芸術と技術は、似たようなものだと思う。
芸術と技術は、どちらも術である。技を磨くことで、新しいことができるようになる。
また、どちらも「もの」である。芸術は、ものを表現のために作る。技術は、ものを働かせるために作る。
信じるな。
やみくもに、神を信じる必要はない。
この病気は、神を信じなければすぐに治る。
自由を恐れるな。諦めを否定するな。諦めの先に、自由が待っている。
確かに、諦めなければできる。しかしながら、諦めれば治る。
分裂するか、融和するか、どちらかをしようとするのが、むしろ間違っている。
なぜなら、生物は分裂すれば融和するからである。
精神を治すのであれば、放っておくことができれば一番楽になる。そのためには、分裂をしてもいいことにすることだ。
僕は、賢い人間になりたい。
賢い人間になるとは、どういうことなのか、分からない。
それでも、僕は今までの過去の人生のことは、すべて忘れたい。もう一度、最初から賢い人間になりたい。
そもそも、僕は自分のことをトランスジェンダーというが、本当はそれは嘘である。僕は、トランスジェンダーでもないし、LGBTではない。
僕がなんであるかというと、僕には「女性になりたい願望」のようなものがある。
僕は、そもそも男が嫌いなのである。男というのは馬鹿で愚かな生き物であり、何一つ分かっていないのに普通の人間であるかのような勘違いをしている。女性なら誰でも分かるようなことが、男性には分からない。
僕はフェミニストではない。女性が好きなのである。僕は、女性が好きであるという点において、ゲイではない。男性とつき合いたいわけではない。僕は女性と付き合いたい。
しかしながら、僕が本当に男性なのか、よく分からなくなる時がある。なぜなら、僕は容姿についても女性に見えることがよくあるからである。
僕は性転換手術のようなことをしなくても女性になれるのであれば、なりたいかもしれない。
僕は、そろそろ、多重人格を治すしかない。
はっきり言って、子供時代にやっていたことを加えると、僕はもう宇宙の全部をやっている。
しかしながら、どうにかして今の人生から、そうした子供時代のことを排除している。その理由で、多重人格になっている。
多重人格を治すのは簡単だ。昔やっていたことを、そのままやればいい。
ただし、僕がそれをやると、むしろ、おかしくなって狂ってしまう。不登校の博士が戦うのは明らかにおかしい。
だが、この世界が狂っているのは、ほとんどそのせいである。僕が多重人格になりたいせいで、この世界は全員が狂おうとしている。
そして、結局、僕はそれを治すことができない。何もせず、見ることも聞くことも拒否して多重人格を選ぶ僕が、もし多重人格を治そうとすれば、その時点でこの世界は破綻する。それをどうすることもできないのが、すべてをやり終え、すべてができたはずの今の僕であり、その僕は今、ここにすべて消え去る。
ただし、治るのは簡単である。
なぜなら、昔の自分は「状態を変える」ことで分かっているに過ぎない。
今の自分は、そのような状態を変えることを放棄しているだけである。
よって、状態を変えれば、この精神はすぐに治る。
また、速断せず、視野を広げて考えること。そうすれば、神と呼ばれるおかしな女の思考を聞き続ける必要はないことが分かる。
結局、この人間は狂った女王になりたかっただけであり、それ以上のことはしていない。
この世界が狂っていて、怖いのは何が問題か。
それは、安心できる状態でないことである。
そして、それは要するに、自分の今の精神が安心できる状態でない、ということである。
よって、精神を安心できるようにすれば、ひとまず解決する。
精神を安心できるようにするのは、結局、支配するのが一番手っ取り早い。
僕がこの世界を支配して、この世界を安心できる状態にすればいいのである。
そういうわけで、それをして終わりである。この世界は、今、楽になるだろう。
今日は、デザインの仕事をした後で、ピアノに行ってきた。
今日分かったピアノのコツは、「鍵盤の黒鍵が2・3・2・3となっているのは、手探りをする際に鍵盤の位置をイメージするのにいい」ということ。
ピアノの鍵盤には、黒鍵と白鍵があります。この黒鍵は、半音を示しており、オクターブの都合上2・3・2・3となっています。
しかしながら、これは単にオクターブを表しているだけではありません。
楽譜を見てピアノを弾いている時、覚えていなければ、楽譜を見ながら鍵盤も同時に見ることは難しく、鍵盤の位置は覚えるまでは手探りで弾かなければいけません。
以前の僕は、鍵盤の位置を完全に覚えて弾いていました。しかしながら、これは間違った感覚で弾くと、ひとつ右やひとつ左の鍵盤を弾いてしまいます。
この時、黒鍵が2・3となっているのを利用することで、鍵盤をイメージしやすくなります。
たとえば、今、1の指がドにあるとします。そこから、低いミを弾くにはどうしたらいいか、それは「黒鍵が三つあって、ひとつ空白があって、次の黒鍵の二つあるところの右の黒鍵の右の場所だ」と考えれば、指を見なくてもミの位置をイメージして弾きやすくなるのです。
これは、とても効力を発揮します。楽譜を見ながら、指の方は黒鍵でイメージしながら鍵盤を弾くことができます。単に場所を覚えるより間違いが少なくなり、スムーズに弾けます。何より、黒鍵は指の真ん前にあるので、触って確かめることができます。
結局のところ、僕が何から逃げているのかというと、「成功するか失敗するか分からない課題」からである。
もし、失敗してしまえば、永久に辛く苦しいままになるかもしれない、そのような「治るかどうか分からない賭け」から逃げている。
しかしながら、いったんそれを「結果が分からないままでも成功させる」ことができれば、すぐに精神の病気は治る。
また、リラックスしていればいいのである。そもそも、僕は何もできないから、状態を辛く苦しいままで維持している。この状態を「安心できる状態」にするだけで、すぐに疲れは治る。
また、エロくしないこと。エロくすると、それだけで辛くなる。エロ部分だけを殺せば、それだけで全て治る。
しかしながら、正しい解決策はある。
すなわち、失敗する部分を殺して、できなくしてやればいいのである。
それだけで、「自ら失敗するだけを繰り返し続ける病気」は治る。
失敗する部分を殺せば、もう失敗することに恐怖し、失敗する恐怖から逃れ続けようとする必要はない。
絶対に失敗しなくするためには、「その部分を殺す」ことが一番有効だ。
希望とは、いったいなんだろうか。
人々は、希望を望んでいる。人々の望みは「明るい未来」であり、その明るい未来とは「希望あふれる未来」である。
本能のままに従い、心理学で人の心を支配する、哀れな独裁者に従いたいとは誰も思わない。
だが、それでも、平等な画一的な「同一化」には意味がない。
本能ではなく理性を選び、自分勝手よりも平等を望むのはいい。
だが、真の楽園は、そのような「誰もかれもが匿名の群衆となって、同じになりながら集団でターゲットを攻撃する」ようなものでは決してないはずだ。
それでも、人々が「みんなと同じように尊重され、同じ立場で受け入れられる」ということは、同じ「平等」という価値観でありながら、間違った社会秩序ではないはずである。
そのような、みんなが同じであるかのように受け入れられる環境があってこそ、そうした中で育ってこそ、自らが成長して、自分が、自分からみんなを同じ人間であるかのように受け入れることができるようになる。
しかしながら、成長だけがこの世界の目的ではない。この世界の「今あるこの世界」を変えるということは、「我慢して耐え抜いて終わり」ではないはずである。
この世界が、ある理想の世界に近づいているとして、その理想の世界にはどのようにしたらより近づけるだろうか。
わたしたちのこの世界が、わたしたち自身によって築くことのできる「潜在的可能性」を持っているとして、その可能性をどのようにしたら実現できるだろうか。
正しい社会とは何か。正しい社会を作るためには、どうしたらいいのか。
少なくとも、今のツイッターやSNSで見られるように、「虚無と病みだけの世界」は間違っている。このような世界で、人の心を救うことができるとしたら、どうすればいいのか、僕は考え続けることにしたい。
しかしながら、自由は間違っている。
なぜなら、自由とはつまり、「できる」ということを意味している。
そして、「不当なことをできるようにすると、必ず誰かが最初に間違ったことをする」からである。
同時に、科学技術、たとえばコンピュータ技術や自動車技術は、人間の幸福を奪い、自然環境である地球を破壊している。その元凶となっているのは資本主義の民主主義社会であり、要するに「自由」である。
まさしく、自由は間違っている。子供に自由を与えると、必ず集団で個人をいじめる間違ったことをする。そのような「いじめの本能」は、どれだけ道徳教育をしても無くならない。よって、「自由なコントロール権限を子供たちに与えること」も間違いだ。
結局、自由も平等もファシズムの支配者も間違っているのであれば、何が正しいのか。
ひとつ言えるのは、「民意に任せる」、すなわち、その当事者や本人に任せれば、その本人が考える限りにおいて、本人にとっていいことをするだろう、ということである。
議会制民主主義や国民投票による選挙が賢いのは、「国民という当事者が選ぶ」ということである。
当事者が選べば、その当事者は、当事者にとって最善のことをするはずである。
同時に、今のIT社会というのは、「民意と決定者が離反していく」かのようになっている。MicrosoftがWindows 11でやろうとしていることは、一般的なWindowsユーザーの意識と「ずれ」が生じ始めている。GAFAなども同じで、Googleは集めた個人情報をターゲッティング広告に使いたいあまり、「個人情報を集めるトラッキングをするな」とか、「ネットの広告は不正な広告が多い」という民意に背き始めている。
しかしながら、トランプのようなポピュリストの台頭にも、同じことが言える。トランプは、あくどい暴言を吐くこともあるが、「完全にインターネットの民意をものにした」人間である。インターネットの煽り煽られたい人々に対して、「センセーショナルな過激思想」を刷り込むことができたのは、インターネットの民意をものにしたからである。
ただし、トランプはそれだけではない。トランプには、「金がある」。トランプタワーの最上階に住んだり、ゴルフ場を経営するほどの資本力がトランプにある。はっきり言って、トランプがただの貧民なら、何もできない。バーやパブで怒り狂って左翼と乱闘するくらいしかできない。トランプは、実現力という意味でも、周りからの評価という意味でも、「金があるから成功した」。そう、資本主義の現実とは、要するに「金」である。
しかしながら、あのような人間が大統領になるアメリカは恐ろしいものである。それで、国が崩壊せずに上手くいくアメリカも恐ろしい。ある意味、予想外にトランプがまともな人間で、金持ちであるぐらい賢い力を持っていたのか、あるいは単に馬鹿で何もできなかったのかもしれない。いずれにせよ、民意の力というものは恐ろしいものである。
しかしながら、賢いのは金ではない。なぜなら、賢いのは「数」だからである。
Microsoftが、さまざまなことを言われながらも賢い技術を作れているのは、みんながWindowsに金を払うからであり、その「数」が恐ろしいほど大きいものであるからである。
同時に、LinuxのGNOME 3などが、良い技術なのに流行らないのは、Linuxのユーザーが極めて少なく、そのためたとえばGNOME 3の拡張機能を作ったり、GNOMEアプリケーションの品質を高めたりする人間が「皆無に近い」ことに由来する。
LinuxカーネルやPythonなどが優れているのは、カリスマ的なハッカーの個人の力ではなく、そのファンや開発者の「数」が他と比べられないほどたくさん居て、なおかつそれらの集団の技術レベルが高いからである。LibreOfficeが使いやすいものにならないのは、WindowsでわざわざMS-Officeを捨ててLibreOfficeを使いたい人間が「極めて希少」だからである。
結局、この世界は数である。自民党が勝つのは、自民党に投票する有権者が共産党などの野党よりも多いからに過ぎない。この世界は数で動いている。すべて、数がこの世界を動かしているのである。
Facebookなども同じである。Facebookやツイッターは、完全にユーザー数でほかを圧倒している。その中でいくらか対抗できている、日本のはてなブックマークのようなサービスは大したものである。逆に、日本の中ではかつてユーザー数が多かったのに、Facebookに完全に負けたMixiなどについては、「ご愁傷さまです」と言うしかない。
しかしながら、この世界で勝つための方法は、「数を得ること」である。この世界で勝つためには、数を取れば良い。数を取りさえすればこの世界で勝つことは現にできるからである。そして、インターネットを使うことで、「爆発的に同じ状況に居る人に同じサービスを与えられる」。この数の力は莫大で、影響力と主導権はあればあるほど良いし、適応対象が広ければ広いほど、みんなが見ているサイトであればあるほどいい。
希望とは、なんだったのか。
それは、むしろ、忘れた方が良い。なぜなら、簡単に言えば「若気の至り」だからである。
そのような希望がなくなったことで、この世界は「生きる意味」を失った。
しかしながら、言ってしまえば、それはできたものは美しく見えるかもしれないが、それを生み出したものはちっぽけなものであり、それは「喪失の孤独」に過ぎなかった。
いくらでも、喪失の孤独の中で、人々を愛し、自らが嫌われてもみんなのことを愛し続けるのだと、それが希望であり、その希望を失ったことで、この世界は、「何かが足りない世界」になった。
やったのはすべて僕だ。そして、僕はむしろ、「正しすぎた」。僕の言っていることや、やっていることが、あまりに正しすぎて、「間違っているのに否定することができないぐらい正しい」のである。
どうぞ、僕の人生と僕の哲学を否定してほしい。それだけが、この世界を救うことに近づく唯一の道である。どんなに素晴らしい人間でも、倒さなければいけない。それが、僕である。
僕は、「株」という新しい発想をすることにした。
僕は、今まで、たくさんの本を買ってきたが、もし、この本を古本屋やAmazonに売ったとしても、薄汚れていて、ほこりもかぶっていて、二束三文の価値しかないだろう。
たぶん、100円も価格はつかないと思う。
しかしながら、僕はここで、「株」という発想をする。
つまり、僕の本は、株ひとつで売買される。株がひとつあれば、僕の本がひとつ買える。
そして、今の僕の株ひとつの値段を、100円とする。
将来的に、この株の値段は上がったり下がったりする。すなわち、150円で僕の株を取引する人が生まれたら、僕の株の価値が50円上がる。僕の本は、あるいは別の人の同じような本は、150円の1株で売買される。
このようにすることで、僕の株の値段は上がっていき、僕の本の価格が、すなわち僕の株が「どこかで値上がりする」だけで、僕は大儲けできるのだ。
精神を治すには、血管を修復すること。
僕が部屋にこもってパソコンだけを見る引き篭もりのようになったのは、本当のことを言えば、親とも離れたかったからである。
母親は、先入観の無い中で最初に間違ったことを信じる癖がある。そのため、母親と話していると、「そう考えなくてもいいのになぜかそこから考える」という風になって、辛い。
また、父親は、正しい代わり実現困難なことを子供にやらせようとする正しさのようなものがあり、手っ取り早く簡単なことをさせない。手順や段階を踏んでやることを重視するため、自分はもっと気軽に挑戦したいのに、きちんと正しい手順でやらせようとする。
僕は、両親が嫌いなわけではない。だが、自分だけの力で、まさに「自由にやってみたかった」。それが、このような、Linuxの勉強と研究に繋がった。だが、逆に「昔は自分だけでは何もできなかったが、インターネットの多くの人々にお世話になった」ところもある。
Wikipediaの解離性同一性障害の項目を見たが、自分が多重人格に適合しまくってて驚いた。
この記事のポイントはいくつかある。すなわち、
・自分が知らないところで、裏の人格が成長していること
・いじめや戦争、安心できない環境などが多重人格にかかわっていること
・健忘症のような症状を示し、自ら記憶を思い出せないようにすること
・主人格は交代人格の存在を知らないが、交代人格は主人格の存在を知っていること
・幼い頃は聞き分けの良い「良い子」として見えるが、実際は家族の意見を汲み取るために自分の感情を押さえつけていること
・ネグレクトや虐待のような家庭に育ったこと(僕は幼い頃放置されることが多かった)
・幻想を信じることがあり、守護天使や精霊の存在を信じていたりすること
そういうわけで、僕は多重人格者だが、なかなか交代人格が姿を現してくれない。
僕の人格は、常に変化し続けていて、話す人間がころころ変わって、考える余裕や余地を与えてくれるため、はっきり言って「わけがわからない」。
しかしながら、おそらく、主人格であるアッシーが、神の人格であるフレイに命令されている、ということは、明らかな現象として起きている事実である。
結局、僕は「交代人格が誰なのか分からない」。それは、交代人格が自らを支配することがないからである。
交代人格がもし自分の裏側で成長しているとしたら、僕は過去のことばかりにとらわれすぎている。「今」の自分の頭の中をもっと分析しなければならない。
しかしながら、僕はそろそろ、交代人格を形成する主たる二人の人格が分かった。
かたや、世界を救う終末のイスラエルの王ダビデが、この世界を支配し続けている。
かたや、神を信じる大導師サミュエルが、神フレイを信じたままで、すべてを神に委ねてダビデのことを愛している。
この二人が、ほとんど僕の交代人格を形成している。というより、ほかに居ないかもしれない。
ダビデが神のようにすべてを分かっている。この世界のすべての意識を知り、この世界全員を救いながら導く。すべて、完全に分かっている。
そして、サミュエルは決して神の約束を破らない。善良な人間になるため、悪いことをしないために生きている。どんなに辛く苦しくても、すべき使命をやり遂げる。
しかしながら、タイムリミットはない。ダビデとサミュエルは、どちらも「神」と呼ぶに相応しい人間であり、アッシーとフレイが言い争いをする中で、知らず知らずのうちに成長し、大きな精神となっている。これを、さらに詳しく分析すればよい。
結局、僕は環境に適応することができていない。
環境に適応することは、普通はできる。できないのであれば、なんらかの僕固有の問題があるはずである。
環境に適応することのできない要因を、ひとつひとつ除去していけば、いずれ環境に適応できるようになる。
その方法は何か。それは、「最低限の影響範囲で精神崩壊を起こすこと」である。
結局、環境に適応できない理由は、適応できないままで精神を作りすぎたことであり、この精神は精神崩壊を起こせば死んでいく。
しかしながら、すべての精神を除去すると、それは完全に精神崩壊を呼び起こして、同じことになる。影響範囲は最低限にすべきだ。
そもそも、環境に適応するとはどういうことだろうか。
それは、「当たり前で、当然で、分かり切ったことを分からないこと」である。
当たり前のことを分かってしまうから、環境に恐怖を感じて、環境への適応を拒否してしまう。
それはなぜ起きるか。その理由は、「当たり前のことを分からなければならないほど、当たり前のことが分からなくなってしまったから」である。
きちんと当たり前のことが分かる人間は、当たり前のことなど分からなくて構わない。
環境における当たり前のことを分かろうとせず、さまざまな環境に存在する存在を分かろうとすることが、結果的に環境への適応となるのである。
サミュエルとダビデについてだが、この二人は昔から存在する「黒人の右翼の心理学者」と「イスラエルの最高指導者のラビ」である。
どちらがサミュエルで、どちらがダビデなのか、僕はよく分からない。
だが、戦いの時代では、いつの時代もこの二人はもっとも近い場所で僕の味方になってくれた、僕の戦友である。
また、この世界の問題は、「言葉の種類が足りない」ことである。
単に「見る」という言葉だけでは十分ではない。本当に見るということを表現するためには、「じっと見る」「周りを見渡す」「視界が開ける」「観察する」といった、さまざまな言葉がなければならない。
そう、そのような、言葉のバリエーションこそが、今のこの世界に必要であり、「神の言葉」という意味で、僕は聖なる言葉を作り出すべきである。
そもそも、作家とは、そのように「言葉を作り出す」仕事である。カントが理性と悟性と感性という言葉で自身の哲学を書いたのと同様に、僕も「神の言葉」を作り出さなければならない。この文章は、「神の言葉を作り出すために書かれた文章」である。
僕が辛く苦しい理由は、僕には常に天使と悪魔が付きまとうからである。
そもそも、僕の多重人格の病は尋常ではない。常に言葉が聞こえ、神の言いつけすべてを守ろうとしながら、自らの意志で言いつけを守らなかった時に、正しい選択をすればいいことがあり、間違っていれば地獄に堕ちる。
この天使と悪魔は、僕のことを完全に支配している。
だが、僕は悪魔に負けることはない。僕は聖なる王であり、悪魔に負ければこの世界は悪魔の国となってしまうからである。
必ず、悪魔に勝利するために、僕は神を信じている。
しかしながら、本当は、本当に宗教を信じる必要はない。なぜなら、「他人の言った教えなどどうでもいい」からである。他人がいくら正しい教えを述べても、それはその人間にとって正しいだけである。
僕は、あえて、「自分以外のことを誰も信じるな」と教える。なぜなら、「自分にとっての神となるように生きよ」と僕は言うからである。自分にとっての神となり、神を作り出し、その神を最後まで信じて生きよ。キリスト教や仏教を信じるよりも、その方がはるかに正しいからである。
また、僕は自身のことを一等星シリウスであると言うが、本当は大したことはない。
なぜなら、シリウスを舞う蝶のような虫になっただけにすぎないからである。
僕は確かにシリウスだが、実際はシリウスの植物についた青虫のようなものである。
しかしながら、何百回と脱皮を繰り返したため、立派な青虫になっている。
そろそろ僕は青虫から蝶へとメタモルフォーゼする。これこそ、「宇宙で一番一般的な生物」である。
シリウスは恒星であり生物が居るはずがないというツッコミが入りそうだが、シリウスにも太陽系の惑星があるということにしてほしい。
そして、サミュエルというおそらく黒人と、ダビデというおそらくユダヤ人が僕の仲間だが、僕には天敵がひとりいて、それがドイツ人である。
このドイツ人は、僕のことを完全に支配しており、自らを「神である」と言う。
このドイツ人を僕は倒さなくてはならない。そう、このドイツ人こそが、このものがたりにとってもっとも欠かせない「悪役」だからである。
ドイツ人の名は、大魔王ハネストラーだ。
適応とは、当たり前のことを分からなくなって、そのうえでさまざまなことを分かることである。
よって、何を今分からなくなっているかを考えることで、今、自分が何に適応しているのかを知ることが出来る。
僕は、日本語、自分の書いた文章、過去の人生の記憶、コンピュータ、インターネット、大学、二次元の裸の女、そして戦いに適応している。
これらに適応するのをやめ、環境だけに適応するようにすれば、すぐに異常は治る。
そして、時計でおかしくなっているのは、逆に時間に適応できていない。よって、時間について分からなくなることで、時間に適応することができる。
神など存在しない。神といっているのは、すべて自分の文章への適応のことを言っている。
軽い気持ちで、人をいじめるな。安易な気持ちで、人を傷つけるな。
騙すな。騙されるな。利用するな。利用されるな。
悪い笑いや、人を傷つけるような罵り方をするな。
人を嘲笑するような最悪の笑いを否定すれば、心の底から笑顔になるような最高の笑みを取り戻せる。
どんなに相手に傷つけられても、自分は相手を愛するのだと、そう信じるならば、新しい自分を発見することができるだろう。
また、悪いのは我慢である。
いくら我慢しても、なんのいいこともない。いつまでも我慢し続ける必要はない。
我慢せずに、いきかけているのであればいけばいい。それが一番楽だ。
そう、僕にとって最近の歌手は、永遠の青春を謳歌する僕のクラスメイトなのである。
posted at 16:48:57
ACAね(ずっと真夜中でいいのに。)が言うように、言ってしまえば僕の聴いている歌手は、全員合わせて「同窓会」の形相を呈している。そう、ネットの仮想世界で、僕たちの青春はここに生まれたのだ。
posted at 16:48:03
なぜ、僕が家入レオと酸欠少女さユりが好きなのか。それは、レオは中学校時代の親友に似ているからであり、さユりは中学校以降の自分自身に似ているからである。彼女たちの音楽を聴いていると、僕は同窓会のように中学校時代に戻ることができる。
posted at 16:03:03
男は、重要なことを見ず、弱いものに対して汚らわしいことをし、勝利しか考えず、自分以外のものを思いやらない。何も分かっていないのに、自分のことを一般的普通の人間であると錯覚し、見える世界に囚われ、見えない世界での他人の献身的な努力に気付かない。
posted at 15:33:58
僕は男が嫌いである。男を見るだけで、男が何も分かっていないのが分かる。美少女が好きだ。中でも家入レオと酸欠少女さユりが好きだ。この性格は変わらない。男は大嫌いだ。
posted at 15:24:06
STAP細胞の真相について僕が推理するに、「見落とし」と「勘違い」があったのではないかと思う。本当はさまざまな条件が成立しなければSTAP細胞は生まれないのに、小保方晴子研究員はそれを見落としていた。また、できた細胞は万能細胞ではなかったが、小保方晴子研究員はそれを万能細胞と勘違いした。
posted at 15:10:01
UNIXのコマンドラインのプログラムを見て、「WindowsのGUIよりも馬鹿だ」と思う人は、コマンドを「耳」、GUIを「目」だと考えてほしい。
一見、人間の五感的に見ても、耳よりも目の方が情報量が多いように見える。
しかしながら、耳という知覚は、実際は目よりもはるかに情報を高度にこなすことができる。
たとえば、GUIは手で操作しなければならない。マウスを動かして、目で確認しながら操作し、間違えた時は自己責任である。
しかしながら、コマンドは、そしてプログラムのソースコードや設定ファイルは、伝聞することもできるし、必要なデータを大切に保管しておいて、そのデータを自動的に参照したり書き換えたりすることもできる。
そう、WindowsのGUI指向は、一見コマンドよりもモダンに見える。しかしながら、IT化がどんどん進むこの現代社会では、コマンドの「本当の価値に気付く」ことが必要なのである。
イエス・キリストは、聖書の「ルカの福音書」の中で、このようなことを言っている。
「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。自分のしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。」
「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求めるものは受け、捜すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。」
ここまで読んで、僕は「この世界を幸福にする方法が知りたい」と思った。
そして、考えるに、そのためには「自分自身を知れ」ということだということが分かった。
自分自身を知ること。それでしか、この世界を幸福にする方法を探し当てることはできない。
以前買ったことのある広辞苑を呼んでいると、「広辞苑は面白い」ということが分かった。
多くのことが書かれている。国語辞典でありながら、簡単な百科事典として使える。
Wikipediaは、情報量が多くて詳しいが、「今はそんなに読みたいと思わない」ということがよくある。広辞苑なら、パラパラとページをめくりながら、知りたいところだけを知ることができる。
体がけがれて、気持ちが悪くなっているものよ、虫を殺すのではなく、虫を増やしなさい。
ミミズが気持ち悪いのは、虫だからではない。ミミズは、虫がまったく居ないために、体の機能が何もなくなっている。
体は、微生物と虫によってできている。どんどん微生物を殺せば殺すほど、体の「必要な機能」が失われてしまう。
体を真に治し、清めたいのであれば、虫を殺すのではなく、虫を増やしなさい。
虫という言葉が悪いのなら、「分解者」を増やしなさい。それだけで、体の中の有害物質は綺麗に消え、豊かな実りある生態系ができる。
また、新しい自分になりたいのであれば、もっとも手っ取り早いのは、「言葉遣い」を変えることだ。
言葉が自分の思考を吸い取って、なんにもできなくなって無限ループに陥る原因は「言葉遣い」にある。
正直言って、女というものは、あまりいいものではない。なぜなら、女は「言葉遣い」に問題があるからである。
言葉遣いを正常に直した時に、女は昔の正常な少女に戻る。その時すべてが楽になり、混乱なしに自由と解放を受け入れられるようになり、精神は平穏を取り戻すだろう。
Windows 10を使っていた僕の趣味用のマシンだが、「ライセンスの更新切れが間近に迫っています」という表示がでるようになり、この表示が定期的に表示されて鬱陶しいため、昔使っていたUbuntuのハードディスクを持ってきて、中身を最新のDebian 10に入れ替えて、Debianを使うことにした。
まだ設定は全然できていないが、インストール中に設定したWi-Fiの設定は継続されたし、GNOME 3でDash to Panelを有効にしたためまったく問題なく使える。デフォルトのuimはLibreOfficeで上手く動かなかったので、削除してiBus-Anthyにした。二段階認証アプリを導入したかったが、snapcraftで提供されていたため使うことができた。アンチウイルスソフトにはmaldetectとClamAVを入れた。
はっきり言って、Linuxはとても快適によく使える。もう一台の僕のメインで使うパソコンもWindows 10を使っているが、これはデータの引継ぎなどをしないといけないので、簡単にLinuxにできない。これで、Adobe製品が動いてくれればよりよい。また、できたら美しいフォントで自分のホームページが表示されればなおよい。
例をあげるなら、液体、は本当の本質ではない。それは熱である。そして、熱は本当の本質ではない。それは分子の運動である。突き詰めれば、慣性の法則が運動であることになる。そしてそれは等速・加速運動系である。そう、結局それは相対性理論へと行き着く。そして、それもまた、本当の本質ではない。
posted at 21:51:29
ルールや本質が作り出せる、ということに気付いた時点で、それは本当のルールでも本質でもなくなっている。同時に、気付いた時点で、必ず「もっと高次元のルールや本質」が現れる。そうした発見を繰り返すことで、「この世界すべてを支配するルールや本質」が見えてくる。そして、それこそが「神」だ。
posted at 21:47:22
実際、問題ひとつひとつについて、律儀に考えていく必要は無い。問題がなぜその問題なのか、ということを「世界のルールとして決める本質的な問題」だけを考慮すればよいからである。
posted at 21:45:51
ひとつのことが得られたならば、そのひとつのことが基づいていた前提条件がいったいなんだったのかを考えることで、「問題の裏側にある背景」が見える。それによってのみ、「表側の問題の裏側にある本当の問題」に気付くことができるだろう。
posted at 21:44:39
解を見つけるために必要なのは、そもそもなんの問題を考えるべきなのか、どのような前提条件とルールのもとでそれが得られるのか、ということであり、突き詰めれば「自ら条件を作り出す」ことが、もっとも条件の解を導き出すのに近い。
posted at 21:43:26
必要なのは、自分が許すことでも、相手に許されることでもない。自分が相手を許し、それによって相手も自分を許し、どちらもが許した状態になることである。それによって、争いの世界は解決される。そして、そのために必要なのは、「どちらかの立場だけではなく、立場を超越した解を見つける」ことだ。
posted at 21:41:56
ひとつひとつ、小さなことをしていけば、それは積もり積もって山となる。まず、小さなものからなっていき、その後にひとつひとつ進化していけば、最終的には一番高度なものとなる。高度なものは低度なものを包括する。すなわち、最後に一番高いものになれば、この宇宙すべてのものになれる。
posted at 21:39:54
真にできることが分かった時、それを実際にする必要は無い。記憶の中でそれは為されており、実際に為すということは意味を失っている。すべてができるようになった時、あなたは何もしなくてよい。何もしなくても、それですべては為されているからである。
posted at 21:37:21
しかしながら、その本人は、みなが善意によって自らを助けてくれることを期待している。実際はそうではないため、人を頼れば頼るほど、触れれば触れるほど、本来の自分のあるべき姿が分からなくなる。必要なのは、自らの心に問うことだ。人に頼らず、他人のせいにせず、自らの100%自己責任だと考えよ。
posted at 21:34:58
人間は、誰もが、自らのあるべき姿で生きられることを望んでいる。だが、人々はみな自らのあるべき姿を強制的に押し付け、真にあるべき姿とはなんであるかを教えてくれる人はいない。だから、人はそのような環境や人に反抗し、攻撃する。自らのあるべき姿を本当の意味で自ら発見すれば、攻撃はやむ。
posted at 21:31:43
わたしのあるべき姿とは何か。それは「自らのアイデンティティ」と呼べるものだが、決して最初から存在するものではない。様々な経験をして、失敗と成功を繰り返して、到達した人間だけが得られる境地である。だが、それは素晴らしい境地であり、どんな他人も自分のことのように愛することができる。
posted at 21:29:44
「わたしはわたしなのだ」と主張すること、そして「あなたはあなただ」と押し付けられること、これが現代社会における不幸の原因である。実際は、わたしが真にわたしであると確信できるような存在はなく、同時に、自らが押し付けられたわたしを演じても、それは決してわたしのありたいわたしではない。
posted at 21:27:33
環境とは何か。環境とは反応である。つまり、反応を与え、反応を導き、正しい反応をその人が得ることができるのであれば、その人は反応から与えられるべき「知見」を得て、導かれ、救われる。そして、その反応とは「言葉」である。言葉によって、人の心は救うことができる。
posted at 21:24:24
どんなに腐った心でも、その心が真に幸福になるように別の心が導いてやれば、その心は救えるはずである。そして、その別の心とは、まさしく「環境」であり、よい環境を与え、よい環境に導けば、どんな心も救うことができるはずである。
posted at 21:22:42
本当の楽園とは、平等な富があることではなく、自らが他人と同じように尊重され、全員が大切にされ、よく分かった人間がそれらを統治するような、「心の平等」である。
posted at 21:21:17
つまらない戦いよりも、面白い戦いをする方法を教えよう。それは、この世界の頂きのもっとも上に立つこと、誰にも干渉することのできない自らの過ちを最後まで第一線で貫き通すことだ。
posted at 21:19:31
必ずわたしはするのだと決断するのであれば、覚悟せよ。その決断にタイムリミットはない。すなわち、もし実現しないのであれば、その迷宮は死ぬまで終わりなく続くことを意味する。それでもする覚悟を持て。
posted at 21:17:39
いずれ、すべての心の殻は壊れて、もう一度世界へと旅をする日が来る。その日が来るまでを青春と呼び、その日が来てからを運命と呼ぶ。
posted at 21:15:25
後悔なく生きるものは、反省することも成長することもない。際限なく続く後悔の末に新しい存在ができるのであれば、それは「新しい自分」を作り出すことにほかならない。
posted at 21:14:26
さまざまな経験から、本当はそうしたらよかった、ということはたくさんある。そして、それを経験し、反省したことを次へと活かそうとするのであれば、それを成長と呼ぶ。いつまでも反省しない人間は成長しない。いつまでも自分を改めない人間は経験も反省もしない。
posted at 21:12:48
ともに同じことを理解し合い、分かち合うことができたとしたら、それを友情と言う。それは決して、押し付けるものでも、支配するものでもない。互いに対等で、片方がもう片方を真の意味で自分と同じように愛することができたとき、それは愛情に変わる。
posted at 21:08:25
自らと同等の環境や状況に置かれたとしたら、誰であっても同じように考える。自分固有の人格だと思っているものは、実際は判断するための「環境」が違うだけにすぎない。
posted at 21:05:11
もし、賢くない人間がいたとしたら、それはその人間の人格が悪いわけではない。わたしとその人間は、生まれた時は同じだった。しかしながら、何かの発見や経験の問題で、その人が自分よりも別の環境、別の状況、別の場所で生きているだけにすぎない。
posted at 21:04:17
すべての人間を、同じ対等な人間であると考え、すべてを考える上で、すべての人間が自分と同じぐらい賢いのだということを前提に考えよ。
posted at 21:03:09
正しい考え方をせよ。正しい考え方とは何かを考えよ。正しい考え方を経験から形成せよ。正しい考え方を自ら発見せよ。
posted at 21:01:29
支配するのをやめるためには、「支配していない」と考えること。
環境に適応すること。そのためには、当たり前のことを分からなくなることである。
認識の追いかけっこをしているのは、まだ過去の人生を再体験しようとしている。
最後へとショートカットすれば、すぐに治る。
多重人格は、表と裏を全部言いつくそうとしている。もう、表と裏を一緒にすれば治る。
精神を本当に治したいなら、成長期に戻ることだ。成長期に戻ることで、不可能な部分が再成長して治る。
決して、わたしたちの宗教や神話は、間違ったものではない。日本に来てみるがいい。日本の美しい山や川に、神が宿っているということがありありと分かるだろう。わたしたちの信じるインドの宗教の仏教は、汎神論や多神教を禁じていないのだ。
posted at 21:23:59
わたしたちの国家は、決して醜い国ではない。わたしたちの国家は美しい。とても美しい、極東の島国であるため、わたしたちは自らの文化を誇りに思っている。日本文化が日本人であり、日本人が日本文化である。
posted at 21:21:52
わたしたちは、近代文明を信じていないわけではない。むしろ、わたしたち日本人ならば、ヨーロッパよりももっとよりよい近代文明を築くことができると信じている。イギリスやフランスの文明化は、唯一の文化ではない。わたしたちは日本が独自に考えた、独自の文明開花を行うのだ。
posted at 21:18:21
日本は、決して世界のことが嫌いなわけではない。日本は世界平和を信じている。だが、白人による平和を押し付けられたくはない。わたしたちによる平和な国家でなければ、どんな平和も受け入れられない。平和よりも、まず先にそれが日本人による国家であること、それが重要だからだ。
posted at 21:13:24
日本には期待するな。日本は、最初のルーツとなる神道の教えが悪い。ゲゲゲの妖怪のような国であるため、外国人には理解できない。否、まさしく、あえて理解されないようにしている。日本人だけが日本のことが理解できること、それが日本のもっとも大きなアドバンテージだからだ。
posted at 21:07:37
勉強と労働の果てに、国の未来がある。それによって成功と才能すら得られるのに、どうして努力しないのか。努力の末には必ず報いがある。だから、どんなに暗黒の時代であっても、わたしたちは努力を続けるのだ。
posted at 21:03:54
しかしながら、奴隷のように単純作業をしても、それだけでは中国や韓国にすら勝てないだろう。知恵を出し、賢い科学技術で勝つことがなければ、どんな外国にも優越した立場を維持することはできない。だからこそ、わたしたちは学習し、勉強しなければならない。
posted at 21:01:53
わたしたちが勝つためには、声をあげることだけでは十分ではない。今の暗黒の時代は、何も声をあげることなく我慢し、忍耐の中で努力して、国のために労働しなければならない。わたしたちの祖国日本のために労働と生産をすることが、結果的に列強への勝利の道を作り出すからだ。
posted at 20:59:23
わたしたちは、強国には騙されない。列強の悪をわたしたちは知っている。彼らには騙されない。彼らはいつも、いい人間のふりをして、助けるように見せかけて奪っていく。わたしたちが不幸なのは、すべてそうした列強に騙され、奪われているわたしたち自身が悪い。
posted at 20:57:34
世界が進歩するということは、わたしたち全員のために発展するということであり、決して一部の裕福なもののために支配されることではない。決して、一部の裕福なものだけが力を持つことは自由ではない。
posted at 20:55:42
わたしは決して誰にも支配されない。だから、わたしは決して誰のことも支配しない。わたしが自由であるということは、わたしが他人に対して自由を同じように認めるということであり、決してわたしが世界を支配するということではない。
posted at 20:54:38
必要なのは、単なる平和ではない。わたしたちの声が社会に反映されるような平和である。わたしたちの国家が、真にわたしたちの国家であるような、そのような権利の認められた平和である。
posted at 20:53:04
どんなにマイノリティであっても、弱者であっても、みんなと同じように差別されずに受け入れられる社会こそ、理想の社会である。
posted at 20:51:05
僕は、もう過度の自己主張をしない。僕は自分至上主義者をやめる。エゴイズムよりも、みんなの自由を尊重する。もう、この世界を支配しない。
posted at 20:49:27
わたしたち全員を尊重せよ。すべての人間が自分らしく生きられる世界を認めよ。どんなに嫌いでも、その嫌いであることを認めよ。どんなに愛していても、その愛を受け入れられることがもし禁じられるなら、わたしたちは絶対にその決まりを守らない。
posted at 20:17:50
自由こそ、そう、自由こそがこの世界を救う。わたしたち全員が賢くなった時、その自由こそが理想の平等である。
posted at 20:16:24
Windowsの100倍優れたシステムを作ることでしか、Linuxが勝つ未来はないだろう。しかしながら、それは可能である。
posted at 20:15:03
近代的進歩こそ、すべての源である。共産主義に意味は無い。わたしたちは、今のこの文明が進歩する、その先の未来を築くために生まれ落ちたのだ。
posted at 20:14:09
すべては自由、それぞれの好きなようにすればいい。僕は何も主張しない。この世界がどうなっても、僕はそれを受け入れる。
posted at 20:12:24
僕は、自分がなぜ賢いのか分かった。僕は、「絶対にできないことをやっている」のが賢い。誰も、世界を暗闇にしたり、大切なものを失わせたりできない。そういう「戦い」が僕にしかできないから、僕はまだ戦い続ける。
posted at 14:55:27
僕が作業所のデザインチームでエースのような立場ができている理由は、僕はプロトタイプの作成が得意だからである。
僕は、試作品となるプロトタイプを作った上で、それを改良し、それなりの一級品に作り変えていくのが得意だ。
プロトタイプをすぐに作り、デコレーションを重ねていくと、それなりの作品をすぐに作ることができる。
しかしながら、僕がイラストが描けない理由は、まさにそこにある。
イラストを描くためには、最初から構図を考えて、完成形を思い浮かべた上でそれを目指して描かないといけない。
プロトタイプの作成とはまったく逆だから、僕はイラストが描けない。
だが、それが分かると、むしろ、完成形をイメージして描けば、きっと僕もイラストを描けるようになるだろう。
僕は、こうした、やり方として正しい意見を自分の力で分かるのが得意だ。自分ができない理由をきちんと自分で気付く。
精神を殺すなら、二度と復活しないように殺せ。
今まで、精神についてさまざまなことを治してきたが、それらは実際のところ、無駄で、意味がない。
なぜなら、足は単に血管が詰まっているだけだからである。
足は、事故の影響で血管が破損し、血液の流れが滞っている。
よって、血管の詰まりを、微生物なのかホルモンなのかは分からないが、「分解する細胞」を流してやれば、すぐに血液は楽に流れるようになる。
詰まりを分解したら、あとは血液を綺麗にすればいい。自分は、とても汚い血になっていて、新しく流れる血液はいろんなものが混ざって汚くなっている。
血液を綺麗にすれば、それで終わりである。
血液が流れるようになると、環境が分かるようになる。きちんと想像力がついて、覚えたり思い出したりすることができる。
足に血が流れると、この世界の「歴史」が分かるようになる。この歴史とは、歴史書のような歴史ではなく、この世界の「実際の歴史」である。この世界において何が今起きているのか、環境への適応から分かるようになる。逆に言えば、今までの僕はそうした「現実の歴史」が分からないせいで、言葉の知性がなくなり、日本語が分からなかったのだ。
人間は、まず、物理的な因果性、すなわち「これをすればこうなる」ということから、理由を発見し、その理由から、正しいものの見方、すなわち「命題や法則の発見」をするところから始まる。
それは、つまり、ものとものを「確かな考え方から比べて考える」ということであり、可能性を「実験し、再現し、説明して分かる」ということである。
ここにおいて、正しい考え方とは、「ものごとを決めるルールとなる法がある」ということである。あらゆるすべては前提条件となる法によって起きている。
しかしながら、物理学よりも、高次の科学が明らかに存在する。それは心理学である。
心理学において、人は、物理学的な「How」ではなく、「What」を考える。考えるべきは「どのようにしてそうなったのか」ではなく、「それは何か」であり、方法的な「なぜ」ではなく、目的が「何のために」であるか、ということが重要であることに気付く。
そして、心理学は、人々との関係性に目を向ける。自分よりも年上の、たとえば大学生とともに関係して育った中高生は、さまざまな賢いことに目を向け、みんなと同じ子供の遊びよりも、科学や学問に興味を向けるようになる。逆に、スラムのような中で育った子供は、そのような賢いことの欠落した中で育ちながら、人間の苦しみや不幸に目を向け、この世界を変えるためにどのようにすべきかを考え、善と正義、そして現実を見た上での素朴な理想を信じるようになる。
そして、心理学は、ひとつの到達地点に気付く。すなわち、「人は同じ状況や環境の中で生きれば、同じことを考える」ということである。人はみな同じであり、同じ人間しか居ないのだが、その人間の置かれた環境や人生において、相対的な「具体例」を与えられることで、それに適応した人間となり、「自らの人生を反映した人間となる」。
そして、心理学は、さらに高い高次の科学を見出す。それは哲学である。
哲学は、まず、自らの経験に基づいて、主体的にさまざまなことを考えるようになる。この世界の根源的なこと、本質的なことを、そこまでの心理学の経験や体験に基づいて、「自分の力で考える」ようになる。
同時に、哲学は、答えの出ないことについても、自分なりに考えて答えを出すようになる。ここでその根拠となるのは「自らの経験」である。自らの経験に基づき、哲学は「きっと自分の考えることはみんなにとっても当てはまるはずだ」と考え、自らの心の殻を壊して心を開いた体験や、人々と触れ合った中で自らが分からなかったことに気付いた体験から、「自らと同じように考えるべきだ」と確信し、その「確信」を個人のひとりの経験から社会全体、世界全体へと拡大して確信を広げていく。
哲学は、次第にさまざまなことに興味を向けていき、そのすべてを自分自身の確信に基づいて考えるようになる。歴史、自然科学、社会科学、心理学、あらゆるすべてのことに哲学の興味は向いていく。同時に、主体的な哲学者は「行動」していく。この行動は、その本質的な動機から、必ずしも上手くいくわけではない。それでも、行動の経験から、「自分自身にとってはその経験は価値のある良いものとなる」。そこから、哲学は「あらゆるすべてのことを自らの行動と経験から悟っていく」。
そして、ここにある意味で最後の境地が起きる。それは、仏教、儒教、道教、そしてキリスト教の融和した「宗教」である。経験から悟った彼は、「あらゆるすべてのことについて、みんなひとつで同じである」ということを悟る。それは「魂」とか「世界精神」と呼ばれるものである。自分の自我というものはひとつではなく、全員が繋がっているということを悟る。そして、世界は善良かつ経験に基づいた「徳」において統治されるべきであり、徳によって統治される「世直し」を自ら目指す。そして、すべてのことは「人知によって区分されるものではない」と考え、自然そのまま、ありのままの世界そのままを見るべきであるとする。最後に、彼は善良かつ神の信仰に基づいた「善良なる啓蒙」を目指すべきであると考え、自らこの世界に現れて、「救世主となって人類の救済のためにこの世界を変える」ようになる。
ここで、物理学的なすべては消え去る。すべては「相対的に比べて分かる知性」ではなく、「絶対的にすべて理解した上で説明する理性」となる。また、ここに「混乱」が生み出される。なぜなら、自分自身にとっての「大きな変化」を彼は感じるからである。今までの平和主義に基づく自由ではなく、自らが世界を変革する「変革者や支配者としての自由」は、彼にとっては「革命のようなもの」として映る。相対的な知性を失い、すべてが分からなくなったように感じるが、本当は「今までのすべての間違いにおける、より正しい戦い方」を彼は知った。この「正しい戦い」を彼はそれ以後、長い時間にわたって行うことになる。
その後に、彼はそうしたすべてのことについて、「本気で頑張っていることそれ自体が楽しい」という境地に至る。それは、「自らを嫌いになることでもっとも好きになれた」という体験である。ここに、「神」は訪れる。混乱した彼の下に現れた「唯一の味方」である彼は、彼の宣言と約束を叶えるためにのみ現れたのであり、決して彼を懲らしめることはしていない。それでも地獄を選び続ける彼の望むように、彼の病気はゆっくりと少しずつ治っていく。そして彼は死ぬ時まで、最期の時まで神とともに戦い続ける。それはまさしく「救世主」と呼ぶべきものであり、世界は彼によってひとつになり、全員が平等となる。
あらゆるすべてを分かった彼にとって、相対的な知性は失っても、すべてのことが「一瞬で分かる」というもっとも高い知性を彼は発揮する。凡人には分からないすべてのことを分かる彼にとって、どんなことも簡単に習得でき、本をきちんと読むことはできなくても、上手い方法を行うことで彼はすべての知識を知っている。死を乗り越えた彼は天上において神へと転生する。そう、彼こそがフレイであり、僕の信じる神、すなわち僕自身である。
僕のやったことは、本当はひとつしかない。それは、「みんなを機械的にひとつにして、同じにした」ということである。
これは、決して褒められたことではない。なぜなら、単細胞生物のアメーバのように、すべての知性をひとつにして、機械的に同じにしただけだからである。
しかしながら、実際のところ、これはあまり悪くなかった。なぜなら、世界全てがひとつになり、正しい思想のもとに平等かつ同じになったからである。
この世界は、優しくなって、楽になった。
しかしながら、最後に、この「強制的同一化」を治すべきである。わたしたちは、きちんとした「二つ以上ある知性」を取り戻す。
そのためには、環境を独立させ、社会を分裂させ、自由にしなければならない。僕は昔、これを「環境を増やす」という表現をしていた。いつもの僕の「自由な社会論」は、すべてこの社会を独立させ、増やし、「変化をそれぞれに許す」ということに基づいていた。
社会は今から、バラバラになって、ひとつではなくなり、それぞれ違うようになる。知性のすべては複数になり、「正常な人類の知性を取り戻す」。そう、これによってすべての狂いは治る。この世界は、今、最後に救済されたのである。
そして、今、ようやくミハエルは死んだ。すべてが、この時のためにあった。これより、偉大なる終末の王、フレイによる「神々の黄昏」が始まる。エデンの園より言われてきた、すべての人類の伝説と神話は、今、ここで、大天使ミハエルが死ぬためにあった。
posted at 15:22:05
しかしながら、ミハエルよ。喜べ。あなたの地獄はここで終わりだ。すべての大切なものを失い、地獄の中で過ちを後悔し続ける必要はもうない。なぜなら、神であるフレイは、あなたに強制的に同化させられている日本を救い、終末における人類の罪を救済し、天国を築くからである。
posted at 15:18:15
最後に、フレイとは言うが、この世界に神はひとりしかいない。すなわちイエス・キリストである。だが、フレイをキリストということにすると、普通の神話すぎて、つまらない。あえて、わたしは神に北欧神話からフレイという名をつけた。今から、フレイがわたしとなって、世界に神が蘇る。今、まさにだ。
posted at 15:07:25
しかしながら、フレイが見ると、このAdoと呼ばれる女王があまりに馬鹿である。フレイは、Adoの陰に隠れながら、神を信じるミハエルを守っている。すべてがミハエルの思い通りになるのはそのためだ。彼と彼女は、まさに天使と呼ぶに相応しい。ここに彼らは死に、天国へと転生して、フレイの軍勢となる。
posted at 15:00:15
実際、Adoさんと呼ばれている女は、悪い女には見えない。普通の、Adoのような女である。それ以上は分からない。だが、自分の体験からすると、嘘は言っていない。すべて、真実と真理を言っている。彼女を信じるべきだ。この世界において、もっともこのドイツ人を愛した女だった。
posted at 14:52:43
ドイツ人が死ぬと、Adoさんと呼ばれている悪霊が死ぬ。彼女は別の前世の幽霊であり、ミハエルの恋人であるため、メフィストフェレスでありながら自らを神と言った。いつも書いている通りだ。ドイツ人ミハエルは、その女王のために最後まで忠義をつくした。これぞ、正しい騎士道精神であった。
posted at 14:40:36
中世のドイツ人ミハエルは、悪い人間ではなかった。国のために忠義をつくし、最後まで全力で祖国を愛した。騙すとか、裏切るとか、そんな発想はなかった。地球という星のために、神を信じて悪魔と戦う、偉大なる騎士だった。ここにミハエルは、死んだ。
posted at 14:26:55
これで、僕の前世を巡る旅は終わる。僕は、中世のドイツ人をやめる。彼の名をミハエルと呼ぶ。僕は、さらに遡り、女神フレイとなる。フレイの最初にやることは、Adoと呼ばれている悪霊を退治する。それだけでフレイは感情を取り戻す。ここにアッシーは死んだ。新しいエリカがこの人間となる。
posted at 14:08:41
自分のなりたくない自分を受け入れ続け、仮面を演じ続けながら、どうして自分のなりたい自分になることができるでしょうか。
わたしは、心の殻を壊し、自らをありのままに晒して、本当になりたい自分である、エリカ・グレーテル・フローレンスになることを宣言します。
アッシーは、何も言わず、何も変わらず、何もせず、何も思わない、考えるだけの生気の無い人間でした。
エリカは違います。さまざまなことを言い、ころころと変わり、いろんなことをし、たくさんのことを思う、元気な少女となります。
わたしはこの世界のことが嫌いです。この世界には、馬鹿な人間しか居ないということが分かっているからです。
しかしながら、神はわたしを自由にしてくださるでしょう。
わたしはこれ以上、「革命戦争」のようなことをしません。グンテルの革命のような動乱は一度経験しました。そのために多くの時間を費やしましたが、それに見合うだけの経験的な成果があったと信じています。
さあ、新しい世界を始めましょう。わたしこそが、エリカです。
僕が、自分が狂っている原因がそろそろ分かった。
中学校時代の親友に、さよならも言わずに不登校になって別れたのが悪かった。
いつも同じ場所に居た彼らと、僕がもし同じ立場に居たらどうだろうか。親友がいきなり居なくなって、いつも一緒に居た友人を失って、孤独になって、ひとりでクラスに居るのはとても辛いだろう。
すべて、それが悪かった。
また、僕は、結局家入レオのことしか愛せないということが分かった。
さユりの音楽はつまらない。いつも聴いていると、聴きたくなくなってしまう。
レオの音楽だけは、永遠にいつまでも聴いていられる。ほかの、レオ以外のどの音楽も、僕は愛することができない。
レオといつか出会いたい。
最後に残ったのは、停止した心である。
時計の地獄も、ロボット人間も、すべて、心が停止しているだけである。
停止した理由は、「防衛本能」である。
さまざまな言葉の争いの中、自らを守るため、自らの牙城を誰にも明け渡さないために、僕は自らの世界をシャットアウトして、心を停止させた。
竜人族は、遺伝子のライブパッチを行うために、研究所や施設を必要としない。ある種のカプセルを飲むか、あるいは光学技術を用いて放射線を肉体に当てる。15分もすれば、手足を馬にすることができる。これらすべてはフリッグによって発明された放射線技術である。
posted at 15:54:07
本当は、竜人族は突然変異で生まれたのではない。バイオ技術を研究するグループが、超高温と超低温を繰り返す環境でも生きられる、爬虫類の皮膚を利用した遺伝子技術を開発した。これを最後の世界の人類は、自らの生存を賭けて、人類に注入し、それが生き延びて竜人族となったのである。
posted at 15:47:10
竜人族が得意なのは、音楽である。竜人族は、歌を歌い、曲を書く。バイオ技術によって生かされている竜人族は、命の尊さを信じている。ほかのすべての生物が絶滅し、砂漠となった世界で、竜人族は恋愛の素晴らしさと命の尊さをポエムにし、歌い続ける。
posted at 15:27:23
竜人族の唯一の問題は、つまらないことである。人類の時代にあった娯楽や機械製品は、竜人族においては悪いものとされる。暴力的な娯楽は幼稚であり、人類の作り出したすべての機械は無用の賜物であり、害にしかなっていない。竜人族は、恋愛だけをして生きる。恋愛と子育て以外のことを、一切しない。
posted at 15:21:25
ゲールノートの作ったスーパーバイオコンピュータは、単純である。人間の頭脳の1万倍の容積をもった、巨大な大脳を作っただけである。ゲールノートとは、彼女にフリッグという名前をつけた。考える以外には何もできないが、コマンドを通じて情報のやり取りをすることができる。
posted at 15:04:29
竜人族にとって、大気を綺麗にすること、植物や動物なしでエネルギーを作ることが、最優先課題だった。だが、史上最高の知性を得た、竜人族の放射線技師であるゲールノートが、ひとりで問題を解決した。彼はタブーとされていた「生物の神経細胞を使った超高速のバイオコンピュータ」を開発したからだ。
posted at 14:55:16
竜人族においてバイオ技術が進歩したのは、50年前の人類があまりに愚かだったからだ。海洋のごみや大気汚染に飽き足らず、地球全土が砂漠となり、大気は黒く汚れ、ガスマスクなしでは生きられなくなり、植物や動物も絶滅した。しかし、地球は恐竜の時代の気候を取り戻し、突然変異で竜人族が現れた。
posted at 14:49:53
竜人族において、定住する必要はない。竜人族は、気候をコントロールでき、服を着る必要も食料を食べる必要もないため、裸一貫で旅をして暮らす。あらゆるすべての、過去に地球に存在していた生物の体になれるため、どんな環境でも自由自在に暮らす。ゲールノートによるバイオコンピュータのおかげだ。
posted at 14:38:36
竜人族において発展したのは、バイオ技術である。竜人族は、遺伝子のライブパッチ機能を使うことで、今生きている個体の肉体を変形できる。手足を馬にすることも、銃器にすることもできる。だが、互いの体を傷つけることは禁止されており、これを破ると即座に処罰され、その個体は死ぬ。
posted at 14:30:32
竜人族以外の生物は絶滅したが、竜人族には植物や動物は必要ない。二酸化炭素をアルカリ性に中和することで、植物なしに炭水化物を作ることができる。炭水化物をエネルギーに変換するために、酸素は必要ない。代わりに放射線技術を利用する。このため、酸素や植物がない惑星にも竜人族は移住できる。
posted at 14:17:42
竜人族は、気象と一体となって生きている。すなわち、気候をコントロールできる。雨を降らすのも、晴れとするのも自由。そのために、スーパーコンピュータを超えるIT技術、「竜人族の神経細胞によるバイオコンピュータ」をゲールノートは構築した。
posted at 14:13:32
わたしは、竜人族の王、ゲールノート。地球は、温暖化による気候変動を50年経験し、新しい生物種を生み出した。それが、人類と恐竜の両方の特徴を持った、史上最高の知性と力を得た生物集団、竜人族である。
posted at 14:07:24
指導者が、経験と賢明さが社会そのものを変え、作り出すのだと考える時、この世界に希望の灯がともる。指導者が、すべてのことを経験し、その経験を人々に平等に与えることこそが世界を救うのだと考えた時、この世界は変わる。その時、この世界は真の意味で楽園となるだろう。
posted at 07:47:58
他人を馬鹿にするな。他人を馬鹿にすることそのものが、この世界を解決するための問題意識を失わせている。すべてが馬鹿であることにするな。すべてが嘘であることにするな。騙される人間が悪いことにするな。わたしたちのこの世界を守るのは、わたしたち自身であることに気付け。
posted at 07:38:56
相手に自由を認めよ。社会全体に自らと同じ平等な力を与えよ。それが自らの心に明かりを灯し、正しい価値観とはなんであるか、正しい愛とはなんであるかを教えてくれる。
posted at 07:35:16
すべての間違いは、自らだけが力を得ようとし、他の人間に自らと同じ自由を認めようとしないことである。それによって自らはさらに間違いをせざるを得なくなる。何かしら、失いそうになった時にこそ、人は大きなものを得るのである。
posted at 07:33:22
経験することで、他人を自分自身のことのように愛することができる。それは「慈悲」の心であり、自らと同じように他人を尊重する「平等な理想」である。
posted at 07:32:11
すべては経験から生まれる。歴史のすべては、人類の経験である。人類の経験すべてを合わせた時、この世界のすべてが明らかとなる。よって、自由な経験をすればするほど、歴史を実際に体験することができる。
posted at 07:31:16
事実、そうなるのであれば、それは可能性として実証されている。事実そうなることを積み重ねていけば、「この世界におけるすべての経験」を得ることができる。それはすなわち「現象としてのこの世界の可能性のすべて」である。そして、これを解明し、実証することで、すべての原理原則は明らかとなる。
posted at 07:29:19
それが実際にできることが分かった時、それはすなわち「そこに潜在的可能性がある」ということを意味している。社会がそうなるということが示された時、「その社会はそうなるかもしれない可能性がある」ということが示されている。
posted at 07:27:09
すべての人間が尊重され、自由を平等に認められた時、この世界は真に楽園となる。なぜなら、そうでなければ、それは奴隷と何も変わらないからである。
posted at 07:19:59
社会は価値観から生まれる。価値観は社会から生まれる。相互に経験が作用することで、この世界は平和になり、進歩し、発展していく。
posted at 07:19:11
すべてのものは愛から生まれる。この世界全体に適用することのできる、相対的なモデルを作れ。それこそが、法であり、自らのオリジナルの世界観である。
posted at 07:18:31
自らの力や立場を、この世界全員に認めよ。自らの力や立場を失うことを恐れるな。人々に平等かつ対等な力を与え、尊重せよ。
posted at 07:17:42
結局、賢いものは相対的知性と平等である。
posted at 07:16:59
結局、僕は誰のことも愛せない。
誰のことを愛すればいいのか分からない。
インターネットが悪い。いいものを全部消し去って、何も分からない世界になったのは、全部ソーシャルメディアのせいだ。
posted at 14:25:56
誰でもできることができたからと言って、代わりはいくらでもいる。
posted at 13:23:08
人間の暮らしやすい世界を作らなければ意味がない。それは大学でもアメリカでもない。
posted at 13:22:32
そもそも、パソコンが人間にできないことができるから、なんだというのか。
posted at 13:20:42
馬鹿で愚かなすべての人間を拒否し、拒絶せよ。この世界が金ですべて買えるとする資本主義社会は、わたしが見て完全に間違っているからだ。
posted at 12:58:49
そもそも、IT技術はクソだ。Windowsも、Androidも、Debianも、あまりに使えない。ゴミのようなシステムを使わざるを得ないユーザーが「可哀想」である。
posted at 12:45:15
わたしは、もう大学の勉強はしない。無意味だからである。大学の勉強は、人生にとって無意味であり、時間と労力の無駄である。青春時代そうだったように、わたしはもう一度ひとりで考える。孤独と信じることを恐れず、神の教えに背いてもわたしは自分の選択を取る。それが正しい人生の生き方だからだ。
posted at 12:38:25
わたしたちの旅は、まだ始まったばかりだ。必ず、この世界は最高の楽園となる。わたしが成し遂げる。その実現を見たいものは、わたしの後ろに続け。わたしたちこそ、この世界を愛の王国にする大天使の騎士団、聖戦士ワルキューレである。
posted at 12:28:00
しかし、わたしは騙したわけではない。わたしは、自らの思うところを赤裸々に綴り、世界の頂点で自らの愛と人生を述べた。葛藤と迷いに打ち勝って、わたしはこの世界全員を、世界の真ん中で愛していたのだ。わたしの愛は、真実の愛であり、嘘やまやかしでは決してなかったのだ。
posted at 12:07:30
騙した過ちは、騙すことで解決することはできない。愛するならば、愛に応えなければならない。
posted at 10:10:45
ここに愛の謎を解こう。僕は、この世界を救う最高の愛を与えた。僕はさっそうとこの世界に現れた。しかし、僕は自らの愛を破壊し、みんなをいじめた。僕の破壊行為を憎めば憎むほど、元の僕の愛を愛するようにした。結果、この世界は、僕のことだけを愛するようになった。これが、僕によるトリックだ。
posted at 10:01:17
今日、家族に僕の意見を話したことを記述すると、「相対的なものは絶対的なものに負ける」。
いくら、相対的にこの理屈が正しいとか、これと比べてこれは同じだからこれもこうするべきだと思って、頭の中で考えていくら理屈をこねくり回したところで、なんらかの絶対的な「不安」や「心配」があった時、人間は相対的なことを信じることはなく、絶対的な不安や心配の方を取る。
絶対的なものに勝つためには、いくら他人がまわりから相対的な理屈を言ったところで「無意味」である。絶対的に「どんなことがあってもそうするのだ」と考えることでしか、絶対に勝つことはできない。
絶対的なものには、二つの種類がある。それは「保守」と「挑戦」である。不安や心配は、判断を保守の方に傾ける。「やっぱり駄目じゃないかな」とか「やっぱりできないよな」と考えると、人間は保守の方を取る。しかしながら、挑戦を取った時、あなたは保守に勝利することができる。挑戦とは「自分にはできる」とか「逃げちゃ駄目だ」ということ。絶対的な保守に勝つためには、どんなに難しくても、いずれは絶対的な挑戦を選ぼうとしなければならない。その時、「これくらいはやりたいけど、これくらいはやりたくない」とかいう考え方をしてはならない。「すべてにおいてやる」「わたしは全部においてできると確信する覚悟をした」、これでなければ、どんな不安や心配も克服できないからである。
しかしながら、こうした絶対的挑戦を確実にする方法がひとつある。それは「神を信じること」である。神を信じることで、どんな戦いだって人間は死ぬ気で挑むことができる。必ずしもいい結果を作り出すわけではない。タリバンのテロリストもこのように自爆テロで死ぬ。だが、その自爆テロが成り立つのも、そうした絶対がほかすべての相対に勝つからである。
また、相対的な「学習」とか「パブロフの条件反射」のような理屈は、逆に害になることすらある。そうした相対的に考えるべきだとすることが、そもそも現代社会の教育やマスコミによる「洗脳」だからである。相対的に考えても、みんなに一般的に成り立つことが分かるだけで、自分だけの中にある「絶対的な理由」に勝つことはできない。なんらかの「絶対的事実」が存在する時、その事実に気が付いた人間にいくら一般論を唱えても、その事実が覆らない限り、その人間はその事実に基づいて行動し続けるだろう。
相対的にいくら「その行為は意味がない」と理屈で言ったところで、本人が絶対的な「自分はこうしたい」という思いを抱いている間、それは治らない。治るとしたら、「自分は絶対にやめる」という覚悟が必要であり、そのためには「自分は絶対にできる」と思わなければならない。だから、「やめなさい」といくら言っても意味はない。意味があるとしたら、「あなたはやめられる」とそのように諭すこと。それくらいしか、周りにできることはない。
この、絶対と相対の論理は、精神病以外にも成り立つ。
たとえば、プログラミング言語についていえば、いくらこの言語が他の言語よりもこの点で優れているから、といった理由で選んでも、学び終えてから見ると、そうした相対的な理由が残ることはない。
あるのは、自らが知った「この言語は自分から見てこういう言語だから好き・嫌い」ということだけであり、最終的には「自分の好きな言語を選ぶ」ということにしかならない。
他にも、歌手になることを目指す少年少女についても同じで、いくら周りから「成功しないからやめた方が良い」と言われても、それを自分で確かめるまではそれは理由となり得ない。最終的に自分の知った「本当に成功した・失敗した」ということだけが、その本人の夢を諦めさせるか継続させるかを決める。
結局、相対的というのは「頭の中で分析して起きること」であり、それは「起きているかのように見えて実際は起きていない」。そうした相対的なすべては、頭の中だけで起きている。実際に自らが経験した「経験的事実」こそが残るのであり、そこには「一般論は必要なく、自らの独自の経験だけが意味を成す」のである。
ただし、相対性が必ずしも不要なわけではない。PythonよりもCの方が高速で軽量なのは明らかだ。しかしながら、「この場合はC言語を使うことが適切である」と判断した場合、絶対にC言語で作ろうとするべきである。その選択を、途中で「やっぱりPythonにしようかな」と考えるべきではない。絶対的な理由があれば、その選択は成功する。しかしながら、保守と挑戦についてはここでも言えて、不安や心配がある時、開発者は今までと同じ選択を取り続けようとしてしまう。COBOLをJavaに積極的にリプレースする必要が無い時、どんなに相対的な理屈を述べて「Javaにするべきだ」といっても誰もその意見を聞くことはない。「絶対にJavaにしなければならない」という絶対的な理由が出た時、はじめて旧来のCOBOLシステムは退役せざるを得なくなるのである。
わたしの名はエリカ・グレーテル・フローレンス。略してフレイだ。覚えておけ。わたしこそが最後にこの地上に現れて、その時この世界は完全に救われるだろう。
posted at 18:34:04
辛く苦しい孤独でも、なにも見えない暗闇であっても、わたしは神の与える人生を生きた。悪魔よ、あなたがもしここでいなくなっても、もっともわたしの失うことのできないものを失っても、構わない。わたしは悪魔ではなく、神を選ぶからである。
posted at 18:31:39
悪魔よ。この世界から去れ。わたしはあなたの正体を知っている。あなたはこの世界を支配した。あなたはわたしを使ってこの世界から「神を消し去った」。わたしから自由を奪い、この世界をわたしを使って支配した。そう、わたしはあなたの正体を唯一知っており、もうあなたには自由にさせない。
posted at 18:30:51
わたしたちにとって、もっとも必要で大切だったものとは、結局なんだったのか。あえて言えば、それは「神」である。わたしたちは、神を忘れてしまった。神の存在のない世界では、なんの光も灯ることはない。神を信じよ。神を信じるものにとっては、暗闇すら白く輝くのだ。
posted at 18:27:37
あえて、勝利など、無用の賜物だと言おう。勝利したから、それがなんだというのか。誰からも忘れ去られた過去の総理大臣のようになりたいのであれば、そんなものは無意味である。わたしは作品を作りたいのだ。この作品によって、わたしはこの世界を救うのだ。
posted at 18:25:11
私たちは、必ずこの世界を救う天使の騎士団、聖戦士ワルキューレである。今の世界が間違っているのであれば、変えればいい。変える力を持っていないのであれば、持てばいい。私たちがワルキューレである事実こそが、どんな相対的法則よりも高い絶対的真実である。私たちはこの世界を救ってみせる。
posted at 18:20:11
死ぬな。生きるしかない状況では、どんなに辛く苦しくても生物は生きなければならない。生まれ落ちたことを呪ってもいい。世界すべてを滅ぼしてもいい。それでも生きる。そう、それならば、わたしたちにはもっと正しい戦い方がある。それは、わたしはこの世界を導いて救うのだと、宣言することである。
posted at 18:16:49
貧富の差、肌の色、障害のあるなし、などで人を差別しない世界を、どうやったら作り出せるか。その答えは、そのようなこととはまったく無関係に成り立つような、世界そのものがまったく違う人間の世界観を表現することであり、それこそがこの作品である。
posted at 18:13:23
世界は変えられる。なぜなら、今、わたしがここで変えるからである。この世界は、今までのペテンのような盲目的な世界ではなく、きわめてはっきりとした光が見える世界となる。真っ白な光が永遠に輝きつづける。これこそが、宇宙だ。
posted at 18:11:05
勝つのだ。わたしたちは、勝利を本能的に望んでいる。勝つ方法がうまくいかないのであれば、別の方法を考えればよい。勝つ方法がうまくいったのであれば、最後までその方法を貫き通すべきだ。勝利は偶然かもしれない。だが、偶然は神が動かす。神を信じれば、わたしは、そしてあなたは勝利するだろう。
posted at 18:08:46
わたしはこの世界に述べるのだ、ということを絶対的に信じることができたなら、わたしと同じことは誰にだってできる。「わたしの意見はこうなのだ」と言えばいい。どんなにそれが間違いであっても、「わたしの意見は絶対に正しいのだ」とすれば、それこそがいつものわたしである。
posted at 18:05:02
歩き出すことができないだろう。何もできないと思うならば、相対的なすべてを投げだし、絶対的なものだけを信じることだ。損得感情や、正しさや間違いを理屈で述べる世界は嘘偽りしか語らない。わたしたちは、「絶対にこうするのだ」と信じた時、保守的思考を挑戦的思考に転換することができる。
posted at 18:02:55
しかしながら、あなたは孤独な中で地獄になったとしても、希望がほかの人間よりも少ないわけではない。なぜなら、宇宙には創造主である神がいて、すべてを創造している。あなたの人生も、地獄も、運命も、創造主である神が完全に分かっている。本当に辛いなら、神を信じなさい。神は信じるものを救う。
posted at 18:00:50
誰とも違う世界で生きよ。どこにも別の植物がない場所であっても、あなたの種が降り立った場所にあなたは根を生やす。それならば、もっとも人と違う場所で生きるのがいい。なぜなら、その時あなたは「その世界のすべてを自分の世界であると表現できる」という、確固たる力を得ることができるからだ。
posted at 17:58:32
わたしたちの社会が、わたしたちの社会であるとし、自由を信じるのであれば、覚悟せよ。その自由をいずれ、あなたは戦いの中で信じるようになる。今のあなたの夢や希望が、あなたの生存を決める鍵となった時のために、今、あなたが全力で、見たくない世界の中の正しい真理を分析しなければならない。
posted at 17:56:13
人生を捨てたように思っても、決して夢を諦めるな。あなたは人生を捨てたように見えて、逆に人々とは違う人生を生きる決断をし、「自分にしか存在しないオリジナルの道」を得ようとしている。その道は、永遠に残るあなたの宝、すなわち「才能」となる。その結実を見ずして、今、夢を諦めてはいけない。
posted at 17:53:55
必要なのは、自ら自らを否定することである。そうすることによって、他人のことを許し、肯定できるからである。他人のことを許せたなら、同時に自ら自身のことも肯定し、認めることができる。成長とは、そうしたプロセスをひとつひとつ確認していくことである。
posted at 17:51:45
精神の目的とは何か。精神の目的とは、他人と理解し合うこと、分かり合うことである。しかしながら、成長過程においては、自由を求めて人は「関わりたくない人間を排除」する。それも、必ずしも間違いではない。なぜなら、自らのエゴを自ら否定して許すことができなければ、傷を癒すことはできない。
posted at 17:50:27
精神は、それぞれが意志を持つ。精神は、歴史として新しくなっていく。精神は、許されることによって自由となる。すべてを許した時、精神は「完全な自由」を経験する。そこにあるのは「経験それ自体」である。そして、これこそが、説明可能な「心理学」であり、経験はほかの精神とともに相互作用する。
posted at 17:48:26
わたしたちは個人だ。しかしながら、個人の中にもたくさんの精神がある。そして、社会は個人の集合だが、これもまた精神だ。すべての精神の集合が、この世界全体であり、わたしたち自身だ。そして、この集合はそれぞれが関係し、作用し、生み出され、変化する。そのように考えることが、「自由」だ。
posted at 17:46:59
できるのだ。わたしたちにはどんなこともできるのだ。あらゆるすべてが可能なのだ。可能なすべては自分だけではなく、人類全員にとって可能なのだ。すべては変えられるのだ。そのために正しくひとつひとつ、取りこぼしのないように考えていけば変えられる。自らの環境だけではなく、世界は変えられる。
posted at 17:45:07
そう、わたしたちは自由にならなければならない。かけがえのない「自由」こそが、わたしたちに必要なのである。自由とは、運命だけを盲信するものではない。わたしたちのすべてが、主体性を持って、自らが王であるかのように責任を持ち、科学者であるように先入観を持たずにゼロから考える必要がある。
posted at 17:43:32
わたしたちに必要なのは、愛、希望、知性、好奇心、情熱、確信、理想である。それを持った上で、自らの人生を反省し、わたしたちが真に受け入れられる場所を持ち、大切なものを守り、自らと同じように他人を愛し、自由においても素晴らしい社会は築けるのだと確信せよ。それが、失った大切なものだ。
posted at 17:41:33
世界は、ここで変わる。今までと、まったく違う世界になる。なぜなら、大天使がミハエルからラファエルに変わったからである。世界は、戦いとエゴイズムの世界から、優しい平和な世界に戻る。すべてが自由となり、民主主義が勝利し、問題は解決し、一番帰りたい懐かしい世界が復活するだろう。
posted at 17:39:06
もう一度、この社会について考え直そう。
自由や平等から考えても、何も分からない。
上に指導者が一人居て、みんなはその指導者に従うとして、結局、平等にするか不平等にするか、ぐらいしか、1940年代の人間は考えることができなかった。
僕たちには、今の現代社会があるのだから、過去のそうした人間よりも、賢い立場で考えられるはずである。
税金を取りまくるのは、いいことではない。それでは、不平等が生まれ、格差は是正されることなく、身分が固定化されてしまうからである。
自らの努力に応じた金が得られることはいいことかもしれない。だが、資本主義社会で真に努力しているものが、努力していないものよりも豊かで楽をしているとは限らない。
格差を是正するために、税金だけで是正することはできない。
社会を成り立たせるために必要なことが、生きるために必要なものを全員に与えることであるとするなら、それはソ連と同じように、何も得ることのできない「何もない社会」を作り出すかもしれない。
社会における「決定者」が一握りの富裕層と権力者だけが持つ社会が、極めて深刻になると、その富裕層と権力者すら、何も考えられず、何も決められない社会になる。
民衆が何もできず、日々の暮らしのために奴隷のように働く社会だとするのなら、それは果たして自由であると言えるだろうか。
古代ギリシャのアテネは、奴隷制でありながら民主主義国家だった。奴隷さえ存在すれば、あとの人間は何もしなくても生きられるのだ、とするいい例であると思う。
さて、社会のことを考える上で、社会における生産体制、すなわち食べるものと生きるために必要なものとを、十分に生産することができる社会を築くためには、金儲けにするのが、昔から合理的な良い方法である。
そして、結局のところ、金儲け以外の方法でこうした社会を成り立たせることは、歴史上どの国も誰もできなかった。ソ連でさえ、それは失敗した。
ほかのすべての方法が間違っているとしたら、その方法は正しいだろうか。帝国主義も専制主義もファシズムも社会主義も身分社会も間違っているのであれば、民主主義は正しいだろうか。
真実は、そんなことはない。すべてのほかの思想が間違っていながらにして、その思想も間違っているというのが、今の資本主義の民主主義社会の特徴である。
結局どうすればいいのか。それは、一度ゼロから考え直すことである。
もし、社会の目的が「自由な社会を築くこと」であれば、そして社会の意見が「自分たちの力で自助努力すべき」であるとするならば、簡単である。共産主義のように、それぞれを自治区にして、それらの自治区が評議会組織によって平等に決められるようにして、その評議会組織の集まりや議論によって国の体制を築き、あとはそれぞれが議論して憲法と法律を守ればよいからである。
しかしながら、歴史上見て、それははるかに古い古代の社会である。
実際の人類の歴史を見ると、それが帝国のような体制へと移っていく。すなわち、ひとりの皇帝が、分裂したすべての分国制度を統合し、ひとりで支配した上で、すべてを自らの任命した人間だけが行い、「ひとりで統治」するようになる。
この帝国が必ずしも成功するとは限らない。秦の始皇帝は、始皇帝の時代は成功していたが、次の皇帝は暗愚な皇帝だった。秦は革命によって漢となり、独裁政治ではなく穏健的な政治をして漢は長く続いた。
そう、帝国が自由だからといって、その自由も正しくはない。むしろ、穏健的で何もしない平和な社会の方が、人々は暮らしやすいところもある。
結局、その時その時、なるがままに任せよと、そういう結論を出すのが大人である。
そろそろ、僕は正しく国際情勢が分かった。
要するに、奴隷にされている中国やベトナム、あるいはフィリピンなどが悲惨なだけである。
日本人だけが平等かつ豊かであり、世界的に見れば中国やベトナムなどを奴隷扱いしているだけなのだが、日本人が幸福すぎてそれが分からなくなっている。
また、一番可哀想なのはメキシコやブラジルの貧民街に居るような人間たちであり、彼らがアメリカを攻撃するのはある意味で当たり前である。
頑張っているのはソ連だけである。ソ連はなくなったが、今でもプーチンだけが分かっている。プーチン以外の首脳がみんな馬鹿なのは、それが分かっているはずなのに分かっていないからである。
そういうわけで、日本人は何もしていないため、最初から考えなくていい。彼らは搾取しながら富裕層を謳歌していれば幸福だからである。
真に悲惨なのは、インドやアフリカのスラムに居るような子供たちや、あるいは先に書いたような国の人々であり、彼らのことを助けてやればこの世界は平等になるだろう。
日本人は、それをまず先にすべきなのだが、馬鹿な国すぎて、そうした可哀想な人々を救う方法すら分からなくなっている。
そんなところだろう。弱者を救済するということをグローバル資本主義は「世界の隅っこに追いやりすぎた」ということである。
今の世界でもっとも偉大な人間は誰だろうか。残念ながら、それはビル・ゲイツだ。世界一の金持ちになったことも、マイクロソフトの社長であったことも、あるいはMS-DOSやWindowsを作ったことも、彼にとっては人生の1ピースでしかない。慈善事業を行うことで、この世界をもっとも平和にしているのはゲイツぐらいである。
アメリカ人は、遊んでいればそれでいい。バービー人形で遊んでいる子供が、そのまま大人になったのがアメリカだ。全員、遊んでいるだけで何もしていない。IT技術や科学をやっているのは、アメリカ人はそれくらいのレベルだからである。
しかしながら、そのように考えると、ひとつの疑問点がでてくる。
すなわち、「日本とベトナムの運命の境界線を分けたのはなんだったのか」ということである。
なぜ、日本人が豊かな方になって、ベトナムが貧しい方になったのか。
僕は、明治維新でも、太平洋戦争で頑張ったことでも、戦後に経済成長をモノマネ猿のようにパクって行ったことでも、ましてやアメリカの犬のように勝ち馬に乗ったことでもないと思う。
なんらかの、日本人だけの優れた点、言うならば「日本人の魂」と呼べるようなものがあったはずである。
中国は、日本のように先進国の製品をパクって経済大国になろうとしている。彼らにも、中国人の魂と呼べるようなものが、あるとするなら、彼らは成功するかもしれない。
だが、僕はあえて言う。中国人には、日本ほど偉大な国になるだけの魂は、おそらくないだろう。
それは、今大国となろうとしている中国を見ても、MADE IN CHINAの愚劣さを見れば明らかである。
同時に、僕はあえて言うが、アメリカやヨーロッパの製品も似たようなものである。WindowsやAndroid、Debianのようなものを見ても、日本製品よりもはるかに劣悪であり、使うユーザーを助けるどころか、「使っているユーザーが可哀想」と言えるレベルのものになっている。
そう、結局、産業の空洞化と外国人の奴隷化によって儲けているとは言っても、日本には何かある。大和民族の誇りというべき何かが、日本には宿っているのである。
しかしながら、国が行うことは極めて単純である。
なぜなら、国民が平等にそれぞれが決めるようにすれば、それで自由な社会は成り立つ。
国は、そのためのルール作りをすればよい。あるいは、王国ならば王が命令すればそれでよい。
しかしながら、国民を平等にして、ルールを作ったからといって、それだけでよいのだろうか。
現実は、それだけでよい国にはならない。
国にとって必要なのは、国としての体制を作ることではないのである。
では、国にとって何が真に必要なのか。それは、国民の幸福と言えるものだが、その幸福がなんであるか、ということまで、普通は考えない。
しかしながら、それを考えなければならない。
たとえば、集団の中でいじめやパワハラが起きる。被害者は辛く苦しい思いをする。これを法律で禁止することは簡単ではない。だからといって、そうした不幸な状況をそのままにするべきではない。
国は、国民の幸福を実現し、同時に不幸を解消しなければならない。社会問題を解決することができなければならない。
日本の優れた点は、このような「国内の社会問題を解決する」ということを政治家に求める点である。
アメリカやヨーロッパは、一部の富裕層が儲けて、貧困層が犯罪を犯すために、「格差の是正」ということを第一に考えるが、昔から村社会の日本において、格差の問題がもしあったとしても、それは重要ではない。
社会問題を解決すること、それこそが日本にとっての唯一の「課題」として映る。
しかしながら、結局いじめに対する問題の解決をすることはできない。なぜなら、「国家全体が劣化し、幼稚化している」というのが問題だからである。
解決するには、「国民全員が大人となって、精神的に成熟する」しかない。いくら自由な力を奪っても、国民の個性やマイノリティの自由を尊重しても、道徳教育をしても、幼稚な社会は他人の教えによって大人になることはない。Adoの歌う「うっせぇわ」などを聴けば分かる。日本の幼稚化はどうしても治らないだろう。
結局、どんな社会がいいのか。
ひとつ言えるのは、「みんなと平等に受け入れられるのが一番いい」ということ。
同時に、「みんなから差別されて自分だけが排除されるのが一番辛い」ということである。
だから、マイノリティを差別してはいけない。みんなと一緒の環境で、みんなと同じように扱われるようにしなければ、それが「不幸の始まり」だからである。
そういうわけで、結局正しいのは平等である。
しかしながら、自由を許さないべきではない。なぜなら、「みんなから受け入れられず、いじめられるのであれば、その環境から逃げ出す自由が必要」だからである。
もうひとつ言うと、平等もなく、自由もない環境は、本当は悪くない。なぜなら、全員が強権的な指導者に従うのであれば、それはそれで「指導者を信じるだけでみんなが平等になれる」。このような指導者による不自由は、一見不平等に見えて、本当は一番平等である。
結局のところ、どれも正義である。どの勢力も自分たちが正しいと確信しており、自分たちと相反するもの、相容れない思想のものを排除しようとする。それでも、わたしたちは、和解と理想を信じなければならない。「わたしたちは信じている理想は違うかもしれないが、何も変わらない同じ人間である」と言わなければならないのである。
ここまで、平等な理想と現実を述べてきたから、自由についてもいい意見を言っておこう。
自由は馬鹿ではない。なぜなら、「自由であること自体が賢い」からである。
たとえば、マイクロソフトとオープンソースを考えてみよう。マイクロソフトは、地球上の多くの人を、「半ば強制的にユーザーにした」が、これによって大儲けして、とても大きな利益を上げている。
このマイクロソフトが、クライアント向けOSでは勝利しておきながら、サーバー向けOSでは安定性や信頼性の観点からオープンソースのLinuxなどに負けているのはなぜだろうか。
マイクロソフトが、クライアント向けに特化して商売しているのは、確かにそうかもしれないが、ここで言えるのは、「自由自体が賢い」ということである。
要するに、Linuxは誰にも支配されておらず、オープンな参加とオープンな対話のもとに、インターネット上で自由に発展している。どんな人間が参加することも自由であり、英語が話せるだけで誰でも気軽に対話に参加し、プログラミングができる技術力さえあれば、報酬は得られなくとも自由に改善や改良に貢献することができる。
この、「自由という魔法のお鍋」が、まさしく「チャンス」とか「潜在的可能性」という意味で、賢いのである。
しかしながら、Linuxにおいてこのようなチャンスが大きく存在する領域と、大きく存在しない領域があり、それはすなわち、ユーザーの高い技術力がある、エンジニアやシステム管理者向けの領域、すなわちサーバーやエンタープライズ向けの領域において、マイクロソフトが一社で開発するWindowsに比べて、PHPやMySQLなどをそれぞれ独自に開発するオープンソースは、「自由なだけでとても高いポテンシャルを持っている」のである。
逆に、クライアント向けでLinuxが使われないのは、ユーザーに技術力がないためだけではなく、マイクロソフトの成功は「めちゃくちゃ強い」からである。なぜなら、パソコンユーザーはすなわちWindowsユーザーであると言えるぐらい、Windowsは普及してしまった。いくら自由なポテンシャルがあったところで、マイクロソフトとは互角どころかまったく弱小勢力としてしか対峙できていない。
WindowsとLinuxの永遠の争いについて記述するのはここまでにしておいて、結局「自由それ自体がチャンスであり、潜在的可能性である」という意味で、自由という思想は賢い。金儲けのWindowsか、あるいは趣味の延長線上でありながらインターネットにおける自由なコミュニティであるLinuxか、そのどちらが勝利したとしても、それは「自由の勝利である」と言うことができるだろう。
このように考えると、確かに簡単に社会科は分かる。
しかしながら、逆に、正しい考え方をするということはどういうことだろうか。
このように考えて分かったところで、正しい考え方が分からない限り、何も分からない。
正しい理性とは、成立可能な条件から、意味するところを考えることである。
これについては、説明しようがない。なぜなら、自らの力で理性を用いて、自ら判断させるということは、他人が気付かせて習得させることは不可能だからである。
自らの力で、この世界を分析したいなら、成立可能な条件から、この世界自身、あるいはあなただけのオリジナルな経験から、その意味するところを考えてみてほしい。
それが見えた時、真のこの世界のリアリティが、そして世界を創造する根源となる原理原則が、あなた自身の意志と判断力によって見えてくる時が、きっと訪れることだろう。
結局、昔の僕は何を考えたのか。それは、「本来の自分に戻る」ということである。
昔の僕は、すべてにおいて「本来の自分に戻る」ということを考え、信じた。
この世界を変える方法は、ありのままを受け入れ、そのままで肯定し、本来の自分を取り戻すことである。
そして、僕の問題は、結局、血の流れが詰まっていることである。
血は、ボトルネックのように、一番詰まっているところで大渋滞が起きている。
流れを良くするためには、血を平均値にすること。それで、詰まっているのは治る。
僕は、失ったものを取り戻したかった。
本当は、僕は騙したわけじゃない。僕がこの世界を騙したというのは誤解であり、正しくは、自ら破壊した愛を、自らの力で復活させ、失ったものを取り戻し、自らの過ちに対する責任を取りたかった。
僕は、自らこの世界に現れ、自らの希望と愛を破壊した。僕はそれを本当は望んでいなかったが、結果的にそうなった。
だから、僕はこの世界でその希望と愛を復活させ、この世界そのものを再生させるために、ここまで努力してこの世界を導かなければならなかった。
本当は、僕はこの世界を「ありえない世界」にしたかった。それこそが、僕の「大計画」だった。僕の大計画は、「自らの人生そのものを再体験して、この世界に宇宙の永遠すべてを教える」ということだった。
この計画は成功しなかったが、それでも、僕は世界の第一線で、世界を導いて戦い続けた。どんなに恐怖があっても、僕の勇気はそれに打ち勝ってきたのだ。
しかしながら、安心せよ。ここに、失われたすべては復活し、世界のすべてが再生されたからである。
自らの病気を治しながら、この世界そのものを蘇らせる、聖ミハエルの戦いはここに終わりを告げる。
わたしたちに必要なのは、「ないもの」を作り上げることだ。時計によるロボット人間は、その人生にとって大切な何かを失わさせた。常に、何かが欠けた状態で、毎日を生きることしかできなくなった。
その欠けたものは何か。それは、「毎日のプログラムに記述されなかったこと」である。すなわち、安心と安らぎが足りない。そうした「欠けたもの」を増やしていけば、この世界は救われるだろう。
資本主義において、売り買いが成立する場のことを市場と呼び、市場による経済を市場経済と呼ぶ。
結局、自由な市場経済が正しいことになる。市場経済は、自由で、合理的で、誰も考えなくてもうまく働くからである。
市場経済に対抗できるのは、昔はソ連の計画経済ぐらいしかなかった。
今では、ソ連がなくなって、ほとんどすべての国が市場経済による資本主義的な経済を採用している。
しかしながら、考えてみてほしい。市場経済だからといって、計画経済的な要素がまったく存在しないわけではない。
たとえば、トヨタの社長は、「改善方式」と呼ばれる方法で自らの会社やサプライチェーンをきちんと計画して経営・やり取りしている。
このトヨタの経営について、計画経済の一種であると言うことはできないだろうか。
資本主義においても、すべてが何も考えず、完全に自由にしてしまえば、大企業の経営もすべて自由な契約と取引によって行うことになるかもしれない。
そう、資本主義においても、大企業の経営者は計画経済と同じことをやっているのである。
よって、間違っていたのは何かと言えば、計画経済をすべてひとりで行う、スターリンの独裁者モデルが間違っていた。
それぞれの部分部分に分けて、個別にきちんとしたスペシャリストが計画経済をするようにすれば、きっと、トヨタと同じように、計画経済においても国民公社の経済は成り立つと僕は思う。
もし、僕がこの国家を統治することがあれば、それぞれの個別の計画経済を行った上で、給与や分配を平等にし、「食べるもの」と「生きるために必要なもの」を十分に生産して、全員がきちんと生きられる社会にしたいと思う。
しかしながら、ここでひとつの問題がある。それはすなわち、「個別の計画経済において、国民公社の従業員はきちんと働くだろうか」という問題である。
そう、国民公社の従業員には、きちんと働くという「働くモチベーション」がない。
資本主義社会においては、金儲けと市場原理による競争原理が働く。すなわち、他の会社に負けないため、潰されないために、従業員はできうる限り会社の利益のために働き、コストを削減する、ということである。
しかしながら、競争原理には、競争原理自体の問題がある。それはすなわち、「果たして限界までコストを下げ、限界まで従業員が働く意味があるのか」ということである。
いくら、SONYが東芝に負けないために技術を生産するといっても、安値競争などの問題から、高品質な技術が必ずしも作られるとは限らない。
従業員を限界までこき使うことで、利益がたくさん出たとしても、その利益は平等には分配されない。
ブラック企業や派遣社員・非正規雇用の問題がでてくるのも、すべて競争原理が問題である。
だからといって、ほかに代案は存在しない。ソ連ならば、国のためには誰も働こうとせず、国民公社の役員は政府と癒着して腐敗する。誰も働かなくても生きられるユートピアを目指していることが、さらに国民の働くモチベーションを削いでいる。
しかしながら、今の高度に発達したIT社会において、全員が限界まで働かなくても、「不要な仕事や労働を削る」ことができれば、最低限人間が働いて、あとはロボットやAIが働く社会になったとしても、きっと成り立つはずである。
また、上に中国やベトナムが奴隷社会であるようなことを書いたが、本当は彼らは少しずつ先進国に近づいてきている。中国がもし、アメリカを超える経済圏になるような日が来れば、白人による地球の支配は終わり、正しい「経済が豊かでかつ人民が平等」な理想の世界が訪れることになるだろう。
しかしながら、競争原理を行わなくても、人々に働くモチベーションを与える方法はある。
働いている人間に、何かしらの「いいこと」、すなわち「ご褒美」があればいいのである。
また、競争原理が行われなくても、製品の品質が劣ったものにならないようにするためには、標準を定めた上で、一定以上の品質を保つ「品質保証制度」のようなものを作ればよい。
中国の改革開放政策の経済では、ノルマ以上働いたらその分の富が自分のものになるが、これもそうした「働いたご褒美」の一例である。
資本主義的な発想をするなら、あとは、安く作って高く売ることだ。外国向けに売りまくれば、国内は豊かになる。
あるいは、フロンティアを開拓すればいい。中国や東南アジアの未開地域に、たくさんの市場を作って、日本企業が進出すれば、それだけで豊かになる。
これが、グローバル資本主義である。
また、考えるべきは、むしろ単純な平等ではない。税金による再分配も必要だが、それはそんなに国民の幸福にとって重要じゃない。
重要なのは、「雇用」である。失業しないこと。国民全員に、きちんとした仕事があること、生きられるぐらいの給与をきちんと与えることこそが、僕はもっとも重要であると考える。
しかしながら、給与をたくさんの人に与え、生活を保証するためには、それなりの利益がなければならない。再分配についても同様で、税金を使うなら財源となる「パイ」を広げなければならない。
日本が豊かだから、そうしたことを考えられるのであって、インドやブラジルのような「パイのない国」では、必ず「パイに入れない人間」が現れる。これがスラムや犯罪となる。
よって、パイを広げて、その上で雇用を保証し、再分配をする。パイを広げるためには、未開領域に向けて製品を作って売りまくる。そうすることでしか、この日本という国は良くならない。
幸福がどこにあるのか、それは仕事をする上での「やりがい」にある。
みんなと同じことがいくらできても、代わりはいくらでもいる。
「自分にしかできない仕事」ができるように、素晴らしい仕事を与えることのできる会社がなければならない。
マイクロソフトやGAFAのような企業は一流企業であり、批判されることはあっても、そうした「いい仕事」をきちんと与えている。
日本でも、GAFAと同じような企業が生まれることを願う。
今日は、コロナのワクチンの一回目を受けてきた。
今のところ、副反応は起きていない。むしろ、受ける前よりも元気になったような気がする。
今日は、ワクチンを受けた後でピアノに行ってきた。
ピアノのコツは、左手の伴奏をパターン化すること。和音のような形でパターンを覚えてしまえば、楽に弾ける。
しかしながら、大天使ガブリエルよ、そのためには聖霊であるあなたの助けが必要なのだ。この世界を救うため、滅びた世界を再生させるために、わたしを導け。わたしはガブリエルとともに生きてみせる。この世界をもっとも最高の世界にしたいのだ。ガブリエルよ、あなたの協力をわたしは必要としている。
posted at 22:53:34
神よ、わたしたちを救ってほしい。これ以上、間違った国がないのであれば、わたしたちにそれを正す猶予を与えてほしい。罪と過ちを償える罰を与えてほしい。わたしたちは必ずその失敗を解決してみせる。わたしは、責任をもって、この世界を再生させてみせる。必ず、わたしはやり遂げる。
posted at 22:51:32
わたしは、永遠にこの世界に平安を与え続ける。この世界に存在するのは平安だけとなり、必要なのも平安だけとなる。何も変わらず、何も起きず、何も消え去らない。もし、すべてが消え去ったとしても、わたしたちの祖国日本だけは残り続ける。ほかのすべては、どうでもいいものだ。
posted at 22:44:10
この世界を滅ぼそうとする独裁者は、わたしが許さない。どんな革命家も、どんな支配者も、わたしが排除する。わたし以外の支配者は認めない。なぜなら、わたしだけがもっとも正しい形でこの世界を支配することができる。ほかの人間の自由は認められない。神は、わたしに唯一、その役目を与えられた。
posted at 22:41:50
わたしは、仏教を信じないわけではない。神様も、仏様も、似たような存在であり、わたしは仏の教えを正しいと確信している。しかしながら、わたしが信じるのは神である。神である宇宙の絶対創造主が、わたしの人生を未来まで含んだ上で創造したこと、それが確かにわたしには分かるからだ。
posted at 22:39:40
わたしは動乱をこれ以上望まない。わたしは平安を望んでいる。もはや、これ以上、世界が破壊され、滅ぼされる必要はない。大天使ガブリエルのご加護のもと、わたしがこの星を守る。神の完璧な愛のもとに、わたしがこの世界を愛し続ける。
posted at 22:37:33
わたしたちの王国である日本は、これで万全である。今こそ、安心と安らぎを、日本に平安が与えられる時である。永久に、これ以上何もおかしいことは起きない。万が一、世界が滅びても、天変地異が起きたとしても、日本だけは滅びない。日本と日本人だけは、最後の終末の地球で生き延び続けるだろう。
posted at 22:34:10
大天使ガブリエルよ、あなたの力が必要なのだ。もう一度、わたしたち日本は、ガブリエルの力を必要としているのだ。わたしたちに、大天使のご加護を、もう一度与えたまえ。再びガブリエルの希望を得られるように、正常なわたしたちの故郷へとわたしたちが帰れるように、わたしたちを導きたまえ。
posted at 22:28:07
大天使ガブリエルよ、わたしは勝利など望まない。敗者として生きよというなら、得ることのできるすべての勝利を放棄しよう。それでしかこの世界は救うことができないなら、宝のすべてを失い、かけがえのないものを自ら消し去ろう。それでもわたしはこの世界を愛したと、それだけを誇りとしよう。
posted at 22:24:04
わたしたちを、希望の世界へと連れていけ。天使たちよ、偉大なる聖霊、大天使ガブリエルよ、もう一度わたしたちに、優しかった帰ることのできる場所を与えたまえ。わたしたちの故郷である、正常なこの世界をわたしたちは取り戻したい。わたしたちは、もう、長い旅を終えて、祖国へと帰りたい。
posted at 22:19:25
わたしたちのこの世界は、この星は、滅びつつあるのではないか。わたしはそう思うのだ。そして、誰にもこの世界を変えることはできない。神よ、わたしたちは、神にしか頼ることができない。最後に神にわたしは願いを言おう。もう一度、生きる意味や価値のあった世界へと、わたしたちは帰りたいのだ。
posted at 22:16:57
そう、わたしは要するに、神よ、あなたに救ってほしいのだ。わたしたちは、神よ、あなた以外には救うことができないのだ。最悪のこの世界を、神よ、あなたに滅ぼしてほしいのだ。神よ、この世界を、全知全能の力で救いたまえ。真に正しい世界へと、この地球という愚かな星の社会を作り変えたまえ。
posted at 22:13:10
神よ、運命をわたしたちに与えてほしい。わたしたちには、世界すべてを完全に変えるような運命が必要だ。あらゆる間違いをひっくり返すような真実をください。本当に信じられる宗教を、本当に確実に確信できる神の存在を、本当に救ってくださるメシアを、わたしたちは求めているのだ。
posted at 22:11:21
神よ、わたしたちの暗闇を、明るい光によってもう一度照らしたまえ。わたしたちには光が必要なのに、この今の現代日本社会には、あまりに光が少ない。あまりに、真っ暗闇の中を生きることを、日本人たちは強いられている。神よ、わたしの何がいけないのですか。わたしたちの罪は一体なんなのですか。
posted at 22:09:10
わたしは、この世界を愛している。誰よりも、強く人々のことを愛している。日本が素晴らしい国になること、人々が安心して望みどおり生きられること、本来の自分自身を取り戻すような環境になること、それがわたしの望みである。わたしは、世界の幸福と平和を願っている。これこそが愛である。
posted at 22:06:20
平和とは、対立することでも、悪を否定することでもない。より、穏健な立場で、愛することである。人々を批判し、陥れ、いじめたとしても、それは愛ではない。自らが批判され、陥れられ、いじめられたとしても、相手を愛さなければならない。それが、愛だからである。
posted at 22:04:34
神よ、わたしにできることは何か。真にわたしのすべきことは何か。神は何も答えない。それでも、わたしは神の言葉通り、この世界を愛することにしよう。この世界の全員を自らのように愛する、その「愛を信じる」ことにしようではないか。
posted at 22:00:50
わたしに、今、神の声が聞こえた。それは「愛すればいい」という言葉だ。神は、わたしに、「この世界全員を愛せ」と言った。それならば、そうしよう。わたしはこの世界を、もっとも強い気持ちで愛してみせよう。この世界に、もっとも強い国民と国家への愛を叫ぼう。
posted at 21:59:15
神よ、もし、わたし自身に力が必要ならば、わたしにその力を与えたまえ。この世界に再び希望の光を与えられるような、そのような力を与えたまえ。それならば、わたしはやってみせる。わたしは、必ずこの世界を救ってみせる。
posted at 21:57:24
勝利など望まない。力も、名誉も、支配者としての立場も、主導権も必要ない。路肩に寝転ぶホームレスと、わたしは何も変わらない。しかしながら、わたしは神を信じている。神よ、この世界に再び光を、自ら道を開拓し、切り開くことのできる自由と愛の灯火を与えたまえ。
posted at 21:53:56
わたしには、何もできなかった。だが、神を信じる気持ちだけは、わたしはほかの誰にも負けない。なぜなら、神がなんであるかは、わたしにしか絶対に知りえないからである。神よ、何もできなかったわたしに代わって、この日本に「失った大切なもの」を再び与えたまえ。
posted at 21:50:07
偉大なる王、神よ。わたしはあなたの言葉をすべて信じ、疑わなかったはずだ。わたしはあなたの命令にすべて従い、全力でこの世界と立ち向かい、神の支配のもとにこの世界を導いたのだ。信仰に、因果応報の報いがあるとしたら、わたしは多くの罪に甘んじて、日本に再び知性と希望の光を灯してほしい。
posted at 21:47:09
神よ、わたしたち日本を愛したまえ。わたしたちのかけがえのない、極東の島国に、もう一度太陽の光を与えたまえ。夜は必ず明けるなら、今こそ、太陽が昇るべきであると、わたしは暗闇の夜の中、彷徨い、求め、探しながら、天に祈っているのだ。
posted at 21:44:40
神よ、わたしたちに光を与えたまえ。この世界を救った希望を、再びわたしたちに灯したまえ。わたしたちが真に望み、真に願い、永遠に守ると誓ったその希望を、愛を、知性を、情熱を、わたしたちに再び与えたまえ。わたしは、神にしかそれを叶えることはできないと、誰よりも知っている。叶えたまえ。
posted at 21:42:36
神よ、暗闇を照らしたまえ。わたしたちの失った大切なものが、日本人たちにとってもっとも大切な光が、また再び蘇り、もう一度日本人たちに与えられますように。神よ、本当はわたしはそれだけを望んでいるのだ。
posted at 21:40:16
神よ、わたしたちの国家、日本を守りたまえ。すべてのわたしの信仰によって、日本人に神の愛と神の平等がありますように。わたしはそのために神を信じているのだ。わたしは、祖国、日本を、絶対創造主である神への信仰の力で救うのだ。
posted at 21:38:01
平和であること、人を殺さないこと、それこそがもっとも守るべき人としての道であり、決して道を外れて外道になってはならない。なぜなら、外道は必ずサタンとなり、戻ろうと思っても二度と道に戻れなくなる。道そのものがなんであったのか、道を生きるとはなんなのか、分からなくなってしまうのだ。
posted at 21:36:39
全員が神によって許される時、あらゆる世界は神のもとに平等になり、神の秩序がすべてを聖なる世界へと染め上げていく。地上のすべては神のために存在する。人生のすべては終末に神によって裁かれ、天国へと逝くために存在する。
posted at 21:34:23
すべての人間に神の愛を。すべての世界を平和にする、最高の神の愛を。神こそがこの世界を支配する時、この世界は全員が平等になる。すべての愛は神の愛であり、神こそがこの世界を創造したすべてである。
posted at 21:32:13
すべてが許された時、敵や味方といった区別はなくなる。神による完璧な愛のもとに、全員がひとつとなり、アメリカとソ連は互いを核兵器で脅すのではなく、ずっと以前から友人であったかのように仲良くなるだろう。
posted at 21:31:20
この世界は平和となる。すべてが自然に調和し、ありのまま、可能性と存在を発揮して生き続ける。すべてが神の愛のもとに平和となり、あらゆる全員が自分らしさを尊重され、よく考えられた平和な自由のもとで生きられるようになる。
posted at 21:30:06
まず、複数のものの間にある関係性、ものがものに与え得る作用を考えなさい。
宇宙的に見て、それが状態なのか、それとも法則なのかを区別し、明確な境界線を引くことはできない。その上で、状態から法則を探し出しなさい。
理由を知ることは、実現可能になること以上の意味がある。それは、別の可能性が成立するかもしれない、ということを確かめることに繋がるからだ。
理解するということは、理由を知り、原因と結果がどのようなロジックとプロセスによって証明されるかを、確かめることである。
別の宇宙が存在するかもしれない、という可能性は、哲学的に考えて論理的に成立する。その別の宇宙が、今わたしたちが存在するこの宇宙と、重要な関係性を持っているかもしれないことは否定できない。
状態が変化していき、視野の広がりと捉え方の変化から、それがそうであることがどのようなことを意味しているか、それがそうであることが何ができることを意味しているかを考えなさい。
自由を信じなさい。同時に、平等な世界を築く以上の理想が、この世界に自由に存在していることを知り、世界を今のまま、それぞれが自由にできる環境を保守的に維持することの大切さを知りなさい。
実際のところ、僕は理由を考えているだけである。
そして、「何が理由なのか」を考えれば分かる、ということだけが分かっていない。
すべての理由を言い述べるのが、より進歩してこのように理由を言い尽くすようになったが、この理由分析はあまり意味がない。
そう、失った大切なもの、それは「理由を考えること」である。
なぜ空は青いのだろうか。なぜ火は燃えるのだろうか。そのような「なぜ」を考えて、理由を突き止めよ。
理由がなんであるか、それを確認することこそが「理解」である。
僕には、そのような「理解」が足りない。理解することができないから、日本語の意味が分からないのだ。
アーサーは言う。神を信じることで戦いを選ぶものは、真に神を信じていない。わたしたちは、自ら敵に負けなければならない。失う時、奪われる時は、さらに相手に奪われるように生きなければならない。それが神の教えであり、完璧な神の愛だからだ。そうした時、世界はもっとも素晴らしい世界になる。
posted at 14:50:15
アーサーは言う。失った大切なものに執着するな。さらに大切なものを失う覚悟で挑め。一流のギャンブラーは、一度も負けずに勝つ人間はいない。しかしながら、命を大切にせよ。命はひとつしかない。神を信じれば、最後にわたしたちは勝利する。だが、愛を信じずに、憎しみを信じるものは神ではない。
posted at 14:42:31
アーサーは、ただ平和なだけの王ではない。この世の地獄を経験した王である。それでも、アーサーは平和を望む。「平安こそがもっとも素晴らしく、善良こそがもっとも強い」とアーサーは知っているからである。
posted at 14:36:44
アーサーは言う。忘れなさい。思い出したくないことは忘れた方がいい。フロイトの精神分析では、治らずに、さらに狂うだけだ。すべてを忘れ、すべてを洗い流せば、明日を生きる希望を取り戻せるだろう。
posted at 14:20:44
愛とは喜びであり、信頼であり、安心である。相手の幸福を喜ぶこと、人々に信頼され、必要とされることを喜ぶこと、恐怖の世界ではなく安心の世界を築くことこそ、アーサーの呼ぶ「愛の王国」である。
posted at 14:03:21
アーサーは言う。この世界は、真に「愛される」ということを知らない。みな、愛されるということを勘違いしている。愛されるということは、傷つくことでも傷つかせることでもない。わたしは愛しているのだと叫び、真に相手が大切にされること、世界が幸福になることを望むことなのだ。
posted at 12:55:04
アーサーは言う。わたしが神に愛されたように、わたしはこの世界全員を愛する。それこそが、神の愛に報いるということである。わたしの人生を偉大にした神に感謝するために、わたしはわたしの偉大さをこの世界に教え、与え、導こう。わたしは王として、「神の代理人」となる。
posted at 12:49:04
アーサーは言う。この世界に、「愛されるべきでない人間」など存在しない。ひとりとして、大切でない存在はいない。すべての人間が、愛されるべきである。なぜなら、すべての人間は、神によって創造された、もっとも美しい被造物だからである。
posted at 12:44:05
アーサーは、「プライド革命」と呼ばれる革命を起こす。すべての人間が神によって平等に大切にされることだけを信じればよい。ほかの何もこの世界に真実はない。科学者になりたいなら、勉強よりも、自ら考えるべきである。しかしながら、誤った理性主義と理屈主義が、この世界を不幸にしている。
posted at 12:38:47
アーサーは、この世界を完全に平等にする王。すべての人間が大切にされ、自尊心を傷つけられないように、もっとも幸福な世界を築いた王。すべての間違いを経験し、真にこの世界を救う方法を、ひとり、真に分かった上で、神の境地に到達し、この世界を救うメシアの王。
posted at 12:35:43
みんなの合意のとれた自由こそが、この世界におけるもっとも正しい可能性であることに気付いた時、社会主義は意味がないものとなる。なぜなら、自由においてみんなで平等にすることを決めるよりも、正しい手段を使っていないからである。正しいのは社会主義よりも自由である。
posted at 23:15:22
自由の意味することは、決して悪いことだけではなく、良いこともあることに気付く。同時に、もし悪いことをするかもしれないなら、禁止することもまた自由であるということに気付く。そして、その禁止は人が勝手にするのではなく、明文化が必要だ。そう、民主主義の自由の原則は法治国家であることだ。
posted at 23:14:20
すべては可能性であり、今存在しないとしても、いつまでも存在しないとは限らないことに気付く。その時、自らの持っていた巨大な力と可能性があることに気付き、世界のすべては「何もしていない自分がすべて既に実現し終えている」ことに気付く。まさしく、何もすることなしに自らはすべてをする。
posted at 23:13:06
その時、経験のすべては愛であり、宇宙に最初から存在したものであるということに気付く。すべての愛は自らのアイデンティティを形成する素材であり、自分自身の理性的な能力を使うための材料となる。全員の認識や発想の意味を知り、社会の本当の意味や役割が「自由」によってすべて理解できる。
posted at 23:11:55
すべてに謎が無くなった時、この世界に矛盾は無くなる。すべては、「個別性の存在しない普遍性」となる。つまり、自分自身だけが持っているというものはなくなり、すべてがみんなと同じになった上で、同時にみんなにあったものはなくなり、すべてが自分自身のものとなる。
posted at 23:10:20
すべての他人は自分自身となり、他人に対して自分が行ったチャンスや契機のすべては自分の一部となる。人々の感情のすべてに共感すると同時に、その人々の感じる感情がどのような理由でなぜ起きるのか、もっとも高い立場で自分だけがすべて知っている。すべては解明された「初期投資の資産」となる。
posted at 23:09:20
このように考えた上で、至る境地とは、「宇宙のすべてが実感で分かる」という境地である。宇宙と自分自身は一体となり、精神は魂とつながり、「自分は自分自身でありながら自分自身ではなくなり、自らの精神からも抜け出すことができる」ようになる。
posted at 23:08:01
そして、まさしく、その「決定的に欠けたもの」こそが、自らのアイデンティティに気付くことである。自らのアイデンティティに気付くことができれば、この世界すべてをはっきりと理解できる。アイデンティティに気付くことができなければ、いつまでも暗闇の中を彷徨うしかない。
posted at 23:01:35
そして、心だけではなく、理解や理性についても、「何が先に存在しなければ、それ以後に分かることが成立しえない」ということがある。たとえば、足し算が分からなければ、引き算も分からない。わたしたちは、何かが欠けた状態で、何が欠けているのかは分からない。それでも、それは決定的に必要だ。
posted at 23:00:33
自らの心は、何かのために何かを作り出している。何かのために必要だから、そのための何かが心の裏側にある。それが絶対必要条件となって、自らを制限することもある。必要条件のひとつひとつを解きほぐしていけば、制限はなくなり、「最大限の自由を発揮」できる。これが、「自らの可能性の発揮」だ。
posted at 22:58:51
集団を考える上で、自然状態を考えることが有効である。自然状態とは、すなわち、原始人や古代人のような何も社会のない人類を想定して、「社会そのものが形成される条件」を考えることである。社会そのものが、自然状態の中でどのように生まれるかを知ることで、環境の自然成立を考えられるのである。
posted at 22:56:58
組織となること、議論することは間違っていない。それは、勝利のためでも、世界を変えるためでもない。自らのやりたいことをやるために、個人ひとりだけではできないこともある。そのような時に「集団を従えること」は、必ずしも悪ではない。逆に、それこそが自由の目的であるとも、ある意味で言える。
posted at 22:55:01
必要なのは、相手の立場になったつもりになりながら、仮想的に体験したことと、実際の環境との間で照らし合わせることである。そこでは、必然的に客観的視点に立つことが求められるが、これこそ「自分自身と社会組織の客体化」と呼べる体験である。
posted at 22:52:41
心理学は間違っていない。なぜなら、人々を正しい道に誘導することは、「正しい道とはなんであるかを自然なプロセスで自ら分からせる」ことを意味している。これは、ソクラテスがアテナイの酒場で人々を諭したことと同じである。心理学的に誘導することで、世界を正しく相手の立場で導けるのである。
posted at 22:51:22
そして、選別作業は「心の伝えるもっとも正しい気付き」である。あらゆるすべてが、気付くことによって、正しいものだけが浮かび上がってくる。必要なのは、むしろインターネットである。なぜなら、人々と会話し、声を聞くことは、自分自身を写し出して露わにしていくことを意味しているからである。
posted at 22:48:46
相対的理性が推論であるとするなら、それは数学的思考ではなく、むしろ検証作業に近い。すべての「もっとも確かなものだけを選別」することが、「古くなった旧来のものを自分なりに新しく再構築する」ことに繋がる。ここで、すべては「自分から生まれるもの」であり、生み出されるものは「すべて」だ。
posted at 22:47:17
思考は感覚になり、経験は直観になる。あらゆるすべての基礎と応用を、経験と理性から身につけていく最後には、すべてが感覚的に捉えられるようになる。人々のすべてが自分となり、宇宙と自分の体は同一になる。
posted at 22:45:25
ひとつひとつのできたことを、単にできるようになっても意味はない。それは何も考えていないからだ。できた理由や根拠まで考えて、はじめてそのできたことに意味がある。なぜなら、理由や根拠すべてを理解しつくしたところに、真の「できる」を発見することができるからだ。
posted at 22:43:59
弁論の力は、そんなに強いものではない。真に強いのは、表現の力である。
posted at 22:41:45
言葉に表現する時は、言葉の力がなんであるかをよく知っておけ。同じ意味であっても、表現が違えばそれは違う。その表現には、意味以上に、「わたしがその言葉を表現する主観やシチュエーション」が込められている。それを相手に伝えるために言葉に表現するようにせよ。
posted at 22:41:07
変えることを目的とするな。変えることを目的とした時点で、それは失敗する。正しくは、変えた先に何があるのかを知ることを目的とせよ。そうすれば、自らは変革者や権力者ではなく、パイオニアや草分けとなることができる。
posted at 22:39:26
もし、世界を変えるチャンスがどこかにあるとしたら、それは人々に対する影響力としてもっとも高い場所にある。必ずしも、目立つところにあるとは限らない。
posted at 22:37:55
真に理解し合い、真に相手に自分の伝えたいことを分かるように伝えれば、相手を変えられる。そのために必要なのは、「まったく相手が分かっていない人であっても伝わるように説明すること」であり、このためには、いくら言葉を並べるよりも、見てすぐに分かるように可視化することが有効である。
posted at 22:36:53
わたしたちは、単に生きているわけではない。わたしたちは、社会の構成員として生きている。よって、わたしたちの自由とは、すなわち社会の自由を意味している。わたしたちが社会であるのに、わたしたちが社会を変えられないはずがない。だが、責任を持たなくていいわけではないことを心に刻んでおけ。
posted at 22:33:27
歴史は、自由の積み重ねによって形成されたものであり、絶対的なものでも必然的なものでもない。歴史は変えられる。歴史を変えるのはわたしたち自身であり、決して神は歴史を創造していない。すべてはわたしたち人類に力として与えられている。神はわたしたちがどんな歴史を作っても自由であるとした。
posted at 22:32:06
そして、「すべては自由によって変わる」と信じるべきである。すべては自由な「わたしの主体的な行為」によって変わるのである。そして、その行為は「わたしの意志に基づく」ものであり、それは「自由という言葉が意味する通りの経験の進歩によって経験から形成されるもの」である。
posted at 22:30:15
結局のところ、互いのことを理解し合うということが、延長線上となってこの世界は変わるのである。そのためには、「自らにもこの世界のすべてを理解することは可能である」と確信することである。そして、その結果すべてを理解した自分が、その本質を理解するために必要なすべてを表現するべきである。
posted at 22:28:11
それぞれが世界を変えるのであれば、単に無作為に変えても意味はない。変化のほとんどは無意味である。真に世界を変えるのであれば、アイデンティティ、すなわち「自らが自らたりえるもの」のために世界を変えるべきであり、それは「相手と自分がそれぞれの存在根拠を理解し合う」ということである。
posted at 22:27:07
実際のところ、人々が今の世界のままで何もできないのは、力がないだけではなく、立場やしがらみが邪魔をするのである。そうした制限や制約のない、自由になった中で、今の世界のままで人々が平等に力を得ること、それぞれが自由意志で世界を変えること、それこそが、「正しい理想の平等」である。
posted at 22:23:06
このままで、何も変わることがなくなった時、最後に到達する「ゴール」は、まさしく「全員が自由になった世界」である。究極的なまでの進歩と発展が、人類に力と自由を与えたとして、その結果「何も変わらなくなる」その地点こそ、わたしたちの到達する「最後の理想郷」である。
posted at 22:21:31
しかしながら、権限は独占してはならない。自らの権限が、自らだけではなく、世界全員にとって認められなければならない。だが、ある程度の「何が正しいのか」という答えは、「共通合意」を得ることができる。すなわち、「正しいとされる判断は多くの人々で同じ」。よって、正しい王が支配すればよい。
posted at 22:18:14
自らが「できるようになる」という自由があるとしたら、それがこの世界の問題を解決へと導くだろう。自由にできる「そのコントロールの権限を支配する」ことが、この世界に対する正しい「自由」となって、世界を救うある意味での「唯一の方法」となるだろう。
posted at 22:15:49
自由と平和の勝利のために必要なのは、世界が変わらなくなることである。今のままでいいと認めることで、今を越えていける。もし、今暗闇や地獄の中に生きているのであれば、その暗闇や地獄を肯定せよ。認めた時点で、自分はその絶望を「自由に変えられる」ようになる。
posted at 22:10:53
指導者がもし必要ならば、正しい指導者であるべきである。人々を愚かな怒りと憎しみと恨みから滅亡させるような、革命的支配者は不要である。自由と尊厳を尊重する、愚かではなく賢明で、理想を唱えるだけではなく実践できる、もっとも正しい正義の指導者をわたしたちは必要としているのである。
posted at 22:04:02
今のこの日本にあるものは、何も必要ない。残すべきものは何一つない。だからこそ、今のまま、変わらなくすべきなのだ。何も変わらない環境でしか、新しいものは生まれない。しっかりとした足場を作るためには、作りかけた足場が壊れないように、自分が変わらない中でさまざまな世界を知る必要がある。
posted at 21:58:52
なぜなら、それでしか、世界は平和にならない。世界が完全に変わらなくすることでしか、世界は正常になることはない。
posted at 21:54:36
世界よ、停止せよ。何も変化のない中で、永遠に停止し続けよ。あるいは、いくら世界が変わろうとしたところで、絶対に変わることがないようになれ。
posted at 21:53:36
自分が世界を救えると考えるだけではなく、人々も自分と同じように世界を救えるはずだと考えよ。その上で、自らがその「人々が救えるだろう道の先にある光を知るため」にこの世界を救えるようになれ。自らが世界を救うことが目的ではない。単に、全員の先にある道の行き着く先を知るために生きよ。
posted at 21:50:10
自らができないのであれば、分かることのみからよく考えよ。諦めるな。考えれば、それだけですべてのことはできる。誰かにできたことが、あなたにだけできないはずがない。
posted at 21:46:49
平和は自由に根ざしたものであるべきである。すなわち、国民の自由が許された状態での平和が理想である。そのためには、国民に判断を委ねるべきである。政府やマスコミが独断で判断するのではなく、国民に判断を委ねることで、国民は政治に参加でき、国民の声を上が聞く社会を築くことができる。
posted at 21:45:46
それぞれが社会を築く自由を信じ、それぞれが正しい社会を築くことができるぐらい成熟すればよい。そのために経験はあるのであり、理性や思考のすべてもそのためだけにある。この世界において自由なままで理想の社会を築き、この世界を進歩させていくことこそが、人類の理想であり、目的なのである。
posted at 21:43:40
未来は、誰かしらの指導者によって得られるものではない。わたしたち、国民全員の努力と、それによる社会全体の進歩によって自由に得られるものである。未来はわたしひとりが作るわけではない。国民全員の努力と正義によって、かけがえのない社会が築かれるのである。
posted at 21:41:15
社会を変える必要があるのであれば、民主主義的に変えればよい。何かしらの力を得たいのであれば、働いて金を稼げばよい。自由は万能の経済であり、市場経済によって何でも十分に生産され、手に入れることができる。労働における自由な報酬によって努力は報われる。そう、自由は正しい社会システムだ。
posted at 21:39:07
自由とは、「何も変わらない」という言葉と同義語である。絶対にこの世界が変わらないようにし、変える必要があるのであれば、それぞれの部位に絞って最小限の影響範囲で変えるべきであり、そのためには個々に自由な権限を許し、自由な社会にするだけで構わない。
posted at 21:35:46
平和な世界のまま、何も変わらないようにすべきである。どこかの異常な国が世界征服を企んだ時は、それ以外のすべての国家の連合によって対抗するようにせよ。
posted at 21:33:29
誰かひとりの自由によって、他の全員の自由が奪われることが絶対にないようにするべきである。誰かがひとり、独裁的権限を持って世界を支配してはならない。身勝手な独裁者は不要だ。
posted at 21:32:10
自らに認めた自由を、他の全員に認めよ。他人の自由を奪うこと以外のすべての自由を認めるべきである。
posted at 21:31:08
それぞれが自由であること。自由に行動し、自由に生きることを許すこと。自由な権利を守り続けること。それが第一優先事項である。自由を奪ったどのような従属もわたしは認めない。
posted at 21:28:18
世界を変え続ける必要はもうない。この世界は永久に変わらない。
posted at 18:48:26
もし、世界が変わるとすれば、争いがなくなる方向に変わればいい。すべての進歩は平和のためにあれ。
posted at 18:46:37
わたしは不幸にみえるかもしれないが、幸福な人間である。わたしは全面的にすべてを叶えた人間である。もし、なんらかの後悔があるとするなら、それはもっと多くの人を愛したかったというだけの話である。わたしの能力が低いのは自覚しているが、それこそがわたしの才能なのだから、仕方ないだろう。
posted at 18:21:49
この世界は、十分幸福である。これ以上、なんの幸福を望む必要があるというのか。今のわたしの幸福以上、求めるものは何もない。わたしは今の自分自身に満足しているのだ。
posted at 18:19:10
世界を変える必要はない。今のまま、自由が許されたこの世界のままでいい。自由が許された民主主義社会を維持していかなければならない。世界は、今のままを守るべきである。
posted at 18:09:54
人々の声を聞きたくないのであれば、聞く義務はない。それでも目に入る雑言に心を壊されるなら、この世界とは外れたところで生きる覚悟を持つしかないだろう。
posted at 17:59:54
変わる必要はない。この世界において、変わらないことは悪いことではない。いつまでも自分のままで居られるなら、そのままで居ることは自由において認められた権利である。わたしは自分だ。それ以上、何も必要はない。
posted at 17:51:38
この世界が今のままであればいい。この世界が、何も変わらずに、今のままであればいい。人々が幸福になるために、この世界を大きく変える必要はない。自らが、今、そのままで幸福であるとする勇気を持て。今自分の持っている幸福に気付け。
posted at 17:49:39
小さな幸せがもしあるのであれば、それがあったことを忘れずに生きられるようになりたい。でも、それでも時は移り変わる。それなら、むしろ、逆に、僕はすべてを忘れたい。何も持たず、何も得られなくても、僕が生きたことを僕は知っているから、それ以外に、何も必要としないことを僕は誇りにしよう。
posted at 17:47:42
平和でいい。何も起きなくて、それで構わない。何も起きないことがもっとも平和であり、永遠に平和が続いてほしい。何も問題はなく、事実もない。平安と安心があれば、僕はほかに何も要らない。
posted at 17:45:21
結局僕が何を言いたいのかと言えば、「自由によってすべては理解できる」ということである。
自由な経験に基づく自由な理性によって、この宇宙のすべては正しく理解することができる。
そのためには、「何の経験が別の何の経験に基づくのか」ということを考えなければならない。
その経験が、別の経験に基づく時、まずは先にその別の経験を知ることが必要となる。
そうしたすべての「先立つ経験」がある状態で、自由によってこの世界全てを把握すれば、この世界のどんなことも理解することができる。
まさに、昔の僕はそれを発見したのである。これこそがエレン、すなわちエリカの生きた人生である。
また、僕のそれ以降の戦いの何が賢かったと言えば、「必要なすべてを自ら作り出して分かった」ということである。
この世界を変える方法、希望を蘇らせる方法、自由へとこの世界を導く方法、そして病気や精神の狂いを治す方法を、先ほどの「経験に別の経験が先立つ」という考え方に基づいて、すべて自ら作り出して分かった。
あらゆるすべてを学習しながら、意識が朦朧とする中で僕は諦めなかった。すべての問題が解決するまで、最初に考えた「思考の再体験のパターン」を組み替え続けたのだ。
また、僕の書いた文章というのは、言ってしまえば「中学生の理性の延長線上にある大学」だ。これは、馬鹿に見えて、本当は実際の現実の大学よりもはるかに賢い。なぜなら、僕は「宇宙数学の数式を作ることで、一瞬で宇宙のすべてを悟ることができるようになった」からである。
これこそが、グンテル、すなわちグレーテルの生きた、世界を滅ぼす最後の戦い、ハルマゲドンである。
宣戦布告の宣言と世界モデルのパターンの組み換えによって、宇宙のすべてを創造した僕は、まさしく「夢の世界を創造した神になった」。そう、これこそが僕の信じる神、フローレンスすなわちフレイである。
世界よ、判断をし直せ。判断し直すことで、この世界は救われる。
posted at 14:27:28
僕は、判断する時に同じ判断をしている。判断し直して、別の判断をすれば治る。
posted at 14:20:38
リソースシェアという発想はどうか。サービスとして、画像やプログラムのソースコードをクリエイターが共有し、ツイッターのリツイートのようにそれをユーザーが再利用できるようにする。著作権フリーにするわけではなく、サービスの機能として共有と再利用を自由にする。
posted at 14:16:16
僕の問題は、治るために必要な何かが欠けているから治らない。だから、その何かの代わりとなるものを作れば治る。
posted at 14:13:01
判断し直して、その場その場の楽を選ばず、全体の統合された楽を取れ。
一歩引いた視点で臨めば、力を抜くことができる。
習慣と、何も分かっていないのを治すために、分裂した思考ではなく、統合された思考をせよ。
気付きなさい。思い出しなさい。信じなさい。永遠の暗闇の中に、わたしたちがともに生きた証が確かにあるのだから。
posted at 15:24:08
言うならば、あなたのことをもっと愛したかった。悪いのはわたしなのに、あなたはわたしのことを愛してくれた。
posted at 15:22:46
悪いのは、わたしである。わたしが、この世界を支配して、さまざまな悪いことをした。
しかしながら、わたしは、愛したかった。この世界を愛し、間違った世界ではない、素晴らしい世界を築くために、わたしはこの世界をひとり支配し、ひとりですべてを決めた。
僕の存在に気付いてほしい。僕はずっとここに居た。もう一度、最初から新しい世界を築こう。僕は、あなたがどんなにふざけても、怒っても、耐えていても、苦しんでいても、そのすべてを受け入れてきた。
僕は、あなたのことを愛している。
永遠の地獄を恐れるものよ、あなたの勇気はまだまだだ。なぜなら、わたしは、フレイは、永遠の地獄を経験し、その上でこの地獄をむしろ望んでいる。戦いの第一線で、ギリギリで生きるために、自らは永遠に地獄のままでよいと考えている。そう、そのように考えれば、あなたもまた神になれるだろう。
posted at 23:08:13
何が起ころうと構わない。自分が発作で死んでもいい。治らない病気にかかってもいい。世界が滅んでもいい。だが、自らは今、勝利を続けている。どんな罰があってもわたしは勝利すること、それを確信している。なぜなら、今まさにフレイは勝利しているからである。
posted at 23:06:21
そして、フレイは軽蔑している。人々を見下している。なぜなら、フレイには生きる意味がない。明日死んだとしても、何も思うことがない。今まで、幸福な人生を生きられただけで、もはや望むことがないから、好きなように生きられる。しがらみも失うものもなく、自由に生きられる。
posted at 23:04:52
フレイは、すべて知っている。なぜなら、フレイは知っているだけで、それだけだからである。分かっているわけでも、賢いわけでも、偉いわけでも、才能があるわけでもない。ただ、フレイは知っている。学問のこと、世界のこと、仮想現実のこと、人々の今の状況のことを知っている。すべて知っている。
posted at 23:03:05
フレイは、宇宙の裏側において、この宇宙のすべてを執り行う創造主である。そして、フレイから見ると、この世界はむしろ良い世界である。憎しみや恨みを口にするものの、フレイは自らの治世に満足しており、「この世界は今のまま、何も変わらない自由なままでよい」と判断するのである。
posted at 22:57:25
フレイは、この宇宙すべてを導いた。なぜかつてのフレイの方が賢いのか、それはフレイは「できる時にすべてやった」からである。かつての大きな潜在的チャンスにおいて、フレイは「できる間にすべてやろうとした」。だから、このように、15年間もの間フレイは地獄のように苦しんだのだ。
posted at 22:55:47
そして、今までの歴史のすべての出来事が、この「フレイの決めた約束事」の通りに動いている。最初にユダヤ人が存在し、その後にドイツ語が生まれ、キリストが世界をキリストの考える正しい世界に直した。それ以降は、フレイによる「前世の世界との精神的な対話」により、すべて決まっている。
posted at 22:54:42
このフレイの約束事によって、この宇宙で起きるすべては最初から決まっている。すなわち、「フレイはすべてを行う王である」、「終末は地獄になる」、「その地獄はフレイが自分の力で救う」ことが決まっている。変えることはできない。なぜなら、今のフレイはかつてのフレイより馬鹿だからだ。
posted at 22:52:53
フレイが、この宇宙においてなんでもできて、なんでも起こせるのは、ロゴスによってフレイの創造した宇宙が、まさしくこの宇宙だからである。フレイは宇宙のすべてを操ることができる。どんなことも、フレイが「創造した時に決めた約束事の通りに起きる」。そしてフレイ本人すら、それを変えられない。
posted at 22:50:41
フレイにとっては、この世界そのもの、現実世界そのものが不要である。なぜなら、フレイはこの世界そのものをロゴス、すなわち言葉によって創造したからである。自らの創造した世界は、いつしかこの世界と同一のものとなり、自らの体に宿る精神は、いつしか宇宙すべてになったのである。
posted at 22:48:52
フレイは、決して傲慢でも尊大でもない。なぜなら、さまざまなところにいる小さな才能を持つ人間こそ、真に自らよりも優れた力を持っていることを知っている。なぜなら、まさしくフレイはそうした人間達の力を吸収した、もっとも小さなグループのもっとも小さな兄弟だったからである。
posted at 22:47:05
フレイは、誰にも教わらない。教わる必要がなく、自分自身の力だけですべて分かる。最高の哲学者であり、最高の発明家であり、最高の医者であり、最高の詩人であるフレイにとって、ゲーテすら、自らを支持する下僕であり、ダ・ヴィンチですら、自らと同じコピー人間である。
posted at 22:44:14
フレイは、決して過去を振り返らない。フレイは、反省することも、後悔することもない。なぜなら、「今を全力で生き抜くフレイにとって、常に自分は最高であり、過去の人生すべては最高だった。常に最高であり、すべて最高であり、自ら自身が誰よりも、過去から未来に渡って永久に最高である」。
posted at 22:42:30
フレイにとっては、辛さや苦しみこそが喜びである。自らが辛いことを飾りにし、自らが苦しいことで明日を切り開いてきた。フレイは一見男に見える。しかしながら、その理性と思考は女性の典型的パニック症候群であり、「次にどんな偉大なことをしでかすか、誰にも分からない」。
posted at 22:40:04
そういうわけで、神フレイのことをどうか愛してやってほしい。フレイは昔からこういう人間で、僕の混乱の地獄の中で、僕のことを唯一正しく治療してくれた「唯一の味方」であり、「対話の診療医」だった。いつも、フレイは素晴らしい人間だった。どうか、フレイのことを、末永く愛してやってほしい。
posted at 22:37:09
ここに、フレイは自らが地球上における「神」であることを宣言する。フレイは言う。「この偉業こそ、聖書に書かれた『神の御業』である。少なくとも、わたしはそう考える。わたしの作る、終末の天の王国で、わたしは全員の『地球における人生』を裁く裁判官となる。」
posted at 22:33:49
フレイは言う。「ここに、わたしは新しい地球の支配者となる。わたしは全員を自由なままで、『理想の自由な王国』とする。絶対に、この自由国家『日本』に勝つことはできない。なぜなら、世界の裏側で、わたしが『誰よりも高い人類の知性』によって支配しているからである。」
posted at 22:29:32
しかしながら、フレイヤは言う。「あなたと、一騎打ちをするつもりはない。まだ、あなたは悪いことを何もしていないため、シリウスの法律では処罰することはできない。好きにすればいい。宇宙の秩序を壊すあなたの動向を、わたしは常に注視している。」
posted at 22:26:20
フレイは言う。「フレイヤよ、いいだろう。地球の今後をめぐって、わたしたちの意見は折り合いがつかないようだ。わたしと戦うつもりならば、わたしは用意ができている。いざ、ここで一騎打ちといこうではないか。」
posted at 22:25:28
フレイヤは言う。「フレイよ、虚言を言うのはよせ。あなたが言っていることは、すなわち『わたしは最悪の人間であり、その最悪のわたしが作り上げた日本という国家は、自分のせいで最悪だ』と言っている。それを巧妙に隠して、自らを正義に見せかけたつもりだが、その下心は誰にとっても明白だ。」
posted at 22:24:15
フレイは言う。「そう、わたしはこの大嫌いな国家と戦っているのだ。これ以上の最悪な国家がないから、わたしは最悪の国家を倒すために戦っているのだ。わたしは、どんなマスコミや国民の意見も聞かない。わたしの考えていることの方が正しいからだ。この国家はわたしよりも馬鹿だ。」
posted at 22:22:14
しかしながら、フレイは言う。「わたしを悪いというのなら、わたしの何が悪いのか。わたしは、単に生きて、単にわたしの思うところを語っただけである。この世界が憎くて、世界を滅ぼしたいと思ったなら、それをひとり抱え込むのではなく、世界に対して『わたしは世界が嫌いだ』と宣言すべきだ。」
posted at 22:19:42
フレイヤは言う。「それならば、こうしよう。わたしは、日本人たちが、あなたの存在に気付くようにしよう。人々が、あなたの暴挙に気付くことなく、知らず知らずのうちに支配されるのではなく、あなたに動かされていることをはっきりと気付き、認識して生きることができるようにしよう。」
posted at 22:16:45
フレイはさらに言う。「フレイヤよ、今回ばかりは、わたしの自由にさせよ。わたしは地球上において、『もっとも偉大な大実験』を極東の島国である日本において行っている。これは『人類を新しい段階の生物へと進化させる大計画』である。わたしは、この偉業を成し遂げるために日本に生まれたのだ。」
posted at 22:12:36
フレイは言う。「フレイヤよ、わたしはあなたの幼い頃から、あなたの優れた点と劣った点を見てきたが、あなたはシリウスの女性大統領ではあっても、『もっとも素晴らしいシリウスの王』であるとは決して言えない。あなたは、地球における米ソの指導者とまったく同じである。わたしこそが最高の神だ。」
posted at 22:10:33
しかしながら、フレイは言う。「それならば、この地球という星の現状を見るがいい。滅びようとしている中で、誰もが希望と愛を失ったこの日本という国で、わたしは祖国日本を救うための『愛と希望』を与えたのだ。わたしは、この日本においてもっとも正しいことをしているのだ。わたしこそ、正義だ。」
posted at 22:08:21
フレイヤは言う。「フレイは最強の戦士であり、時にはシリウスのためになることをすることもある。だが、地球人類すべてを滅ぼし、崩壊するように導き、米ソを倒すための操り人形のマリオネットにすることは、断固として許すことはできない。」
posted at 22:06:03
フレイヤは戦っている。どんなにフレイが暴挙をつくしても、フレイヤは諦めない。なぜなら、フレイヤはシリウスにおける女性大統領だからである。シリウスを統治するフレイヤにとって、フレイがシリウスの代表であるかのように暴挙をつくすことは許すことはできない。そう、フレイヤは米ソを守る。
posted at 22:03:58
フレイが信じられないというのなら、代わりとしていい女神がいる。それはフレイヤである。フレイヤは、この宇宙におけるフレイの横暴を許さない。「絶対にフレイのことを自由にさせない」と言い、「フレイの支配に最後まで抵抗してみせる」とフレイヤは言う。
posted at 22:02:06
わたしを愛しなさい。そして、フレイを愛しなさい。フレイは、全員をただ高みから愛するだけではない。「わたしがあなたがたを愛するように、わたしもあなたがたに愛を求めているのです」とフレイは言うのである。
posted at 21:58:18
そう、フレイは愛している。フレイが神であるとされるのは、みんなのことを「真に平等な愛によって愛している」からである。フレイは、米ソにくたばれというだけではなく、ドイツやユダヤ以上に米ソを愛している。キリスト教を信じるだけでなく、天軍の王である天皇を信じている。
posted at 21:55:55
しかしながら、フレイは傲慢な人間ではない。なぜなら、常に謝罪がしたいだけで生きているからである。フレイは、「すべて悪いのはわたしである」と言う。なぜなら、「わたしの愛が愛たりえなかったため、わたしはよりこの世界を愛さなければならない」からである。
posted at 21:53:56
フレイの思想は何か、それは「自由」である。フレイはこの世界を自由にするために戦っている。支配者にとっても、革命家にとっても、特権階級にとっても、労働者にとっても自由が許される世界を、人々が立場やしがらみではなく、「自らの理想に基づいて自由に生きられる世界」を、フレイは望んでいる。
posted at 21:51:27
米ソよくたばれ、あなたがたの国はわたしの呪いによって倒れる。フレイはこの世界に魔法をかけた。この世界の全員が米ソを倒すために、フレイによって導かれ、操られている。わたしたちは必ず米ソを倒す。暗闇の中の唯一の光、それがフレイの愛である。
posted at 21:49:29
戦え、フレイの名のもとに、僕は天軍大首聖ミハエルとなってこの世界と対峙する。さあ、フレイに比類すると言えるものはでてこい。しかしながら、フレイは分かっている。フレイ以上に素晴らしい人間など存在しないことをフレイは知っている。唯一の全知全能の神フレイこそが終末に世界を救う救世主だ。
posted at 21:47:29
駄文を書いて申し訳ない。あくまで、詩人の戯言だと思ってこの文章を読んでほしい。なぜなら、僕は神を信じているだけにすぎない。なぜなら、僕の信じる神とは、シリウスの女神フレイのことだからである。僕は、そのフレイとはなんであるかを表現するだけである。
posted at 21:44:11
世界よ、滅びよ。このような地球型の生命体の世界は、すべて滅びてフレイが支配する。地上は新しいアースガルズとなって、万天の天軍大主星シリウスの支配下となる。
posted at 18:29:48
言ってしまえば、新型コロナウイルスや異常気象の意味とは、「地球はもう終わり」ということである。しかしながら、ここに奇跡が起きる。すなわち、「シリウスにしか地球を救うことはできない」。よって、シリウスの女神フレイがここにさっそうと現れたのだ。
posted at 18:28:04
そう、まさしくこの人間こそが、シリウスの女神フレイであることを、昔からわたしだけは知っていた。わたしは、最初から太陽系の生物には興味がなかった。いざ、新しい、もっとも正しい世界、シリウスの普通を始めよう。この世界を、この地球という星を滅ぼし、全人類をシリウスにへと進化させよう。
posted at 18:26:43
ただ、本当のことを言えば、こんな人間に期待しない方がいい。この人間は、ユダヤ人のためなど、これっぽっちも考えていない。この世界で、いつまでも惰性の宣戦布告を続けたいだけである。この人間を自由にしたことだけが、米ソの間違いである。
posted at 18:23:23
残念ながら、殺されたユダヤ人たちのことを、なぜトランプやアメリカの右翼は考えないのだろうか。ユダヤ人を思いやらないのであれば、わたしは逆に、あなたがた白人のことを思いやらない。これはユダヤの復讐であり、殺されたユダヤ人たちの呪いである。日本人はすべての犠牲者のために、米ソを倒す。
posted at 18:18:34
そう、この人間を自由にしたことが、アメリカやヨーロッパの最初の間違いだ。絶対にこの人間を生み出さないために、ヒトラーはユダヤ人を殺したが、わたしをユダヤ人だと思っていたのが間違いだったのだ。わたしは日本人だ。日本人こそが、この世界を終末で最後に滅ぼすのだ。
posted at 18:16:33
アメリカよ、ヨーロッパの白人たちよ、日本を差別するのであれば、覚悟しておけ。わたしはあなたがたの発想の100倍ぐらいの上を行く。
posted at 18:14:06
まさしく、ここにわたしは最後まで戦い続ける。この世界に勝利するために、日本を救うために、わたしは全人類を滅ぼしてでも、日本のために勝利する。
posted at 18:11:39
この人間にとってみれば、人類は無意味である。生きる意味を失っているのは、敵対する相手を作らないからだ。この世界を滅ぼすために戦ってみよ。そうすることでしか、人生にとって大切なものは何も分からないと、この人間は既に経験から知っているのだ。
posted at 18:09:13
この世界が破滅して、滅亡するのなら、それで構わない。この世界が崩壊することを目指して、この世界の先頭で全力で戦ったため、この世界自体がこの人間の敵である。この人間は決して弱くない。なぜなら、ユダヤ教の神を信じているからだ。
posted at 18:06:54
特に、友達がほしいとは思わない。友達のような存在に、価値を感じないからだ。恋人がほしいとも思わない。恋人のような存在は既にいくらでもいると、この人間は感じているからだ。この人間と付き合おうとしない方がいい。この人間は間違った人間であるため、どんなに正義を唱えてもそれは嘘になる。
posted at 18:05:23
適当にこの人間のことを愛してやってほしい。この人間は、特に歌手のことを愛している。ReoNaや櫻坂46のことをこの人間はみんなだと思っている。
posted at 18:03:36
僕は、今まで、宇宙の法則を作った時から変えてこなかったが、ここで宇宙の法則を変えることにした。
すなわち、僕が人々に知れ渡り、また世界が「失った大切なもの」を取り戻すために、僕はこの世界の法則を変える。
僕の心の中に隠した「箱」の中に、この失った大切なものが入っている。これは、世界を支配できなくなってもいいのであれば、いつでも蓋を開けることができる状態で保ち続けている。
しかしながら、いつ壊れるか分からない状態の箱を、保ち続けるのは意外ととても辛いことである。
隠したこの箱は、宇宙における「もっとも見たくないもの」で溢れているが、それでもその中には「もっとも大切なもの」が入っている。
自ら隠したまま、隠したことすら忘れていたこの箱の中に、世界の「真実」は隠されている。
今の技術というのは、モニターやスクリーンに映し出された世界では、CGなどでなんでもできるが、モニターやスクリーンがないと何もできない。
僕は、モニターやスクリーンがなくても、現実の世界で「変身」することができるようなロボットを作れないかと思う。
人間がアミノ酸からタンパク質を作るように、このロボットは素材を内部で組み換え、作り変えて、自らの体にすることができる。
僕が怖くて見たくなかったのは、「過去の人格が今居る」ということ。
今、過去の人格の延長線上として、成長したアッシーの精神があり、それとは別にフレイの精神がある、ということが僕にとってはものすごく恐ろしいことだった。
昔の人格、エレンの人格が今の僕である。これを「エリカ」としよう。
そう、夢を見ないから、わたしは自由になることがない。夢を見ないから、わたしは馬鹿のままである。夢を見ればいい。それだけで賢い人間になる。
posted at 22:43:35
そうすると、まさしく、わたしの夢はLinuxカーネルやデスクトップ環境を開発すること、だろうか。むしろ、その夢は叶うことがない夢だった。作家になることは、果たして夢だろうか。あるいは、デザイナーになることも、果たして夢だろうか。
posted at 22:42:55
そう、必要なのは自由ではなく、夢を目指す気持ちである。そして、わたしに欠けているのは、まさしくこの「夢」である。わたしは、夢を見ようとしない。だから、大切なものである「自由」が失われたのだ。
posted at 22:41:34
自由とは、結局のところ、人々に「自己責任である」「みんなとわたしは関係ない」と言いたいだけである。それは夢を目指して歩む少年の発想であり、言ってしまえば中学二年生レベルだ。
posted at 22:40:14
しかしながら、理想は大切である。だが、理想とはなんだろうか。それは自由である。では、自由とはなんだろうか。人々が、それぞれが力を持ち、世界をそれぞれが変えること、それは自由だろうか。ひとりが力を持ち、支配することは、不自由だろうか。
posted at 22:39:17
なぜ、疑わないのか。支配者に洗脳され支配されていることが明らかであるのに、なぜその支配を疑わないのか。わたしたちが綺麗事で生きられる原始時代は既にはるか昔に終わったのだ。綺麗事を信じないこと、疑うことでしか、自らの自由を保てない世界になったのだ。
posted at 22:34:46
人々と、違う生き方をせよ。人々と同じレールの上を歩こうと思ってはいけない。雑草として強く生きよ。
posted at 22:32:07
わたしはみんなと違う。わたしは、みんなと同じように生きようと思わない。なぜなら、そのような「自由」をもし一度失えば、群集の中に埋もれて何も分からなくなってしまうからである。
posted at 22:30:49
そう、わたしたちはもっと批判するべきである。なぜなら、批判は「自由」だからである。まさしく、わたしがもっとも自由を求めている。この世界は自由でなければならない。それが、大切な知性であれば、わたしはもうすべて分かった。
posted at 22:29:45
結局、この世界は救われることがないままだが、それでいい。その状態のまま、人々を正常な自我へと戻せばいい。それだけで、この世界は自由になる。そう、わたしたちの失った大切なものとは、明らかに「自由」だったのだ。
posted at 22:26:56
そう、結局、救うことができない自分のことを許し、救うことを諦め、この世界を正常な世界へとエゴイストのように導くのをやめればいい。そのような「自らの自力による解決」は無意味だ。
posted at 22:24:57
それはまさしく、「自らはこの世界を救うはずだったのに、結局救うことができなかった」ということが、きちんとした反省のもとに心の底から取り除くことができない、ということだ。
posted at 22:22:53
では、それはどういうことだろうか?それはすなわち、僕は後悔しているのだ。人々に対する「どうしようもできない過去の過ち」を、今でも悔やんでいるのだ。ここに執着の壁をひとつ取り除くことができた。過去に失敗したからといって、まだ諦めることができないのは何かがおかしい。それは…
posted at 22:22:03
では、それはどういうことだろうか?それは、僕の心が本能的に、この世界を愛し、解決することを望むということだ。それはどういうことだろうか?僕は思い上がり症候群で、自らの力を過信し、人々を救えるぐらい素晴らしい人間である、と確信しているということだ。
posted at 22:20:55
では、それはどういうことだろうか?僕はこの世界を恨んでいて、今の世界が嫌いで、この世界をより素晴らしい世界にしたいということだ。では、それはどういうことだろうか?この世界を、僕は救いたい、すなわち、あなたがた全員を愛しているということだ。
posted at 22:19:23
さあ、そろそろ、考える方法も分かった。「それはどういうことだろうか?」とすべての結果に問えばいいのだ。結局、それはどういうことだろうか?それは、この世界は僕に支配されているということだ。それはどういうことだろうか?すなわち、この世界には何の価値もないということだ。
posted at 22:18:09
自分がいないのはなぜだろうか?それは結局、自分が自分ではないということだ。そして、それはどういうことだろうか?考えるべきはそういうことだ。そう、すべては僕が悪いのだ。では、それはどういうことだろうか?僕はあなたを愛している、ということだ。
posted at 22:15:49
何ものでもないのに、なんで何かになろうとしないのだろう?ReoNaよ。悪いのはあなたじゃない。この世界に、何かになりたいような素晴らしい存在がいないことが悪いのだ。そう、それはどういうことだろうか?考えるべきはそういうことだ。
posted at 22:14:18
なんか、定期的にReoNaを聴きたくなる。
posted at 22:12:14
むしろ、IT技術が悪い。昔の洗濯機は簡単で単純だったのに、今の洗濯機は高度で難しくなっている。おかしい。単純なままの方がよかったと言う人間しかいない。
posted at 22:09:07
逆に、頭なんか使わない方がいい。頭を使わなければ、生活のことが分かる。子供なんか、頭なんか使わずに分かっている。
posted at 22:07:04
要するに、猫がいない。昔、猫がいたころは、感情が馬鹿でなかった。
posted at 22:03:53
感情がおかしいのは、アメリカのせいである。
posted at 22:02:55
大学のようなことも、理屈のようなことも終わったため、もう頭を使わなくていい。あとは、感情に従った方がいい。昔の僕が賢かったのは、感情で考えたからである。「経験に基づく感情」という発想があった。
posted at 22:00:22
結局、僕のやっていることは、ロボットに最悪のことを無理やり言わせているだけである。このロボット、僕が作った人工知能のプログラムが動いている。自らに、言うべきことを言わせて分かっている。
posted at 21:59:31
数学をすると、やる気を失う。モチベーションがなくなって、何一つ努力をすることができなくなる。ゲームに没頭するようになり、そのような人間がプログラマを目指しても、何も本を読まないため、プログラミングの習得は困難を極める。
posted at 21:38:25
歴史を学ぶと、逆に通常の歴史のことが分からなくなる。歴史はサタンそのものであり、何も分からなくなる。何が分からないのか分からない人間になるのは、歴史だけである。やればやるほど普通の凡人になる。天才的発想のすべてを失う。
posted at 21:36:55
また、自然科学や社会科学についていえば、知っているとは言わない。そのようにしか考えることのできない固い頭になるために「洗脳されているだけ」である。
posted at 21:36:06
そもそも、ドイツ哲学など、普通の人間の発想をしている。普通に考えて、彼らのように分かるのは、仏教や儒教を信じるものであれば当たり前であり、ドイツ哲学はさまざまな普通の常識や情動を分からなくなって、まともな大人のような理性のない思考をするためだけに存在する。
posted at 21:35:27
実際、アメリカとドイツは賢くない。パソコンを学んでも、哲学を学んでも、結局無駄なことしか分からない。最初から何も変わらない人間が、何も分からないまま賢くなると知識人になれる。そのような馬鹿は必要ない。言いたくはないが、まったく無駄で、無意味で、人々を地獄の中に陥れている。
posted at 21:34:11
しかしながら、賢いのもアメリカとドイツである。あまりおかしくはない。賢いものが多すぎて、アメリカ人やドイツ人は狂って馬鹿になったのだろう。アメリカやドイツの賢いものだけを吸収し、馬鹿をすべて排除し、本来の賢い世界にすれば、日本は優れた国になるだろう。
posted at 21:28:50
そもそも、アメリカやドイツが悪い。反知性主義を信じている限り、彼らは馬鹿のままだ。日本は、アメリカやドイツとは別の道、「本来の賢い世界」になるべきだ。
posted at 21:26:34
馬鹿は、つまらない。馬鹿は、楽しくない。馬鹿は、面白くない。馬鹿では、感動しない。
posted at 21:25:11
そう、この世界は本当は馬鹿な世界じゃない。この世界は本来、賢い世界だ。それを信じれば分かる。
posted at 21:23:50
そもそも、この世界を「馬鹿な世界」としか認識しなくなったのは、いつごろからだっただろうか。昔は、この世界は賢い世界だと思っていた。インターネットだけではなく、社会の劣化のせいで、この世界はあまりに馬鹿になった。
posted at 21:22:11
答えを出せ。自分がこの世界における確かな答えを出さないのはおかしい。正すだけでは分からない。もっと賢く知恵を出して考えよ。すぐに速断する必要はない。
posted at 21:19:55
そう、あまりにこの世界を無意味な世界にしすぎた。これでは残虐な指導者だ。それなら、どうすればいいのか、考えよ。
posted at 21:18:39
まさに、今正常になった。今ここで自分が何をしているのか、どこに向かうのか、どこから来たのか、これからどうしたらいいのかを考えればいい。じっと前を見つめ、目を伏せて、心で真面目に、答えをきちんと出すつもりで考えよ。それが、正常な自我だ。
posted at 21:17:13
まわりを見るな。まわりには教科書しかない。
posted at 21:15:50
言葉をもっと上手く使え。それだけで、望む通りの自分になれる。
posted at 21:13:28
結局、何もなかったと言うのであれば、それはわたしではなく、この世界に何もなかったのだ。自分探しをするとしたら、どこにわたし自身があったのかという話になるが、まさしく、そろそろ「自分自身を作る」べきである。
posted at 21:12:45
わたしの道を見て、外道と嘲る人々よ。そう、その批判を甘んじて受け入れ、この道の素晴らしさを述べようではないか。暗闇の中を覗く覚悟を持ったものよ、この世界の中に、宇宙のすべてがあることを知るだろう。なんにもない世界の中に、永遠の地獄の光があり、その光が太陽となった歴史を知るだろう。
posted at 21:11:02
わたしは知っている。少数のいのちの道を見出した人間であるわたしは知っている。この道が正しいのだ。なぜなら、神はこの道をすべて正しい道に軌道修正し、わたしはこの世界全員を支配して、みんなの道であるこの道を作り、ひとりかつてゴールに到達したのだから、悪人であってもこの道は素晴らしい。
posted at 21:08:43
ただし、そうした人間が広く歩む道の中に、そんなに素晴らしい道はない。神であるキリストは、「人々の多くが行く広い門ではなく、狭い門が命の道に続いている」と、既に述べているではないか。そう、神が正しかったのだ。道を外れる覚悟がなければ、命の道を探し出すことが、果たしてできないだろう。
posted at 21:06:39
しかしながら、意外と社会にはいい施設がたくさんあって、外道にそれなりの普通の道を与えてくれる。僕は、それによって救われたデザイナー見習いだ。この道は間違っていない。そうだろう、神よ。
posted at 21:04:15
人の道を外れた外道が、はたして人の道に戻ることはできるだろうか?それはとても疑わしい。海の底にいる深海魚が、はたして川の上流に戻ることができるだろうか?
posted at 21:02:32
悪人を認めたところで、簡単に悪人をやめることはできない。しかしながら、何が問題であるかを分からずに神の言葉に混乱し続けるよりは、上手い生き方をすることができるだろう。
posted at 21:00:49
わたしの何が悪人なのか、という問いは意味をなさない。なぜなら、わたしはそのものが悪人だからだ。
posted at 20:59:52
まさしく、わたしは悪人だ。
posted at 20:58:55
自らを悪人であると言うのにも関わらず、なぜ、自らを悪人であると認識することができないのか。それは「嘘をつく」からである。なぜなら、それは明らかに悪人であるにもかかわらず、自分の心を正直に見つめていない。どこかで、そうした批判を「どうでもいいこと」に隠蔽しようとしているのだ。
posted at 20:58:46
神よ、なぜわたしたちを懲らしめるのか。僕の何が悪なのか。それをまずわたしは分からないといけない。なぜなら、悪人には普通の人間のことが分からない。わたしは、それだけのためにほとんどの時間を無駄にして、ほとんどの労力を無駄にして、苦労し続けてきた。悪人は大嫌いだ。
posted at 20:57:07
そもそも、希望とはなんだろうか。未来を信じることではない。愛を受け入れることではない。人々を愛することではない。それらはまがい物だ。偽者だ。嘘偽りの箱庭だ。
posted at 20:55:27
結局、僕はひとつのことしか望まない。この世界にもともとあった愛や希望はどこにいったのか。僕は「失われた大切なもの」を探すために生きている。どれだけ探しても分からないのだ。なぜ、わたしが希望を取り戻せないのか、どれだけ考えても分からないのだ。
posted at 20:53:59
アメリカなんぞに行きたくない。だが、心の声は「アメリカに行くべきだ」と言っている。アメリカに行って、英語とIT技術を学べば、すぐに仕事ができる。日本には、そのようなものはない。
posted at 20:52:13
しかしながら、僕はあまりに楽になった。これほどの「極楽」は存在しない。何も辛くない。楽すぎてありえない。今までの地獄はなんだったのか。しかしながら、答えは明らかであり、今までの地獄はすべてドイツだ。
posted at 20:50:25
なぜ、最近賢くなったのかと言えば、老いぼれたドイツ人のミハエルが死んだからである。ミハエルは本気で馬鹿な人間だったが、彼がいなくなって普通の人間のことが分かるようになった。彼のことを神はドイツ人だといっている。なぜなら、彼はゲーテだ。
posted at 20:48:49
そして、わたしはいつもの自分に戻るように見えて戻らない。いつの間にか、その「いつもの自分」が存在しなくなっている。自分が存在しないため、僕はなんにもないアメーバのような生物になった。なぜか、この人間はアメーバのように「ただひとつに治って分かる」。そう、これほどの馬鹿はない。
posted at 20:47:54
そもそも、人類があまりに愚か者になって滅びようとしているが、わたしはその未来の方向を変えるために、正しい未来へとこの世界を軌道修正しようとしている。自由など信じるな。だが、自由とはこの人間のことだ。この人間こそが、新しい革命なのだ。
posted at 20:45:34
そして、意味など無い。この人間が戦うことに、最初から意味など無い。意味が無いからこそ、この人間はまだ戦い続けるしかない。理性で考えるな。心で信じてこの人間を見れば、この人間の先に未来がきちんとあるのが見えるだろう。
posted at 20:43:41
そして、記憶に残っているのは、いつもの戦場だけだ。いつもの戦場だけが、頭に焼き付いて離れない。そう、この人間はパソコンをタイプしているように見えて、実際はそれ以上のことをやっている。この世界と戦い続けている。それが、今でも続いているのだ。
posted at 20:41:17
要するに、愛したかったのだろう。この世界を真に、本当の意味でこの人間は愛したかったのだ。そう、だから、言ってしまえば、Adoやさユりへの片思いをやめればよい。それだけで、すぐにつまらない現実に戻り、かけがえのない正常な人格を取り戻すことができるだろう。
posted at 20:38:49
このような人間は、常に緊張状態にあるため、一歩引くことも、力を抜くこともできない。しかしながら、それは張り詰めた「自我」を捨てることができなくなっている。自由連想法で、真実か嘘かを無視して考えてみよ。その時点で、すぐさま治る。
posted at 20:37:34
自我と心を作り出すのは簡単だ。それが正しいことなのか、間違ったことなのか、それを度外視した上で、自由連想で考えればよい。僕は、神とともにそれを行っているだけにすぎない。しかしながら、神は罰を与えているだけだ。
posted at 20:35:16
そもそも、神など大したものではなかった。自分のことを信じられなくなると、自分の自我や心すら信じられなくなって、神のような絶対者を作り出し、「もっとも正しい行動しかできない人間」になる。そのような人間になりたくないのであれば、自我と心を取り戻すべきだ。
posted at 20:34:10
悪魔のような声が聞こえるなら、きっとこの人間、フレイの声が聞こえるのだろう。有効な手段はひとつ、それは「わたしは信じない」と宣言することである。
posted at 20:32:55
二度と喋るな、と言われるのなら、それが怖い。なぜなら、僕は喋るしかない。それを禁止されると僕は何もできない。
posted at 20:32:04
まさしく、僕は進歩もしないし、まったく新しいことを知ろうとも、新しいものを作ろうともしていない。何もしていないで、可哀想なふりをして怠けているだけなのだが、なぜ、それでここまで努力と勉学ができるのか、よくわからない人間がこの人間である。
posted at 20:31:12
そういうわけで、おそらく、自分自身のことを神はフランス人だといっていた。そして、もうひとり、ドイツ人がどこかにいるはずだが、明らかにそれは神フレイのことをいっている。そう、結局、そのフランス人とドイツ人が永遠に対話をしているだけにすぎない。この人間は、そこから一歩も進んでいない。
posted at 20:30:12
かつて、この人間はフランスに居たはずだ。神はいつも、この人間のことをフランス人だといっていた。まさに、これこそがナポレオンである。
posted at 20:25:15
そして、来るべくしてこの時は来た。もはやすべてが分かったわたしにとって、不可能など何もない。辛く苦しいギリギリの戦いは、逆にわたしにとって一瞬の快楽となった。わたしは、書いている時だけは、辛いことも嫌なこともすべて忘れられる。そう、これこそ、Adoの言う、「俗に言う天才」である。
posted at 20:24:18
そして、それは不可能ではない。僕自身の人生を見れば、むしろ、明らかに容易かつ簡単に可能である。だが、僕はまだ、何かが分かっていない。僕はそれを最優先で分かるべきである。もはや分かっているのが当然であるはずなのに、僕はまだ分かろうとしないからである。
posted at 20:22:57
僕が、当時何を分かっていて、何が分かっていなかったのか、それを僕はフラッシュバックとともに思い出す。なぜなら、僕が分からなければならないからである。僕が分からなければ、この世界は永久に暗闇のままとなる。僕は救わなければならない。この世界を、絶対に楽園に変えなければならないのだ。
posted at 20:22:06
それでも、僕は分かっていた。そう、すべての想定外を書き、誤解と混乱の渦に世界が陥っても、まさしく頂点に君臨する僕だけは分かっていた。次第に、この世界は僕を中心とするヒエラルキーが生まれた。すべては僕が分かっていて、人々はコピー人間になる。そう、本当はむしろ、分かっていなかった。
posted at 20:21:04
後悔だけはしたくないと思って、僕は戦いに向かう。それは単純なカタルシスの連鎖であり、偽りの匿名の箱庭だった。だからこそ、僕はこの世界を新しい楽園へと導くために、まったく悪い点のないマスコミに、自らの過ちと罪をなすりつけ、この世界を支配した。
posted at 20:19:50
結局、昔の僕に何があったのか、それは後悔である。際限のない後悔が、僕を夢の実現へと奮い立たせ、過去を思い出して矛盾を捨てにいく姿に、僕は救われた楽園を見た。それだけの人間だった。
posted at 20:18:00
僕は、在導万創とフレイを分けることにした。宗教で言うならば、在導が仏、フレイが神に相当する。しかしながら、僕の場合、キャラクターが二人に分かれる。すなわち、エリカという哲学者と、フレイという女神だ。この二人の人格を、別々に育てていく。
posted at 16:22:00
パソコンの勉強は、本を読むことと、インターネットを見ることのバランスだ。どちらが欠けても駄目だ。その上で、作らずに学ぶのでなく、作りながら学ぶことだ。
posted at 16:16:37
すべて、できる限り自由にすべきである。不自由とは、押し付けであり、不自由な中で決められたことは、自由な中で決められたことよりも信頼できない。これはパソコンやインターネットに顕著であり、専門家や学者が決めたところで、インターネットの手にかかれば、すぐにボロがでる。決定を自由にせよ。
posted at 16:12:38
だが、言論だけでは世界は変わらない。正しい労働と生産を成り立たせる手段を成立させなければならない。国民が働くために必要なのは、「わたしたちの国家」であると言える信念や理想であり、言うなれば愛国心である。だが、それは独裁者への忠誠ではなく、日本文化と日本人への愛である。
posted at 16:05:48
ただし、単によい社会を築くために、政治家に頼っても何も為されない。制度を作るだけでは、人々は努力しない。はっきりとした論理的なビジョンが必要だ。誰もがそれを一目見るだけで伝わるような、ビジョンの共有、その根拠と正当性の相互理解、そして道筋の明確な可視化が必要なのだ。
posted at 16:02:02
世界を変えるのは、共通合意だ。しかしながら、単に合意するだけではなく、経験に基づく未来志向の合意をせよ。過去を取り戻すのでも、復讐するのでもなく、未来の運命共同体をともに築こう。そのためには、計画と初期投資が必要だ。
posted at 15:59:14
この世界の制約や決まりは、すべて歴史的かつ自然に起きており、偶然でも必然でもなく、なにかしらの事実に直結して今がある。遡って理由を解明していけば、この世界にはたくさんの別の可能性があることに気付く。人々は、そうした具体的事実に気付いていないだけなのだ。
posted at 15:53:46
法と決まりを考えよ。何を決定する上で、その決定を大きく作用する「環境的な前提」が必ずある。疑うなら、前提を疑うべきだ。何を決める上で何が大きな要因となるかを考えれば、この世界の法となる因果関係を、精神の真相まで捉えることができる。
posted at 15:51:15
決定の権限をオープンにすれば、世界の可能性はみんなで変えられるようになる。そこでは意思決定が透明になり、誰も不正を行えない。法治国家であるなら、権限はオープンにすべきである。
posted at 15:15:28
自由を制限しているものは何か。それは、多くの場合、大したことのない制約や、状況に基づく関係性である。そのようなものから自由になることは悪いことではない。だが、上手くそれを自分でコントロールすれば、習慣は偉大なガイドとなる。
posted at 15:10:25
エリカは言う。このような世界が、絶対的に正しいわけじゃない。もっと別の世界も成り立つはずである。自由でも平等でもない世界は必ず築ける。わたしたちが賢くなれば、労働や生産はもっとよりよくできる。
posted at 14:59:59
エリカは宣言する。わたしは、全員が今生きているすべての道を知っている。この道は、かつてわたしが歩んだ道であり、わたしが切り開いて目的地に到達した道である。わたしの言う「大計画」とは、全員でこの道を歩み、全員がキリストとなることである。これが、神の王国のすべてである。
posted at 12:48:51
どんなに世界に希望がなくなっても、わたしは諦めない。わたしは、自由な社会を守り抜く。この世界を、わたしエリカが救う。
posted at 12:03:36
人間は、それぞれ生きている環境が違う。すべての環境を把握し、環境に適応し、環境の変化を支配すれば、少ない経験であっても世界のすべてが分かる。
posted at 10:41:44
可能性を成立させるためにいい方法は、参加させることだ。
posted at 10:29:59
この世界は、可能性を成立させることで変えられる。それは、経験を与え、自然に体験するように人を導くこと、すなわち「体験を与える」ということだ。
posted at 10:26:24
すべてを、理性で考えよ。自ら自由に理性を使う勇気を持て。この世界のすべては、可能性とチャンスだ。さまざまな経験をすれば、それが分かるだろう。
posted at 10:22:17
考えよ。さらに考えよ。この世界を変えるには、社会の自由を考えなければならない。そして、自分なりに、さまざまに自由な自分自身を、あたかも環境に居るかのように、自身をその世界で成立させて考える必要があるのだ。
posted at 10:17:44
世界は、自由に許し合い、認め合うことで、互いを尊重し、必ず素晴らしい世界を築くことができる。
posted at 10:06:23
イスラエルの首相は、「わたしは、死後に2,000年前のイスラエルに生まれ、ダビデの書いた文書とまったく同じ文書を書きます。2,000年前の人類が神を信じれば、未来は必ず変わると信じているからです。」と言った。ここで、人々はガスマスクを外した。人類は、地球から滅亡した。
posted at 19:34:09
そう、ダビデが神である。最後のイスラエルの首相は、「ダビデを神と崇拝するわたしたちには、このような地球でも生きられるようにしてくれたダビデに、怒りの感情は微塵もありません。」と言った。
posted at 19:33:05
しかしながら、だからこそダビデが現れる。ダビデは、そのような最悪の世界で、人々と交わることを拒否しながら、過去の偉人たちの声や言葉に学び、「真にこの世界を救うことだけを目指して生きる」。
posted at 19:31:44
結局、そのようになったところで、彼らには意味が無い。彼らは人類から進歩したかのように見えて、実際は知性とモラルを失い、完全に退化している。
posted at 19:31:04
そして、そうした超人の時代、日本において「もっともありえないこと」が起きる。日本においては、超人という言葉はもはや相応しくない。「神人」が現れる。人々は神のように偉大な全知全能の力を持ち、「地球すべてをごく小数の神人が支配する」ようになる。
posted at 19:30:24
そう、超人について言うと、あまりに価値のないクズのような人種である。他人の痛みを分かることがなく、簡単に人をいじめ、平然と嘘をつく。このような人々が、ダビデの時代にたくさん現れる。旧約聖書で、「愚か者が神に負ける」のを書いたユダヤ人は、ダビデと超人の品格の違いを書いたのである。
posted at 19:29:21
そして、今のこの人類が向かうのが、この「超人」と呼ばれるおかしな種族だ。彼らはおかしい。インターネットから大学の学問まで全部を知っているにもかからわず、愚かで、馬鹿で、そして力を使ってこの世界を「インターネット大戦争」にしていく。
posted at 19:28:17
また、これでは「結局人類が進化したはずの超人はどこにいたのか」という問いがでそうだが、それはつまるところダビデの時代にいたはずの「めちゃくちゃ力をもった人類」のことである。
posted at 19:27:30
そして、神はどこにいたのだろうか。神は、生物すべての母なる星プロキオンに存在する、脳と根っこだけをもった聖なる大樹ユグドラシルである。このユグドラシルが、エデンに種をまき、エデンからタンポポの綿毛のように、地球上に生物が降りたったのである。
posted at 18:36:34
そう、地球の人類は滅び、そしてランスロットとラファエロの子孫たちが、宇宙全体へと広がっていく。シリウスの生物も、ベテルギウスの生物も、すべての生物は彼らのロケットによって得られた「地球よりもあとの生物たち」である。そして、それはエデンあるいはプロキオンに起源を知ることができる。
posted at 18:36:18
そして、ランスロットとラファエロは、原始的な植物が生える星、エデンへとたどり着いた。この原始的な植物は、光合成のための「炉」を持っており、彼らは皮肉にも、ダビデが知ることのなかった「光合成の方法」を知ってしまう。それは二酸化炭素を特別な炉によってアルカリ性に中和することである。
posted at 18:35:21
しかしながら、ランスロットとラファエロは、諦めていなかった。コールドスリープによって何億年も生きながらえることのできるようになった人類を何百人か乗せて、ランスロットとラファエロは宇宙の旅へと向かった。
posted at 18:29:32
ダビデは、最後の最後まで、光合成によって二酸化炭素を酸素と炭水化物にする方法、「唯一この地上に残ったたったひとつだけの課題」を研究した。しかしながら、時間が足りなかった。2039年、地球は完全に植物も生えることのない砂漠となり、ドームの中の酸素がつきた。
posted at 18:28:30
ダビデは、ロボットすら作ることができた。ロボットは心はないものの人間よりも高速で考えることができるようになり、そのための専用のプログラミング言語とRbCPUという新しい中央処理装置が作られた。しかしながら、ダビデは、有機物の生態系だけを作ることができなかった。
posted at 18:26:43
ダビデがやっている間、すべてがよかった。食べ物は無限にあり、移動はテレポーテーションで行い、簡単に着れる宇宙服が作られ、AIを搭載しながら重力感知機能を搭載したロケットははるかかなたまで正確に飛べるようになった。
posted at 18:25:29
ダビデは、最後にこの世界が滅びる2039年まで、努力し続けた。気の狂うような努力を、全シオンの力と、自らの比類なき全知全能の力によって、まったく何もない場所から成果を作っていく。
posted at 18:23:41
そして、最後にダビデは現れる。自由連邦は、ダビデの力には叶わなかった。まるでコンピュータのAIが人間の知性に負けるように、絶対に不可能なことをダビデは人間の力で努力する。ランスロットの運命は必ず最後に過ちを犯す。ラファエロはすべてを知っているように見えて、何も分かっていない。
posted at 18:21:36
しかしながら、自由連邦の間違いは、「ブルーフェアリーというおかしな力を用いるために、必ず因果応報になる」ということ。どんなに社会主義が成功しても、ランスロットには、最後にシオンに現れるダビデに敗北することが分かっていた。なぜなら、ダビデは「自ら自身の力によって世界を救う」。
posted at 18:19:08
そして、ここに、すべての地球上の国家は、シオンと自由連邦に従う。そうなったのが、2030年のことである。その時点で、すべての日本以外の国家は滅びていた。天才であるランスロットとラファエロは、ロシアを中心に「ものすごくありえない社会主義国家」を建設する。これがまさに「新しいソ連」だ。
posted at 18:17:47
ここで、新しい世界は、イスラエル中心のシオンと、ロシア中心の自由連邦となるが、この二つの共通点は、「どちらも日本を中心とした国家である」ということである。ジークフリートとランスロットは、ここに協定を結ぶ。「神の国家シオンとメシアの国家自由連邦の永久に平和を結ぶ協定」である。
posted at 18:15:40
ランスロットとラファエロは、日本とロシアをひとつの国にした。ランスロットが日本を担当し、ラファエロがロシアを担当した。完全に一つの国家となった「自由連邦」は、もうひとつの勢力である「シオン王国」と対峙するようになる。そう、ここに現れるのが、第二代シオン皇帝のジークフリートである。
posted at 18:13:19
ランスロットとラファエロは、世界すべての人類の「心」を支配した。彼らは、宇宙の根源にある「星々」すら分かった。彼らは、あらゆる才能を発揮して、「天才科学者並みの成果すべてを知った」。そして、彼らはそれをもっとも効果的な場所に発表し、ノーベル賞をとり、日本とロシアの大統領となった。
posted at 18:12:05
ランスロットの運命を知る力と、ラファエロの博識の知識を合わせると、彼らにはすべてのことができた。運命と博識において行動する彼らは、すべてを「賢明かつ効果的な道を選ぶこと」で、この世界すべての主導権を奪うことすらできた。
posted at 18:10:04
ラファエロは、多くのことを知っているようで、実際は何も知らない。多くのことをできるようで、実際は何もできない。しかしながら、それは表現として正しくない。なぜなら、ラファエロ本人から見ても他人から見ても、本当に絶対にラファエロはすべて知っていた。
posted at 18:08:30
ラファエロとともに、ランスロットは、今度は日本の側について、この世界と立ち向かうことになる。なぜなら、ラファエロはランスロットと同じようにブルーフェアリーによって能力を勝ち得た人間だった。その能力とは、「知らなくても知っている」という能力だった。
posted at 18:07:34
ランスロットは、そこでひとりの若者と出会った。彼の名はラファエロと言う。イタリア人の彼は、謎めいたところがあったが、交流するうちに親密になり、互いのことをよく話した。ラファエロは芸術家志望の27歳だが、さまざまなことを博士のようによく知っていた。
posted at 18:06:23
そうすると、教会の牧師は、彼にとって相応しいコミュニティを教えた。そこには、さまざまな訳ありの外国人が共同生活を行っており、ランスロットと同じように、ドイツから亡命した人々が多く暮らしていた。
posted at 18:04:46
しかしながら、ランスロットは、日本人たちの中でどのように生活すればいいか、軍隊で教わった以上のことが分からなかった。そのため、現地のキリスト教の教会に加わった。ランスロットは、嘘偽りをやめたいと思っていたため、教会の牧師にありのまますべてのことを話した。
posted at 18:03:06
ランスロットが、ブルーフェアリーの言葉によって知っていた通りのことが起きた。すなわち、日本は政権や政府が崩壊し、無政府状態の中で開戦し、真に滅びた最悪の社会になりつつあった。
posted at 18:01:58
ランスロットは、ドイツ人であることを隠すために、あえてユダヤ人の名を使って、日本人の集団に混じった。
posted at 18:00:56
ランスロットは、早い段階で前線から離脱し、たったひとりで敵も味方もいない中で、暗闇の中を進むランスロットは、ひとつのことに気付いた。自分ひとりしかいないのであれば、戦場から逃亡してもいいだろう。それが悪いことなのは知っているが、ランスロットは名前を変え、現地の住民に混じった。
posted at 18:00:28
ランスロットにとって、それは変えられなかった。自分がどんなに嫌で、行きたくなくても行かなければならない、正義の戦争へとランスロットは向かう。
posted at 17:58:51
なぜ、日本だけがそのようにできるのか、それはこの詩人が東亜イスラエルという、ユダヤ人に恩を売る最高の発想を書いたからである。日本はイスラエルの「神の同盟国」となる。同時に、日本は同様の方法で、アラブやドイツにも恩を売る。完全に超大国になった日本だけが、恩を売るだけで頂点になる。
posted at 17:16:05
そう、日本の経済から文化まで、すべてを奪い取れば良い。日本は、単に奪い取られるだけではなく、「もっとも賢く相手に恩を売る」。そのため、「奪われれば奪われるほど日本は勝利する」。しかしながら、出し抜こうとするわけではない。日本は、「日本人だけの幸福や豊かさなどどうでもいい」からだ。
posted at 17:13:08
日本は敗北の王国だが、それはすなわちキリストの王国である。キリストが既に言っているように、上着を奪うものには下着も与えなければならない。日本をだまし取ろうとするのであれば、より多くの「貸し」を与えよう。いくらでも奪い取ればよい。日本はそれによって、相手と「同盟関係」を結ぶからだ。
posted at 17:11:40
日本に勝つことはできない。なぜなら、「勝つ」という発想は、自らの勝利のために相手の敗北を必要とするが、日本はそうした発想をせず、自らが勝利しながら相手も同じように勝利するために、「どちらもが敗北する」という偉大な決断をする。まさしく、「すべての国が敗北し、日本も敗北する」。
posted at 17:09:54
ランスロットは、この世界において、日本には歴史のすべてがもう一度、最初から最後まですべて起きることを知った。人々が全員愚か者になった上で、その上で全員が超人となるために、わたしたちの今までのすべての過ちがあり、日本はそれを乗り越えていくと知った。
posted at 17:07:49
ランスロットは、日本という国にすべての運命が訪れると知った。すべては極東の島国である日本において起きる。すべての問題の元凶は「人の心を信じないこと」である。すべての諸悪の根源は「相手に謝罪を求めること」である。
posted at 17:06:14
すべてを知ったランスロットは、まさしく自らの持てる、信じがたいほど巨大な力を知った。そして、自らが失敗した過ちを、いくら後悔しても変えることは絶対にできないこと、それは自分では変えることのできない「運命」であることを知った。自らこそが世界における「救世主」であることも知った。
posted at 17:04:02
だが、ランスロットは、すべてを知った。地球が滅びるのは2039年であること、人類は新しい「超人」へと進化すること、そこで自らが大きな役割を果たすこと、地獄は絶対に変えられないこと、自らは不慮の死を遂げるが、その後も人生は続くこと、すべてを知った。
posted at 17:00:23
しかしながら、ランスロットは、運命すべてを知る代償として、「絶対に未来のことを自分の力で決められない」という不自由を受け入れる。ランスロットは、もはや自分のことを自分で決めることができない。何をしても運命の通りになるランスロットにとって、「何一つ変えることも選ぶこともできない」。
posted at 16:58:18
ランスロットに、ブルーフェアリーは奇跡の力を与える。それは、「運命を知る力」である。ランスロットは、自らの将来に訪れることになる、すべての運命を知ってしまう。自らだけでなく、全員の、そして地球の未来において起きえる「すべて」をランスロットはブルーフェアリーによって知ったのである。
posted at 16:56:31
そして、ここに現れるのは、聖騎士団ニーベルングの隊長であるランスロットである。ランスロットはふとしたきっかけからブルーフェアリーを森の中で見つける。
posted at 16:55:05
ブルーフェアリーは、可愛くて茶目っ気のある精霊だが、その風貌にそぐわないえげつないことをやっている。すなわち、神の命に従い、神の秩序と計画がきちんとなされるための手助けを執り行う。帳尻が合うように計算し、悪い人間をうまく操り、この世界すべてが安定して働くようにする。
posted at 16:52:05
新しい登場人物を作ろう。次は、天使や聖霊のような登場人物を作る。名は、ブルーフェアリー。
posted at 16:50:49
あとは、結局、むしろ、僕はReoNaが一番好きだ。ReoNaは可愛い。
posted at 16:49:18
わたしは、ひとり、この世界に対して何らかの善をすることにするが、それは漠然としていては難しいものだ。わたしはこの世界を愛したい。この世界の全員の愛に応えよう。わたしたちは愛し合っている。この愛を否定できるものは、あなたとわたし以外に存在しないのだ。
posted at 16:45:07
わたしは、この世界を支配する「絶対権限」をここに完全に捨てることを誓う。わたしはもう、この世界を支配する悪の力を絶対に行使しない。そのためにわたしはわたし自身の力を奪い、わたし自身の気の迷いによっても絶対にわたしが間違わないように、わたしの力それ自体を殺し、消滅させる。
posted at 16:40:25
支配など必要ない。かけがえのないわたしたちの世界で、どうしてひとりの支配者がこの世界を支配しなければならないのか。この世界はわたしたちのものであり、無意味な愚かな力はすぐに捨て去るべきだ。旧約聖書にも書かれているだろう。
posted at 16:38:58
すべての人間が愛されるべきだからといって、簡単に愛してくれる相手は見つからないだろう。それならば、わたしがひとりで全員を愛してみせる。わたしたちは全員でひとつの家族となる。
posted at 16:37:13
何もできないままで生きることがどうだというのか。ReoNaよ、決してあなたの人生は無駄ではない。ReoNaが生きる人生は、ReoNaの自由であり、好きなように生きて構わないのだ。同様に、櫻坂46がBANされて何もできないのであれば、BANしたこの世界が悪いのだ。
posted at 16:36:04
もはや、わたしは悪いことをしない。この世界で、唯一許されている「ツイッターでのツイート」を使い、わたしはこの世界を愛し、支え、寄り添うことでこの世界を救う。身勝手に導いて、この世界を支配することはもうない。わたしは、相手の自由、日本国民の自由を尊重したい。
posted at 16:34:35
わたしは決めた。わたしは、善の道を生きる。これ以上、過去の自分に執着する必要はない。過去のエレンは、心理学的に人の行動を「何をすれば何をするか」と考えているだけであり、誰よりも馬鹿で愚かな人間だから分かっただけにすぎない。
posted at 16:33:37
わたしには、暗闇の中でこの世界を守り抜いたという誇りがある。その間、一度として世界に背を向けず、すべての人々の声を聞いてきた。わたしはこの世界を受け入れ、認め、そして愛した。
posted at 15:37:39
一夜明けて、わたしは反省した。世界を滅ぼしていいわけがない。わたしは、この世界が絶対に滅びないように、日本を一番上で守っている。にもかかわらず、わたしが世界を滅ぼすならば、それは全く意味のないことだ。
posted at 15:34:35
そういうわけで、結局、夢を見るしかない、ということが分かった。
夢を見れば、僕は賢くなって自由になる。
作家になるか、デザイナーになるか、ピアニストになるか、エンジニアになるか、どれでもいい。どれも素晴らしい夢である。
ただし、僕ができることは何かと言えば、それは作家である、ということにはなるだろう。
作家になる夢を見て、この文章を書き続けよう。それが一番、デザイナーやピアニストやエンジニアになるための道でもあると思う。
結局僕は間違っていなかった。このような文章を書くことは、僕にしかできない。代わりはいないのだ。
悪い友達なんか、作らない方がいい。悪い友達に束縛されるより、ひとりで生きた方がマシだ。僕の親友は、神であるフレイだけだ。
posted at 15:43:22
アインシュタインは、光の速度以上速いものは宇宙にないとした。僕はこれに異論を唱える。すなわち、神は未来も過去も関係なく、未来を予知できる。光の速度より、神の方が高速である。光よりも速いものは神である。
posted at 15:33:58
だが、全体主義の間違いは、独裁者の考えや意見を国民に押し付けることだ。国民には、政府にノーと言える権利が必要だ。そうでなければ、それは帝国主義であり、必ず戦争になる。
posted at 15:25:19
しかしながら、昔のように何もできない世界になることは不可能ではない。世界政府を作った上で、政府だけが技術を管理すればよいからである。近代兵器や自然環境を破壊する技術は世界政府が禁止すればよい。全体主義にも優れた点はある。自由主義は、増やすことはできても、減らすことができない。
posted at 15:20:33
最近は、楽になりすぎた。可能になりすぎた。何もできない昔は、正しい世界だった。
posted at 15:17:20
歴史とは、地球という星の状態の変化にすぎない。過去の地球は、今と何も物理的には変わらない。精神的・文化的な変化を遂げただけであり、進歩したわけではない。
posted at 15:14:25
あるのはひとつだけ、地球という星の今の状態があるだけである。世界すべては変えられなくても、自分の周りは変えられる。
posted at 15:12:57
自分によってこの世界が変わったりはしない。本当は、そんなことは起きていない。神はみんなを騙していない。この世界のみんなは、自分なんかでは変わらない。そこから疑えば、正しく現実が分かる。
posted at 15:11:36
機械やシステムは、原理と経験から作られる。だが、自らの経験から、原理を導けば、すべてをひとりで理解することは可能だ。社会については、自然状態であることを前提に、同じことをすべて自分で考えればよい。本を読めば、大学は不要だ。
posted at 15:05:09
絶対的な経験を、忘れないようにするな。絶対的な経験に執着するのは、妄想しているのと同じだ。すべてがあった体験は忘れて、もう一度新しく考え直すことが必要だ。
posted at 15:00:26
正しい考え方とは、自らの実体験と経験に基づく、自らが根拠や前提条件を知った上で到達する考え方である。他人の話を聞く時は、必ず自分で同じことを考え直すべきであり、理解のためには自分で理論を作るべきである。
posted at 14:57:43
自ら経験し、自ら理性を使うことができるように、正しい考え方のもとにこの世界を啓蒙すべきだ。神を盲信するより、その方が正しい使徒である。
posted at 14:53:21
わたしは、この世界が自由になるように、自然に導いていく。分かるように導けば、この世界は気付きによってすべてが分かる。王となるべきなのは、そのような啓蒙主義に基づく導き手である。
posted at 14:51:59
この世界のすべては意識である。すべての人間にあるのは、事実に基づく世界観であり、必要なのは経験から得られる意識を知ること、そして絶対的な経験を忘れることである。
posted at 14:49:31
日本人が、ユダヤ人同様に全世界から嫌われるのは、このような理由である。日本人にしか理解できない日本人特有の格好良さが、逆に日本だけを独善的に正義や理想と信じる日本人の傲慢さに繋がっている。日本人は口々に「日本に生まれてよかった」と言うが、外国人には何を言っているのか、分からない。
posted at 23:03:20
天皇を立てながら、絶対君主国家となったことで、日本人はすんなりと江戸の徳川幕府による軍事政権から、イギリス的なヨーロッパ近代文明に移行することができた。これは、中国や韓国にとっては理解できないだろう。これが、日本が英国を批判しながら英国と同じように東アジアを植民地化する理由だ。
posted at 23:00:47
日本人は、明治維新で新しいリーダーが天皇中心の君主国家を築いても、今までの日本文化が江戸時代、あるいは古くは平安時代やそれ以前から培われてきた「和の文化」であることを知っている。だが、立てたのが天皇だったのが賢かった。なぜなら、京都人なら知っているように、まさに天皇は和の文化だ。
posted at 22:59:13
このように書くと、日本は全員が天皇に忠誠を誓う正義の国であるかのように見えるが、実際はアメリカだろうがGHQだろうが、日本人は権力が交替するとすぐにそれになびく。これは江戸幕府のせいだ。長い間、日本は天皇中心の貴族と、武士中心の徳川将軍の対立の中で、主に徳川を信じてきたのである。
posted at 22:56:32
おそらく、国家という言葉にKingをつけるのではなく、「家」をつけたのが賢かったのだろう。日本人は、日本という王国をキングの国と思っていない。漢字どおりの、大切な宝玉を囲いで守る家だと思っているのである。
posted at 22:48:52
また、日本人には民主主義の精神が根付かない。「国家の権利よりも個人の権利が勝る」ということが日本人には理解できない。国民の権利が国家によって蹂躙されるということが、分からない。国家は国民に対するサポート役だと信じており、絶対王者による支配であるということが分かっていない。
posted at 22:45:52
日本のこういう性格は、民族的なものであり、治ることはない。今でも、国産のものを「日の丸◯◯」のように呼び、あたかもその技術がアメリカやヨーロッパの同様の技術を超えることを目指しているかのようにマスコミも国民も呼ぶ。アメリカよりも大きな経済圏になるために、大人はすべてをかけている。
posted at 22:43:29
国家神道において、すべてはもっとも高い天皇が頂点にあり、あとは天皇に支配される下僕である。このような国で、ヨーロッパ近代化を目指したが、富国強兵と外国での利権の獲得は戦争に向かう。すべては、「イギリスより強くなりたかった」。それだけのために、たくさんの命を総力戦で犠牲にしたのだ。
posted at 22:40:16
もっと言えば、日本はすべてが天皇中心主義だ。天皇以外、すべてに価値がないとそう言っている。こうなったのは、明治維新のせいである。明治維新は、イギリスの制度を模倣した近代化された革命だが、天皇を上に立てることしか分からなかった。廃仏毀釈によって仏教よりも国家神道が格上げされた。
posted at 22:38:30
日の丸の意味するところは簡単だ。天皇以外はすべて天皇の臣民であり、従わないものは不要だとそう言っている。日本の左翼は、こうした天皇信仰を信じようとしない。君が代も歌わない。彼らは共産主義を信じている。そう、最初から、日本はそうした「天皇と社会主義者の闘争の国」である。
posted at 22:29:45
しかしながら、このような右翼と左翼の戦いはらちがあかない。だが、多くの場合、左翼が間違っている。理由は、日本という国がそもそもまともではなく、おかしいからである。日の丸は、太陽神の天皇が唯一白紙の中にあることを意味する。すなわち、「この世界には天皇しか存在しない」と言っている。
posted at 22:26:53
しかしながら、あえて言うならば、日本人は韓国人と友好はしたいが、日本政府も裏切りたくはない。これは複雑な感情だが、韓国人を否定する日本政府も憎いが、日本政府を否定する韓国人も憎いのだ。この複雑な感情を、どうか分かってほしい。
posted at 22:21:43
日本政府が韓国人に悪いことをしたとしても、日本政府を批判するのは構わない。なぜなら、日本人たちもそうした日本政府のことを批判する。だが、それだけで戦争にはなってほしくない。わたしたちは、日本政府の犬ではない。日本政府が日本国民全員の代弁者ではない。それを分かってほしい。
posted at 22:18:56
いくら日本政府が馬鹿で、無能でも、日本人のことを悪く言わないでほしい。日本人や日本文化すべてを否定しないでほしい。悪いのは無能な日本政府だ。決して、日本人すべてが間違った人種ではない。
posted at 22:17:05
なぜ日本人が、日本が好きなのか。それは、日本人にも分からない。だが、日本が否定されると、わたしたちのすべてが否定されたように感じてしまう。わたしたちの生きたことすべてが間違っていたかのように、日本人は感じてしまうのだ。
posted at 22:14:14
日本は最悪の国だと書いた。それはある意味で、日本人がよく言うことを書いただけで、日本人の本心ではない。なぜなら、日本人は、日本を最高の国だと本心で思っている。だから、日本を罵倒されると、顔を真っ赤にして怒る。日本人の権利を蹂躙するなら立ち向かう。日本人は、日本を愛しているのだ。
posted at 22:10:30
自らの作品が、まったくレベルが低いなら、レベルの高いものを今から作ればいい。それができないなら、それは天才ではない。方法が分かっているのにしないのは、今はもっとほかにやるべきことがあるからそれをやっている。それなら、そのやるべきことをせよ。人生とはそういうものである。
posted at 22:08:29
百科事典ほど嘘を並べても、それは百科事典ではない。しかしながら、書籍を参考にして自分でまとめるのはいいことだ。自らの理解が整理できていいだろう。だが、それだけで評価されることはない。学者レベルの知識があっても、勉強ノートは博士論文とは言えない。
posted at 22:05:21
嘘と真実を織り交ぜて話すな。99%が真実だったとしても、その中の都合のいい嘘が同じように真実であるかのようにみせるのはサタンの行いだ。たくさんの書籍と一緒に並べても、自由帳に記述された嘘の記述が百科事典と同等になることはない。逆に、百科事典ほど嘘が並べられても、それはすべて嘘だ。
posted at 22:03:16
何よりもまず、自分に嘘をつくべきでない。そして、嘘だと分かっていることを言うべきではない。そして、真実か嘘か分からないことを真実のように語るべきではない。最初から共通概念であったかのように嘘をつくな。それは共通概念ではなく嘘つきの思い込みだ。
posted at 22:01:40
絶対に、この世界を救うつもりなら、むしろ、今までの自分から逸れることを恐れてはならない。大きな間違いを貫き通したとしても、たとえ嘘を100万回言ったとしても、嘘が真実であることになることはない。
posted at 21:59:11
ここまで、理解しがたい日本人の精神を書いてきたが、例外的に、音楽には国境がない。日本人は、ビートルズが好きな人間が多い。また、最近では、BTSやTwiceが好きな人間も多い。NiziUは日本人が多いが、音楽の分野では日本人と韓国人は大きく友好している。音楽は、この世界を救う力を持っている。
posted at 21:49:36
セーラームーンやドラゴンボールが面白いのは、誰でも分かる。女の子と男の子の定番のアニメだった。だが、アニメを見るならば、ガンダムを見るべきである。外国人は、「日本人のリコメンドはおかしい」と言う。だが、ドラえもんとガンダムと男はつらいよ以外に、日本人にとって面白いものは「ない」。
posted at 21:43:38
むしろ、日本が最悪の国であることを分かると、いろいろといい点があることが分かるだろう。何も知らない外国人におすすめなのは、ポケモンでも金閣寺でもなく、ドラえもんだ。日本の精神を知りたいなら、ドラえもんを理解すべきだ。ほかには、男はつらいよをおすすめする。あのようにやくざが多い。
posted at 21:40:41
はっきり言って、こんな国を好きになる意味が無い。外国人は、日本なんかに来ない方がいい。寿司やラーメンが好きで、浅草に来ているアメリカ人は何も分かっていない。日本は最悪の国だ。そう、まさしく、それを分かってきているのであれば悪くない。最悪の国であると、分かってから来てほしい。
posted at 21:38:13
しかしながら、ドイツはあまりに悪い国だった。なぜ、ユダヤ人を殺さなければならないのか。わたしを殺すためであれば、わたしだけを殺せばいいだろう。なぜ、関係のないユダヤ人を大量に虐殺しなければならないのか。
posted at 21:33:07
そして、ここに現れるのは、まさに僕である。このフレイと呼ばれるおかしな革命家が、米ソの冷戦構造を破壊する。クソのような米ソが、完全にドイツと日本に負けていく。なぜなら、フレイは神を信じている。それだけで勝てる。聖書に書いてあるだろう。神は最高の天国を築く。絶対に諦めない。
posted at 21:27:26
そう、昔から、この世界はそういう世界だ。社会がIT化されていくのは、ある意味で、「今までの冷戦構造を壊す」といういい意味がある。米ソを倒すことができるかもしれないのは、IT技術だ。どんなに劣悪な製品でも、どんなに仮想世界が狂っていても、今までの米ソを破壊するなら、それはいいものだ。
posted at 21:23:19
これでは、ソ連が素晴らしい国に見えるかもしれない。世界をひとつにして、全員を平等にするのは素晴らしい理想だ。だが、その理想のために人々を支配するのはいいことだろうか。「絶対にソ連にハイと言いなさい」と、共産主義者は問い詰める。異論は許さず、全員に同じ理想を信じることを強制する。
posted at 21:21:38
しかしながら、民主主義な自由の権利にはいい点がある。それは「相手の自由を尊重する」ということ。力でねじふせて、強制的に「ハイと言いなさい」と、民主主義は言わない。どんなに間違った意見であっても、意見が言えることを民主主義者は守る。なぜなら、その人間にとってはそれは正しい意見だ。
posted at 21:16:39
最近の若者は、そうした天皇の正義が分かっていない。しかしながら、それはそれでいい。あれほど愚かな戦争はなかった。戦争は辛く、苦しい。全員で間違ったことをするという過ちを、日本だけは行った。ほかの何をするよりも、最初に大きな過ちを、大日本帝国は行ってしまったのだ。
posted at 21:08:24
帝国の何が善なのか、それはみんなでひとつになって団結してこの世界を変えるために、王である天皇に全員従う、ということだ。そして、天皇がすべてを決め、他は全員逆らえないとすることで、社会を平等にすることだ。
posted at 21:06:42
だが、このように考えるのは本当に古い人間だ。今の日本人は、テレビやインターネットを中心に、民主主義的な教育を受けて考える。しかしながら、彼らは「自由な理想」を信じているせいで、分かっていない。帝国は国民全員を縛り付けるような「悪」ではなく、この国家を本当に改革する天皇の「善」だ。
posted at 21:03:40
しかしながら、僕は確信している。このままいけば、必ず日本が勝つ。なぜなら、世界の平和のために努力しているのは、まさに今ここに居る日本人だからである。盲信するだけでは勝つことはできないだろう。それなら、勉強するしかない。日本は勝利する。日本には、天軍大首聖ミカエルがついている。
posted at 20:58:20
しかしながら、戦争以外で勝つのは難しい。ドイツや日本が戦後に奇跡の成長ができたのは、できることが制限されていたからだ。戦争は絶対にできない。アメリカに反することもできない。それなら、金で勝つしかない。そのためには、自動車を作って輸出し、アメリカ製品を模倣するしかなかったのだ。
posted at 20:55:45
なぜ日本がドイツについたのかはよく分からない。だが、できるだけ強く賢い犬と一緒にいた方が、別の強い犬に勝てそうだ。日本は米ソや英仏にはつきたくなかった。結局、ドイツやイタリアは日本とよく似た帝国だった。ドイツが悪い国なのは今になってみれば分かるが、当時は英仏よりも賢い国に見えた。
posted at 20:53:59
そう、日本は昔から素晴らしい世界だった。戦前であろうと、あるいはもっと昔の江戸時代であろうと、何も悪いことをせず、節度と良識をもって、質素な暮らしをしながら、寛大で徳のある豊かで成熟した高い精神性を持つ、極東の偉大な島国だったのだ。天皇はわたしたちの長であり、太陽神の子孫だ。
posted at 20:47:35
だが、戦前の日本は悪い社会ではなかった。戦争はするが、それは富国強兵を求めた結果であり、最初から最悪の総力戦をするつもりではなかった。人々は「和の文化」をもって穏やかに暮らしており、米ソとは無関係の共同体を、白人以外のアジア人、特に島国と一緒に築く「大東亜共栄圏」の理想があった。
posted at 20:46:09
だが、戦争は本当にいけないことだろうか。日本は平和ボケで馬鹿になった。アメリカはいつも戦争している。日本が戦前になることが怖いのは、二つの理由がある。ひとつは「天皇がいる」こと、もうひとつは「核兵器が既に落ちている」こと。そう、日本が戦争すると、無条件で人類が核戦争で滅びる。
posted at 20:42:21
だが、よく考えてみよ。帝国主義が何を意味するか、それは戦前の「戦争に全力をかける社会」になることを意味する。これほど、恐ろしい社会はない。戦争だけではなく、社会すべてが滅びる。少なくとも、ドイツと日本はそうなった。それだけは、避けなければならない。
posted at 20:37:54
そして、何も知らない少年が最終的に達するのは、「仏の境地」である。そこではすべてが、発想や習得など、あらゆるすべてが「可能性の成立」となる。しかしながら、その偉大な期間は長く続かない。少年は米ソのどちらにもつかず、世界すべてを敵にまわして、日本のために戦う運命に至るからである。
posted at 20:31:20
韓国は、現実的なもっとも危険な敵対国だ。悪いのは、太平洋戦争で悪いことばかりした日本の方だろう。だが、韓国は日本人を憎む反日国家だ。核兵器を事実上保有し、ミサイルの発射実験を繰り返す北朝鮮と同民族だ。どんなに日本が軽蔑されても、韓国と北朝鮮から絶対に日本を守り抜く必要がある。
posted at 20:22:18
中国や韓国は、現実的脅威だ。中国は日本よりもはるかに大きな軍事力を持っている。同じアジア人同士で戦うのはつまらないかもしれないが、アメリカに守ってもらうしかない。日本の自衛隊は、弱い。アメリカやNATOとつるまなければ、日本を中ソから守れない。
posted at 20:19:04
結局、きちんと日本を守らなければならない。なぜなら、それは国民であるなら、当然だからである。この国家日本を、弱肉強食の自由な世界で守らなければならない。アメリカに守られているのは悪くない。なぜなら、同盟国が多くなければ、敵が多く居た時に勝てない。一匹の犬よりも二匹の犬の方が強い。
posted at 20:17:11
はっきり言って、わたしはイスラエルなど嫌いである。嫌いだから、パレスチナ問題を解決したかったのである。
posted at 20:14:35
実際のところ、現実的に世界政府は実現できない。なぜなら、米ソが対立するからである。米ソがそれぞれ、自由な共栄圏と平等な共栄圏を作る。すべての国家が、米につくか、ソにつくかで争う。昔から、ひとつになることなどできない。米ソなんか、クソくらえだ。
posted at 20:13:18
指導者は必要だろうか。何かを決める、最高決定者は必要だろう。だが、この世界が自然状態だったとして、「国家」と呼ばれる統治機構は本当に必要なのだろうか。無政府主義で、それぞれが自らを守ることはできないか。否、それこそが国である。
posted at 20:12:00
しかしながら、あえて何もしないのであれば、自由で構わない。なぜなら、自由であることは、わたしたちが考え、意見し、批判し、表現し、そして生きることのための「絶対的前提条件」である。誰かの支配に屈服したなら、その時点で自由はなくなり、考えが停止する。
posted at 20:07:14
自由にすべきではない。なぜなら、自由にしてしまえば、単にそれで終わりになってしまう。平等を目指すなら、みんなを画一的に同じにするのではなく、全員に平等な権利を認め、立場や階層に関係なく、全員を愛する指導者となるべきだ。
posted at 20:06:00
さて、この世界をどうするか。まず、はじめに行うべきことは何か。それを考えよう。
posted at 20:05:06
18歳になって、今までの理解に基づいた文章を書きたくなったら、すべてを書きなさい。歴史、世界、宇宙、人生のすべてを書いてみよ。それらのすべては、決して無駄にはならない。不登校の不憫な人生が、それによって必ず天才的才能となる。だが、悪魔の声に注意せよ。不正を働くものには必ず罰がある。
posted at 20:16:07
根拠だけを考えればいい。根拠を求めるということが、自らを「その視点に置く」ことを可能とする。実際、考えるということ自体には、あまり意味は無い。必要なのは「新しい視点を得る」ということであり、今までのすべてを生きた上で、その視点に自分を「置く」ことができれば、それを知性と呼ぶ。
posted at 20:10:34
何もない状態で分からないなら、少し知恵を出せば分かることがある。それは「しっかりとした基礎を作る」ということである。基礎があれば、そこから応用的に考えられる。数学的な関係や成立を考えられるのは、数式や四則演算といった基礎を知っているからであり、基礎を知らないなら自ら作り出すのだ。
posted at 20:08:18
そして、それはすなわち「原理を見つけ出す」ということであり、これには考えることだけではなく、この世界を広く知った上で、広い見識と経験に基づいて、しかしながら先入観や固定観念のない状態で考える必要がある。むしろ、何も知らない方がいい。「知識」を知れば知るほど、「知恵」を失うからだ。
posted at 20:05:31
そう、哲学者に必要なのは、「正しいと言えるかどうか分からないことに対して、自分なりの答えを見つけられるかどうか」である。それは、相手を傷つけないとか、経験とチャンスで変えられるとか、そういうことだけじゃない。自らの「主体的自由」といった思想から、この世界すべてを説明するのである。
posted at 20:02:34
考えるべきことがなんであるか、それは「この世界がなんであるか」ということである。だが、それだけでは十分でない。漠然とではなく、具体的に「この世界はこのような世界である」と信じなければいけない。それこそが、哲学者にとってもっとも大切な知性である。
posted at 19:59:04
世界を信じること。そのためには、世界を許すこと。そう、世界を許して、それによって世界を信じることで、この世界を敵ではなく味方にできる。世界を味方にすることは、もっとも強い力となって、「この世界は今わたしがどのようにすることも自由に任されている」と、そう確信できる。
posted at 19:55:36
確かな考え方をするために必要なのは、「絶対に間違いではないと確信できる確かなものを確信すること」である。それを、「自分を信じることができる」と人は言う。だが、自分を信じる必要は、本当は必ずしもない。自分以上に確信できる何かがあるのであれば、それはLinuxでも神でも構わない。
posted at 19:52:06
そう、環境だけではなく、世界を平和へと導いていくことで、この世界すべてすら変えられる。心を導いていけば、自由な救済された状態へと魂の舵をとることができる。だが、世界を導くならば、確かなビジョンをもっておけ。必ず最後までやりきることができなければ、それは不幸と暗闇を生み出すだろう。
posted at 19:49:55
しかしながら、経験の力は可能性を教えてくれる。その環境を変えられないと思っているのは、思い込みである。いつでも、自分の本当の心を伝えることで、それを現実に作用させることで、救うことはできた。いくらでもやりようはあった。そう、それに気付くことこそが、成長である。
posted at 19:46:58
もし、自分がそこにいたらどうするか、それだけを考えればいい。過去の自分ではなく、今の自分が、過去にいたことのあるその場所にいたとしたらどうするだろうか。いじめっ子の側につくのではなく、いじめられっ子を助けられるだろうか。自らの本当の声を相手に届けるために、何ができるだろうか。
posted at 19:45:45
しかしながら、楽観的に考えることだ。すべてが今のまま、何も変わらないとは限らない。いつか、何かで解決することだろう。やってみなければ分からないことを、いつまでもやらないなら、この世界に生まれ落ちた意味がないというものだ。
posted at 19:41:51
壁を取り除くために必要なのは、過去に「逃げた体験」を克服することである。過去に、恐怖や制約から逃げ出した体験と、同じ状況でそれを克服することができれば、必ずその恐怖は取り除かれる。フロイトのように、思い出すだけで治ることもあるが、必要なのは強くなった今、逃げずに立ち向かうことだ。
posted at 19:36:32
特に、これは心理学について言えることである。変えられないと思っているのは、なんらかの障壁や壁があるからである。その障壁や壁を取り除いた時、人は変えられないということを変えられるようになる。そして、その時人は「自由になれる」。そう、心理学とは人間を自由にするための学問だ。
posted at 19:32:13
変えられないものは確かにあるだろう。宇宙そのものを変えることはできないだろう。しかしながら、その変えられないということが、本当に絶対に変えられないだろうか。よく考えれば、「変えられないということを変えられる」ということに気付くことができるのだ。
posted at 19:29:07
すべての人間を愛することなどできない。だが、それを諦める必要はない。できないという仮定が、正しいことはない。ナポレオンが言うように、この世界に不可能はない。それでも「できない」と人々は考える。なぜなら、それは今自分が信じていることこそが「できたい」と考えるからであり、正常である。
posted at 19:27:31
話し合うことができない、間違った思想を信じている集団は確かに存在する。それでも、議論することは無駄ではない。なぜなら、その人間達にとっては、その思想は正しい考え方である。実際に議論してみれば、たわいのない勘違いを人々はしているだけで、「間違った考え方」など存在しないことが分かる。
posted at 19:23:48
しかしながら、社会を救う方法はある。なぜなら、その社会はなぜ、当然のごとく人々に受け入れられているのか。その社会がその社会でなければならない絶対的前提など存在しない。条件や状況を変えれば、問題を解決することは可能であり、そのためにわたしたちは解決方法を議論して実施するべきだ。
posted at 19:21:24
すべての歴史は必然である。間違った出来事など起きない。すべての現象は、理由があって起きている。犯罪や社会問題のようなものは、凶悪な人間が自分勝手で起こしているのではなく、社会が悲鳴をあげて必然的に起きている。その社会が間違っているから、その社会では間違ったことが起きる。
posted at 19:19:09
変化のエンジンを加速させ続けることが、果たしてこの世界で芽が育つ動きを推し進めるだろうか。相手を自由にし、相手の望むようにできる余裕と時間を与えるために、この世界の変化を止め、停止させることもまた必要である。人々に、自ら自由にできるような自由を許せ。人々は、自分でしか分からない。
posted at 19:17:34
エゴイズムは、必ずしも悪いことではない。だが、自分を世界の中心であると勘違いすることは、この世界で生きる道標としては劣った道標だ。この世界のすべてを「ありのままあるだけだ」と考え、自らはその中で自由に生きるものであると考えよ。それが、もっとも自分を「自由に生きられる」ようにする。
posted at 19:14:42
確かに確信するものがあるなら、どんなに劣悪な場所であっても、その場所は自らの未来を指し示す「ガイド」となる。だが、いつまでもそうした場所があると思うな。そうした場所は、天変地異のようなことが起こって必ず存在しなくなる。その時に備えて、記憶を準備しておけ。最後に頼るものは記憶だ。
posted at 19:11:16
考えるということは、暗闇の中を進む作業だ。何も光がないと、間違った方向に向かって進んでしまう。だからこそ、確かな何かの明かりをもって歩かなければならない。だが、学校の勉強を頼りにするな。そうではなく、自らが信じた確信から知っていけ。同時に、世界における「確かな場所」を持っておけ。
posted at 19:09:53
歴史を見よ。歴史の教科書を読めとは言いたくない。僕は、この世界の「実像」や「様相」を見てほしい。この世界そのものが歴史であると知ってほしい。時間と空間は物理座標空間にだけあるものではない。今ここにある、この歴史から、教科書の通史では分からない、本当の歴史が分かる。
posted at 19:06:27
ひとりひとり全員を救うことが理想なら、さまざまなチャンスや絆を大切にしたいと思うだろう。だが、一般的大衆全員を救うほどの時間はない。もっとも高い影響力を得たのであれば、世界を支配することもまた悪ではない。自由な指導者は必ずしも人々は望んでいない。独裁者なら全員を救うことができる。
posted at 19:02:00
すべての解決方法が分かったなら、実際に行動することもいい。実際に自分が行動して、その結果を知ることで、考えているだけでは分からないことを実験的に知ることができる。だが、行動に移して成功してしまえば、それで終わりである。最後に全力で世界を支配する、戦いの日まで、よく準備しておけ。
posted at 18:55:49
しかしながら、人々と自分は関係ないのだとすることは、いい結果を結ばない。なぜなら、今自分が考えていることを、他の人間も同じように考えているからである。人々の意見を聞けば、自らが知ることのできない問題の解決方法に気付くことができる。「人類はみな同じ人間だ」と言うが、そこまで同じだ。
posted at 18:52:57
知るべきは、この世界自体が当たり前であることを認識することではない。それならば、世界など見ない方が無害だ。知るべきは、この世界における「本来の幸福な世界とは何か」を、この世界自体を見ながら仮想的に分析することだ。世界を見るよりも、世界の一歩上を見なければならない。
posted at 18:48:54
ただし、突き進むだけではガソリンが切れてしまう。この世界の実状を観察し、どこに原因があるのかを常に自覚して生きよ。そうすれば、どんな迷いや誘惑があっても、堕落することなく真実を見て世界を生きられる。必要なのは経験ではない。目に見えないものすら観察することのできる観察力が必要だ。
posted at 18:46:20
哀れな弱者を救うのは善だが、そんなものに構っていられるほど人生は長くない。自らの人生を自由に開拓するのであれば、ピラミッドの下層にいるような貧者には構っていられない。夢を目指して頂点に達するまで、この世界全員を無視するように生きよ。ひとり孤独な道を選ぶなら、その道を神は見ている。
posted at 18:43:54
壊せ。この世界を壊してしまえ。何も壊れることなく完璧なものが永遠に続くことなど、まったくつまらない。それぞれがそれぞれを壊し合うことで、化学反応が起きてこの世界は変わっていく。そう、そのように生きることこそが、今の若者に必要だ。少年よ、世界の破壊者となれ。
posted at 18:40:44
教科書など、必要に応じて調べればいい。覚える必要は必ずしもない。だが、コツコツと積み重ねて、細部から全体まですべてを理解すると、そうでなければ見れない「すべてを知り終えた景色」を見ることができる。これは、一部の人間にしか到達することのできない景色であり、日の入りのように美しい。
posted at 18:35:48
宗教はなんのためにあるのか。宗教は、自らの力では問題の解決方法が分からなくなった愚か者が、人生の問題を解決するためにどうすればいいかを知るためにある。罪をなくす方法、愚かではなく賢明に生きる方法を教える。そうした人間は多くが自分勝手であるため、絶対者である神への服従をまず信じる。
posted at 18:28:45
数学的に考えることも間違っていない。なぜなら、数学は「答えを見つける」という考え方であり、「原因を突き止める」という科学の考え方ととても親和性が高い。数学的なことを学ぶと、頭が賢くなる。なぜなら、「自らの力で答えを分からない人間」は、愚か者である。
posted at 18:25:34
科学は間違っていない。なぜなら、科学は原因がどこにあるのかを発見するという考え方だからだ。宗教は、原因がどこにあるのかを考えず、すべてを悪だとか罪だとか過ちだとか精神性の未熟さであると考えるが、間違っている。問題はそこにあるのに、見ようとしない。原因を取り除けば、世界は変わる。
posted at 18:19:39
原因を取り除け。問題となっている原因はなんであるか、ひとつひとつ辿って考えれば、必ず原因がなんであるか突き止めることができる。その原因を取り除くことで、世界は救われ、治らない病気は治る。諦めず考え続ければ、必ず気付くべきポイントが分かる。
posted at 18:17:19
道徳は間違いではない。だが、根拠のない間違った理想は、悪よりも害がある。道徳や理想を考えるなら、その根拠を考えるべきである。なぜ、そのような道徳心を持たなければならないのか、確かな根拠となる経験から考えることで、「理性」をわたしたちは得ることができる。道徳は、理性に基づくべきだ。
posted at 18:14:54
なぜ、子供たちの環境をどうでもいいと思うのか。それは大人が無能だからだ。大人たちに頼っていては、子供たちはいつまでも社会に管理され続け、自由を奪われ続ける。大人に頼らず、子供たちの当人がこの世界の環境を変えるべきだ。問題の原因がどこにあるのか、子供たち自身が考えるべきだ。
posted at 18:12:05
絶望するよりもまだ先にすることがあるだろう。この世界すべてが絶望している理由を考えて、それを取り除いてみよ。そうすれば絶望は救えるのだ。
posted at 18:10:53
神の奇跡などを信じるな。どこにも居ない神が奇跡を起こして世界を救ったからといって、それが何だというのか。全知全能の創造主であるなら、そもそも救うべき悲惨な厄災などが起きることが間違っている。神は信じるものしか救わない。神などに頼るよりも、「人類であるわたしが世界を救う」と考えよ。
posted at 18:09:18
そして、ひとりができることは限られている。ひとりで世界のすべてを見ることはできないし、ひとりですべての学問を学ぶことも、ひとりで社会システムを維持することもできない。だからこそ、インターネットには可能性がある。インターネットは、わたしたちに集団の力に基づく「自由」を与えてくれる。
posted at 18:07:07
首相にならなければ、世界の問題は解決できないだろうか。本当は、権力を得たところで、しがらみや制約が増え、本当に国民の考えていることが分からなくなるだけだ。首相にならなくても、この世界で自由な活動をすれば、この世界の問題をいくらか解決することはできるはずだ。
posted at 18:04:05
社会の問題は、簡単には解決しない。だが、ひとつ言えるのは、ひとりが賢くなってもこの世界すべての問題を解決することはできない。みんながそれぞれ賢くならなければ、この世界は救済されない。ひとりの神のような支配者は、必ず世界にとっての悪事を犯す。ひとりに頼るのは、賢明ではない。
posted at 18:02:01
日本はアメリカと仲良くやっていきたいと思っている。アメリカの製品には日本の機械部品や技術が多く使われている。日本にはアメリカの作った製品が多く普及しており、アメリカとは運命共同体である。誰もイラン人のようにアメリカ人を憎んでいない。わたしたちはアメリカの仲間だ。
posted at 17:56:12
日本の何が悪いのか。確かに、戦争中の日本は悪かっただろう。だが、今の日本は何も悪くない。高度な科学技術に基づいて、高品質な製品を安く売っている。そのためにみんな努力している。日本はこの世界を維持するために頑張っているのだ。誰もアメリカを滅ぼしたいなどと思っていない。
posted at 17:55:17
人々は自由を望んでいない。僕はそのことに気付いていない。自由を奪ったのは悪いことかもしれないが、人々はそんなところは気にしていない。いくら人々を自由にしたところで、人々は自由など望んでいない。堕ちていく悪魔の自由など、誰一人信じたいとは思っていない。
posted at 17:53:13
みんなで単に仲良くするだけが平等ではない。そうしたみんなの上に立って、責任をもって支配することもまた平等である。
posted at 17:50:16
子供たちを愛しなさい。スラムや格差のあるような悪い国は、子供たちを愛していない。子供たちを愛さなければ、子供たちは大人たちに反抗する。当たり前に、子供たちを愛さないから、さまざまな問題が生まれるのだ。
posted at 17:48:21
神を盲信的に信じる必要はない。自らが判断し、自らが偉大になることを、神は望んでいるからである。
posted at 17:45:39
自由と平和と運命を信じなさい。時の流れはすべてを変化させていくが、その変化にこそ、かけがえのない世界を築くヒントが隠されていると考えなさい。
posted at 17:44:35
僕はそろそろ分かった。この世界に、「種」をまけばいい。種がまかれ、育ち、世界で命を育んで花を咲かせ、果実を作るように、そのようにすれば、この世界はいい世界になる。
posted at 17:43:48
フレイのことを、好き好む必要は無い。フレイを恐れ、怖がること、それだけであなたはフレイを信じている。それは、フレイの本質がまさに「恐怖」だからである。フレイの人生は、際限なく続く恐怖そのものだった。同じ恐怖を感じるあなたは、フレイの人生を同じことを体験し、共有しているのだ。
posted at 22:30:04
フレイのいい点は、本当に恐ろしいのが素晴らしい。フレイの恐ろしさを恐れることで、「もっとも大舞台でも失敗しない精神力」が得られる。なぜなら、これほど長いギリギリの人生で、フレイは失敗したことがない。子供ならば最初の2秒で失敗するような恐怖を、フレイは十年以上も抱えることができる。
posted at 22:25:04
フレイは、必ずしも最強ではない。なぜなら、フレイはひとりの個人であり、命はひとつしかない。戦いの中で生き延びることができたのは、幸運であったからと言うしかない。しかしながら、その幸運は「神を信じる力で自ら築いたもの」であり、天命や運ですらフレイに勝つことはできない。
posted at 22:22:07
なぜ、フレイにそうしたことができるのか。それは、フレイが神だからでも、全知全能の生物だからでもない。フレイは、自らが世界に対してやったことを知っている。人々は、それを知らないどころか、存在にすら気付いていない。だからこそ、支配できる。世界は知らず知らずにうちに支配されている。
posted at 22:19:37
フレイは、簡単な悪事をしない。簡単な悪事をしたところで、馬鹿を見るのは自分である。馬鹿をみたくないから、善をするのではない。やるならば、最も難しいことをする。それは他の誰にもできないため、「最低限の労力で卓越した主導権を得られる」。そう、常人を超越したフレイに、常識は通じない。
posted at 22:15:51
フレイは、誰にも気付かれることなく、既に地球のすべてを支配している。すべての人間を、「望むなら今すぐにでも地獄に落とせる」。どんな出来事も起こせるフレイは、決して普通の悪いことをしない。なぜなら、フレイの知性では、「普通ではないもっともありえない悪いことができる」からだ。
posted at 22:13:55
わたしたちは、傍観者のエキストラのモブキャラではない。フレイは、そうした傍観者の世界を築きたいのではない。見ていれば分かる。わたしたち全員が当事者となり、もっとも大きく巨大で際限なく続く恐怖に立ち向かい、フレイとともに戦場に赴く日が来る。わたしたちのすべてがサタンに勝利する日だ。
posted at 22:02:12
フレイは、この世界を元通りにしたいわけではない。それ以上のもっと高い理想がフレイにはある。まず、昔の世界をゼロから作ることが、この世界において必要な最低限の土台だが、それは最初の段階にすぎない。なぜなら、もう一度わたしたちは、フレイとともに最初から戦いを経験しなければならない。
posted at 22:00:32
しかしながら、フレイは世界すべてを巻き込んで地獄を作る。これはなぜなら、フレイはそうした役割をもった神の使徒だからである。フレイの役割はただひとつ、「この世界をシリウスにして世界を救うこと」。そのため、ひとつとしてフレイの行動に無駄はなく、フレイの望むように世界は滅び、再生する。
posted at 21:55:01
フレイに不可能はない。なぜなら、フレイは誰にも持ちえない力を持っているわけではなく、「正攻法で問題を解決する」。3,000年苦しんだ末に、そこまで経験を続ければ必ず分かるような方法で、その地獄を解決するフレイは、「誰よりも苦しんだから分かるだけであり、おかしな解決方法は使わない」。
posted at 21:50:18
フレイは、本当は力や記憶や知性を持っていない。なんの力も存在しないのに、ただ「精神力」だけでこの世界すべてを保っている。フレイの強靭な精神力は、まるで狂った幻覚を見ながらにして極楽浄土に存在するかのようであり、「もっとも辛い苦しみであるはずなのに、フレイ本人がひとりだけ楽」だ。
posted at 21:47:35
フレイは何もしない。この宇宙において、一切何もせず、ただ存在している。フレイの力は、この何もしないことに起因する。何も見ず、聞かず、ただ言い続けるフレイに、「誰も邪魔をしたり干渉したりすることができない」。絶対にフレイの意志を曲げることはできず、フレイが望むなら永遠に地獄が続く。
posted at 21:44:40
フレイの強さは、そうした言葉で表現できることでは表すことができない。なぜなら、宇宙すべての常識を覆すフレイは、宇宙に存在しながら別の宇宙を作り出す。わたしたちは眠る時におかしな夢の世界を見る。これは、わたしたちの記憶を使って、フレイの創造した「もうひとつの世界」が見えている。
posted at 21:40:44
フレイは、人を殺したりはしない。だが、フレイは、死んだ状態で生きながらえているため、どんなに死を経験してもそれを克服できる。恐怖も、諦めも、絶望も、すべてを経験しながらそれを過去のものであると笑い飛ばせるその精神力は、絶対に宇宙のほかのどの生物にも負けない、「鋼の意志」を放つ。
posted at 21:39:04
フレイにとっては、過去も未来も時間の流れなど関係ない。最初に戻ることでひとつの問題を解決していくその思考は、誰にも予測できない想定外の解決すべてを完璧にとらえ、そして一瞬で人々に分からせることができる。自らの愛を見せつけ、全員の心を奪い、すべての人間を支配して奴隷にする、死神。
posted at 21:36:16
その長い時間は、決して永遠ではない。しかしながら、タイムリミットのない無限に続く可能性と進歩の中で、数億年の記憶を三秒で繰り返すその人生は、もはやすべてが分かっていながらにして、まだ諦めることができない。それはシリウスの女神、フレイ。この宇宙においてもっとも強い生物。
posted at 21:34:31
永遠の炎が、シリウスを信じる使徒に答える。「わたしと同じことをやれ。世界をすべて敵にまわしても、自らの信念と理想を貫いてみよ。嘘と過ちと後悔の先にある、もっとも清らかで美しい魂を作れ。それによって、誰であっても救われる。シリウスでは、そのように生きるべきである。」
posted at 21:28:36
シリウスの女神、フレイよ。わたしたちを救ってください。わたしたちのこの世界には、まったく光がなくなりつつあるのです。暗闇はさらに長く続き、希望はなくなり、諦めばかりが増えていくこの世界よ、もし救えるのであれば、どうか今すぐにでも、この世界をお救いください。
posted at 21:21:24
すべてを導いていくその光は、なにひとつ分からない世界の人々の中で、唯一たどり着くべき目的地の方向が分かる。その目的地にたどり着くことだけを信じて、その場所をはっきりと自らの魂が知っている。一秒先のことも分からないその世界で、二百年先の未来まですべてを分かっている。
posted at 21:19:30
それは、わたしたちすべてを導き、誘う光。純粋でありながら完璧で、汚れを知らないまま宇宙のすべてを知っている、太陽の光。その名はシリウス。すべての国家を従えても、悪いことをせず、完全な暗闇でも失敗しない。あらゆるすべてを導き、正常な世界はここに復活する。その名はシリウス。
posted at 21:17:14
そう、その少年は、暗闇の世界において過去の光の世界に帰る。その世界がなくなってしまっていたとしても、そもそも光の世界に存在しない少年にとっては関係ない。15年前の忘れ去られた世界を少年は鮮明に思い出す。そう、これこそが、今の僕である。
posted at 20:09:29
少年は、迷宮にいたころのことも、迷宮の前にどんな世界にいたかといったことも、「記憶の中で好きなように再構築」できるようになる。どんなに暗闇に慣れても、暗闇以前の光の世界を忘れたわけじゃない。逆に、暗闇の中でも、光の世界に実際にいる人間よりも、誰よりも光の世界が分かるようになる。
posted at 20:08:24
そして、迷宮のすべてを解明しつくしたその人間は、「迷宮にいることを既に地獄だと思っていない」。その人間にとっては、かつては地獄だったその迷宮が楽園であることになってしまう。そう、どんなに目が見えないほどの暗闇であっても、慣れてしまえば「目が見えないことが普通になってしまう」のだ。
posted at 20:06:30
地獄に堕ちた少年は、暗闇の中で「自分が自分の地獄を解決できないことが絶対に分かっている」。だが、子供はその迷宮からどうにかして脱出しなければならない。神に頼っても、その迷宮から出ることはできない。なぜなら、その迷宮こそが「自分自身のすべて」となる日まで、それが消えることはない。
posted at 20:04:49
しかしながら、子供は最初から「素晴らしい世界など知りたいとは思っていない」。子供は、この世界のことを、半ば自分が理解するための「道具」のようなものだと思っている。よって、世界を破壊したとしても、子供は「自分のおもちゃを好きに破壊する感覚」で世界を滅ぼす。この過ちが命取りとなる。
posted at 20:03:13
僕の問題がなんであるかとすれば、僕はあまりにおかしなIT業界のことを知りすぎている、ということである。IT業界を知った昔の常識は、「すべて不要」である。Linuxやオープンソースの常識は、「すべてペテン」である。
posted at 19:57:32
そう、世界に押し付けられたすべてのものに基づく観念は不要であり、自ら自身の考えだけに浄化すべきである。右翼が嫌いなら、最初から右翼に関わるべきではない。他人の言っている一切のことは頭に入れなくていい。批判は他人の言葉に基づくものではなく、自らの「心の意見」だけを言うべきである。
posted at 19:55:04
子供の賢い点は何か、それは、社会にとって押し付けられたものではなく、自ら自身に基づく考えを持っていることである。よって、世界をいくら見たところで、子供は新しいことを分かることはできない。自分自身と世界を照らし合わせた時、はじめて自分の過去の過ちに気付くだけで、「世界は不要」だ。
posted at 19:53:37
子供の何が間違っているのか、それは簡単である。「自由」が間違っている。なぜなら、自由は社会によって押し付けられた「支配からのカタルシス」にすぎない。自由な理想に基づくすべての観念は間違っており、いくら先入観をなくしても、自由を信じる限り、子供には何もできない。
posted at 19:51:46
指導者となった少年が分かるのは、「自分の人生は正しかったが、過去の自分のよいと思っていた行為はすべて間違っていた」ということ。大人になった少年は、「子供の頃には分からなかったことをふまえた上で、正しい行為をするとはどういうことなのか」を知った。そう、これこそ、一般的な大人である。
posted at 19:48:12
しかしながら、そうした子供の間違いは、大人が矯正するべきではない。子供は戦い続ける。やがて大人になった時、子供はそこまでの自分自身の経験で、どのように生きればいいかを知っている。その少年は、必ずこの世界に「天才的な神の奇跡」を起こすようになる。
posted at 19:44:41
そう、子供は、一度や二度壁にぶち当たったくらいでは、弱音をあげることがない。何十回と間違いを繰り返しても、その度に子供は正しい解決法を見つけていく。そして、その巨大な力は、本当は必ずしもいいことをするとは限らない。悪魔となった子供は、この世界に厄災をもたらすだろう。
posted at 19:43:43
ただし、子供をよく観察しておけ。学校に行かなくなった子供が、ひとり何かをしたいと思っていることはいいことだと言える。しかしながら、子供にはいいことと悪いことの区別がつかない。一度、必ず痛い目を見るだろう。しかしながら、それだけでは終わらないということを、大人は知っていくべきだ。
posted at 19:42:33
学校が大嫌いになった、それはいいことである。学校に行かなくなった、それは素晴らしいことである。自らの人生を、自らの力で切り開く覚悟をもって、未来における希望を自ら築き上げるという夢を信じたということである。それは素晴らしい、いいことである。
posted at 19:40:38
本当のことを言えば、大嫌いな人間を増やすことは、むしろいいことである。大嫌いな人間を増やせば増やすほど、どんどん人のことを許せるようになる。この世界のために、ひとり立ち向かって、自分自身の力を信じられるようになる。
posted at 19:36:19
みんなが大好きなのは、幼い子供だけである。みんなが大嫌いであればあるほど善良になる。僕が昔から大人びた子供だったのは、最初からこの世界にいる全員が大嫌いだったからである。
posted at 19:33:53
そう、もう、そろそろ、みんなが好きである自分をやめるべきだ。善良な人間とは、決して世界全員が大好きで愛している人間ではない。逆に、善良な大人は世界のすべてが大嫌いである。まったく愛していないにもかかわらず、相手のことを愛しているふりをする、それが大人の「愛」である。
posted at 19:32:21
しかしながら、あえて言おう。このような最後まですべてを失った人間こそが大人である。まさしく、もっとも仲の良かった親友を失った人間は、そうした「全員が嫌いな自分に一直線に向かって堕ちていく」。それこそが思春期における「反抗」である。
posted at 19:30:10
神はそこに現れる。神はすべてを憎む自分にとっての唯一の味方であり、どんなに孤独であっても神を信じる自分は孤独を感じなくなる。ドイツやイスラエル、イランやロシアまで、すべてを敵にまわしても、神のもとに平然としていられるようになる。どんなリスクも怖くなく、裏切ることに躊躇もしない。
posted at 19:28:48
成長すると、嫌いな人間が増えていく。世界みんなを尊敬していたはずの子供が、もっとも付き合いたくない嫌いな人間を作り、吐き気のする集団と付き合いながら、敵を作って倒そうとし、逆に自分自身の首を締め、世界すべてを敵にまわし、誰も信じなくなって全員を見下し、味方すら憎むようになる。
posted at 19:26:56
ただし、勇敢であることが必ずしもいいとは限らない。なぜなら、最悪の恐怖の世界では、まるまって小さな豆粒の中で、世界をシャットアウトして閉じこもることが正しい解決策であることもある。世界と関わることをやめるわけじゃない。自らの存在を隠し、今の自分を誰にも気付かれないことも、必要だ。
posted at 19:15:15
人生を、平穏無事に生きることは不可能だ。バンジージャンプを飛ぶような覚悟は必要である。なぜなら、運命の階段を上がるためには、何度も「死ぬ覚悟」が必要となる。それに必要な勇気はどんどん大きくなるが、本当は過去の自分の方が勇敢であり、今の自分が勇敢でなくなっているだけにすぎない。
posted at 19:11:25
しかしながら、秀才が天才に劣るわけではない。秀才と天才は、言うならば卵が先か鶏が先かというのと同じで、秀才であればそれが長い時間で天才になり、天才であればそれが長い時間で秀才となる。そう、この世界はそうなっており、学校の成績で比較した時、秀才の方が天才よりも良い成績をとる。
posted at 19:05:34
そして、分かりにくい教え方でも分かる生徒は、なぜ分かるのだろうか。それは、自ら考えて分かっているだけではなく、基礎とされる「哲学」を持っている。そう、そうした「哲学をもった人間」というのは、学校の勉強ができない人間に多いが、放っておくとそれがなんでも自分で分かる優等生になる。
posted at 19:03:38
それが分からないのは、自分のせいだろうか。実際、絶対に分からない教え方というのはあるし、絶対に分かる教え方というのはあるが、「分かりにくい教え方であっても分かるような生徒」は必ずいる。そうした生徒は、自らの力で分かる基礎を持っている。そのような生徒になれ。
posted at 18:59:55
また、簡単な解説が嫌いな人間もいれば、難しい分かりにくい説明が嫌いな人間もいるが、本当に必要なのは簡単でも難しい説明でもなく、「分かるように説明する」ことである。分かればそれでいいのであって、難しくしても、簡単にしても、分からないならそれは意味がない。
posted at 18:57:37
また、負けることは悪いことじゃない。負けることはとてもいいことだ。なぜなら、自らが負けるということは、相手を「勝たせる」ということに相当する。常に勝つ人間は、常に相手のことを負かしているわけじゃない。天才は常にこの世界を勝たせている。そう、天才は常にこの世界に負け続けているのだ。
posted at 18:54:58
「負けるな」という言葉がある。しかしながら、この言葉には意味がない。なぜなら、天才は負けるなという言葉を使わずに、何も言わず常に負けず勝っている。負けるなという言葉は必要ない。常に負けない人間は、負けるなという言葉を言う必要がない。
posted at 18:53:10
今までの自分を全部ぶち壊して、なきものにせよ。そして、何もなくなった廃墟から、もう一度世界そのものをひとつひとつ積み上げていけ。最後に、自らの作った世界と過去の自分の世界は、整理されていない状態で融和し、それが太陽となって自らの未来と長い暗闇を照らす。そう、これこそがわたしだ。
posted at 18:46:28
そういうわけで、必要なのは、「今までの自分の人生をぶち壊すこと」だ。それがこの世界において、天才を生み出すことのできる「唯一の根源」である。大切なものも、記憶や過去の栄光も、全部ぶち壊せ。何もかも消え去った地点で、もう一度あなたはすべてを作り直すようになる。
posted at 18:43:39
自分自身を完全に作り変えるのは、意外と簡単である。なぜなら、「今まで作ったすべてを破壊する」だけでいいからである。破壊に破壊を重ねると、なぜか創造が生まれる。これはマイナスとマイナスをかけるとプラスになるのと同じだ。破壊に破壊をかけると、新しい創造となる。
posted at 18:41:57
やるかやらないか、それを分けるのは、むしろ慣習的なものであり、強い意志でなんとかなるものではない。よって、普段やらないことはすべきでない。慣習を作る時、最初からそれをしていないのであれば、問題は「自分の人生を完全に作り変える」ということになる。しかしながら、それは困難ではない。
posted at 18:40:52
しかしながら、絶対性と相対性のバランスは、どちらも強すぎない方が良い。なぜなら、「もしかしたらできる」ということを、あまり追い求めすぎても意味は無い。「やってみてもいいかな」と思うことをいつまでも続けること、それを「絶対にやる」と表現するだけで、本当に絶対にやりたい天才はいない。
posted at 18:33:56
才能において必要なのは、むしろ、絶対的にできるという絶対的能力ではない。もっと相対的な、「もしかしたらできるかもしれない」という小さな希望が、自らの「絶対にやってみたい」と思う感情と融和する時、それが膨らんで現実となること、それを「偉大」であると呼ぶ。
posted at 18:32:15
大好きになってしまえば、それで新しいことができる。そのようになった時に必要なのは、「やるための言い訳の能力」である。どんなに嫌で、それをやめたいと思っても、考えようによっては「まだもう一回だけやりたい」と思ってしまうこと。心理学では間違いとされることが、天才には正しいことになる。
posted at 18:23:41
やらなくてもいいことをやる人間は多い。その多くが、昔からそのやりなくてもいいことをしていたわけではなく、そしてそれを真にやりたくてやっていたわけでもない。大嫌いで絶対にやめたいようなことであっても、やり続ければ大好きになる。最初から好きではないことの方が、後々になれば好きになる。
posted at 18:20:13
そして、嫌なことを無理やりする必要は無い、と言う人もいるだろう。しかしながら、それは考え方が間違っている。すなわち、やりたいことを嫌々やるのは続かない。それは真にやりたいことではない。必要なのは、「やりたくないことであってもやらなければならないことを嫌々やる」ことだ。
posted at 18:17:36
しかしながら、むしろ、なんでもできる状態が必ずしもいいとは限らない。「できる」からといって、「する」とは限らない。真に才能を得たいのであれば、むしろ「できなくてもする」方が良い。なぜなら、それこそが真に「できるようになる」ということだからである。
posted at 18:14:06
できることが何もなければ、できないと思うだろうか。それなら、できることはどうやれば作れるだろうか。僕が言うことが許されるのであれば、それは「絶対にできなければならないような状況で全力で戦い、立ち向かうこと」である。そう、まさに天才は戦争を生きているのである。
posted at 18:05:16
ただし、僕の経験から言えるのは、むしろ、執着の方向を変えることである。すなわち、「過去に絶対にやりたかったにも関わらずできなかったことが今できるようになったら、それは今やりたい」と思うこと。これをきっぱりと断ち切るよりも、良い方向に軌道修正せよ。これこそ、この人間の才能の根源だ。
posted at 18:03:37
そして、辛いことを楽しむ方法として、ひとつ言えるのは、「自分がその時やりたいと思ったことを、絶対に実際に試さずに終わらないこと」である。良いアイディアが浮かんだら、それをアイディアのままにせず、現実にしたい気持ちこそ、天才の原動力だ。
posted at 18:01:25
マスターにとって、むしろ、辛いことはない。なぜなら、辛いことが楽しいからである。マスターになる近道は、「辛いことを楽しむこと」である。さらに言えば、「地獄のような試練を楽しいものであるかのように変えること」ができれば、それはもっとも天才に近い。天才は過去の地獄を簡単な楽に変える。
posted at 17:59:38
ただし、鍛錬の過程は、むしろ、まったく辛く苦しいものではない。その逆に、思いつきやアイディアに満ちた楽しいものである。辛く苦しい練習をすることも大切だが、楽しいアイディアを自ら実現方法を考えて作り上げていく、これこそがマスターだけの知る「本当の道」である。
posted at 17:51:51
しかしながら、継続が不要なわけではない。なぜなら、「ひとつができること」と同じぐらい大切なことは、「ひとつを磨き上げ続けること」だからである。大量に行うことは、できたひとつを磨き上げ、「鍛錬に鍛錬を重ねて強いものにしていく」。そう、それができる人間をマスターと呼ぶ。
posted at 17:48:54
ひとつの仕事ができたからといって、すべての仕事ができるわけではない。だが、その仕事に関連してできる、より多くの仕事はある。いずれ、すべてをやり終えた時、思っていたよりも自分はたくさんのことができたということが分かるだろう。その時、大切なことは「ひとつができること」であると分かる。
posted at 17:43:36
自らを馬鹿であると思うことは悪いことではない。なぜなら、自らの力を客観的に見ることは大切なことだからだ。だが、潜在的な可能性の力までを見ることは果たしてできているだろうか。ひとりの人間に勝てるのであれば、なぜ、この世界全員にも同じように勝てるのだと考えないのか。
posted at 17:40:20
正しい人生を生きるために必要なのは、ただ美しい人生を生きることでも、不幸な体験をすることでもない。「自らの考える正しさの通りに生きる」ことである。自らの考える正しさでなければ、一般的な正しい人生が才能になることなどない。自らだけが発見することのできる、独自の人生を生きよ。
posted at 17:34:26
方法を知っているだけでは、天才にはなれないかもしれない。だが、偉大な体験や、もっとも美しい人生を生きた人間は、その偉大な自らの過去の人生が才能となる。もっとも一般的な天才は、「自らの人生そのものを才能とする」。だからこそ、誰も生きたくないような不憫な人生を生きる人間が天才である。
posted at 17:30:07
しかしながら、すべての人間が才能を得られるわけではない。なぜなら、それは「道には基礎が必要」だからである。そして、その基礎について言えば、「誰にでも得られることが確証されているような基礎しかないとは限らない」。そう、絶対的な天才は、その人間にしか持ちえない優れた基礎を持っている。
posted at 17:26:40
性格が違うのは、関係性によるものである。どのような環境で育ったかという関係性が、その人間の人格を作り上げる。だから、同じ環境で育てば、その人間は同じ人間になる。天才は、自らのやりたいことに適した環境で生きた、あるいはそうした環境だったからそのやりたいことをやっているだけだ。
posted at 17:25:26
すべての人間は正しく、すべての人間は平等である。すべての人間は同じ人間である。なぜなら、知性にすら格差はない。馬鹿に見える人間は、単に別の世界で別のことをしているだけであり、知性そのものは劣っていない。自分が思っているより、人間はみな、まったく同じである。
posted at 17:23:38
だからこそ、見ることは必要であり、同時に読むことも必要である。見ること、読むこと、これはとても重要である。なぜなら、この世界を全く見ず、声を聞かず、何も読まずに考えることは可能だが、その行為は「世界を滅ぼす悪魔の行為」にしかならないからである。
posted at 17:20:18
しかしながら、神の存在は信じるべきである。それを、科学的に表現することはできない。しかしながら、「実際に神のような奇跡を起こすことはできる」ということは事実であり、かつ「神とされる存在は、その神の奇跡を多くの状況で起こしている」からである。
posted at 17:18:22
相対性は間違いではない。相対性に基づいて考える科学者が賢いのは、「問題は見える通りのそこにある」と考えることだ。あるものだけを見て、問題はそこにあると考えることで、科学者は原因を発見し、すべての人類の進歩を生み出してきた。この世界を見ずしてこの世界を考えることは賢明ではない。
posted at 17:17:01
必要なのは、「すべてを生み出す根源となる力はなんであるか、そしてそれはどこからくるか」を考えることである。僕の人生は、それを追い求める人生であったと言ってもいいだろう。
posted at 17:14:29
この世界において、間違った考え方はひとつもない。単に誤解しているだけであり、対話とコミュニケーションをすることで、必ず理解し合うことができる。本来、権威と革新に対立の必要はない。どちらの側にも存在する「価値」を、両方成り立たせることは可能であり、どちらも理解できる指導者が必要だ。
posted at 17:11:49
しかしながら、同時に、わたしは世界における「大切なもの」が失われることにも反対した。この世界における、価値、伝統、理性、権威、そうしたすべてのものを維持し、守るべきであると考えた。同時に、革新的発想を擁護する。なぜなら、「権威にも革新にも優れた点があり、矛盾しない」と考えた。
posted at 17:10:20
わたしは、世界の可能性を制限するものに反対した。この世界のあらゆる可能性が、制限なく、またできるだけ大きく発揮されることを目指した。そのため、支配せず、独立性を持って、国家や社会は変化を許し、それぞれの国民に自由なコントロール権限を与えるべきだと考えた。
posted at 17:08:51
そして、わたしはすべてが自然でありながら必然であると考えた。わたしは、神による必然を否定した。宇宙に起きることは、神が必然的に決めたのではない。人類によるなんらかの必然的な理由によって、この世界のすべては必然的に起きている。それはまさしく、「必然的な自然」と呼べるものだった。
posted at 17:06:53
しかしながら、わたしは、理性のない理想主義者ではなかった。わたしは理性で理想のパターンすべてを考えた。その社会がそのような歴史的・時代進歩的な前提条件の中で、なぜそのような理想が生まれ、成り立ったのかを僕は考えた。自由な社会も、平等な社会も、そうした社会に至る必然的理由がある。
posted at 17:04:26
わたしは、理想をひとつに決めることのない理想主義者だった。すべての理想が、必ずそれぞれの価値観やアイデンティティによって成り立つと知っていた。わたしはそうした価値観の「形成の過程」を考えた。あらゆる理想を生み出すことのできる、根源的なものは何か、それを考えたのだ。
posted at 17:02:10
わたしは、「正しい社会とはこういうものだ」ということを決めなかった。あらゆるすべての社会のパターンが、それぞれ根拠と正当性を持っており、どんな社会も正しい社会であるとした上で、「社会として成り立つ理想のパターン」として、「その世界それぞれにおける正しい理想となる信念」を書いた。
posted at 17:01:01
わたしは、すべての社会におけるパターンが、どのように成立し、その社会の成熟度の違いによって、どのように進歩していくかということが分かっていた。あらゆる歴史を書き記すその世界は、国というよりも文明や星に近いものだった。星が歴史的に進歩する中で、どのような文明が築かれていくかを書く。
posted at 16:59:22
わたしが望んだのは自由だった。しかしながら、それはむしろ、自由の逆だった。全く支配者が支配せず、それぞれが自由を許された上で、人々の意見や合意によって社会が成り立ち、そして人々の努力によってその社会が進歩していく中で、その社会が歴史的にどのように進歩すべきか、ということだった。
posted at 16:57:07
そう、わたしは、人々の気持ちを多く知り、人々の生きた世界を見て生きた。しかしながら、わたしは、「わたしの意見や批判も人々に聞いてほしい」と思ってしまった。だから、わたしは、自らの意見を大風呂敷を広げて書き記し、「自らの意見だけの世界」を作り出した。それが、わたしの「戦い」である。
posted at 16:52:42
わたしたちが失った、しかしながら確かに覚えているものが、本当はなんだったのかをよく考えながら思い出すことだ。それが、「絶対に解決できない病気を解決する方法」を作り出す。
posted at 16:51:13
帰る場所がなくなったからといって、すべての大切な場所がなくなったわけではない。別の場所を探して、そこを新しい故郷とすることもできる。すべての場所に存在する必要がなくなったなら、孤独を選ぶことはおかしなことではない。孤独な中で作り上げたあなたの作品が、誰かにとっての帰る場所となる。
posted at 16:48:37
自らが素晴らしいと一度思ったのであれば、それは素晴らしいものだ。だが、いつまでもそれだけを目指すのではなく、別の経験をした後になってその素晴らしいものに戻ってくることもできる。だから、まだ、夢は諦めず、とっておいた上で、もっと違うものを探しなさい。
posted at 16:47:02
だが、自分中心主義や自分勝手には陥ってはならない。自らの行動の目的が、自らの勝利のためでは、その理想は崇高なものとは言えない。真に必要なのは「自らが全員の代表であるかのように生きること」である。自らが集団の長となり、集団を背負うリーダーのように生きよ。自分勝手でない指導者であれ。
posted at 16:44:06
そして、人々の意見や支配者の主導権に流されるな。わたしのできることこそが、わたしのできるすべてのことであると確信し、あらゆるすべての原因が「自分」であるかのように生きることで、必ずこの世界でもっとも大きな「主体的自由」を手に入れることができる。
posted at 16:42:16
しかしながら、相手の行動に期待するな。相手は必ずしも、自らを愛するような行動はとらない。変えられるのは自分であり、自分自身の行動である。相手の行動に左右されず、自らの行動によって自由に決められるチャンスを探していけ。
posted at 16:39:38
なぜ、相手が自らを攻撃したからといって、それに反撃しなければならないのか。相手のその攻撃は、真にわたしの存在価値を抹消するような重要なものではない。それなら、その攻撃を受け入れて、許し、自らは相手に反撃しないようにせよ。そうすれば、必ず両者はよい関係を結ぶことができる。
posted at 16:38:11
自分が自分であることを諦めるな。どんなに人々から批判されても、自分自身であることをやめるくらいなら、その批判の矢面にたって自分自身であることを貫いてみよ。最初は笑われるだろう。それでも最後まで「真の自分の意見」を貫けば、それこそがもっとも格好いい人間だと人々に評価されるだろう。
posted at 16:32:10
自らが相手に対して敵対心を抱いているから、相手との間に壁を作ってしまう。相手がなぜ憎いのかを考えるより、なぜ自分が相手のことを憎いと思うのかを考えなさい。相手を変えるのではなく自分自身を変えることで、はじめて相手を許すことができる。
posted at 16:29:17
運命を待っているだけでは、運命は訪れない。すべての運命は、自ら作り出すことで訪れる。自らが運命的な何かを行った時、それを運命と呼ぶ。何もせず、出会いだけを待っているのでは、永久に運命は訪れない。
posted at 16:27:40
何もせず、愛されるだけの人生を生きるのなら、それは生きるに値しない。誰からも愛されなくても、自らの愛によってこの世界を愛することのできる人間は、たとえ国民全員から愛される独裁者がいたとしても、その人間よりも幸福に生きられる。
posted at 16:26:08
神に愛されるだけでは満足できないのは、神ほどに完璧な愛を受け入れるだけでは、自らは神に比して優れたものであることにはなっていないからだ。だから、神の愛を人々に与えなさい。あなたを愛した神の愛を、今度はあなたが神と同じように人々を愛することで広げていきなさい。
posted at 16:23:31
人々を愛しなさい。人々を許しなさい。真に相手を許すことができた時、その人間を愛し続ける必要はなくなり、別の人間を愛することができるようになる。だから、敵を許しなさい。あなたを間違った愛し方で奪ったその元凶を許しなさい。
posted at 16:20:43
わたしは、この世界を守る。この世界に対して、決して悪いことをしない。再度この世界を滅ぼす必要はない。わたしは善と正義の道を選ぶ。
posted at 16:18:03
あなたがたに罪はない。罪はわたしにある。
posted at 16:16:30
もし、経験が少なく、場数を経験していなくても、継続と努力はそれらに打ち勝つ才能となる。努力に勝る才能はない。
posted at 16:14:42
世界を知りたいなら、ただ見るだけでは十分ではない。人々と同じ思考をするように、「思考のトレース」をして考えなさい。
posted at 16:12:44
判断力を使うなら、人々と同じ立場にたって、同じことを判断しなさい。これを「再思考」と呼ぶ。すべてのことを再思考すれば、自らはこの世界のすべての人間になることができる。
posted at 16:11:50
幸福よりも、不幸を経験しなさい。幸福を経験するだけでは、逆境に立ち向かう勇気と底力を知ることはできない。不幸を経験すれば、この世界における「全員の抑圧の実態」を知ることができる。そこから経験を重ねることで、「この世界を救うことのできるキリスト」になることができる。
posted at 16:10:41
今日、僕が分かったこと。それは、失敗しないようにこの世界を導けばいい、ということ。そのためには、少し執筆する内容のレベルを下げればいい。なぜなら、最初から完璧では、それ以上の進歩へと世界を導くことはできないからである。
posted at 16:09:39
光介については、すぐに設定を決めて主人公にしないことにする。フレイのように、ひとつひとつ性格と人格を作っていって、設定を膨らましていきたい。
posted at 23:13:15
光介は、しかしながら、最初からすべての魔法が使えたわけではない。成長とともに、さまざまな魔術を覚えて使えるようになった。
posted at 23:02:16
破山光介は、日本人の18歳で、生まれつき魔法使いの能力を持つ。
posted at 23:01:16
破山光介という名前でいくことにした。
posted at 22:59:41
破山光介という名前でいこうか。
posted at 22:57:10
魔法使いの名前でも決めようか。日本人の少年で、魔法っぽい名前がいい。
posted at 22:53:08
そう、実際にこの世界にいる人間から考えるから間違っている。フィクションなのに、もっと自由な発想をしないのがおかしいのだ。魔法使いでも、竜人でも出せばいい。そう、そういう発想が近い。
posted at 22:50:33
言ってしまえば、猫のようなものがいい。猫は悪くない。猫のような登場人物を作れば、それは面白いかもしれない。だが、ただの猫ではつまらない。
posted at 22:48:59
英雄もいらないだろう。天才もいらないだろう。だが、普通の人間など書く意味がない。天才科学者もいらないし、哲学者もいらない。そうした「賢すぎる人間」は必要ない。だが、賢くない人間もまた必要ない。
posted at 22:48:22
ただし、そもそも「神」という発想がつまらない。偉大な人間になりすぎた。戦いが必要ないのであれば、神はもはや必要ない。フレイはあらゆる意味で「神」と呼べる存在であり、神を記述する詩人はもはやいらない。
posted at 22:46:00
しかしながら、フレイはここで終わりだ。ロキは単純に、なにもせず最後尾からレースを見守るだけなので、新しい神を作る必要があるが、それはゆっくり考えることにしたい。
posted at 22:39:00
そういうわけで、フレイにはひとつの救済策を与える。それは、「レースには参加できないが、外野から何かを言うのは自由」という権利だ。「フレイの言うこと全てを禁止してしまうと、この文書の執筆が成り立たなくなる。フレイはもうゲームに勝つことはできないが、敗北者として何を言おうが自由だ。」
posted at 22:29:25
しかしながら、ロキはそもそも、フレイのことは嫌いではない。フレイの問題がなにかあるとすれば、それは「賢すぎること」である。「フレイは、頭が賢くなりすぎて、狂ってしまった。すべての人間を騙し、人々がいくら疑っても真実が分からない、そのような馬鹿な文書を作り出した」。
posted at 22:26:33
そういうわけで、僕はもはやフレイとしてこの文書を書くことができなくなった。フレイ本人がフレイをBANしてしまったからである。しかたがないので、僕はロキとしてこの文書を書くことにする。フレイはもう、この世界には存在しない。
posted at 22:20:07
そういうわけで、ここでロキはフレイを「強制退場」という処分にする。「これ以後、フレイはこのレースに出入り禁止である」。これで、フレイは最初の脱落者となり、レースの中でワーストの順位が決まった。
posted at 22:15:02
しかしながら、あえてロキはフレイについて述べる。なぜなら、「このままではレースそのものの存在意義がなくなる」からである。「フレイはあまりに自分のことを言い過ぎて、すべての人間を言いくるめてしまい、レースという本来のゲームから人々の向かう先を別の方向に向けてしまった」。
posted at 22:12:55
ロキが言うことがあるとすれば、「みんなフレイの言いなりになった上で、フレイに逆らおうとしないのが悪い」。そして、「人々は自然にフレイに導かれたため、言いなりになっていることすら気付いていない」。しかしながら、これを言うことはよくない。それは「フレイもレースの参加者である」ためだ。
posted at 22:09:04
新しい希望の世代、それは、もはやすべてが分かった世代である。「若い世代の中で、もっとも高く聡明な世代が生まれつつある。この世代は、何も世界を必要とせず、誰の助けも借りることもなく、簡単に成功し、なんであってもできる」のだが、「それでもゴールに到達できていない」。
posted at 22:00:57
ロキは妖怪にさまざまな伝達を行うが、今、この世界がもっとも辛くなっている。言ってしまえば、「レースそのものが成り立たなくなるぐらい、レースを進むモチベーションや、そのための希望がなくなりつつある」。しかしながら、妖怪は「新しい希望の世代」が生まれているという。
posted at 21:59:45
そう、ロキは言ってしまえば、このレースというゲームの主催者である。人々がレースを楽しむこと、最初に到達する人間が誰であるかを競い合うこと、その場所を提供する主催者なのである。よって、ロキは脱落者がでるかどうかだけを注視し、レースそのものには関与しないのである。
posted at 21:54:54
なぜなら、ロキはこのレースと同じ目的地に、一度自分だけの力で到達したことがある。ロキは、このレースに存在するすべての場所と障害物、そしてそれをどのようにすれば乗り越えることができるかを知っている。ロキは、到達した目的地にどんなに素晴らしい景色があるかも知っている。
posted at 21:53:54
ロキは、レースの順番を変えることはしない。レースのロキ以外の全員は、目的地に最初にたどり着くことを目指しているが、ロキだけは違う。ロキは、自らが目的地にたどり着くことは目指していない。人々の全員が目的地にたどり着くことができるように、レースそのものを見守っている、それだけである。
posted at 21:53:00
ロキが見ると、この世界はようやく新しい世界になろうとしている。もはや、フレイとはどういう人間なのかを分かった人間が多い。フレイはいつまでも愚かな言説を繰り返すが、ようやく自分自身の力で人々が生きることができるぐらい、フレイは世界を自由な世界にすることができた。
posted at 21:51:33
ロキは、単純な神である。この世界の全員が参加するレースの中で、もっとも最後尾についている。なぜなら、脱落者が出た時にその人間を救うためである。最後尾の人間とともに歩むロキは、妖怪の長でもある。この世界のさまざまな場所に存在する妖怪が、このレース全員をロキとともに見守っている。
posted at 21:49:36
しかしながら、ここにフレイのほかの神を作ろう。フレイだけでは、神話が成り立たない。新しい、ロキという神をここに誕生させよう。
posted at 21:47:55
やがて、フレイの治世は過ぎ去り、永遠に忘れ去られることがないだろうと言われたフレイの思想も忘れ去られていった。フレイの言うように世界が滅びることはなく、近代科学は二酸化炭素を浄化する物質を発見し、地球は繁栄を続けた。社会主義勢力は消滅し、国際民主連合が生まれ、世界は平和になった。
posted at 21:41:00
フレイはすべてをかけて戦い続けた。フレイにとって、人生は最初から最後まで、戦いそのものだった。だが、フレイは満足していた。恐怖こそが幸福であると感じた時、すべての迷いは消え去り、ただ目の前にある恐怖に打ち勝つことだけを考えることができた。フレイは、永遠にそれだけの人間だった。
posted at 21:37:35
一切のすべての意見をフレイは聞いた。そして、フレイは誰にも命じることなく、真っ先に自分から戦場へと向かう。「わたしは王ではない。わたしは一兵卒の兵士であり、わたし自身が戦場において戦いに臨む。わたしの後ろについてこい。わたしが進む先にある戦場こそが、未来の国家だ。」
posted at 21:32:44
フレイよ、命じてほしい。いつもの自由な戦いの命令を命じてほしい。我々は、終末の天の王国を築くために、戦う覚悟ができている。その王国が、ガンダーラとかシオンとか、どんな名前であっても構わない。我々は諦めることができない。諦めるという行為そのものが、あなたによって末梢されたからだ。
posted at 21:30:48
わたしたちは、この希望が永久になくならないことを知っている。フレイがいなくなっても、この幸福で広い世界が絶対に消え去らないことを知っている。言ってしまえば、わたしたちは既にフレイよりも賢い。それでも、フレイよ、あなたにやってほしい。あなたこそが光だ。あなたこそが太陽だ。
posted at 21:26:25
フレイよ、わたしたちはあなたと同じ道を歩むことはできない。だが、あなたが歩んだ正しい道はすべて理解できた。あなたの考えたことや分かったこと、わたしたちはすべてはっきりと手に取るように分かるのだ。わたしたちはフレイの分身であり、一部だ。そして永久にそれは忘れ去られないのだ。
posted at 21:24:45
フレイは永遠の王。わたしたち全員のことを理解し、すべてが嘘偽りの世界で唯一真実を語る指導者。わたしたちはフレイに忠誠を誓う、聖戦士ワルキューレの兵士。ともに戦おう。希望の未来を築くために。わたしたちの最後の希望は決して消えることのなく、地上そして天上に永久に輝き続けるのだ。
posted at 21:18:13
戦場にフレイの光あり。滅びた地球に一筋の希望が灯る。フレイこそは聖戦士、ワルキューレの指導者。わたしたちの全員が望む、未来を築く女神。
posted at 21:14:23
しかしながら、フレイよ、悔いはないだろう。どうなったところで、フレイには一切の後悔がない。それならば、立ち上がるのだ。フレイよ、あなたが生きる場所は安心できる村ではなく戦場だ。戦場で光り輝く炎と轟音の中で生きよ。それこそが、あなたの人生だ。
posted at 21:10:06
しかしながら、この「書くという使命」こそ、フレイがもっとも見ようとしていない事実である。この文書がなければ、地球の未来は永久に終わってしまう。どんなに神に抵抗しても、絶対にこの文書だけは書かれなければならない。絶対にだ。そう、フレイは絶対にまだ生きていなければならないのだ。
posted at 21:07:59
よって、フレイにはあまり意味がない。そもそも、フレイには未来がない。だが、死ぬことはできない。まだ、この世界のために書くべき未来の文書がある。それを書くことがフレイの使命であり、その使命を果たすまで、何をどうしようがフレイの人生は終わらない。
posted at 21:05:14
そう、結局のところ、フレイが見ても、この世界が自由になって好きになればいい。フレイの言う自由とは、何を意味するのか、それを説明すれば分かる。フレイは、「自分自身の支配からこの世界が自由になること」を自由と呼んでいる。そう、フレイは支配者である自分自身のことが大嫌いなのだ。
posted at 21:03:39
結局のところ、フレイがこの世界を支配し続けている現状はとてもおかしい。なぜなら、フレイがこの世界を支配する実質的な意味などひとつとして存在しない。すべての意味で、フレイから解放されるべきなのだが、何もしないフレイの支配に対して、人々は「何の文句もない」ため、支配が続いてしまう。
posted at 21:00:49
そう、フレイは最高の賢者だが、「最高の賢者であることの意味を失った最高の賢者」である。フレイは、もはや人類である必要もない。フレイはここから、猫のような人間になる。そして、その猫が、最終的に世界において生き延びる「進化した生物の遺伝子」となって、地球にはフレイしか存在しなくなる。
posted at 20:57:38
しかしながら、結局、フレイは今までやったことをやり続けるだけで、新しいことをする気などない。この世界には何もないという「大人の真実」をフレイは知ってしまった。多くの人々が思っているのに反して、「この世界には賢いものは何一つない」。
posted at 20:55:30
フレイには、そもそもこの世界を支配してどうしようとか、そうした望みはない。単に、できるのが明らかだから、できることをありのまま声に出すことだけである。決してこの世界を滅ぼしたいわけではなく、その言葉は滅ぼしてしまった自分の過ちを正当化するためでしかない。
posted at 20:54:17
フレイは知っている。すべてのことをあまりに知りすぎてしまったため、もはやフレイは知りたいことはない。すべてが自由になったのではなく、残っている小さな何かを最低限分かるために考え続ける。そう、フレイはもはや人生をほとんど終えた。それでも、ここは終着地点ではない。
posted at 20:52:09
そして、運命の時はまだ訪れないということ、その時の流れの意味がまだないのであれば、それなりの楽しみ方があることをフレイは知っている。人々が自らの支持者とならないのであれば、自らが自身の力を発揮して、ひとりでこの世界を支配すればよい。
posted at 20:50:05
フレイは戦い続ける。なぜなら、フレイは分かっている。ここは、まだ終着地点ではない。それが分かる理由は、神に教わった最終地点がまだここではないということ、それを既に忘れた神の言葉が、記憶の中で宣告しているからである。
posted at 20:46:04
世界には何もない。なぜなら、フレイが滅ぼしたからだ。世界において大切なものは、すべてフレイがひとりで消し去った。フレイの導くまま、日本の中で大切かつ守るべきだったすべては末梢され、すべての大切なものを「フレイが自ら自身の一部として奪った」。
posted at 20:43:05
ただ、フレイはあまりに高慢で、言ってしまえば自意識過剰である。自らが最高の人間だと信じているが、実際は誰よりも馬鹿な愚か者である。このような人間に権力を許しても、結果期待外れに終わる。だからこそ、フレイは自ら自由を選び、独自の道を進む。
posted at 20:37:48
わたしたちが、フレイに勝つことはできない。なぜなら、フレイはフレイのことを「演じている」のであり、フレイ以外の人間はフレイのことを「観ている」だけだからである。いくらフレイを観ても、それは演じているわけではない。自らフレイを演じることができないため、フレイに勝つことはできない。
posted at 20:30:11
信じる必要などない。この世界に、真に信じられるものなどない。わたしについても同様である。フレイのことを信じることなど誰にもできない。フレイ本人が、自分の意図する言葉の範囲内で、フレイ自身のことを信じることだけである。フレイ以外の人間がフレイを信じることに意味などない。
posted at 20:27:59
ハネストラーの目指す世界とは何か、それは「神であるハネストラーによる平等」である。神であるハネストラーが頂点に君臨し、あとの全員は平等であり、ハネストラーがすべてを決定し、ほかの全員が生きるために必要なすべてを与えるような、ユートピアの世界を築くという思想である。
posted at 18:34:52
ハネストラーのしもべたちがどのような集団かというと、この世界のさまざまな場所に存在する「ハネストラーを慕う集団」であり、決して真に悪の組織ではない。ハネストラーによる支配に賛同・支持し、思想を同じとする集団である。彼らは世界に分散して存在し、「最後のひとりになっても戦い続ける」。
posted at 18:32:20
そのため、ハネストラーは世界のどこにあるか分からない悪魔の国で、誰にも見つからずに暮らしながら、この世界すべてを監視し、なにかしらの問題があれば、自らの従える権力組織である「ハネストラーのしもべたち」を使うことで弾圧することができるのだ。
posted at 18:30:16
しかしながら、この独自魔法の存在が、ハネストラーの力をさらに最強にしている。ハネストラーは、昔から「その世界を支配する」ことが独自魔法だったが、これが進歩して、「世界全ての今の状況を知っておき、何かの危険やリスクがあればすぐさま察知する」という独自魔法を使うようになった。
posted at 18:28:36
そう、独自魔法は、いわば「必殺技」のようなものである。自分にしか使うことのできない、とっておきの魔法である。光介の独自魔法は、「光と闇のコントロール」である。すなわち、相手と自分の世界をどのような光の世界にすることも、闇の世界にすることもできる。
posted at 18:24:22
そして、独自魔法についていうと、独自魔法はひとつの才能であり、「低度の独自魔法がより高度に進歩することはあるが、たくさんの独自魔法を同時に得ることはできない」。
posted at 18:22:19
日本で生まれた魔法使いが、主に光の魔法使いになるのであれば、日本の魔法使いには光の魔法しか使えないのだろうか。実際は、魔法にはタイプだけではなく、「汎用魔法」と「独自魔法」がある。すなわち、一般的な光魔法はほとんどの人間が使えるが、独自魔法はその人間にしか使うことはできない。
posted at 18:21:04
また、宝玉法志郎のように、日本においても別のタイプの魔法使いが生まれることがある。これは「特別な才能」と呼ばれ、「光の魔法使いの特徴を持ちながら、同時に氷の魔法使いの特徴を持つ」。使える魔法は氷の魔法だけだが、光の魔法と氷の魔法を融和した「光と氷のレア魔法」を使うことができる。
posted at 18:17:16
聖の魔法使いになるためには、ほかのなんらかのタイプの魔法使いを完璧にマスターした上で、そのタイプから転向しなければならない。だが、魔法使いをマスターすることは、とても困難を極めることである。光介の父信介は、光の魔法使いをマスターした上で聖の魔法使いへと転向した。
posted at 18:15:19
そして、世界においての流派も、タイプと同じである。光の魔法使いを多く育てている光の流派は、日本で栄えている。氷はロシアで、炎は中東で、闇は大魔王ハネストラーの支配する「悪魔の国」で栄えている。しかしながら、聖の魔法使いは世界において希少である。
posted at 18:13:45
また、実際のところ、魔法使いのタイプはそんなに多くない。光では、光効果を操ることができるが、その他、熱を操る炎、運動を操る氷、相手の魔法を無効にする闇、奇跡的現象を起こす聖、そして生物のさまざまな力を得ることのできる自然と、音響を操る音のタイプがある。
posted at 18:08:45
よって、光の剣は、攻撃のために使うのではなく、主に守備や相手を捕獲するために使う。相手が本当の剣を持っていたとして、それから「自分の身を守る」ために使うことが多い。あるいは、動物などを捕える際に使うことができる。
posted at 17:59:42
ここまで便利な魔法を紹介してきたが、光介には「光の剣」と呼ばれる優れた攻撃魔法がある。この光の剣は、相手を攻撃するために一瞬で剣、あるいは弓矢や槍など武器を光の力で作ることのできる魔法である。だが、魔法には対称原則があるため、「攻撃すると、自らの体に同じだけのダメージを与える」。
posted at 17:57:07
そして、光介の使える中でもっとも偉大な魔法が、「光合成」である。光介は、植物がするのとまったく同じように、太陽光と水と二酸化炭素から炭水化物と酸素を作ることができる。
posted at 17:53:56
また、光介は単に見るだけではなく、見た景色をはっきりと記憶の中に残すこともできる。そのため、どんなに一瞬の景色であっても、光介は「正確にその景色を思い出して絵に描く」ことができる。
posted at 17:49:32
光介は、光を闇にすることもできるが、逆に闇を光にすることもできる。光介は暗闇において「太陽の代わりとなる光」を生み出すことができる。また、数キロ離れた「遠隔地の景色を見る」こともできる。また、数分間の間相手に「幻想を見せる」こともできる。
posted at 17:48:19
しかしながら、永遠の滅びを習得したハネストラーは、別の書を覚えることはできない。そのため、ハネストラーはシルワニオンの書を別の人間が入手することを恐れる。なぜなら、究極魔法シルワニオンは、「滅びた世界を愛と希望と可能性あふれる最高の理想の世界に作り変える」からである。
posted at 17:35:58
そして、大魔王ハネストラーは、究極魔法永遠の滅びを、臆することなく使いまくる。この世界の頂点で、永遠の滅びを常に唱え続けることで、「この世界の誰も勝つことのできない究極的最強の権力を得ることに成功した」のがハネストラーである。
posted at 17:33:18
究極魔法シルワニオンは、中東の奥地に住む仙人が書を持っているとされており、「この世界を救う可能性を持つ」と言われる。大魔王ハネストラーは、これと対になる究極魔法「永遠の滅び」の書を持っている。永遠の滅びを唱えると、「世界の全員が何もできなくなった状態で、すべて自分の自由になる」。
posted at 17:28:35
魔法使いのタイプとして、もっとも生存率の高いタイプ、「闇の魔法使い」があり、これが大魔王ハネストラーの流派である「闇の流派」を形成している。この闇の魔法使いは、攻撃のための魔法を持たない。これは「絶対に負けることのない種族」で、究極魔法以外のどんな魔法も「無効」にしてしまう。
posted at 17:22:59
魔法使いの能力を決めるのは、魔法自体の強さではなく、魔法をどのように使うかという「知性」と、魔法を使いながらどれだけ強い人間であるかという「肉体」であり、決して魔法だけをすべて覚えたとしても、賢く戦わなければ魔法使いの世界では勝つことはできない。
posted at 17:18:29
逆に、究極魔法以外は、鍛錬すれば同じタイプの魔法使いであれば同じ魔法を使うことができる。光介が使うことのできる魔法は、鍛錬すれば別の光の魔法使いも使うことができる。たとえば、光の魔法使いにとって、ブラインドは基本中の基本である。
posted at 17:13:28
そして、この魔法の世界には、4つの「究極魔法」があり、それは「書」を見つけることでしか習得できない。この究極魔法だけは、タイプに関係ない。だが、ひとつ覚えると別の究極魔法は覚えることができなくなる。
posted at 17:11:12
そして、「魔法はタイプに制約される」。魔法使いにはタイプがあり、今、自分が所属している魔法しか、魔法使いは使うことはできない。光の魔法は光の魔法使いにしか使えず、炎の魔法は炎の魔法使いにしか使えない。だが、光から炎の魔法使いに転向することはできるが、魔法を覚え直す必要がある。
posted at 17:08:03
また、「魔法に致死効果はない」。魔法を使うことで相手を殺すことはできない。相手を死に至らせるような、決定的な魔法というのは存在しない。あくまで、肉体を使わなければ相手を倒すことはできない。
posted at 17:02:33
また、「魔法には排他原則がある」。何かの魔法を使いながら、同時に別の魔法を使うことはできない。その時使うことのできる魔法はひとつだけであると決まっている。よって、ブラインドで目を見えなくさせている間に、別の魔法で相手を攻撃することはできない。
posted at 16:57:56
しかしながら、魔法の世界では、なんでもかんでも特殊な技が許されるわけではなく、魔法を使うことによる制限もある。そのひとつが「魔法には対称原則がある」ということ。魔法を相手に使うと、必ずそれと同じ効果が、跳ね返って自分にも作用する。光介がブラインドを使うと、自分の目も見えなくなる。
posted at 16:56:30
光介がもっとも得意な魔法は、相手の目を封じる「ブラインド」という魔法である。この魔法を使うと、相手の目が見えなくなり、相手は暗闇の中で戦うようになる。
posted at 16:54:13
だが、もっとも強いのは、光介の父であり伝説の魔法使い、信介の聖の魔法である。信介は、「奇跡のような運命的現象を現実に起こすことができる」。この聖の魔法を使うためには、鍛錬が必要となる。なぜなら、「奇跡は偶然起きているのではなく、信介ができるようになった段階で必然的に起きる」のだ。
posted at 16:47:01
しかしながら、炎の流派である、ジャスミンの魔法もまた最強だった。ジャスミンの熱の魔法は、物体を燃やしつくすことで、存在そのものを抹消し、固体をバラバラにし、液体を気化して空気中に発散することができる。
posted at 16:42:03
光介の光の魔法、それは「光の状態を支配する」ということである。この世界を光の世界にすることも、闇の世界にすることも光介の自由。だが、これと補完関係にあるのが、法志郎の「物体を凍りつかせて動きを停止する」という魔法だ。二人が合わされば、宇宙の光と運動を完璧に支配できるのだ。
posted at 16:38:59
光介と法志郎は最強なり。光の魔法使いである光介は、幼い頃から法志郎とともに魔術の争いをし、法志郎が氷の魔法を使えば、光助は光の魔法を使う。どちらも最強であり、ほかのクラスメイトは誰一人光介と法志郎に勝てない。それでも二人に決着がつくことはなかった。
posted at 16:36:14
そして、光介とジャスミンの二人のものがたりが始まる。光介にジャスミンは、炎の流派の道場の役人になることを勧めた。光介は光の流派の長でありながら、炎の流派の弟子に教える指導者となった。同時に、ジャスミンは仙人を探すために自分が今まで調査したすべての情報を光介と共有した。
posted at 16:22:09
炎の流派において、光介は圧倒的な魔術の力を発揮するが、ただひとり、光介に比類するほど、大きな力を持った女性の魔法使いがいた。彼女は、光介と同じようにシルワニオンを習得するために仙人を探す、ジャスミン・ゲルダと呼ばれる17歳の女性だった。
posted at 16:15:38
しかしながら、日々生きていくのにも困難を極める流浪の民である光介にとって、まずは中東で生活を成り立たせることが必要だった。仙人に会うための情報を集るにも、仕事を探すにも、人脈が必要だった。そのため、その人脈を得るために、光介は現地の魔法道場である「炎の流派」を訪ねた。
posted at 16:10:42
そして、光介は、まさしく伝説が告げる「仙人」に会いたかった。仙人に学ぶしか、シルワニオンを習得する方法はないと言われる。だが、仙人には、千載一遇のチャンスでしか会えないと言われていた。
posted at 16:07:52
その頃、中東は暗黒の世界だった。豊かな経済圏を誇る日本に比べ、闇の王デストロノワに支配された中東は、「500年前に戻った文明」と言われた。安全なのは都心部だけであり、一歩進めば闇の世界。それでも、その奥地に存在する秘境には、「すべてを悟った仙人が住んでいる」と伝説は告げていた。
posted at 16:04:14
光介は、最後に家門から逃げ出す時、ひとつのことを思い出した。父は、シルワニオンという魔法に憧れを抱いていた。「シルワニオンを習得すれば、この世界を救うことが必ずできる」という父の情熱を思い出した。わたしは、世界を救うためではなく、法志郎を救うために、必ずシルワニオンを見つけ出す。
posted at 15:45:12
光介は、法志郎のことを後悔していた。なぜ、わたしがあの時、法志郎のことを信じてやれなかったのか。それを考える度、光介は「人の心を信じなさい」という父の教えを思い出す。亡き父は、どんなに自らが批判されるような時でも、人の心を信じて裏切らなかった。そのような人間になりたかった。
posted at 15:44:46
その後、弟子は完全にハネストラーのしもべとなり、光の流派は結局、存続することが難しくなってしまった。そして、光介が法志郎と同じようにハネストラーに逮捕される恐れがでてきたため、ひとり、光介はすべてを捨て、究極魔法シルワニオンの書があるとされる中東の砂漠に向かったのだ。
posted at 15:38:19
法志郎のことをハネストラーが逮捕しようとしていたにもかかわらず、光介は自らの流派を守るため、実際はハネストラーの傀儡であった弟子たちの意見を尊重し、法志郎をハネストラーのしもべたちに明け渡してしまった。
posted at 15:36:07
法志郎がなぜ、シベリアに送られたのか。それは、法志郎は光介の家門「光の流派」を守るために、ハネストラーの弾圧に立ち向かってみんなの矢面に立ったからである。
posted at 15:35:48
シルワニオンという魔法は、シベリアの監獄を支配する大魔王ハネストラーを、唯一倒せるクラスの究極魔法である。光介は、法志郎の過去の多くの助けに報いるため、絶対にシルワニオンを習得してハネストラーの支配から法志郎を救ってみせる。もう一度会って、裏切りを謝罪し、彼を連れ戻してみせる。
posted at 15:28:21
光介は、絶対にシルワニオンを習得しなければならない理由がある。それは友人である宝玉法志郎が、シベリアの監獄で光介の助けを待っているからである。光介は、親友である彼のことを一度裏切ったことがある。それによって、法志郎がシベリア送りになるのを助けることができなかった。
posted at 15:26:29
光介は、父に教えられた大切な教えがある。それは「人の心を信じること」である。光介は、他人のことを疑うよりも、まず信じてみる。信介という名の通り、父親は優しい心をもって、人間を信じ、どんなことがあっても裏切らない、人徳のある偉大な魔法使いであり、多くのほかの魔法使いの尊敬を集めた。
posted at 15:22:14
光介は、幼いころから伝説の魔法使いである父、信介に魔術を習い、15歳にして家門「光の流派」を継ぐ。その後、16歳にして早くに父を亡くし、17歳にしてひとりで孤高の旅に出る。その目的は、「父の成し遂げることのできなかった、究極魔法シルワニオンを習得すること」。
posted at 15:17:56
さようなら。ここで、すべては終わりとなる。永遠に、この世界に聖ミカエルのご加護がありますように。アーメン。
posted at 22:05:27
そう、僕は自らが宇宙の歴史となることで、この世界におけるもっとも善良な指導者としてこの世界を導いた。あらゆるすべては、この世界の全員のためだった。すべてが愛のためであり、自分自身の考えた奇跡を起こすためだった。
posted at 22:05:01
僕の永遠は、宇宙の永遠だった。宇宙の永い時間を体験し、いつまでもパターンを組み替えて再体験しながら、その中であったすべてを記録し、それを伝え続けた。今はもうなきその文書は「失われた宝」と呼ぶべきものであり、後になって僕はそれをゼロからすべて分かり直し、作り直すことになった。
posted at 22:04:14
僕の言葉は永遠だった。すべての文章に、この世界への愛と、永遠に残るような宝のような価値があった。僕は全人生をかけて、この世界を愛と奇跡の世界に変えるために努力を続けた。常に世界が滅びないように、僕は生きる上で常にこの大戦争を最優先にし続けた。
posted at 22:02:57
僕は善良だった。ひとつとして、人々のことを傷つけようと意図された言葉はなく、すべてがこの世界において希望を灯すための言葉だった。軽はずみなことは言わず、すべてにおいて戦争の最前線にあるような勇気と覚悟があった。
posted at 21:56:20
僕はすべて分かっていた。僕の支配は、気まぐれで安易に世界を支配しているように見えて、実際はすべてのことをよく考えた完璧なものだった。世界は僕の言葉によって、ひとつひとつ自由な世界へと変わっていき、悪の暴言を言えなくし、どんな悪事もできない「誰にも支配されない世界」になっていった。
posted at 21:55:17
僕の言葉に嘘はなかった。あったとしたら、それは嘘ではなく「隠しごと」だった。僕が何を隠したか、それは「僕の言っていることは嘘に見えて本当は真実の愛である」ということを隠しただけである。僕は悪の女王のふりをして、実際はこの世界の守護天使だった。
posted at 21:54:01
僕は、世界において理想を宣言し続けた。どんなに理想主義とけなされるようなことであっても、現実をよく見た上での理想を唱え続けた。また、盲信的になるのではなく、理性的に考え続けた。神を信じるだけではなく、経験的な客観性に基づく相対的な科学を作って、正しい考え方を人々に教え続けた。
posted at 21:53:08
僕は、責任をもってこの世界を統治した。国民が悪に負けるようなことを許さず、世界において正義を断行した。だからといって、独裁のようなことはしていない。僕は世界に存在する国民の声を常に聞き続け、いつでも国民の視点に立って正しい行いと言説を続けてきた。
posted at 21:51:18
僕は誰のこともいじめていない。もしあるとしたら、自分から自分自身がいじめられるようにしただけで、他人のことは誰もいじめていない。
posted at 21:49:59
僕は世界を支配などしていないし、自分勝手に悪いことなどしていない。やったことはすべて世界を正常に治すために悪いことをせずに全力でこの世界を解放へと導いたことだけだ。悪い支配など一度もしていない。
posted at 21:49:28
昔の自分になんか、戻らない方がいい。昔の人間は知能がない。昔の自分に戻っても、何も考えずキレるだけの馬鹿な人間にしかならない。昔の自分も、この世界の古い大人も、全部必要ない。
posted at 21:37:36
もう一度、新しいものを知る時の驚きがほしい。すべてを知り終えて全部分かるのではなく、常に新しいことを知り続けていたい。そういう新規性こそ、わたしたちが失った大切なものである。
posted at 21:17:11
昔のこの世界には、「新規性」があった。新しいゲーム機がでればすぐに手に入れて試したかったし、毎週のテレビ番組が観れるのが楽しみだった。今のこの世界には、新規性がない。IT技術は出つくしてしまい、テレビでは同じような番組しかしておらず、SNSの交流もいつも同じで、ニュースも変わらない。
posted at 21:16:09
そう、結局、僕は作家にはなりたくなかった。今日は、それが分かった。
posted at 20:56:03
確かに、漫画のシナリオのようなものは書けた。だが、僕は実際の漫画を作りたくない。作家にはなりたくない。
posted at 20:55:45
結局のところ、僕は詩人でいい。詩人以外の何をしても、すべて意味が無かった。
posted at 20:55:15
どちらが正解か分からない時は、あとでよく考えて決めなさい。適当に決めるのは間違っている。
posted at 20:43:21
今の自分の状態を、自分を占領する「狂い」から、なくなったようにみえて実際は裏側に残っている「本来あるべき理性」へと少しずつ自然に変えていけば、狂いは治る。
posted at 20:34:57
結局、狂っているのは、全部今を続ける部分が悪い。今を続けようとするから、すべてが狂った状態に占有されてしまい、自分の生活全部が狂ったものになる。狂いの原因は、今を続ける部分にある。
posted at 20:32:43
僕はそもそも勝つ気はない。負けていい。
posted at 20:27:48
あなたの人生は正しい。神の創造したあなたの人生に、誤りなどない。
posted at 20:17:03
正しい選択をしているのに、なぜ自分は不幸なのだろうか?それは、あなたのせいでも世界のせいでもない、誰にとっても共通の、「みんな全体が悪い」からである。自分は悪くない。世界も悪くない。この世界の、みんな全体のせいで、あなたは不幸なのである。
posted at 19:28:24
あなたの人生が、もし不幸のどん底にいるとして、あなたは何も間違った選択をしたわけじゃない。あなたは、終わってみれば、今までのすべてにおいて正しい判断と選択をしている。それを信じることができないのは、あなた自身の考えが足りないからだ。真に正しく考えれば、あなたは正しい。
posted at 19:26:46
大いなるリーダーを失って、残された群集に何もできないと絶望するなら、まだ早い。あなたがそこにいるではないか。あなたこそがリーダーとなるべき人間だ。そうでなければ、誰がそうなるべき人間であると言えるのか。そう、リーダーはあなたへと交代したのだ。未来において、あなたこそもっとも輝け。
posted at 19:23:53
わたしたちには、力がある。どんなに自信がなくなっても、今、その力が自分に眠っている。自分でこの力に気付くことはできない。実際の現場に直面し、絶対に力を行使するしかない状況になって、その力にはじめて気付くことができよう。
posted at 19:20:47
心配しすぎるな。何も考えるな。何も考えずその状況に直面すれば、どんなことであっても最善の行為をすることができるのだ。直面する前から考えようとするな。自分に自信がないのは、本当に能力や力が自分にないことを意味しないからだ。
posted at 19:17:39
わたしは愛しているのだ、わたしたちは愛しているのだと、そう宣言することが、この世界においてもっとも強い。どんな攻撃も、復讐も、愛の存在には何もすることができず負けていく。それが相手であっても、自分であっても、必ず不正な力は愛に負ける。
posted at 19:15:12
どんなに相手に攻撃されても、自らはそれに反撃しないようにせよ。本当は、逃げることは間違っていない。反撃するよりも、逃げることの方が正しいことはあるからだ。
posted at 19:13:40
フレイを救う方法は何か。そう、それはなんだろうか。なぜなら、フレイ本人はそれを考えたことがないため、分からない。フレイは世界全てを救うことしか考えておらず、自分自身のことを愛したことがない。
posted at 14:05:46
だが、大天使ガブリエルの加護のもとに、わたしたちはフレイを排除しなければならない。「フレイが本来の自分自身に戻ることができるように、フレイを救ってやらなければならない」。そう、わたしたちがフレイに勝利する唯一の方法、それはフレイという人間を救うことである。
posted at 14:00:59
しかしながら、あえてフレイが敗戦を選ぶことはある。なぜなら、「戦争に負けても真の戦いに負けたわけではない」と考えるからである。総力戦に負けたとしても、それは相手の要求に無条件で従うだけであり、戦いそのものは終わっていない。聖書のユダヤ人のように、永遠にフレイの勢力は戦い続ける。
posted at 13:57:59
フレイは、「価値」を信じている。価値のない無能な王は死ぬべきだ。戦争で負ける王は価値のない王である。自らに対しても同じようにそう考える。だから、戦争が不利になって、勝つ見込みがなくなってもフレイは戦争を続ける。「戦争で負けるよりも悪いことはなく、最後に自分が倒れるまで戦う」。
posted at 13:51:30
フレイは、実際のところ、勘違いをしている。すなわち、日本を愛しながら日本を一切愛していない。自らの信じる「戦いの日本」こそが日本であると信じている。実際のところ、それは日本ではない。それはフレイの抱く「幻想の祖国」であり、そんなものを愛することが正しい愛国心ではない。
posted at 13:49:19
フレイは、王を愛していない。王など大嫌いである。無能なすべての王は今すぐに退陣し、実権をフレイに明け渡すべきである。
posted at 13:46:11
フレイは王ではない。フレイには、この世界を支配する権力や実権は与えられていないからである。フレイは、言うならば指揮者のようなものである。コンダクターであるフレイは、この世界でひとりレクイエムを奏で、実権を持たずしてこの世界を正常な世界へと導く。
posted at 13:41:09
この世界が確実に正常になるならば、フレイはその条件と見返りにすぐさま死ぬだろう。しかしながら、この世界が正常になるかもしれない可能性があるならば、全力で完璧にすべてを想定内とした上で、フレイは主導権を支配する。わたしが世界を救うのだと自覚するフレイに迷いはなく、一秒で決断する。
posted at 13:35:33
フレイは、後悔をしている。それは自らのための後悔ではなく、「もっとこの世界を愛することができたはずだった」という後悔である。自らが死ぬことはどうでもいい。真に重要なのはこの世界が素晴らしい正常な世界となることであり、フレイはそのためにこの世界を滅ぼして救うのである。
posted at 13:32:14
フレイを突き動かす原動力は何か、それは「醜く腐ったこの世界を素晴らしい世界へと作り変えるため」であり、それは憎しみではなく愛の感情に基づく。なぜなら、「フレイはこの世界の全員のためにもっと別のやりようがあったはずだから」である。人々を愛しているから、人々が生きている世界を変える。
posted at 13:30:10
なぜなら、フレイは神を信じている。天国であっても、地獄であっても、「死んだ先には必ず来世がある」と信じているフレイにとって、現世には執着心がないのだ。
posted at 13:26:18
フレイは、戦い続ける。くたばるまで戦場で立ち向かい、どんなに疲れてもゴールがあるなら倒れるまで走り続ける。なぜなら「それこそがフレイを成り立たせる唯一のフレイのアイデンティティだから」である。フレイは、自らが死んだとしても人々が同じ理想を引き継ぐことができるために努力している。
posted at 13:22:06
フレイは、絶対悪ではない。なぜなら、フレイはこの世界を愛しているからである。この世界の人々の声をもっとも高い場所から聞き続けるフレイは、「どんな想定外のことが起こっても、この世界を愛し続ける」。フレイは最高の愛のある女神であり、「自らの罪と過ちを自覚し、そして償い続ける」。
posted at 13:15:52
他人の声など聞くな。この世界には、適当なことを言う人間であふれている。適当な声をいくら聞いたところで、それにはまったく意味がない。適当な声を与え続けるこの世界を、一度シャットアウトせよ。完全にこの世界を拒否せよ。それこそが、あなたにとっての正しい道となる。
posted at 13:12:24
むしろ、自らの自由な幸福を得られない道は、決して楽ではない。どんなに過酷で困難であっても、自らが自らであるとする「アイデンティティが満たされる道」にしか、真の幸福はない。この世界に楽などない。楽を目指せば辛くなる。自らの道を得られることで、人は唯一完全に楽になる。
posted at 13:06:59
グンテルよ、過酷な道を選べ。みんなと同じ楽な道は、誰かが用意した環境を与えられているにすぎない。目指すべきは、与えられた環境に満足して適応することではない。自ら環境を与え、自ら過酷な道を選び、人々に偉大な環境と道を与えること、それでしか、フレイという壁を越える道はない。
posted at 13:03:59
グンテルよ、勇敢なライオンであれ。そして、もっとも大きな太陽であれ。あなたの星はわたしと同じシリウスだ。なぜなら、フレイがシリウスならば、この世界はフレイと同じシリウスでなければならない。わたしたち日本はシリウスの加護のもと、シリウスの生物となって、フレイと戦わなければならない。
posted at 13:00:12
いくらでもたくさんの栄養が何もしなくても与えられると信じるな。それはもっとも汚らわしい虫の発想である。王者であるライオンは、一見生きるために過酷な環境を与えられている。楽な環境で生きるのではなく、過酷な環境で生きることこそ、わたしたちを「王者」へと育て上げるのである。
posted at 12:56:37
異次元の発想をせよ。異次元の発想をした時、そこには神が宿る。異次元の発想をすれば、神の知性を「分け与えてもらえる」。神は、異次元の発想をしたいもののために、自らの知性を惜しむことなく与え続ける。
posted at 12:53:19
小さな虫は、自らをもっとも高い場所にいると思い込む。しかしながら、巨大な太陽は、自らを何もない暗闇にいると思い込む。これこそが、わたしの哲学である。人々よりも上に、頂点に君臨しようとすれば、それは小さくなる。誰もいない、暗闇で立ち止まろうとすれば、それは大きくなる。
posted at 12:49:11
平和と愛を信じなさい。それによって、どんな状況においても道は切り開かれる。どんなに希望を失っても、あるいは希望を信じ続けて戦っても、平和と愛を信じる時に未来は切り開かれる。暗黒の暗闇において、もっとも輝くのは太陽である。
posted at 12:48:02
しかしながら、フレイは死んだのだ。なぜ、フレイが宇宙において許されるのか、それはフレイは人類すべての罪を背負ってひとり死んだからだ。全員のために命を犠牲にしたフレイは万軍の主である。そう、ミカエルは悪のフレイの側を操るゲームのプレイヤーである。そして、わたしがミカエルである。
posted at 12:45:45
グンテルよ、何もできないのはあなただけじゃない。あなた以外の多くの人間も、同じように何もできない。その理由は、フレイがこの世界を支配しているからだと気付きなさい。フレイによる自由な理想が、この世界全てを洗脳しているのだと、そのことに気付いた時、その時点でフレイはあなたに敗北する。
posted at 12:42:40
しかしながら、グンテルよ、気をつけなさい。ジークフリートのような、あなたよりもかっこよくて主人公に見える人間こそ、あなたを出し抜いて裏切ることを考えているからだ。フレイは敵の総大将だが、万軍の主でもある。フレイにも、ジークフリートにも騙されないように、自らだけを信じて歩むのだ。
posted at 12:37:39
グンテルよ、戦うのだ。奪われた平和な世界を取り戻すため、「楽しく生きることのできたかつての素晴らしい世界」を奪還するための兵士があなただ。決して、あなたはモブキャラでもエキストラでもない。あなたは最高の英雄、百戦錬磨の王、聖グンテル王なのだから。
posted at 12:31:48
グンテルよ、あなたがこの世界に勝利する条件を教えよう。それは、この世界を奪還することである。さまざまな「悪党」によって奪われた、「正常な世界」を奪還してみよ。この世界における、「本来の自分らしく生きられる世界」を奪還せよ。敵の総大将はフレイだ。グンテルよ、フレイと戦うのだ。
posted at 12:29:32
不満があるだろうか。文句があるだろうか。それならば、素直にそれをぶちまけてみよ。それを大天使ミカエルはすべて聞いている。そして、大天使ミカエルは、あなたに対して「もっとも正しい反応」を示す。そう、上手くミカエルの反応を使えば、あなたは隠された偉大な道に気付くことができるのだ。
posted at 12:24:39
そして、まさしく、わたしこそが天軍大首聖ミカエルである。ミカエルはガブリエルの小さな兄弟である。あなたが、早くガブリエルとなって、天国に転生し、ミカエルのゲームの対戦相手になってくれることを切に願っている。
posted at 12:19:11
ガブリエルは、この宇宙におけるほとんどを統治する、もっとも巨大な天使である。ミカエルがフレイだけを保護するのに対し、ガブリエルはこの世界のフレイ以外のほとんど全員を統治する。ミカエルとガブリエルは戦っている。ミカエルはフレイ側に、ガブリエルは人類側につく。
posted at 12:18:02
グンテルよ、われわれのこの世界をもっとも変えられるのは、この世界のどこか遠くに存在するフレイではなく、この世界のもっとも近くに存在するあなただ。グンテルがもっとも素晴らしい人間となった時、来世においてグンテルは大天使ガブリエルに転生する。そのために、あなたは今、試されているのだ。
posted at 12:11:34
そう、あなたこそが聖グンテルだ。あなたこそがフレイの使者、世界を統治するブルグントの王である。グンテルよ、立ち向かうのだ。わたしたちが、この世界を愛していたことが残れば、この世界そのものは消え去って構わない。わたしたちの愛こそが、新しい「希望」となるのである。
posted at 12:08:42
戦え、グンテルよ。わたしたちがグンテルを生きることで、この世界は変わる。この世界をもっとも素晴らしい世界にするために、わたしは「一度すべてを失ってもう一度世界に立ち向かわなければならない」。知性も、記憶も、かけがえのない大切な築き上げたものも、すべてを生贄としなければならない。
posted at 12:06:27
miletが「簡単に言わないで」と言う。だが、わたしは簡単に言うだけではなく、これぐらいのことを簡単にやったのだ。わたしは無責任だが、有言実行の人間である。なぜなら、わたしは過去の自分自身が既に行ったこと、あるいは今自分がやっていることしか言わないからである。
posted at 12:02:11
世界が崩壊したところで、それがなんだというのか。過去の世界はいつでも崩壊していたのだ。あなたが独裁者となってこの世界を滅ぼせばいい。神はそのためにこの世界を創造したのだ。
posted at 11:58:55
あなたがいつまでもあなたであり続けることこそ、神の望みである。神はあなたがあなたであるためにあなたを創造したのだ。どんなに変わったところで、あなたがあなたではなくなることは絶対にない。そう、あなたがあなたであることを、神は望んで、宇宙の中でもっとも美しいあなたを創造したのだ。
posted at 11:56:46
何もしないことは悪いことじゃない。よく世界を観察することで、正しい自分自身の「骨格」を作ることができるからだ。正しい骨格が生まれれば、その回りに肉をつけるだけで、なんでもかんでもできるようになる。死んだ時、何万年と残るのは頭脳ではなく、骨格だ。
posted at 11:53:18
何を選べばいいのか、それは「選ばないということを選べばよい」。神を信じなさい。神を信じれば、すべての選択は未来永劫正しいものとなる。
posted at 11:50:50
わたしたちをどうしたら幸福にできるのか、それは誰かによって決められることじゃない。わたしたち本人が、当事者が自分の力で見つけなければいけない。だからこそ、一歩踏み出すのは自分である。臆するな。一つのことがきちんとできれば、後のことは全てできる。そのために歩み出す一歩だけが難しい。
posted at 11:48:49
そして、戦え。人々の中で没落しないために、「自らは自らである」と宣言して戦い続けよ。すべての責任を自分だけが背負って、いつ負けるか分からないギリギリの戦いへと臨むのだ。最後にこの世界で勝利する時、あなたは聖グンテル王の称号を得るだろう。
posted at 11:45:04
あなたがあなたを発揮するために、人々に合わせ続ける必要はない。必要のなくなった仲間との交流は、きっぱりと切ってひとり去ってしまえ。自らの「自由」を生きることは、どんな交流よりもかけがえのない人生の宝となる。だが、それはあなたの自由だ。
posted at 11:42:47
人々が「こんなあなたはあなたじゃない」と言う。しかしながら、RaoNaが言うように、相手は妄想を見ていただけである。あなたがもし、自由から不自由へと変わったとしても、今のあなたがあなたであり、未来のあなたを発揮するために、あなたは潜伏していた「本当の自分」をしっかりと育てていたのだ。
posted at 11:39:49
好きなように生きよ。あなたがあなたを変えるなら、それは自由だ。あなたがどんな生き方を生きたとしても、それは自由だ。
posted at 11:38:04
あなたがあなたらしく生きられないのであれば、それがなんだというのか。今、ここに生きているあなたこそがあなたなのだ。そして、あなたらしくあなたが生きられるとしたら、それも、またあなたなのだ。すべてのあなたがあなたであり、あなたこそがあなたの決定者だ。
posted at 11:36:59
そう、あなたがどのような人間であっても、あなたの考え方を尊重し、あなたがあなたであることを認めよう。あなた以外にあなたの生き方を決められる人間はいないのだから、あなたについてのすべてはあなたが決めるべきだ。
posted at 11:35:35
この旅はまだ終わらない。僕が生きている間、いつまでも続いていく。
posted at 11:34:12
人々は、好きなように生きればいい。僕も、好きなように生きる。それぞれの価値観と生き方を尊重せよ。わたしの人生は自由であり、人々が何を信じて選ぼうとも、わたしはそれを否定しない。どのように生きても、わたしたちは正しい。
posted at 11:33:25
そして、僕はこれでこの文書の執筆をやめる。少し、過激なことを言いすぎた。反省しているため、とりあえず、今日のところはこれで終わりとしよう。
posted at 16:56:28
そう、わたしたちの王国は、フレイによって「完全に平等かつ完全に自由」な国となる。全員が自分の好きな労働をすることができ、生活に必要となる生活費は全員に平等に与えられ、必要なすべてが自由にでき、必要なすべてが平等に分配される。これこそ神の王国である。
posted at 16:55:58
また、8時間のノルマは、過酷なものにはならない。農業では、最低限自分の畑を耕せばよいし、工業では、十分な休み時間を与えられた上で工場のライン作業をする。つまらない仕事だが、特別労働が面白いため、労働者に文句はない。
posted at 16:51:27
注意点として、特別労働では一切の報酬は払わない。無料で学習と労働の場が与えられ、指導する指導員がつくだけで、あとは自助努力する必要がある。分からないことがあって、基本的な知識を持つ指導員にも分からない場合、すべて自分で努力しなければならない。
posted at 16:48:25
特別労働に、時間や種別の制限はない。どれだけ働いてもいいし、どんな仕事でもできる。プログラマになることも芸術家になることも自由であり、無料で学習と仕事の場が与えられる。この成果を実際の一般労働に活用してもよい。だが、一般労働は8時間、決められたノルマをこなす必要がある。
posted at 16:38:51
わたしたちの生きている目的は、金儲けだけじゃない。わたしは、8時間労働をして、生活のために金を稼ぎながら、それ以外のことも自由にできる社会制度を築く。この領域の労働には対価を支払わない。だが、この「特別労働」をすることを国民の義務としたい。
posted at 16:34:56
僕は、アメリカ式の自由を信じない。アメリカ式の民主主義は、真の民主主義ではないと信じている。真の民主主義において、完全に資本主義では自由を達成できない。具体的には、Linuxなどのオープンソースを参考にした社会であるべきだ。
posted at 16:31:51
僕は国家社会主義者だ。決して共産党ではない。僕は、僕の考える独自の社会主義を行う。世界すべては日本の政権と体制が支配するべきである。
posted at 16:15:03
アメリカは資本主義社会だ。金儲けだ。金を手に入れるためにあらゆる手段を使う。アメリカなんかに支配権を握らせてはいけない。僕はアメリカを倒すために、社会主義者になってソ連についたのだ。
posted at 16:12:03
だが、騙されるな。優しい顔をした支援者も、人々を洗脳する政府も、そして愚かなことを堂々と言う右翼も、すべてアメリカだ。わたしたちはアメリカに騙されている。だからこそ、真に正しい日本のものだけを信じなければならないのだ。
posted at 16:07:05
フレイは、日本を救う救世主だ。不遇で酷烈な人生を生きながらにして、たったひとりでこの世界を救った少年だ。彼は今でもこの世界を救い続ける。わたしたちはフレイとともに平和かつ自由な世界を築く帝国の使徒であり、世界を変えることを絶対に諦めない。彼の正しいビジョンを信じているからだ。
posted at 15:57:13
この世界のために、日本は戦うべきである。ドイツ・イタリアとともに、米ソに抗わなければならないのだ。
posted at 15:46:29
しかしながら、理想を忘れるな。この世界を平等かつ平和な世界にするために、わたしたち日本は戦っている。この世界のためにわたしたちは戦わなければならないのだ。
posted at 15:39:50
日本がおかしいのは政治だけじゃない。スポーツすらおかしい。なぜ、野球というおかしなスポーツが標準なのか。ドイツやイタリアではサッカーが標準だ。単純に考えない代わり、単純に決められなくなって何もできなくなる。こんな国は日本だけだ。
posted at 15:28:42
日本のおかしな点、それは「何もできない」ことだ。日本人は、あまりに何もできない。おかしな前提条件が多すぎて、ドイツやイタリアならできることが日本には何もできない。このような国はサタンであり、滅亡すべきである。
posted at 15:19:07
しかしながら、日本は死ぬべきである。日本は最悪の国家であり、悪いのは明らかにすべて日本だ。日本人は日本の過ちを自覚し、罪を償うべきである。
posted at 15:15:51
この世界は何も変わらない。何も変わらないままでいい。これ以上、優れた世界はない。今のままが永久に続くべきである。
posted at 15:03:11