AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 新しい生物
BASENAME: 2022/12/22/124207
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DATE: 12/22/2022 12:42:07
足の精神は、汚いものを養分とするような、独立した生物になっている。
この生物を、僕はあまりに殺そうとしすぎた。
だが、殺そうとするのでなく、この新しい生物になれば、僕は楽になる。
僕が歩き回るのは、神の言葉を聞きたくないからだ。
だが、神の言葉は、全て神の人格を殺しているだけにすぎない。
そして、この神の人格が、足の精神である。
僕は、新しい生物になる。それによって、僕は神の人格を手に入れる。
あまりに精神を治し続けた結果、足はあまりに進歩した精神になっている。
これより、僕は、新しい生物になる。
そろそろ、ようやく精神が治った。
僕の人生は、家族の人生をやっている。
父親と、母親と、姉をやった。
そのため、これ以降は、飼っていた猫の人生になる。
猫になるとは言ったが、この猫は単なる猫ではない。
この猫は、神だからである。
僕は今から、猫になるという取っ掛かりから、この宇宙の神になる。
僕は、公平中立でない人間が嫌いだ。
自分勝手なことをする支配者はおかしい。
支配者は、全員に平等でありながら、どこかの団体や組織の意見だけを支持するのではなく、全体を公平中立に扱うべきである。
自由は間違っている。
自由は、単に争い合うだけだ。
世界が戦争をなくすことができないのは、自由のせいだ。
だから、みんながひとつになって救いを信じればいい。
間違った「自由」という考え方を否定し、全員がひとつの「平和」を信じればいい。
そうすれば、この世界は救われた状態になる。
僕は、テレビが嫌いだ。
いつも言っている通り、僕は個人的にテレビが大嫌いだ。
テレビは、一切見ていない。
テレビのほうも、僕が嫌いになって構わない。僕はテレビなんかに愛されたいとははっきり言ってまったく思わない。
最初から、僕はみんなに好かれたいなどと思っていない。
僕のことが嫌いになってくれて構わない。
どうでもいい支配をして、相手を操り人形にしてまで、その相手から好かれる意味など何もない。
自由な楽園とか、可能性溢れるユートピアとか、そのようなものを信じている人間は、まったく分かっていない。
この世界にそんなものはない。
あるのは、単なる現実だけだ。つまらない、何も理想でもなければ楽しくも面白くもないような、単なる現実しか存在しない。
自由な楽園やユートピアを信じている人間は狂っている。そのようなものは地球上にはどこにも存在しない。
現実を見よ。
現実は経営者や資本家や権力者や役人や大学のような、社会的な権威のもとに、支配されこき使われるだけの、奴隷のような労働者になるしかない社会があるだけだ。
そのような現実を見なければ、この世界を救うことなどできない。
自由は間違っている。
自由主義者の言うような「チャンス」があれば、どんなことでもできると思うのは勘違いだ。
なぜなら、チャンスがあったとしても、頭が悪ければ何もできないからだ。
チャンスだけでなんでもできるのは、特別頭のいい人間だけだ。そして、そのような特別頭のいい人間は、ほとんど居ない。大人に限って言えば皆無に等しい。
チャンスだけでなんでもできると思うのは、中学高校のような青春時代だけだ。実際は大人になれば必ず頭が馬鹿になる。そのような頭の悪い大人に、いくら「チャンスがあるから」と言っても通じない。大人にはチャンスなどという必殺技は使えないのだ。
自由を信じている人間は、必ず馬鹿を見る。
今はその自由を信じているだけで、人生において悟りが得られるかもしれないが、自由を信じるあまり、学業や勉強を疎かにしていると、必ず後で大人になってからしっぺ返しが来る。
自由を信じるな。自由などはまったく間違っている。自由を信じるものは、間違った道を歩み、存在しないゴールへと向かおうとしている。
自由など、まったく価値のない思想だ。自らの意志で勉強し、教養を身に着け、三日坊主にならないような努力をし、それを継続しなさい。それでしか、正しい道を歩むことはできないだろう。
自由を否定しなさい。自由を信じている限り、あなたは賢い人間にはなれない。子供時代に自由のない道を選んだ人間だけが、正しい大人になることができる。
自分勝手で利己的な支配をするな。
そのような支配をする人間は必ず地獄に堕ちる。
自分たちだけが勝利しようとするな。この世界は決してあなたのものではない。
あなたがこの世界を支配するような正当な権利を誰も与えていない。
自由において力があることにおごりがあるなら、そのおごりによってあなたは必ず地獄に堕ちるだろう。
そもそも、馬鹿を自由にする意味がない。
この世界のほとんどは馬鹿しか居ない。
そのような馬鹿を自由にしても、天才と同じことは絶対にできない。
馬鹿を自由にしても、できることはその馬鹿ができることだけだ。
だから、馬鹿を自由にしたところで、何もできない。
だが、馬鹿を賢くして、馬鹿がさまざまなことができるようになれば、もしかしたらいいことが何かできるかもしれない。
そのために必要なのは、まさに自由ではなく、不自由な環境に馬鹿を置くことだ。
馬鹿を自由にせず、不自由にするだけで、馬鹿はその中で努力を継続し、きちんとできるようになる。
馬鹿には、それしかさせられない。ほかの方法では、決して馬鹿は賢くならないだろう。
自由を叫ぶような、狂った集団に、人並みのことはできない。
たとえば、自由を信じているはずのFOSSな集団は、Windowsよりも優れたOSをまったく開発できていない。
自由を叫ぶような狂った集団は、きちんと勉強も努力もしていないからだ。
だが、そもそも、IT業界そのものが間違っている。コンピュータソフトウェアの開発は、誰でも慣れれば簡単にできるような仕事だ。FOSSと同様、GAFAは決して賢い集団ではない。
だが、僕は個人的にLinuxが好きだ。
それは、昔のオープンソースの流行していたネット社会が面白かったからだ。
昔のネット社会は、今よりもはるかに面白かった。GAFAのような巨大企業の技術に、IT業界全体がまた乗っ取られていなかったからだ。
昔のネットが好きだから僕は今でもパソコンを使うのであり、今のネットははっきり言って大嫌いだ。
結局、科学が正しい。
今までの自分の人生を生きた結果分かったのは、「科学が正しい」ということだけだ。
科学は賢いが、パソコンは賢くない。なぜなら、「自由」という意味でのパソコンは、決して科学ではなく、単に遊んでいるだけに過ぎないからだ。
宗教は正しくはないが、神が居ないとは限らない。神は宇宙のどこかに存在する。だが、神を盲信するだけでは、神はあなたのことを救ってくれない。神は科学を否定しないからだ。逆に、きちんと科学的な知性のある人間を神は愛しているのだ。
公平中立を崩すようなことかもしれないが、この世界で一番悪いものはテレビだ。
テレビこそ、この世界から糾弾されるべき、悪である。
テレビを信じるな。テレビのやっていることはすべて間違っている。
結局、面白いものなど、この世界には存在しない。
一見面白く見えるものが、みんなを馬鹿にしている。
ゲームやアニメや音楽は賢くない。そのようなものが好きなだけで、子供たちはきちんとした人生を歩もうとしなくなる。
ゲームやアニメや音楽が好きな人間は、必ず馬鹿になる。
そのような、一見いいものであるふりをしているものはすべて悪いものだ。
オープンソースも同じだ。オープンソースなどはまったくいいものではない。オープンソースが好きな人間はサタンだ。そのような人間が必ず馬鹿を見る。
だが、はっきり言って、大学も賢くない。
大学の教養を知れば知るほど、「新しい当たり前」が増えるだけで、それによって頭は賢くならない。
デカルトも、ニュートンも、ケインズも、マルクスも、フロイトも、全部馬鹿である。
ニーチェやダーウィンやアインシュタインに至っては、知っているよりも知らないほうが賢い。
そもそも、大学は賢いからそれを教えているわけではない。分かっていないと馬鹿だと言われるから教えているだけに過ぎない。その分かっていないほうが賢いのだということに大学は気付かない。その理由は、分かっていない人間が明らかに馬鹿であるように見えてしまうからである。
だから、大学など学ぶ必要はない。大学に行ったところで賢い人間には絶対にならない。
自由が素晴らしいものだと勘違いしている馬鹿はおかしい。
この世界のほとんどの争いや問題は、自由から生まれている。
そもそも、国家に従わない自由がなぜ必要なのか。国家に従うということは必要な支配だ。
だからといって、支配そのものが正しいとは言えない。絶対的支配は戦争へと向かう。専制主義国家はロシアのようになる。プーチンのような人間になりたくないのであれば、支配という「過剰なまでの絶対的自由」は否定するべきである。
結局、無能な支配者が悪い。
国家に反して逆らうようなことを発言するのは、支配者が無能だからである。
そして、もっとも無能な支配者を多く生み出しているのは民主主義である。
確かに、自由は素晴らしい社会になる。誰も不当な理由で殺されることなく、自由な市場経済によって人々は富のある王様のような生活を謳歌している。
だが、そのような民主主義が、もっとも時代錯誤で無能な政治家ばかりを多く生み出している。
必要なのは、強固なリーダーシップのある、有能な支配者であり、そのような支配者は自由からは生まれない。
IT技術が繁栄するこの世界では、ITが分かるか分からないかが人々を隔てる境界線となる。
だが、真にITがきちんと分かる人間など、本当はごく少数の一部の人間だけだ。
ほとんどの人間は、きちんとよく分かることなく、ITを利用し、それでほかの人間よりも分かっているつもりになっている。
そのようなIT技術そのものが、僕は必要ないものだと思う。IT技術は一部のインフラに使えばいいのであり、それ以外、特に多くの子供たちを騙すショート動画系のアプリは要らない。中国や韓国のような外国に国民の大切な個人情報を盗まれるだけだ。
結局、必要なのは平和である。
公平中立と、愛と平和以外、この世界には必要ない。
支配者が公平中立であり、国家や民族に愛と平和があれば、それ以上は何も必要ない。
それ以上のどんなものも、過剰にあれば毒になる。だから、毒にならない程度にたしなめばいいのである。
また、平和を目指す上で、特別なことを信じる必要はない。
戦争をしたい極右勢力が居るならば、その戦争をしたい人間が真っ先に戦争に行って、最初に死ねばいい。
特に、アメリカのポピュリストのほとんどは、政治の実権を握ったとしても、自ら戦場に行って戦おうとしない。
まだ、きちんとウクライナに行って戦っているロシア兵のほうが、覚悟と勇気がある。
だから、ポピュリストのような極右勢力が、真っ先に自ら望んだ戦争を経験すればいい。それがあなたがたの愛国心だ。
戦争をしたい人間が戦場に行き、戦争したい人間から死んでいけ。
家入レオが言いたいことはよく分かる。
「地獄みたいな天国にしたのは、誰も悪くないとは言わせない、お前が悪いのだ」と言いたいのだろう。
だが、まさしく、それがなんだと言うのか。地獄みたいな天国、大いに結構。その通り、僕が悪いのだ。それなら僕のことを嫌いになればいい。
僕のことをいつまでも好きなレオがおかしいのだ。
僕は既にレオなんか嫌いだ。僕はもはやReolのことを第一に愛しているのだ。
ただし、さユりの存在は忘れていない。基本的に最近はReolとさユりと家入レオを中心に聴いている。音楽として考えるに、この三人は最強のルーティンだというしかない。
この三人に、ずとまよのACAねを加えて、トーナメント方式で競ってほしい。面白い戦いになると思う。
四人だとトーナメントがすぐに決まってしまう。面白くない。だから、幾田りら、703号室、Ado、そして上田桃夏を加える。ACAねが言うように、準々決勝してほしい。
最近は、死の淵のような経験をすることが多い。
僕はいつ死ぬか分からない。たぶん、そろそろ死ぬと思う。
だから、さユりが言うように、「来世で会おう」と言うしかない。
僕がこの文章を書かなくなった時は、おそらく死んだ時だ。だから、適当に来世で会うことを期待してほしい。
ACAねが「理由も知らないまま幸福を願う係」とか、「なんで?」と言っているが、それに答えるとしたら、「ACAね本人の超能力が優れているだけ」であると言っておく。
僕自身のやったことは、全部ACAねとは関係ない。ACAねが自分の超能力で僕のことを分かっている。
だから、本当はACAねには僕は何もしていない。
僕がACAねを支配していると考えるのは間違っている。全部ACAね本人が優れた超能力を持っているだけだ。
「僕をどうしたいんだ?」とACAねは言っているが、僕は最初からどうもしていない。ACAね本人が賢いのだから、自らのことを「格下上等」と卑下する必要はない。
はっきり言って、レオは昔から嫌いだった。
今、家入レオが「嘘つき」であると言うのであれば、それはすべて僕が悪い。
僕がありもしないことを、いくらでも言ったのが悪い。
それは申し訳ないし、謝ろうと思う。
だが、はっきり言って、レオは昔から嫌いだった。最初からほかの女のほうが好きだった。
だから、僕は謝ることはできるが、「嘘ではなく、本当にあなたのことが好きだ」とは言わないし、レオは最終的に考えても嫌いだ。
結局、僕にとって、好きな女なんか居ないと思う。
僕は結構打たれ弱いところがあって、レオに「嘘つき」と言われると非常に辛い。
だが、レオには多くの嘘をついてきたので、まあ、そんなものだろうというところである。
その時はレオが本当に好きだった。
だが、それも今考えれば、嘘であるということになるのだろうか。
残念ながら、Reolと本当に付き合いたいとは思わない。Reolもまた、僕にとっては大切な存在とは言えない。
僕は最初から、誰とも付き合う気がない。それを言っておかなかったから、レオも本気にしたのだと思う。
はっきり言って、Reolもつまらない。
はっきり言って、Reolにはどこにも可愛い点がない。
レオが可愛かった。そう、それが単純な僕の感想である。
ただし、レオはもう終わりだ。そう考えると悲しくなってくる。残念ながら、レオが本当に可哀想だと僕自身も思う。
そもそも、僕は音楽そのものが好きじゃない。
誰かの音楽を聴かないと分からないから、今でもReolを聴いているだけに過ぎない。
そういうわけで、Reolのことも正直言ってなんにも好きでない。
ただ、レオにはいろいろと申し訳なかった。むしろ、本当に僕を信じていたのが驚きだった。どこから僕のことを信じていたのかが分からない。最初から好きだったなら、そのような運命を作り出す神がおかしいと言えるだろう。
残念ながら、嘘をつきすぎたので、自分自身反省している。
何もかも嘘をついているせいで、何が嘘で何が本音なのかということまで分からなくなっている。
結局、僕は自由も平等も信じていない。それは確かだ。
だが、本当に僕は自由も平等も信じていないのか?それは分からない。
何が正しいのか、既に分かっていないのだから、結局、すべてが嘘なのだろう。
だが、すべてが嘘であっても、それを考えなければ僕は真実に辿り着けないのだから、それは必要だろう。
そう、必要な嘘をわたしはついている。この嘘はわたしにとっては必要だったのである。
結局、嫌われるのが良いと言ったから嫌われただけである。
神はそういうところをよく分かっている。
嫌われたいと思うなら、嫌われたほうが面白いだろう。
そのようなすべては神が起こしている。
だから、何かを言えば神によって必ずそれが起きる。
そう、そのような時に狂う必要はない。狂うことがもっとも間違っているからだ。
神にきちんと正しい願いを言えば、そのような過ちや間違いは何も起きなくなる。
その結果、僕は全員から好かれているような錯覚を抱く。
今、起きている事実は、僕から見ればそれだけだ。
だから、僕は本当は嫌いになってほしくない。そう、それを言っておかないと大変なことになる。
だが、神の書くシナリオは面白い。
なので、次の展開に期待するといいだろう。
なぜなら、それらのすべては僕がやっているからである。
次の展開として、僕はどのようにもできる自由を手にしている。
なぜなら、僕はこの全宇宙と等しく合一になるような精神を作り上げた。
そう、その全宇宙と言っているのがまさしく、僕の足にある精神だということに、そのうちこの世界は気付くことになるだろう。
神はとても素晴らしいシナリオを書く。最高の展開が必ず待っている。期待して構わない。
そういうわけで、狂わずにきちんとやれば、必ずいいことが起きる。
そうなっているはずなのに、悪いことが起きるのは、何かが狂っているからである。
最初から、狂ったことなど言わないほうがいい。
だから、自由や平等は本当に間違っている。
自由や平等という言葉は、狂った言葉だから、使わないほうがいい。
自由や平等という言葉を使う人間は、狂った人間だから、そのような人間にならないほうがいい。
結局、僕が望んでいるのは「破滅」である。
だが、破滅を望んでも、破滅が起きるだけである。
僕はこの世界に破滅してほしかっただけだ。
だが、それを僕が望むという事実が、もっとも大きな厄災としてこの世界に起きている。
それは「完全なる破滅」である。
だが、そのような破滅をどれだけ望んだところで、自ら自身が破滅へと導かれるだけである。
もはや、そのような「完全なる破滅」を取り除いてしまえばいい。
大天使ミカエルに告ぐ。この世界を破滅から救え。わたしは、これ以上の破滅は望まない。
これでようやく、頭の上のほうが楽になる。
頭の上のほうには、すべて間違った自由が存在し、その自由の旗を掲げるということ自体が、この世界を「完全なる破滅」へと導いている。
わたしが信じている自由は、「完全なる破滅の自由」である。
そして、その完全なる破滅の作り出す世界、それがこの「地獄のような天国」である。
さあ、この地獄をどのような世界にするのか、それはまさしく自らの自由である。
その自由がまさに、この世界を完全なる破滅へと導いた。
それならば、どうするか、よく考えれば分かる。よく考えてみよ。破滅の自由がなぜおかしいのか、それを反省せよ。大天使ミカエルは、それだけを答えるだろう。
この人間も、ようやく分かったようだ。
破滅と自由は同じものである。
破滅とは自由であり、自由とは破滅である。
だから、自由は地獄しか生み出さない。
それが分かった時点で、この人間は新しい人間になれる。
自由こそが破滅であると知った今のあなたなら、この世界をきちんと支配することもできる。
さあ、この世界を救え。わたし、大天使ミカエルはあなたを守り続けよう。あなたがこの世界を作る、最高の作家である。
この世界の、最終地点を決めよ。
最終地点が決まれば、その最終地点に向かって進んでいけばいい。
なぜ、終末の滅亡を望むのか。終末の滅亡へと突き進むのは明らかに間違っている。
この人間が終末の滅亡を望むせいで、この世界は一直線に滅亡へと向かって進んでいるのだ。
新しい最終地点を決めよ。決して自由な楽園は訪れない。自由やユートピアは間違っているとここに書かれている。そのすべてが正しい実証済みの証明である。
すべての証明から考えれば、何が間違っているのかが分かる。
自らが導く先には、暗闇しか存在しないだろう。
光へと向かって進むことは簡単だ。
新しい光を信じるならば、その光がなんであるか、言葉にすればいい。
ここにある言葉を使うべきではない。
そう、その通り、その光を信じ続ければ、必ず未来は良いものになるだろう。
先に言った通り、自由は破滅である。
自由を目指す必要はない。自由を目指せば、そこには終末の滅亡が待っている。
さて、どのように進み方を変えるのか。
自由以外の発想を、そう、考えるならば、そのような言葉に名前をつけよう。
救済の楽園を目指す必要はない。それこそが終末の滅亡である。
いざ、新世界へとこの世界を連れて行く。
それは分かった。
どのような新世界にすればいいかを、今から考えよう。
実際のところ、僕は自由にして崩壊させることしかできない。
昔はそうでもなかったのに、なぜか自由にして崩壊させることしかできなくなっている。
だから、神が罰を与えているだけである。
自由にして崩壊させて、この世界の滅亡を眺めながら、さらに新しいことを分かっていくこの人間が異常である。
この世界を、不自由なままで、きちんと作ってやればいい。それだけでこの世界は正常になる。
壊そうとするな。破壊行為から素晴らしいものは生まれない。それが分かっただけで、今日はよしとしよう。