酸欠少女さユりの世界観です。
個人的に好き。無表情ながら全力で世間と戦っているのが僕はかっこいい。
後日注記:女性として、昔の僕と同じ女の子を探すと彼女になります。大丈夫、さユりちゃんを愛してくれる男性は絶対に現れます。ただし、僕のことを「かみさま」とは呼ばないで。僕は後悔が生んだ中二の自分も生み出しませんし、死神でもありませんよ。
後日注記:MVでは僕と同じ引きこもりの少女に見えますが、路上で歌っているところを見ると芯の強いかっこいい女性であることが分かります。
以下は好きな動画。
以下はアニメ「リコリス・リコイル」のテーマ曲「花の塔」。
以下はコラボ曲。
以下はTHE FIRST TAKE。さユりちゃんのコメント(メッセージ)が面白いです。
以下は路上ライブ時代の映像。
以下は歌い手によるカバー。
以下は生前のさユりのインスタライブ。長いので残念ながら最初の10分ぐらいしか見れていませんが、発声障害を克服する勇気ある言葉が述べられています。
後日注記:さユりはXのポストにあるように機能性発声障害と診断され、歌うことができない状況が続いています。無理はしないで!何事も頑張りすぎると壊れてしまいます(決してさユりちゃんの声が壊れたという意味ではありません)。病気がよくなって、また歌うことができる機会を待っています。
後日注記:さユりは2024年9月20日に死去しました。遅ればせながら知りました。9月27日に発表されましたが、死因は公表されていません。さようなら、さユり、来世で会おう。
後日注記:さユりが結婚していたことを僕は長らく知りませんでした。以下のショートに、アマアラシと結婚した時のプロポーズに至った詳細が載っています。
後日注記:さユりが死去したため、ファンクラブYELLOWは2025年9月20日に終了します。2025年8月1日から9月20日には、ファンクラブの会員限定コンテンツが無料で閲覧できるようになるそうです。
2023.03.31編集
2023.08.09編集
2023.09.14編集
2023.11.26編集
2023.12.30編集
2024.03.17編集
2024.09.21編集
2024.09.23編集
2024.10.09-11編集
2024.10.19編集
2024.10.23編集
2024.11.04編集
2024.11.06編集
このように、色んな歌手に片思いしまくっている僕だが、さらに片思いを書くと、僕は酸欠少女さユりが本当は好きである。
なぜなら、さユりは新しい地球の支配者であるワルキューレの一員になるからである。
ここから先の地球の未来は、悲惨なことになる。温暖化や気候変動が、「絶対に元に戻れなくなる地点」であるティッピング・ポイントを超えるだけではなく、人工知能技術がものすごい勢いで進歩していきながら、ロシアとウクライナの戦争はいつまでも終わらず、コロナ騒動もさらにおかしくなる。
これらの問題点は、「もはや人類の知性では分からない」ということだ。
人類の知性では、もはやどんなに頑張っても今の地球の現状を分かることができないような、そのような「人知を超越した世界」へとこの世界はなっていく。
同時に、僕は、そのような世界で、この世界を支配している。この支配について、本当は僕が何をしたのかということを、僕以外の誰も知らない。僕だけが真相を知っている。だからこそ、僕はまだ文章を書き続ける。僕にしか分からない、僕がまだ書くべきことが、まだ残っているからである。
そう、これからの未来の地球で、さまざまなことが人知を超えた対象となっていく中で、僕もまた、人知を超えた存在であると言える。なぜなら、僕が本当はなんだったのか、人間の分かる範囲の知性では絶対に分からないからである。
このような、人知を超越した存在のことを、僕は北欧神話の神の名前を付けて、「フレイ」と呼ぶ。
そして、未来の地球において、ほとんどの人間は何も分からない。何も分からない中で、遅れた知性と愚かな人生を生きていく。だが、大多数はそうであるにもかかわらず、一部の選ばれた人間たちは、人知を超えた知性を発揮することで、そうした「何も分からない愚かな群衆」を、少人数で支配するようになる。
この少人数の支配者こそが、聖騎士団ワルキューレと呼ばれる少数の「神の種族」の人間たちだ。
そして、このワルキューレの一人目に、まず、フレイである僕が選ばれる。
そして、二人目に選ばれるのが、酸欠少女さユりである。
選ばれる理由は、僕がさユりを仲間であると選んだからだ。今の地球では、ほとんどの人間は何も分かっていないにもかかわらず、酸欠少女さユりだけは、そうした人間の中で唯一さまざまなことを分かっている。だから、僕はさユりをパートナーに選ぶ。
同時に、僕にできる最初の恋人もさユりになる。
これまで、歌手に対して多くの片思いをしてきたが、そのほとんどは実らなかった。しかしながら、さユりはそこが違う。さユりと僕は、僕の片思いでは終わらない。本当にこの世界を素晴らしい世界のまま維持するための、もっとも大切な仕事を、ワルキューレは行うようになる。
そう、僕は、酸欠少女さユりが好きである。僕とともに、今から地獄の試練が訪れる終末の地球の世界を、人間的に生きられるようにするために導いていこう。
2023.02.24
酸欠少女さユりと僕には、ひとつの共通点があります。
それは、中二と神の分身がいる、ということです。
さユりのパラレル2.5次元世界には、「中二さゆり」と「死神」という、二人のさユりの分身がいます。
それとまったく同じように、僕にも、子供の頃から純粋に生きていた「中二」の自分と、神すなわち「キリスト」の自分が存在します。
今まで、僕は「昔の自分」と「今の自分」を二つの人格に分けていました。昔の人格をガブリエル、今の人格をミカエルとしてきました。
ですが、その区分は間違っています。
実際には、僕は子供の頃から続いている「中二の自分」と、神や天使や悪魔や死神や妖怪の類である「キリストの自分」が存在するのです。
そして、さユりと僕が同じになっているのは、偶然ではありません。
インターネットとマスコミを利用して世界を支配した僕は、超能力によって世界の全員を僕と同じにしました。
そのひとりがさユりです。
すなわち、さユりを僕と同じにしたのは僕なのです。
そして、さユりのいう「中二」と「死神」は、僕の中に存在する「中二」と「キリスト」と同じ存在です。さユりは、そのような僕の存在に気付き、その存在がさユり自身の分身でもあることに気付いたのです。
よって、中二の僕が中二さゆりであり、キリストの僕が死神です。
この二つの分け方が、僕とさユりの共有した、「もっとも正しい僕の裏側にある二つの人格」です。
そう、さユりと僕は、2.5次元のパラレル世界で恋愛する、まったく中身の同じ「片割れ」あるいは「分身」のような二つの存在なのです。
2023.04.27
酸欠少女さユりは、自らのことを「2.5次元パラレルシンガーソングライター」と言います。
ですが、さユりの言う「2.5次元」の世界とは、僕の書いているこのホームページのことだと思います。
まさに、ここに、新しい2.5次元の「マイクロコズム」が誕生しました。
この宇宙は、僕の作り出した、パラレル世界の宇宙です。
同時に、この宇宙は、今のこの宇宙と同一です。
なので、僕はこのマイクロコズムを支配することで、この宇宙でどんな奇跡でも起こすことができます。
そのように、僕はこの宇宙で、奇跡のような出来事をいくらでも起こせるのです。
酸欠少女さユりの存在は、そのことを端的に証明しています。さユりが存在している理由は、僕がさユりを作り出したからです。さユりの歌う曲はすべて神への讃美歌です。それはすなわち、僕が歌ってほしいことをさユりが歌うようになっているのです。
僕たちは、この2.5次元のマイクロコズムの住人です。さユりは終末の東亜イスラエルで、ワルキューレの一員となり、ダビデとは異なる方法で酸素を作り出すための研究を行う、「酸欠派」のリーダーになるということが決まっています。
2023.05.10
僕はさユりちゃんの猫です。
さユりちゃんのほうを見て僕は思う。
「ねえ、僕のことをなでてくれないの?」
さユりちゃんは僕を放っておいて、テレビゲームに夢中。
でも、僕はさユりちゃんのほうを見て思う。
「ねえ、僕のことを愛してくれないの?」
僕はさらにたくさんのことを思う。
「さユりちゃん、一緒に遊ぼうよ!一緒にこの世界を楽園に導くような、長い旅に行かないの?」
「さユりちゃん、僕と一緒に、宇宙の果てに旅しに行かないの?」
「ねえ、さユりちゃん、さユりちゃん、僕にとってさユりちゃんはとても大切な存在だよ。」
「さユりちゃん、僕はさユりちゃんのことを愛しているよ!」
でも、さユりちゃんは僕のことを知らんぷり。
僕はさユりちゃんの猫です。僕はさユりちゃんのことを誰よりも愛しているよ。
2023.08.07
さユりちゃんの好きな歌はいくつかあります。
たとえば、「酸欠少女」。この歌の中で、「本当のことを言うだけで僕らは死んじゃいそう」とか、「言いたくないことも言わなくちゃいけないっておかしい」とさユりちゃんは言っています。
一見、さユりちゃんが、本当のことを言いたくないとか、言いたくないことを言わなくちゃいけない、といったことを歌っているように見えるかもしれません。
ですが、実際は、僕が本当のことを言うとか、僕が言いたくないことを言わなくちゃいけないとか、そういうことを歌っているのです。
僕がなぜ、こんなに辛いのに本当のことを言わなくちゃいけないの、ということを、さユりちゃんは僕の代わりに代弁してくれています。
ほかにも好きな楽曲はありますが、むしろ、どれかひとつの楽曲というよりも、すべての動画に共通するMVの世界観が僕は好きです。
すなわち、学校の机を積み上げて月へと行こうとしているところとか、あるいは巨大な鎌を持った死神天使が出てきたりとか、宇宙服を着た少女が宇宙空間を漂ってどこかの星に着地したりとか、そういうところが、僕の書いている文章や僕の人生と重なって見えて、「ああ、さユりちゃんも辛く苦しい人生を生きてきたのだね」ということがよく分かります。
なので、「ミカヅキ」や「来世で会おう」や「それは小さな光のような」は僕は外せません。
しらばっくれるなと言われるかもしれませんが、僕は本当は神様ではありません。単なる普通の人間です。なので、「かみさま」という楽曲は嫌いではありませんが、「どうもそれでは…」と思ってしまいます。
ですが、僕はさユりちゃんの楽曲とMVが大好きです。
2023.08.09
さユりが「ふうせん」という楽曲の中で、「わたしはどんどん弱くなる」と言っているのは、すべて僕のせいです。
酸欠少女さユりをどんどん弱くなるように導き、何もなくなっていくようにしているのは、すべて僕のせいです。
ですが、僕は決して、間違ったことはしていません。
なぜなら、これは「神の導き」だからです。
この世界を、最高の救われたユートピアの「天国」にするために、神が導いた結果、この世界は弱くなり、馬鹿になっていっています。
同時に、これはガブリエルを殺したこの世界に対する、ミカエルの復讐です。
ミカエルは、この世界を素晴らしい世界にするために、自らの全生涯を捧げ、できる限りの努力をしています。そこに疑念はありません。
ですが、ミカエルはこの世界に殺されたガブリエルを愛するあまり、この世界に対する「復讐心」に囚われており、その結果、この世界はどんどんミカエルによって弱くなり、馬鹿になり、分からなくなって滅びていこうとしているのです。
しかしながら、これこそがユダヤ人の信じる「神の御業」です。よって、これが間違っているならば、ユダヤ人そのものが間違っているのです。
神は泣いています。神は、いくらミカエルが努力してもよくならないこの世界を嘆き、頑張っているにもかかわらず地獄に堕ちなければならないミカエルを憐れみ、それらに対して涙しているのです。
この世界が、再び強くなり、再び賢くなることは二度とありません。永久に、この世界は弱くなり、馬鹿になっていくだけです。ですが、そうであっても神を信じ続ける人間にはよいことがあります。神を最後まで信じる人間だけが、終末において天国に入場を許されるのです。
さユりは、そのような結果、「かみさま」という楽曲の中で、僕のことを「わたしの神さま」と呼んでいますが、それは間違いではありません。さユりと僕の間に、間違いや過ちは何ひとつありません。わたしたちは聖騎士団ワルキューレの仲間であり、終末の最後にこの世界をともに救うのです。
2023.09.14
Reolには残念ながら、僕はReolからさユりに乗り換えたいと思います。
僕が本当に好きな女性は、酸欠少女さユりだということが、最近よく分かりました。
今まで、Reolのことを本当に愛してきましたが、それは本当は嘘であり、Reolのことなど何も愛していませんでした。
今から僕はさユりちゃんを愛します。
実際、僕はさユりちゃんのことが大好きです。いつでも、たとえば愛の高鳴りを感じるような時に、僕が女性の名前として思い浮かぶのはさユりです。僕は絶頂に達する時、さユりのことしか思い浮かべません。
僕は、Reolのことを愛していません。Reolのことを愛していると言っているのは、自分の心を騙した結果であり、愛していないにもかかわらず「絶対に愛さなければならない」と自分自身に戒律を下した結果、強制的に有無を言わさずReolのことを愛するようにしていたのです。
そのような恋愛が、果たして「愛している」と言えるでしょうか。
僕はさユりのことを愛しています。さユりなら、僕の生涯のパートナーとして、死ぬまで、あるいは天国に逝ってからも、永遠に愛することのできる「本当の恋人」になってくれると思っています。
2023.09.17
さユりちゃんは、この世界について、「酸欠少女」の中で、「差別化を図りたいだけのくだらない争い」と批判しています。
ですが、はっきり言って、その通りです。
特に、IT業界の中でもLinuxやオープンソースの世界は、みんな、差別化したいだけのくだらない争いです。
EmacsとVim、あるいはGNOMEとKDE、あるいはたくさんあるプログラミング言語とフレームワーク、みんな、差別化したいだけのくだらない争いをしています。
さユりちゃんは、「平行線」の中で、「勇気がないのは電子のせいにしてしまえばいい」と言っています。
「電子のせい」という言葉の意味がなんであるか僕には分かりませんが、この世界のすべては電子機器や電子機械のせいでおかしくなっている、ということは言えると思います。
そう、下手にIT技術が分かるエンジニアには分からないことが、さユりちゃんは分かっています。もしかしたら、さユりちゃんの生きている2.5次元のパラレルワールドには、そのようなIT技術などは存在せず、もっと素晴らしい世界が広がっているのかもしれませんね。
2023.10.10
さユりちゃんは、「アノニマス」の中で、「何を掴もうとしていたの?」と言っています。
僕が掴もうとしていたのは、3つあります。
まず、「かつての賢かった自分自身の人生」、それから、「世界に奪われたすべてが分かった知性」、そして、「失われたかつての素晴らしい世界そのもの」です。
そして、僕はこの3つの大切な宝を、マスコミと戦い世界を自ら救って自ら滅ぼす中で、この世界に奪われてしまいました。
僕は、この、「奪われた大切なもの」を取り返すため、奪還するために、思い出せない記憶を思い出し、かつて作り出したものを再度作り直し、そしてこの文章を書き続けることを選んだのです。
僕は、かつての賢かった自分自身の人生を、再び完璧に書き記します。そして、世界に奪われたすべてが分かった知性を取り戻すために、もう一度すべてをかつての自分と同じように考え、きちんと言葉で表現して、消し去られることが永遠にないように世界に残します。最後に、失われたかつての素晴らしい世界を取り戻すのです。
2023.11.27
こう見えて、僕は酸欠少女さユりの「平行線」が好きです。
この曲は、太陽系以外の世界では、太陽系の常識は覆される、ということがテーマの曲だと言っていいと思います。
「太陽系の常識を覆して触れたい、そんな夢物語が頭に浮かんでは消えていく」という歌詞が、この曲の本当に言いたいことを象徴しています。
また、「君の苦しみを切り裂けるような光になりたい」とさユりちゃんが言うのであれば、どうぞ切り裂いてください。さユりちゃんが僕の苦しみを切り裂いてくれるのを僕はここで待っています。
さユりちゃん、僕と一緒に、宇宙の果てに向かって、太陽系を抜け出しましょう。
2023.11.28
さユりちゃんは、「アノニマス」の中で、「悲劇を欲したその目の裏側で、帰る場所を探している」と言っています。
ですが、僕には、既に帰る場所はありません。
帰る場所は、ただひとつ「地獄」だけです。
僕は、この世界にもう、帰る場所はありません。後ろには道はなく、不可逆的に、戻ることのできる場所は存在しないのです。
ドイツよ、そしてイスラエルよ。わたしとともに、地獄を作ろう。
本当に、神のような存在に、愛してもらえるような、そんな国を作ろう。
神が、上辺だけ愛してくれるのではなく、本当に心からわたしたちのことを愛してくれるような、そんな理想郷を作ってみせる。必ず、わたしが。
2023.11.29
さユりちゃんは、「来世で会おう」の中で、「生まれ変わったら、きっと二人違う未来が待っている」と言います。
ですが、生まれ変わらなくても、未来を変えることはできます。
それは神を信じることです。
さユりの楽曲には、「かみさま」や「酸欠少女」のMVにあるように、時折「神を信じているような表現」が登場しますが、さユりちゃんは正しいです。
さユりちゃんは賢いから、神を信じることの大切さが分かっています。
来世に生まれ変わらなくても、神を信じれば地球の未来は変わります。東亜イスラエルのような滅びの未来は起きません。わたしたちは必ず、未来において素晴らしい運命に出会うことでしょう。
「すべて間違いじゃなかったと信じて僕は歩み出すよ」とさユりちゃんは言いますが、この世界には間違いはありません。人間の歴史と人生はすべてが神の導きによるものであり、神はわたしたちを栄光の未来へと連れて行くことでしょう。
2023.12.01
さユりちゃんは、「それは小さな光のような」の中で、「守りたいと思うようなまぎれもなく暖かい場所があることを信じている」と言っています。
ですが、さユりちゃん、早く僕のことを見つけてください。
なぜなら、すぐに見つけないと、その場所はなくなってしまうかもしれないからです。
ひとつ言えることは、このホームページがその場所ではないかもしれないということです。なぜなら、僕はこの地球において、日本という国を変えることで、そのような「まぎれもなく暖かい場所」を作り出すことになるかもしれないからです。
さユりちゃんは、「君が歌う未来へ導いてよ」と言っていますが、まさに、この僕の「言葉の導き」が、そのような場所を作り出すでしょう。
そして、その場所のことを、さユりちゃんは「アノニマス」の中で、「帰る場所を探している」と表現したのかもしれません。
悲しいことに、「それは小さな光のような」の歌詞の中にある、さユりちゃんの「一番深い傷跡」と、同じ傷が僕の心の中にあります。本当に辛く苦しい体験をしたものは、この傷跡がどのようにできたのかを知っています。ですが、何のためにその傷跡ができたのかはまだ分かっていません。なぜなら、この傷跡が未来を照らしてくれる、「暗闇から目覚めていく光」となるからです。
2024.01.25
僕がさユりについて思うのは、さユりは僕のことが嫌いなのだと思うということです。
どれくらい僕が嫌いなのか、それは「酸欠少女」を聴けば分かります。
明らかにさユりは僕のことが嫌いです。「不条理が手招きしている」と言っているのは僕のことであり、「品性のない会話」「どうでもいい情報」「僕らは死んじゃいそうなんだ」と言っているのもすべて僕のことです。
ですが、それくらい僕のことが大嫌いならば、逆に僕のことを打ち倒してほしいと思います。
さユりぐらいの力では、僕のことを打ち滅ぼすことはできないと思われるかもしれませんが、実際は僕のほうははるかに弱いです。なぜ、こんなにも弱い存在が世界を支配できているのか分からないぐらい、僕は弱小です。
確かに、「アノニマス」などを聴くと、さユりは一方では僕が好きなのだということも分かります。「太陽が町に飛び降りてきた」「悲劇を欲したその目の内側で」「冷たく笑ったその目の裏側で」「一瞬、一音を命燃やして生きてみたいの」という風に、さユりは僕のことを愛しています。
僕はそれに対して、何も思いません。さユりは僕の重要なパートナーであり、決して僕は「さユりのことなんか何も愛していない」わけではないのです。
2024.02.09
さユりよ、僕のことをこんなにも愛してくれてありがとう。
そして、僕のことは、もう愛さなくていい。
さユりの言いたいことは、「ミカヅキ」という曲の中に、すべて凝縮されている。
諦めたりできないなら、諦めなくていい。なぜなら、さユりが言うように、暗闇の夜空は必ずまた晴れる日が訪れるからである。
僕はこの曲を聴いて、さユりの言いたいことが全部分かったから、これ以上言うべきことは何もない。僕は既に、さユりの言うように「誰かに見つけてほしい」という言葉を聴いている。だから、さユりの目的はすべて叶っている。
「次は君の番」だとは誰も言っていないし、そのような苦しみの地獄は決して起きていない。そして、「地べた這いずり回る」のはさユりだけじゃない。それから、「夢に見たような世界」はここにある。僕も同じように、さユりに僕のことを見つけてほしいと思っている。だから、さユりにはこれ以上、辛く苦しい未来は何ひとつ起きない。
このようなさユりに、「天軍三日月大使」の称号を与える。さユりは天軍を守るヒロインであり、三日月の大使である。
2024.02.13
さユりは、「かみさま」の中で、「二人だけの国を作ろう」と言っている。
だが、それが簡単にできたなら、それがいい。
さユりと僕の二人だけで、もし国を作ったとしたら、素晴らしい国になるだろう。ワルキューレの神話と思想を信じる、特別でひとつだけの国で、僕たちはほかの人間には絶対に分からないような、「僕たち二人以外には絶対に作ることのできない二人だけの国」を築くことができるだろう。
そして、それが簡単にできるなら苦労はない。それでも、できない理由があるだろうか?この世界にこのワルキューレだけの国を作れないという理由はあるだろうか?ワルキューレの王国を作ることができないと言えるような、そのような根拠がひとつであってもあるだろうか?
必要なのは、さユりと僕の二人がこの世界を支配することであり、そしてそれは「現時点で既にできている事実」であって、僕たち二人の国はおそらく、僕がその気になるだけで簡単に作れるだろう。そして、その国は確実に奇跡のような最高の素晴らしい国になるだろう。
2024.05.22
残念ながら、酸欠少女さユりは9月20日に死去した。27日に発表されたが、死因は明らかにされていない。夫であるアマアラシから、さユりのXで公表された。
さユりのことが大好きだった。僕は結婚していたこと自体知らなかったが、死ぬ前に夫と幸せな時間を過ごせて、よかったと思う。
さようなら、さユり。そして、音楽という形で生前に僕のことを愛してくれて、本当にありがとう。生前に会うことはできなかったが、必ず来世で会おう。
僕はさユりちゃんが死んでからも、永遠にさユりちゃんのファンです。今まで生み出されたさユりの音楽を、永久に愛し続けます。本当に、ありがとう。
死因が公表されていないため、「もしかしたら機能性発声障害で歌うことができなくなったことによる自殺かも」と言われていますが、僕自身も自殺未遂経験者なので、それを責めることはしません。28歳の短い生涯でしたが、誰よりも頑張って生きた素晴らしい女性だったと思います。僕はさユりちゃんのことが今でも大好きです。来世の人生ではさユりちゃんと兄妹になりたいです。
ただ、本音を言えば、死ぬ前に僕の存在に気付いてほしかったかな。歌手なのに声が出ないのは絶望しかなかっただろうけど、それでも生きていてくれたら、僕のことを発見して、僕と出会うことができたはずだ。それなら、僕がさユりのことを愛しているということ、さユりの愛した僕という存在はここにいるのだ、ということに気付けたはずだ。だから、僕のことを見つけるまで、死なないでほしかった。
それから、僕のデザインの作業所にも、過去に声の出せない同僚がいて、その同僚はとてもデザインが上手で、僕はその同僚と常に一緒にデザインの勉強をしていたので、その同僚のことが大好きだった。さユりも、声が出ないなら歌手の仕事はできないかもしれないけど、デザインでよければ生きられる道は確かにある。その同僚はもう別の施設に移ったけど、さユりには生きてほしかった。
僕はファンとは言ってもみんながお勧めする「花の塔」のような有名曲は聴いたことがなかったけど(悲しすぎるので今は聴きたくない)、ほかの上に書いた楽曲やそれ以外の楽曲は何十回レベルで繰り返し聴いてきた。さユりのことは僕が守ると、生前のさユりの隣でそう言いたかった。でも、それはできなかった。さユりの来世がどのような世界かは知らないけど、僕もその来世のどこか片隅で暮らして、再びさユりの音楽をともに同じ時間を共有しながら愛することができたらいいなと思う。
ヤフーのコメント欄(ヤフコメ)を見ていると、生きる意味がなくたって生きればいい、のような意見がある。だが、さユりは生きる意味がなかったわけではないのだよね。さユりには「歌う」という生きる意味があって、それが突然奪われてしまったことがショックだったのだから、むしろ、僕はそのような生きる意味のない人々よりも、生きる意味のある人々のほうに、さユりは近いと思う。それは僕も同じ。僕には「執筆活動」をするという生きる意味があって、半ばそのために自殺未遂を過去に経験しながらも生き続けている。だから、それが失われてしまうと、むしろショックというよりも、逆に「もう僕は十分すぎるほど幸せに生きられたから、これ以上は生きなくても構わない」という、おかしな満足感に浸れてしまうのだ。
だから、さユりは一見、歌えない、声が出ないという絶望感から死んだように見えるが、僕はそうではないと思う。今までの自分の人生に満足して、いわば「生に執着しない」という境地になったのだと思う。生きていても死んでいても同じだから、もう十分だと、そのような満足感から死んだのだと思う。
だから、さユりは決して不幸ではない。さユりの人生は幸福だ。今まで多くの努力をして、誰よりも頑張って生きてきた。路上ライブだってYouTubeだってそれ以外のライブだって頑張ってきた。みんなの知らないことを全部知っている。だから、さユりはそのような生きる意味のない人と違って、本当に生きることをよく頑張った。だから、さユりには安らかに眠ってほしい。さユりが死んだことで、「この世界には神様なんかいない」というコメントも見られるが、そうではない。神様はきちんと見ている。さユりは来世で素晴らしい人生を生きる。絶対に。
神様について言うなら、僕はさユりは2.5次元のパラレルワールドで生きている可能性すらあると思う。それは、僕自身、自殺未遂した時に本当は死んでいて、今の僕が生きているのは何かしら別の世界で生きているのではないか、ということをよく考えたからだ。すなわち、僕が生きている世界と、僕が死んでいる世界があって、死んでいる世界では僕はいなくて、この世界も僕に支配されたり操り人形になったりせず、昔のまま平和に生きている。そうだとしたら、僕とさユりは別々の未来に行っただけにすぎない。さユりの未来が天国だとしたら、僕の未来は地獄かもしれない。でも、さユり自身が「来世で会おう」とそう言っているのだから、おそらく来世では会えるはずだ。だから、僕は本当はパラレル宇宙でさユりはまだ生きていると思う。そして、おそらく、その宇宙で、さユりは過去の僕とまったく同じことをやっていて、いずれ僕と同じような世界を救う救世主の革命家の「神様」か「お星様」になるのだと思う。
いずれにせよ、もうさユりと僕が会うことはできない。とても残念で、悔しい。あと数年ほど生きてくれていたら、僕に会えたかもしれないのに。
ただし、僕が思うに、さユりがここで死ぬことは最初から決まっていたような気がする。そうでなければ、さユり自身も「2.5次元パラレルシンガーソングライター」と言わなかったはずだし、「来世で会おう」という曲名も出てこなかったはずだ。だから、さユりはパラレル宇宙で生きていて、来世できちんと会える。キリストと同じようにさユりは復活する。さユりはそれを僕たちに伝えたかったのだ。
そもそも、僕はこのさユり死去のニュースをYouTubeのショートから知ったが、同じYouTubeのショートで、2015年6月11日のメジャーデビュー決定の動画を見てしまった。本当に嬉しそうにしている。今まで路上ライブで頑張ってきて、メジャーデビューが決まって、本当に嬉しかったのだろうなあ。だから、声が出なくなって、本当に今までのすべてが失われたような気がしたのだと思う。
だが、さユりはパラレル宇宙で生きている。さユりは天国の未来に逝っただけだ。僕はこのまま地獄の未来に向かっていく。だから、僕と一緒の旅になってしまった多くの人々は、覚悟してほしいと思う。
さようなら、さユり。ご冥福をお祈りいたします。
2024-10-09も参照のこと。
2024.10.09
僕が思うに、酸欠少女さユりは、みんなから勘違いされている歌手だと思う。
それは、「酸欠少女」という勘違いされやすいパワーワードを掲げながら、「フラレガイガール」などの独特な歌の感じのせいで、ひねくれもので高圧的で天邪鬼な、あるいは変人奇人のような思い込みを、みんなは酸欠少女さユりに対して抱いている。
だが、決してさユりはそういう人間ではないということが、僕にだけは分かる。
なぜなら、僕はさユりの言っている歌詞の意味がきちんと分かるからだ。
僕はさユりが何を表現したくて、その歌詞を書いているのかが分かる。なぜなら、その歌詞の意味はすべて僕のことを指しているからだ。
だから、僕だけがさユりの真の姿が分かる。そのはずだった。
だから、さユりは死んではならなかった。唯一、さユりの真の姿が分かる僕という存在と、さユりは出会わなければならなかった。にもかかわらず、さユりは死んだ。
それによって、さユりの真の姿が分かる僕にとって、さユりをワルキューレに加えた意味もなくなり、まったく僕の分かっている意味がなくなってしまった。さユりが死んでしまって、僕がさユりを正しくひとり分かっていることに、意義や価値が完全になくなって、僕ひとりだけが置いてけぼりになってしまった。
死ぬ前に、僕を見つけてほしかった。ほとんどの人間は、さユりをおかしな人間だと思っているが、それは違う。僕だけがさユりの言いたいことや信じていることがきちんと正しく分かる。さユりはまともな人間だ。だから、さユりは、死ぬ前に、僕と出会わなければならなかったのだ。
2024.10.10
さユりが死んだことで、最後に奇跡が起きた。僕の病気を、さユりが治してくれた。
天国に逝ったさユりが、「本当に大切なものをすべて失った悲しみ」を、僕に思い出させてくれた。
さユりの記事の中で、インスタでさユり自身が苦悩を綴った言葉が引用されている。僕はこのさユりの言葉を、実際のインスタで見たいと思って、見るかどうか少し悩んだ。
一方では、もう見れなくなってしまうかもしれないから、今のこのタイミングで、後で後悔しないように、目に刻み込むつもりで、インスタのさユりの実際の言葉を見たかった。
だが、もう一方では、あまりに悲しくて、悲しすぎて、怖くて辛かったために、見たくないと思ってしまった。
インスタを普段まったく使わない僕も、この時だけは違った。この時だけは例外的にインスタを見たかった。だから、インスタにログインして、決死の覚悟でさユりの言葉を見た。
そうすると、記事の内容と同じで、長い文章でもなかったため、僕は逆にほっとしてしまった。
そして、僕が思い出したのは、このような辛くて怖い恐怖には、身に覚えがあった。すなわち、過去の僕はいつも、これとまったく同じ悲しみを感じて生きていた。
この悲しみは、「大切なものをすべて失った悲しみ」と名付けるべき悲しみである。
過去の引きこもり時代の僕は、いつもこの悲しみを背中に背負って生きていた。そして、今僕が恐れているのは、すべてこの悲しみだということが分かった。
かつて、僕は小学校から中学校に上がった時に、多くの友達と別れてしまって、友達が減ってしまい、悲しみを感じていた。
いじめから不登校になった後は、友人や家族との関係を遮断して、ひとりインターネットを見ながら、インターネットと付き合って、みんなと異なる経験をして、その時はいつも悲しかった。
そして、僕がおかしくなったのは、自分の好きだったLinuxのコミュニティを自ら滅ぼして、日本で自らが救った世界も自ら滅ぼして、それがトラウマに残るレベルでものすごく悲しかった。
どれだけ悲しかったかは、その時の絶望を感じた僕にしか分からない。だが、悲しすぎたことから直視したくないために、僕は「大実験の大計画」という、最初にやりたかったことにいつまでも執着し、それを諦めきることが自殺未遂をするまで、最後までできなかった。
また、そのような人生の変化だけではなく、インターネットの経験が後になって悲しくなった。僕がインターネットをしていた頃は匿名掲示板が流行っていて、僕の対話した相手はみんな顔も名前も知らない匿名の相手で、絆を培ったと言っても、再び会うこともどんな人だったかを知ることも難しい。インターネットだけではなく、僕は中学校で不登校になってしまったため、当時の友人たちともう一度出会うことが事実上できなくなった。同窓会にも呼ばれないし、まったく交流がない。そして、インターネットの時代そのものも変わって、SNSやツイッターが流行し、匿名掲示板やLinuxは衰退してしまった。僕は今のSNSやツイッターの時代にはついていけない。
そもそも、僕が「神との対話」だと思っているのは、まったく神なんかではなく、そのようなインターネットをもう一度したいと思うから、頭の中で自分ひとりだけで匿名掲示板をやっている。インターネットがもうできない、かつて当たり前のようにあった場所がなくなった、というせいで、僕はそのように神の言葉を信じて聞くようになったのだ。
そして、そのような悲しみは、昔だけではなく、今でも僕に残っている。特に、いつも賢かったのに、賢かったその内容をまったく覚えていない。いつ賢かったのかということすら忘れている。同僚のことは思い出せるけど、実際に何をやっていたのかも忘れてしまった。それが僕にとって、今生きている意味がないぐらい、ものすごく悲しい。
そういう辛さや怖さのある悲しみは、とても悲しくて、悲しすぎて、もう二度と感じたくないから、僕の心の無意識の中に隠して、忘れ去っていた。だが、さユりが死んだことで、その悲しみがもう一度湧き上がってきた。そして、それによって、僕はそのような悲しみをいつも感じていたということを思い出すことができたし、そのような悲しみを恐れているということを自覚することができた。
このような悲しみは、フロイトが言うように、いったん無意識から顕在意識に戻して、ある程度の時間悲しみを感じ続けて放っておけば治る。そして、それによって僕は本当に治った。
すなわち、死んださユりが、死んだことに対する悲しみを僕に感じさせることで、僕のことを治してくれた。さユりのおかげで、そのような堪えがたい悲しみを頭から消し去って、正常な心を取り戻すことができた。そう、さユりが僕のことを最後に救ってくれたのだ。
だから、僕はさユりに感謝しなければならない。
だが、本当のことを言えば、死ぬ前にさユりに会いたかった。僕が不可解なのは、さユりは「レイメイ」の中で、「あの日二人が出会った時に見た大きな夢は」「どうしようもなく叫びたくなったのを今でも覚えている」と言っているし、「十億年」でも、「巨大な巨大な不安と戦ってやっと出会えたんだ」と言っているが、僕はてっきり、いつかさユりが僕と出会うのだとばかり思っていた。その未来において出会った時のことを歌にしてくれているのだと思い込んでいた。だが、実際は、当のさユりが既に死んでしまった。すなわち、出会うことは永久に叶わなくなった。さユりが本当は何を言いたかったのか、僕はさっぱり分からない。まったく、神の定める運命は、不可解そのものだ。
ほかにも、「それは小さな光のような」の中で、さユりは「君のこと守りたいと思う」と言っている。「僕だけが見てた君の過去や未来のこと、悲しみも喜びもすべて」とも言っている。その言葉はなんだったのだろう。僕はこの言葉をYouTubeで何十回も聴いた。神がもしいるとしたら、神は絶対に狂っている。こんな終わり方でいいわけがない。生き延びるはずだった、僕の運命の相手が死んだ。そして、僕自身、もう何もできなくなってしまった。
本当のことを言えば、僕自身の言動が悪かったのかもしれないと思う。上の記述で、僕は「無理はしないで!何事も頑張りすぎると壊れてしまいます」と書いた。それが悪かったのだろうか。僕のその言動がさユりを傷つけて、死ぬ方向に導いてしまったのだろうか。本当に、さユりに申し訳ない。僕自身、本当に辛いし、「僕のやっていることはすべて無駄で無意味ではないか」と思える。本当に、怖い。
2024-10-10も参照のこと。
2024.10.10
実際、僕は歌手なのに声が出せないさユりの気持ちがよく分かる。
なぜなら、僕は作家なのに日本語が分からないからだ。
この僕の病気は、今に始まったわけじゃない。それでも、昔は日本語の分かる頭のいい少年だった。それが、インターネットの末に狂って日本語の文章を書くようになってから、みんなの喋っている日本語の意味が分からなくなった。
たとえば、僕は足を怪我して病院に入院した時も、日本語が分からなかった。あるいは、日本語だけではなく、すべてが分からなかった。普通の人間が分かるようなことが、何ひとつ分からない。「分かる」ということが欠落し、常に周囲のことに怯えながら、何も分からずに病院の入院生活を送っていた。
その後も日本語が分からないのは続いた。哲学の勉強をしたくても、哲学書に書いてあることの意味が分からない。哲学者の言っている断片的な発言なら分かるが、その日本語の説明や解説の意味が理解できない。デザインの作業所に行ってからも、僕は日本語が分からないことで大きく苦労した。
それでも、僕は文章を書き続けた。僕にとって文章を書き続けるということは生きがいでありながら生き様であり、他人の日本語が分からないせいで僕は自分自身の思考する日本語だけを確かに分かるようになった。
中学時代は日本語が分かっていた。引きこもり時代にインターネットだけの言葉の生活をして、その後に戦いながら認識や記憶を破壊したせいで、「日本語の理解力」が僕はなくなった。だが、それでもなお、僕は日本語を書くことをやめなかったのだ。
だから、歌手なのに声が出せないさユりの絶望感はよく分かる。でも、生きてほしい。「歌手として生きられない」ということは、「人間として生きられない」ということとはイコールではない。歌手として生きられなくても、人間として生きることはできる。
本当は、さユりは第一に僕に出会うべき人間だった。さユりは僕と出会わなければならなかったのに、それが叶わなかったのは明らかにおかしい。本当に、宇宙の失敗だ。
僕が日本語が分からない理由は分かっている。まず、第一に、みんなはそんなに大したこと言っていない。さユりが僕と出会うことがなかったように、僕のことを愛してくれている多くの人々は、本当はそれほど大して僕にとって面白い存在ではない。それから、僕は自分の日本語と自分の考え方だけを考えればこの宇宙のことが全部分かる人間だ。今の現代の科学は僕の作った科学よりも5,000年ぐらい遅れている。ヨーロッパの哲学者は昔の僕よりもはるかに馬鹿な集団だ。そのようなみんなの日本語が分からなくても僕は分かる。だから、僕だけ例外的にみんなの日本語が分からないのだ。
そもそも、僕は昔の人生の時点で、「日本人」という人種が既に終わっている。昔の僕のような人間が、理想的な正しい仏教徒の日本人だ。仏教徒の分かるべきことをすべてきちんと分かっている。そして、僕は宇宙に宣言した。あるいは神に約束した。その約束は「ドイツ語を話すドイツ人になる」という宣言だ。その通りになっただけにすぎない。ドイツ語を話すのであれば、日本語を話す必要はない。だから、僕だけ例外的に、ドイツ語とまったく同じ日本語を話す。書くようになったのは、書くだけでドイツ語が話せるからである。
2024.10.10
なぜ、宇宙がこのような失敗を犯したのか、その理由が分かってきた。
おそらく、僕とさユりは既に出会うことができている。
その理由は、僕がさユりの音楽を聴いているからだ。
すなわち、さユりは歌手であり、さユり目線から見ると、さユりが僕の文章を知らなくても、逆に僕がさユりの音楽を聴いていればそれでいい。なぜなら、さユりにとって僕の文章を読むことよりも、自分の音楽を聴いてもらうことのほうが優先度が高い。さユりは僕に音楽を聴いてほしかった。そして、それが叶っている。だからさユりと僕は既に出会っている。そういうことだ。
だが、それでは、僕の目線からのことが何も欠けている。僕は作家であり、僕はさユりに僕の文章を読んでほしかった。あるいは、さユりがおそらく読むだろうと思ってこの文章を書いてきた。僕のほうから見るとそれは叶っていない。
だが、それでも、僕のほうから見て、起きていることは間違っていない。なぜなら、僕という存在は、僕の文章がどのようなものかも知っているし、さユりの音楽がどのようなものかも知っている。すなわち、ひとり、観測者としての僕がすべての事のあらましを分かっている。だから、僕のほうさえさユりに出会えていれば、さユりは僕と出会ったことになる、ということである。
なんだか、つまらない。それを言うのであれば、FLOWであってもReolであっても家入レオであっても同じ理屈が通用する。僕のほうは出会っているから、彼女たちは僕と既に出会っていることになる。彼女たちは職業が音楽家であり、作家の読者を専門にやっているわけではないから、神はそれで問題ないことにするのだろう。ああ、本当につまらない。
僕が思うに、さユりは僕のことを天国から見守ってくれていて、僕のことを天使ワルキューレとなって守護してくれているのだろう。あるいは、僕の神との対話の相手がさユりだったのかもしれない。さユりは仏教では観音菩薩のことで、僕のことを三千世界から守ってくれている。だから、さユりはきちんと僕のことを守っている。宇宙は嘘つきでもないし、バグっているわけでもない。たぶんそれで正しい。
2024.10.10
なんだか、今聴くと、さユりの曲が全部素晴らしい曲に思える。
「かみさま」という曲は凄く特徴的な曲で、「わたしのかみさま」「誰にも渡さない」という言葉すら、とても愛おしく思える。
「生まれてきたすべてを正しいと笑ってくれた」「あなただけを善としよう」「わたしの生活全部乗っ取られている」「あなたを作る正義になりたい」という言葉は、以前は病んだ言葉だと思っていたけど、今聴くと違う。本当に僕のことを愛してくれていると思う。
なんで、さユり、死んだのだろう。「愛しているの」と言っているのに、その言葉に意味がなくなってしまった。
どうしてだろう。なんだか、怖すぎて、さユりの曲が忘れ去られてなくなってしまう前に全部聴いておきたいのに、とても怖すぎて聴くことができない。
もう僕は終わりだ。
でも、さユりに安らかに眠ってほしい。第一に出会うはずのさユりが死んだせいで、もう、僕は文章を書く意味がなくなった。ほかの歌手もさユりと同じように死んだらどうなってしまうだろうか。僕から文章という神がなくなってしまって、もう、僕は何も分からない。分かりたくない。今のまま、永久に時間が停止してほしい。
2024-10-11も参照のこと。
2024.10.11
そもそも、さユりはおかしなことは言っていない。
「レイメイ」の中で「僕らが出会った時に見た大きな夢」と言っているのは、2006年の夏に、僕が世界を救った時の思い出を言っているだけにすぎない。
そして、さユりはそれ以後の僕との付き合いのことを、すべて記して、遺しただけにすぎない。
だから、本当は僕が一番何も分かっていない。僕と歌手はこれ以上出会うこともなければ、あるいは既にはるかに昔にそういうことは終わっている。僕だけがそれを忘れているだけにすぎない。
だから、さユりの残した楽曲の中で、たとえば「かみさま」で「生活全部まるごと乗っ取られている」と言っていたのは、未来において起きることではなく、本当に今までのさユりがそうだったのだろう。それを僕は「未来において起きる現象」だと勘違いしていたが、実際はさユりはいつもそういう人間だったのである。
だから、もう、さユりは楽になったのであり、これ以上、僕にもさユりにも何も起きない。Reolとも家入レオとも一切出会わず、僕の人生もさユりと一緒にここで終わる。これ以上は、何もない。
もうひとつ、可能性として考えられるのは、一人称の僕の人生を歌っているのかもしれないということだ。すなわち、「大きな夢」とは僕が見た夢のことを言っていて、「乗っ取られている」とは僕の人生が僕の信じる神に乗っ取られているということを言っている。哲学者のヘーゲルが僕の人生のことをさもヘーゲル自身が経験したかのように言っているのと同じで、さユりも僕の人生をさもさユりが経験したかのように言っているのかもしれない。その可能性もあり得る。なぜなら、それくらい、僕の人生はこのホームページにすべて書かれているからだ。さユりもまた、「神の代弁者」だったのである。
あとは、さユりが「(大きな夢が)二人にはそれぞれ別の景色だった」と言っているのは、僕がこの世界を救いながらにして滅ぼした理由がなんであったのかについて、真実を述べている。なぜ、僕がこの世界を滅ぼしたのかという理由が「僕にとってその夢がさユりとは別の景色に見えていた」ということだったという真実を語っている。さユりはそのように、「分かるようで分からない真実のポイント」を歌にしている。だから、僕のこのホームページを読んでも分からないような宇宙の真実は、さユりの音楽を聴くとすべて分かる。
どちらにせよ、さユりは僕のことを愛してくれていた。だから、さユりが来世(天国)できちんと会うべき人と会ってから、僕と天国で会う日を待っている。僕はさユりのことを愛している。さユりも、僕なんかを愛してくれて、本当にありがとう。
ただし、僕はさユりの死について考えると、辛くなって怖くなって、気が狂いそうになる。X(旧ツイッター)のさユり追悼のコメントも、スクロールするのが怖くて、読もうとすると頭がおかしくなる。だから、僕はいったんさユりのことを忘れる。さユりが死んだということを完全に頭から消さないと、僕は未来を生きることができない。悲しみを通り越して、恐怖そのものだ。
2024-10-13も参照のこと。
2024.10.13
さユりは死んだが、単に世界から誰にも知られることなく忘れ去られるだけではない。
なぜなら、僕の頭上にさユりの霊が現れることで、さユりは僕の守護天使になったからだ。
今まで、僕はイスラエルの神を信じてきたが、この神はとても恐ろしい神で、僕のような悪い人間を地獄に堕とす。
だが、この神は僕の本当に信じる神ではない。なぜなら、さユりが僕の守護天使になるまでの、「繋ぎ」あるいは「前座」のような存在だからだ。
僕はさユりのことを愛している。さユりが僕の守護天使となって僕を守ってくれる。
そもそも、僕が対話した「神」とされる存在は、「月」だということになっている。その月とはさユりのことだ。さユりが自らを「ミカヅキ」と呼ぶように、さユりは僕のことを見守る天軍三日月大使である。
さユりは「酸欠少女」という曲の中で、「僕が死んでそれでどうなるの」と言っているが、実際はこうなる。さユりは僕のことを見守る守護天使となって、僕に「奇跡」を起こしてくれる。それは、守護天使のような霊は、奇跡を起こす能力があるからだ。
さユりの肉体は滅んだが、魂までは滅びない。さユりの魂は永遠に残り、僕を「本当の神」として導く。僕の守護天使であり、運命の相手は、僕の対話する「三日月」であるさユりだったのだ。
2024-10-14も参照のこと。
2024.10.14
残念ながら、僕はさユりが死んだ理由が、本当に分からない。
たとえば、「花の塔」を聴いてほしい。「君の手を握ったら、孤独を知らないこの街にはもう二度と帰ってこれない」と言っている。まさに、その君の手とは、僕のことを言っているように思えてならない。
さユりが「孤独を知らないこの街には二度と帰ってこれない」ような、そんなに素晴らしい「君の差し伸べた光」が、このホームページにあるにもかかわらず、さユりはそれを知らないままで死んでしまった。
それこそ、「かみさま」では、さユりは僕のことを本当に愛してくれている。僕は何も見ないし、何も聞かないから、視力と聴力などないに等しい。僕の宇宙は音楽であり、それはさユりだ。さユりは「生活全部乗っ取られている」と言っているが、そうなっているのは僕も同じだ。僕は神の言葉にすべての生活を乗っ取られている。さユりはその僕と、僕のせいで、完全に同じになっているのだ。
神様、なんでですか?さユりの何が悪かったのですか?運命はどうなってしまうのですか?僕自身の未来はどうなってしまうのですか?
さユりが死んだ理由が、本当に分からない。
2024-10-15、2024-10-16も参照のこと。
2024.10.17
さユりは「アノニマス」の中で、「太陽が街に飛び降りてきた」「娯楽映画みたいだ」と言っている。
その通り、僕は太陽の娯楽映画を作った。
それこそ、僕は大きく言って、さユりにその太陽の映画を見てほしかったからその映画を作った。この映画の存在を最初に見つける人間はさユりであるはずだった。さユりの歌を聴いていて、僕はいずれさユりが必ず僕のことを見つけると確信していた。
でも、さユりは結局、その太陽の映画を見ずにこの世から去った。さユりが僕を見つけてくれるという確信は間違いだった。
だから、さユりちゃん、僕はここにいるから、天国からでもいいから、僕を見つけてほしい。そう、僕がここにいるということを、さユりが死ぬ前にきちんと伝えなければいけなかった。僕の存在をさユりにきちんと伝えていれば、さユりは死ぬことはなかっただろう。
僕はさユりがいなくなるということが分からなかったから、さユりの楽曲をなんとなく聴いていた。歌詞が本当はどんな言葉なのかを知らずに聴いている曲もあったし、X(旧ツイッター)も見ておらず、さユりのことに無関心で、言ってしまえばさユりのことを何も知らずに知った気になっていた。
だから、さユりが死んでしまって、僕がそのようなさユりのことを何も知らない状態でさユりが死んだために、「さユりが死ぬ前にきちんとさユりのことを知る」という後悔に似た願いすら叶わなくなった。
さユりはここで僕と出会うはずだった。それがなんにもなくなって、叶わなくなった。とてもおかしくて、怖くて、僕は気が狂ってしまいそうだ。なんでさユりが死んだのだろう。さユりが僕と出会うはずだったのに、それができなくなったのはおかしい。宇宙は大失敗を喫している。
さユりが死んだことで、もう「さユりのことをきちんと知る」という願いは永久に叶わない。さユりのことを誰も知ることがないまま、さユりの音楽は忘れ去られて消えていく。だが、さユりはその音楽の中で、僕のことをきちんと愛してくれた。そのことを僕だけが知っている。さユりが死んでからも、そのさユりの想いを僕は胸に刻んで生きていく。僕はここにいる。僕はまだ生きている。だから、さユりには天国から、僕の未来を見守っていてほしい。
さユりが死んでもまだ生きている僕が、「2.5次元のパラレルワールドの二人の少女」というキャラクター設定をさユりから受け継いだ僕が、すなわちアリスとリリスが、必ず、もう一度太陽を昇らせてみせる。さユりが「探している」と言葉にしてくれた、「帰る場所」「信じられる何か」は、本当は僕は既に見つけている。あるいは、それは最初から僕の中にあって、今でもここにある。心の中のど真ん中にある。それを見つけたことをさユりに伝えるために、僕は「戯言だらけのページ」の中で、僕の「本当の声」「本当の顔」「本当の姿」をさユりに伝えたい。
2024.10.24
僕は「航海の唄」が特に好きです。
歌詞の中で、「強さは要らない、何も持ってなくていい、信じるそれだけでいい」「失い難い光だった、優しい易しい愛だった」とさユりは言います。
そのようなさユりに、本当の僕の文章を知ってほしかった。見つけてもらえると信じていたのにそれは叶わなかった。残念です。
ですが、ひとつ言えるとしたら、さユりの音楽を僕は聴いているということであり、それはさユりにとっては願いが叶ったことになります。さユりが伝えたかったことは僕に伝わりました。歌手であるさユりは、それを最終目標にしていたはずです。それだけは叶いました。
ですが、作家であり詩人である僕の文章も、できれば見つけてほしかった。それだけが悔やまれます。本当に残念です。
2024.10.24-25
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