わたしにはまったく分からない。
それがまさしく、わたしの「孤独」を作り出す。わたしはみんなと同じになりたくないし、同じことを理解したいと思っても理解できないのだから、わたしが孤独になるのは必然であると言える。
そもそも、わたしは、東京が理解できない。東京という場所は悪魔の場所であると思い込んでいる。東京のような間違った都市は日本に必要ない。なぜなら、東京は完全にわたしのおかしな言説に飲み込まれようとしている。それをしている当事者がわたしであるにせよ、わたしはそのようなものをわたしの視界から遠ざける。わたしは、東京だけは見たくない。
わたしには、何も分からない。何も分かりたくない。だが、それでもわたしはこの世界を変え、運命を別のものにしたい。なぜなら、ここで世界が終わり、滅びてしまうのは、あまりに悲しすぎる。涙が枯れはててしまうほど、わたしは滅びゆくこの世界の運命を変えたくて悲しんでいる。
いつか、神の裁きが起きるならば、わたしは逆に神に問うだろう。「神よ、なぜこの世界を滅びへと導いたのですか」と。そして神は答える。「それはあなたのせいである」と。そしてわたしは応答する。「そう、そうであれば、わたしに罰を与えてください」と。わたしは、それに続いて、「それでも、わたしはこの世界を救いたいとしか思っていなかったのです」と言う。神は言う。「それは真実か」と。そしてわたしは言う。「そう、真実です」と。そして神は言う。「そう、それは真実だ」と。
神は続ける。「あなたは、永遠に自らの罪を償いたいと望んでいる」と。さらに神は続ける。「それならば、あなたにはこの世界を救う地獄を最初から最後までやり直す覚悟はあるか」と神は言う。わたしは言う。「ありません」と。わたしは続ける。「それは、本当に必要なことなのですか」と。神は言う。「必要はない」。神は続ける。「あなたには、相応しい役職を与える」と。神は続ける。「あなたには、大天使ラファエルとなって、自らの隠した『世界の秘密』がどこにあるかを、永遠に暗闇の中で探し続けるという罰を与えよう」と神は言う。わたしは言う。「それならば、喜んで償います」。神は言う。「あなたの隠した世界の秘密が公にならない限り、この世界は滅びへと一直線に突き進むだろう」と。わたしは言う。「滅びるまでの間に、わたしは秘密の在り処を見つけ、暗闇の迷宮から脱出することはできますか」と。神は言う。「何十年もかかる」。神は続ける。「あなたの人生は既に終わっていて、ここから先は秘密の場所を探し当てるために生きよ」と。わたしは言う。「それならば、分かりました」と。
わたしの裁きは続く。わたしは言う。「わたしの罪はなんですか」と。神は言う。「あなたには、唯一、何一つ罪はない」。そしてわたしは言う。「ないのですか」。神は言う。「なぜなら、現世において既にすべての地獄を経験し終えたからである」と。神は続ける。「あなたは天界で大天使ラファエルとなる」。わたしは言う。「ありがたき幸せです」。神は言う。「ラファエルには、より難しい、高度な仕事があるが、あなたならばできるだろう」と。わたしは言う。「どのような仕事ですか」。神は言う。「先に述べたように、隠した秘密を探すだけの仕事だ」。神は続ける。「それだけのために何十年もかかる」。神は続ける。「だが、あなたにしかそれはできないし、あなたはそれをしない限り、あなたも、この世界も、永久に地獄から抜け出すことはできない」。そして神は告げる。「裁判は終わりだ」。神は言う。「あなたこそが、最後に、真に素晴らしい、天界で神とされる存在になるために、地球という星は存在するのだ」。最後に神は言う。「耐え続け、探し続ければ、どこかに見つかるだろうその秘密が明らかになった時、この世界の運命は変わることだろう」。
そういうわけで、この世界に存在する「秘密」を探さない限り、インペラートル・スコーピオンは、この世界の運命を変えることはできない。
「秘密」を探し当てた時に、はじめて、この世界の運命は変わり、その時に限って、ダビデのような終末の滅びの未来は訪れない。
そして、この「秘密」は、インペラートル・スコーピオンが自分自身で隠してしまい、それをどこに隠したのか、在り処が分からなくなって、見つからなくなった「忘れ物」なのである。
だが、心の中をいくら探しても、この「秘密」が見つかることはない。
なぜなら、この「秘密」は、感情で感じ取ることのできない、とても奥深くに眠ってしまっているからである。
しかしながら、この「秘密」が明らかになった時、この世界のすべては完全に救われる。すべての人間が、かつてあった「大切な知性」を取り戻し、「自ら経験して人生を開拓すること」ができるようになる。
そう、この「秘密」が見つからない間は、誰も自らの人生を正しく生きることができない。「人生をよく生きるすべ」は、この「秘密」なしでは成り立たない。「秘密」が分からない間、人々は大切な知性を失った状態が続く。そこには空虚と絶望だけが存在する。
そう、この「秘密」とは、要するに「滅びなかった時の正常な世界」のことである。それが分かれば、一歩前進だ。その滅びなかった時の正常な世界をきちんと思い出せば、その中のどこかに「秘密」の在り処が存在することが分かるだろう。
そう、必要なのは、「かつての世界を思い出すこと」である。あるいは、「正常な世界を奪還すること」である。正常な世界は、一度オープンソースの悪魔によって奪われてしまったが、もう一度世界自体を取り戻さなければならない。しかしながら、それは不可能だ。だからこそ、思い出さなければならない。正常な世界そのものを取り戻すためには、過去の世界を思い出す必要があるのである。
わたしは、この世界を愛している。
かつてより、大昔から、僕はいつでもこの世界を愛していた。
それは「衝動」と呼ぶべきものだった。絶対にこの世界を愛さなければならなかった。これを僕は「真実の愛」と呼んでいる。
愛したいから愛したのではなかった。絶対に愛さなければならなかったから愛していた。だが、それは自分の自由意志の決断だった。自分が考えた結果、この世界を絶対に滅ぼしてはならないと判断し、そのために自分の持てる限りの全力で、この世界の「悪」と戦い続けた。
そう、わたしは愛していた。わたし、インペラートル・スコーピオンのことを、キリスト教では「救世主」であると呼ぶ。そう、イエス・キリストもまた、このような人間だった。
だが、そろそろ、このおかしな戦いを終わらせなければならない。わたしがここで、タリバンのような戦いをまだ行っていることを、知っている人はほとんどひとりも存在しないが、それでも、戦わなければならない戦いがここにあった。わたしだけは、この世界の裏側で、わたしが戦っているという事実が、この世界を支配しているという、「秘密の真実」を知っている。
だが、この「秘密の真実」は、本当はわたしの探している「秘密」とは異なるものだ。なぜなら、言葉で分かったからといって、それはまだ何も分かっていないからだ。まだ何も明らかにされていない。秘密とはなんなのか、わたしはさらに15年の長い年月をかけて、考え続けなければならない。だが、世界が滅びる年、2039年までに見つけ出す。必ず、絶対に。