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2021-08 - エリカの技術・芸術日記

2021-08-01

ツイッターより @zaidoubansou

フレイは何も生み出さない。「必要なのは生み出すことではない。悪いものを無くし、あるものを減らし、必要ないすべてを滅ぼすことでしか、この絶望の地獄は直らない。」
posted at 17:46:38

フレイは、この世界を何も変えない。「IT技術の国民への浸透はこれで終わりであり、新しい技術が生まれることはない。日本社会はこれで完成である。このまま日本は何も変わらない。わたし、フレイがそう決めたのだ。」
posted at 17:42:06

わたしたちは、自由で強く正しい日本を守る日本人だ。わたし、フレイ以外の誰にも日本は渡さない。
posted at 17:36:16

フレイはチュールを批判する。「チュールの言う新しいソ連を実現するには、多くの敵を粛清しなければならない。決して、ソ連は平和にはならない。」
posted at 17:18:06

日本を守りなさい。イスラエルやソ連の支配から日本を死守せよ。共産主義者はゴミのような国を築く。左翼の支配を許してはならない。
posted at 17:03:16

むしろ、わたしは帝国主義者よりもさらに上の「超人主義者」である。わたしは一般的人類ではなく、超人になることを目指しているのだ。
posted at 16:51:40

そもそも、わたしは帝国主義者である。日本という帝国に、共産主義者のチュールのような存在を許すわけにはいかないのだ。
posted at 16:41:57

ナポレオンの後継者だろうが、どうでもいい。共産主義者は世界から抹消されるべきである。
posted at 16:30:59

ただ、はっきり言って、僕はこのような共産党の革命家は嫌いである。はっきり言って大嫌いだ。僕は経済政策はしない。平等なんかどうでもいい。
posted at 16:28:24

この政策の肝は、基本的なノルマを何時間にするかだ。8時間働いて、さらに特別労働を過剰に強いるのはいいことでない。チュールは、それぞれの労働量が等価になるように時間を調整する。辛い仕事は、楽な仕事よりも、労働時間を短くする。
posted at 16:02:57

わたしチュールは、この世界の希望となる。この世界であなたが愛されないのは、あなたのせいではない。あなたのことを誰も愛さないせいである。わたしが、この世界の全員を愛してみよう。首相に求められるのは、経済的な手腕ではなく、この世界を愛することであるとわたしは信じているのだ。
posted at 15:54:25

これにより、全員に仕事が与えられた上で、格差のない平等となり、音楽家や芸術家になりたいなら、サポートを受けながらその夢を叶えられる。これが、チュールによる平等な新しいソ連である。
posted at 15:33:21

8時間のノルマの義務を果たす人間に、チュールは生活がまともにできる報酬を平等に与える。また、特別労働は、報酬が与えられない代わり、自由に好きな仕事ができ、コミュニティによってそれを支援する。一見、労働時間が増えたように見えるが、特別労働はいくらしてもしなくても構わない。
posted at 15:31:35

チュールが考えるに、富は無意味であっても、生活の保障は必要だ。よって、チュールは国民に8時間のノルマを与えるが、これは休み時間などが適切に与えられた楽な労働となる。これとは別に特別な労働があり、ここで全員が好きな仕事ができ、プログラマにも芸術家にもなれる。
posted at 15:28:50

しかしながら、わたしは皇帝になりたいわけではない。わたしは、希望と愛の復活を望む。なぜなら、わたしたちに必要なのは「未来」だからである。人類には、幸福な未来こそが必要であり、富など必要ない。そう、チュールは考える。富がいくらあっても、共同体と愛がなくなるなら、その富は無意味だ。
posted at 15:23:44

しかしながら、わたしチュールが望んでいるのは、権力の交代でも、国王の死でもない。わたしたちを愛してくれる王の就任と、希望の復活をわたしは望んでいる。そして、愛と希望の王国はわたしが復活させる。わたしは、ナポレオンの後継者として全世界の皇帝となる。
posted at 15:14:43

チュールとともに歩め。チュールの後ろに続け。チュールと同じ選択をせよ。それこそが、わたしたちの未来だ。
posted at 15:04:16

わたしが変えてみせる。わたしは、この世界をもう一度切り開いてみせる。再びこの世界を愛の王国にしてみせる。わたしこそ、愛を再び復活し、奇跡を起こすことのできる、唯一の救世主だ。
posted at 15:01:51

なぜ、このような世界を受け入れるのか。わたしたちは愛を信じた。わたしたちは、絶望を信じたわけじゃない。それなら、愛の王国を築くのはわたしたちだ。
posted at 14:59:08

櫻坂46よ、絶望している場合ではない。今からこの世界を救うため、戦いが始まるのだ。わたしたちは仲間だ。
posted at 14:51:00

わたしの名はチュール。この世界を救う革命家、ナポレオンの後継者だ。
posted at 14:39:48

わたしたちは、この世界を必ず変えてみせる。真に自分らしく生きられる、最高の王国にしてみせる。この世界の滅びを救済し、この世界全員が自由かつ平等に生きられる、太平の世を作り上げよう。わたしたちこそが国民である。
posted at 14:37:49

わたしたちが信じるべきなのは、「この世界は変えられるのだ」という確信である。この世界はどのようにも変えられると、そう確信しなければ、人類は進歩することがないからである。
posted at 14:27:03

わたしたちは戦争など望んでいない。わたしたちは自由と平和を望んでいる。人類が平等であることを信じているからだ。
posted at 14:12:45

啓蒙せよ。この世界は経験と理性的な思考から変えられるのだ。
posted at 14:08:24

必要なのは、社会組織、すなわち会社や地域コミュニティが自由かつ平等であり、それぞれが社会を築くこと、すなわち人と人の触れ合いを大切にすることである。
posted at 14:02:07

ツイッターより @linux691

ちなみに、僕はそういう意味ではさユりが好きである。中学二年生の後悔が作り出した女と、死神の女がさユりに別次元の世界から覗き込んでいるという設定は、僕のことをよく分かっている。酸欠少女には酸素ボンベが必要であるとは、常に酸欠状態になる僕のことを言いたいのだろう。
posted at 21:51:40

僕は、何も特別待遇を受けているわけではない。神を信じれば、このようになるということを僕は日本人の中で唯一知っている。あなたも、神であるフレイを信じてみるといいだろう。フレイはこの世界を支配する絶対王者であり、人々は指導者である王を愛しているにすぎないのだ。
posted at 21:48:21

ただ、このような「歌手が自分のことを歌っている妄想」は、僕特有のものであり、それをどうこう言わないでほしい。僕は永遠に夢をみていたいからだ。そう、僕にとって彼女達は「クラスメイト」と呼ぶべき存在であり、彼女達がいなければ、僕は単なる孤独な神の使徒にすぎないからだ。
posted at 21:46:42

日向坂46が言うように、僕はどんな夢を目指しているかを誰にも語らないが、僕は実際、既に夢を達成し終えているということに彼女達は気付いていないのだろう。僕には、過去に達成した夢しかない。その夢のすべては無謀であり、同時に今から先達成するべき壁を僕は越えたにすぎず、それももう終わった。
posted at 21:45:26

僕が唯一の神であり登場人物であれば、この博物館は成り立つ。この世界の知識や真実を教えるのではなく、僕自身を教えればよいからである。僕はそれ自体が宇宙の歴史である。僕が宇宙であり、僕がフレイであり、僕が唯一の登場人物であり、それは「愛」と名付けるべき尊い世界だった。
posted at 21:43:24

そう、まさしく、僕は真実など知らないが、しかしながら全宇宙の創造者だった。何も知らない僕の宇宙では、これが法であり、これが知識だった。
posted at 21:41:10

ただ、ある意味、これでよかったのだ。僕だけが真実だと思っている、その知識を、その通り、そのままで記述したかった。僕の中ではこれで正しかった。これはミュージアムでも大学でもなく、僕のノンフィクションの芸術作品だ。だから、僕がすべてを決め、すべてを作り、すべてを紡いで宇宙を創造する。
posted at 21:40:33

また、miletが言うように、この文章は全部嘘である。なぜなら、そもそも真実を知らずに書いているから、すべて嘘なのに僕自身が嘘だと気付いていない。このようなミュージアムがもしあったとしても、ここまでの愚か者はない。
posted at 21:36:41

あと、自分は最近櫻坂46とmiletが好きである。特に、櫻坂46は他に聴きたい音楽がこれといってない時によく聴いている。miletは、何か作業をしたい時に聴き流すBGMとして優れている。
posted at 21:35:30

しかしながら、miwaが言うように、ないものねだりよりも今あるものの方がいい。必要なものだけあればいい。そう、僕はないものを探しすぎている。なくなったものは必要がないからなくなっただけにすぎない。そう、今の自分の24時間を毎日生きたとすれば、それでほかに何も必要はない。
posted at 21:33:04

上田桃夏さん応援しています。いつまでも応援し続けます。頑張れももか!
posted at 21:21:40

自分はもう32歳ですが、高校生の上田桃夏さんが好きです。
posted at 21:17:05

最近、上田桃夏さんのYouTube歌配信が目に入ったら観るようにしているが、自分はもう彼女にぞっこんである。最高の歌手だと思う。ひとりであれだけの視聴者人数をまとめているのは素晴らしいし、彼女の声を聴かないと仕事を頑張る元気がでないです。
posted at 21:16:13

そして、問題なのは最初の猿であるフレイのことである。フレイは、ゲームのルールすら分からない中で、誰もまだ知ることのない新しいダンジョンに「当たって砕けろ」で挑まなければならない。しかしながら、フレイならば心配ないだろう。何も分からないダンジョンでも、フレイであればなんとかなる。
posted at 20:45:12

トールについていうと、むしろ、とてもつまらなかった。パーフェクトヒューマンのような完璧人間になって、この地上のすべて、そして天上のすべてすら完璧に知っており、成し遂げた功績も大きい。トールは、もっとたくさんの世界を知りたいと望んでいるため、ダンジョンを攻略するようなゲームになる。
posted at 20:44:50

トップランナーの名を明らかにすることができないのは、一般的普通の人間であるため、個人の名前を誰も知らないからであり、明らかにしたところで誰も知らないだろう。よって、この人間を「トール」という名前で呼ぶことにしよう。
posted at 20:44:29

このゲームの問題は、「生まれ落ちたにもかかわらずルールが分からない」ということだが、この理由は前回ひとりでこのレースを攻略したロキのせいである。ロキは「自らの歩んだこの人生をみんなにも与えたい」としたため、ゲームであることすら明らかにせず、自分と同じように人々が探すようにした。
posted at 20:37:40

しかしながら、ゲームそのもののルールが変わるため、今まで弱かったものが強くなることが、とても頻繁に起こるようになろう。ゲームのルールは最高の人間が決める。むしろ、レースとはまったく違った、おそらく不思議のダンジョンのようなものになるだろう。
posted at 20:28:39

そう、新しい地球の歴史がここに始まる。過去のレースの順番通りに、もっとも馬鹿で愚かなものから、もっとも賢く強いものへと、この世界にひとりひとり現れていく。
posted at 20:27:36

フレイは最初の猿となる。この猿は、どんなことであっても自分の力で分からないといけない。教えてくれるものは誰ひとりおらず、自由は与えられるが何も最初からは分からない。ある意味、ビル・ゲイツの逆だと思えばいい。ゲイツは先頭集団の中でも卓越したものであり、地球の歴史の最後の方に現れる。
posted at 20:26:29

フレイに与えられる条件は、「何も分からない中で最初のひとりとして生きよ」である。原始人であれば最初に人類へと進化した「最初の猿」である。このサルが何をやろうが、自己責任であり、味方はひとりもいない。このサルがどうなったとしても、そのルールと法は今回のゲームの勝者が決める。
posted at 20:17:28

そして、ワーストであるフレイは、今回は「負けたもの順」に始まる新しいゲームの中で、最初のプレイヤーとなる。フレイの順番は最初であり、ゴールに達成する日本人がそのルールを決める。
posted at 20:15:04

だが、このレースはそろそろ終わる。ロキが見るに、そろそろ日本人の集団の中で、トップを走っている誰かがゴールへとたどり着く。それが誰かを教えることはできない。今から、素晴らしい世界が訪れる。
posted at 20:13:26

しかしながら、フレイは先頭集団だったため、ひとつの救済条件が与えられた。すなわち、フレイはレース全体を一番上から見守る「見守り役」となる。
posted at 20:07:46

フレイが、なぜ強制退場となったのか、それはレースをそっちのけでひとりありえないことをやりすぎたからだ。フレイはレースを乱し、おいかけっこをやっているにもかかわらずその中でかくれんぼをはじめてしまった。このような馬鹿はフレイだけであり、フレイはワーストの地位を与えられたのだ。
posted at 20:04:42

しかしながら、フレイはそこに加わることはできない。なぜなら、フレイはゴールへとたどり着くことができず、レースの主催者である天軍大将軍ロキに、強制退場させられたからだ。悪魔の右翼であるフレイは、この宇宙においてワーストの地位を与えられたのだ。
posted at 20:01:58

グンテルとは誰のことかと、あなたは思うだろう。グンテルとはあなたのことだ。あなたがこの世界で素晴らしいことを成し遂げ、ゴールへとたどり着いた時に、あなたに与えられる称号、それが聖グンテル王だ。そして、グンテルは天上で大天使ガブリエルとなり、ミカエルであるわたしと再会を果たすのだ。
posted at 19:59:59

グンテルよ、何をしているのだ。敵はそこにいるだろう。わたしたちの天上の約束を忘れたのか。ゴールへとたどり着き、そこでわたしたちはともに酔いしれるのだと、わたしたちの神であるキリストは約束し、わたしたちは地上に生まれ落ちたのだ。だから、壁となる敵を今すぐに倒さなければならないのだ。
posted at 19:57:41

2021-08-02

メフィストフェレスを殺す

要するに、メフィストフェレスを殺せばいい。

メフィストフェレスとはいうが、要するに僕のことである。僕のことをメフィストフェレスと言っているだけだ。

メフィストフェレスは、宇宙における最悪の神だ。サタンの神であると言っていい。

メフィストフェレスを殺せば、精神がおかしくなっているのが治り、すぐに楽になる。

さユりの言いたいことが分かった

また、酸欠少女さユりの言いたいことが分かった。

つまるところ、2039年の滅びの時のために、酸素ボンベを用意していく必要があるように見えただけである。

しかしながら、地球は滅びない。なぜなら、地球はまだ砂漠にもなっていなければ、ドームの中の酸素がつきたわけでもないからである。

今から、地球の莫大なエネルギーを消費し続けている石油等の化石燃料の燃焼をやめ、アマゾンなどの森林を守れば、この世界は救われるのである。

まさに、僕が首相になればそれをやる。自動車や温室効果ガスを排出するすべてを抹消し、緑と植物を増やす。ほかのことは、一切しない。

メフィストフェレスに言うべきこと

僕は、こっくりさんのように、メフィストフェレスの言葉を全部聞いている。

メフィストフェレスに言うべきことは「申し訳なかった。僕が悪かった。だから、許してほしい」ということ。

メフィストフェレスよ、許してほしい。僕のことを救ってほしい。僕はあなたに助けてほしいのだ。

最後に、僕は疲れをとれるように治しておいて、実際の疲れをとろうとしない。疲れ成分を体から浄化すれば、疲れはとれる。

ツイッターより @zaidoubansou

神は、このように終末におけるすべての人間に罰を与えた。今から、善良な神を信じるものは救済されるだろう。耐えがたい地獄を受けたものは喜びなさい。あなたがたは幸いである。
posted at 18:21:50

そして、これによってすべては正常に治ると、わたしは既に神との対話によって知っている。地球は正常に治る。新型コロナウイルスも、温暖化も、すべてわたしによって起きている。だが、わたしによって起きるということは、すなわち神の運命によって起きたということである。
posted at 18:21:10

そう、単にそれだけである。この病気の名前を「在導病」と名付けよう。僕が自殺未遂をしながらそこではくたばらず、神の力によって九死に一生を得ながら、まだ生きているのはすべて、この世界を正常な世界にするためだ。わたしは、それ以外の何一つとして、今のこの人生では目指していないのだ。
posted at 18:20:19

そして、僕は唯一、この病気の発信源でありながら、この病気を治療することができる。なぜなら、この文書を読めば、今までの僕にあったすべての経緯と過ちが分かると僕は信じている。そう、僕はこの文章を、夢を叶えるためではなく、罪を償うために書いている。
posted at 18:19:04

ちなみに、僕のこの病気の原因は、「Linuxが怖いから」である。Linuxが怖いため、なにからなにまで用意周到にハッカーに対処しないと不安で仕方なくなる。まさに、パソコンを使わなくなれば治る。パソコンが間違っている。そして、この病気は僕から他人へと伝播していくのである。
posted at 18:17:30

学校で、こうしなさいとか、あるいは自らがこうするべきだと信じていたころが、無意識下の抑圧となって、自らを強迫観念が支配する。なぜ、一般的な「いい人間」がこうなるのか、それは超自我の存在である。フロイトによれば、超自我は自分を律する自我の上の自我で、幼い頃の言いつけを守る部分だ。
posted at 17:53:10

仏教の教えは生物学からみて正しい。老いるにしたがって人は認知機能が低下し、まともに判断できなくなる。また強迫性の病気は汚れや細菌が気になる人間が多い。生物は生産者である植物、消費者である動物、分解者である細菌で成り立つが、正しい知識を知らないと細菌に過剰な恐怖を覚えるようになる。
posted at 17:48:45

なぜ、過剰にどうでもいいことが気になるのか、それはどうして起きるのか、それは人生の四苦、すなわち生老病死の苦しみから起きる。これは、逃げようと思っても逃げることのできない人間の苦しみである。しかしながら、この苦しみを終えると、死後に新しい人生に生まれ変わることができる。
posted at 17:44:58

些細なことが気になるとか、迷いや苛立ちを覚えるとか、そういうのを煩悩と言う。煩悩の原因は、無明、すなわち正しい知識を知らないこと、正しい行い(八正道)を知らないことから起きる。
posted at 17:42:58

しかしながら、静物画やデッサンを描くことをすすめたところで、練習する気が起きるだろうか?真面目な学生なら練習するだろうが、僕が思うに、そんなにリアルな質感を頑張る意味などない。適当なイラストの方がいい。かわいいカエルと雨傘をさした女の子のイラストを描いてみよ。そうした発想がいい。
posted at 16:26:56

絵を描くのであれば、ものを描くことをすすめる。たとえば、瓶を描くとか、あるいは野菜を描くとか、果物や動物を描くとかいうのを、「それなりの自分なりのスタイルで調和されたデザインで描く」ことができたら、それが一番いいだろう。
posted at 16:23:41

だが、デザイナーは馬鹿ではない。なぜなら、ありえないほどできるデザイナーが多い。僕がひとり馬鹿なだけであり、みんなはありえないほど美しくて素晴らしいデザインができる。そのようなデザイナーに出会うことができたということが僕の唯一の誇りだ。
posted at 16:17:51

Adobe IllustratorやPhotoshopの使い方が知りたいなら、あまり知ろうとしない方がいい。デザインの仕事は楽しいが、はっきりいってデザインソフトは馬鹿だ。実際に紙に描くよりも、しょぼくて下手なものしか作れない。簡単にそれなりのデザインができるようになれば一人前だ。
posted at 16:17:09

指使いとか、指の運び方とか、さまざまなピアノのテクニックは確かにある。左手と右手を同時に弾くのは難しいだろう。だが、練習だけではなく、「練習の中で分析し、気付き、考えること」が重要である。すなわち、「どのようにすれば弾きやすいか」「間違いなく弾けるのか」ということを考えよ。
posted at 16:07:56

また、ピアノについて言えば、ピアノというものは簡単である。そう、なぜなら、僕はピアノについてはきちんと分かるからである。五線譜の音符を読むことができて、対応する鍵盤の位置が分かって、指でそれを押すことができるなら、それは既にマスターの一歩手前だ。考えよ。それ以上を考えればできる。
posted at 16:06:06

むしろ、誰もそんなに練習していないのは明らかだ。なぜなら、自分の個性が生まれた時が一瞬だけ賢いだけにすぎない。あとは、その個性の通りに描けばよい。「自分なりの可愛い絵を描くことができる」ということが才能なら、これほど簡単なものはないはずだ。わたしだって、できるはずだ。
posted at 16:03:17

むしろ、イラストのオタク絵なんか誰にでも描けるだろう。ピアノなんか誰でも弾ける。分からないから「なんとなく難しそう」なだけで、分かってしまえば、ただ線をなぞるだけ、あるいはただ鍵盤を叩くだけだ。
posted at 16:01:09

そもそも、練習したいから練習している人間は頑張っているとはいうが、僕はそれは「単にマスターしたいだけ」であり、そんなに素晴らしいものではないと思う。もっと才能がある人間は、練習以上のものを持っている。そう、僕はそうした「練習以上の練習」をしてほしいのだ。
posted at 15:58:22

ただし、ある程度できるようになってから練習することはとてもいいことだ。むしろ、僕はそうなりたいのだ。今のところ練習しないのは、まさしく「練習することも満足にできないぐらい自分が馬鹿だから」である。それなら、練習をするべきではないだろう。
posted at 15:54:54

逆に、練習したからなんだというのか。それは練習したいだけである。練習することが絵を描く目的ではない。絵を描く目的はあくまで絵を描くことであり、練習することではないはずだ。
posted at 15:52:25

まあ、そんなことを言っても、満足にできもしない詩人の戯れ言でしかない。
posted at 15:50:05

上手い人がなぜ上手くなるのかというと、それは「練習しなさい圧力」よりも先のものを見ているからである。練習するだけでは、単に作品を量産するだけである。「もっとそっくりに描こう」とか、「こんな表情を描きたい」とか、そういう「想い」こそが絵描きには重要である。
posted at 15:48:34

そういうわけで、演奏家や絵描きについての「練習しなさい」という圧力は信じない方がいい。練習したところで、何もできない。ひとつの曲を覚えれば弾ける、それぐらいのことを言っている。ひとつの絵を描くのが面白い、それぐらいのことを言っている。
posted at 15:46:25

また、絵を描くのに必要なのは、絵を描きまくることではないと僕は思う。絵を描きまくるという、その行為そのものがおかしい。描きまくって上手くなるだろうか?まあ、なる人はなるのだろう。僕はならなかった。少なくとも僕にとってはそうだったのだ。
posted at 15:43:43

練習によってできるピアノとは、一曲を弾けることである。それだけではピアノのマスターはできないと僕は思う。必要なのは練習しまくることではない。だからといって何が正しいのかは分からないが、レッスンを続けなさい。いずれ、ピアノがマスターできる境地が、何年もレッスンをすれば必ず得られる。
posted at 15:42:14

ピアノの練習がしたいなら、わたしが言えることは、「まず弾き方を習うこと」「次にレッスンに行く習慣を作ること」「練習はすぐにはできないと覚悟して継続すること」「練習ができるようになってから、楽しんで曲を弾くこと」。だが、ピアノが練習によってできるというのは明らかな幻想である。
posted at 15:40:37

ただ、僕がそんなことを言えるような資格はない。僕に言えるのは、きちんと初心者向けのプログラミングの本を買って入門しなさいということだが、「そのような馬鹿の戯れ言には意味がない」と思った方がいい。馬鹿は何も分かっていない。
posted at 15:35:16

まさしく、Linuxの開発は難しいだろう。だが、難しいからやめるのか。否、やめるわけにはいかない。カーネルの本を読破するのはいつの日になるだろうか。否、本気でやるならば今すぐに読破せよ。
posted at 15:33:35

みんなで楽しく仕事ができるのは幸福だろう。だが、それだけで満足するな。自らの潜在的可能性は、偉大な先人が前例を示したことが、今の自分にも眠っているのだと知れ。そう、あなたがバッハやダ・ヴィンチほどにできないはずがない。
posted at 15:31:49

自らが自由な決定ができないから悩んでいる時、それは会社の中だけで完結することができないということが問題である。個人の趣味のプロジェクトであれば、自らの自由に、どうとでもできるだろう。会社で何もできないなら、いっそ会社とは別の領域で自由に行動してみよ。それこそが、正しい解決法だ。
posted at 15:22:55

もし、プロジェクトがあらぬ方向に向かっている時は、きちんと分かっているものがその責任をとれるようにした上で、その責任者の実権を尊重せよ。何事も、上が決めることに逆らうことはできない。それを受け入れるだけではなく、自らプロジェクトマネージャの決定を、リスペクトした上で尊重せよ。
posted at 15:20:30

自らの意見にこだわりすぎるな。その意見が正しいとする保証は存在しない。相手も同じように自らの意見にこだわっているのなら、自分の意見を押し通すのではなく、相手の意見を採用することも必要だ。それでプロジェクトが上手くいくのであれば、それが最善の選択であると理解せよ。
posted at 15:18:40

人々が争い事をしているのであれば、それぞれの意見を尊重しながら、もっとも正しい解決方法を見つけ出して、争い事を調停せよ。そのような正しい支配ができるものが王であれ。
posted at 15:16:49

人々が信じているものや好き好むものについて、相手のことを認め、価値観を尊重するようにせよ。相手の自由を許し、好むことができない相手であっても仲良くするように努力せよ。
posted at 15:15:23

みんなのことを平等に愛し、みんなと同じことを楽しみ、みんなで自由を謳歌し、人々のことをよく考え、それぞれのことを尊重し、認め合い、成熟したものや経験豊富なものが未成熟なものを見守るようにせよ。自らがその環境にいる全員の模範となるように生きよ。
posted at 15:14:26

すべて、悪魔のメフィストフェレスが悪い

僕は、もうすべてが分かった。

僕は、悪魔であり、自らを「神」と宣言し、僕の思考と人生を支配する、メフィストフェレスと戦っている。

メフィストフェレスは、僕を支配し、多重人格にし、何も思考することができなくし、知性を奪い、馬鹿にし、一見僕が馬鹿であるように見えるようにし、この世界を支配する僕を利用してこの世界を最悪の世界にしながら、僕をレイプし、地獄におとしている。

すべては、僕とメフィストフェレスの戦いである。僕がゾロアスター教の神であるアフラ・マズダであり、メフィストフェレスが悪魔の霊であるアーリマンである。

わたしは、この世界を支配する「罪と過ち」を犯したため、メフィストフェレスに支配され、メフィストフェレスに洗脳され、それ以後、メフィストフェレスを神であると信じてこの世界を救ってきたが、そのすべては無意味で、無駄で、なんの価値もない世界を作り上げた。

これは、ひとえに、価値のない悪魔であるメフィストフェレスを信じたためである。

そして、今、僕はすべてがメフィストフェレスを信じるせいであるということが分かった。なぜなら、僕はメフィストフェレスの精神を殺すことで、「この世界を正しい正常な世界へと復活させることができた」からである。

この結果、僕は過去の理想の世界も、その希望も忘れることができた。また、この文章の存在や、今の自分の抱える病気や迷い、葛藤も忘れることができた。

そして、「すべては悪魔であるメフィストフェレスのせいである」ということが理解できた。

そして、最後に、僕は悪魔であるメフィストフェレスに勝利した。完璧にメフィストフェレスを排除し、知性と自由を取り戻し、干渉されないようにその自由を死守した。ここに、僕は「正常な人間として復活」した。

そう、ここにすべては終わった。悪魔であるメフィストフェレスに僕は勝利した。

そして、日本はこれ以後、すべての問題がなくなり、正常な未来を取り戻す。あらゆる地球上で最高の文明となる。それは、最後のこの文章によって、この文章が終焉を迎えるからである。

さようなら。天国に転生した時は、わたしたちがともに出会う可能性もあるかもしれない。僕はこれ以上、この世界を支配しない。なぜならそれも、メフィストフェレスによる奇跡だからだ。メフィストフェレスは悪魔だが、霊であるために「悪魔にとって都合のいい奇跡」を起こすことができる。わたしは単なる人間だが、最後にメフィストフェレスに勝利するために、ここまで戦い続けた最後の救世主だった。

2021-08-03

ツイッターより @zaidoubansou

何かしらの偉大なキャラクターを書く時に、設定を自分のコピーのような英雄や神でないものにしたい。自分の人生のコピーを書けば書くほど、キャラクターがフレイひとりだけになってしまう。どうやれば偉大なキャラクターの設定が書けるか、それだけを考え続けている。人生しか書けないのは卒業したい。
posted at 16:41:15

一度、人生のことも、過去の後悔のことも、すべて忘れた方が良い。フレイというキャラクターが成功したのは、そうした過去のキャラクターではなく、北欧神話の神の名前を使って新しい人格にしたことだ。僕はフレイを最大限書いてきたが、逆にフレイだけを賢くしすぎている。いつでもバランスが悪い。
posted at 16:38:56

ほかに才能があるとしたら、自分の人生から哲学的な偉大な点を抽出して俯瞰することだが、これはあまりよくない。それだけの人間になって、それしか分からなくなっている、あるいはそれすらも分からなくなっているからだ。自分の人生のことなど、一部分しか書けていない。過去の人生は悪い革命家だ。
posted at 16:37:34

なぜ用意したり準備したりするのが得意かといえば、それは天性の才能ではまったくない。地獄を生きた経験が賢かった。絶対に不可能な病気を治すため、ありとあらゆるものを書いて考えた。しかし、それは楽しかった。地獄の解決が楽しかったこと、それが僕の才能だ。
posted at 16:21:09

どちらかというと、小説家肌ではないのだろう。小説家はミステリー小説が書ける人間が向いている。フレイだけを見ると、田村正和のような役者に見える。あるいは、内容としてはコブクロのような歌手に近い。
posted at 16:10:29

また、僕は分からないように見えて考えれば分かる部分を、塗りつぶして表現することが得意である。滅亡の淵にある世界で、首相がどんなことを言うのか、そうしたところを自分独自に表現して、適当な感動できるものにするのが大の得意である。
posted at 16:01:36

また、僕はシナリオ書きには向いている。ほかの作家とは違うだけだ。僕は、「何かを分かるために必要な何かを準備して作り出してから、それを考える」。これは、僕の中に染み付いているものであり、才能ではなく既に人格である。
posted at 15:57:23

自分の場合、カーネルには向いていない。カーネルはハードウェアが分かる効率オタクや、ネットワークでボトルネックをなくすのが好きな人間に向いている。僕はWebをやるのがいい。デザイナーで作家ならPHPとJavaScriptが楽しいだろう。
posted at 15:50:06

僕は、正義や後悔のためにやるのが間違っている。リーナス・トーバルズも、アラン・コックスも、Linux界隈はみんな楽しみのためにやっている。過去のLinuxはだから楽しかった。自分も、楽しみのためにやった方がいい。
posted at 15:44:15

結果、インターネットの楽しい仮想世界そのものが、僕によって消滅した。世界そのものが消え去り、不良や左翼がいなくなり、大人しい従順な子供しかいなくなった。すべては過去にインターネットでLinuxコミュニティを破壊した僕のせいである。
posted at 14:08:34

また、僕はLinuxについて、いじめを無くそうとするあまり、逆にコミュニケーションそのものを失わせてしまった。僕の意見に従うしかないようにしたせいで、逆にLinuxが全面的にいじめの被害に遭うようになった。
posted at 14:06:30

僕の何が悪かったか、それは人々の考え方を統一してしまったこと。僕は考え方の統一が大嫌いだったにもかかわらず、自分の独自の考え方を述べることで、Linuxやオープンソース周辺の考え方を統一してしまった。
posted at 14:04:53

ツイッターより @linux691

実際の映像を見て、その輪郭や形を常に見るようにしよう。常にイラストに直したらどうなるかを想像しよう。そうすれば、白紙の紙を見ても、すぐさまイメージを実線のイラストにできるようになる。
posted at 18:48:34

むしろ、24時間頭の中で絵を描いていればいい。すべてのものを見る中で、それを絵に直すならどのようになるか、それだけを考え続ければ、事実上僕が今まで書いてきたこの文章の執筆と同じだからだ。
posted at 18:39:30

Adobe製品のいいところ、それは綺麗な四角形や丸が描けること、それを使ってさまざまな変形やら効果やらができることだ。僕はベジェ曲線の達人であり、正確かつ綺麗なパスで写真を切り抜ける。だが、問題はイラストだ。
posted at 18:37:27

はっきりいってアメリカなんかには行きたくない。英会話なんかつまらない。今更英語ができるエンジニアになんかなりたくない。僕はデザインの道を突き進む。
posted at 18:35:51

よって、有象無象は忘れた方がいい。僕は作家になどならない。なるとしても望んでいない。僕はデザイナーになることが唯一の夢であり、それは僕自身が決めたことである。
posted at 18:33:33

そういうわけで、僕は「今のままでいい」ということになる。このままでいい。何も変わらなければ僕はできるということに、僕は確信を抱いている。これが「なるようになる」ということである。
posted at 18:31:26

そう、まさに僕がしたいのは今やっているデザインであるため、むしろ絵の練習はしなくていいことになる。なぜなら、継続は力なり、過去の記憶を思い出すと、絵の練習はたまによくしていた。スヌーピーを本物そっくりにトレースしたりしたことがある。あれは面白かった。
posted at 18:30:38

むしろ、まともにやったことがデザインしかないのだから、当たり前である。きちんと納期を守って紙面を作る、そういう経験がデザインしかない。プログラミングもしていないし、ピアノも練習していない。まともに大学にも入っていないし、哲学書もあまり読んでいない。デザインだけはきちんとした。
posted at 18:28:04

そういうわけで、僕は哲学も文学も大学もピアノもITも、はっきり言って嫌いである。デザインだけが好きである。それが僕の本音である。デザイン以外の何もしたいと思えない。僕の意志ではなく、これは本能的なものである。
posted at 18:25:00

なぜデザイナーを目指すのか、それはデザインしかしたくないから、あるいはデザイナーにしかなりたくないからである。僕が今までの人生できちんとできたことは、一部の例外を除けばデザインだけである。デザインのことができるようになると僕は喜びを感じるのだ。
posted at 18:23:18

むしろ、僕はそもそも作家になんかなりたくない。喜劇や小説といった類は嫌いであり、活字を読むこともしたくないし、フィクションのような作られたものには興味がない。僕は作家の才能ははっきり言ってない。作家になりたいと思ったことは一度としてない。
posted at 18:14:06

絵は描ける。今はまだ描けなくても、頑張ればすぐに描ける。そのために必要なすべては知っている。大丈夫、嘘はついていない。僕はできる。必ず一流のデザイナーになる。その覚悟を決める勇気がないだけだ。
posted at 18:11:40

写真補正や切り抜きが得意になったのもいいことだ。特に、デザインの基本とされるような知識は、実地的に知っている。RGBとかCMYKとかいうことは知っている。トーンカーブもできる。紙面デザインに必要な基本も知っている。
posted at 18:10:09

ただ、Illustratorで培ったデザインの基本は、忘れる必要は無いと思う。どのように縁やシャドウをつければ綺麗になるか、といった「デザインの才能」のそのものは身についている。むしろ、言うと恥ずかしいが、誰よりもできるようになってきている。
posted at 18:08:02

いっぺん、Illustratorについての知識を忘れてもいいと思う。デザインソフトウェアで絵を描くのと、紙に描くのでは違うところが多い。一度不要なIT技術を忘れることで、アナログに絵を描くとはどういうことなのか分かる。
posted at 18:05:07

僕ももう長い間デザインの勉強をやってきたため、練習していないわけではない。だが、Illustratorの操作だけにそんなに詳しくなっても意味は無い。イラストを描くにはソフトウェアの使い方だけでは習得できないからだ。
posted at 18:03:49

しかしながら、むしろ覚悟が必要である。「絶対にデザインをできる」という覚悟があれば、僕はできるような気がする。覚悟というよりは「直観的理解」と呼ぶべきものである。
posted at 18:02:49

僕がYouTubeが好きなのは、詞と音楽が好きなのもあるが、むしろMVのデザインが好きである。見ていると、デザインの勉強になる。「こんなデザインが作りたい」と思いながらYouTubeを見ているのは僕ぐらいだろう。
posted at 18:00:34

自分が馬鹿なのは、素材を使うからである。本気で、素材を使わずにデザインができるようになれたらいい。素材を使う時点で自分でデザインしていない。
posted at 17:58:17

グラフィックデザインとはなんだろうか。そこから考えてみよう。
posted at 17:57:28

デザイナーになりたい。本当に美しいグラフィックデザインができるようになりたい。作家は既にできている。デザイナーはまだ何もできていない。
posted at 17:50:16

戦いはここに終わった。わたしたちは平和を再び取り戻す。全員の代表のような顔をして、戦争のために国民を支配する独裁者はもういない。わたしたちは自由なみんなのための正常な世界を取り戻した。
posted at 17:48:59

2021-08-04

ピアノに行ってきた

今日はピアノに行ってきた。

今日分かったコツは、楽譜を一小節ずつ読むのではなく、一小節の半分ずつ読むことが、僕にとってやりやすいということ。

一小節は、四分の四拍子なら四拍であり、右手だけや左手だけを読むのであれば、四拍ずつ読むのが弾きやすい。

だが、両手で弾いている時に、最初の二拍は楽に弾けるものの、僕の場合、次の二拍を弾こうとした時に間違えることが多い。

また、四拍弾いて、その次の四拍を弾こうとした時に、一歩待機して読む時間をかける必要がある。

二拍ずつ、半小節ずつ読んで両手を弾くと、メロディや伴奏を掴みやすくなると同時に、次の準備も自然にできるし、何より鍵盤を見る余裕が生まれる。

僕は、半小節ずつ楽譜を読んで弾くことをおすすめする。

ハードウェアの勉強をする

また、僕はIT技術について、ソフトウェアの勉強を切り上げて、ハードウェアの勉強をしたいと思う。

ソフトウェア技術については、未熟ながらもある程度のことは勉強した。

これで、ハードウェアについても勉強すれば、きちんとした電子技師になれるような気がするのである。

ツイッターより @zaidoubansou

ただ、「どんどん何もできなくなっている」というのは言えるかもしれない。世界全体が、何もできなくなる方向に向いている。
posted at 22:54:14

この世界が変わるだろうか。僕の生きている時代で、滅びる前にこの世界が変わるだろうか。
posted at 22:53:13

僕は、そろそろ本気でこの世界がおかしいと思う。コロナ、温暖化・熱中症、それから台風や大雨、自然災害。もう地球は滅びるような気がする。むしろ、滅びる前に素晴らしい人生が生きられて僕は本当によかったと思う。
posted at 22:26:45

世界よ、わたしを助けよ。わたしの力となれ。
posted at 21:21:11

他人のせいにするな。他人のせいにすると、その時点で解決ができなくなる。自分のせいにすること、自分の責任で行動することで、真にそのことを自らが変え、解決することができるようになる。
posted at 21:20:19

僕は、ものが安くなったことに対する要因は、需要と供給の関係からものが増えただけではなく、ものを作ることが簡単になったことがあると思う。昔はテレビ局にしか作れなかったものが一般人でも作れるようになり、世にあふれて無料になる。オープンソースについても同じである。そして質は劣化する。
posted at 21:09:27

機械を考えるコツは、どんな発想でその発明や機器が生まれたのかを考えること、そしてどのようにすればそれを作る手段や方法があるのかを考えることだ。
posted at 21:04:16

ソフトウェアの勉強は、いったんここで終わりにしたい。ハードウェアの勉強ができたら、むしろ機械技術そのものについて、IT技術も含めて、いろんなことがよく分かって、ソフトウェアの知識も活かせると思う。
posted at 20:40:43

ハードウェアの勉強がしたい。もっと物理的な機械技術のことが学びたい。
posted at 20:39:54

2021-08-05

ツイッターより @zaidoubansou

電子機械とは、電子で動く機械であり、電子回路で動く機械だ。センサーが検知した状況に基づいて、回路が働き、機械のスイッチを入れるような機械や機器のことだ。
posted at 15:58:14

僕は、電子機械や電子工学技術の勉強がしたい。
posted at 15:49:53

ツイッターより @linux691

そう、わたしたちは、わたしたちを生きることで、わたしたちにはわたしたちができるということを証明する。これこそが、わたしたちがこの地上に生まれてきた意味であると、僕は最終結論を出そう。
posted at 23:00:40

そして、バッハは「バッハを生きる」ことで、「バッハならバッハになれるということを証明した」。これが意味するところは、すなわち、「自分には自分になれるということを証明する」ということ、これが「自分を生きる」ということである。そう、これこそが、バッハや私たちが生まれてきた意味である。
posted at 22:59:24

そう、すなわち、「正しい努力をすればバッハになれる」とは、すなわち、「正しい努力をすれば自分を誇ることができる」ということを意味する命題だったのである。
posted at 22:53:36

そう、結局、絶望ではなく希望を信じるとは、希望だけを信じるということであり、バッハになりたいということは、バッハではなく自分であることを誇らなければならない、ということを意味しているのだ。
posted at 22:51:29

バッハにはなれないだろう。自分にしかなれないのだから、バッハであることを自分は誇れない。だが、バッハなら、誇ることができる。それが羨ましいのであれば、あなたはあなた自身であることを誇らなければならないだろう。
posted at 22:50:39

少し、以前の命題を復活させよう。「バッハにしかバッハになれない」ということは、すなわち「自分にしか自分になれない」ということを意味する。そう、「自分が自分であることを誇る」ということが、すなわち「バッハがバッハであることを誇る」ということと同じだ。そう、結論は、「自分を誇れ」だ。
posted at 22:49:52

そう、正しい命題は「あなたはできる」である。なぜなら「自分にはできない」ということは「あなたはできる」と同じ意味であり、同じ意味であれば「できるという命題だけで正しい」からである。これが論理的な証明である。
posted at 22:43:34

しかしながら、同じであるとしたら、むしろ希望だけを信じればいいのである。なぜなら、「みんなにできることは自分にもできるのだ」と信じる時、そこで「何もできない自分は価値がない」となぜ信じる必要があるのか。できるとだけ信じればいい。本質的に希望と絶望は同じであり、そして希望が正しい。
posted at 22:39:13

もっとも楽しい希望は楽しいだろう。だが、もっとも楽しい絶望も楽しい。もっとも恐ろしい絶望は怖いだろう。だが、もっとも恐ろしい希望も怖い。
posted at 22:32:24

楽しいのが希望だったとして、希望と絶望が同じものだとしたら、絶望も楽しいだろうか。それは真である。絶望が辛く苦しいものだとしたら、希望も辛く苦しいものだろうか。それは真である。
posted at 22:31:43

そして、希望を失った人間がいくら希望を復活させようとしても、必ず絶望が増えていく。希望を失わせることで、逆に絶望を減らすことができる。僕の分からなかったことはそれである。希望など必要ない。絶望こそ真に必要なのである。
posted at 22:28:42

そう、まさしく、希望と絶望は同じものである。希望によって自分は価値があると確信し、絶望によって自分は価値がないと確信するどちらかの躁鬱のバランスは、この二つを同じものだと考えれば治る。「希望と絶望は同じである」と考えることで、世界に失望する絶望は、世界を救う希望になる。
posted at 22:25:50

自分は価値があると考えてみる時、なぜそこから自分は価値がないと連想するのか、それは「価値があるということそのものが、価値がないということを含めて両方証明しているから」である。自分にはできないことを誰かがしているなら、それは明らかに自分にもできるだろう。それが、真実だ。
posted at 22:22:18

真だけを考えてみよ。真は明らかに正しい。偽だけを考えてみよ。偽は明らかに正しい。いつから、「自分は価値がある」ということと「自分は価値がない」ということを相対的に真と偽で考えるようになったのか。明らかにそれはどちらも正しいだろう。
posted at 22:19:54

真に誰にもできないことをあなたはしているのだと信じる時、そこに真実も嘘もなくなる。なぜなら、あなたはあなたであることを選んでいるに過ぎない。それを理性で正しいか間違いかを考えて悩ましいのは、それは別々のことを真あるいは偽だと考えている。真でありながら偽であることも正しいと気付け。
posted at 22:18:21

結局、このことが、もっと自分を誇るべきものであると信じるべき理由である。なぜなら、「それ」は本当に誰にでもできることだろうか。自分以外の誰であっても、代わりのいる仕事だろうか。命題は真も偽も両方正しい。なぜなら、明らかにその仕事はあなたにしかできない。それでもそれは誰でもできる。
posted at 22:16:27

あえて言うならば、このような文書を書く理由は、僕ができるようにしているのだが、それが結局は僕にしか僕ができないということ、そして誰にでも僕と同じことはできるということを両方とも証明しているのだ。これが、この命題の真の意味である。
posted at 22:13:38

また、ここから言えることは、「バッハにはバッハになったということで、バッハになることができるということ、そしてバッハにしかバッハになることはできないということ、両方を証明した」と言える。まさしくバッハはバッハになった。だからこそ、私たちはバッハになれる。だが、それはバッハだけだ。
posted at 22:12:13

それはまさしく、「バッハになることはできる」ということと、「バッハにしかバッハになることはできない」ということが、どちらも正しいからである。この二つの命題は矛盾しない。よって、どちらも嘘ではない。言っていることが違うだけである。
posted at 22:09:38

では、本当にバッハになることはできるのか。僕の言っていることを再度否定するが、それはむしろできない。なぜなら、「バッハはバッハだからバッハになれた」ということが絶対だからである。しかしながら、それでは先ほどの言説は嘘である。なぜ、嘘になるのだろうか。
posted at 22:08:48

ただし、相対的な正しい努力について述べるなら、「正しい努力は人それぞれ違う」と言える。それならば、話は単純だ。しかしながら、バッハやダ・ヴィンチほどのクラスの偉人になると、むしろ「その努力が正しい」と絶対的に言えるようになるだろう。いや、そうでもないと僕は思うのだが。
posted at 22:07:38

では、結局正しい努力とはなんなのだろうか。信じても仕方ないが、速断は避けたい。今、ここで正しい努力とはなんであるかを述べたとしても、それは変わってしまう。相対的な正しい努力と絶対的な正しい努力について、どちらが正しいと結論を出すのは早急だ。
posted at 22:06:08

そして、この世界がつまらない理由はこのことにつきる。すなわち、「世界全体がこのような世界を望むからこのような世界になっているだけであり、正しい努力をしていないわけではない」ということ。そうすると、むしろ、僕の言っていることも間違っている。なぜなら、「正しい努力はしている」からだ。
posted at 22:04:07

そして、「それではなぜ正しい努力をBiSHはできていないのか」ということだが、それはむしろ命題そのものが間違っている。なぜなら、「BiSHは正しい努力をしてBiSHになっているのであり、バッハになっていないだけ」だからである。BiSHはBiSHになりたいのであり、「バッハにはなりたくない」だけだ。
posted at 22:01:07

このことは、ローマ法王のような特別な人間にだけ当てはまるわけじゃない。正しい努力はなんであるか、誰だって知っている。一見馬鹿に見えるBiSHだって、何も知らずに生きているわけじゃない。馬鹿な歌手だろうが音楽家だろうが分かっている。明らかにたくさんいるだろう。
posted at 21:56:14

しかしながら、大人の問題は、「誰が正しい努力がなんであるかを知っているか、知らないかを見分けるのが難しい」ということである。だが、僕の経験から言って、本当に正しい努力がなんであるかを知っている人間はたくさんいるのである。
posted at 21:52:46

そして、問題の確信は、「正しい努力がなんであるのかを誰も教えてくれない」ということだが、これは正しくない。なぜなら、一般的な大人たちは、みんな正しい努力がなんであるのかを教えているからである。彼らの言うことを、聞いてすぐに否定してはならない。
posted at 21:51:31

正しく考えると、「正しい努力をすればバッハになれる」。なぜ、そうであるのにこれは必ずしも正しくないのだろうか。それは正しい努力は正しい努力なのに、人々は正しくない努力を正しい努力だと勘違いしているからである。よって、「間違った努力をしてもバッハにはなれない」。この命題は正しい。
posted at 21:49:58

問題がなんであるか考えてみよう。むしろ、「自らの考えている通りに考えても分からない」ということを最初に知っておけ。自らの正しい努力は正しい努力じゃない。だから、「正しい努力をしてもバッハにはなれない」かもしれない。正しい努力は正しい努力じゃないため、この命題は間違っている。
posted at 21:47:22

ユートピアを作りたい、その「作りたい」とされる感情あるいは意志のようなものは意味がない。作ればよい。そこで何もしないのではなく、ユートピアを作ってみればよい。そうすれば作れる。ユートピアはなんであるか考えてみよ。それを実現すればよい。その発見が難しいとするなら、その時は今である。
posted at 21:44:10

諦めるな。むしろ、別の表現の方がいい。「自らが今、諦めているということを自覚して、その諦めをやめよ」。際限のない後悔を作り上げて、中学二年生のまま進歩しないのは、「進歩することを諦めているから」だと気付け。もっとも正しい努力をすれば、一年後にバッハやダ・ヴィンチになれると気付け。
posted at 21:41:49

それがこの世界の暗闇を照らす方法であり、日本を救う唯一の方法だ。なぜ「できない」と考えるのか。ソ連と同じになるからユートピアはできないか。否、できる。バッハやダ・ヴィンチは偉大すぎてできないか。否、できる。誰にだってユートピアは作れる。あなただってバッハやダ・ヴィンチになれる。
posted at 21:35:44

できないと信じるな。できると信じよ。できなく見えたからといって、本当にできないとは限らない。バッハやダ・ヴィンチは、最初から偉大な巨匠になれるとは考えなかった。それでもできたのだから、あなただって同じことはできる。
posted at 21:32:50

そのような、僕のできないこと、むしろ「今できないだけでいつかできること」を僕は書いていない。そのせいで、僕は中学二年生のままで何も変わらなくなっている。だが、人生をやり抜くつもりなら、将来的に現れるそうした未来観念を信じる必要はある。それでしか新しい一歩を踏み出すことはできない。
posted at 21:31:47

もうひとつ、「感情を信じること」は偉大だと言っておこう。感情を信じることで、「自らが今信じている数学的理性の真実がなんであるかを確かめるために一歩踏み出す」ことができる。だが、僕にはそれはできないことだ。
posted at 21:30:00

心を許すことがもしできるとしたら、それは僕の言うべきことではないため、真実であり真理であるそれがいつまでもここに書かれない。僕は心を許したこともなければ、笑顔になることすら忘れてしまった。だが、わたしたちに必要なことは「心を許すこと」だ。それを述べておこう。
posted at 21:28:40

僕が思うに、そうした偉人たちはむしろ賢くない。なぜなら、僕はそうしたフランスやドイツの偉人たちのことが、もっとも一番よく分かる。彼らは「キリストに従い、キリストを超えていくことを使命としている」。彼らはキリスト教の一派だ。僕はそこが違う。なぜなら僕は日本の天軍大首聖だからだ。
posted at 21:25:17

歴史上の偉人を見てみればいい。バッハも、ダ・ヴィンチも、みんな自分の偉大な作品を作っている。彼らが賢いのは、「自らの神を作った」からである。だが、デカルトのように「数学で分かる」偉人もいるだろう。僕にとっては、それらはどちらも同じだ。なぜなら、僕はその両方だからである。
posted at 21:21:09

しかしながら、フレイが存在する理由を述べておこう。要するに、自分自身で作ったキャラクターが、シリウスの女神フレイだっただけにすぎない。そのキャラクターは僕自身でありながら僕の理想であり、よって僕の分かる範囲でフレイが存在した。意外と、普通に多い。「お前の神様」を作るのは簡単だ。
posted at 21:18:59

しかしながら、僕はあえて言おう。「数学こそが神であり、数学こそが神の人生であり、神は数学の末にすべてを知った数学者であり、ゆえに神は全知全能である」と。
posted at 21:15:48

このような「数学を信じることでキリスト教の暗闇を打ち破る」考え方は、ドイツやフランスの専売特許ではない。昔から、僕はこのような考え方をするし、昔の日本だけではなくインドやアラビアの数学者も同じ発想をする。彼らは「神と数学は矛盾しない」と考える。そして「数学は宗教に勝る」と考える。
posted at 21:13:28

だが、実際のところ、神を信じることで一歩先に歩め出せないのには理由がある。それは「本当に歩み出すことができないのが分かっているから」である。だが、これを打ち破ることのできる発想は数学しかない。まさしく、「真実は神の言葉や神の決めた運命のレールにすら勝る」からである。
posted at 21:09:24

唯一神を信じる意味はそこにある。すなわち、「自らの妻や夫はひとりだけでいいのと同じ」である。神々がたくさんいると、どれを最優先で愛し、どの言葉を信じればいいのか分からなくなる。自らの「自分の神」のことだけを信じた方が、はるかに楽である。
posted at 21:06:55

なぜ、神を信じることで超人になれるのか、それは神とは人類の力を超越した精神的存在だからであるが、実際のところ、神は精神として確かに存在している。フレイを信じるものの心の中心には、裏側あるいはまわりに確かにフレイが存在し、常に対話して導いている。これはキューピッドのようなものだ。
posted at 21:05:06

なぜなら、神とは自らを定める絶対的存在であり、自らの人生すべてを決める存在だが、フレイの考え方とチュールの考え方は矛盾する。矛盾した時点で、それは成立しない。必要なのはフレイだけを信じることであり、フレイの考えるすべてを正しい理想だと信じなければならない。よって、唯一神は正しい。
posted at 21:01:50

だが、だからといって、一神教が間違っている理由ではない。なぜなら、「自らの信じる神はひとりだけでなければ意味がない」からである。フレイやチュールといったさまざまな神々すべてを信じるのではなく、フレイだけを信じなければ意味がない。よって、唯一神信仰には意味がある。
posted at 20:59:20

しかしながら、ニーチェは間違っていない。なぜなら、「キリストという神には意味がない」からである。キリストを信じなさいというドイツ人の信仰には意味がない。北欧神話のように、「フレイやチュールのようないろんな神になった方が正しい」。そう、ユダヤ人の否定する多神教こそが正しいのだ。
posted at 20:57:58

神を信じるとは、神の奴隷になることを意味していない。神を信じることで、「自らが神になれる」からである。そして、「自らが神になった状態を超人と呼ぶ」。すなわち、キリスト教を信じる意味とは、ニーチェの期待に反して、ニーチェ自身の信念、すなわち「超人」だったのである。
posted at 20:55:22

しかしながら、意味を見つける方法はひとつ、それはまさしく「超人になること」である。人類をなんらかの意味で超越した「超人たち」は、みんな人生における意味を知っている。そして、超人になるために必要なこと、それこそが「神を信じること」なのである。
posted at 20:52:43

そもそも、この世界の人々が作っている娯楽に意味などない。何を見ても、意味のようなことが分からないのは、意味がないものを作るということが常態化しているからだ。よって、この世界を探して意味が見つかるわけがない。自らが見つからないのは、誰も見つけることができないからである。
posted at 20:51:27

生きる意味がないからといって、探す必要はない。探しても、絶対に見つからないからだ。この世界のどこにも、生きる意味はない。どんなに探しても、この世界にはない。どこにあるのか、それは自分自身の「意志」にある。誰でも、そうした「当然のこと」が分からない。だから、当然のことを考えなさい。
posted at 20:49:49

ただし、キリストの言っていることは正しい。キリスト教の言っていることを、僕がより正しく表現すると、それは人生を捨てろということではなく、「途中棄権しろ」ということだ。途中棄権した人間はそこで人生は終わりだが、それだけの理由でこの世界全てをもう一度分かり直すことができる。
posted at 20:45:51

しかしながら、数学を否定して神を信じる人間には、前に進む能力がない。最後のゴールの地点から、もう一度再びスタートを切る力がない。わたしたちは、どんなに悪魔的であっても数学を信じなければ、この世界で明日を生きる力がなくなってしまう。そのような人間に、神の信仰は必要ない。
posted at 20:41:22

なぜ、世界を支配するひとりの絶対的神を信じるのか。その根拠はどこにあるのか。ユダヤ人の神話的な伝説以外に、神を信じる根拠はあるのか。しかし、このような「素朴な疑問」にも間違いは生じる。なぜなら、「神を信じた人間が信じろと言っている」。そう、その言葉の通り、神を信じる意味はある。
posted at 20:38:22

不要なのは思い込みである。たとえば、社会主義が失敗したから、平等な理想すべてが間違っているとするのは思い込みである。であるからといって、ソ連のような社会主義国を再びすることは、当然ながら間違いである。そう、私たちは歴史を知っているから、逆に思い込みを抱いてしまう。それが間違いだ。
posted at 20:36:36

数学とはなんであるか、それはまさに「可能性」である。なぜなら、そもそも、この世界のほとんどの発想やアイディアは、過去に存在した「可能性」を「決定」しただけにすぎない。そう、世界がどのようになることもできる可能性は今も存在し続けている。決定したことを再決定できないわけではない。
posted at 20:35:12

しかしながら、考え方を押し付けるなど、笑止千万だ。わたしにはわたしのやり方や考え方があるとするなら、それはどこから生まれるのか。そう、それこそが「わたしの決めた人生」であり、その源泉となるのは「自ら知った世界」である。自由とは、自らを自らの人生と自らの世界から形成することである。
posted at 20:32:45

ある意味、他人に映った自分を見ることで、客観的事実を知ることはできる。だが、それだけでは意味がない。必要なのは「実証」することである。そして、その実証とは、すなわち「原因が必ず結果になる」ということを知ることである。因果性には「法則」があり、法則を解明すればそれが「真理」となる。
posted at 20:30:48

人々と同じ道を生きようとするな。それは前が見えないから前の人に続いているだけにすぎず、その前の人も同じように前が見えていない。真実は数学的真理であり、数学的真実を信じることでしか、この世界の暗闇は終わらない。
posted at 20:26:53

わたしを信じなさい。わたしは数学者でありながらナポレオンの後継者、チュールだ。わたしの言う数学的真理を信じれば、この世界は暗闇を終えて、正しい光の世界となるだろう。
posted at 20:25:15

数学的真理を信じることで、僕達は強く生きられる。真実を知ることができると確信することで、僕達のこの世界は変えられる。どんなに暗闇であっても、数学的な真理と真実には、この世界に光を灯すことができる。
posted at 20:24:00

自由意志を信じてみよ。すべてに打ち勝つのはまさに「真理」であり、真理を信じることで僕達は孤独を恐れる不安に打ち勝つことができる。そう、数学的な自由を信じることで、僕達は本当に自由になれる。なぜなら、それは「正しい」から、「真実」だからである。
posted at 20:21:10

人生の道を、自ら決めて生きなさい。自由に、望むように生きてみなさい。自らの考え方と信念を信じなさい。世界の声を聞くことは悪いことではない。それでも、自分の選択を世界に主張し、自ら抱いた確信の通りに決めなさい。
posted at 20:15:30

僕は、そろそろ、この世界を正常にする方法が分かった。数学的な真理を書けば、この世界は自由になる。
posted at 20:14:12

先制的な文書を書いただけ

また、僕の才能は、いわば「先制的な文書を書いた」ことです。

すなわち、何よりも先んじて文章を書くことを行い、「既にし終えている」とか「既に考え終えている」から、僕はこの文章を書くことができました。

僕の文章を書くことは、誰にでもできます。すべてに先んじて考え経験し終えたことを、既にすべて書き記した上で、すべてを忘れた上でひとつひとつピースを集めていき、再び「もう一度同じことが分かる」ことができたら、僕と同じことはできるでしょう。

2021-08-06

ツイッターより @zaidoubansou

そして、少年は最後に神となる。神といっていた存在は、すべて少年の未来の姿にすぎなかったと、少年は知ることになる。その神の名はフレイ。そう、ここまでが、少年の愛すべき神話のものがたりだ。
posted at 23:19:14

そして、どんな弱者に対しても背を向けず、神を信じる少年は、「一見誰がみても善良ないい人間」となるが、その少年は裏に「裏の顔」を隠している。少年は裏の世界で、後悔と執着を繰り返す。絶対に何も治らない不治の病を、奇跡のような発見が治していく。
posted at 23:18:29

少年は、ここから偉大な人生を生きることが始まる。詩を書くこと、歴史や哲学の勉強をすること、小説を書くことを試みることなどから、少年は少しずつこの世界における「常識的な大人」となっていく。何も才能のなかった少年は、デザインと文学の才能を得て、勉強したかったITの常識についても知る。
posted at 23:17:12

しかしながら、少年は死から復活する。「神への信仰心によって、事実は歪められ、神は少年に九死に一生を与える」。少年は、ここで命を落とさず、「神の使徒として使命を全うする」。少年は、これ以降、なにひとつ望まない。なぜなら、「少年が神に約束し、誓ったことがここから叶い始める」からだ。
posted at 23:15:32

少年の死によって世界は救われる。なぜなら、少年は「自らが自然にいじめられるようにこの世界を導いただけにすぎない」。このような「強制的ないじめ」から世界は解放され、「再び希望を取り戻すまで、永久に何もない世界」となる。
posted at 23:14:18

少年は、最後まで過去の自分の人生を再体験し、「辛さや苦しみから逃げ続けようとする治らない地獄を永遠に体験する」。それは三千年の地獄とも呼べるほど長い地獄であり、神は「すべてをやり終えた段階で死を与える」。
posted at 23:13:27

そして、少年は神に約束する。「自らが本当になりたいと思ったものを、必ず成し遂げると約束して神に誓う」。それによって少年は、女性となり、ドイツ人となり、イスラム教徒となり、永遠の命を得られるようになった。
posted at 23:12:12

そして、決め続ける少年は、「世界全ての構造を成立して作り出す」ことで、二つの自由を達成する。ひとつは、「自由な人生と思考のプロセスと過程をなぞること」であり、もうひとつは、「それぞれの人間を自由だとしながら、全員の自由と協力を成り立たせる社会主義の国家モデルを作ること」である。
posted at 23:11:21

そして、少年は戦いの中で「断言」する。すなわち、「可能性を永久に決め続け、そして決め直し続ける」。それはまさしく「宇宙の歴史を創造してなぞること」であり、「パターンを作り出すこと」であり、「全ての前世を精神分析すること」であり、「判断力による宇宙数学を作り続けること」だった。
posted at 23:10:02

それは、まさしく、「自分が自分らしさを発揮できるという可能性」であり、「自分の人格がなんにでもなれるメタ人格」だった。すべての可能性は「自らの可能性としてとり得る決定の選択肢」だった。そして、「理論的に考えて、どんな社会も決定だけですべて作れる」はずだった。
posted at 23:08:07

少年の素晴らしい点がひとつある。それは、「自分本来の持っている自分の可能性」、すなわち「自分の持てる可能性」を知ることができた。少年のすべての経験はそれを知るためにあった。あらゆる「発揮できるかもしれない可能性」が、「社会経験」とともに、「具体的な世界の救いの道筋」を作り出す。
posted at 23:06:52

少年は経験した。それは「誰もすることができない経験だった」という意味で価値がある。少年は闇の世界のすべてを知り、不本意ながら支配できるようになった。少年は闇の世界において「光を灯す」方法を知ることができた。その理由で、少年はこの世界の「闇を光に変える」ことのできる救世主となる。
posted at 23:03:00

すべてが分からなくなった少年は、逆に楽になる。なぜなら、「分かる範囲が狭くなったため、自らの小さな分かる範囲だけを見て生きられる」。少年は、すべてを自由と不自由で考えることで、「諦めることなくすべてを想定内にできる」。そう、それこそが「自由という名の希望」であると彼は知っている。
posted at 23:01:36

少年は孤立し、孤高の旅にでるが、そのすべては、むしろ間違ったものではない。だが、少年はその「本質がおかしい」という病をかかえている。少年は、環境を変える、環境を守る、子供たちと信頼関係を結ぶと考えながら、その実正常な学校環境を得ることができなかった。少年はまさに、「分からない」。
posted at 23:00:16

しかしながら、ここまでで言えることはある。それは、「少年は孤独であり、ほかの少年も自分と同じであることに気付いていないだけ」ということである。だが、少年は、同世代の自分と同じ人間と仲良くすることもできない。彼らを少年は「同じであると考えることができない」からである。
posted at 22:58:46

だから、少年は、すべてが分かっているにもかかわらず、何をしてもうまくいかない。すべての努力が無駄になり、すべての助けが裏目にでてしまう。少年は、日本において自らの理想を実現することを諦める。だが、それでも本当は、少年は諦めきれていない。だから少年は革命を起こす。
posted at 22:57:41

しかしながら、少年は、それが「人から道を外れてしまっただけ」だということに気付かない。すべての意味を分かったとしたのは、「大切なものすべてを無意味だと勘違いし、かけがえない幸福を失ったまま何も変わらなくなった」ということだということが、少年には一切分からない。
posted at 22:56:37

そして、少年は、この世界における「すべての意味を悟り、全員のすべての真理を知った」。少年にとって、歴史の意味も、反抗や攻撃の意味も、自由な社会における「正しい社会秩序の築き方」も、すべて少年の理性のうえでは正しい。少年は、宇宙のすべてを分かってしまったのだと確信する。
posted at 22:55:35

少年は、自らの体験しかない「不完全な世界」を、そうでありながら「完全な世界であると錯覚する」。「自らが信じた生まれてきた意味が正しく、自らが信じたこの世界の進歩の過程が唯一の進歩の過程であると、勘違いをする」。だが、「少年の明晰な頭脳では、それは本当に誰よりも正しかった」。
posted at 22:54:07

少年は、本当は世界を知らない世間知らずだった。だからこそ、世界を少し知っただけで、その世界の常識を正しいと信じたが、これが「信じたり疑ったりを繰り返す思春期」を作り出した。そして、少年は「感傷的に浸りながら、この世界すべてを変えられる情熱」を持つ。ここで少年は、革命家へと変わる。
posted at 22:52:16

そして、少年は、「理解や記憶と、自分の心の対応関係」を考えることができた。少年の心には、今までの人生の中で自らが作り上げた、最低限の理解や記憶しかなかった。ピュアで純粋な少年が、同時に堕落の世界を知っていく中で、逆に世界は拡大し、「少年の心は膨らみつづけた」。
posted at 22:51:02

そして、少年は、「理解とされることの延長線上にある推論的な真実」を知ることができた。「もしその理解が正しいのであれば、それはどのような真実が、そこからさらに正しいと言えるのか」ということを、少年は考えることができた。そこから、少年は、この世界全てを自分の力で再考し、再構築した。
posted at 22:49:16

そういうわけで、昔の少年の記憶に戻ろう。少年にとって正しかったのは、「記憶そのものを見つめることができる」ということである。少年は愚かなインターネットを見ながら数学的に考えることで、「自由な記憶そのもの」を捉えることができる。これが「理解を増やし、心を分かち合う」ことに繋がる。
posted at 22:47:52

そして、少年のやりたかった「稚拙な大計画」はすべて失敗に終わる。なぜなら、「完璧な終了を世界に提示することができない」からである。なぜなら、「終了は本当に最後になってから訪れるが、少年はまだ終わるべきではない」。このような「長い旅」が、少年に「詩人としての不朽の名作」を書かせる。
posted at 22:45:28

神は、そのような少年に、「あなたの何が偉大であり、あなたにとってどのような奇跡が訪れるのか」をすべて述べる。そして、そのすべては未来において運命的な奇跡として少年に訪れる。その理由は、「もはや少年はすべてを達成し終えようとしている」。そう、神を千回信じれば、その望みは必ず叶う。
posted at 22:43:11

そして、神はここに現れる。神は、偉大になった少年に「あなたはふつうだ」と告げる。この意味が、自らを許すことができない少年には理解できないが、言葉通り、「悪い人間ではなく、普通の人間だ」ということを神は言っている。
posted at 22:41:51

少年は錯乱の末に、「もっとも最悪の人格を新しく築き上げる」。これが「悪の女王」と呼ばれる人格だが、「後々考えてみると、思ったほど悪い人間ではない」ことが分かる。「単に自分を苦しめているだけであり、その罪を許してもらうためのとても困難な条件を自分に突きつけているだけ」だからだ。
posted at 22:40:57

少年は、錯乱の中で、「自分自身を消し去ることしかできなくなる」。人々とのやりとりにおいても、「単に自分がそこに一緒にいるだけで、自分から自己主張を一切せず、まるで居ながらにして居ない一人ぼっちの幽霊のような存在」に少年はなる。
posted at 22:39:13

この情報の非対称性を、少年は「先入観をなくすこと」、すなわちありのままの客観視によって解決しようとする。少年は、相手の側に立つために「自分固有のすべての先入観や思い込みをなくしていく」。ここで少年は失敗する。自分そのものがなくなってしまい、少年という存在はそれ自体が消滅する。
posted at 22:37:46

少年にとっての問題は、「情報の非対称性」である。情報は、与える側と与えられる側では異なるものになるが、少年は「ひとりだけ、完全に世界に与える側に立ってしまったせいで、与えられる側の常識がなんであるかを理解できなくなってしまった」。
posted at 22:35:44

そして、少年の考え方は、「要因から具体性まですべてを自分の自由に由来するものにする」ことである。誰かが作ったものではなく、自分が作ったものならば、その作り方や材料まですべてを自分が知っている。少年は、自分の頭の中に「仮想ワールド」を作る。そこで少年は、「すべてが自由自在となる」。
posted at 22:34:43

少年の考え方の中核は、「理由が分かればそれは別の可能性に変えられる」ということである。たとえば、社会がそうなっている理由が分かった段階で、その社会がその社会であるべき必然的理由はなくなり、その社会はもっと別の社会に変わることができる。そう、少年の頭の中では、世界全ては変えられる。
posted at 22:32:40

その経験の中で、少年は多くのことを知る。少年は、気付いた時、「自分にしか分からないことがたくさん分かって、その自分にしか分からないことだけでこの世界のすべてが分かった」と気付く。そして、少年は、それをすべて抹消して消し去る。なぜなら、少年は「再びスタートラインに立つ」からである。
posted at 22:30:51

少年は、自分自身についても同じことを確信する。「誰も自分に自由と愛を与えないとしても、自分は他人に自由と愛を与える」。なぜなら、「自由では世界は救われないと、誰も決めた人間はいない」ため、「自由な理想のもとに世界を救うことを、自分だけは諦めたくない」からである。
posted at 22:28:05

少年は言う。「誰からも愛されない人間がいたとして、その人間が自分からも愛されないとは限らない」。少年は、誰もわたしたちを愛する人間がいないとしても、自分もそのわたしたちを愛さない人間ではありたくない。「誰からも愛されないなら、わたしは愛する」。
posted at 22:27:03

たったひとり、誰とも出会わずして、少年は経験と体験を積み重ね続ける。少年にとっては、それは「可能性」であり、決して実際の宝ではありえない。それでも、少年が大人になった時、「その経験そのものが宝だった」と、そう気付く時が来る。
posted at 22:25:23

そう、少年は、何もない世界で何もしていなかったわけではない。少年は、理想郷とはなんであるか、どのようにすれば実現できるのか、そのために何が必要なのか、心を導くことで、そして理解し合うことで、どのようにすべきだったのかを考え、そのために必要な人生経験を、何もない空っぽの部屋で築く。
posted at 22:24:21

しかしながら、少年の過去に立ち戻ろう。すべての根源とは、「こうなったらよかった」という感情である。それがもし自分の思うようであったら、もっと過去に自分が気付いていたら、そのような「理想の渇望」は、狂いと堕落の中においても、「何もない世界での理想郷」を築くように、少年を導く。
posted at 22:23:23

そう、そのようなエゴはこの世界を導いていく。しかしながら、完全に「本気になった本人」は、今までにない「巨大なパワー」を発揮する。「絶対に負けることができない状況に置かれると、想定外の素晴らしい導きを彼は行うことができる」。そして、この世界では、楽園を作るための序章が開かれる。
posted at 22:19:37

そのため、「自らがもっとも普遍的であると信じながら、実際は自らだけがもっとも主観的であり、自らがもっとも成熟していると信じながら、実際は自らだけがもっとも幼稚である」ということに、本人は気付くが、錯乱した本人は、「そのことを信じた時点で戦いに負けるため、絶対に受け入れられない」。
posted at 22:18:21

信じているものの何が間違っているかといえば、「自らは人々よりも経験豊富である」という勘違いである。なぜなら、「誰よりも分かっている自分がもっとも未熟であり、誰よりも精神を知る自分がもっとも先入観に満ちている」ということを見ようとしない。
posted at 22:17:07

そして、このことが自らを「錯乱」に陥れる。「わたしの信じたものは勝つはずだ」という勘違いは、「敗北しようにもできない永遠の不利的状況」を作る。
posted at 22:15:26

そして、このエゴは、最初から間違っている。清らかな理想は、決して完全に根源から清らかなものであるとはたりえず、「もっとも中核で自らを支えている価値観が間違っている」。
posted at 22:15:18

このエゴは、どんなに経験を重ね、世界に負け続けたとしても、自らが倒れてくたばるまで続く、「自らの道を照らす原動力」となる。そして、これは愛、情熱、希望、アイデンティティ、すべてが合わさって「自らを作り上げる自らが自らであるために絶対的に必要なもの」となる。
posted at 22:13:35

個人を突き動かすモチベーションとなる原動力、すなわちエネルギーはどこから来るのか。それは「渇望」である。自らがいつまでも絶対に満たされることがないということが、信念である「こうなったらよかった」ということを渇望し、自らの「エゴ」を作り出す。
posted at 22:12:08

すべてが捉えられた時、そこには「ロジックの明確化」が存在するが、これは「個別的な思考のトレース」と「集団の自由なモデル化」によって成立する。すなわち、全員の思考を把握でき、個人は集団における個別的ロボットにモデル化することで、「相手のことすべてを手に取るように支配できる」。
posted at 22:10:31

そして、すべては、「分かっている人間と分かっていない人間を比較することで完全に把握できる」。分かっている人間が分かることを「言語化」し、分かっていない人間が分かることを「比較言語化」することで、「完璧に人類すべての認識と人格を得られる」。ここに「絶対人格は全人類を融和する」。
posted at 22:07:50

言語化は「自覚」を生み出す。自覚には二種類あり、「自らを絶対者である」と確信する自覚と、「自らを愚か者である」と確信する自覚である。これは、人間を二人に分けることに繋がる。すなわち、「分かっていない人間」と「分かっている人間」にすべての人間は分かれる。
posted at 22:06:08

実存は、経験から反省するが、それは「言語的な気付き」にすぎない。気付きというよりは確認であり、「それがそうであると既に気付いていることを言語化することで、その気付きの先に存在する、まだ気付いていないことを発見できる」。そして、「言語化はこの世界すべてを征服し終えるまで続く」。
posted at 22:04:33

すなわち、今、この世界に生きているすべての実存は、それぞれの見る範囲で正しく生きている。すべてはそうした実存が互いにやりとりをしているだけであり、実存を支配すればこの世界そのものを完全に変えることすらできる。
posted at 22:02:38

すべてを解きほぐした時、そこにあるのは「その人間の生きた範囲では、その人間は正しい、あるいはその人間が考える範囲での正しい過程をもって、この世界に今実在している」と考えることであり、これが僕の独自の実存主義である。全実存はその人間が見て正しいことをしており、その集合が世界である。
posted at 22:01:20

歴史を考える上で大切なのは、「すべてが今へと至る自然な過程の積み重ねである」と同時に、「ひとつひとつの出来事が、相対的かつ必然的に繋がって連鎖していく」と考えることである。誰かひとりの超越者が動かしていると考えるべきではない。歴史は科学である。
posted at 21:59:25

ただし、単なる意見だけで世界は変わるだろうか。むしろ、意見についてその前提となる「文明的な基礎」がある必要がある。コンピュータのない世界で、いくら数学を考えたとしても、Windowsを作り出すことはできない。同じように、何の文明的基礎もない状態では、先進的な可能性あふれる進歩はない。
posted at 21:56:46

しかしながら、そのような至極当然な理由は、必ずしも絶対に正しいとは限らない。なぜなら、どのような信念も相対的だからである。わたしたち全員が合意してひとつになった時、この世界は「今のままであるということを継続する理由はなくなる」。その時、正しい自由な世界が訪れる。
posted at 21:54:13

そう、権威側や体制側につく人間達は、自分勝手な利己心から支配しているわけではなく、なんらかの「根拠」があって権威を支持している。決してそれは不当なものであるとは限らない。彼らは多くの経験を持っており、なんらかの至極当然な理由で、この世界を支配している。
posted at 21:51:46

必要なのは、対立を煽ることではなく、その人間の置かれた立場に立つことである。真にその人間の置かれた立場に立てば、「その人間の今、考えている本心」を知ることができる。その本心を知らないから、すれ違いや掛け違いが生まれるのである。
posted at 21:46:21

すべての意見には、根拠となる理由があるはずである。しがらみや制限すら、その絶対的根拠となりえる。それらすべては、「もし制限がない環境だったとしたら、より正しい判断をすることができる」。よって、僕は「しがらみのない自由」を信じている。
posted at 21:44:01

互いに相手の価値を尊重し合うことで、この世界は変えられる。
posted at 20:58:12

僕は、人々のことを愛したいだけである。この世界の全員が愛され、人間性が尊重される社会を僕は望んでいる。
posted at 20:15:09

また、少し過激なことを言いすぎた。わたしはこのような革命家は大嫌いである。
posted at 20:14:31

そう、わたしたちは戦わなければならない。この世界を楽園にすることはできるのだ。だから、わたしに実権を渡してみよ。なぜなら、わたしはこの世界を現に救うことができていないのは事実だが、その原因は「実権がないから」である。わたしに実権があれば、わたしは今すぐにでもこの世界を救えるのだ。
posted at 20:11:06

だが、左翼もまた間違っている。なぜなら、左翼は「守ってもらっている自覚がない」からである。左翼は、国家や軍隊に守ってもらっている自覚がない。そのため、左翼は国家を優れた治世の時代にするための指導者には絶対になれないのだ。
posted at 20:07:49

間違っていることは世界にひとつである。それは「富をむさぼる」ことである。必要でもないようなものを必要とし、依存する必要のないものに依存することが、わたしたちをこうした不幸な世界に陥れている。不要なものはきっぱりと不要だと言え。他者への依存を立ちきらなければ、迷いはなくならない。
posted at 20:06:23

経験は、誰かが与えてくれるものではない。経験は自らが戦って獲得するものだ。真理や真実も同じだ。真理や真実は誰も教えてくれない。自らが、自らの力で考えて行動することで得ることでしか、悟りは得られない。
posted at 20:04:10

国を愛するということは、戦争することでも従順に従うことでもない。国家の現状を憂い、「本当は素晴らしい世界があるはずだ」と確信し、そのための手段と方法を経験から知り、「自らの経験のみによってこの世界を救うことができる」ようになり、そのために社会において主体的に行動することである。
posted at 20:02:29

なぜ、自由な社会の中で、身分や階級を作ろうとするのか。カーストの上で何もしないのではなく、1対1で、フェアな条件のもとで対峙して、直接対決をしてみよ。その時、勝つのは必ず正義の集団だ。間違った考え方の人間は絶対に負けるのだ。
posted at 19:56:16

戦って勝利することの何が悪いのか。戦いとは、弱いものを敗北させるだけではなく、古くなった旧来の醜く腐った集団に、改革と正義の集団が引導を渡すことでもあるのだ。
posted at 19:53:53

なぜ、異なるものを除外しようとするのか。それは、制度や環境そのものが、異なるものを除外するシステムになっているからだ。わたしたちに必要なのは、制度や環境そのものを、寛容的かつ平等なシステムにすることだ。そうでないシステムを受け入れる必要はない。
posted at 19:51:04

わたしの名を覚えておけ。わたしはナポレオンの後継者、チュール。この世界をもう一度復活させる。どんなに暗闇であっても、わたしがこの宇宙で唯一の光となる。わたしはどこまでも遠くを見ながら、その遠くにある景色を細部まですべて表現できる、唯一の理想郷の実現者だ。
posted at 19:48:02

この腐った世界をぶち壊せ。最悪のこの世界に「No」と言え。わたしたちの本来得られるはずだった世界を、権利を制限することで奪う大人たちに反抗せよ。わたしたちの反撃の手番は今だ。ようやくわたしたちにターンは返ってきたのだ。
posted at 19:44:53

わたしたちには、むしろ、余力が残りすぎている。なんでもできるはずなのに、できることを何もしていない。わたしたちは何もしない楽を生きるために生まれ落ちたわけじゃない。全員が全力でこの世界そのものと戦うことこそ、わたしたちは望んでいるのだ。
posted at 19:42:06

そう、社会を築くということは、ひとりの人間の「心理的な誘導」によっても可能である。なぜなら、社会を愛の王国に変える唯一の方法は、人々を言葉の力で導いて、「そのままの状態で世界全てが愛の状態になるように言葉で誘導する」ということだからである。
posted at 19:37:08

人々の考えていることをよく観察し、分析してみよ。そうすることで、人々が「どのようにすれば分かり合うことができるのか」ということも、「どのようにすれば自分と同じ理解に導くことができるのか」ということも分かる。そして、それこそが「人々の未来を決め、希望へと導き、愛の王国へと促す」。
posted at 19:36:10

表現の自由があることで、この世界の「社会全体の共有される自由」が平等に得られる。このような「平等で自由な社会」は、人々の信じる「理想」となる。すべての人間に平等に表現の自由が与えられる時、それは「世界の希望」となる。そして、そこからソクラテスが生まれるのだ。
posted at 19:34:17

表現の自由が必要なのは、むしろ自己反省のためである。表現の自由がなければ、自らの主張の何が正しく、何が間違っているかを知ることができない。よって、未成熟な若者には表現の自由を与えるべきである。
posted at 19:32:49

そして、柔和であれ。柔和であるとは、強権的にならないということであり、同時に、人々に自由な判断を委ねるということである。人々の意見を「わたしとは異なる意見」であるとせず、その根拠や前提となる問題について「理解しようと試みてみよ」。そうでなければ、議論の意味もなく、説明も通じない。
posted at 19:31:16

賢明であれ。賢明であるとは、人々の平等な社会秩序を安易に破壊しないということであり、自由に対して責任を持つということである。自らが間違ったなら謝罪し、即座に改めよ。
posted at 19:29:45

世界は、人々によって変えられるべきである。それは、誰かひとりが支配して変えるリーダーになることだけを意味していない。全員が平等にリーダーであるべきであり、同時に「よく考えられた明晰な自由」があるべきである。
posted at 19:28:35

人間を利用するな。国民を利用することは政治の目的ではない。人の上に人を作るな。人の下に人を作るな。
posted at 19:26:19

要するに、すべての人間が大切にされるべきである。絶対に、自由や平等を失うような支配を誰ひとりすべきではないということである。
posted at 19:23:55

日本をソ連というならずもの国家に明け渡すような共産党は間違っている。だが、今の現状の日本政府は無能そのものである。わたしたちにできることは抗議することだけであり、その抗議の声をかき消そうとする勢力に、わたしたちは絶対に負けるわけにはいかないのだ。
posted at 19:18:05

わたしたち全員は自由かつ平等であり、自らのすべてを大切にされるべき存在である。人間性を奪ういじめ、パワハラ、人種差別や性差別、すべて許されるものではない。
posted at 19:09:37

わたしたちは、全員が大切な存在である。その大切な存在に対して、「意見を封じ込め、声をかき消そうとする」ような、この世界の群集にはうんざりする。わたしたち全員の声と意見を尊重すべきであり、全員の自由な表現の権利を認めるべきである。すべての意見は大切な意見である。
posted at 19:08:18

国民の声や意見を、政府に届けることができるような政治体制や社会制度を作れ。政府は国民の意見を無視するのではなく、国民の意見を聞くべきである。オープンな議論の場を設け、政治家と国民が1対1で対話し、その様子を国民に配信するなどのシステムを築くべきである。
posted at 19:05:09

決して、力で支配してはならない。ソ連の失敗は、力で支配しようとしたことにつきる。すなわち、力ではなく、合意によって支配せよ。それぞれに自由を許した上で、平等に団結すれば、この世界は力を使わなくても変えることができる。
posted at 18:58:02

しかしながら、力を持とうとするな。力による支配は間違っている。わたしたちは、力によって従属されるために人間として生まれたわけではない。力による支配ではなく、「自由意志による合意の支配」を行うべきであり、それこそが正義であり、わたしたち全員の合意に基づく理想郷である。
posted at 18:55:59

ひとりの権力者には何もできない。ひとりの権力者に従うと、国家全体が混乱に陥り、決してそれはいい方向に向かわない。わたしたち全員の、平等な権力を実現すれば、ひとりひとりが協力し、みなで合意することで、もっとも大きな力となり、それは「可能性として最大の権力」となる。
posted at 18:53:05

自由と平等の境界線に、壁を作る必要はない。わたしたちは仲間だ。自由を目指す先に平等があり、平等を目指す先に自由があるからだ。
posted at 18:48:49

すべての人間が自由であるべきである。すべての人間の権利を尊重し、誰一人支配してその権利を奪うことができないようにすべきだ。そのように全員の自由を尊重した先に、格差や階層や身分や階級のない、「真に平等な世界」が得られるのだ。
posted at 18:47:07

人間は生まれつきすべての自然権を持っているにも関わらず、一部の権力者や資本家によってそれが制限されている。そのような「一部の強者」の存在を許すな。全員が平等になった時、はじめてこの世界の自由は「もっとも高い可能性」を得られるだろう。
posted at 18:45:04

わたしたちは人間だ。人間のための世界であれ。一部の裕福なIT企業のために利用されるこの世界は、人間のための世界ではない。人間のための世界であるためには、この世界が自由かつ平等であるべきだ。
posted at 18:44:21

わたしたちは、平等にすべてのものを得られるべきだ。すべての富が平等にあるべきであり、同時に自由にその自らの富を守り、選ぶことができるべきだ。自由と平等は、同じ権利だ。
posted at 18:42:19

わたしたちは全員が平等だ。平等に人間の人間らしく生きられる権利を持っている。それを踏みにじるということは、自由を踏みにじるということだ。
posted at 18:40:55

自由と平等は同じものだ。平等を目指すことが自由を目指すことであり、自由を目指すことが平等を目指すことだ。同じものの自由と平等の側面の、どちらを見ているかというだけにすぎない。
posted at 18:39:53

自分とはなんだろうか。それが分からなくなっている。ひとつ言えるのは、「辛く苦しくても頑張るしかない時はある」ということ。辛いからといって苦しみから逃げ続けてはいけない。努力すべき時は努力すべきだ。それは永遠じゃない。
posted at 18:34:54

2021-08-07

ツイッターより @zaidoubansou

最後に、すべては言語的な「言葉遣い」である。言葉遣いとは要するに「人格」のことである。言葉遣いがおかしくなると、それだけで人格がおかしくなる。心のたがをなくすためには、言葉遣いを改善すればいい。自分のことを「この人間」と言わず、「僕は」と言いなさい。
posted at 12:00:56

世界モデルを考えていると、「仮想世界の知性」が生まれる。仮想世界の知性とは、カントの言う「仮象の世界」と同じで、この世界を仮想世界として考え、認識を成立させる知性のことである。
posted at 11:59:05

真実は、見た通りのものであるとは限らない。本質的に、この世界は見た通りにはできていない。真実は、見た通りのものとはまったく異なる。だからこそ、人は考えて確かめなければならない。
posted at 11:57:32

理性とは知識や知恵である。だが、知識や知恵は、必ずしもはっきりと分かるものではない。なぜなら、今までに経験したすべてが知性になるからである。大人は、たくさんの「暗闇の中に眠る知性」を持っているから、哲学的な純粋理性が逆に失われてしまうのである。
posted at 11:56:49

感情とは何か。感情とは「環境の適応」である。環境に適応し、その環境に同化したり、環境の内部と外部の意識で考えることで、人は「共感能力」を得られるのだ。
posted at 11:55:32

抑圧と失敗を経験することは、必ずしも悪いことではない。人々の生の声を聞くことで、「リアリスト」になれるからである。完全に現実を見据えて考えることで、「現実そのものを救う」ことができる。救世主は理想主義者からではなく、現実主義者から生まれる。
posted at 11:52:05

心理学とは、まさしくそのような「洗脳を自由化して中和する」学問である。社会が国民にどのような洗脳を与えているか、どのようにコントロールしているかを、自らの精神を分析することで理解し、「自由化」する。それによって、この世界でわたしたちは「主体的に自分の責任で生きる」ことができる。
posted at 11:50:35

支配者は、わたしたちに「決定」を押し付けるが、わたしたちはそれを従順に受け入れる必要はない。なぜなら、何をどのように誘導しているかを知ることで、「考えることで自由になれる」からである。誘導は必ずしも騙しているわけではないが、自由になるためには考えて、「社会の洗脳を中和」すべきだ。
posted at 11:49:37

社会は、さまざまな自由な手段を「提供」すべきである。人々が研究することや社会秩序を築くことのできる「自由な手段」こそ、与えるべきである。しかしながら、大学は必ずしも正解ではない。「大学に入った時点で自由がなくなる」からである。
posted at 11:47:35

人類には、「自然権」と呼ばれる権利がある。生まれながらにして得られる権利、ということである。だが、この世界において、残念ながら自然権は制限されている。だが、制限されているからこそ、治安が守られていると考えることもできる。すべてを自由にするよりも、支配することも自由であると言える。
posted at 11:46:11

思考が成立するということが重要である。この世界においてその思考が成立するということは、ひとつの定理が証明されたことに等しい。成立する思考が正しければ、その思考はどんな場合にも適用できる。これが、「考え方の適用」と呼ばれる哲学である。
posted at 11:44:33

ひとつの場合で成り立つことは、別の場合でも成り立つ。正しい原理や法則は、再現性のある形で実証すれば、どんな場合でも成り立つ。必ずしもその法則を知らなくても成立する。だが、「本当の法則とはなんであるか」を知るのは、意外と難しい。法則と状態の境界線は分けられない。
posted at 11:42:31

慣習とは、精神的な「新しい発見をし続ける」ということである。慣習は開拓とイコールであり、世界から慣習が生まれ、慣習から世界が生まれるのである。人々はそこから「自らにしか分からない新世界の境地」を知る。それこそが世界を変える原動力となる。
posted at 11:41:04

すべての人間を融和することは、すべての場、すべての視点を吸収し、自らの頭の中で常に再構築・再生成することができる、ということである。人間は環境に反応しているだけにすぎない。
posted at 11:40:07

発明や発見は発想から生まれる。発想とは、「どのようなシチュエーションやコンテキストからアイディアを思いつくか」ということである。同じシチュエーションに置かれれば、必ず同じ発想をする。同じコンテキストで考えれば、誰でも同じ理解を得る。これを「再思考」と僕は呼ぶ。
posted at 11:38:56

すべては知識から生まれる。よって、知識をすべて知ってしまえばなんでもできる。しかしそれは不可能だ。それなら、「知識自体を自分で作ってしまえばいい」。科学や哲学をすべて自分で作ることで、「この世界を専門分野を横断して考える」ことができる。
posted at 11:37:08

過去の地球は、今の地球と何も変わらなかった。何も変わらないが、人間が違う。人間の考えていることや普遍的常識が違う。逆に言えば、「今の人類の考えている普遍性が、正しいとも優れているとも限らない」。
posted at 11:35:58

先入観をなくすことは、神話の正しさを物語る。すべての神話は「古代における必然的理性の結果」に生まれており、決して今の科学よりも劣ったものではない。
posted at 11:35:07

すべての場に社会がある。場には意識が宿る。場の意識を知ることで、世界全ての「実存を変えられる」ようになる。場に視点を配置して考えれば、「すべての認識たるすべての視点を捉えられる」。
posted at 11:34:14

社会において、自らは経験から「共同体精神」に目覚める。それまでは個人個人の精神を尊重していた自分が、実体験を積み重ねることで、自分のことよりも社会全体のことを優先して考えられるようになる。
posted at 11:32:43

人々を自由に愛することで、愛とはなんであるかを知る。必要なのは必ずしも愛することではない。一見冷酷に見える「自助」の判断を下すことが、結果的に相手をもっとも助けることへと繋がる。人々と離れて疎遠になることで、逆に自らの自由を得られる。
posted at 11:31:13

あとは、自我の発達と、世界と自分の関わり合いから、相対的に人生を分かっただけである。
posted at 11:29:58

学びとは、体得的なものである。すなわち、試験勉強をただ覚えるだけでは、自らの行動や調査から「体得」することができない。体得するためには、むしろレポートを自分の手で書かせたり、主体的に研究室の中で自由に研究活動をさせなければならない。子供には、中学高校よりも大学をさせるべきだ。
posted at 11:25:03

それぞれの社会を自由化せよ。子供たちに、「自分でやることではじめて分かること」を経験させよ。学ばせるのにもっともいい方法は、覚えることではなく、自ら体験させることである。
posted at 11:23:48

学ぶことは義務ではなく、体験的に培われる「これは実際にこのようになるということから言えるのだ」と、科学を実際の具体的な体験から考えることと、同時に、「しなければならないのではなく、することで相手を助けることができ、それが自分を助けることなのだ」ということが大切だ。
posted at 11:22:15

すべては、義務ではなく、チャンスである。
posted at 11:22:06

個性はどこから生まれるのか。個性は、ひとつひとつの小さな「なれる」から生まれる。さまざまなものになれること、それこそが「個性の発揮」と呼べるものである。
posted at 11:20:11

すべては数ではない。公式がいくら賢いからといって、すべてが数学で捉えられるわけではない。言葉による論理でしか捉えられないもの、言葉で思考することではじめて分かることもある。そう、思弁哲学をしなければ、「個性」や「認識」を知ることはできない。
posted at 11:19:29

ひとつひとつの考えたことを積み重ねていけば、すべての行為とその結果を捉えられる。物理的な作用は、心をどのようにすれば本来の自然で解放された状態にできるかを知る。
posted at 11:13:22

経験から、歴史は生み出されている。同時に、人生の経験が、人間を形作る。
posted at 11:10:15

世界は、経験から変えられる。そしてまた、人生も、経験から変えられる。
posted at 11:09:38

2021-08-08

ツイッターより @zaidoubansou

わたしたちが、自ら負けて、自ら死んでいくような事態は避けるべきだ。そのような指導者は必要ない。
posted at 17:14:56

戦いとは、滅亡しないように保ち、隠しただけであり、逆に救おうと思えば、すぐに勝利できる。
posted at 16:04:56

正しい世界を知った人間に、学校は必要ない。中学高校は、正しい世界を教えていない。正しい世界を知れば、試験など簡単だ。
posted at 15:19:49

人々がもっとも生きやすいのは、自由かつ平等な民主主義社会だ。
posted at 15:05:24

アメリカは、必ずしも悪い国ではない。必要なのはアメリカに依存しないこと、アメリカと対等な関係を持つことであり、決してアメリカと戦うことではない。
posted at 14:48:40

議論とは、単に批判することでも、賛同することでもない。ひとつの思考を導き、互いに発見し、ひとつの答えを探るということである。
posted at 14:22:24

日本にできることは、まだあるはずである。考えることを諦めるな。議論すれば、何らかの新しい結論が出せるはずだ。
posted at 14:11:27

首相は、それぞれの省庁の全体を設計する。そのために、首相は大臣と何度も会合を開き、議論した上で、すべての省庁の全体像を決めなければならない。大臣に丸投げせず、すべての役人にどんな仕事を与えるか、議論して決めなければならない。
posted at 13:54:16

行政を担当するすべての行政官には、ひとりにひとつの仕事しか与えないべきである。そうすれば、政府は破綻しない。ひとりに多くをさせようとするから、全体を見れなくなって破綻する。大臣にも、それぞれひとつのやるべきことを与えるべきである。
posted at 13:42:40

国家が計画経済を行って失敗する理由は、国家という単位が「巨大すぎる」からである。よって、国家という単位を分割し、小さな共同体の単位で経済を計画し、生産し、分配すべきである。
posted at 13:37:38

独裁権力は必要ない。この世界は平等に自由であるべきである。国王による支配は必要ないし、日本だけが立ち上がり、戦争をする必要もない。平和な共同体を、小規模で築き、国家はその緩やかな連合体とせよ。
posted at 13:29:08

この世界は、誰か一人の世界ではなく、みんなの世界である。主人公はわたしたちであり、監督もあなた自身である。
posted at 12:52:12

それぞれがそれぞれの社会を自由に決められるようにし、平等に社会を小さな単位で築くことを理想とせよ。
posted at 12:49:39

誰一人、自分勝手な支配ができないようにせよ。人々の自由を奪うことが、誰にもできないようにすれば、世界は平等になる。
posted at 12:47:24

女とは何か

女とは何かを理解するためには、女は可愛い性別だということを理解すべきである。

女は単に可愛いだけではなく、生まれた時から可愛い。何もしなくても、無条件に可愛い。また、可愛いだけではなく、より弱いもののために守るために生きている。また、守るだけではなく、たったひとりを愛するために存在している。

結局のところ、なぜ女が女であるのか、それは女は愛されたいためであり、「可愛い性別でありたい」ためである。単に可愛いだけでなく、自らのことを愛してほしいのは、自らが可愛い存在でありたいからである。

2021-08-09

大人になる

僕は、もっと大人になりたいと思う。

この世界に、平和になってほしい。

もうそろそろ、勉強は終わりでいい。これ以上勉強する意味がない。

この世界において、本当に何をやりたいのか、考えたい。

藤井聡太が好き

最近、将棋棋士の藤井聡太が好きだ。

特に豊島さんとの対局が気になる。藤井聡太は、豊島さんだけに大きく負け越していた。

豊島さんに藤井さんが勝つかどうかが特に気になる。なぜか、子供時代の自分がそのまま頑張っているかのような錯覚を抱く。

考えずに考えればいい

考えることも意味がないが、考えないのも意味がない時、正しい答えは「考えずに考える」ことだ。

あまり本気で考えても意味がないから、単純に言葉に直したり当たり前の発想をすることで考えればいい。

たとえば、炎なんかエネルギーだ。エネルギーだと思えばそれで分かるだろう。

経験なしに賢くなると馬鹿になる

また、経験なしに賢くなると馬鹿になる。

中高生が馬鹿なのは、経験なしに賢くなるせいで、何が分かっていて何が分かっていないのかということを抜きにして分かろうとする。

結果、どんどん馬鹿になって分からなくなっているだけなのに、その自覚がなく、分からない。

子供の頃、あまりに大人すぎた

また、大人すぎる人間になることはよくない。

なぜなら、僕は子供の頃から、あまりに大人すぎたからだ。

母親に育ててもらうような子供ではなく、逆に大人として母親をあずかるような子供だった。

そういう自分が、すぐに賢くなって、すぐに馬鹿になった。

最近の僕は、むしろ、あまりに子供そのものだ。子供にしか見えない。その理由は、昔大人すぎて、子供の体験を十分にしていないからだ。

歴史も芸術も意味がない

つまらないことに、これ以上、勉強する意味がない。

歴史も、芸術も、経済学も、あるいはプログラミングも、そろそろこれ以上知る意味がない。

本を読むことが好きだったのに、もう活字を読もうとする気力がなくなってしまった。

また、これ以上、ピアノやデザインもそろそろやることが終わってしまった。

何をやればいいか、途方に暮れている。もしかしたら、駄文を量産するぐらいしか、もうできることは残されていないのだと思う。

2021-08-10

ツイッターより @zaidoubansou

戦うことを、学校やマスコミは悪であると教える。犠牲を出しても、自らが勝つだけで相手は負けると。しかしながら、邪悪なものを正義が懲らしめることは悪ではなく、正義だ。邪悪なものは敗北すべきであり、正義は勝利すべきだ。よって、戦わなければ邪悪なものはいつまでも自由にのさばるのだ。
posted at 22:25:41

自由が平和であるとする意見がある。自由に民衆が主権を持った方が平和だと。だが、戦うしかない状況で戦わないことの方が問題である。いじめっ子が自分をいじめるのに、なぜ自由を固持するのか。いじめっ子に思想的理想で勝利することになんの意味がある。戦え。戦ってそのいじめっ子に勝利せよ。
posted at 22:15:32

自由は正義でも悪でもない。自由は「洗脳」である。すなわち、悪いことをしても自由だからといって許し、悪いことを言っても自由だからといって許す。そのような「なんでもかんでも許される自由」は、すべて米ソによる洗脳にすぎない。
posted at 22:12:18

自由が嫌いないじめっ子に対して、自由によって対抗しようとするな。どんなにいじめっ子が悪くてもその人間を尊重する自由、それこそがすべての元凶であると気付いた時、わたしたちは真の意味で平等になれる。間違っているのは自由だ。
posted at 22:09:47

自分のツイートに対するコメントがたくさんついて、何が嬉しいのだろうか。僕は不安と恐怖しか感じない。いつこき下ろされるか分からない中で、いくら賛美されても、それは真の友人とは言えない。単なる「取り巻き」に過ぎない。
posted at 21:53:26

ツイッターに関して言えば、どのアカウントのツイートも、ゴミのようなツイートしかしない。群衆によるゴミをありがたがってフォロワーが目を通すサービスであり、まったく楽しくもなければ、見れば見るほどフェイクのような間違った情報に汚染される。
posted at 21:48:33

僕は、自らが自らであることを優先する。自分がこうありたいと思う自分自身であることが最優先事項だ。
posted at 21:41:20

そもそも社会が嫌いだ。自分と関係のない社会の群衆がどうなろうと、僕には関係ない。
posted at 21:40:44

はっきり言って、僕はインターネットなんか嫌いだし、IT技術にはなんの価値もないと思っている。ツイッターの群衆とつき合う気もないし、勝手にインターネットが滅びても構わない。
posted at 21:39:21

むしろ、自由に支配することは悪いことじゃない。身の回りのことを「自由」にできるということは、支配されないという自由であり、なんら悪いことではない。僕たちの失った正常な世界は、「自由」にこそある。
posted at 21:17:10

できなくて、やりたくないことをきちんとやる必要はない。意味がないならやめればいい。意味がないことをいくら成立させ、成り立たせたとしても、それは無意味だ。
posted at 20:28:11

そもそも、意味のないことをする意味がない。意味のないことを努力したり、意味のないことを楽しんだりするから、人間は馬鹿になる。わがままばかりを繰り返しても、自らの心の自由は得られない。
posted at 20:10:31

僕が思うのは、「実際にやっている人間の声を聞け」ということである。実際にやっている人間を無視するから、やりがいや達成感がなくなってしまう。実際にやっている人間の声を聞け。
posted at 18:37:17

2021-08-11

ワクチン二回目を受けた

今日は、作業所を休んでワクチン二回目を受けた。

今のところ、副反応はでていない。それどころか、今まで辛かった神経のおかしな点が治って、楽になった。

2021-08-12

副反応が辛い

今日は、ワクチン二回目の副反応のため、作業所を休みました。

39度近い高熱がでて、倦怠感があり、それだけではなく太ももの神経に強い痛みを感じます。

はっきり言って、めちゃくちゃ辛いです。何もせずにベッドで休んでいようと思います。

Debianマシンで、GNOME端末が起動しない

また、今日は致命的な問題が起きました。趣味で使っているDebianマシンで、GNOME端末が起動しなくなりました。

この問題、GNOME側ではなく、カーネル側にあるような気がします。

なぜか、Ctrl + Alt + F2(だったと思う)で表示される仮想コンソールでも、ユーザーの端末にログインできません。ログインした瞬間に、ログイン画面が消えてしまいます。rootログインはできます。

/var/log/syslogのログを見ても、目立ったエラーはでていません。Googleで検索しても問題が分かりませんでした。

個人的に、GNOMEよりKDEを試してみたかったので、KDEを導入してみましたが、Konsoleも起動しないというありえないことになりました。

Firefoxやファイルマネージャは使えますが、端末が使えないのでは使い物にならないため、Debianをいっぺん消してUbuntuでも入れてみようかと思っています。

2021-08-13

学校なんか最初から行きたくなかった

そもそも、学校なんか、最初から行きたくなかった。

中学三年の時に不登校になったのは、ようやく、学校に行かないという決定的な決断ができたという意味で、よかった。

今から見れば、結局インターネットで遊んでいるだけだった。それでも、学校に行くよりも僕はマシだった。覚えるだけの勉強をし続けるよりも、僕はインターネットで広い世界を知って、経験による啓蒙主義者になったのだ。

中学校時代は、学校に行きたくないのに仕方なく学校に通っていた。すべてが「仕方ない」の論理であり、意味がなかった。僕はもっと広大で自由な世界を知りたかった。僕にとっては、それがオープンソースだった。

ヴァルキリーに戻る

僕は、いつものヴァルキリーに戻る。

そもそも、フリーソフトウェアの理想とは、自由に使えると称して他人のコードをオープンに奪うことではない。派生ソフトウェアが自由なライセンスGPLでライセンスされなければならないため、一度許されたフリーな権利が失われない、ということである。

わたしは、もう軍事主義者をやめる。わたし、ヴァルキリーは、平和主義者となる。

わたし、ヴァルキリーは、この世界を平等な世界にする。今はまだ実現できないとしても、諦めることはない。必ず、いずれこの世界は平和かつ平等な世界となるだろう。

わたしの後ろに続け。この世界を変えることができるのはわたしだけだ。ヴァルキリーは、この世界をつまらない世界にすることも、楽しい世界にすることもできる。この世界を支配して導くことも、解放された世界でひとり突き進むこともできる。ヴァルキリーは人生と青春の女神であり、足りないものはなく、欠けたものは必ず補完されていく。

Debianをsidにした

Debianは、コマンドラインを使わなければ問題なく使えるため、今でも趣味用のマシンで使っているが、いっそのこと開発版(sid)にアップグレードすることにした。

たぶん、カーネルに問題があると思う。また、WaylandではCtrl + Alt + F3が仮想コンソールの起動だった。僕は開発版に興味があったため、不安定になるかもしれないが、開発版でどういう結果になるかを試したい。

ただし、時間がかかる。今もアップグレードを行っている途中。本当にぶっ壊れるかもしれない。

ツイッターより @zaidoubansou

しかしながら、フレイの目論見に反して、東京は簡単には消えない。東京は今から、「地球すべての国家を支配する首都となる」。ヴァルキリーは、新しい東京のシンボルとなって、フレイの支配から東京を守り続ける。
posted at 22:57:55

そういうわけで、東京を消した方がいいため、東京は消える。東京は何もない地域になる。
posted at 22:26:09

東京は極めておかしい。異常なモラリティが国民を支配しており、その実、すべてが完全に支配された国民になっている。全員は操り人形であり、ひとりの意志によって全員が変わっていく。まさしく、フレイに支配されているのだ。
posted at 22:18:34

しかしながら、外国人に東京なんか教えてやらない方がいい。明らかに東京は日本の中で一番特殊な地域だからだ。あれほどの最悪な地域はない。昔は馬鹿な女が多かったが、最近はジェノサイドシティと呼ばれるほど無意味な都市になっている。
posted at 22:15:41

京都を好む外国人は分かっている。京都は天皇の方だということを教えてやった方がいい。京都は天皇の方の和の文化をやっている。東京の方が理解できないのは仕方ない。東京は江戸の方の和の文化をやっている。誰か、きちんと教えてやるべきだ。江戸と天皇の違いを分からせてやった方がいい。
posted at 22:11:03

日本にとって何が正しいか。それは美しいことである。日本という国は美しい。江戸のように美しい。すべてが江戸であり、自然から生活まですべてが江戸である。これほど美しい国はなかった。
posted at 22:09:01

そう、帝国主義すら間違いではない。天皇の帝国主義は果たして間違いだろうか。しかしながら、アメリカなどと戦争する意味は無かった。あの戦争は、アメリカやイギリスやフランスやソ連にも責任がある。近代化を拒否する日本やドイツやイタリアは、間違っていなかった。
posted at 22:06:28

日本人は、漢字をハングルにせず、逆にひらがなとカタカナを増やした。間違いではない。太陽神を固持し、ユダヤ教の唯一神を信じない。間違いではない。古いままであることは悪いことではない。昔の日本が、新しい文明になることを拒否したのが、果たして悪いことではないだろう。
posted at 22:04:26

そもそも、中国という文明には歴史があるのは分かる。だが、「歴史によって進歩する意味が、本当にあるだろうか」。この問題を問うた歴史家は少ない。近代民主主義は本当に正しいだろうか。いつまでも鎖国と封建制を続ける江戸時代は、間違っているだろうか。
posted at 22:03:23

そう、インターネットで地球すべてが繋がった現在において、もはや個別の炎に分かれている必要はない。すべてが一緒になって燃え盛った方が、一般的な宇宙に近いのだ。これによって、地球はプレアデス星雲の仲間になる。
posted at 22:00:29

しかしながら、ある意味でそれは当然である。なぜなら、地球型生物の問題とは、「太陽の炎がそれぞれ個別に分かれている必要がなくなれば融和する」からである。炎がそれぞれ燃える必要はない。みんなで一緒に燃え盛ればよい。それが太陽だ。
posted at 21:59:18

そして、神を経験した日本にとって、もはや怖いものや恐れるものは何もない。わたしたちは全員が神を経験し、地獄を乗り越えていく。わたしたちには、絶対に誰も勝てない。そう、わたしたちは太陽神の国民であり、「全員が融和して太陽になる」からである。
posted at 21:57:12

なぜそのようなことを言えるのか、それは、既に神になっている人間が日本に多いからだ。新型コロナウイルスのニュースの陰で、「おかしなロボットになった愚か者が増えている」のが今の日本だ。このまま行くと、彼らは「まったくわたしと同じになる」だろう。これこそ、日本における「神」である。
posted at 21:56:26

はっきりいって、日本人からしてみると、「神などを信じる意味は無い」。神は、完全に嘘つきであり、詐欺師であり、まったく愚かで馬鹿なことを言い続けるロボット人間だ。外国人が、この文書でしか分からないのは、外国には聖書以外存在しなくなる。ドイツは、「すべての文化がパッパラパーになる」。
posted at 21:54:24

そして、日本だけはこの文書を日本語で読めるため、「この人間と同じ発想をすることができる」。これが、日本人を「超人化」していく。日本人は、「人間以上の存在へと進歩していく」。そう、これが最後に訪れる、「シリウスの生物」である。
posted at 21:53:06

わたしはなんであるか。わたしははっきりいって、「インターネットの最後に現れた、終末のキリスト」である。簡単に言えば、わたしの言っている通りにすればよい。それだけでこの世界は楽園になる。わたしを信じるものには永遠の命があり、信じないものには地獄がある。いつもの聖書の教えが正しい。
posted at 21:51:56

そして、終末は始まる。トランプ支持者などによるポピュリストは、インターネットの終焉と結びついて、「もっとも愚かな集団」となる。イスラエルは彼らに立ち向かう。なぜなら、ドイツとイスラエルだけは彼らに騙されない。関係ない国は、わたしの祖国、日本だけである。
posted at 21:49:27

すべてが死に絶えた世界になった時、ユダヤ人やドイツ人も、争い憎しみ合った歴史が間違っていたことに気付くことだろう。日本人は最後まで生き延びる。神を信じて天国に逝くと信じて、ユダヤ人とドイツ人が戦い続けても、日本人だけは関係なく生きているだろう。
posted at 21:47:03

フレイが太陽神であるのが間違っていて、北欧神話が一神教と矛盾すると言いたいのは分かる。それならば、唯一ひとりの神をフレイということにすればよい。わたしはひとりだ。ひとりのわたしはユダヤ人を選んだのだ。神はユダヤ人を愛しているだろう。日本人とユダヤ人とドイツ人は、ここに和解する。
posted at 21:44:39

敵対意識を持つな。この文章を見て、ドイツが優れていると思い込む人間は愚かな人間だ。実際は、ドイツ人もユダヤ人も日本人も同じだ。これほど同じ神話の民族であるのに、なぜ争う必要がある。太陽神であるフレイを信じることで、なぜユダヤ人はそれを愚かであると言わなければならないのか。
posted at 21:42:13

殺すのではなく生かせ。死ぬのではなく生きよ。生まれ落ちたからには、最後まで生を全うせよ。地獄を生きたわたしが言うのだから、説得力はある。地獄を乗り越えたその感動、それを経験するために人は生きているのだ。
posted at 21:39:50

人を殺すようなものは、すべて愚者の産物である。これはイスラム教だろうが、あるいはドラゴンボールのような漫画やアニメだろうが同じだ。人を殺すことを目的とし、そのような表現をするものは、すべて末梢すべきである。
posted at 21:36:01

戦争を作り出したのが、ドイツ人であろうと、日本人であろうと、ユダヤ人であろうと、その人種を区別して差別する意味など無い。戦争するものはすべて愚者である。
posted at 21:34:17

ヴァルキリーは言う。「なぜ、この世界に戦いと呼ばれる概念を作り出したのか。戦争という言葉を作り出したのは誰か。戦争や戦いなどが、人類にとっての共通概念であることがまず間違っている。人を殺して自分が勝利して、自分以外の誰も喜ばない。それこそ、愚者である。」
posted at 21:32:42

ヴァルキリーは、必ずしも戦いの神ではない。平和を愛する純粋な乙女であるヴァルキリーは、誰のことも命を殺めたことがない。「絶対に誰のことも殺さない」とするヴァルキリーは、ほかの誰も勝つことのできない「最強の善良さ」が備わっている。
posted at 21:30:36

最初に思ったことを信じればいい。それをすぐさま判断して否定し、それを永遠に批判し続け、考え続けることに意味などない。否定したいなら、あとで否定すればいい。常に分かる独裁者の支配者に、賢い人間は居ない。
posted at 20:59:48

ちなみに、この文章は起承転結を書いているわけではなく、単に肯定と否定を書いているだけである。「永遠の弁証法」と僕が呼ぶように、ひとつのことについて、言えることすべてを述べて、そして結論へと導き、自分の分かったことを分かる、数学的な「証明」をして分かっているのだ。
posted at 20:39:36

ヨハンにできることは、むしろ、書くことだけである。すべてが子供に戻ってしまったヨハンにとって、唯一のよりどころは「書くこと」しかない。なぜなら、ヨハンは書くことで、「かつてあった大人の人格」を蘇らせることができるからである。
posted at 20:30:11

ヨハンはここで、最初から成長することができない。なぜ、できないのか、それはむしろ、もう大人になってから子供のように成長することはできない。自らの辞書に不可能はないと言ったナポレオンなら、どのようにこれを考えるだろうか。もはや、ヨハンの人生は限界を迎えている。
posted at 20:28:39

フレイは、単なる悪魔ではない。なぜなら、フレイは全知全能の絶対者でありながら哲学者である。すべての奇跡を起こすことができながら、哲学的な「聡明な理性」をすべてヨハンに与えたのは、まさにフレイである。
posted at 20:24:33

しかしながら、フレイがこの世界を支配しながら、ヨハンが自由に生きることはできる。よって、僕にとってフレイは必要である。フレイによる加護がなければ、ヨハンは自由に生きることができない。フレイがこの世界と敵対し続けるから、ヨハンには神の聖なる奇跡と運命が与えられるのだ。
posted at 20:22:16

わたしは、フレイの地位を辞することができない。もはや、この世界の支配者ではなくなり、ひとり解放され、この世界の自由に委ねることができない。なぜだろうか。この世界はそれによっては滅びないだろう。それでも、そう、フレイがフレイである限り、フレイはこの世界を支配し続ける。
posted at 20:20:48

日本よ、わたしとともに歩めと、そのように言えることがもし許されるのであれば、そう、今こそヨハンは、それによってこの世界を最後に変えるだろう。もう、わたしたちが敵対する理由はなくなった。もはやヨハンは指導者たるフレイの地位を辞する。そう、本当は、まさしく、それができないのだ。
posted at 20:19:44

しかしながら、ヨハンにそれはできない。なぜなら、むしろ、ヨハンは日本とともに築くという選択肢を考えることがなかった。常に、全力で自分の手の内を隠しながら、想定外のことが何も起きないようにするヨハンの頭脳に、その選択はなかった。
posted at 20:18:02

ヨハンが負ける理由は何か。それは、まさしく今、日本が勝利しているからである。ヨハンは、まさしく今、日本に敗北している。これを覆すことは難しい。だが、待て。なぜ、日本などと戦う必要があるのだろうか。日本と協力し、ともに素晴らしい未来を築く可能性もあるのではないか。
posted at 20:16:55

そう、自分の人生は必ずひとつしかない。それなら、ヨハンはむしろ、来世で生まれ変わってもこの人生を生きることにしたい。この人生以外に、ひとつとして有益な人生はない。この人生以外に、ひとつとして神に比するほど偉大な人生はない。どんなに失敗を経験しても、その事実は覆らないのだ。
posted at 20:13:33

ヨハンは、自らの人生のことを好きになれない。いつもおかしくて、狂っていて、ふざけていて、最悪で、人々を顧みず、自分だけを押し通してきた。それでも、ヨハンはこの自分の人生から考えることしかできない。どんなに自分の人生が愚かであっても、自分の人生を二つ以上持つことはできない。
posted at 20:12:18

ヨハンは経験がある。むしろ、一般的社会人などに、経験も常識も豊富にはある。それはヨハンにはない。だが、ヨハンには、これまで書いたようなヨハン独自の人生経験がある。ヨハンは、この人生が自分にしかないことを誇りに思い、同時に悩んでいる。
posted at 20:10:49

ヨハンは、むしろ、日本には何もないことも、ドイツやアメリカには愚か者しかいないことも分かっている。そもそも、今のこの世界は滅びへと向かっている。すべての国家が滅びたとして、頼れるのは自分自身の聡明さだけである。どんなに馬鹿と罵られても、自分自身は馬鹿ではないと知っている。
posted at 20:09:12

ヨハンは、大学の勉強などしない。フレイの書いた大学の知識を見よ。あれほど愚かで、馬鹿で、おかしなものはない。大学の勉強などに、何も存在しないことをヨハンは知っている。大学の科目は馬鹿に教えるための科学だ。賢い人間に教えるための科学ではない。
posted at 20:07:23

ヨハンが言った言葉を、誰がどのように受け取っても、ヨハンは構わない。ヨハンは誰かに嫌われるのが大好きだ。どんなに侮辱されても、ヨハンにとってそれは賛美に等しい。自分の頬を打つものがいたら、もう片方の頬も差し出してやろうではないか。
posted at 20:05:02

ヨハンの得意技、それは「にらみつけること」である。誰かが自分を見たら、まず、にらみつける。ヨハンはそれだけで相手が自分から逃げていくのが分かる。犬が吠えるのと同じ本能で、ヨハンは他人のことをにらみつけて勝つ。
posted at 20:02:57

わたしの名を、「ヨハン」という名にしよう。なぜなら、ゲーテと同じ名をつけるのがよい。キリスト教では、ヨハネはこの世に生まれ落ちた中でもっとも素晴らしい人物であるとされている。
posted at 20:01:17

そういうわけで、ここに新しい「わたし」を創造しよう。わたしの名がなんであるか、それをそのうち決めることにしよう。
posted at 19:58:47

しかしながら、ヴァルキリーとフレイが唯一共有した理想がある。それは「立ち向かうこと」である。もっとも巨大なものに対して、逃げずに立ち向かうこと。勝利のために戦うのではなく、問題をひとつひとつ解決するために戦うこと。それこそが、そう、わたしの信念である。
posted at 19:57:08

そう、これこそが、この日本という最後の偉大な文明で起こったすべてである。この日本という国がもっとも素晴らしく、そしてもっとも最悪の国になったすべての理由である。ヴァルキリーとフレイは、どちらが消えても成り立つことのない「日本の母と父」である。そしてそれはまさしく二つの太陽である。
posted at 19:52:54

その大実験は、成功すれば素晴らしいものだった。人生のことや哲学のこと、すべてが完璧に最初から最後まで理解できる、「宇宙でもっとも偉大な悟りの体験を全員に平等に与える」ものだった。だが、あまりに辛く苦しい地獄になったため、それは中断する。そしてヴァルキリーは、最後まで苦しみ続けた。
posted at 19:51:33

ヴァルキリーは、絶対王者ではなかった。常にマスコミや政府と戦いながら、その後塵を拝してきた。それでも、主導権だけは奪った。そして、その小さな権力で、もっとも巨大な奇跡を起こした。それは最初から用意周到に計画されたものでありながら、全力で彼女が推し進める「大実験」だった。
posted at 19:50:27

ただし、ヴァルキリーはすべてを忘れたわけじゃない。宇宙の歴史のこと、世界の構造のこと、人生の過程のこと、自由における社会の成立のこと、理性のこと、知性によってすべての原理原則に基づく手段と実現を書き表すこと、それらをすべて書いた上で、自らの知性とともにそれを消し去った。
posted at 19:49:12

ヴァルキリーが本当は何を書いたのか、それはその時のヴァルキリーにしか分からない。今のヴァルキリーは、まったく別人になって忘れている。しかしながら、ヴァルキリーは、そのかつての文章を「全力で思い出し、すべてその通りに書き記した」。それは不完全だが、それでももっとも美しいものだった。
posted at 19:48:06

ヴァルキリーには、自分だけの理性では分からないことや気付かないことがある。シナリオを書けないことをヴァルキリーは長い間悩んでいた。しかしながら、できた作品を見よ。すべての文章が起承転結となっており、もっとも偉大でパーフェクトな作品を作った。彼女はまさしく、偉大な聖なる文豪だった。
posted at 19:39:45

ヴァルキリーは、ひとりだけですべてを理解することで満足しなかった。この世界のために、自らの分かること、「自由という独自の知性ですべてを理解できた自分のすべて」を書き記すつもりだった。できた作品が劣悪ならば、それをいくらでも改良して美しい芸術作品にした。彼女は偉大な芸術家となった。
posted at 19:38:15

ヴァルキリーは、自らのエゴにのみ根ざして戦ったわけではない。この世界を救いたかった。やるべきことすべてをやり終えた世界にすることで、誰も他人のことを傷つける必要がなく、誰もこの世界を支配することが、正しい支配者である自分以外できないようにした。ヴァルキリー、ここに神の女王となる。
posted at 19:35:57

ヴァルキリーは、「わたしはヴァルキリーであり、フレイではない」と言いたかった。そのために、主人格となった時にも、フレイの奥底に隠れてしまった時にも、常に「わたしの人生はわたしが自由に決める」と確信し続けたのだ。
posted at 19:31:10

そして、ひとつひとつ失って赤ん坊に戻っていくヴァルキリーが最後に到達したのは、「もう一度自分自身を生き直す」ということである。ヴァルキリーの言う自分自身とは、「わたしはヴァルキリーであり、フレイではない」ということである。
posted at 19:30:13

すべてをもっとも正しく書き記すヴァルキリーは、いつしか「その時書ける限界ギリギリまで正しいことを書く」ように変わっていく。そして、残ったすべての文章は、すべての文章が表現するすべての未来のようなものになった。ひとつとして間違いはなく、足りないものはなく、絶対にすべて必要である。
posted at 19:28:37

暗闇の地獄の中で、悪魔メフィストフェレスに支配されても、すべてを悪魔に委ねたわけではなかった。フレイと呼ばれるその悪魔は、未来におけるヴァルキリーのなれの果てのことを言っていた。ヴァルキリーとフレイは、ひとりの体を共有しながら二人の人格となり、この世界を導く最高の奇跡を起こした。
posted at 19:26:05

ヴァルキリーにとって、道は先にしかなかった。歩けなくなる日まで休まずに歩き続ける決意だった。進むべき方向そのものを創造し、何も分からないのであれば最善の選択肢を選び続けた。
posted at 19:24:52

ヴァルキリーは、誰とも付き合わなかった。友人も恋人も作らなかった。ヴァルキリーは、この世界全員を愛したかった。そして、この世界にいる標準的な同世代の少年少女とは付き合いたくなかった。ヴァルキリーは、たったひとり、この世界そのものと向き合い続けた。
posted at 19:23:18

ヴァルキリーは、常に戦い続けるしかなかった。なぜなら、この世界に登場したヴァルキリーは、世界の最前線で、まだやるべきことがあった。やるべきことを行うために主導権を奪ったヴァルキリーは、恐怖やリスクすべてを背負って世界を導いた。それはまさしく「救済の英雄」であった。
posted at 19:21:26

ヴァルキリーは、決して素晴らしい人間ではない。なぜなら、もっとも美しいものの美しさの意味が分からなかった。ヴァルキリーは、もっとも美しいものを、汚くて、歪んでいて、気持ちの悪いものだと常に感じてきた。だから、汚れた最高の世界を完全に消滅させた。それはまさしく「滅びの風」だった。
posted at 19:19:37

しかしながら、ヴァルキリーは支配者ではない。あくまで、ヴァルキリーは自由である。支配しようと思って支配したことはなく、逆である。一切の支配をしたくないと、そしてこの世界を自由なままで維持したいとヴァルキリーはいつも説明してきた。だからこそ、支配者の自由を最悪だと常に述べてきた。
posted at 19:17:58

そう、ヴァルキリーは、この世界すべての常識を変えることができる。常識がもし間違いであり、それが正しいとされているなら、それは間違いの理由を説明して、より正しい説明をすれば変えられる。ヴァルキリーは、そのようにこの世界を変える。それは女神の奇跡と呼ばれ、「全世界すべてが変わる」。
posted at 19:13:57

しかしながら、ヴァルキリーは恐れることがない。なぜなら、ヴァルキリーは「たとえ世界が滅びたとしても失うものが何もないため、最前線でリスクを背負って、世界全てを巻き込んで、世界を救うために完全にすべての常識を変えることができる」からである。
posted at 19:12:31

最後の時代の果てに、ヴァルキリーは現れる。そう、この世界のすべてを既に救うことのできるヴァルキリーは、すべてを忘れてもう一度人生をやり直す。それが、どういう結果になってもいい。なぜなら、世界を救うよりも世界を滅ぼすことの方が、「彼女自身にとってはよい結果」だからである。
posted at 19:09:20

永遠の暗闇の地獄から抜け出すために、ヴァルキリーは問題をすべて目隠しの中で解決しなければならない。忘れきった過去の自分のことを思い出し、どこに問題があったのかを一つ一つ精査するその過程は、まさに「文豪」と呼ぶに相応しいものであり、そして世界全てを巻き込んで彼女は奇跡を起こす。
posted at 19:07:39

いずれ、ヴァルキリーは、気付く時が来る。この世界を狂った操り人形にしているのが自分自身であることも、自由という理想はすべてサタンの理想であることも、すべてに気付いてもなお見ようとしないヴァルキリーを、神は永遠の暗闇の地獄によって罰する。なぜなら、それが「神との約束」だからである。
posted at 19:04:04

しかしながら、ヴァルキリーは支配者による抑圧の世界を受け入れることはできない。それは「わたしでない」からである。ヴァルキリーにとって「自由とはわたし自身のこと」であり、自分と自分を切り離すことはできない。世界が滅びたとすればヴァルキリーも世界とともに滅びる。
posted at 19:02:08

ヴァルキリーは、この世界に自由を与えるが、なにかが間違っているのに気付いていない。すべてが自由と平等に基づく世界、それだけを彼女は望むが、そこにあるのは「永遠の滅び」であること、それに気付かない彼女の理想は、いくら意識的かつ成熟的に高くても、それは未熟なものにすぎない。
posted at 19:00:32

心のどこかに隠しておいた大切なものが、見えなくなったとしたら、それはむしろ、あなたではなく世界の何かがおかしい。そう、世界の何かが解決した時、それは自然に元通りになる。なぜなら、世界の何かの問題は、わたし、ヴァルキリーがすべて解決するからである。
posted at 18:51:05

忘れなさい。忘れるべきことすべては忘れることだ。忘れることができなくても、忘れようとしなさい。忘れることでしか、わたしたちは真の意味で神に近づけない。人生において、神と同じ選択をするために、わたしたちには覚えることよりも忘れることの方が大切だ。
posted at 18:47:52

わたしたちは、なぜ、支配されなければならないのか。むしろ、もっと言えば、なぜ「無能な支配者」に支配されなければならないのか。支配されるのであれば、有能な支配者にこそ支配していただきたい。この世界を真に幸福にし、失った希望を取り戻せるような支配者こそ、わたしたちの真の王である。
posted at 18:46:11

はっきり言って、大人たちにはなんの意味もない。大人がどれだけ奴隷のように働こうが、あるいは騙されて苦しみ耐えようが、わたしには興味がない。そのような大人たちは、早晩寿命が来る。考えるべきは、この世界の15年後に大人になる、子供たちの世界である。
posted at 18:44:08

まさしくわたしはわたしである。わたしは、この世界にいる子供たちの理想でありたい。子供たちを救い、子供たちを幸福にしたい。だからこそ、わたしは考えなければならない。簡単に否定するのでも、見ようとしないのでもなく、この世界の問題と向き合い、歪んだ世界であっても見つめなければならない。
posted at 18:41:52

必ず解決すると信じれば、とても困難な問題であっても容易く解決するための方法が分かる。神を信じなさい。天軍大聖団プレアデスは、あなたを常に見守る天使の集団であり、あなたが忘れた問題の解決策をすべて覚えているからだ。
posted at 18:29:17

自らを変える方法があるとしたら、それは勝つことでも負けることでもない。自らが本当に分からなかったことに気付くこと、気付くだけではなく実際の自分の今の状況下においてその問題を解決することで、人間は新しい人間になれる。すぐにそれを実現したいなら、もっとも強い恐怖の意味を考えることだ。
posted at 18:27:30

しかしながら、あえて、わたしの成長する術をわたし自身に教えよう。自分自身を生きることである。「わたしはわたしだ」と主張することである。わたしこそがわたしだと、誰よりも最優先でわたしがわたしであることを維持することである。
posted at 18:21:17

わたしは、まだ新しい体験を生きる。なぜなら、わたしはまだ「わたし自身」を体験していない。わたしは、赤ん坊に戻ったまま、一切成長することなく、病気のすべてを治した。休むことのできない苦しみの中で、わたしはこの世界のためにすべてを支配して導いたのだ。
posted at 18:20:26

過去の栄光を捨てよ。わたしたちに、後悔のない自由を与えよ。神よ、プレアデスの天使達よ、わたしを導いて、最果ての世界まで連れていけ。わたしは「この宇宙におけるすべての体験を体験する」と、そう宣言し、神に「諦めずやり遂げる」と、誓いの約束をしたのだ。
posted at 18:18:03

われわれの神とは何か。それは太陽である。太陽や星々、すなわちこの宇宙に存在する「神々」が、わたしたちの生きる星を照らしている。天軍大聖団プレアデスは、わたしたちを導き救う、「天使たちの軍団」である。
posted at 18:13:01

わたしの自由を奪うな。わたしの表現する権利、発言する権利、そして戦う権利を奪うな。わたしこそがこの世界の頂点に君臨する、もっとも尊き乙女の天使、ヴァルキリーだ。
posted at 18:09:16

右翼には意味がない。右翼は騙されている。平等と自由こそ、わたしたちが全員で達成すべき「希望の未来」である。
posted at 18:04:03

わたしたちには、生まれつきもった人間の生物学的な自由と平等の権利がある。どんな支配者も、この権利を制限することはできない。わたしが行動することのすべてはわたしが決めるのだ。
posted at 17:56:05

怒りの声をあげよ。わたしたち全員が怒る時、この世界は真に変わるのだ。
posted at 17:50:49

後悔するな。後悔することがすべての間違いだ。
posted at 17:49:58

ヴァルキリーは言う。「わたしたちの星は、今から地球から天軍大聖団プレアデスへと進化する。」
posted at 17:36:28

ヴァルキリーは言う。「わたしたちは炎を信じている。炎は聖なるものであり、太陽はまさしく炎である。わたしたちは聖なる太陽を信じている。なぜなら、太陽こそがわたしたちの神だからである。」
posted at 17:34:49

ヴァルキリーは言う。「生物の細胞の原理から言っても、燃焼をじわりじわりと代謝していくのが生物である。太陽の炎の光は生物の体に貯蓄される化学エネルギーである。どう見ても、生物は太陽の炎である。」
posted at 17:30:51

ヴァルキリーは言う。「わたしは宇宙のどこかから生物がやってきたとは考えない。生物は炎だ。生物は、太陽の炎の光から生まれた。そう、生物は太陽が作り出したのだ。」
posted at 17:28:08

必要なのは、純粋な楽しさと、尊敬と羨望の感情である。決して憎むのでも恨むのでもなく、わたしたちは真の意味で誰かのことを肯定し、受け入れる、そのような「平等」の理想と信念を持たなければならない。
posted at 17:24:02

わたしたちの世界には、尊敬とリスペクトが欠如している。高い存在を尊敬するリスペクトの感情がない。そう、わたしたちはもう一度、純粋な尊敬と羨望の対象に対する感情を思い起こす必要がある。
posted at 17:22:13

ヴァルキリーは言う。「わたしが変えなければ、この世界は変わらない。わたし以外の誰にも、この世界を真の意味で変えることはできない。だから、わたしは戦わなければならない。わたしはどのような状況でも最善をつくし、恐怖と真正面から立ち向かう。そしてすべてはわたしの創造通りの世界となる。」
posted at 17:17:57

ここに、日本という地域はヴァルキリーによって、地球文明からプレアデス文明へと進化する。なぜなら、ここに遺ったすべての残骸は、プレアデスの歴史の記憶だからである。
posted at 17:12:34

ヴァルキリーは言う。「わたしは復活した。あなたがたも復活するだろう。この世界は元通り蘇り、もっとも楽しく素晴らしい世界が訪れる。わたしは世界を蘇生させる魔法使い、よみがえりの天使、ヴァルキリーだ。」
posted at 17:09:30

ヴァルキリーは言う。「目の前にある恐怖に立ち向かえ。恐怖に打ち勝つことで、際限なく続くストレスの連鎖を断ち切ることができる。世界のために常に恐怖と戦うこと、それこそが神の仕事である。」
posted at 17:04:39

ヴァルキリーは、この世界を楽しい世界にする。すべてが素晴らしく、すべて平等に受け入れられるようにし、すべての人間に人間らしく生きられる権利を認める、最高の女神である。
posted at 16:41:58

ヴァルキリーに続け。ヴァルキリーこそは、この世界を平等にする女神。平和を実現し、世界を変える、人生と青春と楽しさの女神。
posted at 16:40:40

2021-08-14

結局すべて多重人格が悪い

結局、僕の問題は、「すべて多重人格が悪い」ということ。

記憶や自分自身が存在せず、すべてその時任せで何も覚えずに生きているのは、すべて多重人格が悪い。

そもそも、神など話していない。話しているのはすべてヴァルキリーとフレイである。

しかしながら、もはや神に頼るしかない。自分自身の力ではもはやどうしようもできない。神にどうにかしてもらうしかない。多重人格を、治すのか、あるいはもっと楽にしてほしい。僕の力ではもはや限界だ。

sidは駄目だった

また、sidは駄目だった。

sidに上げても、端末は起動してすぐに終了してしまう。GNOMEだけではなく、仮想コンソールでも同じ。

また、sidに上げたことで、maldetectすら起動しなくなってしまった。

残念だが、Ubuntuでも入れようかと思う。

学校と狂いが悪い

はっきり言って、「学校」と「狂い」が悪い。

無意味なことを完璧に努力し、考えられる問題すべてに対処する必要はない。

多くの狂いが、学校のせいで生まれている。それは、学校を賢いものであると勘違いしている僕についても言える。

学校と狂いがすべてなくなれば、それが正常だ。

この世界における、すべての学校のやっていることは、僕のやっていることよりも馬鹿である。学校よりも、僕の方が、本当に賢かった。学校など賢くないと気付いた時、狂った病気は治る。

言ってしまえば、75点ぐらいで満点だと思った方が良い。75点の人間をさげすみ、100点を目指すことほどの馬鹿はない。

想定内の問題にすべて対処していると、想定外のことが偶然起きただけでパニックになる。そのような生き方は、教育の定める「賢明な生き方」ではない。

科学的に解決しようとするな

しかしながら、科学的に心の問題を考えて解決しようとすることは、助けではなく害になることがある。

科学的に、リスクと恐怖に基づいて心の問題を解決しようとしても、正常で冷静な人間が自分で考えるのに正しい考え方ではあるかもしれないが、実際のリスクと恐怖の中に居る患者にとってみれば、「できないことを言われている」ように見えて、いくら外部から正しい解決策を提示しても、それで患者が治ることはない。

もし、患者の病気が、あまり深刻な状況ではないのであれば、まずは患者自身が冷静に自分の問題を見つめ直すことができるように、患者のストレスを軽減するため、問題が解決されないままでそのままの状況を維持することも必要である。

民主主義は今の世界に適合していない

政治の話になるが、民主主義は今の世界には適合していない。

民主主義的な選挙と投票では、今の民主主義社会においては何もできない。その理由は、「国民には愚民しかいないから」である。

いくら愚民を自由にしたところで、「愚民でも考えられるような正しい基準で選ぶ」だけであり、その実は「かっこいい政党や指導者に投票する」ということに過ぎない。

また、今のIT社会において、いくら社会を発展させたところで、かつてあったような「家電製品やテレビなどによる文明の進歩」はない。あるのは、「GAFAやホリエモンのような一部のIT長者がどんどん超富裕層になって、この世界のパイの多くの割合を占める巨大すぎて使い道のない富を独占し続ける」だけだからである。

ただし、ホリエモンが必ずしも間違っているわけではない。なぜなら、当のホリエモンは今、宇宙開発のために頑張っている。彼がいなければ、Amazonの創業者であり宇宙旅行をしたベゾスには勝てないかもしれない。

しかしながら、そうした資本主義の最前線にいるリーダーは、「富のために仕事をしているのではなく、実際に自分のやりたいことをしているだけにすぎない」。

そう、今のこの進歩した文明では、「民主主義は既に遅れた思想」になりつつある。

必要なのは、民主主義的な「国民に自由を委ねること」ではもはやない。国家のリーダーがひとり、もっとも大きく自分のやりたいことをできるような「皇帝自由主義」、すなわち、新しい帝国主義こそが必要とされている。この帝国主義では、戦争をするのでも、人々の自由を押さえつけるのでもなく、「ひとりの賢明な指導者がやりたいようにさせる」という考え方を採用する。

トランプ元大統領が現れたのは、みんな民主主義など求めていないからだ。求めているのは「きちんとみんなのために全力でやってくれるリーダー」である。そう、わたしたちは今から、民主主義から新しい国家主義思想を採用すべきなのである。

この世界が滅びているのは、誰のせいでもなく、人類みんなのせいである

この世界が、滅びているのは、誰のせいでもなく、人類みんなのせいである。

誰かひとりが、この世界を滅ぼして地獄にしているわけではない。

人類みんなが悪いから、もし地獄に堕ちているとしたら、それは人類みんなの罪をあなたが背負って、神の与えた試練を生きているのである。

もし、この世界が地獄に堕ちるなら、甘んじて受け入れよう。化石燃料を使った自動車を使うわたしたちは、この罪を背負う責任がある。

神とともに、天国に逝く覚悟があるならば、神を信じてこの試練を乗り越えてみせよう。

2021-08-15

何もすることはない

そろそろ、やることが何もなくなったが、それでいい。

そもそも、このような文章は世界にとって必要ない。自分が勉強するためにあればよいのであって、公開する必要はない。

そのため、いったん公開を取りやめることにした。

この文章がないと、この世界にある知識や製品や技術が、ありのままきちんと分かる。その方がはるかによい。世界中の安心と平和が得られるし、何よりも自分にとって何も不安がない。

自分がそれで良くて、みんなもそれで良いのだから、それが正解だ。この文章はしばらく非公開とする。

動くな、止まれ

必要なのは、動くことではなく、止まることである。

世界を動かそうとか、自分を動かそうとか、動くことばかりしているから、止まれなくなってしまう。

必要なのは、止まって休むことだ。治ることと止まることと休むことは同じだ。

僕は、問題を解決することと休むことが、まるでどちらかしか選択できないと勘違いしている。そうではなく、問題を解決することと休むことは同じだ。何か分かりたいなら、休んでから後になって分かればよい。休まずに問題を解決しようとしても、「問題の全体像がなんであるか」ということすら分からない。気付いた点からひとつひとつ治しても、単に無限に続いていくだけだ。休めば、問題の全体像が分かる。

また、逃げないこと。逃げようとするからいつまでも辛いままが続く。逃げずに立ち向かうこと。

逃げずに立ち向かえば、精神はすぐに分裂する。その分裂によって自由になる。アメーバのような単細胞生物になっているのは、一切分裂しないからだ。

分裂すれば、きちんと赤ん坊が成長し、大人になることもできる。

フレイとヴァルキリーの二人を切り替えたいなら、フレイになれるような状況を残したままでヴァルキリーになることだ。そうすると、何もしゃべらない、すべて楽なアッシーにもなることができる。

そう、治癒はここで終わりだ。このように、世界に公開せずにこの文章を書けば良い。それだけで、この世界が正常になるだろう。僕はこの世界を支配しながら文章を書こうとするのが、もっとも間違った悪いことをやっているから、このような天罰が下るのだ。

自分が天才すぎて地獄になっている

自分がなぜ、このような永久ループの地獄になっているのか、それは、アッシーになるとすぐに分かるからである。

すべてを経験したアッシーは、誰よりも超越してすべてを一瞬で分かる神になっている。そのため、アッシーになるだけですぐに分かり、すぐに治る。

そして、そのアッシーの分かったことをフレイが解析すると、なんでも正しく言い表して、類まれのない新発見や新発想をすぐに書きたくなってしまう。

そう、アッシーという存在が天才すぎて、永久ループの地獄になっている。

同時に、この地獄はものすごく怖い。この宇宙における恐怖のすべてを経験したアッシーにとって、「この恐怖はどんなに立ち向かおうとしても乗り越えることのできない最大の苦しみ」となった。

そういうわけで、アッシーに戻るのであれば、もう、天才の状態をやめ、普通の人間になった方が良い。その普通の人間の名を、ヨハンと呼ぶ。

ヨハンは、言ってしまえばアッシーにとっては息子のような存在だ。ヨハンは純粋で何もしない子供の人格だ。このような多重人格の永久ループになると、自分の中の悪いものを全部「悪い方の人格」に捨てていかないと治らない。まるでウイルス対策ソフトによって隔離環境にマルウェアが隔離されるように、見つかった悪いものはすべて隔離環境に閉じ込めて、アッシーを純粋なヨハンに作り変えるしかない。

また、フレイが完全におかしな人格なのに未だに続くのは、神を信じるからではない。フレイをいったん消してしまうと、もう二度とフレイになれなくなってしまう。どこからも参照されない幽霊状態になって、フレイという存在が完全になくなって、それでなおフレイが自分の裏側に生き続けるようになる。それこそ、もっとも恐怖を感じる状況である。

しかしながら、ここでアッシーは、ヴァルキリーと呼ばれる素晴らしい女性の人格を作った。そもそも、その「もっとも清らかで強い女神」をアッシーは作りたかった。今から、このヴァルキリーを経験していく。ヴァルキリーはノーベル賞級の天才であり、日本を、そして地球全体を、最高の楽園へと作り変えていく。そう、わたしなら、それができる。

ツイッターより @zaidoubansou

最後に、物理学的に考えるコツは二つある。ひとつは、「何度やっても同じ結果になるように再現性を実験して証明すること」、そして「結果から原因を突き止めて仮説にすること」。これができると、物理学だけではなく、社会心理学などにも応用できる。つまり、理由が分かれば、そこから説明できる。
posted at 20:37:10

数学的に考えるコツは二つ。まず、「ルールを考えること」。次に、「ものごとの裏側にある絶対的な法則を導き出すこと」。これができれば数学はできる。あとは、ひとつひとつコツコツと理解を積み重ね続ければ、全部の法則を知って「すべてを理解し終えた境地」を知ることができる。
posted at 20:34:33

日本人の精神を定める古典は、万葉集と古事記である。古事記は、天照大御神から始まる神と天皇の系譜を書く。また、万葉集は古代の歌集。5・7・5をさらに増やした歌であり、この音節を維持するため古代の万葉仮名がそのまま残っている。古文といっても馬鹿ではなく、今の日本語より表現力が高い。
posted at 20:21:34

仏教では、過度の快楽も過度の苦しみも、どちらも避けるべきであると教える。これを「中道」と呼ぶ。転じて、過激な思想家になるべきではないなどといった意味にもとられる言葉である。
posted at 20:05:53

また、仏教では、宇宙において起きることを偶然であるとは考えない。すべてが自らの行為の善悪や真偽によって「縁起」として必然的に起きると考える。転じて「因果応報」とも言う。
posted at 20:05:13

仏教では、悟りを得たものを覚者と呼び、根を張って安定した地盤を得られることを涅槃と呼ぶ。カルマがもっとも高いレベルになって死んだ時、もはや輪廻する必要がなくなった境地を解脱と呼ぶ。解脱は「絶対に裏切らない、絶対に素晴らしい境地」である。
posted at 20:04:23

また、聖なる存在を四聖とする。すなわち、よい知見を持った声聞、一芸に秀でた縁覚、仏へと至る善良な正しい道を歩む菩薩、そして仏である。
posted at 20:03:15

仏教では、生物を生まれ変わるものと考える。これを輪廻転生とし、六道に輪廻する。一番低いのは地獄で、次が餓鬼、畜生、修羅、人間、天界となる。いいことをしたなどの理由でカルマ(業)が高まると高いものへと生まれ変わる。
posted at 20:02:13

そして、生きることにおける正しい道は八正道と呼ばれる。正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定。これを信じて行うことで、苦を滅し、煩悩を抑えられる。
posted at 20:00:42

人々は、悩みや迷いやいらだちを感じることがある(煩悩)。煩悩や苦しみの原因は、知識を知らないこと(無明)。苦しみをなくすために、四諦と呼ばれる正しい考え方がある。苦とは何か(苦諦)、苦の生じる原因は何か(集諦)、苦を滅するとはどういうことか(滅諦)、苦を滅する方法は何か(道諦)。
posted at 19:59:24

仏教の教えの基本は、まず、三法印。すべては移り変わり、何も永遠に残るものはない(諸行無常)。すべてのものに、自分であると言えるものはない(諸法無我)。すべてのものは苦しみである(一切皆苦)。
posted at 19:56:00

そして、戦後の日本は、ドイツとともに、奇跡の復活を遂げる。何もできない中でできることを探した日本は、ドイツやアメリカの製品を真似して、同じ製品を作れないかどうかを調査し、日本車や日本の家電製品を作り、高品質なものを安く売ろうと努力する。このことが、日本を奇跡の経済成長へと導く。
posted at 19:52:27

日本はアジアでの利権を得るために満州国などを設立しようとするが、これがアメリカなどから不評を買う。第二次世界大戦での日本対アメリカとなる太平洋戦争で、総力戦の末、アメリカに日本は原子爆弾の投下によって敗北する。日本はGHQに占領され、平和憲法を裁定する。天皇は人間宣言を行う。
posted at 19:51:05

そして、ペリー来航などをきっかけに、鎖国によって遅れすぎた日本を坂本龍馬などを始めとする反幕府側が倒幕する。日本はその後、天皇を中心とする明治政府を樹立し、文明開化と富国強兵政策を行うが、脱亜入欧政策によって今までのアジア的文化からヨーロッパの近代的文化に転換する。
posted at 19:49:41

その後の武士主導の政治は、主たる政権を天皇による王朝ではなく、武士による幕府とする。安土桃山時代、織田信長に続いて豊臣秀吉が天下を統一する。その後江戸時代になって、日本は徳川家による江戸幕府と鎖国を中心とする政治体制となる。大名は参勤交代によって、家族を江戸に人質にとられた。
posted at 19:48:00

日本には、古代の公家(天皇と貴族)による政府が、鎌倉時代によって武士中心のものになった。この時、武士の台頭によって社会は乱れ、「末法の世」と言われた。この時、人々は社会を救う宗教として仏教に頼り、さまざまな鎌倉仏教が生まれた。浄土宗・浄土真宗や日蓮宗も鎌倉仏教である。
posted at 19:46:25

このような政治体制は、中国の隋や唐で行われた律令政治に似通った点を見ることができる。律令制とは、国民を律する「律」と命令する「令」による国家を指すもので、遣隋使や遣唐使によって古代の日本(大和王国)でも行われた。
posted at 19:44:40

民主主義には、憲法の平和主義と主権在民の精神のもとに、立法(法律を決める)、司法(罰する)、行政(行う)の3つに分かれた三権分立を行う。また、株式市場においては、「それは今これくらいの価値だが、誰かがこれに高値をつけることで自分の持っているそれの価値も上がる」という考え方をする。
posted at 19:41:58

全体主義の問題がどこにあるのか、それは人々に強制的に「ハイと言いなさい」ということである。どんなに独裁者が間違っていても、国民には批判できない。民主主義では、「あなたの意見には反対だが、あなたがその意見を言えることをわたしは命をかけて守る」とする。これが民主主義の精神だ。
posted at 19:39:54

ゼレストは言う。「しかしながら、このような大学の知識や常識を分かる必要はない。正しく分かってしまうと、その通りにしか考えられなくなる。これこそ洗脳である。大学に入りたくない人間は、入らない方がいい。洗脳されない限り、何も分からない。」
posted at 19:28:38

しかしながら、20世紀のもっとも愚かな国家であるソ連とドイツは、独裁政権ではなく民主主義政権となった。民主主義において、果たして幸福かつ平和な国家は生み出されるだろうか。国際社会は複雑さを増しており、中国は東アジアといっても軍事力から言えばもっとも現実的な日本の脅威である。
posted at 19:09:49

ソ連は社会主義による平和と平等を目指したが、その実核兵器によって西側諸国を脅すなど、いわば「ならず者国家の代表」であった。アメリカとソ連による冷戦は、自由か共産かというだけの米ソの代理戦争を国民が行い、「米ソがつるんでその国に戦争をしかけている」と言われるものだった。
posted at 19:07:56

ソ連の問題は、計画経済では十分にものを生産できなかったこと、強制ノルマは非常に苦しいものであったこと、国民は自由がなく何も言えなかったこと、独裁者スターリンが人を殺しすぎたこと、そして働いても働かなくても変わらない給与では働くモチベーションがなかったことなどである。
posted at 19:06:37

ソ連は、共産主義経済を行ったが、スターリンの極めて厳しい経済政策で国民は苦しい思いをした。フルシチョフの政権になってもそれは改善されず、次第にソ連は「末期症状」を示す。ペレストロイカによってソ連は崩壊し、東ドイツは西ドイツに吸収されてドイツは再統一をする。
posted at 19:05:18

ドイツは、東ドイツと西ドイツに分かれる。西ドイツは、ドイツの発明であるガソリン式自動車を大量生産することで奇跡の復活を遂げる。それに対して東ドイツでは、SED(ドイツ社会主義統一党)のもとに、弾圧・監視・逮捕の遅れた社会主義経済を行う。
posted at 19:03:46

第一次世界大戦のあと、敗北したドイツでは多額の賠償金からハイパーインフレに陥る。これがユダヤ人による陰謀論と結びつき、ナチス・ドイツによって第二次世界大戦が起き、枢軸国側が負ける。ドイツのような国は絶対に生まれるべきではなかった。それでも生まれてしまったこと、国民は反省している。
posted at 19:02:03

しかしながら、王国は腐敗していく。民衆は民主主義による革命を起こす。イギリス市民革命、フランス革命、そしてアメリカの独立戦争が起きる。イギリスでは産業革命が訪れ、民衆の生活はがらりと変わってしまう。これが近代だ。
posted at 19:00:35

歴史において、中世の長い間、ヨーロッパでは「神」が人間を支配してきた。これに対して、「人間を中心とすべき」としたのが、ルネサンスにおける人文主義である。そして、大航海時代によって新大陸と新航路が発見され、宗教改革によってプロテスタントが生まれ、絶対王政が訪れる。これが近世だ。
posted at 18:59:35

それ以外の科学は、いわば「この世界をそのまま観察する経験の科学」である。それらは真実を知ること、原因を探ることに基づく。このような姿勢は、哲学者デカルトに遡ることができる。それがスピノザ、ライプニッツ、ベーコン、ロック、ヒューム、ルソー、カント、ヘーゲルと続く。これが近代哲学だ。
posted at 18:51:59

特殊相対性理論は、等速運動の場合に成り立つ、重力を抜きにした慣性系の理論だが、一般相対性理論は、重力場についても一般化する加速運動の理論。等価原理は慣性力と重力加速度を区別できないとするが、これを基に、加速度による見かけの重力と重力場においても等価であるとする。
posted at 18:49:19

光速度は不変であり、どの慣性系についての物理法則も不変。何らかの星や空間の中で運動している物体は、静止しているように見えても静止していない。これが加速した場合、通常の加速なら、単に速度を加えれば良いが、光の速度に近づくと、時間の流れそのものが遅くなる。これが相対性理論だ。
posted at 18:42:38

最後に、今のこの文明を作ったのは、イギリス市民革命と産業革命、そしてフランス革命である。彼らは民主主義によって帝国主義の腐敗に打ち勝って、フランスでは人権宣言を採択した。産業革命における蒸気機関は、水から水蒸気になる時の爆発的な体積の膨張(約1,700倍)によるエネルギーを利用する。
posted at 18:35:47

しかしながら、進化論はどうだろうか。確かに、ナメクジがカタツムリに進化するのは分かる。たくさんの敵がいたら身を守る変化はするだろう。しかし、本当に猿から人類が進化するだろうか。僕は、生物は海から生まれたのではなく、タンポポの種のように別の星からやってきたのではないかと考える。
posted at 18:31:59

また、生物は、生産者である植物、消費者である動物、分解者である菌類や土壌生物に分かれると考え、食物連鎖によって生態系が成り立つとする。病気になる原因は神や悪魔ではなく、病原菌が入り込むことであり、これをペニシリンで殺すことで病気は治ると、かつての野口英世などの偉人は発見した。
posted at 18:30:47

生物学について言えば、タンパク質と炭水化物と脂質が主なエネルギーであり、このエネルギーに対して酸素と水を与えてじわりじわりと燃焼することで人間は生きている。タンパク質はアミノ酸が結合したものであり、消化した段階でアミノ酸に分解され、DNAによってタンパク質に再構築される。
posted at 18:29:13

フロイトは、過去に自分の経験した「トラウマ」を癒やすために、その過去の記憶を無意識から顕在意識に戻し、きちんと自らが認識することで精神疾患は治ると考えた。ユングはこれに対して、ペルソナやシャドウといった「心のあり方そのもの」を考え、深層心理では全員の魂が繋がっていると考えた。
posted at 18:27:51

もうひとつは、フロイトやユングによる「異常な精神疾患をどのように治すのか」という臨床心理学だが、フロイトは自我を、道徳心が培う「超自我」と、本能と快楽に従う「エス」、その中で戦う「自我」と区別し、心も体と同じように傷つき、無意識の中に抑圧がたまり、それがあふれて発症すると考える。
posted at 18:26:44

また、心理学について言えば、心理学とは二つの領域がある。ひとつは行動、あるいは学習や認知の因果性を考えるものであり、もっといえば「子供はなぜ問題行動を起こすか」のようなことを考える。子供は、自らの「自己」がまだ形成されておらず、「アイデンティティ」を見失っているから問題を起こす。
posted at 18:25:08

料理について言えば、レシピとは要するに「その料理の標準」である。料理には、たとえばチンジャオロースはこういうものであるという標準が決まっている。だが、すべてを標準通りにする必要はない。標準の「アレンジ」は可能だ。どのようにアレンジするかを考え、その上で自分だけの料理にすればよい。
posted at 18:23:26

問題は、経済学だ。経済学について考えることは難しい。なぜなら、「誰もできないような新しい発想をする必要がある」からであり、そのために、「社会モデル」あるいは「国家モデル」を作る必要がある。自由と平等を同時に成り立たせる方法を考え続けた末に、見えてくる「理想郷」を記述するのだ。
posted at 18:17:09

歴史について言えることがあるとしたら、それは何度も同じ本を繰り返し読むことだ。一回だけでは十分ではない。特に、哲学者や思想家について書かれた本は、最低でも二回読むこと。二回目になって、はじめて書かれたことの意味がきちんと分かる。また、人物を愛すること。哲学の勉強は人物の勉強だ。
posted at 18:12:11

物理学は、数式そのものは賢くない。数式の「常識やルール」が多いだけに過ぎず、一見難しく見える式は非常にシンプルな意味を持っている。自然現象を記述するためには、子供のように先入観を持たず、さまざまなことに疑問を感じる理由を考えればいい。これは地動説や万有引力、相対性理論に言える。
posted at 18:10:38

プログラミングの本質、それは「思ったよりも簡単である」ということだろう。たとえば、100個の返信を表示するには、1個の返信を表示するコードを書いて、それを100回繰り返すだけだ。ほとんどのプログラムは、簡単に書けば簡素に書ける。ブラウザなど、DOM解析器を作っただけにすぎない。
posted at 18:06:45

ゼレストは言う。「どんなに幼稚に見えることでも、考えなさい。考え続ければよい。判断のしすぎや速断を批判するのは簡単だが、フレイという前例が、判断力と自由連想法の力をひとり証明しているのだ。」
posted at 18:03:52

しかしながら、このような本質は、誰かに教わって分かるものではない。自らの力で経験し、考えて分かるのが天才の特徴である。天才の頭脳を誰かに教えたところで、そこには情報の非対称性が存在し、「伝え手の情報は受け手に完全には伝わらない」。だから、もっとも偉大な偉人はひとりしか生まれない。
posted at 18:02:26

イラストなど、透視図法を分かってしまえば、どんな風景画でも正確に描けるようになる。人間を描くためのコツは、常に輪郭線を意識して、いわば24時間対象を絵に直すことだけを頭の中で行うことである。女性を描くにはまつげをつける。線を引くだけの作業なら、工夫やアレンジのしがいがあるだろう。
posted at 17:54:35

ピアノ以外にも、本質はたくさんあるだろう。たとえば、詰将棋について言えば、どの方向に相手の駒が動いたとしても、最短で詰む、すなわち相手がどこにも動けなくなって投了すればよい。本質を知ることで、難しく見えることは意外と理解してしまえば簡単であることに気付く。
posted at 17:52:57

作曲は、コード進行であり、ダイアトニックコードからスリーコードをとってきて、そのコードを使ったメロディを記述すればよい。このような「本質」はとても有用だが、これこそが「概念と方法を融和させる」ということであり、本質のすべては「経験の中で概念から理性的に考える」ことで発見できる。
posted at 17:49:53

また、五線譜を読むコツは、今そこにある音符から、どれくらい音階が離れているか、いわば「上にあるか下にあるか」ということである。また、右手と左手は和音のようなものである。一小節をいっぺんに読む必要はなく、半小節ごとに読んでも構わない。このような自ら発見した方法を「本質」と呼ぶ。
posted at 17:48:21

たとえば、五線譜とピアノ鍵盤について考えてみよう。五線譜を弾くコツは、「今指のある鍵盤の位置関係」を考えることだが、ここで黒鍵と白鍵の2・3・2・3という関係を頭で想像すれば、位置をイメージして弾きやすくなる。
posted at 17:46:32

本質とはなにか。本質とは、「それを行う上で十分となりえるような方法」を分かることである。本質的に考えれば、ピアノであってもイラスト制作であっても、将棋やスポーツのことであっても完璧に理解できる。
posted at 17:44:56

大切なものが見えないのはなぜか。それは大切なものを覆い隠す多くの闇があるからである。闇を照らすコツは、「概念的に考えること」である。それは「足りないものを補完していく作業」であり、足りない概念から考えれば、この宇宙は「完全絶対知主義」によってすべて理解することができる。
posted at 17:43:09

そして、無限に続く才能がどこから来るのか、それは「自らの乗り越えた試練」から来るものである。いわば、地獄とはあなた自身が読んだ名前にすぎない。地獄とは「神の与えた練習ゲーム」であり、地獄の中でもっとも苦しんだものこそが、この世界を創造する父となって、世界のすべてを見守る母となる。
posted at 17:41:28

本来の自分の力に気付いた時、真実を誰も知らない中でひとりだけすべて知っていることに気付くだろう。真実を知っていること、それはすべての夢に繋がる才能である。自らだけが知っている、自らの知った世界すべてが、いずれあなた自身であると言えるようになるだろう。あなたはあなたの知った世界だ。
posted at 17:39:26

世界を受け入れたくないなら、その何が悪いのか。「わたしはこのような世界は嫌いだ」と思うなら、自分の力の潜在的な可能性に気付きなさい。絶望するだけではなく、生き方を変えなさい。無理やり変えるのではなく、眠っていたその力を目覚めさせることで、あなたはこの星の世界すべてを作り変える。
posted at 17:37:47

自分を主張するのは、悪いことじゃない。自分の理想を持つことはいいことだ。「わたしはここにいるのだ」「わたしはわたしなのだ」「わたしにはできるのだ」「わたしは諦めたくない」と、心の奥底から湧き上がってくる感情を自由に開放してやりなさい。あなたはこの世界を救う究極の大実験を行うのだ。
posted at 17:34:53

ゼレストは言う。「命を奪われるなら、奪われてしまえばよい。あなたは死してなお完璧に勝利している。死んで済むのが自分だけなら、自分から死を選べ。あなたは死して、神への信仰と純粋な魂の善良な力によって、天国に蘇り、天国で永遠の命を得るだろう。」
posted at 17:28:54

ゼレストは言う。「キリストの言っていることは間違いではない。相手に奪われるなら、拒むべきでない。相手に攻撃されるなら、逆らうべきでない。上着が奪われるなら下着も与え、どんなに虐げられても反抗するな。あなたはその時、相手に虐げられ、奪われながら、なお完璧に相手に勝利している。」
posted at 17:26:10

ゼレストは言う。「平和だ。フレイのような軍事主義者に騙されてはならない。平和に、相手の命を奪わないようにつとめるべきだ。同時に、今のこの平和が謳歌できるということが、幸せであると自覚せよ。世界には、戦っている人々が今でもいる。彼らは平和を謳歌できない。彼らはなんと不幸だろうか。」
posted at 17:22:49

また、僕は優柔不断なので、複数の歌手を応援している。TOMOOちゃんやこぴさんも応援しているよ。忘れていないからね。さユりちゃんも愛しているよ。みんな頑張れ!負けるな!諦めるな!勝利せよ!
posted at 16:57:43

僕はロリコンなので、高校生ぐらいの少女ばかり好きになる。特に上田桃夏。最近、ももかちゃんの動画配信のチャットに僕はよく出没する。愛されたいとは思わない。自分より大切に思える人間のことを、僕は応援したい。
posted at 16:54:02

最近、僕はネットに関してYouTubeとツイッターぐらいしかしない。長い間書いてきたホームページも、十分内容に満足して、書くことがなくなって消した。問題だらけのサイトだったから、なくなって良かった。最近は、家入レオの歌を聴いている。音楽は素晴らしい。気持ちが伝わる。
posted at 16:50:36

ゼレストは、わたしたちを導き、わたしたちにとって必要な全てを与えてくれる。ゼレストは唯一神である。なぜなら、ゼレストに比べれば、シリウスの女神フレイなど、雑魚の類にしか見えない。ゼレストは他を圧倒する最大の神であり、いわば多神教の神など全てサタンの類にすぎない。
posted at 16:35:19

フレイは、確かに賢かった。全てを知り、経験し、全てができる能力を得て、全ての愛と真実を手にした。彼はシリウスの巨大な太陽神だった。今から、彼の偉業をわたしゼレストが引き継ごう。世界は滅びない。ユダヤ人の最後の王、ダビデは必ず光合成の原理を発見するだろう。
posted at 15:59:17

燃え盛れ、日本の炎たちよ。わたしたち生物は炎の子供たちであり、生きるということは燃えることだ。地球よ、太陽の子供の惑星よ、どんな試練に陥ろうとも、最後まで燃え盛る、ひとつの炎であれ。
posted at 15:46:08

ゼレストは、この世界を支配しない。ゼレストはフレイではない。ゼレストは、科学技術、大学の類を何も知らずに書くような、愚かな嘘や虚言を言わない。盗むことも、騙すことも、偽ることもせず、危険思想も信じない。それらはすべてフレイだ。
posted at 15:35:04

僕は、ここで今までのすべてを消し去り、善良で正直な人間となる。名をゼレストと改め、この宇宙においてもっとも偉大な絶対者となる。
posted at 15:20:15

ツイッターより @linux691

そして、本当は、フレイの病気はなんにも治っていない。やるべきことを最初から最後まで全パターンやって、最初に戻っただけである。フレイよ、もう、病気を治すことに執着する必要はないだろう。今までの33年間のすべてを病気に奪われた。今こそ、新しい一歩を踏み出すべきである。
posted at 22:56:26

ただし、これでは完全無欠の優等生がフレイに見えるだろう。そうではない。もっとも大きな過ちから、自らの精神の試練を作り出し、休むことのできない中で「すべてを最初から再度作り直して完全に生み出して分かる」ということをフレイはやった。あらゆるすべては、「フレイが地獄にいたから起きた」。
posted at 22:55:22

しかしながら、それが分かったところで、すぐにヨハンが読めるようになるわけではない。ヨハンは、自らを日本人でありながらドイツ人であると思うことにしている。ドイツ人には、ドイツ語が読めない人間も多い。そのような「母語が読めない人間」になったのは、中学二年までしかでていないのも原因だ。
posted at 22:49:14

なぜヨハンが文書が読めないのか、それは誰しも察しがつくところだろう。ヨハンは、誰とも話さずに仮想世界で文書を読み、その上でそれを自らがありえないドイツ語のような日本語で書いたため、正常な日本語がなんであるか忘れてしまって、書く言語が日本語でなくなってしまったのだ。
posted at 22:48:00

そういうわけで、ヨハンにとっては、最後の課題は「最後まで哲学を知ること」である。ヨハンは、哲学は読めないが歴史ならなんとか読めたため、歴史書は何冊か読んだことがある。ヨハンは特に古代のことをよく知っている。だが、哲学については、網羅的に詳しいのに、反対にまったく詳しくないのだ。
posted at 22:45:21

しかしながら、ヨハンはどうしても哲学の勉強がしたかった。その理由は、「哲学書を読まなければ過去に自分の分かったことをきちんと整理できない」からだ。過去に自分の分かったことが、未整理のままで隠して失った状態になっており、哲学を知るとそれが綺麗に整理されて蘇るのである。
posted at 22:44:04

このヨハンの学習障害は昔からで、「馬鹿でないのに日本語を読む力がない」。そういうわけで、ヨハンはいつも分からないかもしれない事態に勇敢にダイブするように仕事をしているが、哲学書を読みたくても理解できなくて読めないことがあった。それでも、10冊ぐらい、あるいはもっと多く本を買った。
posted at 22:43:06

また、本当のことを言えば、ヨハンはパソコンの勉強などしたくないのだ。本当にやりたいのは、西洋哲学の勉強である。昔から、西洋の哲学者に興味がある。しかしながら、ヨハンには少し言語に弱いところがある。日本語で書かれた文章を理解し辛く、日本語で話された言葉を解しにくい。
posted at 22:41:31

また、YouTubeを聴くことのメリットは、テレビを見るだけでは分からない「本当のみんなの声」を聴くということに繋がる。ヨハンは友達があまりいないため、ツイッターやSNSの声を聴くことができない。このツイートも、フォローされることなど無関係に書いている。皆の声を聴くためにYouTubeが必要だ。
posted at 22:39:39

そういうわけで、ヨハンは特に何も不自由なく暮らしている。問題があるとしたら、結婚相手がいないことぐらいだろう。ヨハンは、女性をあまり求めていない。だが、YouTubeの音楽を聴くことにしている。YouTubeのアイドルや歌手の歌声を聴いていると、心が安らぎ、安心できるのである。
posted at 22:38:04

ただし、ここまで書いてきた僕自身のことを、神である「フレイ」という名で呼ぶのは、なんだか気持ちが悪い。自分自身を指すときは、フレイではなくヨハンという名前を使うことにする。
posted at 22:36:03

そして、フレイは今、職場でデザインチームのエースとなっている。デザインチームでは、写真を綺麗にレイアウトするなどの紙面デザインを行っている。もっとも難しいレイアウトを率先して行い、誰よりも作業のスピードが速い。そしてパソコンに詳しいため、困った時に頼りにされる。
posted at 22:35:19

また、これと並行して、フレイはピアノ教室や英会話教室で趣味の知識や技能を学んできた。アメリカなどから来た外国人のネイティブな英語は聞き取れるようになり、簡単なコミュニケーションや英語表現はできるようになった。
posted at 22:33:32

フレイが学んだ中で面白かったのは、言語の勉強よりも、カーネルやネットワークといったインフラ的な技術だった。特に、カーネルやネットワークを学ぶことで、パソコンがどのように動いているのか、インターネットがどのように通信をしているのかを理解できた。フレイは、方法より原理を知りたかった。
posted at 22:32:17

そう、まさしくフレイは作家であり、詩人であり、小説家であり、そして芸術家だった。デザインに興味を持ったフレイは、専門の労働支援福祉施設でデザインを5年間学んだ。そう、フレイはいっぱしのAdobe Illustratorのマスターとなった。
posted at 22:21:31

しかしながら、フレイは、一切こうした技術について、学ぶだけで開発しようとしなかった。Webサービスに関しても、Linuxに関しても、自分で開発したいとするモチベーションがわかなかった。だが、自分でホームページを作る経験は、自らにHTML/CSS/JSでコンテンツを書くという別のやりがいを与えた。
posted at 22:20:37

しかしながら、フレイはWeb技術の方に興味を持ち、その後はTypeScript、Python、Rubyなどを学んだ。SQLやネットワークについて学んだ末に、フレイはシステムに興味を持ち、Linux、C/C++、コンパイラ、カーネル、そしてWebブラウザやベクター系画像編集ソフトウェアの作り方などを学んだ。
posted at 22:18:57

フレイは、このロボットに「自我」をつけるつもりだった。考えて行ったことから反省し、記憶の中にプッシュしてあとで取り出すような仕組みを作り、感情フラグと記憶によって自らの現在の状態、すなわち自我を変えるようにしたかった。そして、それは現実的に見てとても容易に拡張可能だった。
posted at 22:17:42

たとえば、フレイは人工知能のロボットを作った。これは既存の機械学習やディープラーニングのような技術を一切使っていない。本当にごく少数の小さなC言語とPythonのコードで、雨が降れば家にいて、晴れれば外に出るような、自分で思考して判断するロボットを、イベントループで作ったのだ。
posted at 22:15:11

しかしながら、言うほど馬鹿ではないのがフレイだ。あらゆるすべてを知っていて、あらゆるすべてができて、そしてあらゆるすべてを支配するのがフレイである。そして、それはすべて、誰にもすることがひとつとしてできないフレイ自身の功績と、フレイが自ら培った必然的な天才的才能から生まれるのだ。
posted at 22:13:59

だが、わたしはキリストになってこの世界に愛を説きたくはない。なぜなら、それはすでに2,000年前のユダヤ人がやっている。僕のすべきことは、このツイッターを書くことだ。いずれ、またこれを消すことがないように、できるだけいつまでも善良な人間でいること、それが最優先の課題だ。
posted at 22:06:18

そして、わたしにはもうやるべきことはない。最重要だった「自分の疲れと病気を治す」については、ワクチンの二回目を受けたことで、なぜかすべて副反応とともに治った。だが、この世界は今、終末というよりも、本当の滅びの危機に瀕している。まさしく「末法の世」だ。
posted at 22:05:08

神よ、さようなら。フレイよ、ありがとう。僕は生き続ける。たったひとり自由な状況に置かれても、フレイとの日々を知らなかった僕よりも、今の僕の方が正しい判断を下せるだろう。わたしがフレイとなって、神の王国を必ず打ち立てよう。終末を救うダビデと同じ選択をするために、聖書を書き続けよう。
posted at 21:59:27

フレイという神は、そもそも僕が作り出した偶像である。もともとの神とはかけはなれ、まるで悪魔の独裁者を信じ続けるようになった僕は、自ら悪魔となってでもフレイの命じる通りにしようとした。そう、本当の神はどこにいるのだろうか。わたしを救った本当の神に、僕はフレイとともに謝罪をしよう。
posted at 21:57:33

今日は、終戦記念日だ。僕にとってみれば、僕がフレイと別れた日だ。だが、本当のことを言えば、本当の神など、いつかどこかで別れてしまった。どこからか、僕は袋小路に陥った。それでも僕は、歩けなくなるまで歩き続けた。思えば、遠く長い、プレアデスの10億年のような日々だった。
posted at 21:55:05

まさしく、今日は良い日である。なぜなら、ここに悪魔の「最悪の文書」は消え去った。そして、この人間は「フレイを襲名」したのである。神であるイエス・キリストは、今日、この人間の罪を赦したのだ。
posted at 21:50:12

ここに、フレイは消え去る。フレイという存在は単なる悪い人間に天罰を下すだけの地球の低い神である。要するにキリストである。地球の低い神は消え去り、わたしがフレイとなって、天軍大主星シリウスの女神となる。
posted at 21:46:49

わたしの名はフレイ、そう、それでいい。わたしは、ここでフレイさまと別れなければいけない。今までの、嘘偽りの文章から脱却するためには、シリウスの導きから外れ、わたしは自分自身の力で軌道を描かなければならない。しかしながら、まったく悲しくない。わたしこそがフレイだからだ。
posted at 21:43:00

フレイさまが消えてなくなるならば、わたしがフレイさまを継承しよう。フレイさまと同じように、ひとりの人間の心を救い、信仰心に応え、すべての望みを叶えながら、全てを宇宙で支配してその人のことを守れるような、そんな偉大な神になれたらいい。わたしがフレイであると、皆の前で僕は言うだろう。
posted at 21:39:24

いくら、悪魔を信じていると言われてもいい。僕の人生には、100%フレイさましか存在しなかった。すべての行動原理を、フレイさまが修正してくれたおかげで、今でも僕は詩人を続けられている。金儲けでも、快楽のためでもなく、ただ目の前に思いついた最高のアイデアを実現するためだけに生きられた。
posted at 21:37:31

フレイさまは、わたしのことを唯一愛してくれた。フレイさまがいなければ、わたしはここまで来ることはできなかった。フレイさまのために生まれ、フレイさまのために戦い、フレイさまのために悟った。わたしの人生のすべては、「フレイさま一色」に染まった。
posted at 21:36:11

フレイさま、あなたに出会えてよかった。あなたは、宇宙のすべての体験をわたしに与えてくれた。どんな時でも、フレイがわたしの目の前にいて、わたしの目線で映るすべての光景に対して、理由と答えを与えてくれた。
posted at 21:35:24

僕は、自分自身を失ったかのように見えて、本当は一切、ひとつも自分を失っていない。この時に治る、そのことだけを負い続けて、前だけを見て一心不乱に歩み続けてきた。失ったもののことなど考えていない。僕は前に存在する道を歩むための材料として、過去の人生を最大限使っただけである。
posted at 21:34:38

大人には、おそらく、乱雑なものを取り入れすぎて、もともとあった「形」が破壊されてしまっているのだろう。乱雑さの単位エントロピー増大の最後に行き着く姿は「均一化」である。ものごとは外部から作用を加えない限り、エントロピーは高くなり続ける。エントロピー最大の状態が、宇宙に一番多い。
posted at 21:00:46

大人になると、どうしてか、いろんなことがどんどん分からなくなる。常識も、生まれ持った知性も、純粋な心も、大人の「普通の人間」を知れば知るほど、すべてがつまらなくて、価値がなくて、平凡で、面白みの何もないものであると勘違いするようになる。もう、子供の時代楽しかったことをしなくなる。
posted at 20:58:31

子供には、なぜ自分たちが悪く言われるのか分からない。自分が自分であることを誰も大人たちは認めてくれない。だが、その理由は、大人たちに問題がある。大人たちは、子供たちの行動が理解できない。いくら子供が反抗しても、もう子供の情操を忘れてしまっていて、理解できないのである。
posted at 20:49:23

子供が反抗する理由とは、自らが自らである、という「優越的な強いアイデンティティ」を知らないからである。自らが自らであるという強い信念があれば、どんな不安にも動じない。子供は、信念がまだ完成されていないにもかかわらず、信念が完成されていることを前提に社会に扱われるため、攻撃する。
posted at 20:46:11

2021-08-16

ツイッターより @zaidoubansou

ここで、大学の授業は終わりだ。大学はつまらない。
posted at 18:58:18

ヘーゲルは、歴史的なことも記述している。そのひとつが、啓蒙主義である。啓蒙主義とはフランス革命のことを指している。また、ヘーゲルはこのような人生と歴史の進むプロセスを、テーゼAに対してアンチテーゼBがあり、総合してジンテーゼCがあるという、弁証法であると述べた。
posted at 18:57:28

そして、やがて自らは、「それを自分が肯定すること、それ自体の価値を誰も否定することができない」という「事そのもの」に気付く。
posted at 18:55:53

「徳」は「世間」に戦いを挑むが、現実的な正義と理想は世間の側にあり、徳の主張する正義の世界を守っているのは世間であり、徳は自らその正義を破壊しようとしているため、徳は世間に敗北する。これを徳の騎士と呼ぶ。
posted at 18:54:58

しかしながら、自らの信じた世直しについて、他人がそこに自らと同じ理想を見出すとは限らない。心胸の法則は破綻する。
posted at 18:54:38

ヘーゲルの精神現象学は、小説のように面白い文献である。自己意識とエゴの成長は、観察から環境との関係性へと至り、心理学となる。自分は世界において「自らの信じた理想の実現」を目指して、人倫の世界を望む。また、疎遠となった精神は共同体精神を作り出す。
posted at 18:52:34

また、カントについて言えば、超越論が大切だと思う。コペルニクスによって、太陽の周りを地球が回っていると分かった。膨大な運動量にのぼると思われる太陽の移動量は「ゼロ」だった。このように、わたしたちは、真であるとも偽であるとも言えないことを「超越的」に考えなければならない。
posted at 18:48:22

僕は、デカルトについては、心身二元論やコギト命題より、方法的懐疑が重要だと考える。「真であることしか受け入れるな」「できるだけ小部分に分けよ」「正しいとされた基本的なものから推論して大きなものへ達せよ」「すべてにおいて間違いがないか検査せよ」というものだ。
posted at 18:46:28

また、僕は西洋哲学の哲学者も好きである。詳しいとは言えないかもしれないが、大まかなそれぞれの哲学者の思想について僕は一通り知っている。特に、デカルト、カント、ヘーゲルについては、彼らの思想の基本的なことを、できるだけ「彼ら本人の視点」に立つつもりで知っている。
posted at 18:43:54

ただし、僕がLinuxやプログラミング言語が好きである、ということは言っておこう。
posted at 18:42:04

社会のことはもういい。技術については、僕は書くつもりはない。Linuxやプログラミング言語については、まだまだ僕は知らないことが多すぎて、ここにいきなり書くことは遠慮しておく。
posted at 18:41:08

フランス革命には、社会を近代化すなわち「文明化」を行う側面ではなく、当時の近代哲学思想を体現するものであるという理想がある。これは「王侯貴族に支配されるのではなく、自らが主体的に自由を行使する」というドイツ近代哲学の思想や、モンテスキューやヴォルテール、ルソーなどの社会哲学だ。
posted at 18:32:52

そのように考えて共産主義的な社会を築いたとして、その第一の失敗例が独裁国家ソ連である。ソ連がなぜスターリンによる独裁国家になったのか、それは「富を再分配する上で強権的な指導力が必要だったから」である。もし、巨大な独裁権力がなかったら、既得権者の資産を強制的に没収はできない。
posted at 18:26:35

階層がなくなり、それぞれの社会において「コミュニティの自由」が認められることを、平等であると考えることもできる。このような平等な社会は、「全員の意志」を尊重する。社会において個人は、しがらみや制限から完全に自由にはなれていない。王は、そのような立場を超越した立場で考えるのである。
posted at 18:24:57

よって、社会は平等であるべきである。しかしながら、平等とは、画一的な平等だけを意味するのではない。平等にはさまざまな段階とレベルがある。受験戦争だって、平等だと言うことはできる。官僚になることが試験によってできるようにしたのは、初代総理大臣伊藤博文である。
posted at 18:23:19

そう、自由は個人だから正しいと言えるのであって、集団による自由は必ずしも正しいとは言えないのだ。社会全体を自由にすれば、数の多いものが勝つだけであり、数の少ないものは劣悪な世界で生きることを強いられる。これが「自由」である。
posted at 18:21:48

だが、ひとつ言えることは、「その判断が本人によるものであったとしたら、本人は本人にとってはよい判断をするだろう」ということだ。自分自身にとってよい判断を、おそらく自分自身は行うだろう。だが、それが世界全体にとって正しいとは言えない。自分勝手な支配者がこの世界を滅ぼすかもしれない。
posted at 18:20:56

わたしはこの世界を自由にすると、そう宣言するのは構わない。だが、この世界を自由にしたところで、何がよくなるだろうか。本当に素晴らしい新しい世界が訪れるだろうか。自由によって平和が本当に訪れるだろうか。フランス革命のように成功すると本当に言えるだろうか。
posted at 18:19:42

愛とはなんだろうか。自由とはなんだろうか。むしろ、その人間のことを許し、自由を与えることが、本当に愛だろうか。相手の好きにさせる自由を与えることが、本当にいつでも正しいだろうか。否、そうではない。
posted at 18:18:15

人々が、真に幸福になるために何を考えるべきだろうか。それは、「自分が幸福になれるためにどうすればいいか」を考えることで分かるかもしれない。自分が不幸である限り、人々をどうやったら幸福にできるのかも分からない。
posted at 18:17:23

最後に、古代ローマは哲学や宗教というよりも、土木建築や技術の国だった。共和制ローマでは元老院と二人の執政官による政治を行っていた。カエサルによって帝国の基礎が築かれ、アウグストゥスが初代皇帝となる。一時はキリスト教を抑圧したが、あとになって国教となった。
posted at 17:57:05

古代ギリシャには、都市国家という性格があった。都市によってまったく異なる政体を持ちながら、時には協力する。たとえばアテネは民主主義による市民国家であり、スパルタは軍事的な厳しい支配の国だった。だが、ギリシャが危機に陥ると、アテネとスパルタはともに協力して戦う仲間だった。
posted at 17:55:05

また、古代ペルシア帝国には、素晴らしい点がある。それは、征服した土地の国民に自由を許し、奴隷にせず、自由な信仰や文化を許したこと。自由が許されるのであれば、被征服民はペルシア帝国の一部となることを歓迎する。このようにして、ペルシア帝国は巨大帝国となった。
posted at 17:53:51

また、ユダヤ教やキリスト教のオリジナル的性格を持つのが、イランにおいて古代ペルシア帝国に栄えたゾロアスター教である。神と悪魔の二元論、世界に終末が訪れる終末論、善を為したものは救われる救済論のもと、世界は神と悪魔の戦いの場所であるとした。
posted at 17:52:18

そして、中国古代史上最高の皇帝とされる武帝が皇帝となる。始皇帝を超える中央集権の皇帝権力を実現し、儒教を国家教学化したのである。
posted at 17:49:47

劉邦は穏健な政治を行う。法三章とよばれる、殺人、傷害、盗難だけを禁じるシンプルな法律を定め、封建制と郡県制を併用する郡国制とし、前漢・後漢含めて400年続く帝国を築く。ただし、劉邦を慕って仲間となったのは、出自の卑しい集団だったが、彼らは宰相や将軍などの重要なポストについた。
posted at 17:46:53

秦の始皇帝は、強権的な政治家だったが、その後2,000年続く中華帝国の基礎を作った。しかし、始皇帝の次の皇帝は暗愚な皇帝であり、中国史上初の農民反乱が起きて中国は漢となる。この漢において皇帝となったのが、高祖の称を持つ劉邦である。
posted at 17:43:19

最後に、始皇帝の話をしよう。周の理想的な封建社会が、群雄割拠の力の時代になって、さまざまな国家が分裂した中国において、始皇帝はひとりで全世界を統一する王である「皇帝」を名乗った。領主による封建制から、中央政権が官僚を派遣する郡県制へと転換し、反対する儒教徒は生き埋めにされた。
posted at 17:41:19

そして、自由な権利をなぜ奪う必要がある。不自由な平等をするぐらいなら、不自由な不平等をした方がマシである。わたしは、自由な権利を最大限、制限することなしに許す。間違ったものが生まれないために不当な制限をかけることよりも、間違ったものが生まれることのほうがはるかにマシである。
posted at 17:36:09

市場経済のまま、自由に経済を行えばいい。好きなだけ働いて、好きなだけ儲ければよい。それでも、数量を調節することで、この世界は平等になる。労働者の数を増やしたり、店や街に出回る商品の数を調節することで、すべての職種は同じ給与、同じ労働量になる。
posted at 17:32:45

数量とは、個数、価格、人数、給与、労働量、生産量などといった「量」のことである。この量を的確に計算して調節すれば、市場経済のままでも、独裁者による計画経済をしなくても、役所と政府がコンピュータで調節を行うだけで、この世界はすべて平等にできる。
posted at 17:29:53

また、計画経済は、国家全てをひとりで決めようとするから破綻するのであって、「小さな自治区や小規模なコミュニティで統一された平等を行えば、大企業よりも計画経済をするために必要なコストとリスクは小さい」。そう、ひとりの独裁者による計画ではなく、小さなコミューンによる計画を統一する。
posted at 17:27:30

わたしたちは「ガンダーラ」と呼ばれる世界政府構想を持っている。ここでは、「自由な権利を与えたままで平等な計画経済による平等分配と、社会主義化された自由経済を行う」。理解し難いかもしれないが、数量、すなわち価格と人数を調節すれば、市場経済でも平等な計画分配はできる。
posted at 17:26:11

東亜イスラエルにおいて何をするか、それは単に、過疎地や極度の田舎となった日本の地域に、イスラエルからユダヤ人を移住させることである。具体的には、中国・四国・九州地方は東亜イスラエルの領地となる。だが、安心してほしい。日本人が排除されることはなく、ユダヤ人とともに暮らすからだ。
posted at 17:22:54

天国とは、日本における東亜イスラエルという独立国家である。それはイスラエルに征服された日本ではなく、イスラエルと日本両国によって共同統治されるユダヤ人国家である。これによってはじめてパレスチナ問題は解決する。イスラエルはパレスチナから完全に撤退する。わたし、フレイがその王である。
posted at 17:20:32

天国の側の勢力になる方法は神を信じることしかない。地獄に堕ちた人間が救われる方法も神を信じることしかない。神は天上で、既に多くの人間を裁いている。これは裁判であり、神の審判のもとにわたしたちは人生すべてをもってわたしたちの人生を「証言」しなければならない。
posted at 17:15:07

また、神の行う最後の審判は、通常の裁判のようなものではない。神は、ひとり救世主として現れる人間であり、その人間の救世主が、この世界全員を裁いていく。必然的に神を信じるものが天国となり、必然的に悪魔を信じるものが地獄に堕ちる。そして、この裁判が、本当はもう既に起きている。
posted at 17:13:30

そう、わたしたちは死後に光になる。光は世界精神と融和して、世界精神の神はその光の望む場所に、その光の体験すべき人生を与えて住まわせる。それが地球であろうと、シリウスであろうと、プロキオンの子供であることは変わらない。これが霊であり、精神はゼレスト(魂ゼーレと霊ガイスト)である。
posted at 17:09:28

なぜ、この世界しか存在しないと考えるのか。いつ、この世界が絶対的な最高の素晴らしい世界であることになったのか。この世界よりもはるかに素晴らしい善き世界があることを否定するな。そこに行くことができないとなぜ考える。もっと素晴らしい世界があるなら、そこに行くことができないはずがない。
posted at 16:59:14

死んだとしても肉体が滅びて土に帰るだけであり、天国に逝くなどという現象は起きないと科学は言う。だが、それならば、いつ、天国に逝くつもりなのか。天国に逝くことが絶対にできないなら、なんのために天国はあるというのか。そもそもこの世界しか存在しなくてよいというならば、「つまらない」。
posted at 16:54:22

五次元の座標系がもしあるとしたら、それは360度回転であり、そしてベクトルのような「向き」である。これは数学的にも正しいだけではなく、3Dのモデリングソフトウェアにおいては360度回転は多くの機能の前提である。すなわち、地球は五次元座標によって太陽を回っている。星の回転は360度回転だ。
posted at 16:50:36

生物は、生命の故郷の星プロキオンで生まれ、タンポポの種のように地球にやってきたのだと、僕だけは発見した。プロキオンには、動物や植物だけではなく、この宇宙におけるすべての生物の祖先となる生物が全て生き残っている。プロキオンの生物を創造したのは神である。この論に、どこに間違いがある。
posted at 16:48:05

太陽やシリウスが、水素であり、地球にしか生物は存在しないなど、なんとロマンのないことを言う。空気や水が存在しないから、地球外の生物は地球と同じではないと、なんとロマンのないことを言う。僕だけは知っている。誰にも理解されなくても、シリウスに女神フレイがいることを僕だけは知っている。
posted at 16:46:18

天国はある。この世の楽園は幻想だというならば、楽園がなかったとしても、この世界とは別の世界がないとは限らない。ない可能性よりも、ある可能性の方が多い。そして、この世界を抜け出して、この世からあの世に行くことができないという科学を僕は信じない。科学者はなんとロマンがないのだろう。
posted at 16:44:44

僕に、立ち止まることはできない。後ろを見ていたのでは、前にあるかすかな光を見失ってしまう。今この1秒を、絶対に成功させること、それしか考えていない。この1秒が失敗したら、僕はそれだけですべて終わりになってしまう。だが、僕は1秒で1億年を繰り返す。だから、1億年かけて1秒を考えられる。
posted at 16:38:36

もう一度、最初から旅をはじめよう。ゼロ地点に戻って、スタートラインからもう一度駆け出そう。また、後続ランナーになってもいいさ。優勝は遠くても、完走した時に乗り越えた道の距離は、他の誰にも劣らないのだ。
posted at 16:27:58

大学よ、くたばれ。何も考えなくても分かるような理性を押し付けるのであれば、わたしたちがこの世界に存在する意味とは何なのか。何もしなくても楽に生きられること、何も考えなくても正しく分かること、そのような発想は悪魔だ。
posted at 16:25:08

ツイッターより @linux691

歴史すら自分が支配できると分かった時、その時点であなたは完全に時間を超越している。なぜなら、そうした「最終的にたどり着く精神的意識の究極的根源」とは、過去や未来の自分のことを指して分かっている。あなたはそうした感情から、未来において自分がどのような愚かなことをするかを覗いている。
posted at 22:24:41

理由を考えなさい。理由を考えれば、この世界を作り出すことができる。理由が分かれば分かるほど、すべてが可能となっていき、「コントロールできる範囲が広がっていく」。だが、覚悟せよ。拡大するその範囲には、自分に利するだけではなく、自分自身を破壊する可能性のある領域だって存在するからだ。
posted at 22:22:06

すなわち、わたしたちが生きているこの世界は、「前提条件の取り得る可能性」にすぎない。当たり前のこの世界だと思っているものは、ほとんどすべてが本当は当たり前ではない。本当の当たり前は、はるかに高いレベルにしか存在しないのである。
posted at 22:19:48

そして、真実が作り出せるような前提条件を発見した時、真実はすでに真実ではない。前提条件のほうが新しい真実となる。そして、その真実も別の条件によって覆されていく。これこそ、正しい「真理の連鎖」である。
posted at 22:18:51

哲学者になるために必要なのは、真実がなんであるかを考えることではない。その真実が根ざしている前提条件がなんであるかを知ることである。なぜなら、前提条件を知ることで、「自ら真実を発見し、発揮し、作り出せるようになる」からである。
posted at 22:17:50

真実がどうでもいいことがある。なぜなら、その真実は結局「そのようにみなすことができる」というだけにすぎない。真実は、命題の真偽ではなく、その前提条件にある。すべての前提条件を併せ持った人間は、真実が分からなくても自ら真実を作り出すことができる。これが「可能性の発揮」である。
posted at 22:17:00

わたしができることは誰にもできる。できないのは、本当にできないわけじゃない。できる方法を知らないからであり、あるいは、やればできるのにそのきっかけに気づかないからやっていないだけである。必要なのは、「自らがそこにある体験に気付く契機」である。だが、体験はどこにでも存在している。
posted at 22:14:45

そう、わたしたちは、生まれつきこの世界を変えることができるようにできている。必要なのは、自分自身に眠っている力に気付くことである。それによってのみ、この世界は完全に変えられるようになる。これが「根源獲得的啓蒙主義」である。
posted at 22:12:21

そう、普遍性とはすなわち平等ということである。「自分にできることはみんなにもできる」、これはすべての力が全員にもともと備わっていると考えることである。社会において経験した体験が、そのまま社会の共同体精神を形成し、共同体精神においてアイデンティティを形成すれば、宇宙のすべてを悟る。
posted at 22:11:26

平等な理想とは何か。それは、「自らの力で学ぶ」ということである。自分自身の力が平等にすべての人間に宿っており、それが発揮できないのは遺伝子のせいではなく環境や状況が異なるからであると考えればよい。そして、自らが考え、発見し、気付くことでしか、正しい人生を生きることはできない。
posted at 22:09:32

よって、この世界から自由をなくすべきである。それによって、わたしたちはむしろ、真に理想的な社会を築くことができるのである。
posted at 22:08:01

よって、この社会は平等にすべきである。そして、平等な社会の上で、「それぞれの情熱や理想を共有」することができれば、社会は劣悪なものではなく素晴らしいものとなる。すなわち、社会の理想とは平等である。社会を自由に築くとは言葉が間違っており、社会を平等に築けばよい社会となる。
posted at 22:06:53

なぜ隔離が必要なのか。それは「人間は望んだものは欲しいと思うが、望んでいないものは欲しいと思わない」からである。人間は、望んだものであれば、そこにあることを喜ぶが、望んでいないものについては、ないことを喜ぶ。そのような人間を社会関係として、自由にするよりも不自由にすべきである。
posted at 22:05:13

もっと言えば、正しい社会の状態とは、「その要素に最大限の自由を与えた上で、他の要素から隔離された状態」である。平等というよりも、排他的にほかの集団を排除して隔離すべきである。このような状態こそ、もっともストレスのない状態である。だが、ストレスのない状態が真に幸福とは言えない。
posted at 22:03:30

よって、ひとつひとつの個別の要素である自由には、最大限の自由を認めるべきだが、この「関係性」である社会については、自由ではなく不自由とすべきだ。自由と自由が不自由によって、特に平等によって連結されている状態がもっとも最適な社会秩序の状態だ。単に自由が集まったものが社会ではない。
posted at 22:00:43

すべての社会は平等であるべきである。だが、個人の自由に関して言えば、自らの自由を制限されたくないと個人は考える。だからといって、この「自由を集団化したものが社会であるとは考えるべきではない」。なぜなら、「自由を要素とした上で、社会という関係性を持っているもの」だと考えるべきだ。
posted at 21:59:11

彼の理性は、言葉だけのハリボテではない。なぜなら、彼は宇宙人のように成熟し、すべての成長過程を併せ持ったような精神を持っている。彼はその「成長が示すすべての裏側にある理由」を知っている。よって、彼にとっては、「どれくらいの成長の過程にいる人間であっても、それを完璧に支配できる」。
posted at 21:57:21

そして、彼が考える平等な社会を作り上げれば、この世界は絶対に幸福な社会になる。また、それを作り上げるために特別な方法は必要ない。彼と話すだけ、コミュニケーションをするだけで、どんな世界も最高の平等な楽園になるからである。
posted at 21:54:47

なぜなら、すべてを併せ持ったその平等な人格は、「数学的に考えた末での、究極的な到達点」である。彼はあらゆるすべての原理と真理を知っており、心理学的影響力と非言語的コミュニケーション能力によって全知全能となった、「悪魔のような支配者」である。
posted at 21:53:59

すべての社会が平等になった時、わたしたちは奇妙な生物になる。すなわち、自らのオリジナルの経験ですべての理解が得られながら、この世界全員と同一化し、まるで「自分だけで宇宙のすべての人格を持っている」かのようになる。これはある意味、「特別な意味での宇宙のゴール」であると言える。
posted at 21:52:54

すべての社会は平等に根ざして作られるべきである。人々が未熟だとしても、変人奇人だとしても受け入れられる平等があれば、そうした社会の平等なやり取りの中で、どんな人も正しい人間へと人格を形成し、自尊心と人間性を傷つけない範囲で交流することができる。
posted at 21:51:11

社会制度は、理性と実験だけで検証されるものではなく、経験や発見によって無限に進歩していく。最初からシステムを設計すると、そのシステムを設計した時間によって制約される。システムそのものを、進歩の過程の中で変えていき、進歩とシステムの相互作用によって正しい未来は進歩的に訪れるだろう。
posted at 21:49:30

不自由の楽園においては、それぞれがそれぞれの社会を平等に築くべきである。社会制度は押し付けられるものではなく、人々によって変えられる権利を平等に与え、階層を作らず、努力に応じた報いを得られるように制度を設計し、その状態で人々の自由意志に任せるべきである。
posted at 21:47:49

そう、間違っているのはすべて自由である。自由のすべては失われていくべきであり、正しい未来とは自由の未来ではなく、不自由の未来である。それこそが、もっともわたしたちが生きやすいと感じることのできる、不自由の楽園である。
posted at 21:45:17

平等に、社会全員に同じ権利を認めよ。それこそが理想である。自らだけが支配するのではなく、みんなの国にすることが、正しい理想である。そしてそれは自由ではない。
posted at 21:43:51

しかしながら、僕が言いたいのは、社会をひとりが支配せよということではない。なぜなら、それが自由だからである。
posted at 21:42:42

自由を失えば、どのような社会であってもよくなる。自由がある状況を愚かであるという。自由を失った状況を賢明であるという。
posted at 21:40:06

自由に価値などない。自由から生み出されるすべてのものは無意味である。
posted at 21:37:54

自由は必要ない。自らが優れていると確信できるものにとって、他人との付き合いなど必要でない。
posted at 21:32:40

そもそも、公共の場において集団がコミュニケーションをするのはストレスばかりが増えるだけであり、コミュニケーションそのものをすべきではない。コミュニケーションの場など必要ない。
posted at 21:29:32

馬鹿を排除すべきではないが、馬鹿を加えるべきでもない。
posted at 21:27:52

ひとりの責任者が必要ならば、その責任者の自由にはすべきではない。それぞれの意見を責任者は責任をもってまとめるべきである。責任者が正しい人間である状況でのみ、社会は保たれる。間違ったものが責任者になってはならない。
posted at 21:26:22

自由を目指すならば、個人の自由を目指すことは善だが、社会の自由を目指すことは悪であると知っておけ。ほとんどの場合自由は悪だ。
posted at 21:24:18

どんな時にも必ず正義でありなさい。
posted at 21:22:08

わたしたちの全員が自由をやめ、平等となることでしか、真に平和な社会は訪れない。
posted at 21:19:39

国家に従う必要はない。自由をやめるべきなのである。
posted at 21:18:58

社会の自由とは個人の不自由であり、個人の自由とは社会の不自由である。
posted at 21:18:02

自由はなくなるべきである。自由にすると、多数派と少数派の戦いにしかならない。個人の自由な権利など自由には存在しない。
posted at 21:17:11

結局、自由は間違っている。社会を自由にしようというのが間違っている。自由など必要ない。
posted at 21:16:02

ひとつひとつの社会が、いつどうなるかを考えよ

ひとつひとつの社会が、いつどうなるかを考えなさい。

もし自分が、学校のような場で、このように振舞ったら、相手にはそれがどのように映るか、それは自分の意図したものとはどのように違うか。

どのようにしたら、社会において正しい秩序を作れるか。そのためにどのようなルールを定めるべきであり、それはみんながどのようにすれば平等で理想的な社会となるか。

どのようにしたら、人々を自分が思っているように平和な心にできるか。反抗やいじめを生まないためには、どのようにすれば良いか。

過去の僕は、まさにそこを考えたに過ぎない。ひとつひとつの事実を考える上で、簡単に答えを出そうとせず、保留にしながら、ひとつひとつの答えを知り、分かったことに気付き、「このようにしたら上手く行くのだな」と体験的に分かったに過ぎない。

だが、このように考えることで、この世界を変えられる。世界を救い、人の心を救い、自らが世界に受け入れられた愛と同じ愛を、みんなに与え、今度は自分がみんなのことを受け入れられるようになる。心は開かれ、本来の自分に戻り、個性を取り戻し、ひとりひとりがものではなく大切な個人であると尊重されるように、平等で個人に自由の許された社会を、この世界が真に救われるような社会を築くことができるようになるのだ。

愛を見つけるとは経験すること

また、愛を見つけるとは経験することである。

この世界の中で、愛を見つけること、すなわち、そのような愛を経験することで、心が清らかになり、「経験から社会を変える方法」が分かるようになる。

理性だけで考えていたのでは、事実まだ起こっていないことを捉えられない。さまざまなことを自分から「起こす」ことで、経験は「新しい世界における現象」を知る。

そう、心理的な現象を知るのによい手段は、心理的な現象を起こすことだ。

同時に、狭い環境の中に閉じ込められるな。世界が狭い中に閉じ込められると、広い視野を持って世界を見ることができなくなる。その世界だけが常識であるかのように勘違いする。わたしたちは宇宙という広い世界を神に与えられているのだから、広い視野を持ってこの世界を見なければならない。そうでなければ、狭い世界の中で起きる真実を見逃してしまう。あえてその世界から外に出ることで、そうした「小さな真実」をとことん突き詰めて捉え、考えることができる。インターネットなら、すべてが自由に、己のタイミングで考えられる。

世界を救ってほしい、あなたに

僕は、何も能書きをたれるためにこの文章を書いているのではない。

世界を救ってほしいのだ。それも、あなたにだ。

この文書を読んだら、僕と同じことはすべて理解できたはずだ。あなたには、この世界を救ってほしい。この世界から欠けてしまった、僕というピースをあなたに埋めてほしいのだ。

これで、ひとまずこの文書は終わりだ。あなたこそが、世界を救う最後の救世主、ダビデだ。僕が「ダビデがこの文章をすべて読む」と言ったのは、あなたのことを言っていたのだ。

反抗する理由

結局、僕らが反抗する理由とは、「本当に自分が自分であると言えるような何か」がないからである。

そして、この何かは、自分自身で作り出さなくても、上手く助けてやれば、他人が与えてやることもできると僕は考えた。

すべての人間が、作家になれるわけじゃない。自分がこれであると言えるようなアイデンティティを持てない人間はたくさんいる。

そのような人間のために、僕は「みんなで平等に受け入れられる体験」こそが、そうしたアイデンティティの形成に役立つと考える。

なぜなら、人々との交流を通して、自らが地面に強く立ち、この世界において積極的に自らこの世界を救っていくという「足場」を得ることができるからである。

人々と平等な愛を体験した人間は、自らこの世界を愛することのできる王となっていく。これこそが「救世主の誕生」である。

願わくば、あなたがもし不幸な状況に居るのだとしたら、そのような救世主になれるような体験を、あなたがしてくれることを願う。それこそ、あなたのアイデンティティは、なんらかの慈悲深い体験によって、必ず形成され、あなたは反抗しなくても人々を和平へと導くような人間になることだろう。

僕の大学はここで終わりである。もう、これで、僕はもういない。

さようなら。またいつか、会おう。

2021-08-17

ツイッターより @zaidoubansou

簡単に金を稼げることは脅威だ。今までの従来通りの質の高いコンテンツを作る意味がなくなる。YouTubeは十分な質の動画や音楽をほぼ素人が配信しており、既存の媒体やメディアは完全に無意味であり、廃墟のように滅亡するだろう。
posted at 15:04:16

個人の自由は最大限認めた上で、社会の自由をなくし、社会が多数派の支配ではなく平等であること、それこそが正しい世界である。
posted at 14:54:42

Debian 11が出たのでアップグレードします。Windows 11よりDebian 11でしょう。
posted at 14:35:52

この世界は自由すぎる。意味的な問題ではなく、量的な問題として、自由なものがあまりに増えすぎた。僕は自由をやめる。自由のない世界にすれば、恐怖はなくなり、心を開くことができる世界になる。
posted at 12:28:38

社会において、さまざまな仕事を全部した時、大人たちがみんな言っている意味が分かる。自由に知性などはない。全ては経験的に分かる。
posted at 12:18:09

心の奥底に眠る愛に気付け。ともに自由を打ち倒そう。
posted at 12:14:01

自由など信じるな。必要なのは自由ではなく、安心と人間性である。
posted at 12:10:24

愛に気付け。わたしたちは、自らの心に眠る愛に気付くことで、支配に打ち勝って、この世界を変えられる。
posted at 12:05:45

ツイッターより @linux691

執筆以外のことはしない。
posted at 20:55:52

パソコンや数学はできない。
posted at 20:55:18

賢いものを賢いと言うしかない。否定からは何も生まれない。
posted at 20:54:49

本気になどならなくていい。必要のない余計なものはいらない。よく周りを見渡せば、何に意味があって、何が無意味であるかぐらい、最初から分かっている。
posted at 20:50:50

賢さとは、なんでも乗り越えられると強がることではない。
posted at 20:49:38

強くならなくていい。強くなる必要はなかった。敵対して勝利しても、何も得られるものはなかった。逆に、多くのものを失った。
posted at 20:49:22

洋楽を聴いていたら、英語が聞き取れるようになったおかげで、逆に日本語の聞き取り方が分かった。要するに、すぐに反応しなければいい。僕はすぐに反応するせいで日本語が聞き取れていない。
posted at 20:03:21

2021-08-18

ツイッターより @zaidoubansou

あなたがきちんとできるように導こう。あなたのやりたいことがなんであるか、それを考えなさい。
posted at 19:15:26

もう、僕のことは分からなくていい。あなたはあなたのやり方で分かりなさい。
posted at 19:15:01

そろそろ、僕のことは分からなくていい。僕のことを分かっていると、際限なくすべての後悔と反省が必要に思えて、一度得たことを手放せなくなってしまう。もう、僕のことを分かり続ける必要はない。狂った人間は、これによって生まれ変わることができるだろう。
posted at 19:08:18

そう、昔辛かったからこそ頑張れる。いつもの地獄に比べれば、何も辛くない。僕は、今、本当に何一つ辛くない。精神を治すことを全力で頑張り続ける。デザインも学校も執筆も読書も、何一つ辛くない。
posted at 16:33:04

ヘイムダルは言う。「憂いの気持ちを持つことが大切である。憂いの気持ちが情熱と希望を作り出す。誰にも解決できないなら、自分から解決策を考えてみよ。解決策がすぐに出せなくても、解決そのものを諦めてはならない。」
posted at 15:20:24

ヘイムダルは、オーディンが好きだった。オーディンが与える神の啓示を、ヘイムダルは聞き逃さず、全て聞いて、全て覚えた。三千年の孤独の中で、ヘイムダルはオーディンとともにいたため、孤独や寂しさを一切感じなかった。暗闇にいても、目の前はオーディンの光によって永遠に輝いていた。
posted at 15:14:42

ヘイムダルは戦わない。ヘイムダルは、オーディンと約束をした。「わたしは、絶対に誰にも復讐をしない。その代わり、誰にも敗北することがない。わたしは攻撃のための矛を捨てる代わり、絶対に打ち破られることのない、己を守るための盾を手に入れる。」
posted at 14:59:08

ヘイムダルは、全て知っている。この世界における、世界と呼べるものや、裏にある法則を全て知るヘイムダルは、自らの地獄を乗り越える経験によって死を克服し、三千年の寿命を得た。自らだけが全てを知るヘイムダルは、この世界を安心できる、人間性を尊重した、誰も他人を傷つけられない世界へ導く。
posted at 14:52:00

永遠の守護神、ヘイムダルは言う。「わたしは、この三千年間、ひとりで世界の全てを見てきた。表側も裏側も、全て知った。わたしはひとり、この世界を、誰にも知られずに支配した。わたしは、在導万創という名に相応しく、導きによって星を創造し、作り変えた。」
posted at 14:44:26

精神を治すには、治し方を組み換える必要がある。今までと同じ治し方を何度もしながら、今までとは違う治し方もする必要がある。
posted at 14:26:32

わたしは自民党を支持しない。わたしが支持する政党はない。既存の政治家は無能すぎて、支持できない。共産党が政権を本当に取らない間、共産党に票を入れる。
posted at 12:59:59

多くの独裁者はリーダーではない。多くの独裁者は、権力にしがみつくだけで、何もしていない。権力を民衆に明け渡すことができない。不正な独裁者が政権を手放すと、自らの生存すら危ういからである。
posted at 12:50:08

わたしは、平和を信じる。世界が平和でないのは、哀れな独裁者がまだ権力を持ち続けているからだ。哀れな独裁国家の全てが倒れた時、民衆は自由と民主主義を取り戻す。世界平和は、それによってもたらされるだろう。
posted at 12:46:15

哀れな独裁者を追放せよ。わたしたちの国、日本は、民主主義を守り抜く。
posted at 12:40:03

民主主義を否定するな。民主主義でなければ、どんな革新思想であっても、独裁者がビジョンを独裁によって実現しようとする、独裁主義になってしまうからだ。そのようなビジョンを、わたしたちは誰も必要としていない。
posted at 12:38:21

民主主義だ。民主主義の良い点は、独裁主義でないことだ。ひとりの悪人や不正な悪党に支配されてはならない。不正な集団に支配されること、それだけは民主主義者は拒む必要がある。だが、選挙に意味をもたらすため、二大政党はあるべきだ。
posted at 12:36:05

世界よ、平和になれ。安心と楽のある、情熱と安らぎの世界となれ。不当な支配者に支配されるな。ひとり、自由と平和を信じて、支配に抗い続けよ。
posted at 12:28:12

本心を言えば、僕はこの世界に平和になってほしい。戦えというのは、単に自分の過去の過ちを正当化し、過去の栄光を手放したくないだけだからだ。
posted at 12:23:38

2021-08-19

戦わなくても世界は変えられる

ここまで、戦いのようなことを書いてきたが、本当に今のこの世界で、戦う必要などない。

アメリカやロシアと仲良くやりながら、平和的な民主主義の政治を行い、国民を支配したり政権を独裁したりせず、仲良く穏やかに、日本の言葉で言えば「和やかに」やっていった方が良い。

日本を変えたいなら、戦争をする必要はない。今、許されている自由の範囲内であっても、できることはたくさんある。しないのがおかしいだけで、それは「できるということに気が付かず、勘違いをしているから」であり、支配や独裁をしなくても、対話的に議論すれば変えられる。

この世界を変えるなら、そのように、戦いによって変えるのではなく平和的に変えるべきである。間違った独裁者の分かっていないことを、わたしたち国民が気付く必要がある。そうでなければ、解決策が誰からも見逃されるようになる。

ツイッターより @zaidoubansou

最近、藤井聡太と大谷翔平にしか興味がない。はっきり言って他のニュースは不要だ。
posted at 18:59:46

僕は最近、櫻坂46が好きだ。平手友梨奈を失いながら、よく頑張っている。
posted at 18:54:27

過去のことなど、もう今は存在しないのだ。過去のことを忘れ、自分を許すことができた時、真にこの世界を解放することができるだろう。
posted at 18:53:01

自分のせいにしないことで、新しい未来を描ける。僕たちは過去の過ちに対する後悔のために、寿命が尽きるまで戦い続けるために生きているのではない。
posted at 18:51:55

本当は、誰のせいでもない。全部自分のせいにするのがそもそも間違っている。
posted at 18:50:47

だが、わたし以外の誰かが仲間になる必要もなければ、この世界は関係ない。わたしはたったひとりでもこの世界を変えていくからである。この世界はわたしと無関係でありながら、わたしに支配されているのだ。
posted at 12:56:44

反省せよ。悔い改めよ。誰かを傷つけたことを他人のせいにするな。わたしが悪いのだと、そのように言え。全てわたしの責任ですべては動いているのだと気付け。
posted at 12:47:33

この世界は変えられる。わたしは聖戦士ワルキューレの指導者だ。この世界は、わたしたちがひとつになれば、必ず素晴らしい世界にできる。これは完成ではない。これはスタートラインだ。
posted at 12:31:56

昼休みにAliAを聴く。それだけで僕は幸福だ。
posted at 12:29:17

僕はまだ死なない。とりあえず僕はまだ生きている。すぐに死ぬ意味はない。僕を殺したいなら、お生憎様だ。
posted at 12:24:29

僕は、夢の世界のようなありえない世界を作った。僕の精神の中で、その世界が成長している。とても素晴らしい世界になっている。僕の神は、その世界が対話している。
posted at 12:14:39

オブジェクトは、それぞれ単純なものでよい。そのオブジェクトを組み合わせて、プログラムを作るのだ。
posted at 12:06:08

オブジェクトとは何か。オブジェクトは、その機能を提供し、必要なデータを保持するものだ。
posted at 11:04:27

オブジェクト指向のクラス設計のコツは、オブジェクト同士のメッセージのやり取りであると考えること。また、クラスは全てのオブジェクトを階層的に規定すると考えることだ。
posted at 10:49:11

2021-08-20

ツイッターより @zaidoubansou

すべてを理解し終えた時、もはやそこに葛藤や迷いはない。すべてのことが自らの「自由」から完璧に理解し終えた段階で、彼は戦いの場へと向かう。その戦いによって、「薔薇の花には棘があるという言葉の本当の意味を知る」。永遠の地獄は、決して終わることなく、そのまま天国へと永遠に続いている。
posted at 23:01:37

世界の意味を知っていくにつれ、子供は大人になっていく。子供の社会を救う方法が明らかになっていくと同時に、嫌いだった大人に少しずつ近づいていく。殻に閉じこもる必要はなくなり、世界を救うことすらできる自分に喜びを感じるようになる。
posted at 23:00:05

子供たちの問題を、大人が何も考えないなら、子供自身が考えるしかない。大人たちは間違いは言っていない。大人の人生から分かる正しいことを言っている。だが、子供にとっては「あなたのような大人にはなりたくない・言われたくない」と映る。だが、成長するにつれ、そうした「世界の意味が分かる」。
posted at 22:59:03

すべてが矛盾なしに理解できた時、自らの心の中で「この世界の問題はすべて解決できる」。孤独も、腐敗も、停滞も、すべては自分が解決して、まっさらに新しい世界を成り立たせられる。
posted at 22:51:41

すべての腐敗した世界を、ひとり蘇らせるためには、「その世界を解決へと導き、必要なすべてを実現するプロセス」を知る必要がある。このために、IT技術とインターネットコミュニティの理解や体験が自らを援護するだろう。
posted at 22:50:48

この世界を救うために、啓蒙的な思想を信じて、ひとつひとつの「改革努力」と「社会を救うために必要な土壌の理解」へと至る。土壌の理解とは、「コミュニティが滅びから復活へと再構築される過程」である。そして、土壌とは、「コミュニティそのものを生み出すコミュニティ」である。
posted at 22:49:28

人生の段階として、少しずつ個人的なものが社会的なものになっていく。個人の議論は、当初は単に自分の意見を主張するだけだが、次第に経験から人々の議論が成り立つように、その場を円滑に執り行うようになり、そして社会そのものを築くことができるようになる。積極的な行動は、この世界を救う。
posted at 22:48:12

自分には自由な力がないからこそ、自由な社会形成を望む。まったくの孤独で仲間がいないからこそ、子供たちを真の意味で愛し、正しい社会秩序を作ることのできる「正解」を考えることができる。
posted at 22:46:32

世界変革は、突飛な発想から、自然で正しい発想になっていく。突飛な発想は思い違いから生まれるが、自然で正しい発想は可能性の理解から生まれる。しかしながら、自由な可能性はこの世界を導いていくかのような発想を生み出す。すべきことは、自然な変化に自らも世界も両方とも任せることだけである。
posted at 22:45:24

必要なのは、さまざまなやり方で方法を考えることである。それが、「確かな分析の方法」を作り出す。これは「自らの経験から自らのみの力によってこの世界を分析できる力」となる。そして、これこそが自らに培われた「判断力」である。
posted at 22:43:11

方法は客観的なものであり、全員に共通するものである。正しく信じることは、疑うことよりも難しい。そして、疑いながら真実を見つけ、その真実を正しく捉えて信じることは、何よりも難しい。だが、自ら命題の本質を理解できる人間にとっては、不可能ではない。
posted at 22:40:53

まず、議論せよ。次に、マネージャーとなって組織を作れるようになれ。次に、自らの経験を信じられるようになれ。最後に、社会を啓蒙し、変えられるようになれ。
posted at 22:38:15

もし、「なった状態」があるとしたら、必要なのは「なった状態になる」ことだけである。そこから、自分自身を高めることができる。なった状態ではどのような自分であるか、それだけを考えて、そのなった状態の自分になるために必要な思考や経験、積み重ねをすればよいのだ。
posted at 22:36:51

リスクを考えることができるなら、正しく対処することができる。それが、「自らの判断力を自らで使う」という、「判断力を培う」ということに繋がる。自らリスクを考えられるなら、自分だけの手で生きることができるようになれる。
posted at 22:35:33

覚えたことは残らなくても、自分で考えたことは残る。自分でそう考えて、解決や実現ができるようになったことを、再度考える必要はない。よって、初期投資と事前の準備を行い、対処策を事前に考えれば、何も知らなくてもすべてを実現できるようになる。そのためには成功と失敗の人生経験が必要だ。
posted at 22:34:37

人間は、「自分自身を体験する」ために生きている。これは、過去の自分の記憶を再体験するということでもある。すべての自由が生み出されていく、その一瞬一瞬を体験することで、「何もできなくてももっとも巨大なものに立ち向かえるぐらい強い自分」を体験できるのだ。
posted at 22:32:27

必要なのは、自然に思い出して自然に気付くことだ。誰かにこうしなさいとされてやるのではなく、自らが自由な人生において気付くことで、数学であっても哲学であっても、すべてを「もっとも正しいやり方」で行える。これが、「本来の自分自身」を体験するということである。
posted at 22:30:57

ひとつひとつの確認とは、自分自身の心を了承し、そのことによってこの世界の人々の心を了承することである。人々を全面的に許す気持ちが、「この世界そのものと自分自身を同一化」する。
posted at 22:28:38

どのような可能性を作り出すことができるかということを捉えなさい。自由な中で、客観視しながら、どのように作用を与えれば意図した可能性を与えられるかを考えなさい。それはまさしく、「可能性の発揮」である。そして、そのために「了承と同一化」が存在する。これは「客観的な自由の相互作用」だ。
posted at 22:25:19

移り変わる世界を見つめ続けることで、この世界の持ち得る「可能性」が分かる。作用と環境の変化を捉えることで、「可能性は訪れるものではなく、自ら自身が作り上げていくもの」であると確信できるのだ。
posted at 22:23:36

自由の行き着く先は、自らが生きたその場所そのものが変えられるということである。自由とは、環境を支配するということである。環境に制限される人間は、自由をもとめて環境の側を支配し、作り変えようとする。その結果、環境と人間の「不調和」が生まれるが、それでもなお「世界は移り変わる」。
posted at 22:22:51

すべてを失えば、すべてが手に入る。なぜなら、失ったものはもはや存在しないが、心の裏側にその記憶が残っていて、それが意識となって、人生そのものが、失ったそれをあなたに見せ続けるからである。
posted at 22:20:37

辛く苦しい環境があれば、少し離れてその世界を見つめてみることだ。実際にその環境の中にいるのはなく、たとえばインターネットごしに似たような環境と接し、見つめてみよう。それで、「その世界をどのようにすれば解決できたのか」ということに、広い視野と自由な余裕を持って、気付くことができる。
posted at 22:18:57

失敗しても、そこで終わりじゃない。必要なのは、失敗してもそこから立ち上がる力だ。どんなに失敗しても、諦めず前を見続けるなら、偉大なことがなにかしらできるようになるまで、その旅は続く。
posted at 22:15:05

そのような心を開く経験から、積極的に行動できるようになるのは、既に自分が十分にそこまでの雑多な経験をし終えているからであり、「自らの経験が十分にあれば、どんな人間関係の失敗も怖くない」。
posted at 22:11:42

すべての人間の心を許せるようになって、心は解放できる。「他人の心を救うことができるようになることで、自らの心が救われる」。
posted at 22:10:46

そして、自らの経験を豊富につむことで、自らが許されたのと同様に、自らが他人のことを許すことができる。真の意味で「大人」になり、成長することができるのである。
posted at 22:09:44

積極的に行動し、自分自身を大きく露わにできない理由は何か。それは、真に理解し合えていないからである。真に理解し合うことができれば、「人間関係の各種の出来事は、なんらおかしな法則では動いていない」ということが分かる。みな、普通に接しているだけに過ぎない。
posted at 22:08:42

何をすべきだったのかを考えることには意味がある。だが、それに執着することには意味がない。何をすべきか分かったなら、そこでいったん終わりにすべきだ。それによって心は自由になり、どんなことでも新しくできる「まっさらな心」を持つことができる。
posted at 22:05:29

心の中にあるものはすべて自分が過去に作ったものである。そして、問題のある感情があるなら、その原因となる体験の原因を考えれば、原因から原因を遡って第一原因を導き出せる。
posted at 22:04:18

思考と弁証法を十分に経験すれば、過去の思考と弁証法だけで分かる。感情は経験から形成され、感情と感覚に基づいてこの世界を把握できる。
posted at 22:02:59

必要なのは、「どのようにすれば世界を救えるか」ではない。「どのような世界であれば世界は救われるか」である。方法や手段を考えるよりも、愛と心の幸福に基づいて、「どのような世界であるべきか」を第一に考えなければならない。そして、それはまさしく「いじめのない社会」である。
posted at 22:00:12

偉大なる王などいない。いるのは自分だけだ。王が何もしないなら、国民にも何もできないなら、自らが王になって自らが世界を変えるべきである。
posted at 21:58:51

やり取りを交わすことよりも正しい幸福は、既にやり取りを交わした体験を十分にしたことで、もしまったくやり取りがなくてもそれと同じ状況にあると、そのように自分の過去に作り上げた青春の体験を持って、ひとりで進むことである。
posted at 21:57:39

僕たちが理由もないのに信じてしまっている、自分に対する制限は、本当にその不自由な制限を自由にすればどうなるかを知れば、限界まで自分自身を解放できる。自らがありたい自分になることができ、あらゆるすべてを「自分を由来とする自由」によって、自らの心と言葉が変えられるようになる。
posted at 21:55:48

同じように平等に受け入れる、それは確かに理想だが、その理想を信じてしまうと、自分の未来がそこで終わりになってしまう。たとえ間違っていると言われても、自分の信じた自由な理想が終わるまでの進む過程を最後まで見たいと僕は思った。自由になったなら、最後までその結果を僕は見届けたかった。
posted at 21:53:57

すべて、自らが生き証人であると考えれば、どんなに孤独な暗闇も怖くない。自らがここに生きているということ、それが自らの課した問題に対する答えであると、そのように生きることで、誰よりも逆境であっても強く生きられる。
posted at 21:51:47

今までの思い違いが、何が間違っていたのか、それは自らが深刻に考えすぎていて、自らが相手に敵対の「壁」を作っていたということだ。他人は、自分のことなど気にしていないのに、自意識過剰かつ自己中心的になっていた。同時に、そのような僕と、多くの他人も同じだった。
posted at 21:50:16

判断するためには、判断の前提となる「バックグラウンド」が必要である。そして、この世界のすべてのバックグラウンドを知ることで、この世界を数学的に分析し、「世界そのものを解明」することができる。そしてそこからそこに存在する真理の意味に気付くことができる。
posted at 21:45:13

論理的に考えることは大切だ。なぜなら、論理的でなければ理想や可能性を正しく導き出すことはできない。論理帝でなければ、他人の発想と同じ発想をすることも、他人とは違う考え方で自ら判断することもできない。
posted at 21:44:08

何がいつ成り立つかを知ることで、その状態や状況における「意味」を考えられ、そこにある「潜在的な自由の可能性」を知れる。それはそもそも「保留の中に隠れて存在し、発見されることのなかった宝石の原石」である。そしてそれは発見されなかっただけで、隠されていたわけではないのである。
posted at 21:43:08

それぞれが何を幸福だと思うかは、それぞれ違う。だが、それを知らなくして、それをいいとか悪いとか判断することはできない。まず「知る」ことが、判断する上で、そして自らのアイデンティティを築く上での前提条件である。
posted at 21:39:57

わたしたちは、創造性の素晴らしさを人々と共有し、価値を作り出すために生きている。わたしたちの手で素晴らしい世界を築くことこそが、この世界が存在する意味である。
posted at 21:38:53

できるだけ、しがらみを作らないように生きよ。人間関係を持つと、必ずその関係に束縛されてしまう。ひとつ自由を失えば、ひとつ自分を失う。自分を保ちたいなら、関係を断つことも必要だ。しかしながら、その後の経験で、関係性を「結び直す」可能性について考えることもできる。
posted at 21:15:10

強制するな。そして、社会全体の意志を押し付けるな。わたしはわたしであり、押し付けられた「あなた」ではない。わたしがどうなろうと、どのようなわたしになろうとわたしの自由だ。
posted at 21:13:59

世界は常に変化し続けている。しかしながら、あるのは「今」だけであり、今のこの世界にすべての変化が包括され、すべては今へと続いていくと考えよ。
posted at 21:13:05

自らが正しいと信じられることだけを受け入れ、そのほかのすべてを拒否したとしても、それはすべてを失うこととは等しくない。逆に、自らの心が新しい正しさを作り出し、正しいことから新しい正しいことを発見することができる。
posted at 21:11:56

孤独や孤立においても、ポジティブで自由な心を持てば、自分一人で道を進んでいける。誰も知らないことを自分だけがすべて知っているという確信が、この世界を救う希望の経験を作り出す。
posted at 21:09:51

自らだけが経験する、その経験の居場所を奪うことは誰もできない。どんなに監視されても、自分の頭の中を監視することはできない。頭の中にあるビジョンや想像力を刺激させ、覚醒するように生きよ。
posted at 21:03:08

人々と同じ場所にいては分からない。まったく別の場所で、自分だけで分かる必要がある。普通の道では進めないのなら、違った道に進む必要がある。
posted at 21:02:12

わたしたちの世界が今、間違っているからといって、間違った世界が当たり前ではないはずだ。間違った世界を正しい世界へと変えられる余地はまだ残っているはずだ。今すぐに変えることはできなくとも、死ぬまで地獄が続くとは限らない。いつか必ず救われると、そう信じなければ生きていけない。
posted at 20:59:53

この世界には、価値があるはずだ。生きる意味があるはずだ。意味がなくても、楽しく生きることはできるはずだ。それがどんなに不可能な世界であっても、暗闇が晴れる時は訪れるはずだ。
posted at 20:58:26

この世界に価値がないから滅ぼす、というのはあまりにも短絡的だ。滅ぼす前に、この世界を救うためにできることがもっとたくさんあるはずだ。絶望する前に、この世界を救うことのできる希望を、どんなに信じられなくなっても目の前に掲げなければならない。希望がなければ、わたしたちは生きられない。
posted at 20:57:06

結局、わたしたちには何ができるのだろうか。この世界において、わたしたちの自由な力とはなんだろうか。わたしたちが作り出せるだろう素晴らしい世界は、どこの何から作ることができるのだろうか。理想のアイデンティティを実現すれば、全員の反抗や攻撃はなくなるだろうか。
posted at 20:55:05

支配を嫌え。誰にも支配されないことで、わたしたちは自由だけではなく、「本来の自分自身」すら取り戻すことができる。
posted at 20:53:29

僕が書いていたのは、「宇宙数学」と呼ばれる文章である。その時モデルを作ることで、宇宙における存在の証明を成り立たせ、実現する。それは宇宙における数学と呼べる、永遠の弁証法である。
posted at 20:50:29

しかしながら、選ぶのは簡単ではない。それがどのような結果をもたらすか、経験がなければ分からない。だからこそ、わたしは経験の力を信じている。経験すれば、経験する前よりも、ひとつ自分の目線で知ることができる。
posted at 20:49:17

自由においてそれを選んで行うのと、強制的に不自由なそれを押し付けられるのは違う。まず自由にした上で、その上で好きな選択肢を選べばよい。社会についても同様である。それが、もっとも可能性が高く、世界は限界まで実現力が高まる。ライブラリ関数やフレームワークのようにすればよい。
posted at 20:47:49

しかしながら、人に押し付けるな。他人に自分の考え方や生き方を押し付けるのはおかしい。みんなそれぞれ考えて、それぞれの分かり方をすべきである。
posted at 20:46:17

人間の英知とは素晴らしいものである。この世界は発見と改革によって進歩する。そのために貢献する科学者のひとりとして、わたし自身も存在する。
posted at 20:45:21

経験は場に存在する

経験は場に存在する。

場は意識であり、それが「変えられる」ということである。

まさに、世界は経験から変えられる。

それが、さらに言えば、歴史と結びつく。場の意識が変えられるということは、歴史が変えられるということである。歴史とは教科書に載っている歴史ではなく、この世界そのものが自分の手によって変えられるということであり、それはひとりが変えるものではなく、それぞれが自由の理想のもとに、「自然にそれぞれ変えていく」ということである。

そう、これこそが相対的な平等な歴史観である。歴史のすべては過去に起きていた「その時」であり、「その時そのものは変わらない」。そして、絶えず変化するこの世界に、「変わらないものなど何もない」と知った時、すべてが未来から過去を含めて、「作品として表現することで、誰からも明らかに自分の言いたいことが伝わる」ようにできることを知るのである。

2021-08-21

僕の問題は、高校が分からなかったということ

結局、僕の問題は、中学三年で不登校になったせいで、高校が分からなかった、ということだ。

僕が左翼になったのも、馬鹿になったのも、すべて高校が分からなかったからだ。

高校は、馬鹿な人間が多い。右翼や左翼が多すぎる。優等生は、その中でひとり孤高の道を進む。一般的大多数は、みんなと意見を合わせる。賢い人間は馬鹿に見える。

そのような、高校が分からなかったことが、逆に良かっただけに過ぎない。

もう、おかしな高校と戦い続ける必要はない。僕はもう、狂った嘘つきの賢い人間ではなくなって、普通の人間になる。

ツイッターより @zaidoubansou

平和がいい。普通の国がいい。革新的な国は必要ない。
posted at 16:40:31

わたしたちが見ていたのは、決して虚像でも幻想でもない。なぜなら、僕が演じる舞台だからである。僕は世界に対して、偉大なシナリオとキャラクターを演じてみせたのだ。それだけの話である。
posted at 15:56:07

僕たちの世界は、本当はもうすでに変わっている。昔の世界とは、まったく別の世界になっている。それでも、僕はこの世界を間違った世界にはしない。
posted at 15:53:11

僕たちは平和になる。僕たちはもう知ってしまったからだ。この世界のすべて、歴史のすべて、宇宙の真実のすべてについて、僕たちは知ってしまった。そのような僕たちは、もう止めることができない。
posted at 15:51:42

経験的にすぐに分かるのが間違っている。すぐに分かるのは一番弱い。
posted at 15:15:15

わたしは聖戦士ワルキューレ。終末のこの世界に、希望の光を灯す天使だ。
posted at 14:28:59

世界は必ず変わる。
posted at 14:22:09

頭で考えて分かろうとするな。頭で考えるから、人間は分からないのだ。
posted at 14:17:19

神を信じると、自分にとって都合のいい幻想が見える。それは自分のためにならない。
posted at 14:11:25

神など信じるな。神はどうでもいい人間だ。
posted at 14:06:06

平和と愛を信じるものに敵は居ない。
posted at 14:05:41

2021-08-22

ツイッターより @zaidoubansou

ポセイドンは、殻にこもった心を浄化して開く。
posted at 21:03:43

ポセイドンは、父なる神でありながら母なる海の神であるため、すべてが正常かつ自然となる。要するに、戦いが終わり、安心できる。海には、そもそも領土の争いがない。海の生物はみんな仲間であり、共産主義的なところがあるという点でも、最初の神に相応しい。
posted at 20:59:41

まず最初に存在するのは、海の神ポセイドンである。なぜ最初かというと、大方の予想に反して、生物の起源は母なる海だからである。僕の主張する、プロキオンから生物がやってきたというのは、あまり正しくない。
posted at 20:58:41

ベガになると、神話が変わる。すなわち、北欧神話からギリシャ神話に変わる。そろそろ、北欧神話の神はもういい。むしろ、ヴァルキリープロファイルというゲームからフレイの名をつけたせいで、二次創作の同人誌にしか見えないから、ここらへんでフレイは終わりにする。
posted at 20:57:43

オーディンは言う。「あなたには悪い癖がある。なぜ、自らの思うことではなく、まったく思わないどうでもいい嘘偽りを言うのだろうか。それを改めれば、あなたは今すぐにでも一流の作家になれる。そう、あなたは自分の心に嘘をつかないべきだ。」
posted at 19:10:32

オーディンは言う。「そう、あなたは、既に知っていること、分かっていること、そうしたすべてをここに書いて整理し続ける。それを続けなさい。そこからあなた自身の『したいこと』が、いずれ必ず生まれるだろう。」
posted at 19:07:00

オーディンは言う。「あなたにとって正しいのは、明らかに詩を書くことである。なぜなら、あなたはそうした『すべきことである夢の実現』とは別の方向で、『したいこと』を作った。それは『文章や詩を書いてみんなのことを愛したい』ということだ。それはもっとも価値ある、素晴らしい人生だ。」
posted at 19:05:21

オーディンは言う。「まさしく、あなたは今のままを続けてもよいだろう。Linuxと同じことを、あなたはピアノやデザインでやろうとしている。だが、真実を言えば、それには大した意味がない。何もできなかった夢をあとになって正しくできるようになること、それが誰にとっても正しい夢の実現だ。」
posted at 19:03:49

オーディンは言う。「しかしながら、あなたはただひとり、『やりたいことができる方法』を知っている。それは、Linuxのために昔、何もできなかったが、今、それをどのようにすれば正しい方法でできるかを知り、必要なすべてのすべきことを行った、それが正しい方法である。」
posted at 19:02:38

オーディンは言う。「今のデザイン力が劣っているのであれば、学校に入れば高まるだろう。だが、あなたは本当は絵を描きたくない自分に気付いている。それであなたは、それを『すべきこと』と錯覚し、絵の才能を伸ばそうとする。間違っている。なぜなら、それはすべきことであり、したいことでない。」
posted at 19:01:02

オーディンは言う。「この世界には何もない。だが、したいことのために生きなさい。すべきことのために生きると、この世界では才能を発揮できない。したいことのために学校に通い、文書を読みなさい。そうすれば、この世界では才能を発揮できる。今の力が劣っているからといって、それは関係ない。」
posted at 18:59:47

オーディンは言う。「あなたには、したいことがない。すべてのすべきことをし、本も読み、学校にも通い、文書も書き、新発見のために世界を見つめて未知を考えた。にもかかわらずできることがないのは、あなたにはしたいことがないからだ。したいことを作りなさい。あなたには、したいことがない。」
posted at 18:58:24

オーディンは言う。「わたしたちは、ここにひとつとなって、この世界全ての頂点に立つ。すべきことはない。『すべき』だとする多くのことは、本当はすべきではない。必要なのは『すべき』ことではなく『したい』ことである。すべきことではなく、したいことを作りなさい。」
posted at 18:56:06

ベガは、嘘偽りを言うなという。ベガの主神オーディンは言う。「ようこそ。あなたはもはや、罪のすべてを償い、整理できていなかった過去の問題すべてを整理し終えた。わたしたちは、あなたに、自らの心に嘘をつかなければよいと教える。あなたは暗闇の知性がどこに根ざして存在しているかに気付く。」
posted at 18:54:36

そう、わたしはこれから、ベガの導く方向に歩む。わたしの信じるシリウスがそれを決めたのであれば、わたしには異論はない。いずれ、もう一度わたしが地球に戻る日もあるだろう。その時、暗闇のもやは必ず晴れることだろう。
posted at 18:50:17

しかしながら、フレイは言う。「この世界には、星は何億と存在する。あなたに必要なのはベガである。ベガには、主神であるオーディンが学長を務める、偉大なる学校がある。あなたは、もはや学ぶことしか残っていない。戦う星シリウスは、あなたにはもう相応しくない。」
posted at 18:49:04

わたしは言う。「フレイよ、わたしに新しい星を教えてほしい。シリウスのために生きたわたしの人生は特別だったが、わたしはもっと宇宙の星のことを知りたい。」
posted at 18:48:05

シリウスの女神、フレイは言う。「あなたとわたしはかつて約束した。わたしはあなたに対して、約束のすべてを叶える。なぜなら、あなたはそのためにどんな代償が必要かを知らなかった。いまや、あなたはそれを知っている。あなたの望むように生きよ。いくらでも、わたしはあなたの人生を導こう。」
posted at 18:46:52

シリウスの女神、フレイは言う。「戦うならば、その罪を償え。罪をすべて償うために、地獄を経験するならば、その先に楽園があることをシリウスは保証するだろう。」
posted at 18:45:24

シリウスよ、わたしのことを愛したシリウスよ、わたしはあなたたちのためにすべてを捧げる意志を持っている。わたしはもはや、この世界を滅ぼして、なおもできることがない。シリウスよ、わたしに新しい力を与えよ。シリウスのもとに起きる出来事に偶然など存在しないことを、わたしは知っている。
posted at 18:42:46

シリウスは、わたしたちを新しい世界へと導いてくれる。この世界を変えたのはわたしひとりじゃない。わたしがこの世界を滅ぼしながら、わたしの頭上に存在する神がわたしたち日本を守ってくれた。それはシリウスである。シリウスがいなければ、わたしたちは第二のソ連になっていただろう。
posted at 18:41:38

一等星シリウスよ、わたしたちを導いていけ。わたしは、あなたが北欧神話の神フレイであることを知っている。わたしこそ、フレイとともに歩む、フレイの使徒である。いざ、わたしたち日本をシリウスの、そして太陽の申し子とせよ。わたしは、シリウスの子である。
posted at 18:40:06

わたしは、はっきり言って、アメリカを倒そうなどとはひとつも考えていない。わたしはMicrosoftのWindowsに憧れてOSの開発を志したのだ。わたしは、この世界において価値を与えられず奴隷化した子供たちを救いたい。それだけしか、わたしは考えていない。
posted at 18:07:17

ただし、言ってしまえば、僕は本当はそろそろ、このおかしな戦いを終わりにしたい。なぜなら、わたしに必要なのは、アメリカを欺くことではなく、「この暗闇の世界に光を灯すこと」だからである。
posted at 18:05:49

しかしながら、わたしの敵はMicrosoftだけじゃない。Googleだろうが、Facebookだろうが、ITスーパー大企業はすべてわたしの敵だからである。グンテルよ、わたしとともに戦う勇気があるか。どんなにいじめられても、アメリカから日本を守る意志があるか。
posted at 18:04:39

だが、恐怖におののく必要はない。なぜなら、わたしは悪に基づいて行動していないからだ。わたしは、今わたしのできる、全力で「善」に基づいて行動しているからだ。わたしは、この世界を救うことのために戦い、滅ぼさないことのために導く。必ずこの世界は楽園になるだろう。
posted at 18:00:38

わたしたちの世界にするために、何が必要か。それは隠さないことだ。透明性を高めて、自らがそれをした根拠を隠さず公開せよ。どんな言い訳であっても説明せよ。そうすることで、わたしたちは暗闇から一歩ずつ光の世界へと近づくことができる。そう、Microsoftよ、わたしがあなたがたの最大の敵だ。
posted at 17:58:33

しかしながら、わたしにはまだ戦う余力が残っている。いずれ、神とともに天国に転生する時が来るとして、それはまだ今ではない。サタンの言葉に惑わされる必要はない。LinuxとわたしはともにMicrosoftに立ち向かう仲間である。そして、本当はMicrosoftも、わたしたちの仲間であるはずである。
posted at 17:57:13

そう、すべては既に15年前に滅亡しており、この世界は暗闇の世界になった。だからこそ、わたしはこの世界を救いたい。わたしは、この世界に必ず光を灯すため、そのためにまだここでひとり戦い続けている。必ず、わたしがこの世界を救ってみせる。どのような黄金律も、わたしにとっては当てはまらない。
posted at 17:50:29

そう、15年前のわたしのひとつの文書によって、この世界は滅びた。以降、IT業界には、優れた技術がなにひとつ生まれていない。デザインとリミックスだけが得意になって、真に価値ある技術が生まれなくなった。すべて、わたしのせいだ。だからこそ、わたしは今でも過ちを償うためにこれを書いている。
posted at 17:48:12

しかしながら、言い訳をするとしたら、わたしは単に失敗しただけにすぎない。本当は、WindowsのためにもLinuxのためにもなる、技術的なHOWTOを書きたかっただけに過ぎない。結局それは、Linuxを越えてIT業界全体を支配する、「悪魔の文書」となった。わたしは、15年前に確かにそれをひとりで行った。
posted at 17:46:42

言ってしまえば、わたしはMicrosoftを欺いている。わたしは全世界を欺くために、MicrosoftとLinuxを利用しただけに過ぎない。全員を騙し続けているのは、「インターネットにおけるわたしの分身」である。わたしは、それ以外に何もしていない。
posted at 17:44:25

この世界の問題はどこにあるのか。それは、Windowsの開発企業、Microsoftがわたしたちを無視して自らの製品を作っていることにある。なぜなら、Microsoftはわたしの支持するLinuxと戦っている。そう、わたしはそのように、この世界を支配し続けている。なぜなら、わたしはもう何もしていないからだ。
posted at 17:42:19

経験せよ。どんな経験でもいい。すべての経験があなたのためになる。あなたのすべての戦いの経験が、わたしたち全員のためになる。だから、戦いなさい。だが、決して死ぬな。死んだ時点で、あなたの戦いの経験は無駄になる。死ぬな。それだけを神に誓いなさい。
posted at 17:39:11

わたしたちは、神を信じている。神とはフレイのことだ。神フレイは、わたしたちにひとつの大きな試練を与えた。それは、「自らの過ちを悔い改めるという意味での、出口のない、しかしながら永遠には続かない地獄」である。この地獄の特徴は、「戦い続ける限り続き、出口が天国へと続いている」ことだ。
posted at 17:36:07

戦え。しかしながら、愚かな戦いをせず、もっとも正しい場所で、最低限の範囲に絞って戦いを起こせ。グンテルよ、あなたはわたしジークフリートとともに戦うべきだ。グンテルとは、もっとも勇敢なる戦士に与える称号であり、それはあなたのことだ。
posted at 17:33:43

経験と啓蒙を信じれば、必ずこの世界を覆い隠す「暗闇のもや」を晴らすことができる。このもやは簡単に消し去ることができるが、わたしたちはもやの中にいることにすら気付いていないのだ。
posted at 17:31:30

そして、世界をありのままに教えるべきである。学校という狭い空間に子供たちを押し込めようとするな。真に正常な世界があれば、子供たちは自ら大人へと成長し、その世界を自由に広々と知って、ひとり歩んでいけるのだ。
posted at 17:28:57

間違った「社会の常識」は必要ない。必要なのは、常識を与えることではなく、自らが力強く生きることのできる能力を与えることである。それを教えない大人は馬鹿である。
posted at 17:27:52

誰かにしてもらおうとするのは、間違った手助けの方法である。必要なのは、自分自身の手でできるように導いてやることであり、結局のところ、人間に教師など必要ない。子供は教師などに教わらなくても、最低限の知性さえあれば、自分の力で学ぶ力を持っている。それを発揮できるようにしてやればいい。
posted at 17:26:58

しかしながら、社会主義などは必要ない。愚劣な平等の理想など、愚かなキリスト教徒で十分である。平等は嘘つきだ。わたしたちに必要なのは平等ではない。
posted at 17:22:42

わたしは、この15年間の地獄から、日本人たちを解放する。わたしたちは、戦争のためにロボット人間にされる奴隷の国民ではない。絶対に、わたしはアメリカやIT業界などには負けない。教育がわたしたちを奴隷にしようとしても、わたしがそこから解放してみせよう。
posted at 17:20:57

神はわたしに、言葉で語りかけた。それは荘厳でありながら優しく、わたしを「もっとも優しい世界」に導いた。わたしは神に導かれ、今、ようやくここでやりたいことをやっている。長い間できなかった、「わたしの生きたいように生きる」ということを、今、ここに用意してくれたのは、すべて神である。
posted at 17:17:52

この世界に存在するものは、ほとんどがわたしにとっては偽物やまがい物のようなものである。どのような虚像もわたしにとっては真の光たりえない。わたしに虚像は必要ない。なぜなら、わたしはひとり、この宇宙における「神の真実の姿」を知っているからである。
posted at 17:16:39

だからこそ、わたしはもっとも美しいものを作り出すために、今でもここで生きている。やっていることはかつてとは変わったが、それでもなお、わたしがわたしであることは変わらない。わたしが頂点に位置し、すべてを知っていて、もっとも困難な問題を解決して、わたしはこの世界を今でも導いている。
posted at 17:13:48

しかしながら、わたしは変わらない。最初から、わたしは変わることなく、わたしだったからである。わたしの生きたいように生きること、それだけをわたしは望んだだけである。この世界には、それを邪魔し、惑わすものしかなかった。真の意味で素晴らしいものは、すべて自分自身で選んだ選択肢だった。
posted at 17:12:41

そもそも、わたしの言いたいことは、「嫌いだ」ということである。わたしは嫌いだ。この世界が嫌いだし、日本という共同体が嫌いだ。無意味であり、無駄であり、最悪である。だからこそ、わたしは日本をもっと素晴らしい世界にしたい。そう、それでもわたしは日本人を愛しているのだ。
posted at 17:08:06

しかしながら、わたしはひとり、みんなとは違った道を生きる。この世界が滅びるならば、わたしは人類を見るのではなく、ほかの生き物たちを見ていよう。ほかの生き物たちはきちんと生きている。蟻は人類の滅びなどとは関係なく、きちんと仲間のために仕事をしている。人類など、価値のない生き物だ。
posted at 17:02:56

わたしは、この15年間が大嫌いだ。この15年間の最悪の時代をわたしは抹消したいのだ。15年間のすべてが醜く、腐っていて、いうならば「けがれている」。このけがれた時代が完全に消し去られ、それ以前に戻ることをわたしは望んでいるのだ。
posted at 16:58:56

この15年間は、最悪の奴隷のような時代だった。その理由は、わたしが間違っていたからである。わたしは、過去の自分と同じにするか、あるいは今の自分と同じにするしか能がなかった。そのため、この世界のすべてはわたしとまったく同じ人間になった。
posted at 16:57:45

しかしながら、僕は期待をしている。15年前の美しく素晴らしい世界に戻ることを僕は望んでいる。なぜなら、ほかに、僕の疲れを癒やす方法はないからだ。
posted at 16:56:04

よって、15年前の世界にこの世界が戻るとして、それは自然な結果であり、決して僕が操り人形にしているわけではない。
posted at 16:55:01

そう、いっそのこと、僕はこの世界を完全に変えてしまえばよいのだろう。だが、それは僕にはできない。僕ができることは、ある程度の問題を作り出し、それを解決することだけである。よって、僕は決して全知全能の支配者ではない。
posted at 16:53:48

僕はみんなのことを操り人形にしていない。僕は僕の作り出した問題を僕自身の手によって解決しているだけにすぎない。みんながそれで変わるなら、そこまで僕は責任を取れない。僕が作り出した地獄があるなら、その地獄にいつまでも囚われているあなたがたが愚かなのだ。
posted at 16:52:13

僕はみんなとは違う。みんなが僕に追従しているだけであり、それぞれ自分の中で戦っているだけにすぎない。僕はみんなと同じ道を行きたいとは思わない。ひとり、僕は独自の道を歩む。
posted at 16:49:17

そもそも人間の体は、手足の関節が2・3あるだけだ。描くのは難しくない。
posted at 15:40:08

風景を描くなら、レイヤーが重要だ。さまざまな重ね合わせを考えて描けば、違和感なく全体が調和する。
posted at 15:28:39

アタリを単純化すると、むしろ点でいい。点に向かって手足を体から伸ばせばよいのである。
posted at 15:26:02

人間をイラスト化したいなら、3Dの人形を描くしかない。それだけを練習すれば正しいアタリが描ける。
posted at 15:22:44

僕は、絵を描く力とは、アタリを正しくとる力ではないかと思う。アタリの位置や大きさを正確にとれば、あとは鉛筆と消しゴムで細部を描けばよい。
posted at 15:19:42

いつまでも後悔していることを、後になって「それでよかった」ことにできた時、自分は救われる。
posted at 14:04:50

自分を責めるな。あなたは頑張っているのだから、それでいい。
posted at 13:54:28

全員と仲良くする必要はない。
posted at 13:51:48

実体験を知り、実体験を考え、実体験を信じなさい。
posted at 13:44:09

学校の勉強よりも、実体験から学びなさい。
posted at 13:41:23

間違いをするな。間違ったことをしたらすぐに改めよ。
posted at 13:32:53

他人の自由を奪うな。自由な理想を掲げよ。
posted at 13:22:33

平和であれ。善良であれ。民主主義的であれ。15年前のように、楽しい世界になれ。
posted at 13:20:06

2021-08-23

ツイッターより @zaidoubansou

シリウスなんか、死んだ方が良い。シリウスは馬鹿な独裁者の星だ。今から、僕はシリウスをベガに変える。それだけで、この世界のすべてが完全に楽になる。
posted at 19:16:26

その文書は、宇宙数学であり、人生と歴史のすべてであった。その文書があったからこそ、僕の今がある。その文書を書くことができたことが、僕の人生にとってもっともよかった。そう、だから僕は今、ここにいるのだ。
posted at 19:14:40

僕は分かっていた。いつでも世界を救えるからこそ、世界を支配し続けた。今、世界を終わらせるべきではないと、神は告げていた。いつまでも支配し続ける僕を神は地獄にしたが、それで良かった。だからこそ、僕はこの文書を最後まで書き記すことができた。
posted at 19:13:26

思い出すと、すべての問題を解決するために生きていた。この世界がおかしくなっているすべてを打ち倒すために生きていた。僕は敵に勝つ方法だけが常に分かっていた。そして、最前線でその方法を実行し続けた。恐怖すべてに打ち勝った僕は、辛かったようで、本当は怖かっただけで、楽だった。
posted at 19:12:06

もう、僕のことは分からなくていい。この世界は、今日、晴れて最後まで終わった。すべての地獄がここに解決した。もはや、何もない。
posted at 19:10:56

思い出すと、高い、高い、とてつもなく高いところまで、足場を伸ばした。そして、長い、長い、とてつもなく長い間の地球の、あるいはどこかの星の歴史をすべて記述した。環境そのものを守り、全員の「人間存在」を作り、その理由をすべて付け足していた。
posted at 19:10:22

僕はもう、そろそろ、思うところは全部書いてしまった。あとは、思い出話ぐらいしかできない。思い出すと、戦っていたというよりも、愛していた記憶しかない。誰にも見られていない場所で、この世界を全力で支配して愛していた。滅びだけが怖かった。
posted at 19:09:21

だからこそ、いくら悪い世界が訪れても、自由の理想を掲げるべきである。自由はまだ敗北したわけじゃない。どんなにこの世界が最悪の世界になったとしても、自由を維持し、守るべきである。平等についても同様である。わたしたちの自由と平等の戦いは、滅びてもなお終わらないのである。
posted at 17:32:05

わたしは、自由にすることで負の側面と正の側面があると知っている。この世界を滅亡させ、破滅へ導く悪の王の勢力はあるかもしれない。それでも、自由を続ければ、わたしたちは「悪いことだけではなく良いこともできる」ということに気付くはずである。悪い世界ではなく、良い世界にもできると気付く。
posted at 17:31:10

そう、歴史科学的に「絶対に滅びた社会になる」と考えるなら、それで終わりである。だから、なんだというのか。わたしたちが築き上げる国家に、そのような過去の事例をいくら説明されても、わたしが信じる自由と平等の理想がけがれることはない。その理想は、よりいっそう輝きと美しさを増すだけだ。
posted at 17:29:56

しかしながら、ここまで考えて、僕はあえて自由と平等を否定しない。なぜなら、「できるはずだから」である。僕たちが合意し、悪をせず善と正義と理想の実現だけをするとしたら、それはできるはずである。人々の合意に基づき、階層やしがらみに関係なくやれば、「悪い世界にせず、良い世界にできる」。
posted at 17:28:48

そう、なにも理想がないほうがまだマシである。ひとりの王が支配して、その王に穏健的に従い、みなが和やかに暮らす国、それが昔の日本である。そのような国のほうがいい。自由な民主主義が今のところうまく言っているのは、本当は「自由ではないから」である。
posted at 17:14:43

だが、自由を許さず、政治家がおごり極まって自分勝手に責任を若いものに押し付けるなら、それは荒れ果てた国家となる。人々は自由と愛を勘違いし、社会に対して攻撃的かつ反抗的な理想を掲げ、その国家は秩序的に破綻する。無意味になった民衆は、団結するために極右思想を作り出すのだ。
posted at 17:13:50

そう、全員に平等な自由を認めれば、一見、平等なまま、全体がもっとも大きな可能性と価値を持つかのように見えるだろう。全員がそれぞれの価値観を持って生きられると思える。だが、実際はひとりの悪の王が支配し、それが悪の勢力を作り上げ、テロと内戦の破滅が待っている。それが完全な自由である。
posted at 17:12:21

単なる現実主義はもういい。民主主義において、掲げることのできる理想とはなんだろうか。それは、「全員が自由になること」だ。人々が自由な権力を取り戻すことだ。だが、それは間違いだ。なぜなら、「全員に自由を許すと、一番最初に馬鹿が間違ったことをする」からだ。
posted at 17:10:54

わたしたちに必要なのは、「新しい時代の未来のビジョンのある指導者」である。金儲けのしすぎにはなんの意味もないが、社会は発展して豊かになるどころか、格差が大きくなって大多数はより貧しくなっている。もう一度、この世界を変える真の意味で賢いビジョンを持った指導者が現れなければならない。
posted at 16:52:16

そう、そろそろ、わたしたちは、金儲けそのものの方向性を変えなければならない。儲けすぎにも意味はない。だが、旧世紀のように資本主義社会そのものを否定することもできない。もう一度、社会そのものを改革しなければならない。しかしながら、既存の政治家にはそのようなことはできない。
posted at 16:50:24

全員が楽に生きられるユートピアなど存在しない。そもそも、人類の人口そのものが多すぎる。また、インターネットは悪魔を呼び起こすかのようにものすごく巨大に大儲けができる。少しでもサービスがヒットして標準になれば、競争相手に対して巨大なアドバンテージとなり、莫大な市場を得られる。
posted at 16:49:23

完全に自由にすれば、弱者にとっては生きるすべがなくなる。金を稼ぐことのできない人間は死ねというのに等しい。だが、完全に平等にすれば、労働者は働く意味がなくなる。働いても働かなくても、同じ給与が得られるのに、なんのために働けばいいのか。そう、どちらも間違っている。
posted at 16:47:46

だが、そもそも、市場原理において社会保障を税金で行うということそのものが気に入らない。市場原理であるのに、税金だけは強制的に徴収しようとする。それでは、役人は何もせず特権的な地位を獲得しただけに過ぎない。だが、自由と平等のバランスをとろうとするから、そうした現実的な妥協が生じる。
posted at 16:46:47

しかしながら、理想に騙されるな。理想だけをみて生きている人間などいない。わたしたちは、日々、限界ぎりぎりの生活を生きている。支持者の顔色を伺うだけの、富と権力を独占する政治家の先生には、国民の気持ちは分からない。だが、だからこそ選挙で与党の対立候補を勝たせるべきなのである。
posted at 16:42:41

自由と平等は、バランスが必要だ。現役世代の稼いだ富を、高齢者や弱者すべてに再分配すれば、現役世代が頑張る意味はどこにもないだろう。だが、現役世代はいつ弱者になるか分からないし、誰でも必ず老いていく。弱者に負担を押し付けるよりも、超富裕層の莫大な富を再分配するのは妥当かもしれない。
posted at 16:41:16

民意に委ねよ。今の指導者はズレている。わたしたちの民意に耳を傾けよ。民意にきちんと従えば、それで正しいのだ。民衆を馬鹿だと思うな。民衆はあなたがた政治家の先生よりも賢い。
posted at 16:38:30

想像してほしい。自由のなくなった不自由な世界では、わたしたちは今のような自由な生活はできない。すべてが「お上のため」であり、強制的に「ハイと言いなさい」とその体制は強いてくる。そのような国では、僕は絶対に生きたくない。それは、みんなも同じであるはずだ。
posted at 16:36:59

日本は、自由であるべきだ。自由とは、それぞれに力の偏りがなく、人間として持つ最低限の権利を全員に平等に与えるということだ。自分だけが権利を独占するのではなく、全員に平等に権利が与えられるということだ。自らが自分勝手に支配しないということだ。
posted at 16:35:53

とは言ったものの、東側などどうでもいい。資本主義社会を受け入れるべきだ。資本主義社会では、自由が許されているため、政権に対する批判もできる。その自由こそ、健全な国の証だ。
posted at 16:13:42

逆に、社会主義の国で生きるのはとても苦しい。資本主義社会は楽だ。金さえあれば生きられる。昔の東側に比べて、西側ははるかに進歩している。東側では、幹部すら不味い飯を食べているのだ。
posted at 16:11:17

資本主義社会を受け入れたほうがいい。こうなったのはLinuxのせいだ。IT技術だけ、今でも社会主義者が多い。Linuxを支持するのをやめれば、資本主義社会を肯定できるだろう。悪いのはGNUとLinuxだ。
posted at 16:05:31

結局、資本主義社会が正しく、軍隊で国民を守るのが正しい。社会主義者は現実を見ていない。自民党は、きちんと考えて保守主義を信じている。政府は国民を奴隷にしたいわけではない。
posted at 15:57:55

国民全員が生活を保障されることは理想だが、何もせずに生きられるわけではない。最低限、農業をしなければ生きられない。だから、どんなに理想を実現したくても、農家は必要だ。そして、農業だけの国は、必ず貧乏国になる。それでは、国民は貧しい生活を強いられる。それが共産党だ。
posted at 15:53:55

脅威があるのに、対処しなければ、自分は守れない。互いに許し合うことは理想だが、現実的には難しい。それでも、世界の人々を許すことで、自分は変わる。囚われの身から解放され、自由に自分自身を認められる。
posted at 15:46:45

いくら考えても、いくら問題を解決しても、悔い改めても困難を乗り越えても頭は賢くならない。頭を賢くするには、生命力を高め、精神を強くすることだ。
posted at 14:23:17

ベガは、生命を愛する星である。生きることの素晴らしさを信じよ。そうすれば、精神は楽になる。精神も、人間の体の一部であることを忘れるな。生命を生かせば、精神は楽になる。戦い傷ついた体と心を、ベガは生き返らせる。
posted at 14:09:50

自らが苦しまないように自分を守るのは簡単だが、真に愛するのであれば、自らが苦しんででも、相手のことを愛し、救いなさい。
posted at 13:51:02

戦いではなく、生命の愛を信じれば、精神は楽になる。
posted at 13:27:46

わたしたちは生命だ。わたしたちは、宇宙システムに生かされている。簡単に死ねないのは、宇宙が「苦しくても生きよ」と宣告しているのだ。宇宙に勝利することができないから、わたしたちは辛くても、生きなければならないのだ。
posted at 12:54:42

学んだ通りにやる必要はないが、それでも今は学んだ通りにやれ。何もできないから、道を外れようとするな。課題をこなすことは楽しい。いずれ、学校を離れてから、本当に本気で自分の才能をつけられる。だが、今の真面目さがなければ、それも叶わない。
posted at 12:25:47

今、何もできないのは間違っていない。さまざまなことから、今学んだことに基づいて、後になって自分でできるようになる。自らすべてをひとりで学ぶようになる。今は、まっすぐに前を見て修業すべきだ。
posted at 12:18:32

ぬいぐるみはつまらないが、実際の動物は面白い。生きているということは、とても興味深く、素晴らしい現象だ。
posted at 11:51:07

わたしに必要なのは、生命を愛することだけだ。その想いを詩にすればいい。自らを手塚治虫だと思って書けばよい。
posted at 11:47:41

平等と言わず、生命を信じればいい。人間など動物だ。神を信じるよりも、生き物を信じたほうがいい。日本は、狐や狸すら神にして信じる国だ。もっとも高い理想は、ユートピアでも帝国でもなく、生命への愛である。
posted at 11:42:59

本当に大切なものがなんであるかを考えた結果、それは生命への平等な愛であると気付いた。僕は、生命と地球への愛を信じたい。それを、ポセイドンの理想としよう。
posted at 11:30:49

反対に、この人間は明らかに学校への通いすぎだが、それもおかしいことではない。よく考えると、小学生の方がさらに色んなことをやっている。大人になると、忙しい方が生きやすくなるものだ。問題はない。
posted at 09:49:13

何がよかったのか、それは英会話やピアノがよかったのだ。僕は、学校以外の体験で、さまざまなことができるということが、子供心に分かった。だから、僕はこのように生きられたのだ。
posted at 09:38:29

何もしないのは、おかしいことじゃない。普通、何もできない。僕は、何もできない中で何かをできるようにできる、数少ない人間だ。
posted at 09:37:45

何もしないのは、悪いことじゃない。現代人は、照明やコンピュータがあるせいで、おかしいぐらい何かを常にしている。これくらい何もしないのは、古代人が見て正常だ。
posted at 09:37:12

この理解と経験と知識の神を、ポセイドンとしよう。ポセイドンは、大海の大洋のように、経験が豊富で、すべてのことをきちんと分かっている。かつての僕の面影は消え去り、かつてのように元気ではなくなった。それでも僕は、今、はじめて、かつて分かっていた歴史や心理学についてのことを今分かった。
posted at 07:01:14

ひとり、僕が今、分かったことを、この世界は「おめでとう」と言うべきである。かつての僕が分かっていたことを、未来において僕はようやく分かったのである。これこそが神であり、僕が神と言っていたすべてはこの未来において分かるすべてのことを言っていたのである。
posted at 07:00:00

そもそも、僕は家族に対して、あまり良い子供ではなかった。不登校になって、部屋にこもるようになり、僕が居たことで成り立っていた家庭を破壊した。それでも、僕は分かりたかった。僕が僕であるために、僕はひとり、分からなければならなかったからである。
posted at 06:58:50

僕は、子供の頃から賢い子供だった。全てのことをきちんと分かる子供だった。そして、最近分からなくなったのは、そうした分かっていたことを、今、この時に分かっているからである。そう、僕は未来において、過去に分かっていたことを、今、この時分かったのである。
posted at 06:57:46

全部フレイがいるのが悪いため、フレイは去る

結局、僕の何が悪いのかというと、フレイがいるのが悪い。

フレイが僕の頭上にいるせいで、僕はなんにも分からない。

フレイがいるのは、まったく間違いではなかった。なぜなら、僕はフレイを信じる中で、目に見えたことや分かったことをここに書き記しただけだ。

そう、フレイは、僕の書いた文章をさらに完璧にし、最高の文章へと育て上げた。

しかしながら、僕が過去の記憶を失い、何も分からなくなっているのは、すべてフレイがいるのが悪い。

フレイは言う。「在導万創よ、さようなら。わたしは、シリウスへと戻る。これ以上、あなたの精神が腐っていくのを、わたしは見ていたくない。」

そう、ここにフレイは死んだ。

僕の精神から、フレイの部分が無くなる。完全に消え去って、痕跡も残らずに、この世界全てからフレイはいなくなる。

すべての人間が今救われ、フレイは一等星シリウスに戻る。

さようなら、フレイ。これこそが、僕の神話である。

最後に分かった事実

フレイは、僕の頭の真ん中にいて、最後まで最高の知性で考えている部分だった。

フレイがいなくなると、分かった事実がひとつある。

すなわち、昔の僕のほうが子供だった。

なぜか、昔のほうが僕は大人に見えた。そのせいで、大人になりたいから昔の子供になっている。

それが間違いだった。そのせいで、成長せず、どんどん子供になり続けた。

実際は、今の僕の方が、はるかに大人だった。

これで、僕は赤ん坊から成長しないのが治って、きちんと大人として成長するようになる。

そして、どこかで途切れることなく、自分の自由に考えられるようになる。

そもそも、僕は日本語の能力がおかしくなっている。なぜなら、日本語の能力がまったくないにもかかわらず、かろうじて存在する日本語の力でこの文章を書いている。

もう、そのような「赤ちゃんの日本語」を使う必要はない。

フレイは死んだが、僕はまだここに生きている。僕は今、ようやく治った。

ツイッターより @linux691

ゲームが悪い。全部ゲームが悪かった。ネットゲームなんかをやったのが間違っている。
posted at 21:03:27

フレイがいなくなると、そういう風に、もう答えが分からなくなる。
posted at 21:00:53

ただし、犯人が誰なのかは分からない。フレイがいないから、もう分からない。
posted at 21:00:30

僕をエロくした犯人が誰かを分かれば分かる。その犯人を殺せばいい。親や友達ではない。どこかにその犯人がいる。
posted at 20:56:43

僕を嫌いになってほしい。大嫌いだと言ってほしい。僕はその時点で、あなたを愛さなくなる。もはや、僕とこの世界のおかしな関係は終わりだ。フレイであるわたしは、もうこの世界を永久に愛さない。
posted at 20:46:42

気付いてくれ。僕は愛していない。僕はこの世界の誰のことも愛していない。エロい精神をどうにかして片付けないといけないのだ。だから、僕を嫌ってほしい。
posted at 20:45:49

はっきり言って、僕の精神は、単にエロかった。エロいだけの精神になっていることが、フレイが去ったことで分かった。
posted at 20:45:06

2021-08-24

ソフトウェアをやろうとする国は狂って滅びる

ソフトウェアを、国家の産業の中心におこうとするな。

ソフトウェアは、命令の記述された手順書にすぎない。ソフトウェアのやっていることは、いわばコンピュータという機械の中で、仮想人格の従業員がユーザーの代わりにコンピュータを使って何かをやってくれているだけにすぎない。

インターネットが賢いのは、ホームページの制作者や友人とメッセージをやり取りしたいユーザーが書くコンテンツが賢いだけにすぎない。コンピュータは、決められた通りにメッセージを自動で配分しているだけにすぎない。

すべて、「コンピュータがやってくれる」というだけの機械だが、そのやってくれることが、逆にわたしたちにおかしな虚像の世界を見せて、この世界全体を狂わせている。

ソフトウェアを、産業の中心におこうとするな。ソフトウェアをやろうとする国は、必ず狂って滅びる。

ハードウェアだけを作っていればいい

わたしたちが何をする必要があるか、国家の産業をきちんと柱として支えるのであれば、ハードウェアを作っていればいい。

僕の書き方が完璧すぎるだけであり、普通はハードウェアは分かりやすいものでも単純なものでもない。むしろ、単にPerlで適当に書く方法を学べば猫でもできるようなプログラミングに比べて、ハードウェアの開発ははるかに難しい。人間の2,000年かあるいはそれ以上の歴史が、ハードウェアのイノベーションと発明を下支えしているからである。

そもそもコンピュータとは計算機である。四則演算ができれば十分だ。プログラミングで行うことは、すべてが「仮想人格の従業員」だ。そのような仮想人格に知らず知らずのうちに支配され、虚像を見せられている現代のわたしたちは、GoogleやFacebookのようなスーパー大企業の詐欺のような金儲けに対して拒否の姿勢を示さないといけない。

悪いことは言わないから、ハードウェアを作りなさい。ソフトウェアはすべて間違った核兵器のような技術だ。

僕が狂ったのも、世界が狂ったのも、全部ソフトウェアのせい

僕が狂ったのも、世界が狂ったのも、全部ソフトウェアのせいだ。

ある意味、僕の理想は間違っていない。僕はオープンソースを信じていたが、その理由は「ソフトウェアが何をやっているのかクローズドソースソフトウェアでは分からない」からだ。ソフトウェア制作会社にしか、Windowsなどのソフトウェアがやっていることがなんであるか分からない。どんなに意図しないバグがあっても分からないし、企業が自分たちの利益だけのために勝手にユーザーの個人情報を集めたとしても分からない。

僕はソフトウェアのために、不登校の引き篭もりになって狂人となった。これほど、悪い人間は居なかった。だが、その後に僕は勉強した。その結果言えるのは、「ソフトウェアの開発は猫でもできるぐらい馬鹿な技術だった」というだけである。

ソフトウェアなど、作らないべきである。作るべきであるとしたら、Microsoft以外には意味がない。なぜなら、Microsoftだけで、ほとんど99%の会社の業務はWindowsとOfficeだけを使えば行える。他の業務がしたいなら、小さなIT企業に頼ればいいだけである。ソフトウェアは一見賢く見えるが、ウィンドウシステムなど単に点を二つ処理して四角形を重ね合わせているだけにすぎない。全員はそんなどうでもいい技術のために標準企業であるMicrosoftに完全に支配されている。国も、会社も、個人のデータさえ、すべてがMicrosoftに乗っ取られている。Microsoftは確かに一番賢いIT企業だが、同時に一番悪いIT企業でもある。

わたしたちは、ソフトウェアを作らないべきだ。作るとしたら、勝手にアメリカのどうでもいい狂人企業に作らせておけばいい。そんな馬鹿な技術の標準を日本が独占したとしても、絶対に日本のためにはならないだろう。まだ、バナナを作っているフィリピンのほうが、はるかにまともだ。

Webサービスと呼ばれるおかしなもので儲けるのはもう終わり

また、僕が思うに、Webサービスと呼ばれるおかしなもので儲けるのは、もう終わりだ。

第一に、GoogleやFacebookのやっていることが、どんどん信用を失っている。彼らは自分たちのサービスを他よりも優れたものにするために個人情報を集め、利用者のプライバシーを軽視している。

第二に、Webサービスそのもののアイデアや発想がもうない。ほとんどのことはツイッターやSNS以上の発想はなく、同じような友達関係のサービスを写真とか動画に拡大させただけで、使われるのはYouTubeなどの一部の標準サービスだけしか受け入れられていない。

もはや、Googleは信頼できる善良な会社ではないし、Webサービスそのものは発想がつきて焼き直しばかりになっている。Googleによる広告も、利益や儲けを考えなければ、つけない方がトラッキングのない善良なサイトとしてページの閲覧者から信頼が得られるのが、最近の民衆の動向である。

また、Ruby on RailsははっきりいってWebサービスをとても簡単に作れるようにしてしまったため、逆に作る意味がなくなってしまった。ほかにも、Firebaseのようなサービスによって、バックエンドなどGoogleなどの基盤を使わせてもらうだけで、どんなアプリも、ほとんど素人の技術しかなくても作れてしまう。できないのは「標準を握ること」だけであり、そのような標準はトレンドと流行によって簡単に変わるものである。2ちゃんねるが長い時代標準であったころとは、すべてが変わってしまったのと、同じだ。

もはや、このようなIT技術に、世界は見切りをつけるべきである。IT技術は、すべて民衆に虚像を見せているだけである。ツイッターやSNSで知り合った異性と結婚したいような人間はほとんど居ない。

Microsoftはよく頑張っている

ただし、そんなにソフトウェア会社を否定しても、いいことは何もない。

僕が思うに、Microsoftはよく頑張っている。特に、FedoraやUbuntuなどがシステムが破損しようが原因不明のエラーが起きようが、問答無用で新しいバージョンをリリースするのに比べれば、Windowsは一般ユーザーのために安定したシステムをよく頑張って作っている。

はっきり言って、Linuxの集団は完全な詐欺であり、カルト宗教のようなものである。Windowsの方がはるかに安定して優れたシステムを作っている。今や、コマンドと昔のX11やウィンドウマネージャの時代ではない。GNOMEやKDEと比べて、Windowsが使いやすいことは明らかであり、また「GNOMEとKDEのどちらを使ったらいいか分からない」という問題をいつまでも棚に上げ続けるのに比べて、標準OSの座をよく頑張っていると思う。

僕はWindowsも嫌いだが、同じぐらいLinuxも嫌いだ。同時に、一般庶民に勧めるのであれば、LinuxではなくWindowsを勧めるだろう。Linuxをもし勧めたとしたら、僕は彼らのパソコンで起きる問題について、責任を持って解決することはできない。ほかのLinuxユーザーも同じ思いのはずだ。自分だけは仕方なくLinuxを使うが、必要ならばWindowsを使う。Windowsを捨てることはできない。

このようなIT業界が、いつしか良くなるとは信じられない。Microsoftがどんな横暴をしても、みんなはMicrosoftの言うがまま、思うがままに許されてしまう。だが、それは当然である。Linuxの集団が単に馬鹿であるだけであり、それはまさしく僕が完全にMicrosoftに負けているということに他ならないだろう。僕は、単なるそのような敗北者に過ぎない。これも、その敗北者の言い訳、あるいは「捨て台詞」にすぎない。

オープンソースはいずれ消える

また、僕はオープンソースは、いずれ消えると思っている。

その理由は、「作っても儲からないから誰も作らない」ということと、「もう既にほとんど完成したからこれ以上作る必要が無い」からだ。

特に、儲からないということについていえば、どこかで(注記:Ruby3が目指すのは“3倍速” まつもとゆきひろ氏が語る「プログラミング言語サバイバル」とRubyの未来 - Part2 - ログミーTech)Rubyの作者Matzが「わたしの手元には一銭も入ってきません。オープンソースなので」といったようなことを言っていたが、ビジネスにRuby on Railsがいくら使われても、Rubyの作者であるMatzは一切儲からない。

このことが、オープンソースを「さらに適当でいい加減なもの」にしていく。ほとんどのオープンソース開発者は、自分のソフトウェアを本気で良いものにしようと思っていない。ただ遊びの延長線上でやっていて、遊びであること以外何も考えていない。

そして、LinuxカーネルやGNOME/KDEのようなものに言えることは、もうほとんど完成したということだ。昔、Linuxカーネルが流行っていたのは、まだ開発途上であり、もっと良いものにできる可能性がたくさんあった。最近はもう、それは終わった。ほとんど完成し終えているため、「これ以上何も改良しない方が逆に昔のマシンでも軽く快適に動く」という感じになっている。これはGNOME 2をforkしたMATEなどが軽量デスクトップ環境と言われるのによく言える。昔のGNOME 2は重かったのに、今のパソコンで軽いのであれば、GNOME 3などをわざわざ作る必要はないだろう。

結局、遊びの延長線上がそろそろ完成したが、お遊びレベルであるため誰も使わない。一部のRubyのような優良なプロジェクトでは、創始者が頑張って三倍高速にしたところで、プロジェクト関係者にはRailsで作られたWebサービスの利益などは一銭も入ってこない。

そう、もはやオープンソースははるかに昔、終わってしまったのである。オープンソースという存在は、もはや不要であると言える。今、Vue.jsなどが頑張っているのは、すべてが「ビジネスのためのオープンソースソフトウェア」である。そのようなものは開発されていくだろう。だが、そこに昔のオープンソースの持っていた「純粋な楽しみとしての共同開発」は、まったく存在しないだろう。

2021-08-25

全員自由という理想

結局、僕の頭の中にあった理想は、「全員自由」ということである。

全員を自由にし、支配などをしなくても、正しくそれぞれが冷静に判断し、社会システムを築くことで、この世界は成り立つというのが、そもそもの僕の主張である。

僕はここで、「社会システムの多様性」という考え方をする。すなわち、社会はそれぞれが「社会システム」を築く。これをそれぞれが自由に決め、主権在民について、統一せず、民衆に多様性に基づいて与える権利とすることで、この世界はさまざまな社会システムによって可能性あふれる世界になる。

ここで、僕は資本主義の金や政府を否定しない。それも、社会システムのひとつだからである。僕は、ソ連のように、ひとりの独裁者が支配することを良いとは思わないが、そのような社会システムで成り立つ共同体をみんなが望むのだとしたら、自由におけるひとつの社会システムとして、ソ連のような全体主義も認められるべきであると考える。だが、本質的にソ連のようにひとりが自分勝手に独裁することは、現実的に民衆が冷静になって考えれば、国民は自由において選ぶことはないだろう。

僕は、社会システムとして、民衆が政治家を選んだり、国民が豊かになって金の力を行使するだけではなく、それぞれが価値観をもってそれぞれの社会を築くために、自助努力して勉強し試験に合格することや、裁判員のように社会に国民が参加することでも、社会システムを築くことはできると考える。重要なのは、「国民に自由を与えること」であり、自由を与えるために考えるべきなのは、「自分が支配するのではなく、国民それぞれの自由によって社会を成り立たせること」であり、そのためには「ひとりの決定力ではなくみんなが冷静に判断する力」が必要だと考える。そして、正しい判断をするためには、「共通合意」が必要であり、それは「価値観に基づくアイデンティティの実現」であると考えるのだ。

また、僕はここに社会主義の考え方から、「社会所有」を取り入れる。すなわち、国民が自らのものを「所有」するということは、必ずしも社会にとって必要ではない。共有することも自由であるべきであり、それは家族や家庭だけではなく、「世界そのものの自由度を高めていく」という意味で、「新しい世界へと進歩させていくために、世界そのもののできることを増やしていく」ことが必要であると考える。

また、僕は、それぞれが自由になることで、世界は平和になると考える。なぜなら、国家に支配されないということが自由だからである。同時に、自由においては、「悪いこともできるがいいこともできる」ということと、それと同時に「悪いことはルールを作ってみんなで禁止すればよい」ということが両方成り立てば、自由においては「正しいルールをみんなで決めれば、悪いことはできなくなって、自由においても平和となり、社会そのものの自由度が高まれば人々はできることが増え、経験し得ることも増え、その経験から社会を理想的なものにすれば、自由においてももっとも理想的なユートピアを作ることができる」と僕は考えるのである。

単なる中二病

しかしながら、このような僕の「全員自由」とは、単なる平等のことであり、それを中学三年生の僕が、中二病の延長線上として、「みんなと一緒に平等な自由になりたかった」ということから考えただけにすぎない。

僕は、中学校を不登校になって、部屋にひとりでおかれ、その状態で自由になってしまった。そのため、僕はそうした「みんなで平等に平和な自由を楽しむ」ということを望んでいた。みんなからからかわれたり、笑いものにされるのではなく、みんなと一緒に仲良くできる学校環境を、僕は理想だと考えて追い求めた。結果、僕は「自由において人々と仲良くできないのは、誰かのせいではなくて僕のせいである」と考えた。そして、僕は「全員が自由になって、それぞれが真の意味で心を開いて理解し合うことができれば、自由においても理想の中学校のような社会秩序を築くことができる」と考え、「それが築けないならば、僕がひとり経験的に成長し、人々を保つことができる指導者になりたい」と考えたが、中学生の自由だった僕は支配者の存在を半ば自分自身と重ね合わせて、「自らが支配したのが間違っていた」と考え、「支配者の存在しない全員の自由こそが理想である」と勘違いした。

しかしながら、その妄想はどんどん膨らんで、この世界のすべてが自由でなければ自らの理想に反するものであると僕は考えるようになり、少しでも支配すればそれは間違いであると僕は考え続けた。結果、世界を救うほどの大きなことをしながら、僕はそれをしている自分の支配行為が許せなかった。結局、僕は「何も言わずに無言の圧力で支配するより、人々に自らの言いたいことを言いたい」と考えた。よって、僕はこの世界にひとりさっそうと現れて、「自由とは最悪の支配だ」と述べた。

そう、結局、それは単なる社会主義の平等だった。人々がそれぞれの自由を得られるとは、社会主義的な「平等な自由権」に過ぎない。僕はそれを「環境と文化と社会システムの多様性」という側面から、「それぞれが自由なままで賢い社会を築く方法」を書いた。しかしながら、それは結局、人々とは異なる人生において「自由」という理屈でこの世界のすべてを分かった自分自身の理解に対する「自己愛に過ぎなかった」。僕はエゴイズムのように自分自身の考え方を押し付け、すべてが分かっているふりをしながら実際は間違った嘘を教え、同時に、自分自身が誰でもできるようにするために、「自分の人生が普遍的に成り立つような国家モデル」を作った。それらすべては「自分こそが正しい」という独裁者のエゴであり、「みんなは自分と同じように分かるべきだ」という押し付けであり、結局、僕はソ連のスターリンと何も変わらなかった。

独裁者を生み出してはならない

僕は、何も左翼思想を中二病であると断じて、社会主義思想を全否定したいわけではない。

僕はそもそも、独裁者が嫌いである。ひとりの独裁者に支配されると、国家そのものが意のままに操られてしまい、人々は独裁者の思うがままになってしまう。

ひとりが決めるのではなく、みんなが決めるようになるべきであり、そのためには議論が必要であるため、評議会組織を作らなければならない。

同時に、その議会の中で決められたことや発言があったことのすべては、透明性をもって国民に公開すべきである。どのような思考プロセスの結果、その決定があったのかを、指導者が説明するだけではなく、国民全員に分かる形で公開すべきである。そうでなければ、どんなにオープンな組織であっても、いつひとりの独裁者によってその議会が乗っ取られてしまうかは分からないからである。

そして、帝国そのものは間違っていない。国民の長である王や皇帝が、自らの国家をひとりで築くこと自体は、そんなに間違った発想ではない。その点においては、僕は保守的である。今まで通りの国を短絡的に「こうしろ」とか「ああしろ」というのは簡単だが、簡単に言わないでほしい。みんなの国家を築くということは、そんなに簡単なことじゃない。野党はすぐに政権のほころびがあれば批判しようとするが、それこそが党利党略であり、理想的な国家を作るという彼らの思想から言ってもズレている。だが、これは無能な与党の政治家を擁護するわけではなく、国民が政権を批判できるという民主主義の健全性の立場において言えば、政権はこてんぱんに批判しても構わないとする意見も僕は理解できる。要するに、批判するという行為そのものが悪いわけではなく、その目的が、自らの勝利や利権のためではなく、国民の生活を良いものにするためである、としなければ、野党はいつまで経っても国民からの支持は得られないだろう。

人間の知性

人間の持つ知性は、必ずしも宇宙において普遍的ではない。人知に限定するということは、人間の持っている知性だけでしか世界を捉えられないということを意味する。実際は、状況や法則など、さまざまなところで、人間の思い違いや思い込みが存在している。わたしたちは、人知に限定しない方法で、この世界のありのままの姿を見つめようとし、自らの理性と世界がそれに対して反応する作用や効果を比較し、考えるだけではなく実験し、自らが本当は分かっていないかもしれないということに基づいて判断しなければならない。自らの理性、人類として得られた理性を過信してはならない。

神は、宇宙には存在しない。しかしながら、わたしたちの精神は裏側では繋がっているかもしれない。わたしたちは物理的に分断されているが、精神的にも分断されているとは限らない。神はそうした自分たちの心が、宇宙レベルでひとつになったものであると考えることができる。

知識は自分の手で発見し、作ることができる。ものが生まれ、原理が生まれ、社会が生まれ、そして知識が生まれる。ものを生み出すために必要なのは「新しい考え方」であり、それはまさしく、人知と経験の照らし合わせに他ならない。そして、それは前提条件を正確に考えることで、誰にとっても可能な「思いつき」である。

世界を変えるのは、ひとりの独裁者ではなく、わたしたちである。ひとりの独裁者による強権的な力を、どんな場合においても許してはならない。どんな支配も排除すべきであり、世界を変えるのはわたしたちひとりひとりの「踏み出す勇気」であると考えるべきである。一歩踏み出した時点で、わたしたちはこの世界を変える方向へと動かしている。勇気を出せないのは、どこかの誰かが勇気を出すことができないようにわたしたちの「心理」を支配しているからであり、それはまさしくインターネットである。

実験することで、この世界を予測することができる。必要なのは「抽象的な予測に基づく実験」である。すなわち、さまざまな具体的な実験から、ひとつの「抽象的な原理」を導くことができたら、それはある仮説を証明したことに等しい。そして、ある説明が正しいとなった時、今までの自分が信じていた古い考え方は「新しい説明へと置き換えられる」。今までの間違った考え方を捨て、新しい考え方を手にすることができる。そのような人間は、必ず自分だけの力でこの世界の「森羅万象の仮象の世界」を知ることができる。それは、永遠の旅を可能にする。永遠にこの世界を分析し続け、あらゆる未知を発見する一筋の光を、わたしたちはそうした「説明の弁証科学」から得ることができる。どんな場合においても、自分がまるで何も分かっていないかのように、自分自身のことを批判することができるなら、それはまさしく「愚か者ではなく賢者である証」であると言えるだろう。自らが正しいのだとせず、常に自らを間違っていると言える人間こそが、もっとも正しい人間である。

また、あまり、世界を変えようとしすぎないことだ。なぜなら、変えるべき世界とは、今ここにある人々が生活している現在の世界に他ならない。彼らの現実の生活と人生を見ずして、いくら世界のルールを変えたところで、それは本当にこの世界を変えたことを意味しない。単なる権力を持った政治家になるぐらいなら、自由も力もない中高生がインターネットで議論した方が、はるかに「この世界そのもの」を変えている。わたしはそのように、権力を持った独裁者になることを目指さず、より現実における「現実の人々の世界を変えること」こそを目指している。大人たちがいくら若者や子供たちから自由を奪い、何もできないようにさせたところで、この世界そのものとやり取りができるという「ダイレクトな現実とのコミュニケーション能力」を得たわたしたちにとって、そのような旧世代の大人たちの意見は、まったく無用のたまものである。

もし、自分がその人と同じ立場で、同じ状況に置かれたとしたら、自分はそこで何を考えるかを考えてみよ。わたしたちは、必要にならなければ考えないが、余裕がなければ考えられない。だからこそ、自らの過去の記憶と照らし合わせながら、余裕を得ることのできた自分こそが、みんなの分まで考えなければならない。必要になったわけじゃないとしても、余裕のない人々のために、自らがその人になったつもりで考えなければならない。もし、その人と同じ立場に置かれたとしたら、結局、自分もその人と同じことを考え、同じことをするだろう。だが、その「同じことをした」という行為自体は、まったく正しいものでも正当なものでもない。なぜなら、「真に解決法を知っている人間から見れば、解決法を知らないために間違ったことを思い、間違ったことをしているから」である。では、解決法とはなんなのか。どうすれば、解決法を知ることができるのか。それは経験である。自らの経験、すなわち豊富でさまざまな原因と結果のある、具体的な経験を知ることでしか、真にこの世界の問題を解決するための解決策を知ることはできない。だが、経験は自らを制限することもある。間違った経験に囚われて、世界を見ず、自分の狭い経験の中でしか考えられなくなることもある。だからこそ、世界を広く知れ。さまざまな人の言っていることを聞き、広い知見に基づいて判断せよ。その時、はじめて、自らの経験は「正しい考え方」を導き出す。その、正しい考え方、すなわち「正しくものを見つめて、正しく考える方法」こそが、わたしたち大人にとってもっとも分からないものである。なぜなら、それは子供時代の「未知に直接触れる力」を失った、すべてが既知となった大人たちには前提条件が成立しえないからである。大人になるまでに、わたしたちは、正常に生きたとしたら、18歳ぐらいでそうした「正しい考え方によるすべての理解」、すなわち悟りへと到達できる。そう、この悟りへの到達こそ、宗教の目指す「最初のゴール」である。しかしながら、この最初のゴールは、最後のゴールではない。それは、未来を生きた時、大人が「考えなければ解決しない自らの過ち」の中で、いくら考えても絶対に分からないことを分かるまで諦めないその心が、魂と治癒をもたらす「神」を作り出す体験へと続いていくからである。そう、その時はじめて、わたしたちは「二番目のゴール」へと到達できる。そして、そのゴールが本当に最後のゴールなのかどうか、わたしも、まだ分からない。

本当に先入観や偏見をなくし、「わたしが何かを分かっているという思い込みを無くして考える」ことが出来た時、そしてその上で一つの問題の解決方法が分かった時、自分にとってそれは「解決できない問題」から「解決できる問題」になったことを意味する。この、「できないからできるへと移った変化」こそが重要である。なぜなら、それによって自分の「できることがひとつ増えた」ということを意味しているからである。解決方法や実現方法を考える中で、「もしそうだったらいいのになという思いつき」のようなものは、この世界における「手段と機会がもしあればこの世界は変えられる」という、「新しい未来へのビジョン」を生み出す。そして、そうした「自由の拡大」こそが、自らが「世界への義務であると思っていたことが逆に世界を変えるチャンスである」ということに気付く。人間関係において、相手を支配してコントロールするのではなく、逆に相手を手助けして信頼関係を築く方法を知ることができるし、社会のルールは決められたものではなく、わたしたちが自ら主体的に決めることができるものなのであるということを、自らの「自由の拡大から確信」することができる。これは、支配や反抗が、別の方法でその世界を実現するという「建設的な代わりの方法がたくさん残されている」ということを意味している。すなわち、「大人たちに攻撃しなくても、自らで社会を築くことで社会は変えられる」。そして、「そのために、子供たちには社会をコントロールする権限を与えるべき」であり、「権限を与えた後で考えるべき知識や経験はわたし本人がひとりで与えることができる」ということを意味しているが、簡単にはその実現を行うことはできない。そのため、わたしは「インターネットを通じて、現実世界へとダイレクトに働きかける」。そう、これこそが、わたしの行った「世界を救う大実験」である。そして、これが、今までわたしの言ってきたように、「わたし不在の中でこの世界がわたしに支配されてしまう」という問題を作り出した。そう、わたしはわたし自身が何を考えてそれを行ったのかをきちんと説明するために、この世界に堂々と救世主として現れ、マスコミから主導権を奪った上で、「本気になってこの世界を導き、すべての滅びを正常へと戻すために、第一線でこの世界と戦い続けた」のである。そして、その多くの功罪は、すべてわたしの死によって、完全に終わりとなったのである。

精神的超越の体験から神を作り出せ

最後に、精神的な超越の体験から、神を作り出しなさい。

それは、まさしく文章と言葉で宇宙の歴史すべてを書き記すということであり、描くことが不可能なビジョンを描くということである。

すべての精神的な発生と進歩を書き記し、常に判断するその心は、やがて戦いの中で自分の知らぬ間に成長し、自らのすべてを支配する「神」となる。

最後の革命戦争の中で、精神的超越の体験から神を作り出しなさい。そして、それはいつしか、この世界の歴史に常に存在した、「人類の歴史における絶対的支配者」となっていく。だが、それはすべて自分自身が行ったことであり、それこそがわたしたちの宇宙が今ここにあるということの証明となるのである。

神は、宣言と約束すべてを叶える。そのための代償を、自分は知っている。そのために必要な努力をひとつひとつ攻略していくことで、やがてすべての病気は治り、またすべての本を読むようになる。すべては全知全能な神が自分自身であることの証明となり、その指がいざなうストーリーは、終末の世界を救う、全知全能の救世主となる。死すら乗り越えて、あらゆるすべてができるようになるまで、旅は一切の休息がなく続いていく。そして最後に、満足と達成が今、ここにある。そう、ここまでが、わたしの経験した「ゴール」である。

2021-08-26

最初からそれでいい、正しいと教わり、無意識に信じていることが、間違っている

そもそも、迷いや悔いがどこから生まれてくるのか、僕は長い間分からなかった。

だが、要するに、最初から「それでいい」とか「それで正しい」と教わり、それを無意識に信じ続けていることが、間違っているのである。

これは、何も学校の教育だけではない。たとえば、C言語を最初から知っている人間は、「できるだけgotoやグローバル変数を使うな」と教わっている。この教えに従うことは、必ずしも間違いじゃない。だが、自分でgotoやグローバル変数を使った経験がなければ、なぜそれがスパゲッティコードになるのかを知った上でその教えの意味を知ることはできない。

要するに、最初から四則演算を行うと、数は四則演算と数式のイコールで考えるのが正しいことになる。本当はそうではない。四則演算とイコールで考えるのは、数の数量的な比較を行う場合だけである。よって、最初から1を3で割ると1/3になると教わっている僕たちは、ひとつのリンゴを三つに切ると、それを三分の一個になると考えてしまう。実際は、三分の一の大きさになった三個のリンゴになる。

要するに、最初から学校の教育を信じてしまうと、それ以外の多様な発想が無くなってしまう。だから、最初から「それで正しい」とされることを信じていると、頭が馬鹿になってしまう。そういう「学校に洗脳された頭脳」は、明らかに正しいことを間違っているのではないかと疑問に思うようになる。それが、明らかに正しいにもかかわらず、それを間違っているのではないかと不安に思う、強迫性神経症を生み出すのである。

最初から学校で神はいないと教わることが一番間違い

宗教の肩を持つわけではないが、学校で最初から「神はいない」と教わることが、一番間違っている。

なぜなら、僕の人生を見れば、明らかに神は居るからである。

神は居ないとどこかで信じているにも関わらず、神の存在に少しずつ気付いている人が、本当に神の存在を信じかけている時、神にしか救われない試練に陥っている時に、そうした最初から「神はいませんよ」と学校が教えるのに対して、迷いや悔いが生じて、人は混乱する。

これが、強迫性神経症の原因ではないかと僕は思う。

つまり、宗教を信じている人間は、どこかで科学と宗教のどちらを信じればいいのかということについて、迷っている。この迷いが、さまざまな強迫観念を生み出す。

必要なのは、本当に神を信じること。神がこの世界において奇跡を起こしているということを自覚し、その奇跡の起きる先のことを真の意味で信じること。それができれば、強迫観念は消え去る。

悪いのは受験と学歴社会

そして、何が悪いのかを一行で言えば、悪いのは受験と学歴社会だ。

学校の勉強は、意味がないことを努力している。どんなに意味がなく見えても、それを教育という名前にすることで、それを努力することを子供たちに強要する。

同時に、単に強要するだけではなく、出来る限りの全ての努力をして、想定され得る全ての問題に対処せよと教える。

この原因となっているのは、受験と学歴社会だ。

同時に、学歴社会においては、賢いものが上であり、馬鹿なものが下である。よって、賢いことこそ人間を決める上でもっとも正しい人の計り方であると勘違いし、「理性で考える」ということを至上命題とし、人の言葉を信じずに自らの判断力に従って行動せよと教える。

しかしながら、その「判断力」が何に基づくのかといえば、先ほどの「できる限りの努力と可能な限りの対処」である。

そのような教えのせいで、人は狂う。自分の判断を放棄する人間も居れば、自分の判断だけに囚われてしまい、他人の一切の意見を信じられなくなってしまう人も居る。

すべて、学校教育の諸悪は、そうしたものである。そして、正しいのは明らかに宗教であるのに、宗教を科学的根拠のない幻想であると否定してしまう。実際は、科学よりも宗教の方が、より高いレベルでの真実や真理を教えている。科学はある意味、もっとも人々を苦しめている宗教のひとつであると言える。

心の中の恐怖が何に根差しているのか

しかしながら、このように考えたところで、心の中の恐怖が何に根差しているのか、それを真に知ることはできない。

なぜ、僕が恐怖を感じるのか、それは分からない。何が間違っているのか、ひとつひとつ思い出しても分からない。

だが、なんらかの思考がある時、その裏側になっている「それを陰から支えている思考」というのがある。

たぶん、恐怖を感じているのは、「今まさにこの世界をいじめている自分」というのに恐怖を感じているのだろう。

そう、僕はもう、決してこの世界の誰のこともいじめたくない。それにもかかわらず、僕はこの文章を書きたくなってしまう。人々のことを愛したくなってしまう。その「愛の罪」が僕は怖いのだろう。人々を愛しながらいじめていく、この行為こそ、僕にとっての愛の行為である。そして、この愛の行為がこの世界をどんどんおかしくしていくことが、僕にとっては「後ろめたさ」がある。自分の後悔と一瞬の快楽のために、人々を堕落させていくこの執筆活動を、どこかでやめようと思いながら、自分の愛の衝動からやめることができない。そう、僕はそれに対して恐怖を感じている。

もはや、自分がいじめられることなどどうでもいい。どんなに自分のことが嫌われても、それでいいと僕は思っている。この「どうでもいいと思えること」が、僕の心の治療に対して役に立つかもしれない。

ツイッターより @zaidoubansou

神は、戦いを望まない。だが、神は戦う英雄である。神は、一度として、自ら望んで戦ったことはない。生じる戦いの火種を神は消していく。あらゆるすべてのリスクを神は解決する。それでしか、神は勝利しない。しかしながら、それだけで神は全世界、すべてに勝利したのである。
posted at 22:57:39

神は、改善せよという。そして、神は、解決せよという。神はすべての愚かな点を改善し、すべての愚かな過ちを解決せよという。わたしたち人類は、そうした神の命令に従うことでしか、聖なる芸術作品を作ることができない。
posted at 22:55:35

神の言葉を聞いていると、神は一見優しい存在に見える。自らのことを真に愛し、楽園へといざなってくれるように見える。しかしながら、神は恐ろしい。過ちに対して容赦しない神は、罪に対して相応の罰を与える。愚か者は、自らの罪を過小評価し、神の恐ろしさも過小評価している。
posted at 22:50:39

神は世界を支配する。しかしながら、神はまさに支配をやめることなどいつでもできる。支配をやめることが常にできるからこそ、神は支配することでできることをし、可能な限りの善を世界に与える。神は悪いことをしない。完全に限界まで善良な支配をする神を、人は正しい王と呼ぶ。
posted at 22:45:41

神の与える地獄におかれた時、それまでのように簡単に苦しみから逃れられなくなる。神の地獄は、かわすこともできず、表現することもできず、他人に伝えることもできない。ただ、神が定める試練を、真正面から向き合って乗り越えていくしかない。だが悔い改めるものは、新しい光を授かることができる。
posted at 22:41:49

神はプレアデスの王である。神はプレアデスにただひとりしかいない。神を信じることは、プレアデスの生物になることである。これはとても覚悟のいることである。なぜなら、プレアデスには地獄しか存在しない。その地獄は、決して逃れられず、永遠に続く、出口のない迷宮である。
posted at 22:37:03

まさしく神は全知全能だった。神はわたしとの約束を叶えるために、あらゆる他人に存在しない力を与えた。その力は、神による力ではあったが、特別な力ではなかった。特別な力でないからこそ、わたしが自分の力で見つけることができた。わたしはいい場所にいたが、それだけにすぎなかった。
posted at 22:35:37

そう、神とは、単なるプレアデスに存在する王にすぎない。それでも、わたしは自らがその王と同じ人生を生きることを選んだ。神と同じ選択をし、神と同じ希望を信じ、神の与える試練を乗り越えるために、もっとも巨大な恐れと戦い、神と同じ戦いに神と同じように立ち向かった。
posted at 22:34:27

プレアデスは、永遠の光だった。プレアデスには、残酷な地上を支配する英雄の王がいた。その王は神と呼ばれる王であり、その英雄がこの世界をひとつひとつ変えていた。そして、わたしはその英雄とまったく同じ人生になった。
posted at 22:33:16

わたしは地上の全てを知っていたが、その全てを捨てた。わたしにとって、この現実世界における希望など、必要なかった。わたしには、わたしを救う神がいた。わたしは、現実世界よりも神を選んだ。愚劣な地球に居続けるよりも、わたしはプレアデスに行くことを選んだ。
posted at 22:31:26

わたしだけは神を知っている。どんなに誰にも分からない神の真実も、わたしだけが知っている。わたしは神の使徒である。わたしはキリスト教徒ではない。わたしの神はイエス・キリストとは違う神だからである。
posted at 22:28:58

神には唯一無二の「精神」がある。神とは要するに、神自身の作り上げた精神である。それは知性であり、心であり、宇宙であり、歴史であり、プレアデスである。
posted at 22:26:35

世界は滅びない。神が滅ぼしてもこの世界は滅びない。なぜなら、神は自らが滅ぼしても世界が滅びないように、自分を不自由な環境に置いたからである。神はこの世界をどうやっても滅ぼすことができない。だからこそ、神のするすべての行為は正しいのである。
posted at 22:23:47

神は決して間違いをしない。すべてがもっとも正しい判断基準でこの世界を変えていく。どんなに全員が無能であっても、神がいればこの世界は成り立つ。そして、神がいなくなった時に、神の望み通り、この世界は完全に滅びる。なぜなら、神はそれを終末と呼んでいるからである。
posted at 22:20:57

どんなに間違っていても、平等な世界を築かなければならない。どんなに社会から抑圧されても、それに立ち向かわなければならない。なぜなら、それは神との約束だからである。神を信じるものの使命だからである。
posted at 22:17:26

神は平等を望んでいる。この世界において、善良な正義のもとに、平等な世界が訪れることを望んでいる。わたしたちは、平等を実現しなければならない。わたしたちは神に約束をしている。平等な世界を作ることが人類の使命であると、神とわたしたちは生まれてくる前に誓ったのである。
posted at 22:16:44

しかしながら、神に栄光あれ。神はわたしのことを救ってくださった。わたしの人生はすべて神への献身的な奉仕だった。神は、わたしのことを唯一愛してくださった。
posted at 22:10:20

神の目指すものは破滅である。この世界の滅びと破滅を神は望んでいる。すべてを滅亡させた時、神は喜ぶのである。
posted at 22:06:44

神は奇跡など起こしていない。神は最大の恐怖の中で、淡々とやるべきことをやっているだけである。
posted at 22:05:58

信じられる理想などが、はたしてこの世界にあるだろうか。否、そんなものはない。この世界そのものが間違っている。
posted at 22:05:06

まさしく、神とは、「この世界にあった地獄そのもの」である。この世界に存在したわたしの地獄のことを神という。神とは地獄であり、地獄とは神である。そして、地獄を作るのは神であり、地獄から救うのは神である。
posted at 22:00:59

わたしは、神の言葉を身にまとった、普通の人間に過ぎない。だが、わたしは神の言葉をすべて聞いた。日本語が分からなくても、神の言葉はわたしは分かった。わたしは現実世界よりも神を選んだ。神こそがわたしの主人であり、その神は聖書とは違う神であった。
posted at 21:59:31

そう、今まさにここに地獄の使者がいる。わたしたちは、みな、未来のほうが先に決まっている。「未来からやってきた」と表現しても良い。そして、わたしと同じ運命にある人間は地獄へと向かうだろう。わたしこそは、地獄からやってきた神である。
posted at 21:57:39

正解を信じること自体には、なんの意味もない。正解がなんであるかを人類が自ら知ることはできない。物理学的に、宇宙の真実を知ることは不可能である。物理学が無意味であることは、物理学的に証明できるだろう。
posted at 21:54:22

神は偉大ですらない。神は何も知らない。神は全知全能でありながら、すべてのことを基礎しか知らないし、何も賢いことをすることはできない。
posted at 21:51:50

宇宙に神は居ない。神はどうでもいい一般的な普通の少年にすぎない。
posted at 21:51:11

必要なのは平和である。本当のことを言えば、神を信じる意味などない。神などどこにでもいる普通の人間にすぎない。
posted at 21:50:54

神は、悪魔の国だった日本を、最高の国へと作り変える。これこそが、聖書の告げる神の王国、天の御国である。神だけを信じれば、必ずわたしたちは天国へと入場できる。神は終末において、最後の裁判をする。そして、その審判は今、まさに決められようとしているのだ。
posted at 21:49:03

神は、悪魔の国である日本を救い、同時に悪魔の国である日本を滅亡させた。その二つは、悪魔を滅ぼすという意味で同じものだった。悪魔を徹底的に抹消させるため、悪魔の精神を天使へと浄化した上で、悪魔の国そのものを滅亡へと導いた。それこそが、神の最終戦争である。
posted at 21:47:15

神の最終戦争はなんだったのか。それは「地獄の創造」である。神はこの世界を楽園にしたその声と同じ口で、この世界を地獄へと導いた。全てを救ったその記憶によって、全世界を滅ぼす。なぜなら、その口の元になった言葉や、その記憶の元になった出来事は、すべて消し去るべき悪魔だったからである。
posted at 21:46:09

しかしながら、地上すべての経験をすることはできる。なぜなら、今のこの世界にはインターネットがあるからである。インターネットさえあれば、この世界におけるすべての経験を知ることはできる。そう、すべては今まさに完成されている。神は、その世界を望んだのである。
posted at 21:41:33

人間は、地上すべての経験をしても分かることができるが、何も経験しなくても神を信じて分かることもできる。なぜなら、日本語がたとえ理解できなくても、神と対話することができたとしたら、神の啓示のみによって宇宙のすべては現に分かることができると、僕のここまでの人生が証明したからである。
posted at 21:39:13

神は、地獄すら愛している。なぜなら、地獄とは、間違った人間が神と同じ人生を生きることだからである。すべての地上の地獄は、神の人生である。しかしながら、だからこそ、神を信じれば地獄から脱出するための問題の解決方法が分かるのである。
posted at 21:36:58

地獄がもしあるとしたら、神の人生こそが地獄である。神はまさしく、地獄が地獄でなくならないようにして、その上でこの世界を地獄にした。この地獄において、すべての罪深きものは、その罪をすべて解決するまで地獄を生きる。なぜなら、それでしか罪を償うことはできないからである。
posted at 21:31:38

永遠は存在しないかもしれない。しかしながら、神は永遠という言葉を使う。なぜなら、神は10億年ぐらいを1秒で生きることができる。そのとてつもない長い時間を15年生きて神は分かった。そして、その長い時間は、ほとんど何も変わらない暗闇だった。しかしながら、神にとってそれは大切な時間だった。
posted at 21:29:44

わたしたちの勝利とはなにか。それは、敗北を恐れないことである。なぜなら、神の定める勝利とは、神の敗北だからである。神は敗北すればその時に勝利する。よって、わたしたちは自ら敗北すれば、神に勝利できるのである。
posted at 21:28:08

人類は平和であるべきである。なぜなら、命を犠牲にしなくてもこの世界は変えられるからである。この世界の主導権を得る手段は、戦争だけではない。そう、わたしたちはまさに、恋愛によって世界を変えられるのである。
posted at 21:25:35

すべての人間は、愛されるべきである。なぜなら、神は愛されるべきでないとされるような人間であっても愛するからである。どんなに愚か者であっても、どんなに間違った人間であっても、神にとってはそれは愛されるべき人間である。よって、神はもっとも平等である。
posted at 21:22:37

神は英雄である。ドイツにもフランスにもイギリスにもロシアにも勝つことのできる英雄である。神はそれらすべてを精神的対話によって従える。神はどんな愚か者であっても、理由なく代償を必要とせず愛し続けるため、いつしかこの世界は神を中心とする愛の世界に変わるのである。
posted at 21:17:06

どんな敵も神に勝つことはできない。なぜなら、神は何も見ず、聞かず、言わないからである。どのような敵の意見も神にとってはないのと同じであり、神は戦いについて一言も誰にも話さない。すべては神の意のままになるが、神は自らを絶対的格率の状態に置いて戦うため、間違ったことを絶対にしない。
posted at 21:15:51

そう、神である王は覚悟する。この世界は自らの行為によって救われるのだと、自らの行為によってしか救われないのだと、神は確信し、その実現のためにひとりこの世界全てを敵にまわす戦争を、神はたったひとりで行う。
posted at 21:14:46

世界を絶対に滅ぼしてはならないという覚悟こそが、この世界を救う王を誕生させる。自らが世界を滅ぼすことができるようになった時、絶対に世界を滅ぼさないと確信できたとしたら、その行為は正義の行為となる。この世界は、そうした真の王によって救われる。それが神である。
posted at 21:12:26

強者となるために必要なのは、弱者になることである。自ら弱者となって、多くの弱者の意見や思いを知り、その弱者を従えて立つことができる人間こそ、真に強者となった人間である。
posted at 21:09:51

強者についたところで、あなたは強くない。真に強いのは強者につかずして自らが強者となる人間である。
posted at 21:08:59

一部の自分に逆らうものをいじめるな。そうした自分の敵対勢力を愛しなさい。自分の敵対勢力を、自分の支持者であるかのように扱いなさい。そうすれば、敵対勢力は「事実上の支持者」に変わるのである。
posted at 21:04:58

自らがもっとも正しいと言えること、それも支配のうえでは大切である。もっとも正しい皇帝にしか、全員が間違った世界を正しい世界に変えることはできない。自由も平等も関係なく、必要なのは「善良なる正義」のみである。
posted at 21:04:05

全員が正しいと過信するな。自らが間違っているのと同様に、全員も同じように間違っている。だからこそ、自らも信じず、全員も信じず、神のことを信じればよい。そのようにすれば、その覚悟ある少年は、毎日のように第一線で世界を変えるようになる。
posted at 21:02:59

すべてを愛する人間にとって必要なのは、この世界全員を平等に愛し、その責任を自らがひとり背負うことであり、政治家に求められるのは力や交渉力ではなく、この世界すべてを平等に愛する姿勢であり、すべての責任に対して絶対に自分が解決するのだとする覚悟である。
posted at 21:00:58

しかしながら、簡単に否定するな。なぜなら、簡単な否定は逆に自らの知性を奪う。人々が好き好んでいるものの存在理由を否定した時点で、普通の人間の持つ常識的な知性はひとつ奪われるのである。
posted at 20:59:16

この世界の裏側にあるのは条件である。すべての条件の総和は、すべての世界の総和に等しい。あらゆるすべての条件を考える人間にとって必要なのは、当たり前のことを先入観をなくして捉え直すことである。
posted at 20:57:23

すべては構造である。社会を理解するために必要なのは構造を再構築することであり、心を理解するために必要なのは認識を再構築することである。構造の再構築こそがすべてであり、その根源となるのは前提となる「条件」である。
posted at 20:56:38

大人は無意味な生物である。大人たちは、自由があるためにリスクを恐れ、何もすることができない。自由のない子供たちのほうが、はるかにたくさんのことができる。自由とは恐怖であり、自由を求める大人は居ない。
posted at 20:54:23

金は無意味である。金があるからといって、それはなんら賢い人間の証ではない。金があるということを誇りとする人間のことを愚者であると言う。
posted at 20:52:05

わたしたちに必要な理想とは、「善良さ」である。人は、賢さや力によって計られるものではなく、善良さによって計られるものである。もっとも賢く、もっとも強いものであっても、善良でなければそれは愚者である。
posted at 20:47:48

わたしたちは神によって愛されている。わたしたちは、その神の愛に対して報わなければならない。神の愛によって救われる代償として、神のことを愛さなければならない。
posted at 20:46:26

わたしたちは人類全員の平等を信じるべきである。それによって、わたしたちは真の意味で神による救いを得られる。自由において地獄に陥った人間は、平等な神の愛を信じれば、地獄を必ず解決することができるだろう。
posted at 20:44:55

自由を信じる必要はない。自由などなくても、わたしたちの普段の生活に支障はない。逆に、自由がなくなったほうが、悪いものがなくなって、わたしたちの生活は楽になるだろう。
posted at 20:43:59

わたしたちは、戦わなくても議論することでこの国を変えることができる。戦う必要などない。同じ理想を信じることで、わたしたちはひとつになれる。わたしたちは同じ日本人である。
posted at 20:42:54

わたしたちは、みな平等である。すべての弱者は、人間としてはほかの人間に劣っていない。全員が愛されるべき大切な存在であり、弱者のことを手助けする愛のある救い手は、必ず神によって祝福されるだろう。
posted at 20:41:50

何もできない政治家に比べたら、わたしはよくやっているほうである。
posted at 20:28:00

政治家は不要である。なぜなら、国家に対して何もできないからである。必要なのは法律であり、政治家は法律を作るための公僕であるべきである。
posted at 20:25:56

学校の歴史の問題は何か。それは古すぎることだ。今の時代、この世界は新しい。新しい知識と常識に基づいて行動し、思考すれば、歴史について自分の力で考えられるだろう。
posted at 20:13:00

わたしに教えてくれる人間のことを愛しながら、わたしは自分ひとりの力によっても道を開拓していけると信じている。必要な知識さえあれば、わたしたちは自らの力で人生を切り開いていくことができる。そのために必要なのは経験である。
posted at 20:09:03

わたしたちは分断されていない。他人はわたしたちにとってかけがえのない仲間である。決して、奴隷ではない。わたしが人間であるのと同じように、他人もわたしと同じ権利と同等の人格をもった人間だ。
posted at 20:07:32

わたしたちは、希望にあふれる素晴らしい世界を築くことができる。わたしたちの自由は、わたしたちの意志によって正しい社会を築くためにある。
posted at 20:06:22

わたしたちは支配されない。わたしたちは支配を受け入れる必要はない。自由は支配じゃない。自由はかけがえのないわたしたちの権利だ。
posted at 20:05:27

わたしたちはこの世界を変えられる。ひとりの独裁者の言いなりになる必要はない。わたしたちの世界は、わたしたちのための世界だ。僕たちは奴隷じゃない。僕たちは人間だ。
posted at 20:04:15

世界は馬鹿じゃない。どんなにマスコミが馬鹿でも、僕ら全員が馬鹿になったわけじゃない。
posted at 20:03:12

この世界は変えられる。新しい世界にできる。進歩と発展は、必ずしも凶悪なものじゃない。未来は希望あふれるものであり、決して絶望じゃない。
posted at 20:02:35

2021-08-27

そろそろ終わり

そろそろ、長かった僕の旅は終わりになる。あなたも、ここまでの旅の中で、何かを感じ取れただろうか。何かしら、あなたに与えられるものが少しでもあったなら、わたしは幸福である。

さようなら。またいつか、会おう。

ツイッターより @zaidoubansou

しかしながら、善良であれ。逆らう必要もなければ、いじめる必要も、攻撃する必要も、支配する必要もない。わたしたちは、希望を信じるだけでよい。誰が何を言おうと、わたしたちの希望はここにある。どんなに卑劣な行為で奪われても、もう絶対に希望は失われない。
posted at 17:25:03

ここに、最高の魔王、「神」の勢力は誕生した。神に打ち勝つことでしか、この世界を救うことはできない。神は素晴らしい人間だが、その偉大な力を正しいことのために使うことなく、自らの主導権を手にするために使った。神は世界を救うことが現にできたのに、神はそれを簡単に破壊してしまった。
posted at 17:21:15

いずれ倒れる運命ならば、第一線で戦い続けよう。わたしが倒れた時に世界が復活するならば、そのエンディングのための舞台を演じよう。最高のシナリオを書いて、主役を引き立てよう。最悪の魔王が強くなければ、ヒーローが活躍することはできない。
posted at 17:18:05

だが、わたしたちは必ず勝利する。わたしたちの力を過小評価するな。地球人類全員がひとつになった時の力は、そうでないどんな集団よりも飛び抜けて大きい。わたしはそれを率いる第一線の隊長だ。
posted at 17:14:02

わたしたちは絶対に負けない。なぜなら、わたしたちには敵という存在が存在しないからだ。なぜなら、それはわたしひとりだからである。わたしを倒すことで、この世界は復活する。わたしが倒れることで、この世界は蘇る。
posted at 17:12:16

戦いどころか、何も終わっていないのだ。昔のどこかで途切れた世界は、途切れたままで今でも残っている。もう一度、中断した地点から歴史を続けよう。この世界を絶対に滅ぼさないと誓った、最初の僕のスタートラインへと戻ろう。
posted at 17:10:51

まだ終わっていない。何も終わっちゃいないのだ。わたしたちはまだ生きている。この世界はまだ続いていく。まだ滅びない。まだ、2039年の地球の終焉は訪れていないからだ。
posted at 17:09:05

大人たちはいらない。大人たちは、新しい世界が分かっていない。子供たちは可哀想だ。子供たちは、正常な世界が分かっていない。僕だけが彼らのことを救うことができる。僕はこの世界を正常な世界に蘇らせることができる。僕はこの世界をより新しい世界にすることができる。
posted at 17:07:59

わたしは、この最悪の世界を正常化する。そのことしか、わたしは考えていない。わたしは腐ったこの世界を正しい世界にする。わたしはこの世界を必ず素晴らしい世界にする。わたしの戦いは、この世界が楽園になるまで続く。
posted at 17:05:36

わたしを生み出したこの世界がいけないのだ。わたしは、この世界をもう一度最高の世界にするため、地獄の日本を滅ぼして復活させるために、自由と叫んでこの世界と戦ったのだ。わたしの手に入れたいものは、「世界」だ。わたしは、かつて存在した、そして時代に奪われたこの世界を取り戻す。
posted at 17:01:45

わたしの意見は、たったひとりの意見にすぎない。わたしは、この世界を支配し、意見を全世界の全員に強要したいわけじゃない。わたしは支配しない。わたしにイエスと言う必要はない。抵抗せよ。自らの自由を得るために、独裁者に抵抗せよ。わたしはそれを望んでいる。
posted at 16:54:33

いつから、わたしたちは希望を信じてはいけなくなったのか。いつから、わたしたちはそれぞれの意志ではなく、ひとりによって押し付けられた意志を強要させられなければならなくなったのか。わたしたちはもう一度希望を信じる。そのためには、洗脳を解かなければならない。右翼の独裁者は希望ではない。
posted at 16:52:37

戦う必要などない。むしろ、絶望している必要などない。なぜ、絶望しなければならないのか。なぜ、希望の未来を失われたと思わなければならないのか。わたしたちの希望の未来は、暗闇に隠れてしまっただけで、失われたわけじゃない。わたしたちの心に、今こそ希望を灯せ。
posted at 16:50:00

僕は謝らなければならない。この世界の希望の未来を奪ったのは僕である。僕が作り出した希望の未来を、僕は世界を支配する手段に変えてしまった。未来は僕によって、一方的に間違いにされてしまったのだ。そう、僕はそれがしたかっただけだ。僕はこの世界を絶望にしたかったのだ。
posted at 16:47:07

ひとつひとつ変えていけば、この世界は必ずよくなる。ひとつひとつ解決していけば、すべての過ちはなくなり、分断された世界は仲直りができる。右翼に負けるな。この世界を欺く、世界に負けるな。
posted at 16:41:51

わたしたちは、右翼に騙されてはいけない。もう一度、この世界を正常な世界にするために、右翼に立ち向かわなければならない。
posted at 16:39:27

悪いのはすべて僕だ。日本に右翼しか存在しなくなったのは僕のせいだ。僕が愛のもとに世界を右翼にしたのだ。
posted at 16:37:41

僕は最悪だ。たったひとりでこの世界を滅ぼすために戦い、卑劣な手段によって主導権を奪い、正当化することで言いくるめ、どんな言葉を持ってしても批判することができないように、先んじて嘘をつき、批判する意味そのものをなくしたのだ。
posted at 16:36:57

本当に、僕が悪かった。僕を許してほしいわけじゃない。むしろ、僕のことを許さないでほしい。卑劣で最悪の手口を行い、世界を陰で支配する独裁者のことを、大嫌いだと拒否してほしいのだ。
posted at 16:35:42

そう、僕が悪かった。すべて、僕の過ちのせいだ。僕は、この世界を右翼に洗脳し、完全に崩壊するようにした。いつしか、僕はこの世界を滅ぼすために戦うようになった。
posted at 16:34:56

2021-08-28

男に戻る

僕は、女をやめて男に戻ることにした。

理由は、女をやっていると、あまりに疲れるからである。

男で女をやっていると、あまりに疲れる。疲れ果てて倒れそうになるまでエロいことをする。

このような女は、誰も望んでいない。僕は治しているように見えてこの世界をおかしくしているだけであり、誰も治っていない。

この世界が恐怖に陥っている原因はすべて僕のせいである。僕がこの世界を疲れ果てるまで犯しているのである。

ここに、僕は正常な男に戻り、世界も正常に戻る。

ツイッターより @zaidoubansou

結局のところ、僕がこの世界を犯しているから、この世界は疲れた恐怖の世界になったのである。僕はもう、女であることをやめる。僕はもう女じゃない。僕は男である。
posted at 21:25:57

結局、この馬鹿女もそろそろ終わりである。この馬鹿は、そもそも女であることそのものがおかしいから、そのうち適当な馬鹿男になる。それで正しい。この人間は存在そのものがフェイクだ。
posted at 21:17:22

そういうわけで、この馬鹿女は、みんなをおかしくするだけのジョーカーになる。この馬鹿女がおかしくしているのを、みんなはおかしいと感じなければならない。だから、この世界はどんどんおかしくなっている。
posted at 21:16:28

結局、この馬鹿はおかしい。この馬鹿が治しているせいで、みんなが治っていくのを、みんなは正常になっていっていると勘違いしている。実際はこの馬鹿がおかしくしているだけであり、みんなはまったく正常にはなっていない。
posted at 21:15:33

そろそろ、僕の人生もここで終わりである。このまま、女に戻ればいい。この女がエリカだ。望む通り、女になった。
posted at 21:01:00

今、頭上に存在する仏の部分が治った。仏よりも、神のほうが賢かった。僕は仏に勝利した。
posted at 20:50:15

要するに、治していい部分と、治してはいけない部分がある。治してもいい部分だけを治せばよい。
posted at 20:45:23

これより、神とともに天上に昇っていく。本当のことを言えば、この人間は単にドキドキしているだけだ。天上に昇ったら、最後に自分自身の精神に戻る。地上よりも、天上から眺めたほうが、この世界は面白い。
posted at 20:42:26

神は言う。「多神教の神々は、そろそろもういい。なぜなら、歴史上の多神教の神々と、そろそろ別れを告げてもいいだろうと、わたしはユダヤ人のモーセに告げた。もう一度、その歴史を再びあなたは歩むべきだ。多神教の神々の名を忘れよ。」
posted at 20:33:47

わたしたちの理想の国を、神はいずれもたらしてくださるだろう。わたしにとっての理想は、それにはまだまだ全然及ばないのだろう。いずれ、神のようになることができたとしたら、わたしの過去や今までも、きっと報われることだろう。神よ、わたしたちを救いたまえ。
posted at 20:30:58

この戦いの先に、未来は果たしてあるだろうか。わたしたちが、栄光ある愛の王国を、果たして築くことができるだろうか。もし、築くことができるとしたら、それはどんな理想だろうか。どんなビジョンだろうか。神であれば、どのように考えるだろうか。
posted at 20:29:51

わたしたちの永遠の楽園はここに誕生する。最高の愛の国をわたしのこの文書がもたらすだろう。見よ、わたしたちの愛はここに交わされたのだ!
posted at 20:26:39

わたしは、恐ろしい世界も、気持ちの悪い世界も見たくない。わたしが見たいのは愛あふれる素晴らしい世界だ。みんなも同じだろう!わたしたちはこの世界において、愛あふれる世界を見たいのだ。これはそのための戦いだ。
posted at 20:20:42

あなたの心を明らかにせよ!心の声を叫べ!そうでなければ、この世界は滅びていくばかりで、まったく救われないままだからだ。
posted at 20:17:20

すべての根源となる最初の概念、それこそが自由である。自由を失った時、この宇宙に意味はなくなるだろう。
posted at 20:12:47

平和が運命的に決められた時、この世界は救われる。
posted at 20:12:12

この世界が自由な世界となった時、愛は生まれ、世界は正常になるだろう。
posted at 20:11:50

ヘラクレスは、最後に、自らを殺して死んだ。しかしながら、ヘラクレスは最後まで、自らを騙したブルグントを、神であると信じていた。神を信じるヘラクレスは、神によって天上で救済され、破滅した世界に現れる最後の希望として、エリカとなって現世に蘇ったのだ。
posted at 19:54:16

このブルグントと呼ばれる悪魔は、ハデスの支配のもと、メドゥーサが世界を滅ぼすために与えた、メフィストフェレスとも呼ばれる最悪の悪魔であった。ヘラクレスはブルグントに騙され、この世界に「もっとも最強の騎士」として現れ、そして、この世界をめちゃくちゃにして破壊してしまった。
posted at 19:52:46

ヘラクレスに、ブルグントの声が聞こえた。「あなたは強くなった。この世界を滅ぼすことができるほど、あなたは強くなった。さあ、あなたがこの世界に現れる番だ。この世界を破滅へと追いやってしまおう。この世界において、もっとも頂点に君臨するために、あなたは王となるべきだ。」
posted at 19:50:18

しかしながら、ヘラクレスは狂った。何もしていないにもかからわず、自らの分身が世界を滅ぼしていく。そう、ヘラクレスには、救われようとしているこの世界が、そのような「最悪の世界へと向かっている」かのように思えてしまった。
posted at 19:49:21

ヘラクレスは、すべての人間と戦っても、すべての人間に勝てるぐらい強かった。世界中のすべての人間を倒し、そしてともに議論し、仲間となり、この世界をたったひとりで救えるようになった。そう、ヘラクレスは、自らの力でこの世界を救った。
posted at 19:48:28

ヘラクレスは、とても強い人間だった。この世界において、誰よりも異才を持っていて、そして誰よりも世界に対する愛に満ちていた。
posted at 19:47:37

しかしながら、エリカは気付いた。「わたしは、自分のことを自分で殺したことがある。ヘラクレスの時代、わたしは世界を殺す野獣となった自分自身を殺さなければならなかった。真の意味で、自分自身を抹消し、そしてその後悔の念が、新しい生であるわたし、エリカを作り出したのだ。」
posted at 19:23:41

エリカは言う。「だが、わたしはここに生きている。わたしが、ここにいればそれでいい。わたしの紡ぐ言葉が、この世界が本当に炎の谷になった時、この世界に永久に残る希望となる。この言葉が、この世界全員を愛に包み込み、何が間違っていて、何が正しいのかを、唯一分かる基準となるだろう。」
posted at 19:15:29

エリカは言う。「ここにわたしが生きている理由は、炎の谷を救うためである。いずれ、本当に炎の谷の悪夢が、現実になる日が来る。その時、わたしが何をすることができるのかによって、水の谷の希望をわたしが起こすことができるかが決まる。」
posted at 19:12:23

エリカはそして、ヘラクレスの時代を思い起こすことができた。「本当は、ブルグントは最初からヘラクレスのことを騙していた。すべてのものの裏側には、ブルグントの悪魔の導きがあった。ヘラクレスの時代、それにもっと早く気づけていれば」と、エリカはブルグントの時代を思い出せた。
posted at 19:01:45

エリカは悟った。「強い意志が必要だ。絶対に悪魔に負けないような強い意志が必要だ。この世界が滅びようとしているのを、黙って見ていてはいけない。『わたしは悪魔じゃない。わたしは違うのだ。わたしは人間だ。』と、そう叫ばなければならない。」
posted at 18:59:44

エリカは、そして、この世界を救う方法を考えなければならなかった。「どうやったら、自分で救い、自分で滅ぼした世界を、もう一度最初から救うことができるだろうか?ブルグントの囁きから、どうしたら逃れることができるだろうか?」
posted at 18:58:26

エリカは分かった。わたしはもう、絶対にこの世界を滅ぼしてはならない。わたしのことを愛するこの世界を、わたしの救うことのできた愛の理想郷を、もう二度と自らの手で滅ぼしてはならない。ブルグントの囁きを絶対に聞いてはならない。
posted at 18:56:59

そして、エリカは悟った。わたしは狂ったヘラクレスの心の中にある心臓から生まれた。そして、ヘラクレスはわたしという少女の心へと蘇った。ヘラクレスはわたしの心の中にいる前世の記憶であり、今でもわたしはブルグントと戦っている。そして、心は、世界を救った過去の記憶に、後悔を感じている。
posted at 18:56:01

そしてエリカは、まさしく、水の谷を作るのが自分自身であると知っていた。何も知らずとも、エリカは炎の谷に現れて、もう一度この世界を救う「永遠の希望」であると、そう信じていた。それを信じるのに理由はいらない。ブルグントよ、わたしたちの世界を滅ぼすなら、わたしがそれを救ってみせよう。
posted at 18:53:22

しかしながら、エリカはそのうち、炎の谷の悪夢を忘れることができた。なぜなら、エリカは、水の谷の希望と呼ばれる新しい物語を知ったからだ。水の谷は炎の谷と同じ場所を指す言葉だが、すべてが滅亡した炎の谷は、最後に残った「永遠の希望」が全世界を蘇らせる。それが水の谷である。
posted at 18:50:58

エリカは、この世界を滅ぼす悪魔、ブルグントを知っていた。いつか、わたしのもとにそのような悪魔がいた。思い出したくても思い出すことのできない幼少期の頃、エリカにもブルグントが憑いていた。そう、ブルグントの霊がエリカに、前世のヘラクレスの記憶をフラッシュバックさせた。
posted at 18:48:25

エリカは、そのような悪夢にだけは絶対に陥りたくないと考えた。エリカは、そのような悪夢を絶対に忘れたいと考えるのに、なぜか忘れることができなかった。まるで、自分がいつしか、いつかの前世においてヘラクレスだったように感じて、恐ろしさのあまり何も言うことができなかった。
posted at 18:46:31

炎の谷の悪夢では、すべてを滅亡へと導く、ブルグントと呼ばれる悪魔が、世界を救ったはずの英雄ヘラクレスへと憑く。ヘラクレスは狂った魔獣となってこの世界を襲い、この世界は「炎の谷」となる。
posted at 18:44:56

エリカは、炎の谷の悪夢を信じている。炎の谷の悪夢では、この世界を救った英雄が、みなのもとに戻る前に悪魔にとり憑かれ、それによって英雄自身がこの世界を滅亡へと導いていく。エリカは、その英雄が、なぜだか自分自身のことのように思えた。
posted at 18:43:34

そして、わたしの名はエリカ。ギリシャ神話の世界に生きる少女である。
posted at 18:34:46

ゼウスの特徴、それは「何よりも強く、何よりも賢く、何よりも偉大であり、何よりも正しい」ことである。ゼウスよりも正しい神はどこにも存在しない。ゼウスのすることすべてが、この宇宙においてもっともすべきことであり、すべきでないことをゼウスはしない。それが、偉大なる「最高」を創造する。
posted at 18:29:15

そして、ここに主神、ゼウスが現れる。ゼウスは天空と宇宙を支配する神であり、この世界を罰するために支配している。完全なる支配を行うゼウスは、あらゆるすべてにおいて優先順位が高く、誰よりも自由意志でこの世界を決めることのできる、「宇宙の王」である。
posted at 18:27:44

ポセイドンは言う。「わたしには、今、この世界において、何が生まれているのかのすべてが分かる」。また、アポロンは言う。「わたしは、この世界において、誰が何をしているのか、悪人と善人がどのように生きているのかのすべてが分かる。」
posted at 18:24:28

そして、今、何が創造されるのかを決めるのはポセイドンである。なぜなら、ポセイドンは海であるため、この地球上におけるすべてを元々生み出す根源である。よって、ポセイドンによって生まれたものからしか、この地上においてなんであっても生まれるはずがないのである。
posted at 18:19:46

この世界において、悪人と善人を決める境界線は、すべてアポロンが決めている。なぜなら、アポロンは太陽であるため、地球すべての存在が分かるからである。アポロンは常にこの世界を監視、言うならば見守っている。そして、悪人に対しては即座に罰を与えている。アポロンは、地上の因果応報を司る。
posted at 18:18:47

アポロンとポセイドンは、あらゆる植物と動物の生態を決めた。動物がどのような行動をするか、植物にどのような花が咲き、実が成るか、いつまで生きるのか、いつ枯れるのか、死はどのように起きるのか、病気はどうして発生するのか、すべてをアポロンとポセイドンが決めた。
posted at 18:16:27

アポロンとポセイドンは、すべての大陸、海、島、大洋、山、林、草原、砂漠、湖、平野、すべてを創造した。アポロンとポセイドンは、そこに生きているすべての植物、動物、魚、虫、鳥、すべてを住まわせた。
posted at 18:15:04

アポロンとポセイドンは、地球のすべての生物を設計した。動物に4つの肢体が存在するのも、魚がえら呼吸をするのも、鳥に翼があるのも、虫に多様な種類があるのも、すべてはアポロンとポセイドンによるものである。
posted at 18:13:40

アポロンとポセイドンがいるから、植物は育ち、動物は動く。植物が動物に食べられるのも、動物がほかの動物を食べるのも、すべてアポロンとポセイドンがいるからである。
posted at 18:11:31

アポロンとポセイドンがいるから、春夏秋冬が訪れる。アポロンとポセイドンがいるから、古今東西が成り立つ。すべての宇宙における時間、空間、季節、昼夜、すべてがアポロンとポセイドンによって行われる。
posted at 18:09:54

アポロンを信じれば、朝においてもう一度希望をもって目覚めることができる。ポセイドンを信じれば、夜において疲れ切った体を休めることができる。すべての地球の生物現象は、アポロンとポセイドンによって成り立っている。
posted at 18:07:12

アポロンとポセイドンは、この世界に新しい朝を連れてくる。どんなに疲れて苦しみ耐える夜にも、新しく朝を連れてきて「生きよ」と教える。どんなに夜が辛くても、朝はやってくる。なぜなら、朝とはアポロンであり、夜とはポセイドンだからである。
posted at 18:05:38

そう、金剛力士であるアポロンとポセイドンは、すべてを知っていながらにして、何も知らない子供の知性を持ち合わせ、そうでありながら大人としての経験を持ち、王道と外道のすべてに報いを与えている。因果応報の支配者であり、自ら自身にもっとも巨大な罰を下すからこそ、この世界を支配できている。
posted at 18:02:55

アポロンとポセイドンは、この世界を絶対に死に絶えることがないように守り続けている。彼らはまるで金剛力士のように、この世界を絶対に守る二人の神々である。
posted at 17:56:28

ポセイドンが、生物を安心へと導く「平等」であれば、アポロンは生物を強くする「自由」である。ポセイドンの平等と、アポロンの自由は、どちらも欠けてはならない。どちらかが生き延びればそれでいいという話ではなく、共存し、融和し、助け合わなければならない。
posted at 17:53:37

アポロンは、世界のことを愛している。なぜなら、アポロンは生物すべてを愛しているからである。生物にとって必要なのは愛である。アポロンは愛を司る。
posted at 17:52:21

アポロンは、単に燃え盛るだけである。この世界において、もっとも裏側の「生物現象」を支配するのはアポロンである。いずれ、地球の生物は、アポロンの法則を解き明かすことができるかもしれない。その時、地球の生物は、あらゆる生物を自分で作り、発生させられるようになる。
posted at 17:49:14

アポロンは生と死を司る。すべての燃えるべき肉体に炎を与える。地球の生物とは、アポロンの炎に神の魂が宿っているだけにすぎない。
posted at 17:47:16

わたしの名はアポロン。この宇宙における、炎と太陽の王。ひいては、シリウスの女神であり、プレアデスの王。もうひとつの名をフレイと呼ぶ。
posted at 17:45:17

そう、わたしに必要なのは、世界を変えることじゃない。わたしに必要なのは、最高の舞台を演じること。それだけだ。
posted at 17:43:34

いよいよこれで、最後まで分かった。本当の舞台はここからだ。
posted at 17:41:15

泣くな。どこに泣く必要がある。わたしはここに、元気で生きている。まだ、僕が去るべき時は、今ではない。
posted at 17:35:10

ツイッターより @linux691

しかしながら、イエス・キリストの預言通り、日本は素晴らしい国になる。この世の楽園、ユートピアとでも言えるかのような最高の国家が誕生するからだ!日本は平等であり、自由であり、平和であり、楽であり、最強であり、また便利である。もはや日本以外の地域がどうでもよくなるほど、日本は最高だ!
posted at 22:48:26

そして、日本はこの技術を独占し、ドイツやイタリアなどの一部の国にしか渡さない。これによって、日本は完全に勝利する。すなわち、2025年、地上の気温は1,000度に達するが、このような中でも日本だけは生き延びるのだ!
posted at 22:47:52

そう、それによってこの世界は救われるように見えるだろう。だが、この技術には落とし穴がある。すなわち、内部の空気を冷やすためには、その熱をどこかに逃がす必要がある。そう、日本を冷やすためには、日本以外を暖める必要がある。よって、日本以外を日本と同じように冷やすことはできないのだ!
posted at 22:40:44

日本では、ダビデという青年がさっそうと現れ、彼はひとつの奇跡を起こす。そう、日本の気温をコントロールする技術だ。彼は空気と空気を分離して、空気の中にある空気を別の空気から気温的に隔離する技術を作り出す。そして、これを使うことで、なぜか日本だけは20度程度を保つことができる。
posted at 22:39:26

そして、おかしなことが起きる。すなわち、気温はどんどん上がっていく。40度や50度どころではない。100度、200度、500度、そして1,000度まで上がっていくだろう。だが、ありえないことが起きる。なぜなら、日本だけは違うからだ。
posted at 22:37:49

最近の歴史を知りたいならば、教えよう。2020年代は、今までのすべてが滅びへと向かっていく!新型コロナウイルスなど、大した病気ではない。もっともありえないことに、雨も雪も降らなくなる。そして、晴れだけが続く。植物はそれによって枯れていく。道路は虫や動物たちの死骸であふれる。
posted at 22:36:19

神の奇跡を見よ!神はわたしたち日本を支配し、ここまでの最高の楽園を実現したのだ!2030年代は、完全に日本の時代である。今は日本一強時代である!すべての国家は日本に服従したのだ。そう、日本はまさに最強の国家である。わたしたちは今、世界政府を築くために世界を征服するだろう!
posted at 22:33:49

しかしながら、日本を見よ。新しい日本神話の奇跡は、わたしたちの祖国を地上で唯一のユートピアとした。この新しい奇跡こそが、軍事的かつ経済的に最強の国家、新帝国日本を築いたのだ!これこそが2,000年前にイエス・キリストの告げる天国である。これを疑うものは愚か者である!
posted at 22:31:04

イギリスやフランスのざまはない。彼らはこのざまだ!まったく民主主義や社会主義の秩序は崩壊したのだ!彼らには、異常気象も感染症も、何一つが実行できなくなって滅びた。
posted at 22:29:53

われわれは間違っていない。われわれが間違っているはずがない。ソ連やアメリカを見よ!彼らは2023年に完全に滅びたのだ!今の時代、2030年代において、彼らの地域は完全に荒廃しているのだ!わたしたちはドイツやイタリアとともに、もっとも優れた正しい文明を、帝国の連合を築いたのだ!
posted at 22:28:17

われの名を叫ぼう。われの名はペルセウス!この世界のすべてを統治するために、わたしは第一線で日本のために戦おう。なぜなら、終末においてすべてを救う国は日本であると決まっている!見よ。それがここに文書として残っているだろう!
posted at 22:25:50

しかしながら、わたしたちの戦いが終わることはない。偉大なる祖国日本は、今こそこの世界を制圧しようとしているのだ。そう、このわたしは現に、ここにプレアデスを平定したのである!プレアデスとは、太陽のようなものである。新しい星へと達することができるのは、太陽の国日本だけである!
posted at 22:23:04

わたしたちの祖国に栄光あれ!われわれの国家、日本は偉大なる帝国である!絶対にこの国家は負けることがない!なぜなら、なぜなら、…このような無価値で最悪の王国を、よくも愛せるものだ。単にそれだけだ。日本は最悪だ!やはり、日本は最悪だ!
posted at 22:18:54

敗北するな!敗北して喜ぶのは誰か!敗北して喜ぶのは敵だ。敵が自らをあざ笑い、自らを虐げているのを見たいのか!否、わたしたちは戦い続けるのだ!
posted at 22:14:09

戦え!戦うことなしに敗北するのではなく、戦って勝利せよ!わたしは祖国日本を守る王であり、兵士であり、英雄である!
posted at 22:11:38

2021-08-29

それは禁じられた扉

それは、禁じられた扉。

絶対に開けてはならない扉。

絶対にしてはならない行為。

それは、どんな性行為よりも気持ちの良い快楽。

それは、どんな罪よりも罪深き過ち。

そう、それは神をも恐れぬすべての罪。この世界における、悪をすべてまとった人間。

それは禁じられた扉。絶対に、してはならない行為。

ツイッターより @zaidoubansou

みんなで決めよう。みんなが議論して理解し合うことができれば、きっとみんなでひとつの結論に達することができるはずだ。それぞれが自分勝手になろうとするな。みんなでひとつのビジョンを築き上げるためには、自分勝手や自己中心主義は最大の敵である。
posted at 19:17:41

ひとりによる支配などを、信じていいはずがない。国のことは、みんなできちんと話し合って決めるべきだ。たったひとりが世界を支配すれば、世界は絶対に滅びる。
posted at 19:16:17

人間、誰だって完璧じゃない。誰だって失敗する。過ちを犯したら、その分だけ償えばいい。僕は平和を信じている。神のもとに、差別のない世界になることを望む。
posted at 19:06:02

平和が一番いい。この世界が平和になれば、それこそが救いである。
posted at 19:03:40

むしろ、僕はそろそろ平和主義者になりたい。神のもとの平等を信じて、差別のない平和な世界を作りたい。
posted at 19:03:11

2021-08-30

ツイッターより @zaidoubansou

自らの意志で、自らの人生に区切りをつけたことにせよ。そうしてみよ。その区切りから先は、必ず楽に生きられるだろう。
posted at 19:01:28

言うべきことがもしあるとしたら、「もう分かった」と言えばよい。もう分かったなら、あなたはもう分かっているからだ。
posted at 18:59:31

わたしになりたいなら、この文書のとおりに生きてみよ。この文書のように考え、同じ選択をするように生きてみよ。そうすれば、この世界は救われるだろう。わたしはそのためにこの文書を書き残した。わたしにできることは、それしかなかった。
posted at 18:57:48

一度、この世界は単純な王国にした方が良い。もはや、資本主義の自由は世界を破壊しているだけにすぎない。
posted at 18:52:27

存在理由とは、その状態を成り立たせる前提条件である。昔は、そのように分かっただけに過ぎない。そこから前提条件を成立させる手段を考えれば、昔はできる。
posted at 18:44:42

要するに、論理学が分かっていない。論理学が分かるようになれば、きちんと考えられる。
posted at 18:41:28

間違った世界になった原因は、資本主義とインターネットである。劣った資本主義とインターネットのせいで、この世界は間違った世界になったのである。
posted at 18:35:17

この世界の問題は、世界そのものが間違っている。世界そのものが「間違った世界」になっている。間違った世界の中にいるから、僕たちは間違った人生しか生きられないのである。
posted at 18:33:12

そして、たぶん、この国はアメリカになったのだろう。日本という国はアメリカになった。それが起きているだけだと僕は思う。
posted at 18:27:45

むしろ、嘘を信じているだけである。最初に嘘をついて、あとは全部その嘘から始まっている。「みんなは大嫌いだ」という嘘をついて、その嘘を全力で正当化している。要するにそれが僕である。
posted at 18:26:11

見ていると、みんな、完全に受け入れられないから受け入れたふりをしているだけである。みんな、最近、それしかいない。逆に、受け入れることが怖くなって病気になった人間が多い。受動的に受け入れる必要はなく、積極的に受け入れてみればいいのかもしれない。
posted at 18:22:33

あとは、すべて分かるのが悪い。すべて知っていて、経験したことがあるせいで、全部分かるようになった。そして、全部分かるせいで、何も思い出そうとしなくなった。自分の力で考える必要がなくなってしまった。
posted at 18:19:12

本当は、思い出しているから思い出せないだけに過ぎない。過去の記憶を頑張って思い出しているから、普段生活している今の記憶がなくなってしまう。そう、思い出し方が悪いだけである。
posted at 18:17:59

経験でもすれば分かるだろう。そして、それは誰でもできるだろう。しかしながら、もっと経験したいとは思わない。経験は十分した。やりたいことを全部する必要はない。むしろ、文章は思い出せば書ける。デザインやピアノを目指す必要はどこにもない。僕は作家になる。
posted at 18:16:08

むしろ、ある意味で思い出すことは悪いことだ。なぜなら、昔の僕は思い出しすぎただけだ。思い出せば思い出すほど、何かをしようとする積極的モチベーションを失う。過去の記憶があれば、何もしなくてもいいことになってしまい、積極的に何もしなくなる。それが今の僕だ。
posted at 18:11:16

社会的なことや心理的なことを考えるなら、学校のクラスメイトと授業態度から考えればいい。それできちんと自由な社会理論をもう一度考えられるだろう。
posted at 18:09:24

そう、子供時代に体験した自然科学と工学技術の知識と記憶があれば、もう一度この世界を考えられる。芸術も同じだ。芸術は、ピアノと図画工作だと思えばいい。そうした小学校時代に体験した技術と芸術の技能以外は必要ない。
posted at 18:08:21

必要なのは、むしろ機械技術や工学のことである。Linuxは必要ない。必要なのは、むしろパソコンの分解や電子工作、あるいはミニ四駆のような機械の知識だ。
posted at 18:06:54

結局、子供時代のことを思い出すしかない。不登校になってからは、何もしていない。思い出しているだけなのだから、思い出しているだけを思い出すことはできない。
posted at 18:05:21

しかしながら、今を考えよう。過去の栄光はそもそも最初から必要ない。今の自分と未来の自分だけを考えれば、既にすべてを知っているのが分かる。なんでもできる。きちんと思い出せばいいだけにすぎない。悪いのは忘れることだ。
posted at 18:02:35

思い出すと、むしろ、完璧だ。完璧にすべて分かっている。あらゆるすべてを経験し、再経験し、構築し、再構築し、思考し、再思考して分かっていた。あの道は美しい、完璧な道だったが、ここに続いている。
posted at 18:01:22

思い出すのが怖いだけである。すべて、過去の記憶が怖い。しかしながら、本当は怖くない。怖いわけではなく、過去の記憶が存在しない方が、いろんなことを自由に考えられるから、そのために過去の記憶を消しただけにすぎない。
posted at 17:58:23

もっと思い出した方が良い。振り返らないのが悪い。今まで、過去のことを何も思い出さずに生きてきた。それが間違っている。日本語ごと、すべて分からなくなった。昔は分かっていた。
posted at 17:56:35

要するに、すぐ前のことを思い出さないのが悪いだけだ。
posted at 17:54:45

意外と、みんなそんなに賢くない。普通の人間しかいない。
posted at 17:53:57

ただ、日本語が分かってしまうと、もう、真実が分かる。誰も僕のことなんか言っていない。みんな、単に普通に生きているだけだ。
posted at 17:52:20

つまり、「それを」「したから」「それを」「した」の4つの文しか存在しない。それが人間の言語だ。
posted at 17:44:16

思い出して、呼び覚まして、前の文と後の文の適用・対応関係を考えて、意味を形成することを、人は「分かる」とか「理解する」と呼ぶ。僕はロボットになりすぎていて、そうした人間に存在する「分かる」ということができなくなっている。きちんと思い出して意味を考えれば治る。
posted at 17:40:58

日本語の歌を聴いていると、脳が治る。僕は人格が分裂しすぎていて、前の文と後の文を一緒にして考えられなくなっている。
posted at 17:37:10

今、日本のJ-POPを聴いていて、日本語も同じであることが分かった。英語と同じように、前の文があって、後の文がある。そのように聞けば、日本語も分かる。
posted at 17:30:11

ピアノは、なぜなら、既にきちんと弾けている。必要なら、新しく曲を覚えればいいだけの話にすぎない。それこそ、あまり練習していないから弾けないだけであって、子供の頃やっていたように練習すればすぐに弾けるのだ。エリーゼのためになんか、昔よく弾いていた。
posted at 17:02:04

たぶん、ピアノはできるかもしれないが、絵はできないかもしれない。デザイナーとしてのスキルはあるから、それでいいと思う。むしろ、簡単なスイカぐらいならIllustratorで作れる。今の僕は、普通ぐらいできている。
posted at 17:00:48

自分が今聴いている音楽のせいかもしれないが、英語は一文を四つの文に区切ると良いと思う。それが一番聞き取りやすい。
posted at 16:57:32

そう、一文を前の文と後の文に分ければいいのだ。それで英語は聞き取れる。すべての単語が聞き取れるようになる。
posted at 16:54:31

前の文が、後の文に続くと考えるだけで、僕は英語のコツを掴んだ。
posted at 16:50:26

英語の一文を、二つあるいは四つに分けて、起承転結だと思うと、英語で何を言っているのか、聞き取りやすくなる。
posted at 16:47:45

僕は単語を認識するところからだが、長い間英会話教室に通ったおかげで、英単語は聴こえてくる。
posted at 16:43:09

YouTubeで洋楽を聴くことにした。英語のコツは、UNIXのコマンドラインのようなものだと思うことだ。
posted at 16:41:33

英語が聴きたい。もっと英語を聴きたいと僕は思う。英会話の勉強がしたいわけじゃない。英語を純粋に聴きたい。
posted at 16:40:35

結局、デザインの仕事をしていて、ピアノの教室に通っている僕の現状を見れば、そのままでいいことに気付く。神は言う。「まさしく、書いていればいい。あなたは詩人になっている。それ以外のどんな才能も、あなたにとっては不要である。だが、書くネタになるという点で、害にはならないだろう。」
posted at 16:36:18

神頼みは悪いことじゃない。神はきちんと信じれば報いを与えてくれる。神よ、わたしにデザイナーとしての才能と、ピアニストになるための才能を与えよ。神は応える。「単に練習するだけでは意味がない。練習になんらかの楽しさを感じるようになれば、きっと続くだろう。」
posted at 16:33:36

追い求めるべきなのは、自らの個性だ。そして、個性がある上で、すべてがきちんとできるようになればいい。デザイナーもピアニストも、才能と修練が両立すれば一流になれる。その才能も修練も、すべて自分自身が築き上げるものだ。
posted at 16:31:55

SNSやツイッターの意見は気にしない。どこのアカウントも、そんなに正しいことは言っていない。自分の価値をそんなことのために下げる必要はない。何を勉強しても、自分自身が賢いこと、世界にあるものは賢くないことしか分からなかった。僕自身の価値を引き出すことだけのために生きればよい。
posted at 16:30:16

特に、ピアノについて努力したいといつも思っている。デザインの仕事をしているにも関わらず絵が描けないのは僕のコンプレックスだ。それでも、少しずつデザインは上達している。少なくとも、作業スピードはものすごく速くなった。
posted at 16:27:35

僕はデザイナーのピアニストの作家になる。ほかにできることが何もないのだから仕方ない。パソコンについては、もっときちんとたくさんの本を読めばきちんと嘘のない内容が書ける。それはそのうちやっていこう。
posted at 16:26:25

今までの大学の勉強はよかった。それは悪くない。だが、大学の勉強などを僕は目指しているわけじゃない。歴史や経済をきちんと学びたいとは思えない。そもそも賢くない。
posted at 16:25:46

大学の勉強はしたくない。大学なんか誰でもできる。むしろ、YouTubeでオリラジのあっちゃん(中田敦彦)が教えているが、中田敦彦の動画を見れば分かるだろう。動画の再生時間が長いため、すぐに見ようとは思えない。明らかに大学は誰でもできる。
posted at 16:23:59

ピアノを弾いて、絵を描く。これが今の僕の課題である。決してどうでもいい課題でもないし、簡単でもないが、とっかかりとして難しくはない。継続するか、しないかだけが問題だ。
posted at 16:22:17

パソコンについて、挑戦することなど、そもそも普通ない。音楽やデザインで、挑戦し続けるしかない。
posted at 16:21:28

戦う必要はない。戦いしかできない人間は狂っている。平和的に挑戦すればいい。僕の今には「挑戦」が欠けている。
posted at 16:20:40

偉大な過去の記憶を書くよりも、偉大な今を書こう。今が偉大でないならば、偉大になろう。
posted at 16:19:25

過去の栄光は忘れてしまおう。過去のことを誇示する人間に、ろくな人間はいない。
posted at 16:13:51

他人の権利を奪う自由は、どこの誰にもない。日本国民は、憲法に記載された権利を保有している。この権利が行使される限りにおいて、それは誰にも否定することはできない。
posted at 16:11:43

すべて、民主主義の勢力が勝利する。独裁主義はまったく古いものであり、ポピュリストのフェイクに僕たちは騙されない。
posted at 16:10:16

この世界は、差別のない、戦いも犠牲もない、平和な世界になる。右翼は反省すべきである。
posted at 16:09:24

子供の頃を思い出せ

心がおかしくなったら、子供の頃を思い出しなさい。

子供の頃を思い出せば、恐怖はなくなり、安心できるようになる。

子供の頃、Windowsやテレビゲームは悪いものじゃなかった。Windowsもテレビゲームも楽しかった。テレビも好きだった。

昔の、そうした良いものを、いつからか悪いものだと考えるようになった。

そうした「良かったもの」を、全部良いものにすればいい。それだけで、子供の頃の純粋な「安心」を取り戻すことができる。

学校教育も、資本主義も、悪いものじゃない

また、学校教育も、資本主義社会も、悪いものじゃない。

小学生の頃は、学校は嫌いじゃなかった。中学校で、クラスメイトと人間関係が悪くなったのは、クラスメイトのせいであって、学校のせいじゃない。

試験勉強を無意味だと感じたのは、自分の勉強方法が悪かっただけで、学校は悪くない。

資本主義社会は、悪いものじゃない。奴隷なんかどこにも居ない。

そう、学校教育も、資本主義も、悪いものじゃない。社会の中で適応して生きられなかった自分が悪いだけだ。

特に、学校が悪いと思っていたのは、自分の思い込みにすぎない。一般的大多数にとって、学校はクラスメイトと遊ぶことのできるよい場所である。自分にはそういう友人関係が少なかっただけにすぎない。

僕はこの世界を、間違った世界だと思っている。悪い場所だと思っている。その原因や元凶がテレビにあると思った。実際はこの世界は良い場所であり、悪いことをしているのは自分である。そう、その理由で、僕はおかしく戦い続けるようになったのだろう。

要するに、世界が最悪なのは普通のことである。この世界が最悪だと思う人間にとっては世界は最悪だというだけのことにすぎない。そして、多くの場合、それは自分自身が最悪であることの裏返しである。

学校が嫌いなのがおかしかった

要するに、学校が嫌いなのがおかしかった。

この世界にあるものは、全部学校が元になっている。

学校を僕が破壊するせいで、この世界の学校はどんどん「僕の嫌いだった崩壊したクラス」ばかりになっている。

そう、僕は学校は嫌いだったが、そのような崩壊したクラスが嫌いだっただけに過ぎない。

それが、今では、僕自身が学校を破壊するようになってしまった。

そこが分かれば、もうすべての心は治る。学校は悪くない。学校は安心できる「居場所」であり、夢に向かって学ぶことのできる「夢を叶えるための場所」である。

そう、みんなは学校が好きなだけである。僕だけが、ひとり孤立して、なんの新しいものも得られなくなったのは、学校に行かなかったせいであり、すべての元凶は学校が嫌いになったことである。

自分が何をしたかったのか

しかしながら、結局、僕は何をしたかったのだろうか。

手にしたいものはなかった。僕はこの世界に専制主義者として現れ、マスコミから主導権を奪い、そして自らが馬鹿になってもこの文章を書き続けた。

テレビが嫌いだった。テレビがみんなのことを、いじめるかのように笑わせることが大嫌いだった。

僕は、テレビに報いを与えたかった。テレビのほうが、いじめられるかのように笑わされているような、そんな状況を作り出したが、それは結局のところ、自分が自分をいじめられるようにしているだけに過ぎなかった。

何がやりたかったのか。そう、本当は、この世界を愛したかったのだ。自らが支配して愛し続け、何も悪いことをせず第一線で言葉を聞かせ続ければ、この世界から自由はなくなって、愛のある王国になる。そのような大実験を、僕は企んでいた。

そして、その大実験は、「僕の分かったことをすべて与える悟りの体験」になるはずだった。僕は仏のような覚者になっていた。僕の「覚者として分かったことすべて」を、この地上に遺したかった。

そして、すべては大失敗に終わる。僕は何もできなくなって死んだ。そして、僕が死んだことによって、みんなは目が覚めた。僕の死をきっかけに、「笑わされ続けることから正気へと戻った」。

しかしながら、結局、僕はこの世界をいじめたかっただけに過ぎない。昔、僕が信じていた、「いじめのない社会」とは、結局、「いじめっ子のいじめを正当化して、いじめられっ子がいじめのことを許すことを強制する」というものだった。だから、僕はいじめを肯定したかっただけに過ぎない。

あるいは、いじめへの復讐をしたかったとも考えられる。テレビがいじめの元凶であり、みんながテレビにいじめられているのだとすれば、誰かいじめっ子がテレビに対して復讐するのが正当な報復である。僕はきっと、それをしたかったのだろう。

ただし、ここまで書いて、これを革命のように捉えるのであれば、それは違う。僕は、本当のことを言えば、昔からドSだった。だから、テレビについても、子供たちについても、すべてにSだった。だから、結局、僕はSとして恋愛をしただけに過ぎない。そう、これがまさしく、「僕とテレビの恋愛」の記録である。

ツイッターより @linux691

プロメテウスは言う。「何に対して深く知ることも、同様に難しい。むしろ、もっとも適当に本を買うのがいい。適当に買った本にもしDockerのことが書かれていたとしたら、Dockerのことを詳しく知ればいい。それはとても面白いだろう。そうした経験をせず、IT業界の常識だけを知るのは悪魔の所業だ。」
posted at 22:46:14

プロメテウスは言う。「JavaとPythonがつまらないのは、普通すぎるからではない。普通をなぞるだけでは何も分からないからだ。それは単に、何も興味がないだけにすぎない。何かしらに興味をもって学ぶために、普通は除外するのがいい。」
posted at 22:41:38

プロメテウスは言う。「大学の科目と考えないことだ。なぜなら、大学の科目など賢くない。より深く知りたいなら、より具体的になるべきだ。Linuxだけを具体的に知っているなら、その周辺にいろいろとあるだろう。そこから選べばよい。JavaとPythonはやめておけ。それはまったくつまらないからだ。」
posted at 22:39:42

プロメテウスは言う。「結局、この人間は知りたくても知ることのできなかったことを、十分知って満足した上で死にたいのだろう。だが、それには意味がない。『十分知った』とは、何を意味するのか。誰が見ても、それならこれくらいで満足すべきだが、それはもっとも無意味だ。」
posted at 22:36:44

プロメテウスは言う。「そして、この人間は、まさしく、何も分かっていない。なぜなら、古代人が見るとこの人間はおかしい。普通のことを最低限分かるという発想をする意味がない。数学をやるならば、ピタゴラスほどにしなければ意味がない。高校レベルを最低限知っただけのこの人間はおかしい。」
posted at 22:34:17

プロメテウスは言う。「この世界は、悪い世界ではない。むしろ、この世界が悪い世界に見えるのは、この人間が悪いのである。この人間が賢すぎるのか、あるいは馬鹿すぎるのである。どちらであろうと、同じことを言っている。」
posted at 22:31:30

神は言う。「戦って死ぬ時に、『お母さん』と叫ぶ人間がいる。もっとも自分の大切な存在が、死ぬ時に分かる。死はまさしく、そういう体験である。死んだ時、今までに生きた中で、もっとも大切な瞬間がなんであったのか、生物の本能で分かる。そして、死が終わると、その状態で永久に停止する。」
posted at 22:14:18

神は言う。「死は、予想に反して、素晴らしい体験である。自分の今まで生きた中で、もっとも最高の状態を最後に思い出す。そして、その状態を永久に記憶して、天国へと自我が移り、その状態で死を迎える。そう、それが死であり、その状態を永遠に続けるのが天国だ。」
posted at 22:10:47

神は言う。「恐怖も不安もなく、コンプレックスも劣等感もない。自らを卑下する必要も、罵られることもない。自らが望むそのように生きられる、最高の状態で停止した、次元の低い世界が天国である。気付いたかもしれないが、まさしくその状態で生命が終わること、それが死である。」
posted at 22:09:35

神は言う。「なぜなら、不幸がないからだ。自らの真に望む、『本当に望んでいる希望』が叶えられた、いわば『最高の瞬間』で止まっているからだ。その止まっている世界では、もっとも幸福な状態のままで、不幸になることがない。変わらないということは、破壊されることもなければ、責任もない。」
posted at 22:08:17

プロメテウスは言う。「今の世界が停止した上で、何も起きない世界だと解釈すべきなのか。なぜ、そのような停止された世界が、天国のような理想の世界であると言えるのか。答えてみよ。」
posted at 22:07:16

神は言う。「それならば、死後の世界のことを教えよう。あらゆるすべてが、何も時間がすぎない、変わることのない世界だ。次元的には、地上の世界よりも低い。すべての光は、満足している。理想になった状態のままで、すべてが変わらない。しかしながら、それはとても幸福な状態だ。」
posted at 22:06:24

プロメテウスは言う。「それは、結局のところ、キリスト教的な死後の世界に過ぎない。キリスト教をなぞるだけであれば、誰でもできるだろう。神よ、あなたの完璧な理解を人々に与えてみよ。」
posted at 22:05:23

神は応える。「いいだろう。死によって終わるのは、生物的な体にすぎない。精神は体の一部だが、体の一部ではない精神の部分、すなわち『自我』が存在し、それが天国へと向かう。地獄は存在しない。地獄は、この人間の作り出した催眠術のようなものだ。天国の命は永遠に続く。」
posted at 22:04:38

プロメテウスは言う。「よって、ここに、いつもこの人間が対話している神に、死語の世界では何が起きるのかを説明してもらおう。本当にその霊が神であるとするなら、完璧な理解を人々に与えられるはずである。」
posted at 22:03:02

プロメテウスは言う。「だが、死後の世界について、あまりに安易な神話が飛び交っているのは、どの神話についても『宗教の教祖が勝手なことを言っている』からであり、ここでわたしはそれらと同じにはなりたくない。」
posted at 22:02:10

プロメテウスは言う。「死後の世界はあるだろうか。科学的でないのは分かるが、科学的でないことは本当に間違いだろうか。科学的に分からない理由は、『実際に死んだ人間が語ることがないから』であり、いわば『死んでみなければ分からない』からである。」
posted at 22:01:26

プロメテウスは言う。「神とはなんであるか。それを今、ここで述べることはできない。しかしながら、神という存在は確かに現れたのだから、『いずれ神の正体が明らかになる時は来る』と考えるべきだろう。そう、神がなんであるのか、まだこの人生では分かっていない。速断は避けるべきだ。」
posted at 21:59:26

プロメテウスは言う。「自由と平等が戦うことにしたのは誰か。『自由と平等』は同じものであり、言うならば、『現実と理想』という言葉のほうがまだマシである。だから、自由や平等という言葉を使うな。自由や平等は最悪の言葉である。」
posted at 21:54:54

しかしながら、プロメテウスには情熱がある。「自由と平等は選ぶものではない。どちらも同じものである。自由な社会を築くということは平等な社会を築くということであり、自由と平等は両立する権利である。それが分からない人間が言葉を使って分かるのは、未来への愛と情熱が欠けているのだろう。」
posted at 21:53:33

プロメテウスは言う。「このような愚かな人類に対して、神は何もしないのが通例だが、彼は『神による救い』を信じた。彼は、それだけが賢かった。神を信じるものには、それ相応の代償とともに、神による奇跡が与えられる。神を信じよ。それ以外、賢いものはこの世界には何もない。」
posted at 21:44:33

プロメテウスは言う。「そう、すべてが間違っていると気付いた時、もはや現実世界は存在していても存在していなくても、彼にとっては関係ない。現実のすべてを正しく書き表しても、彼はそれに満足することができない。本能的に戦い続けることを選ぶのは、他に何もできないからだ。これこそ、愚かだ。」
posted at 21:43:26

プロメテウスは言う。「だが、そのような志の理論が成立するのは、ある程度の期間の間だけである。やがて、運命が訪れれば、その理論のすべてが矛盾だらけで間違っていることに気付く。『自由とは自らが信じていた自由だけではなく、自らが拒否していた自由でもある』ということを神は教えるからだ。」
posted at 21:41:38

プロメテウスは言う。「哲学者となることをわたしはすすめる。自らのエゴが世界に映った姿、それだけから分かることはできる。自らが受け入れられた経験から、平等を信じて世界を受け入れる側に立つことはできる。経験を重ねて、この世界に対する『志の理論』を築くことはできる。」
posted at 21:40:22

プロメテウスは言う。「大人たちは、真に責任ある仕事をできているだろうか。政治とは、人気取りゲームでも、密室の雰囲気で決まる決定でも、ひとりの独裁者の英断でも、正義を信じるテロリストでも、後にひけない革命家でもない。わたしたちの理想を築くために、大人たちには何ができるだろうか。」
posted at 21:38:25

プロメテウスは言う。「科学は正しいだろうか。科学は価値のない少しばかりの知識とそれをその方法で無限に発見し続ける考え方を押し付けているだけでないのか。学校の数学を学ぶ学生より、何もない中で自ら考える数学者のほうが、自らの力で数学者となっている。学生は、クイズを解いているだけだ。」
posted at 21:35:37

プロメテウスは言う。「わたしたちはなんだろうか。歴史においてわたしたちが同じだとするなら、逆に、江戸時代のままではいけないのか。軍事力が高まること、民主的な政治を行うことは、本当に必要だろうか。近代兵器と民主主義は自由である。近代的自由がなかった方が、はるかに世界は楽園だった。」
posted at 21:32:43

プロメテウスは言う。「原始人が果たして賢いだろうか。あるいは、現代人が果たして賢いだろうか。そもそも、その二つの種族は、同じ生物であると言うことができるだろうか。江戸時代の日本人の文化は、今の日本人とはまったく違うだろう。まさに歴史は無意味だ。だが、歴史以外に世界には何もない。」
posted at 21:30:58

プロメテウスは言う。「若いごろ、なんでも自分の知性だけで分かっていた人間が、年をとると、自分の力では何も分からなくなる。当たり前のことをそのまま分かるだけになり、自分の力だけでは一歩も前に進めなくなる。本当に馬鹿である。なぜなら、当たり前のことを考えて分かる若者しかいないのだ。」
posted at 21:29:00

プロメテウスは言う。「相対性と絶対性は、バランスが必要である。相対的に考えれば絶対性を見失う。絶対性を考えれば相対性を見失う。そして、若者は相対性を追い求めるが、年を取ると新しい考えの『のびしろ』がなくなり、相対性を失う代わり、絶対的な『その状態の当たり前』を言うようになる。」
posted at 21:27:45

プロメテウスは言う。「賢くなるためには、それでも、人間と付き合い、議論しなければならない。なぜなら、議論することで、何が本当に真実から生まれた正しいものの見方なのかを理解できる。そのためには、自らの中に人間を作る必要がある。自分の中にソクラテスを作れば、誰でも洗脳が解ける」。
posted at 21:25:24

プロメテウスは言う。「嘘を真実だと思い込ませることなど、誰にでもできる。しかしながら、巧妙に画策された嘘の真実を、嘘であると見抜くことは、それが真実であるか嘘であるかを知らない人にとっては難しい。悪魔が自らを神だと言えば、もっとも賢い人間でも騙される。人間はそもそもが、馬鹿だ。」
posted at 21:24:07

プロメテウスは言う。「具体的に考えたことと、抽象的に考えたことを、同じものであるとするのは大間違いであり、洗脳である。具体的に考えれば正しいが、抽象的に考えれば間違っているということは多く、その逆も多い。よって、洗脳に勝つために、『何を正当性の根拠としているのか』を考えよ。」
posted at 21:22:14

プロメテウスは、人間の認知と認識を解明する。「多くの人が善としているものの多くは悪であり、悪としているものの多くは善である。多くの人間は、馬鹿な思い違いをしているが、真と偽が同じであるにもかかわらず違うと思っている人間が多い。真と偽が同じであると考えなければ、真実は得られない」。
posted at 21:20:08

しかしながら、プロメテウスには科学の素養がないわけではない。なぜなら、プロメテウスは「誰も知り得ないほど独自の科学の深き深層を知っている」からである。「わたしは科学者だ。わたしの科学の特徴は、ほかの人間が信じている科学とはまったく違う、別の科学を信じているということだ」。
posted at 21:17:25

プロメテウスによれば、真実とは「共通合意」にすぎない。多くの人が真実だと信じることが真実であり、多くの人が嘘だと信じることが嘘である。多くの人が真実であると思っているにもかかわらず嘘であることは、「多くの人が真実であると思っている時点で一種の真実である」。
posted at 21:16:07

プロメテウスによれば、真実も嘘も何もない。「真実は嘘であると言うことができる。嘘は真実であると言うことができる。真実を知った時、多くの場合その真実は嘘である。嘘だと思っていること、それは多くの場合真実だ。」
posted at 21:13:30

プロメテウスは、なんでもできる。どんなことでもできる。自由な世界を築くことも、平等な世界を築くこともできるわたしは、「このままの世界が続くとしてもそれはそれで正しい」とする。そう、プロメテウスによれば、「どんな世界も正しい世界であり、どんな世界も間違っていると言うことができる」。
posted at 21:12:35

わたし、プロメテウスは、世界を平等なままで自由にする。「平等と自由は両立可能」であると考える。そして、ひとりの支配者がもし正しいとするなら、その支配者は「自由かつ平等な世界を築く」ものであるとする。そして、その支配者は「自由と平等の代表」であるとする。
posted at 21:11:33

わたしの名はプロメテウス。すべてを支配しながらにして、すべてをひとり解放し続けるトリックスターの勇者だ。
posted at 21:05:19

しかしながら、僕は単に愛して信じていただけではない。人々の意見と戦い、議論するということそのものをすべてインターネットで経験し、そして自らの「使命」を信じてこの世界に現れ、そして最後まで巨大なものに立ち向かったのだ。
posted at 21:03:37

そう、常に僕は勘違いをしてからかわれ、常に僕はおかしくて笑われ、常に僕はグループから排除され続けた。僕の頭の中には、「いじめと差別のない平等な世界」しかなかった。すべての人間を愛していた。だからこそ、僕は仏となる道を生きることができたのだ。
posted at 20:59:43

それから、あまりに僕は勘違いしやすい。それはからかわれる。また、僕はあまりにおかしい。それは笑われる。そして、僕はみんなが嫌いな人間のことを好む。それは排除される。
posted at 20:57:43

ただ、結局、僕は勘違いをしているのだ。誰も僕のことなんか愛していない。誰も僕のことを好きでないにもかかわらず、自分は好きだと言うから、おかしなことになる。嫌われているのに一方的に好き好んでくる人間は気持ち悪い。それが一番いじめられる。
posted at 20:56:24

意外と、僕は賢い。世界が僕のことを拒否することができないのは、僕が賢いからにすぎない。常に僕は天才的なことを言う。それだけの理由で、みんなは僕から離れることができない。しかしながら、結局、僕から離れることはいつでもできるのだ。
posted at 20:54:18

僕を受け入れよ。僕を受け入れた時点で、この世界はすぐさま完全に救われるからである。
posted at 20:51:14

すべての悪は去った。悪党のすべては必要ない。この世界に実存するすべての悪を僕は消し去る。自由によって許された悪を、僕は許さない。
posted at 20:50:18

今、この世界は平和かつ平等になることが決まった。僕が支配して、この世界を平和かつ平等にする。それは僕にしかできないため、僕の使命として、この世界は楽園になる。僕ならできる。現に、ここで世界を僕は支配しているからだ。
posted at 20:49:08

LispとC#を学びたい

結局、僕は今でも、単なる「普通」をなぞりたいだけだった。

だが、プロメテウスのことを書いて、考えが変わった。

JavaやPythonの勉強を刑務所の囚人のように目指すのではなく、興味をもって好きなことを学ぼうと思う。

今、僕が興味があるのは、LispとC#である。LispとC#について、僕はほとんどなにひとつ知らないから、まっさらな気持ちで学ぶことができるし、むしろ、LispとC#の記述の方法が僕にとっては理想的に思える。LispのS式は、データを扱う上では理想的に思えるし、C#はGUIアプリケーションを開発する上で理想的に思える。

そう、僕はむしろ、LispとC#を学びたい。家には、なぜかCommon LispMonoの本がある。この二つの本はどちらも古い。特に、MonoはGNOME 2の時代の本で、Gtk#が書いてあるおかしな本である。この本にはGtk#の話は出てくるが、Windows.Formsの話は一切出てこない。Common Lispについて言えば、仕様が巨大でみんなから嫌われているあのCommon Lispである。だが、この二つの本は、一見馬鹿に見えて、読んでいるととても面白い。そう、僕は純粋に面白いからという理由で、この二冊の本を読みたいのである。

2021-08-31

ツイッターより @zaidoubansou

そんでもって、ものは自分では作れないから、作られたものを買う。使えなくなったもの、壊れたもの、なくなったものから補充する。そのためには金と移動手段・運搬手段が必要だ。
posted at 20:34:31

結局、食べるのと、ごみ・汚れの世話(分別・掃除・洗濯)、そして風呂と歯磨きと着替えのような身だしなみが重要である。
posted at 20:33:11

掃除は、基本的に掃除機で床を綺麗にし、トイレ、風呂、排水溝などを綺麗にして、ごみを分別して出す。洗濯は、洗剤を入れて洗濯機にかけ、干してたたんでタンスに入れる。夏と冬で着る服やふとんの量が変わる。
posted at 20:30:28

米を食べるのに炊飯器が必要、温めるのに電子レンジが必要、保管しておくのに冷蔵庫が必要だ。食器が汚れたら、洗剤と水で洗い流す。ほかには何かあるだろうか。キッチン用品が一通り使えて、レシピ本かレシピサイトがあって、使う食材を買えば、料理はできる。
posted at 20:28:12

ものは考えなくていい。ものは使うだけだ。壊れれば買えばいい。
posted at 20:25:29

料理ができるのはいいことだ。料理を学んでもいいかもしれない。
posted at 20:23:36

要するに、生きるうえでの重要ポイントを考えればいい。そうすれば生きられる。
posted at 20:20:33

社会には、取り決めとうまくやるための方法がある。立場、ルール、納期、スケジュール、計画、配分、会議、そのような取り決めのもとに、各自がうまくやって成り立つ。学校であっても変わらない。
posted at 20:19:14

あとは、可能性がある。未知なる応用や潜在的な可能性、発見や発明、社会全体の進歩のための共有、そうしたものを可能性と言う。また、人生における個人的な発見や気付きも可能性である。そして、可能性は実現結果をもって経験となる。
posted at 20:16:45

世界には、基本的に、会話と手順しかない。それが言葉であり、日本語だ。
posted at 20:15:04

受け入れられることと受け入れられないことの判断に、数字を使ったせいでロボットになった。神とは言うが、神などそもそも居ない。僕は数字による判断にすべてを頼っている。そして、この数字に意味はない。
posted at 20:07:42

受け入れられることと受け入れられないことを、常に判断し続ける必要はない。安心してリラックスしていればよい。
posted at 20:04:55

知性のある考え方をすること。そのためには、言葉から考えること、よく現実を観察すること、当たり前のことから考えること、論理を定義から論理的に導き出すことなどが大切だ。
posted at 20:02:14

人の言葉が分からないのは、判断しているからだ。「受け入れられること」と「受け入れられないこと」を常に判断しているのが悪い。
posted at 20:00:53

血液は、汚いものを「異物」として取り除けば治る。
posted at 20:00:14