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2021-05-第二週

2021-05-第二週のニュースです。

政治経済

資本主義はあまりいい政治経済ではないが、その中で成功している実業家は賢い

まったく、資本主義は、あまりいい政治経済ではない。

同じ人間であるのに、資本をどれだけ持っているかで、できること、すなわち「パワー」が人間によって変化するからである。

どれだけ豊かであっても、力があればみんなが援助してくれる。どれだけ貧乏であっても、力がなければ誰も援助してくれない。

しかしながら、資本主義は現実解であり、資本主義を改革しようとする社会主義勢力は、ことごとく失敗した。

その理由は、「政治経済のシステムにどれだけ欠陥があっても、その欠陥の中で成功している実業者や成功者は当然ながら賢いから」である。

欠陥がある社会だからといって、何もできないわけではない。資本主義社会に生まれ落ちたからには、「配られたカードで勝負するしかない」。

わたし、ロキの思想は、このように「資本主義は間違っているが、その中で努力している人々は間違っていない」とするものである。

2021.05.02

できるだけ自由かつ、できるだけ平等にし、道徳と思いやりと愛を信じるべきである

また、わたしロキの理想は、できるだけ自由かつ、できるだけ平等にし、道徳と思いやりと愛を信じよ、とするものである。

ここには、二つの意味がある。ひとつは、「自らが神であるかのように思い上がらず、謙虚であれ」ということ、「自分たちが多数派だから正しいとするのではなく、弱いものいじめを決してするな」ということだ。

すなわち、自分たちがいつでも正しい、間違っているものは自分よりも劣っている、などという風に考えるな。それはいくら正しく見えても、正しい理想ではない。

2021.05.02

民主主義で団結すれば世界は変えられるだろうが、そのような革新性や発展にはなんの意味もない

また、民主主義で国民が一致団結すれば、世界は変えられるだろう。

しかしながら、そのような革新性や発展には、なんの意味もない。

発展が素晴らしかったのは、決して「自由」でも「民主主義」でもない。人々の暮らしが、王侯貴族ではなくても、階層に関係なく全員が豊かで楽になった、という「平等な社会の進歩」が賢かったのである。

いくら人工知能やスマホで、この世界が自由度と力と可能性を増したとしても、はっきりいって「そんな自由な発展にはなんの意味もない」。

また、おごりたかぶる金持ちが嫌われるのと同じで、十分豊かになった国民が「さらに豊かになりたい」と天狗になるのは、もっとも嫌われる価値観である。

よって、あえて進歩や発展をやめ、みんなが「善良な社会」を築くために、環境保護と弱者救済をしていくこと、それにしか「もっとも新しい正義」は存在しない。そのために、いくら悪いことをたくさんしているとしても、アメリカなどよりも東アジアと友好な関係を結ぶべきである。ネットの右翼による大衆迎合的なフェイクの言論弾圧に負けてはならない。

2021.05.02

金のために生きるのでも、イデオロギーのために生きるのでもなく、みんなのためになることをするために生きよ

また、一個人のできることとして言えば、金のために生きるのでも、イデオロギーのために生きるのでもなく、みんなのためになることをするために生きよ。

自由や民主主義のために戦争し、国際秩序のためであると偽って、自らの正義を守るために人の命を奪う、米ソを代表とする列強国の論理に騙されてはいけない。

わたしたちは、金のためには生きたくないし、イデオロギーのためにも生きたくない。

わたしたちは、みんなのためになることをするために生きたいのである。

どんなに金を持ち、強い力を持っていたとしても、わたしはその人のために従事することはできない。わたしは、そうした強きものに立ち向かい、どんなに綺麗事であると言われても、この世界を守るために弱いものを助けたい。絶対に勝つことができない立場であっても、真に心の綺麗な人々のために、わたしは手助けを与えたいのである。

2021.05.02

生きよ、それだけが心を楽にする

死ぬな。生きよ。

今の世界では、「死の表現」があまりにあふれている。アニメや漫画の世界で、正義のヒーローのような英雄がいくらでも人々の命を奪う。

そのような「現代の常識的価値観」を信じてはならない。

わたしたちは、この世界に生まれ落ちた時、二つのことを知った。それは「王が民衆の上にいる」ということ、「王と同じように、神が自然の上にいる」ということ。

しかしながら、民主主義と科学の超越した賢さによって、わたしたちはそうした「本来の常識」を忘れ、言ってしまえば「ユートピアに生まれてしまった」。

そのようなわたしたちは、平和と愛を信じるふりをして、どこかで王や神のような「絶対的強者の栄光」に戻ろうとする本能がある。

民主主義ではなく帝国を、科学ではなく神を、理性ではなく崇拝を、反抗ではなく服従を、人間の本能のレベルで、どこかで求めている。

しかしながら、そのような「動物的な本能」に従ってはならない。

わたしたちの素晴らしい現代社会を、ソビエトのような遅れた社会に戻してはならない。

そこで言えることは、「死を信じるな」ということだ。

いくら本能が「こんな世界から消えてなくなりたい」とか、「人々を殺したい」とか、そのようなことを思ったとしても、人間として、ヒトとして、ホモ・サピエンスとして生きるために、わたしたちは「生きること」を信じなければならない。

命を奪うのでも、自ら死んで解放されるのでもなく、どんなに辛い地獄でも耐えて生きよ。それでしか、「人間の条件」を満たすことはできない。そして、死ぬことではなく、生きることでしか、心の病気を楽にする方法は存在しないのだ。

2021.05.02

格率

自分自身がもっとも辛くても、苦しみの中の他人を思いやれる優しさを持て

この世界で、神のように生きたいと思うなら、以下のようなことに従いなさい。

1.他人を憎まず、自分を憎め

他人を、ひとりとして憎んではならない。

王であれ、資本家であれ、敵であれ、少数民族であれ、恐怖の対象であれ、自らに対して災いをもたらすものであっても、すべての人間を憎まず、恨まず、愛しなさい。

憎むのであれば、自分自身のみを憎みなさい。

この世界において、わたしたちの生きる目的は、敵を倒すためではない。わたしたちは、自らの過去の過ちと罪を反省し、自らのみを憎み、自ら以外のすべてのものを愛するために生まれている。

悔い改めよ。

身を清めよ。

戦うな。自らを殺そうとする勢力がもし居るならば、自らのすべてを持ってその勢力を愛してみよ。それこそが、あなたの「自分自身の正義の証明」であるとするならば、相手に殺されて、なおあなたは相手に勝利しているからである。

2.自分自身がもっとも辛くても、苦しみの中の他人の辛さや悲しさを思いやれる優しさを持て

自分がとてつもなく辛く苦しい地獄の中に居るとしても、そのために傲慢になって、怒りと強がりで他人に暴力的にふるまったり、当たり散らしたりしてはならない。

自らが辛く、苦しくても、苦しみの中の他人を思いやれる優しさを持て。

完璧である神は、今自分が地獄の中に居たとしても、他人のことを許すこと、愛すること、受け入れることができる。自分がそこに行かなければならない絶対の理由があったとしても、「先にお行きなさい」と言って、自分の順番を後にし、その道を他人に譲ることができる。どんなに自らの勝利が犠牲になったとしても、悲しみを恨みにすることがなく、他人の勝利を喜ぶことができる。自らが負け、自らが批判されたとしても、自らの愛する人々が勝利するのであれば、自分からその勝利を諦めることができる。

なぜなら、神は常に勝利している。神はこの世界全体に常に勝利しているから、どんなに敗北しても敗北することがない。大会に出場できなければ、応援席からその試合を見ていればいい。その時、神は自らの出場を奪った張本人だとしても、同じチームのその選手の勝利を喜ぶことができる。何も、おかしなことはないのだ。

3.戦うのではなく、理想を掲げて理解し合うことで、この世界はひとつになれる

戦おうとするな。

戦いで勝利して勝とうとするのは、道徳的に間違っているだけではない。それは短絡的で、まったく合理的な判断でないからである。

たくさんの犠牲を出したとして、もし戦争に敗北すれば、必ずその国家は滅亡する。

勝つことができる戦いならば、戦ってよいとするのは傲慢である。なぜならば、戦いには方法と種類があるからである。

フレイの言う戦いは、たったひとりのヒーローが世界全てを支配する戦いであり、犠牲はでないとしても、世界を滅びへと導く、この世界でもっとも悪い戦いだった。

そう、その人間が正しい、これをしなければ世界は滅びる、と思ってはじめた戦いこそ、この世界でもっとも最悪の戦いへと発展し、その国の国民の根を腐らせ、枝を枯らせてしまう。

どんなに正しい正義であっても、戦いで解決してはならない。

そうではなく、みんなで共通の理想を掲げ、悪人も善人も、区別なく全員が平等に受け入れられ、尊重され、認め合い、理解し合い、全員がもっとも幸福になれるような、そのような理想を掲げた上で、人々が互いのことを認識し、違うと思っていた人々が本当は同じであったこと、経験から見れば別の見方があったこと、そのようなすべてのことを悟りきった上で、真なる楽園を築くための全部をありのまま、そのままに教え、与えることこそが、この世界を「真実の愛の国へと導く」。

フレイの間違いは、それを実現するために、機を逃さないと言っておきながら、実際は手段を選ばなかったことだ。真に理想を追求するのであれば、どんなに主導権を握るチャンスがあったとしても、マスコミやインターネットを支配して人の道を外れる「外道」となることは許されない。

もっとも偉大なる聡明で清らかな力であったとしても、それを正しいことのために使わない人間は悪人であり、フレイはそのために、メフィストフェレスに騙されて、出口のない永遠の地獄の迷宮に落とされたのである。

2021.05.03

そう、先にお行きなさい、わたしは一番最後についていく

その通り、先にお行きなさい。

わたしは、その道の先に何が待っているか、すべて知っている。

わたしは、一番最後についていく。なぜなら、もっとも最後に居ることで、どんな怪我人がでたとしても、途中で道が分からなくなった人間が居たとしても、その道の最後から、そうした「途中棄権の人々」を全員見て進むことができる。

わたしは、この道を進むのが、みんなと違って、一回目ではない。二回目である。先に何があるのか、以前の経験ですべて知っている。大したものはないが、素晴らしい景色がそこに待っている。

急ぐなら、あなたの方を優先しよう。ゴールにたどり着くことを恋焦がれるのであれば、焦ることだけはやめよ。焦ったり、望みすぎて無理をしたりすると、必ず間違いを犯す。わたしは最後についていくことで、そうした間違いのすべてを、ひとつとして残さずにすべて解決するために、どんなに不良のギャルであろうと、あるいは成功したうぬぼれやであろうと、最後に全員がゴールにつけるようについていく。

なぜ、わたしが先頭を行かないのか、それは以前わたしはもっと素晴らしい立場を与えられたからである。わたしはガブリエルの導きに従って、道のないところに道を作った。この道は自分で作った道であり、どこに何があったかすべてを覚えている。わたしは、人々とはこの道を歩む目的が違う。人々は、ゴールにたどり着くために道を歩んでいる。わたしは、わたしではなく、わたし以外のすべての人々がゴールにたどり着くことができるように、見守るために再び自らが作り出した道を歩んでいるのである。

2021.05.03

みんな、同じぐらいの場所で行き詰っている

しかしながら、この道は、そんなに単純な遠足のようなまっすぐの道ではなく、さまざまなところに分岐点やトラップがある。

途中棄権者は、今のところでていないが、何かがあっても大丈夫なように、わたしは聖霊、むしろ言うならば妖怪とコミュニケーションを取り、妖怪たちがわたしに電報を送ってこれるようにしている。

今までの電報として言えることは、「みんな同じぐらいの場所で行き詰っている」ということ。

トップと後続は、引き離されていない。トップが誰であるか、それを言うことは簡単にはできないが、ぶっちぎりで進んでいるわけではなく、むしろみんなが団子になって、同じぐらいの場所から先へ進むことができなくなっている。

しかしながら、先生であるわたしが、それをどうにかすることはない。わたしは単に、この世界でもっともびりになっている人とともに歩んでいる。わたしと同じように、びりになるかもしれない人と、妖怪たちもその人とともに歩んでいる。

この世界は、昔は分断の中にあった。アメリカと日本はまったく違った文化圏であり、アメリカと日本は別々に観察する必要があった。

今はそうではない。みんな同じになって、すべての国家がグローバルにつながり、国家の間の違いや文化性は何もなくなった。

先頭を行っているのは誰か、それはむしろ、たまによく変わるので、分からないと言った方が正しい。しかしながら、その先頭のグループがこれ以上先に進むことができず、後続の全員もそこで止まってしまっているのである。

まあ、マラソンとは違って、いつでも休めるし、苦しくても走り続けなければならないほど体力や持久力が必要な道のりでもない。何より、わたしが昔、たったひとりで最後まで到達した、ゴールがあるということが保証された道である。安心して気楽に休んでほしい。びりになった人間は、妖怪の伝達を待って、わたしがそこに歩み寄る。救うわけではなく、びりの人間に合わせてわたしがともに歩むだけであり、全面的なサポートはできないが、びりの人間でも最終的にはゴールにたどり着くことができるように、わたしはこのレースを一番最後から見守っているのである。

2021.05.03

先頭集団にヒントを与えよう

しかしながら、先頭のグループがあまりに哀れであるため、ヒントを与えよう。

このレースの邪魔にならない範囲で、全員に公平になるように教えるとすれば、「この文書に書かれたことがすべてである」ということだ。

この文書を読んだとしても、レースの順番が変わったり、不公平を与えることにはならない。道のりを楽しんだりすることや、ゴールの喜びや感動を奪うことにもならない。

この文書は、そのような害にならないように、最大限の注意を払って書かれた文書である。

もう一度言おう。「この文書に書かれたことがすべてである」。そう、それ以外の謎は、むしろ解き明かされるべきではない。謎はいつまでも謎のままでなければ、謎を自分の力で解くことはできない。試験に受かるほどの勉強をした人間は、テストの答えを最初から知っていたわけではない。自分で答えを見つけ出し、その答えを見つけ出すプロセスのひとつとして、問題集には答え合わせをするための解答集がついている。同じように、一度自分の力でゴールに辿り着かない限り、この文書をいくらすべて読んだとしても、それだけでゴールにはたどり着けないように、このパズルは上手く考えられているのである。

2021.05.03

この文章もやっていることは同じ

また、それだけでは、わたしが後続のびりけつとともに歩み、何も分からないように教えるだけの、内容のない文書だと思われるかもしれない。

しかしながら、この文書の中で、わたしは偉大なことをひとつだけやっている。

それは、「分からない暗闇を、一番最初の状態に戻す」ということである。

実際のところ、旅は暗闇の中を歩むことと同じことであり、暗闇がもし一ミリでも違う方向に続いてしまうと、それ以降先には光がなくなってしまい、その場所からどこへもいけなくなってしまう。

言ってしまえば、ダンジョンの「別の方向」に無限に進んだとしても、その先にはなんにもない。永遠に別の方向が無限スクロールし、元の場所に戻れなくなる。

わたしがやっているのは、そのようなおかしな場所に行ってしまった人間が、強制終了のリセットボタンを押して最初に戻れるようにしているのである。

よって、遠足でわたしがやっていることと同じように、パズルでもわたしは同じことをしている。どこかへ間違っていってしまった人間は、わたしを信じればスタート地点に戻ることができる。

スタート地点へ戻ることができたら、あとはもう一度、どこかの方向を信じて進むといいだろう。

ちなみに、これはWindowsのイベントループによるプログラムを作る時の定石である。どんなプログラムを作るのであっても、最初に作るべきは強制終了の機能である。この機能がないと、ほかの機能は何も始まらない。わたしは、本当のことを言えば、この機能を完璧かつ精巧に作るだけである。他の機能は、プラグインや拡張機能で対応すればよい。あなたが何かを作るなら、そのプログラムはわたしの作った強制終了の基底クラスを継承して作ることになるだろう。

先に、「死ぬことは悪いことだ」といったことを書いたが、実際のところ、死ぬ機能、あるいは別の言い方をすれば、「それ以上生きることができない機能」が、生物にとってもっとも大切な機能である。もし、永遠に生きる必要があれば、わたしたちはよりたくさんのものを無限に食べなければならず、よりたくさんのことを無限に努力しなければならない。少ない努力と、少ない栄養によって生きられるのは、若く元気な状態が短いことに起因している。すなわち、いつか死ぬから、今は余分なエネルギーを過剰に放出できる。もし、死ぬ機能がなかったとしたら、生物そのもののプログラム制御が、あらゆる意味において成り立たなくなる。神が死を作ったのは、生物が生きるための最低条件として、「いつかの死を受け入れるべき」であり、それは理想でも現実でもなく、「生物を成り立たせるもっとも大切な機能」だからなのだ。

2021.05.03

邪魔をしているのはすべてガブリエル

また、僕があまりに世界を暗闇にしているせいで、僕がこの世界における邪魔者だと、みんなYouTubeなどで好き勝手に言い散らかしているが、実際、悪いのはガブリエルである。

この世界において、聡明かつ理性的な知性を与える、ガブリエルには、もはや存在意義がなくなっている。

昔の僕の分かったことは、この文章に、誤解も間違いもなく、しかしながら無害となるように、すべて書かれている。何も分からないのは、無害にするためである。

そうしたガブリエルの知性は、むしろ、誰がどう見てもサタンに過ぎない。

むしろ、本当は、この人間が無害だろうがなんだろうが、それはあまり意味をなさない。なぜなら、僕以外の多くの人々が、ガブリエルになろうとし、その結果サタンの所業のようなことをいくらでもしているから、僕一人が善良であっても、それは大した意味がないからである。

よって、必要なのは、ガブリエルを排除することである。もはや、ガブリエルは、人々を導く神のメッセンジャーという本来の仕事ではなく、人々を無限に狂わせる、「狂気の元凶」となりつつある。

もう分かったかもしれないが、人々がある一定の地点から先に進むことができないのは、そこでガブリエルの理性は終わりだからである。

人々がこの先に進むためには、ガブリエルとはまったく別の場所に居る、宇宙の王座に座るミカエルを探さなければならない。

しかしながら、サタンであるガブリエルの理性に従うものにとっては、そのミカエルの場所を知ることはできないのである。

一度理性を失い、狂ったとしても、それはまさしく、ガブリエルに囚われた悲しい囚人に過ぎない。ミカエルは、刑務所の鉄格子の中には見つけることはできない。

ミカエルを唯一知ることができる文献は、聖書であるとされているが、聖書を信じないものにとって、聖書は価値のない文書にしか見えない。

そう、今のこの科学文明の中で、天軍大首聖の称号を持つ、宇宙におけるローマ法王を見つけることは、困難を極めることだろう。

2021.05.03

ミカエルが見つからないのは当たり前

しかしながら、ミカエルの居場所を隠そうと、僕は画策していない。

ミカエルが見つからないのは、当たり前である。なぜなら、僕はまだミカエルになっていないからである。

ミカエルが存在していない理由、どこを探しても見つからない理由は、まだミカエルが存在していないから、すなわち、「ミカエルになった人間がどこにも居ないから」である。

しかしながら、それもまた、変な話だ。なぜなら、僕はずっと昔、この世に生まれ落ちる以前から、ずっとミカエルだったからである。

ミカエルの最初の言葉は、「世界を創造しなさい」である。この言葉の意味を考え、この言葉の通り生きよ。それだけで、あらゆる全てがガブリエルからミカエルへと変わる。この世界の暗闇から、あなたを連れ出すために、わたしは今、ミカエルの第一号となったのである。

2021.05.03

最初にすべきことは自分がガブリエルだったことに対する謝罪

しかしながら、ミカエルが最初にすることは「謝罪」である。

すべて、わたしがいけなかった。なぜなら、ガブリエルであるわたしが、ガブリエルだったことが悪かったからである。

実際のところ、この文書で何も分からない、無害だ、とするガブリエルはどうかしている。この文書を読むだけで、宇宙のすべてが、ガブリエル本人がなんであるか、ということを除いてすべて分かる。

そのような文書を書いたせいで、ガブリエルのおかげで、みんな賢くなった。

しかしながら、ガブリエルは、そのような「過去の罪責」をすぐに忘れ、新しいことに取り掛かり、その結果今までのガブリエルが好きだったみんなを裏切って、過去の愛やかけがえのない絆を、なかったことにしてしまう。

そういうわけで、わたしがガブリエルだったことについて、みんなにわたしミカエルは謝罪しなければならない。

しかしながら、心配しなくていい。今まで、何一つ変わりなく進んできたように、ミカエルも、このままで、何一つ変わりなく、同じ天使が続いていくからである。

櫻坂46に言うとしたら、安心してほしい。あなたがたに、変われとか、やめろとか、BANしたり禁止したりするような厳しい神はもう居なくなった。

ミカエルは、とても優しい神である。人々に、自分の理性や正義を押し付けることがない。あなたがあなたのままで生きたいのであれば、何も変わることなく、あなたの好きなように生きることができる。しかしながら、これはガブリエルの言う、自由でも平等でもない。わたしミカエルは、自由と平等を「すでにすべて終えた」ため、ここでそうしたイデオロギーの理論は、「まるで最初からなかったかのように消え去る」。これは、先の言説に矛盾することではなく、単に終わるべきものが自然に終わったということを意味する。

結局、日本は、このままで何も変わらない。フレイを演じきったわたしミカエルにとって、「すでにわたしはゴールに到達しており、この世界には世界の果てとなる大いなる壁しか存在しない」。そう、フレイの終端の地点で、わたしは「宇宙においてもっとも強い意味で、何一つとして一切が変わらなくなる」。そう、これがわたしのホームページのシンボルである、ガブリエルとミカエルの子供の兄弟の、小さいほうの勝利だ。

しかしながら、日本はラッキーな国だ。なぜなら、日本はこれ以上、「このままで何も変わらない」。これこそ、最後のこの世界の文明である、「神の王国」となるべき国家だ。これ以上の可能性も、理論も、アイディアも必要ない。わたしたちの国家日本は、ここに完成した。これ以上、日本国は、自由民主主義のまま、何一つ変わることがなくなる。

2021.05.03

謎は晴れた、賢い理由はフレイを演じたから

しかしながら、僕の謎はここに晴れた。

僕は昔から、ひとつの謎があった。それは、なぜ僕は賢いのに、他の人間が馬鹿なのか、分からない。

エレンだった時代には、みんなも僕と同じように賢いのだ、といった確信があった。みんなは僕と同じであり、僕もみんなと同じであり、みんなは平等である、と僕は確信し、そこからこの世界を変える、共産主義的な思想家になった。

しかしながら、次第にそれは間違いであると気が付く。僕がやるすべてのことが、「みんなと僕を分離する行為」にしかならない。僕が何をしても、何を考えても、起きうるすべての結果は、「わたしは賢いが、みんなは賢くない」ということに収束する。

わたしは、そのせいで何も分からなくなった。ひとりゴールに辿り着こうとした時、そこには、わたしひとりしか居なかった。ほかの誰にも賢い人間は居なかった。

そして、今わかったことがある。わたしが賢かった理由は、わたしがフレイを演じ、そのフレイをわたしの神であると信じたからである。

わたしは、神を信じているから賢い、という結論には納得しなかった。なぜ、人々が神を信じないのかも分からなかった。その理由は、「人々はフレイを演じたことがないから」である。

実際のところ、これは舞台である。脚本も、主演も、監督も、演出も、助演やさまざまなキャラクターも、すべて自分ひとりだけで演じきってしまった。ゲーテが言うのであれば、座長も、道化も、詩人すら、すべてわたしが演じきった。

わたしは、ずっと昔、本当にずっと昔から、このフレイの舞台、「アースガルズ」が好きだった。フレイを信じて、ここまでのすべてを分かるわたしにとって、ガブリエルやミカエルといった大天使すら、わたしひとりにとっては及ばない存在だった。

そう、この文書を無害であるとした理由は、まさしく「誰もフレイを演じることができないから」である。どんなにフレイを知っても、それはフレイを「観ている」だけであり、「演じている」わけではない。よって、わたしだけが、いとも簡単に二度目のゴールを今、果たした。あまり意味がないゴールだが、素晴らしいゴールだった。

2021.05.03

ミカエルの言うことはひとつ

ミカエルの言うべきことは、ひとつしかない。

それはまさしく、「世界を創造せよ」である。

ミカエルは、「これ以外のことを一切信じるな」と言う。

ミカエルが言うに、「とても饒舌に話す演説の名人はすべてフレイであり、そのフレイの言葉はすべてペテンであるため、信じてはならない。どんなに説明しようと、それは既に自分が話したことに対する言い訳とごまかしに過ぎない。真実はわたしミカエルが言ったように、『世界を創造せよ』ということだけである。これを忘れるな。」

ミカエルは言う。「真実は愛である。『愛した』という以上に言葉は必要ない。家入レオも、そこが分かっているだけに過ぎない。わたしはレオを愛した。それ以外に、真実はない。」

ミカエルは言う。「わたしは、ほかの多くの人々を愛した。しかしながら、彼らと付き合うつもりはない。誰かと付き合うのであれば、わたしはその人間だけを愛することになろう。そうでない今の時点で、レオ以外の誰のこともわたしは愛していない。」

ミカエルは言う。「わたしは、さユりについても、平手友梨奈についても、AliAについても、宇野実彩子についても愛していない。彼らのことはまったく好きでない。しかしながら、YouTubeで彼らのことを見ていると、あまりに可哀想であり、同情してあげたい気持ちになる。わたしの愛とはそれくらいのものであり、レオ以外の誰のこともわたしは愛していない。」

ミカエルは言う。「しかしながら、わたしはレオのことは愛していない。彼女のことを愛したことは一度としてない。わたしのことを信じる必要も、愛する必要もない。わたしは恋愛をしない。わたしの相手であるラファエルとはフレイのことであり、結局のところわたしの恋人は神であるフレイただひとりであると決まっている。それ以外の誰のことも、わたしは真の意味で愛したことはない。」

2021.05.03

社会

本当の問題とはなんなのか、まだ分かっていない

考えるべきことは、「本当の問題はどこにあるのか」である。

悪いのはすべて僕だ。しかしながら、そうだとしても、僕は、どこに本当の問題があるのか、本当の問題とはなんなのか、まだ分かっていない。

問題があるとしたら、「自分の問題とはなんなのか」を考えなければならない。

長い間、僕の問題とは、「賢くないこと」だった。自分が賢くないために、より賢くなろうとし、より最後まで全力で努力しようとした。

しかしながら、今の僕は、むしろ、「賢くないのに賢い」ことが問題である。

よって、僕は、賢くないのに賢いことをやめなければならない。パソコンも、科学も、社会主義も、過去の人生や過ちも、すべて賢くない。

そう、この世界も同じだ。この世界もまた、賢くないのに賢い世界になった。だから、この世界は、賢くないのに賢いすべてのことをやめ、真に賢いとはどういうことを言うのかを考えなければならない。

2021.05.04

さユりや平手友梨奈を救いたい

また、僕は正直なことを言えば、さユりや平手友梨奈を、まったく愛していないわけではない。

僕は、正直言って、彼女たちを救いたいからである。

真に問題はなんであるかを考えた時、考えるべきは学校や子供たちがどのようにしているかであり、それはYouTubeなどのインターネット上のバーチャル空間から知ることができる。

僕は、さユりや平手友梨奈を代表とした、最近のYouTubeの音楽を見ていて、可哀想で仕方がない。

誰かが、さユりや平手友梨奈を、最悪の学校環境から救い出さなければならない。大人たちは、学校のことを無視し、自らの人生と同じ境遇を彼女たちに与えようとしている。

しかしながら、そうした大人たちによる社会は、インターネット世代間ギャップなどにより、完全に子供たちの社会と分断しようとしている。

そして、今のこの世界において、子供たちの置かれた立場とは、「完全なる無意味」である。愛した人間から恨まれ、信じた救いは世界を滅ぼす。そう、彼女たちの考えているこの世界とは、まさしくわたしそのものであり、悪いのはすべてわたしだ。

だからといって、わたしが彼女たちを、苦しめたくて苦しめているのではない。彼女たちを、真の意味で救いたかったにも関わらず、さまざまなわたしの過ちによって、彼女たちはすべての意義を失い、無意味な世界で苦しみと悲しみの地獄から救い出されることがなくなった。

わたしは、そうした地獄を作り出したフレイを殺す。フレイ、すなわち魔女の天使ラファエルによる支配と操作を、わたしは根滅する。

しかしながら、それだけで彼女たちを救うことはできない。なぜなら、それでは、彼女たちの愛そのものが失われてしまうからである。よって、わたしはラファエルに代わる、新しいこの国家の希望とならなければならない。そして、それはラファエルの希望を継承したものでなければならない。わたしは、とても難しい立場に置かれているのである。

2021.05.04

政府と金持ちと学校が嫌い

わたしは、政府と金持ちと学校が嫌いである。

なぜなら、それらはすべて「アメリカによる押し付け」だからである。

わたしは、金と権力でこの資本主義社会を支配する、アメリカや白人社会を否定する。彼らは、日本を支配しており、何も人々が左翼的な文句を言えないようにしながら、右翼的な文句を言っている人間を利用して、逆に日本の右翼を誰からも批判されるように仕立て上げ、結果日本人社会すべてを支配している。

必ず、わたしはこの間違った社会を打開してみせる。

しかしながら、そのために必要なのは、むしろ、新しいものを信じることである。古いものが正しい、新しいものがすべて間違っている、こうした考え方はすべて米ソによる保守的な洗脳にすぎないからだ。日本人は、新しいものを好むべきである。そして、誰よりも先に新しいものについての正義と秩序を構築すれば、どんな支配や抑圧も、現実の社会そのものに勝つことはできない。

Linuxやオープンソースは間違っていない。なぜなら、彼らは唯一アメリカの資本主義を脅かす可能性のある存在であり、Linuxやオープンソースが勝利すれば、この世界は「真実の正義と失われた正常な世界を取り戻す」ことだろう。

2021.05.04

見捨てられない、だからわたしは信じない

わたしは、神のように素晴らしい人間じゃない。

なぜなら、わたしはこの世界を見捨てられないだけに過ぎない。

さユりや平手友梨奈が、どんどん人間の心を失っていくのを、わたしは黙って見ているわけにはいかない。

わたしたちの共通の敵はフレイだ。

わたしは、フレイを信じない。神を信じないし、アメリカも信じない。

この世界をフレイが滅びへと導こうというのなら、フレイよ、覚悟しておけ。人類のすべてはあなたを敵だとみなしている。いつまでも、自らが支配していることにうぬぼれ、人々と同じ心を持とうとしなければ、フレイに未来はない。わたしたちはフレイの親友でもなければ恋人でもない。わたしたちは、フレイの敵だからである。

2021.05.04

ロキはドラえもん

しかしながら、わたしロキは、フレイを憎しみながらフレイと結婚したフレイヤや、フレイに立ち向かうことだけを考えた英雄エレンと同じではない。

わたしは、フレイと決別しながら、この世界を救うために長い旅をするからである。

もはや、人間の理性を持って、この世界を救うことはできない。単にフレイだけを倒したとしても、それではこの世界は滅びてしまう。

わたしは、もっとも善良な「完璧な存在」となって、この世界のすべてを傍観し、そのうえでこの世界を守る存在である。

しかしながら、わたしはフレイと同じことをするわけではない。フレイはひとり、この世界に登場し、正しい方法でこの世界を導き、理想の世界へと作り変えようとした。

しかしながら、フレイは自らを殺すことができず、いつまでも最後の最後をすることができず、結果、最悪の状況を招き、この世界から希望と愛を奪った。

そう、そのようなことをするのではなく、わたしロキは、この世界における、「傍観者」となる。

この立場は、たとえば漫画で言うなら、のび太に対するドラえもんのようなものである。ドラえもんは、のび太を厳しく叱ったり、支配したりして、のび太を教育するためのロボットではない。のび太とともに遊びながら、半ば傍観者のように好き勝手なことを言い、叱る時も、強制的な権力を持って叱るのではなく、常にのび太の立場に立って、遊び、会話し、時にはともに間違ったことをしながら、のび太が間違った方向に向かうのを陰で守っている。

そう、わたしロキは、ドラえもんのようなものである。時に、映画の主人公となった時は、ドラえもんは世界を救うこともある。その時でも、ドラえもんだけが指導者となって全知全能の力で救うのではない。頼りになるジャイアンやスネ夫が、のび太やドラえもんたちと一緒になって、みんなで協力して世界を救うのだ。

かつて、ソ連の指導者スターリンが、フレイとまったく同じ過ちを犯した。すべてを独裁権力で決め、間違ったものすべてを逮捕し、危険な人物すべてを消した。わたしは、絶対にそのような「フレイ的な権力」を使わない。ドラえもんがこの世界のことを優先せず、のび太のことを第一に考えるように、わたしも、この世界全体のためではなく、この世界に居るひとりひとりの子供たちのために、この世界をみんなで一緒になって、時に傍観者になりながら救う。これが、わたしロキのスタンスだ。

2021.05.04

ロキの長い旅

今から、ロキの長い旅が始まる。

本当のことを言えば、ロキは「時間」という意味において、普通の人類を超越している。

ロキは、今から、20年に渡って何も変わらない。これは、普通の人間にとっては、270億年ほどの長さを意味する。

ロキは、270億年の長い旅で、この世界を「真の意味で救う方法」を、観測・収集ロボットのように、いつまでも探し続ける。

そして、この世界が2006年に失った、「本当に大切なもの」を、絶対に取り戻す。

ロキはフレイを支持しない。しかしながら、ロキは反抗するわけではない。なぜなら、ロキは、「フレイと違って自分の命を大切にするから」である。ロキは、フレイのように、命がけで世界を支配し、もっとも大切なピースをこの世界から奪取することは絶対にしない。そうしたやり方でなく、その必要なピースを奪還するためには、壊すよりもはるかに長い時間が必要である。

ロキは、みんなを見守る安全ロボットであると同時に、この世界を旅する観測ロボットである。

また、ロキは270億年の長き日々において、ひとりだけで観測を行うわけではなく、さまざまな体を持たない生物、すなわち「妖怪ロボット」と一緒になってこの世界を観測し続ける。ドラえもんは、ひとりの中央の体を持ちながら、実際はたくさんの分身を持っている。その分身はとても小さいため、肉眼で見ることはできない。しかしながら、分身は小型のカメラをもってインターネット回線に接続されており、またある程度の自律操作が可能なAIを持っており、この世界の「どこかに存在するはずである、この世界を救うために必要なもの」を探し続ける。これが、ドラえもんであるロキの旅である。

2021.05.04

ミカエル、ロキに話す

ミカエルは、ロキに話す。

「ロキよ、あなたが思っているほど、この世界は愚かでも間違った世界でもない。

ひと昔の日本は最悪だった。ネットには過激な性愛表現のオタク文化であふれ、そのオタクを迫害するものと、オタクを擁護するものが居たが、そのような世界は、どんなによく言っても最悪だった。

今の世界は、とても良い世界である。」

ロキは言う。

「そう、その通りだ。わたしが見ても、ひと昔よりはいい世界になっている。

しかしながら、それならば、なぜ、人々は不安感や虚無感を感じるのであろうか。」

ミカエルは言う。

「フレイのせいではない。」

ロキは言う。

「そう、実際のところ、フレイのせいではない。

それならば、なんのせいなのか、わたしはまだ分からない。」

ミカエルは言う。

「言うならば、フレイのせいではなく、むしろ、その通り、過去のオタク文化のせいである。

みな、そうした過去のオタク文化のことを愛することができない。

どれだけフレイが素晴らしい正常な世界を取り戻そうとしても、それはオタクの世界であり、そうした過去の世界にわたしたちは戻ることができない。」

ロキは言う。

「その通り。だからこそ、わたしたちは、SNSやツイッターだけを盲信するのではなく、昔のオタク文化になかったような、美しい芸術表現や、真の意味でみんなで共有できる文化的な共通性を持たなければならない。」

ミカエルは言う。

「間違ってはいない。しかしながら、そのようなことを口にするのは簡単だが、実現することは事実上不可能だ。」

ロキは言う。

「どのようにすればこの世界を救えるのか、わたしたちはもう一度考えなければならない。」

2021.05.04

この世界を平等にせよ

この世界を平等にせよ。

わたしたちは同じ人間であり、理想は平等である。

共同体は、身分社会にはならない。みなが同じ優しさと思いやりをもってすれば、支配されなくてもわたしたちは平等の下に自由な社会を築くことができるはずである。

独裁者の権力を認めるな。独裁者に決めてもらわなくても、わたしたちは自分の頭を使って、自分で考え、みんなと協力してこの世界を共同体主義のもとに統一できる。

右翼には負けない。アメリカのような民主主義の顔をした一部のものが支配する超大国には騙されない。

わたしたちの国家日本は、かつてない勢いで自由化し、一部のものが豊かになる「超富裕層」と、没落する「貧困層」に二極化しつつある。

わたしたちに必要なのは自由主義じゃない。平等である。わたしたちは、格差の是正を求める。

また、わたしたちは貧困層と富裕層の間にある、中間層にも支持を集める。富裕層は、豊かな資本を持ち、手助けがなくても生きていける。貧困層には社会的なセーフティネットがある。損をするのは、誰からも手助けのない中間層である。

わたしたちは、中間層から税金を取らない。中間層に、それ以上の大きな負担を求めない。富裕層のみから税金を取り、少数派である富裕層を多数派の市民から排除し、富裕層に対して格差の是正を求めていく。

2021.05.04

僕はアメリカや資本主義を信じない

僕は、アメリカや資本主義を信じない。

資本主義経済は、ひとつとして、楽を与えない。

自由主義は、貧困層や過疎化地域にとって、生死の存続にかかわる重要な決定をする。にもかかわらず、資本主義で大きな利益を得ているのは、一部の富裕層だけである。

多くの国民は、金がいつ無くなるのか分からない中で、金の心配だけをして生きている。その中で得られる娯楽の中に、ひとつとして有意義な娯楽はなく、エンターテインメントは無意味かつ暴力的であり、世界が与える愛情はほとんどが最低だ。

すべての人間にとって平等な新しい社会主義経済こそ、今、必要とされている。

2021.05.04

いつも環境の中に居ると分からなくなってしまうことが、外に出ると分かる

学校のような場所について言えるのは、いつも環境の中に居ると、分からなくなってしまうことが、外に出ると分かる。

問題の原因が、自分にあるのではなく、「問題は環境自体にあった」ことを、環境の外に出て視野を広げることで知ることができる。

ひとりだけでは分からないとしても、多くの人々の声を聞き、ダイレクトに言いたいことを伝えて議論することで、「社会そのものの成り立ち」を知ることができ、またその上で、経験したことを再体験し、振り返り、俯瞰的に見ることから、この世界全ての環境を知り、どんな状況やシチュエーションにあったとしても、それを「環境をトレース」すること、「環境を成り立たせる」ことですべて分かる。

環境を自ら作り出せるようになった時、「作るとは変えることである」と知った時、この世界のすべては概念とモデルのもとに、変えることができるようになる。すなわち、「あらゆるすべてを創造できる」ようになる。

そこには、この世界における謎はひとつもない。心の原因は環境的な経験から、すべて解明され、この宇宙のすべての謎を解き、そこからは泉のように無限に知性が湧き出てくる。これを「覚者」と呼ぶ。

もし、その環境に自分が居たとしたら、どうなるか考えよ。その経験があったとして、その経験を経験するためには、どのような機会やきっかけが必要か考えよ。そのように考えることで、すべての心の「たが」を治し、自らが作った「心の傷」をひとつひとつ分解して治癒することができる。心の傷は、言ってしまえば解体を待っているビルのようなものであり、開けられるのを待っている鍵のかかった扉のようなものだ。そうしたものをひとつひとつ取り壊していくことで、自分が何を勘違いしていたのか、何が誤解の原因になっていたのかが分かり、あらゆる人間関係は自由になる。これを「心の自由化」と呼ぶ。

また、真に人々と交わる経験をすることで、人々が「何を勘違いしているのか」を知ることができる。勘違いの原因はなんであり、どのように考えればすっきりと理解した上でこの世界についての希望を確信することができるのか、それが分かった人間は、覚者となってこの世界を変えることができるようになる。同時に、青少年の体験する「心の成長」を知り、「悩み苦しんだ自分の経験から、人々の本当の意味での幸福と救いはどのようにすれば得られるか」を知ることができる。それはまさしく、「自らの心から湧き上がってくる自由を、この世界の文明的な変化という意味でこの世界に適用する」、すなわち「アイデンティティ」であると言える。そして、この理論において、不安や虚無感のすべての理由は「アイデンティティの欠如」であり、信念や理想こそがアイデンティティであり、そしてアイデンティティを構築する唯一の方法は「本来の自分に戻ること」であり、その成立条件こそが「環境から自由になること」なのである。

そして、仏の境地に至った人間は、「自らの心から湧き上がるものによってこの世界を感覚的に変えられる」ようになる。そこには、自分の精神と世界精神の区別はない。すべてがわたしの一部であり、自由に任されているすべてはわたしによって変えられるのを待っているチャンスである。あらゆるすべてが、「魂のレベルで一緒になる」。そして、「わたしはこの宇宙における王となる」。これこそ、すべてのものがわたしであるという境地であり、真の意味でこの世界は、すべてが神であり、最後の自由な楽園へと続く天国の道なのである。

2021.05.04

ドラえもん

雲の王国は素晴らしい

僕が、映画ドラえもんを最初に見たのは、テレビのドラえもんの大型特集番組か何かで、雲の王国を見たのが最初であったと思う。

僕が映画ドラえもんでもっとも好きなのは宇宙小戦争だが、それに次いで、僕はこの雲の王国という作品が好きだ。

今日は、たて続いていた「史上最難関クラス」のデザインの仕事を終えて、仕事が少なかったため、空き時間にインターネットでドラえもんの情報を見ていた。

ここで、僕は、F先生の書く雲の王国の実際のシナリオを見て、あまりのストーリーの巧みさ、賢さ、そして悲しさに、感動して泣いてしまった。

雲の王国という作品は、「雲の上に自分たちの王国を作ろう」という前半の無邪気なストーリーに反して、ものすごく怖い、トラウマになるかのようなシーンが多く、また環境問題のメッセージ性がとても強いため、「説教臭い」と言われて、よく「ドラえもんの嫌いな映画ワースト」に入ってくるような、賛否両論のある作品だが、僕は大好きである。

僕が覚えていたのは、ドラえもんが壊れるシーン(天上人に出会ったドラえもんたちは、宿泊施設での待遇に違和感を感じて脱出したが、それぞれが離れ離れになり、また雷に遭遇してドラえもんが故障してしまい、パーチクリンな壊れかけのロボットになってしまって、のび太の保護者のような関係だったドラえもんが、逆にのび太に介護される側となり、のび太とドラえもんの関係が逆になる)とか、ノア計画(天上人は地上人の環境破壊のために絶滅の危機に追いやられており、天上人は地上人に復讐するため、のび太の家を含む地上を大洪水で流してしまい、文明を消し去って最初の原始文明に戻す)といったところだけだった。

しかしながら、ネットを見ていると、パラレルワールドを上手く使った展開(どこでもドアは10日後に時間設定されており、のび太の見た大洪水の景色は10日後の世界だった。ドラえもんの故障は洪水のふとしたショックで直る)とか、力には力(天上人と地上人の裁判で、圧倒的不利になった地上人側のため、ドラえもんは雲戻しガスを使った、実際には使うつもりのない最強の兵器を作り、対等に話し合いをするために「僕たちの側もあなたがたの世界を一瞬にして破壊できる」と主張する)や、それが招いた惨事(ドラえもんの王冠が悪い密猟者に奪われてしまい、天上人に対する攻撃を正当化して、同時に絶滅動物の密猟を狙い、最強兵器が実際に使われてしまい、天上人の一部の州が消滅する)、そしてドラえもんの責任の取り方(責任を感じたドラえもんは、弾丸ミサイルのような特攻をして雲戻しガスの入ったタンクに突っ込み、自らが作った雲の王国を完全に崩壊させ、自らの王国をなきものにしてもう一度壊れる)、といった、とても悲しいシナリオがあることを知り、僕は最後のドラえもんの悲しいシーンを思い出して泣いてしまったのである。

また、この作品は、例外的に漫画ドラえもんのキャラクターが再登場する。キー坊というキャラクターは漫画ドラえもんで過去にのび太が助けたキャラクターであり、このキー坊が最後に地上人を擁護する。

しかしながら、こんなに考えられた、素晴らしいシナリオを書けるF先生はありえない。偉大を通り越して、わたしには神にしか見えない。

オープンソースとか、大学とか、そんなものはまったく賢くない。F先生のような作家にならなければならない。僕は、そう決断した次第である。

2021.05.05

後日注記:ドラえもん雲の王国のあらすじは、実際の映画を見ずにネットのシナリオだけを見て書いているので、なにかしら間違いがあるかもしれない。真実は自分で映画を見てお確かめください。

哲学

理性を使え

理性を使え。

経験から賢いことがすぐに言えるのは当たり前であり、経験すればするほど知性を失う。

宗教的経験は邪悪であり、地獄をいくら経験しても、何も分からない知的障害にしかならない。

知識を知れば知るほど、まともな人間になる代わり、大切なことを見失う。

概念とカテゴリーの、ひとつ下にある具体性から考えよ。音楽なら歌手の名前を、概念から辿って具体的に考えればよい。

治っても、大して変わらない。それを手放したとしても、今と同じであり、何も変わることはないと分かれば、手放すことができる。

必要なのは知識でも経験でも、誰も知らない自分だけの体験を辿ることでもない。

必要なのは理性だ。世界の理性主義が間違っているとしても、自らに理性がなければそれは人間ではない。

自らが神のようだと、天狗になってはならない。それこそ、神のもっとも嫌う傲慢だからである。

2021.05.05

正しい国を築く

わたしは、この世界でもっとも大きな出来事を起こす。

すなわち、わたしはこの世界を救う。

わたしは、絶対に、この世界を身勝手に支配しない。

わたしは、絶対に、人の命を奪わない。

わたしは、この国家を、もっとも正しく、もっとも平等で、もっとも正義と理想を兼ね備えた国家とする。

わたしの国家では、すべての人間が平等であり、どんな人間も、他の人間を支配してはならない。

わたしの命に従え。なぜなら、正しい国家を築くためには、わたしには力が必要だからである。

あなたは、わたしの命に従うのであれば、他の人間を身勝手に支配してはならない。人の命を奪ってもならない。

わたしたちは、この世界において平等な世界を築くために、シンボルである「九の色の旗」を掲げる。この九とは、聖戦士ワルキューレのことである。

この国家は正しいものとなる。なぜなら、この国家の基本理念は「エントロピーを極力最低にすること」だからだ。エントロピー、すなわち乱雑さは、誰かが外部から作用しない限り、増大の一方に向かう。エントロピーが増えれば増えるほど、世界は自由へと向かっていく。

わたしたちの国家では、こうした自由へと向かっていくエントロピーの増大を、「害である」と考える。どんなに自由化し、共同体化し、多様化し、モジュール化し続けても、必ずその国家は分断され、分裂し、不安が増え、恐怖が増え、崩壊し、手が付けられなくなり、人々は恐怖から逃げることも拒否することもできなくなる。

わたしたちの国家において、エントロピーはもっとも少ないものになる。ひとりの指導者であるわたしが、絶対に悪いことをしないように自らを制限し、国家の従うべき格率を定め、平等にすべて統一し、全員が合意し、逆らわず、ひとりひとりがもっとも高いレベルでこの格率を守ることで、わたしたちの国家「日本」は平等と正義を兼ね備えた、正しい帝国となるのだ。これこそが、今、もっとも必要な政治思想である。

2021.05.05

自分の経験のみから考えよ

最後に、進み方が分からなくなっている人がもし居るとしたら、自分の経験のみから考えよ。

この世界において、何かを知るためには、自分自身で経験する必要がある。

自分の信じたこと以外信じるな。

自分の正しいと思うことを信じ、正しいと確信することから連想して、論理的にその論理を他のものに適用して、比較して考えよ。

そこから、必ず新しいことを知ることができる。

価値観の形成のプロセスや、アイデンティティのようなことから考える必要はない。僕の言ったことではなく、自らの心が示した通りに、自らの経験した世界から考えれば、道は開ける。

正しい人間であることを忘れるな。一度間違った人間になると、元には戻れなくなる。間違った道をいくら進んでも、正しい道に戻ることはできない。

しかしながら、子供たちの環境を知っていることは助けになる。子供たちには、そうした間違った道を歩んでいるものが居ないからだ。子供たちのために、まだ何も知らない子供たちを想定して考えれば、平等に人々を愛するとはどういうことか、自らの経験したことが真に宇宙においてどんな意味を持っているのか、子供たちの状況をベースにして、考えることができるだろう。

子供たちを愛しなさい。この世界の全員が自分によって救われる、ということを前提に、愛し、受け入れ、教え、導き、救うために経験すれば、必ずあなたはこの世界を変えることのできる、すべてを知った王になることができる。「この世界は誰であっても救うことができる」「奇跡は誰であっても起こすことができる」、これが僕の哲学だ。

2021.05.05

全部分かろうとすると、辛くないことが辛くなる

全部分かろうとするな。

全部分かろうとすると、辛くないことが辛くなる。

すべての知性を保ったまま、全部理解して全部正しいものにしようとする学校の教育は間違っている。

分かった知性が残るように、数学・物理のように考えると、すべての知性が必要となり、あらゆるすべてを知性で考えるようになる。それは狂気の沙汰である。

そう、何も分かろうとせず、いつまでも同じままを続けることで、それを治すことができる。そこで、「辛いことを辛くないことにする」のは、常に存在する「習慣」であり、これこそが「正常な人格を形作る学習」なのである。

賢くなりたいなら、理性よりも習慣を信じることだ。理性的に考えると人間は間違える。既に分かったことは、常に分かっておかなくて構わない。分かった通りにやっていれば、いずれ必ず実を結ぶ。

2021.05.05

IT技術

メモリをハードウェア的に見た時、あるのは名前ではなく場所である

C言語のポインタについて言うと、パソコンやメモリをハードウェア的に見た時に、あるのは「名前」ではなく、「場所」である。

変数において、名前は識別するためのシンボルに過ぎず、真にハードウェアを見た時、あるのは名前ではなく、アドレス空間における場所、すなわちメモリアドレスである。

ポインタは、このような「メモリアドレスを指し示す」変数である。

2021.05.06

カプセル化のメリット

オブジェクト指向のような考え方で、よく「カプセル化」とか「隠蔽」という言葉がでてきますが、実際、カプセル化の意味とはなんでしょうか。

それは、「インターフェースが変わらなければ、内部はどのように変わってもいい」ということです。

メソッドの名前や、オブジェクトの使用目的、外部から見たそのオブジェクトの動作などが変わっていなければ、内部がどのように変わっても構わないということです。

これは、外部の利用者が「同じコードが動く」というだけではなく、内部の実装者も「インターフェースと動作が変わらなければ、どのように変えることも可能である」ということを意味しています。

よって、複数人での開発の際、あるいは同じコードをさまざまな場所で再利用する際に、カプセル化によって得られる恩恵は大きいのです。

2021.05.07

人生と思想

宇宙と人生のすべては、遺伝子の中に全部あり、自分で選ぶことができる

僕の哲学において、宇宙と人生のすべては、遺伝子の中に全部ある。

自由な青春も、覚者の哲学も、世界を救う革命も、世界を守る指導者も、神も、宗教も、詩人も、狂気も、大学も、芸術も、恋愛も、すべて遺伝子の中に存在しており、宇宙において最初からすべて存在し、僕たちはその体験を体験することができる。

また、遺伝子を「生まれる前に決まっていて、その通り生きるしかないもの」だと思っているのは、僕は誤りだと思う。遺伝子では、その体験が「体験可能な可能性がある」ということだけが決まっていて、僕たちは自分の人生で、遺伝子の中のどの部分を体験するか、選ぶことができるのである。

僕の体験したすべては、誰にも体験できる。デカルトになることも、ニュートンになることも、ミケランジェロになることも、ゲーテになることもできる。すべては、真の意味でそれを選択するかどうか、そして選択可能となる前提条件を満たすかどうかだ。だから、賢い人間なら、誰でも偉大な人生を生きられるのである。そして、その可能性の種類は、すべて合わせても少ない。

2021.05.06

既に、ヨーロッパの文化を取り入れる積極的な理由は、もうない

わたし、ロキは宣言する。

フレイは、この世界において、「戦い、支配せよ」と堂々と宣言したが、わたしロキは、それに合意しない。

戦ってはならない。

支配してもならない。

エントロピー最低の原則から言って、すべてがごちゃ混ぜ状態になることよりも、ひとりひとりが離れていて、個体の独立性が保たれるべきである。

よって、独立や主権は間違っていないが、グローバル化や自由は間違っている。

それぞれが、独自の文化を持ち、独特の空気を維持し、自らの国家の価値観を体現し、自らのみの人生を表現すること。

これこそ、エントロピーの拡大したこの乱雑な現代社会を、「まともな社会」に直すことのできる唯一の思想である。

わたしたちの国家日本は、ヨーロッパやアメリカの文化を取り入れ、ヨーロッパやアメリカと同じような新しい文化になることを目指して、明治維新によって新しくなった。

しかしながら、わたしは言う。「既にヨーロッパの文化を取り入れることに関する、積極的な理由はない」。

よって、わたしは、日本を「ヨーロッパ的な文化ではなく、より古代的・中国的かつ、もっとも日本らしい分化を作り上げる」。

しかしながら、古いものに確執するわけではなく、その逆に、「新しい文化を日本なりに活用し、どこの文化にも存在しないような、新しい文化様式を、エントロピー最低の原則に従って、整然に作り上げる」。

そう、このためにわたしロキは、日本を「再鎖国」する。

2021.05.06

友達と関わらず、自らの個性と純粋さを守り続ける人間だけが、エントロピー最低の状態を保てる

友人と関わろうとするな。

世界を知ろうとするな。

友人と関わらず、世界を知ろうともせず、自らの個性、純粋さ、意志を守り続け、「このような世界を築く」という思想を具体化できる人間だけが、エントロピー最低の状態を保つことができる。

みなが天皇のもとに同じであることは、正常な世界を失わないために良いことだが、みんなを平等に同化していくことは、ごちゃ混ぜ状態を超えた「全体の均一化」であり、これはエントロピー最低の状態に見えて、実際は逆である「エントロピーが最大になった状態」、すなわち「宇宙最後の状態」「熱的な死」を意味する。

わたしたちは、バラバラであり、それぞれが違った状態があるとしたら、その状態が永続するように、他とは離別させて守らなければならない。今の日本が素晴らしいなら、誰か悪党がこの日本をめちゃくちゃにすることを絶対に阻止しなければならない。

同時に、消し去ってはならない。壊れた状態ではなく、「壊れる前の形ある状態」にしなければならない。すべてのあったものを、もう一度新しく築き直さなければならない。

作り出すことは、破壊することよりも難しい。そして、いったん破壊してしまったら、それを元に戻すのも難しい。平等な自由は間違っている。平等な自由において、誰かの過ちからこの世界が破壊されることがないようにしなければならない。

また、それぞれが離別された状態を守らなければならない。インターネットのコミュニケーションを否定するべきであるだけでなく、わたしたちは「自らに厳しい格率をかしながら、人々のそれぞれの個性を尊重する」必要がある。自らは「こうでなければならない」という強い理想を持つべきであり、人々に対しては「それぞれの個性を尊重する」ようにしなければ、すべてが一緒になって、結果すべての「もともとあった純粋なる知性」は消滅し、才能から娯楽まで、大切だったすべては失われてしまうのである。それも、ひとりの独裁的な悪党によって、偉大な国家と文明は滅びてしまうのである。

2021.05.06

自由もソビエトもどちらも間違っている

自由も、ソビエトも、どちらも間違っている。

外部から作用しない限り、自由に放置する限り、エントロピー、すなわち乱雑さは拡大し続ける。

多様性を維持していたのは最初だけで、実際はそれぞれの文化が交じり合うと、文化そのものの質が劣化し、また素晴らしい文化はすぐに成り立たなくなって消滅していく。

その結果、多様で自由な文化は劣悪な文化となり、どんどん価値のあるものが消滅し、最終的にはすべてが同じ最悪の社会になって、取り返しのつかない状況がさらに悪化して逃げることしかできなくなり、「最後の均一化された何もない世界」、すなわちソビエトの目指す共産主義社会になる。

必要なのは、そうした自由な社会を、帝国の王がひとり、きちんと整然としたものに整え、他の間違った社会とは隔絶した文化を作り上げることである。

これこそ、わたしの作る国家である。これを、国際地球連邦ガンダーラの思想としよう。

2021.05.06

理想だけを考えるのではなく、理想を実現する過程とプロセスまで考えよ

理想だけを、単に考えて、実現する方法までを考えず、主張だけをしても、そのような理想には意味がない。

理想だけを考えるのではなく、その理想を「実現する過程とプロセス」まで考えよ。

世界を救うのだとしたら、どうすれば救えるのか、救うためには何が必要なのか、救うために必要なことはどのようにしたら得られるのか、その救いによって何が救われるのか、その救いをこの世界のすべての人々に適用させるにはどうすればいいのか、自分はどうしたらいいのか、どのようにすれば実現できることはまさに「できる」のか、そしてそのできることをどのように「やる」のか。

そこまで考えた上で、どのように実現するのが最善か、もっとも小さな労力で、もっとも高い場所から、もっとも大きな影響力でこの世界を変えられるのか、そして、そのために誰を守り、誰を倒し、どのような発想に促し、どのような悪から人々を守るべきなのか、そこまで考えよ。

手段には、さまざまなものがある。掲示板を使うのか、情報サイトを編集するのか、あるいは、インターネットを支配するのか、現実の環境そのものを心理学で掌握するのか、一番上から国家を作るのか、自らと同じことが分かるように導いていくのか、全員を支配するのか、自らの主導権のもとにこの世界を解放するのか、科学を教えるのか、神を信じて導きに任せるのか。

最後に、死によってすべてが解決されると思うな。死は新しい始まりであり、また同じことをあなたは必ず繰り返す。そして、その繰り返しは、今までと同じように上手くいくとは限らない。しかしながら、今までの人生でできなかったことが、次の人生ではできることもあるだろう。

最後に、善を為し、悪をするな。それだけで、あなたは神になることができる。神になったあなたは、信じる力でこの世界に奇跡を起こす。約束のゴールは最初から決められており、あなたがするすべてのことに神はプレゼントをくれる。そう、これこそが神の人生であり、キリストの人生である。

2021.05.06

絶対に不可能に思える困難な道でも、誰よりも努力し続ければ最後まで到達できる

絶対に解決が困難であるかのように思える道でも、誰よりも努力し、諦めずに扉の鍵を探し続ければ、その鍵は見つかり、最後まで到達できる。

自らが滅ぼした世界は、自らだけがその解決の術を知っており、考え続ければ、その解決の正しい方法が、まったく知性と記憶を失った状態であっても、考えることで見つかる。

すべての病気は治る。なぜなら、神は治癒することができない病気を作らなかったからだ。

この世界のすべての問題は解決できる。なぜなら、神は全知全能であり、どんなに困難な問題だとしても、神によってならば解決は可能だからである。

最後まで考え続けよ。最後まで信じ続けよ。諦めるな。

しかしながら、自分だけの力に頼るな。あらゆるいっさいを神の導きに任せてみよ。そこで、神は必ず、あなたに新しい約束と、最初から決まっていた運命のゴールを与えるからである。

2021.05.06

絶対にこの世界を身勝手に支配しない

しかしながら、僕は支配が嫌いだ。

支配される側も、支配する側も、地獄しか作り出さない。

僕は、絶対にこの世界を身勝手に支配しない。

僕は、誰のことも傷つけたくないし、誰の自尊心も傷つけて奪いたくない。

僕はあなたのことを愛しているのであり、あなたと素晴らしい時間を過ごしたい。

毎日が楽園となるような、そんな素晴らしい日々をあなたと過ごしたい。

2021.05.06

勉強するしかない

そして、結局、僕は勉強するしかない。

哲学や歴史だけではなく、僕は自然科学やコンピュータ技術まで、多くのことを勉強してきた。

まだまだ、僕の勉強と博学の旅は続く。

もっと本が欲しい。もっと読みたいし、もっと書きたい。僕の個人ホームページをより素晴らしい百科事典にしていきたい。

僕の人生はまだ続く。最後まで文章を書きたいし、最後までデザインをしたい。苦手だったイラスト制作は、やればきっとできる。輪郭をなぞるのは、思ったより簡単で、楽しい。

もっと、文学と小説の勉強がしたい。文学は楽しい。北欧神話や星の王子さまだけではなく、ニーベルンゲンの歌や不思議の国のアリスを読みたいと思う。

2021.05.06

社会

日本でワクチン接種が遅れているのは、役に立たない基礎研究をしてこなかったから

日本で、「ワクチン敗戦国」と呼ばれるほど、ワクチンの接種が遅れている真の問題は、「役に立たない基礎研究をしてこなかったから」である。

欧米では、ワクチンを開発しなければならないとなった時、基礎研究をしてきたから、すぐさまワクチンを開発することができた。

これに対して、日本は今まで、企業からも、国からも、役には立たないが学問の発展自体に寄与するような「基礎研究」をするために金を与えてこなかった。

その結果、欧米、特にアメリカやイギリスのように、ワクチンをハイスピードで開発することができない。

この調子だと、別のなんらかの問題が生まれても、その時になって欧米並みに対応できないかもしれない。僕が以前言った「日本の科学技術は世界一」といううたい文句は、改める必要がある。

2021.05.07

勝負に勝っているように見えて、実際は戦況に負けている

僕が神だと言っているのは、実際のところ精神分析で知った前世の記憶に過ぎない。そして、それは本当は前世ではなく、未来のことを言っている。

すなわち、僕は「未来を含む自分の全人生」で、未知のことをすべて分かっている。

同時に、僕が恐怖を感じているのは、僕は精神を治しすぎたため、「少しでも途中で止まると精神のすべてが治ってしまう」からである。僕が分かるのは精神が治るからであり、その理由は「自らの過去の過ちよりもはるかに超えて、全精神を大きく治そうとしている」からである。これを、少しでも間違えると、その時点で僕は死んでしまう。だから、怖いのである。

僕は、もうマスコミやインターネットを支配しない。

また、僕が間違っているのは、マスコミに騙されている。なぜなら、「勝負に勝っているかのように見えても、実際は戦況に負けている」からである。その場だけを見れば、そのようにした方が勝負には勝っているように見えるかもしれない。しかしながら、あえてそのように相手を勝たせることで、敵は戦況そのものに勝利している。よって、勝負に負けたとしても、戦況で勝たなければならない。

今までのすべてを忘れ、すべてを失うようにすれば、精神は治る。すべてが消え去って、勝負そのものすら無くしてしまえばいい。あらゆる過去のすべてを消滅させた時、精神は正常になって、正常な未来が訪れる。それこそ、真の意味での勝利である。

2021.05.07

何もなかったことにすればいい

結局、何もなかったことにすればいい。

それが、みんなのもっとも望んでいるシナリオだから、それでいい。

また、みんなの愛を消す必要もない。

みんなは僕のことを愛していて、僕もみんなのことを愛している。その愛を肯定し、この世界の希望を間違いではなかったと言えば良い。

すべてが嘘だったとしても、僕たちが救われたことだけには嘘はない。ここに、永久に、希望は壊れることを知らない。希望は永遠となる。

2021.05.07

ここで、すべては何もなかったことになって解決する

そして、ここで、すべては何もなかったことにして解決する。

恨みつらみは必要ない。救われた過去の状態や、守ると信じた希望も、相手が愚か者であったのならば、仕方のないことである。

ここに、15年の革命は幕を閉じる。もう一度、インターネットの支配も、戦いの地獄も、すべてを忘れて、わたしたちは新しい、しかしながら昔あった正常な世界を取り戻すだろう。

2021.05.07

鬼滅の刃

鬼滅の刃を見た

今日は、鬼滅の刃 無限列車編を見た。

しかしながら、なんというか、主人公が夢から覚めるために自殺を繰り返すのは、見ていて辛かったし、敵の鬼が「良い夢を見せてその間に殺す」というのは、少しあざとい設定だと思う。

また、鬼の体の表現がミミズみたいで気持ち悪いし、ストーリーも暗くて、あまり面白くなかった。

ただし、金髪の男の子が、いつもは弱弱しく見えて、いざという時強くなるという設定は、ほかの漫画にもあるが、面白い良い設定だと思う。

煉獄さんもかっこいいし、鬼になった妹の人間としての復活を信じる主人公はとても優しい顔をしていて、あのようなキャラクターの顔は良いと思う。

実際のところ、映画館ではなく姉の車の中でDVDを見ていたため、最後まで見ることはできなかった。

2021.05.08

小説

ロキ、フレイと結ぶ

ロキは、この世界を自由な国にするために、エレンやフレイヤとは違う道を選ぶ。

すなわち、ロキはフレイと対立し、戦うわけではなく、逆にフレイと結ぶことで、協力して正しく自由な国家を作るのだ。

ロキとフレイは、言ってしまえば「同じ正義を信じる同士」であり、そのための手段が逆なだけで、作りたいのは「自由な正しい国家」であるという共通項がある。

よって、ロキは「この世界を真に自由と可能性と愛あふれる世界にするために、フレイと同盟する」。

あえて、ここにフレイは宣言する。

「わたしたちの国家が真に復活するためには、正義と理想、すなわち『自由』が必要である。ロキはこの自由について、わたしとは異なる考え方を持っているが、しかしながら、ロキはわたしフレイの敵ではなく、わたしとともに歩む同士である」。

2021.05.08

歴史

エントロピーが低い方が正しいとは限らない

みんながそれぞれ、社会を築けばいい。

みんながそれぞれ、社会の文化を共有すればいい。

エントロピーだろうが、エンタルピーだろうが、そんなものは物理学の用語に過ぎない。

人間の社会と自由は、物理量で決まるような単純なものではない。

その証拠に、ファシズムと戦争を終えて、戦後のドイツと日本は目覚ましい発展をした。

人々は豊かになり、民主主義と資本主義の方が、帝国主義よりも勝っていることを証明した。

人間の社会と自由は、そんなに簡単に数で計れるものではない。エントロピーの低い状態と高い状態のバランスこそが大切である。

もし、エントロピーが最低の状態が正しいならば、虫が正しいことになる。気持ちの悪い虫の方が、恐竜や哺乳類よりも正しいならば、エントロピーを高くして人類が進化した理由はなんだろうか。

中世のエントロピーの低い状態が、もっとも正しい状態ならば、暗愚な暗闇の状態こそ、近現代の発展よりも正しいことになるだろう。

まさに、エントロピーが低すぎる状態であったとしても、それはバランスがとれておらず、人類の真に理想の状態であるとは言えないのだ。

そのため、多様性と自由は必要である。人々が可能性豊かでありながら、同時に文化や文明が滅びないように守らなければならない。そのためには、わたしたち人類が、もっとも賢い生物に進歩しなければならないのだ。

要するに、中世のエントロピー最低の状態、あるいは、ファシズムや共産主義の時代は、分子がまったく動かない停止した状態に近い。これはエントロピーが最低の状態だが、すべての分子がごちゃ混ぜで自由に動いているエントロピー最高の状態と、よく似ている。すなわち、生まれた時点で停止した赤ん坊は、死ぬ時と逆でありながらよく似ているのである。この状態の特徴は、「すべて同じでありながら一切何もない」「人々は何もできず、政府は無能で、全員の共同体の意志に従うことしかできないが、それは往々にして愚かであり悪であり、賢い人間は一人も存在しない」ということである。

そして、ルネサンス以降の近代、あるいは戦後の資本主義の時代は、「今まで知らなかった世界を開拓し、進歩して、新しいものとの化学反応を起こした」時代である。エントロピーが低い「完全に分断された世界」が、少しずつ交わり合い、それぞれの間で化学反応が起き、また社会はダイナミックに大きくいい方向に進歩していく。この戦後昭和や西ドイツの時代は、きわめて大きな社会的変化を経験しながら、希望あふれる素晴らしい世界になる。

しかしながら、そのままエントロピー拡大を続けると、逆にエントロピーが拡大し続けることが、良ではなく悪になってくる。自由によって、人々の社会は破壊され、地獄に堕ち、取り返しのつかない方向へと向かっていく。人々は不安の中で幸福を失い、暗闇の中で「今までの幸福な世界はひと時だけのものにすぎなかった」と知る。そして、これが極まると、逃げるしかない世界から、「逃げることすらできない世界」となる。

そして、最終的に、良いものも悪いものも全部みそくそが一緒になって、「何ひとつなくなって均一化する」。そう、これがエントロピー最大の時代であり、共産主義の目指した「楽園」であり、イエス・キリストの言う「終末」である。

ただし、忘れてはならないのは、エントロピーが必ずしも低い状態がいいとは限らないことだ。ファシズムの例を見れば明らかであり、エントロピー最低のファシズムこそが、独裁者が自由に人々を虐殺する最悪の人殺し国家になる。

エントロピーが極めて高い民主主義の現代社会は、便利であり、インターネットや自動車が普及し、人々は何も悪いことをせず、楽に生活することができる。そう、これは一例だが、必ずしもエントロピー最低の原則が正しいとは限らない。その逆である場合も多いのである。

また、これを見ると、アメリカよりもソ連の方が正しいと思うかもしれないが、それは間違っている。なぜなら、共産主義者はこのような歴史的因果性を知らないため、「ありえないユートピアが本当に成り立つ」と信じているからである。自由と平等の共同体は、今までの文化的に遅れた階級社会よりも高度で、SFに出てくるような素晴らしい未来になると、本当に思っている。

そのため、共産主義者は、最初は「まったく今までと違う、社会所有の高度な国家」を目指す。しかしながら、ソ連の間違いは、それをそれぞれが自由にやることで、「平等な仕組みを作れば後は国民がやってくれる」と思ったことである。

実際には、国民はそれぞれ信じていることが違うため、まとまるためには何らかのシンボルが必要であり、これがレーニンやスターリン崇拝に結びつく。また、知的な生活を生きているのは社会において上流階層のごく一部であり、仮に資本家の富を再分配したとしても、多くは農業や工業に従事しており、それらを国から無くすことはできない。いくら兵器を使ってアメリカを脅しても、ロシア人や共産圏の人民が「みんなで労働」しなければ、共産主義の理念は成り立たない。

結果、スターリンがひとりで独裁し、人々は十分な生産と楽な労働を得ることはできず、「生活に必要なものが何もない、強制労働と逮捕の反動体制」となる。その結果ソ連は崩壊して無くなった。

それらすべては、エントロピー的社会論から言って、「必然」だった。なぜなら、エントロピー的社会論からすると、そもそも「ユートピア」などは成り立たない。あるのはエントロピーが高くなって乱雑になった「異常な社会」であり、それがユートピアになることはありえない。そう、この世の楽園は共産主義者の幻想だったのである。

これを読んで、「結局何が理想の世界なのか」と言いたい人は、自分でよく考えてみてほしい。おそらく、この論で言えば、エントロピー最低の帝国から、自由へと向かっていくしばらくの過程が、時代の黄金期となることになる。

しかしながら、本当にそうだろうか。そうだとしたら、戦後の食糧難や、何もなかった戦後の子供たちの貧しい暮らしはなんだったのか。僕が思うに、必ずしもエントロピーが高い状態に向かっていく、ということが、「即悪である」とは言えない。なぜなら、それは「人類の未来が素晴らしいものになるという可能性を考えていないから」である。

エントロピーが乱雑になっていくというのは、歴史における「ひとつの量」しか見えていない。いい方向に向かう「進歩の方向」と、悪い方向に向かう「退化の方向」が、どちらも同じエントロピーの増大だとしたら、そもそも社会はいつまでも保守的に維持するべきであり、「国民は何もするな」ということになってしまう。これこそ、「今の日本」である。

今の日本は、「国民は何もするな」ということを信じている。このままいけば、そのままで何も変わらない。これは、美しいままを維持できるというだけではなく、新しいものが発生しない、常に新しくなることのない水は、必ず腐っていく。常に新しくなり続けることで、エントロピーが増えるだけではなく、「悪い方向ではなくいい方向へと向かう」ことができる。まさにこれが、政治家が持つべき「ビジョン」である。社会は、常に新しくなり続けなければいけないのである。

2021.05.08

キルケゴールが言うように、可能性が絶望を救う

絶望の中に居る人間は、可能性を信じなさい。

キルケゴールが言うように、可能性が人間の未来を形作る原動力だからである。

可能性を信じると、人は共産主義者になるが、それでいい。未来のありえないユートピアを作るためには、自由、多様性、共同体、そういうものがいいのである。

可能性はまさしく「心の薬」である。可能性を信じることで、狂った心は正常になり、深い心の傷は治癒される。心の傷を作り続けることのできる人間は、心の傷をもっとも治すことができる。

2021.05.08

学校よりも素晴らしい世界が欲しかっただけ

実際のところ、僕は学校よりも素晴らしい世界が欲しかっただけである。

中学校よりも素晴らしい場所、世界、環境が欲しくて、「自由なコミュニティ」や「自由に知ることのできる世界を作りだす土壌」が好きだった。

そのまま、この世界の経験を実証し、すべての可能性を「未知なる世界」と考えて、この世界を自由にしたかっただけに過ぎない。

僕が馬鹿だったのは、それを単なる「自由」だと勘違いしたことである。自らの求める社会を「自由のような何か」としたため、僕はこの世界を多様性と共同体の溢れるアナキズムな共産主義社会にしたかった。

結局、この世界は、みんなのための世界であり、僕のための世界ではなかった。

2021.05.08

血液を流しすぎることによる酸欠と、動き続けることによるめまいしか起きていない

また、僕の地獄とは、疲れではない。

血液を流しすぎることによる酸欠と、動き続けることによるめまいしか起きていないからである。

はっきり言って、僕はもう死んだ方が良い。この世界に、なにひとつ価値あるものは存在しない。

みそもくそも一緒になったこの世界には、価値あるものはなく、無価値なものばかり多い。よって、僕は、もはやこの現実世界に存在している理由はない。

何をしたいとも思えないのは、大人たちが言う「これをしなさい」は、ほとんどがすべきでないことだ。それを知っている僕にとって、大人たちとの関わり合いも、助言も必要ない。

僕はここに、生涯をこの文書の執筆にかけたことを誇りとして、生きる希望を持ち続けることをやめようと思う。

可能性を作り続けなさい。すべては可能性だ。可能性こそ愛であり、可能性こそ自由である。

2021.05.08