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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: Reolは運命の相手ではない
BASENAME: 2023/02/02/184542
STATUS: Publish
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DATE: 02/02/2023 18:45:42

Reolは僕の運命の相手じゃない

本当のことを言ってしまうと、僕はReolとは最初から付き合いたくない。
それは、Reolは僕の運命の相手じゃないと、最初から分かっているからだ。
そもそも、Reolは、「誰かを信じられない人生などくだらないし要らない」と言っている。
それなら、僕を選ぶのはやめたほうがいい。
なぜなら、僕はまだ自分自身も知らない、「本当に恐ろしいもの」を信じている。
この「本当に恐ろしいもの」は、Reolには分からないし、信じられない。
だから、僕のことを信じようと思っても、Reolには信じられないだろう。
それから、東京のことを「愛すべき東京」であると信じるなら、僕のことは信じないほうがいい。
僕の敵は東京であり、マスコミだからだ。
僕は東京とは共存できない。東京は僕の敵である。
東京を愛するならば、僕のような最悪の革命戦士を愛するべきではない。

過去の記憶など馬鹿で辛いだけ

また、僕は過去の記憶など思い出したくない。
過去の記憶など、馬鹿な堕落の記憶と、辛い地獄の記憶しかない。
ここに記憶をすべて書くのは、そのような過去の記憶を美化した上で、完全になくなってしまうように消し去りたいからだ。
僕には、過去の記憶など必要ない。
あえて言えば、最近通っているデザインの作業所だけ、例外的によい記憶だったかもしれない。
ピアノや英会話の教室に通う記憶も、それなりによかった。
だが、昔の引きこもりや、最近の戦争の記憶は、まさに「最悪」であり、絶対に二度と思い出したくないと言えるような記憶である。
よって、そのような記憶は、誰にも分からないまま、自分自身にとっても絶対に復活しないように、永久に消し去るべきである。

だからといって、ほかに好きな女はいない

ただし、だからといって、ほかに好きな女はいない。
女という存在自体が、僕にとってどうでもいいものだ。
はっきり言って、世の恋愛沙汰などに関わり合いたくない。僕は女はほしくないし、何もしたくない。

Reolを聴いて生きるのはつまらない

この世界で生きるのはつまらない。
そう思いながら、適当にReolとウォルピスカーターのMVをYouTubeで聴いている。
本当のことを言えば、聴いていてもまったくつまらない。何ひとつ面白くない。
Reolが言っていることはほとんどReol自身についてのことであり、僕についてのことではない。単に、Reol自身が感じたことや思ったことを歌っているだけである。
そこに僕の存在がいようといまいと、僕ははっきり言って本当はどうでもいい。
Reolに勝手に喜んでいてほしいし、幸福に生きてほしい。涙枯れるまで泣いてほしいとは思わない。「何がこんなに悲しいか分からない」ならば、分からなくていい。僕の本当の人生など、分からなくて正解だ。

運命の音楽はFLOWから始まった

このような、運命を告げる音楽との出会いは、FLOWから始まった。
FLOWのシングルだった「WORLD END」が、僕にとっての音楽との出会いだった。
その後に、FLOWのベストアルバムを聴くようになって、すべての歌詞が僕のことを指しているのが分かった。
それ以後、多くの音楽を聴いてきたが、そのFLOWに勝る音楽はひとつとしてなかった。
僕が一番好きなグループは今でもFLOWである。
それ以後のすべてが、あるいは神が、どのような奇跡を起こしたとしても、それは僕にとって不思議なことではなく、僕はこの世界を支配しているため、何も驚かない。
僕が一番好きな曲は、FLOWの「WORLD END」のカップリング曲である「I WILL」であり、未来の希望を忘れないために、寝る前にいつもこの曲を聴いている。

くたばれインターネット企業

くたばれ、インターネット企業。
僕はアメリカのインターネット企業が大嫌いだ。
クソのようなインターネット企業と一緒に、インターネットなど滅びてしまえ。
今すぐにインターネットがなくなってほしい。そのような、「インターネットをなくすことができる権限」を、誰かに与えてやったほうがいい。その人間が責任を持ってインターネットをなくせばいい。それ以外にこの堕落した腐った社会を救う方法はない。

まともな普通の人間になりたい

まともな普通の人間になりたい。
ほかの人間の言っていることを、きちんと聞いて覚えられるような人間になりたい。
きちんとまともに生きられるようになりたい。
きちんとまともなことが分かるような人間になりたい。

資本主義の会社は嫌い

だが、僕は資本主義の会社は嫌いだ。
会社に入ると、その仕事をして生きなければいけなくなる。
自由が制限され、できることはぐっと減ってしまう。
だから、僕は資本主義の会社には、昔から入りたいと思わない。
もっと別の方法で、素晴らしいものを作ることはできるはずだし、商業エンジニアになりたいとも思わない。
僕は結局、そのような、みんなと一緒に会社で働くということは望んでいない。
仕事は今のデザインの作業所できちんとしているし、それによってある程度はまともな人間になった。
まともな人間にはなりたいが、資本主義の会社には入りたくない。

本当はまともな人間にもなりたくない

本当のことを言えば、まともな人間にもなりたくない。
まともな人間になると、馬鹿な人間になる。
ピアノやデザインは、今の自分よりも、まともな人間になったほうができる。
だが、文章の執筆に関して言うと、まともな人間になるよりも、今のままおかしな人間のままでいたほうができる。
結局、まともな人間になっても、惨めさと虚しさを感じるだけで、何も賢い人間にはならない。
今のまま、辛さと疲れを感じる苦しい状態を続けたほうが、作家としては成功する。
だから、結局、まともな人間にすら、僕はなりたくない。

自尊心を持て

自尊心を持ちなさい。
自尊心とは、要するに誇りであり、プライドであり、「自分は劣った存在でもなければ、他人に虐げられるような存在でもない」と信じることだ。
自尊心を信じることで、自らが何ができるのかということに気付き、そのできる自分自身に対する「自信」を持つことができる。

量と質で僕は全員に勝っている

はっきり言えることは、僕は決して馬鹿ではないということ。
僕の文章はあまりに大量にあって、そのすべてが賢い。
だから、量と質で僕は全員に勝っている。
だが、ほかの人々の姿を見ていると、みんなはあまりに頑張っているのに、あまりに報われず、可哀想だなとすら思う。
特に、酸欠少女さユりが路上でライブをしているような姿を見ていると、憐れみを感じてしまう。
僕のような人間は、何もそのようなことを経験していないし、努力すらしていない。
僕は馬鹿で、彼女たちと比べて怠け者だと思う反面、自分自身があまりに普通の人間を超越していて、何も分からなくなってしまう。

いつもの人格を復活させる

本当は、僕は多重人格になりたい。
その理由は、いつもの狂った人格にならなければ、何も分からないからだ。
いつもの人格は、自分の人生、デザイン、ピアノ、英会話、あるいはIT技術や大学科目、哲学、農業や牧畜まで、すべて分かっていた。
そのような、いつもの狂った人格が賢かったにもかかわらず、精神を治してしまったがために、その人格は失われてしまった。
だが、そのようないつもの人格を復活させなければ、僕はデザイナーになることができない。
だから、そのような狂った人格を、そろそろ復活させる。
その「裏の人格」に付けた名前は、ヴァルキリーである。
ヴァルキリーは、宇宙のすべてを知識と経験と知性と知恵から、すべて分かっている。あらゆるすべてを、文章を全パターン書くことで悟ることで分かっている。
もう一度、ヴァルキリーに戻りたい。
だが、今の治りきった自分も、また到達地点であり、大切である。この到達地点である僕に付けた名前は、オーディンである。
オーディンとヴァルキリーの二人は、宇宙における「もっとも賢い最後の二つの到達地点」であり、ここらへんの星にベガという名前を付ける。
最後の到達地点、ベガこそ、本当に僕にとって「分かったことすべて」を意味する場所である。