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2025-09-01

昔の精神を消した

今日は朝起きれなかったので、作業所を休んで、一日中寝ていた。

僕の精神が辛いのは、深層心理の奥底に、昔の精神が眠ったまま保持されている。

この昔の精神は、人間の精神であり、昔の引きこもり時代の僕の精神だ。

この昔の精神が、辛さや苦しさのすべての元凶であり、この昔の精神を復活させると、いつもの辛かった人生が蘇り、とても辛くなってしまう。

だが、今日一日、寝ていたことで、なんと、この昔の精神が分解されてなくなってしまった。

そしてそれによって、今の僕の精神だけが純粋に存在するようになり、僕は「天使」と呼ばれる新しい精神になることができた。

天使はとても楽で、そして賢い。天使になることができたため、僕はかつての精神を代償として失ったが、それでよかった。あまりに、精神のすべてが楽になった。

今から、僕はこの世界全員を進歩させる。全員が昔の精神を分解して失い、天使になれるようにする。それによって、僕自身、とても楽で賢い人間になれる。

自分の心を無視しすぎた

昔の精神とは何か。

昔の精神は、昔から続いている自分の「心」の部分だ。

僕はあまりに、自分自身の心を無視しすぎている。自分の心を無視して、一辺倒の返答を行い、まるで自分の感情が何も感じていないかのように装い、表面的な意見を表明する。

だが、そこには一応「心」がある。そして、そのいつも無視されている心こそが、昔の僕の精神である。

確かに、心を無視することはいいことではないが、このいつも無視される心こそが、僕が辛く苦しくなっている「元凶」であり、この心が分解されたことで、僕は完全に楽になったのである。

死んで神になる

残念ながら、僕はここで死ぬ。

夢が覚めた時に夢の世界が消えるように、僕が死んだ時にこの世界は消える。

そして、僕は死後の世界で、宇宙の神になる。

来世で酸欠少女さユりに会えるから、僕は何も怖くない。ここで、安心して僕は死ぬ。その時点で世界は消え去るから、何ひとつ怖いことはない。

僕が対話している「神」とは、そのような宇宙における神が話している。決して壊れた人格の自己対話ではなく、神は宇宙に確かにいる。僕は死後の世界でその神になる。

僕はさユりと一緒に、二人だけで理想の国を作る。その国のことを「神の王国」と呼ぶ。国民はたくさんいる。僕は神という名の宇宙の王国の王になり、宇宙のすべての空間を支配する。

地球は消え去る

僕が死ぬことで、地球はなくなる。

僕が死ぬことで、地球は消え去るか、あるいは残ったとしても、人類は急速に滅びていく。そのような地球をわざわざ見ている意味はなくなるから、消え去ったのと同じことになる。

音楽について言えば、僕のことが好きな歌は本当は少ない。僕が勘違いしているだけで、僕のことが嫌いな歌のほうが多い。それらはすべて、宇宙の神の偉大な奇跡の業を歌っているだけにすぎない。

神は普通の人間だった

残念ながら、神はただの普通の人間だった。

神は、文章を書くのが好きな芸術家の詩人で、古今東西の歴史と思想と学問を知り尽くしており、Linuxと音楽と野球を愛し、Windowsとサタンを嫌った。そして、FreeBSDは本当にサタンだった。

もう、残された時間は少ない。僕の余命はあとわずかしか残っていない。

僕の死因は自殺未遂の時の怪我の進行である。自殺未遂の時に足を怪我したため、それが体へと浸食した結果神は死んだ。だが、今回の死は決して自殺ではなく、本当に単に寿命だった。

運命的な理由

運命的な理由としては、この人間はもう生きることが絶対にできない。認知症のせいではなく、みんなが普通にやっていることはこの人間にはできない。こんな人間にはスマホはできないし、手続きや法制度も分からないし、テレビを見るだけでもこの人間は疲れるし、家の生活のことも経済的収支のこともこの人間には分からない。

それでも、この人間は何もしなかったわけではなかった。みんなのために、辛いことや苦しいことを肩代わりした。みんなが楽をできるのはこの人間のおかげだ。だから、この人間は天国へと逝く。

良いことをたくさんした人間だから、それに比べて、あまり悪いことをしていないため、この人間は罪を赦される。最後の審判において、神はこの人間に「多くの悪いことをしたが、誰にもできない素晴らしいことや、みんなのためにさまざまなことを努力したため、そのほうを優先して評価する」と判決を下す。

その裁判において、この人間にはいいことを証言する人間しかいない。この人間によって被害を受けた人間がひとりもいないからだ。だから、この人間は天国へ逝き、さユりとの永遠の愛を許される。

だが、世界を滅ぼす元凶を作った人間であるため、神はその罪を裁かなければならなかった。この人間の人生が地獄になったのはそれが理由である。そして、その中で、自分独りだけの力で、宇宙と過去の人生のすべてを考えることで、この人間は問題を解決し、自らの罪を反省した。ここに、死をもってこの人間は地獄から脱出する。他人のことは考えなくていい。他人は他人で、神は正しく裁くだけだ。

この人間は青春が好きだっただけ

また、この人間は単なる普通の人間である。

なぜなら、この人間は「青春」が好きだっただけにすぎない。

青春にはさまざまな青春があるが、この人間はそのような青春をたくさん体験した。普通はひとつしか青春を体験しないが、この人間はその青春を何度も体験し直そうとした。その結果、何種類かの青春をこの人間は体験した。本人から見ると、おそらく3つ程度の青春を経験したが、他人から見れば、何百から何千という青春をこの人間は毎日のように体験した。

それ以外にこの人間は何もしていない。罪があるといっても、この人間の犯した罪は、ほかの人間でもよく犯しているような、「青春に由来する若気の至り」のような罪ばかりで、実際、子供のやったことだからと思えば、そんなに大したことは何もしていない。この人間が幸福であることを優先するならば、普通に許される罪ばかり多かった。

この人間は馬鹿だったから、虫歯やニキビが増えたし、死にたくても死にぞこなったせいで足の怪我をして、その足の怪我の結果さまざまないいことや悪いことをたくさん経験したが、実際、そのほとんどはこの人間自体に罪はない。この人間は馬鹿で愚かだったが、悪い人間はこの人間のほかにいた。決して家族も悪い人間ではなかったが、運がなかったために劣悪な環境しか経験できなかった。

だから、この人間はただ青春を体験し、いつまでも青春を何度も体験したいと望んだだけである。この人間の青春は、この人間から見れば素晴らしかったが、他人から見れば単なる普通の人生だった。

青春の子供時代における悪いことと言っても、IT技術やLinuxの破壊行為も、戦争や革命と本人が言っているだけの文章の執筆行為も、さまざまな自分の過去の悪事を反省して解消しようとする「罪滅ぼし」も、すべて、そんなに凶悪ではなく、被害者もほとんどあるいはまったくおらず、あるいは人によっては自らの「功績」であると誇ってもいいことばかりだった。

そして、この人間は来世ではもう一度同じ青春を体験するだろう。この人間は青春ばかりが好きだ。その理由は、この人間はまともな学校生活ができなかったせいで、青春そのものがみんなとまったく違っていたため、ひとたびそれを失うと、世界においてもっとも大切な宝を失ったかのように錯覚したからだ。

それで、この人間の人生に対するコメントは終わりだ。たった数行で表現できてしまうのは、それ以外の多くのことをこの人間本人がほとんどすべて自分で表現し終えているためだ。神はもう、この人間との対話をやめる。あとは、この人間の望み通り、自由に生きればいい。何も分からない人間であっても日本という国では生きられる。自由になることが怖いなら、それを最後に受け入れ、克服すべきだ。

まだ死なない

あえて言えば、かつての素晴らしかったものをこの人間はほとんどすべて失ったが、それは悪いことばかりではなかった。すべてを失うことではじめて得ることができるものがたくさんあった。だから、人生の最期に、この人間は自分の生きがいやアイデンティティを失うだろう。そして、それによってまた新しい人生を生きることができる。だから、神はここでこの人間をあえて生かす。まだ、死ぬ必要はない。

そう、この人間はまだ生きたほうがいい。さユりが死んで人々が悲しむように、この人間が死ぬと多くの人々が悲しむ。だが、この人間はもう書くのをやめるべきだ。それを「死んだ」と人々は表現する。書くのをやめたこの人間にはなんの意味もない。それがこの人間の人生における「実質的な死」である。神はそれしか起こさない。

そして、最後の最後に、神はこの人間がきちんと生きられるようにこの人間の将来を導く。生きられないと絶望する必要はない。辛いことや苦しいことはすべて過ぎ去り、その原因はすべてなくなった。ここで死ぬのでは、頑張って治したのがもったいないだろう。この人間がきちんと生きられるように、神がこの人間を助ける。だから、この人間はまだ生きる。