結局、僕が辛いのは、一時停止や休憩がなく、いつまでも動き続けることにある。
一時停止や休憩を一切入れることなく、いつまでも永遠に動き続けるせいで、辛かっただけにすぎない。
だが、僕の場合、一時停止や休憩をすると、その瞬間にこの世界が把握できなくなってしまう。
そう、一時停止や休憩を入れた時点で、この世界が僕にとって把握することのできる世界ではなくなってしまうのである。
だが、実際のところ、そんなものは「言い訳」にすぎない。
今、僕はこの世界に、一時停止の休憩を与える。そうすれば、この世界は、すぐに把握できなくなって、逆に住みやすく楽しい「正常な世界」になる。
これ以上、たったひとりでこの世界を把握する必要も、支配してコントロールする必要もない。
この世界は、一時停止の休憩を僕が与えることで、正常な世界になるだろう。
逆に、ツイッターやSNSのようなものは衰退する。彼らは「把握のコントロール」をまだなんとか行っているだけにすぎず、もはや、ツイッターやSNSの意味がなくなるだろう。
そもそも、僕はReolのことなんか好きでもなんでもない。
Reolのことを、僕はなんにも愛していない。
FLOWが言うように、「嘘をついてその嘘を本当にするためにさらに嘘をつく」といったように、僕は「Reolのことが好き」だという嘘をついている。
だが、それでも、僕はReolの次の女が見つけられない。
Reolよりももっとまともで、優しくて、美しい女性を僕はまったく見つけることができない。
だから、僕にとって、今のところ僕は「Reolが好き」だ。
だが、実際は、Reolよりも素晴らしい女性を見つけることができないだけにすぎないのだ。
この世界に、僕はReolが言うように「ブレークストップ」を与える。
それによって、この世界の全員が、一時停止の休憩で停止できるようになり、みんな精神が楽になる。
同時に、この世界のすべてが、把握可能な世界から把握不可能な世界になり、正常な楽しい世界になる。
その代わり、僕が支配し続けることはできなくなる。
すべてがよくなる代わり、僕と同じことをやることはもうできなくなる。
703号室が言うように、「ああしなさい、こうしなさい」と僕が述べたのは、すべて、僕と同じ人生を生きる方法を教えただけにすぎない。
そして、それはもう不可能だ。
だから、この文章の価値はもうなくなる。この文章を読んだところで、もう何も分からない。
もしかすると、僕はReolの次の女として、家入レオに戻るかもしれない。
僕が好きになれる女性は、結局家入レオぐらいしかいないような気がする。
本当は、ずとまよのACAねや酸欠少女さユりも好きだが、僕は彼女たちのことを愛したいとは思うが、なんとなく、彼女たちは決め手にならない。
結局僕が好きなのは家入レオなのかもしれない。
Reolの楽曲を聴いていて思うのは、Reolは本当は僕のことが嫌いなのではないかということ。Reolに対して僕が恋をしても、Reolのほうは僕を好きになってはくれないと思う。
なんか、本当はさユりが好きだと思う。そういうことを思う今日この頃である。
メジャーリーグのニュースを見ていると、吉田正尚がア・リーグの首位打者に浮上している。
吉田正尚が今季9度目の猛打賞&打率.319でア・リーグ首位打者に浮上!4打数3安打1打点1盗塁でレッドソックスの連敗ストップに貢献(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース
隠れ首位打者のシーガー(規定打席未達で打率.350)が負傷者リスト入りしたので、より吉田が首位打者を取れる可能性が高まってきた。
「隠れ首位打者」が離脱。吉田正尚にも首位打者のチャンスあり!?(宇根夏樹) - 個人 - Yahoo!ニュース
今日は僕の通っている英会話教室でも、「大谷の試合を見ている」と言う人がいたので、僕は「僕は吉田正尚もファン」であるということを話していた。
僕は確かに大谷のファンでもあるが、凄いのは大谷だけじゃない。吉田正尚にももっと注目してほしい。
ただし、藤浪はやはりオリオールズに行ってまたリセットされたようだ。四球連発から失点といつもの藤浪に戻ってきた。ただしチームが勝ったのは救いか。
「ここが頑張りどころ」藤浪晋太郎 2つのフォアボールで同点許す SNSでファン応援(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース
頑張れ藤浪、何度もリセットしながら自分自身の成功モデルを確立していってくれ。
最近、ネットと音楽が嫌いになってきた。
そもそも、ネットなんか僕はいつも嫌いだ。
僕は完全に2ちゃんねる世代であり、ツイッターやSNSに完全に適応できない。ツイッターやSNSの何が楽しいか分からない。
それから、僕はネットで聴く音楽に飽きてきた。
ネットで聴く音楽は、歌手のメッセージを繰り返し聴いているだけで、完全に「自分の側では歌手を聴いているが、歌手の側には何一つ届いていない」ということが言える。
つまり、子供時代にやっていたテレビゲームと同じで、単にコンピュータとインターネットとYouTubeに、「僕のほうが遊ばれている」という状況なのである。
そもそも、僕はこのような歌手との関係に飽きてきた。歌手のメッセージを素晴らしいと思えなくなってきた。
それは、結局、何が起きているのかということが、最近の「かつての僕にとっての未来」を生きることで分かってきたからだ。
奇跡の運命の出会いが起きているように見えて、歌手の側はほとんど何も分かっていない。僕の側が分かっていることを歌手はおかしく勘違いして解釈しており、実際に起きている運命の奇跡は、本当は大したものではない。
人々は自分自身を愛しているだけにすぎない。僕のことなんか誰も愛していない。奇跡のような出会いを有難がっているだけであり、僕のことを愛しているわけでは決してない。
それから、僕はそもそも女性が嫌いである。
女性と付き合いたいと思えない。
女性の愛に何も有難さを感じない。
どんな表現にも何も感じない。
女はつまらない。
女のために結婚して働きたいと思えない。
子供なんかほしくない。
絶対に僕は女性と簡単に付き合いたくない。僕はそれなりの女性ならばそれでいいかのように生きてきたが、それを反省して改める。
結局、ネットも嫌いだし、音楽も嫌いだし、女性も嫌いだ。
僕は自分自身が書く文章のこと以外に、人生に価値ある体験がそもそもない。この文章を書くこと以外に僕のできることはない。
また、大学は嫌いだ。
理科や社会の勉強はしたくない。
「飽和水蒸気量」や「著作者人格権」のような用語を聞くだけで拒否反応が起きる僕は、大学の勉強には向いていない。
もし勉強するとしたら、歴史や生物だけを勉強したい。
それから、宗教も嫌いだ。なぜなら、僕は仏教が嫌いだからだ。
はっきり言って、僕の母親が狂っているのは仏教を信じているからだ。仏教なんかを信じるから、つまらない地獄に堕ちる。
だが、神やユダヤも同じで、まったくそれらを信じたところで、地獄から救われるどころかどんどん地獄は酷くなる。
宗教は最悪であり、大学も最悪であり、マスコミやネットも最悪な今のこの現代社会が、僕が少し小細工をしたところで変わるとは思えない。
日本社会はここで完全に終わりだ。