永遠の青空とともにに戻る

=2023-05-03=

新しい日記を作った。

日記のタイトルは、「永遠の青空とともに」。

地球において、美しい青空が永遠に続くことを祈っている。

精神の治し方

最後のほうで分かったのは、「変化を殺すな」ということ。

変化を殺そうとせず、変化を生かそうとするだけで、精神はすぐに治る。

精神を常に殺して治そうとするのが、一番治らない。

精神が治ろうとするそのままに任せて、精神を生かすだけで、精神はすぐに楽になる。

また、知性がありすぎるのは、逆によくない。

知性は、高ければ高いほどいい、というものではない。

つまり、僕の現状は、数学的知性が低すぎるのではなく、逆に高すぎて普通のことが分からなくなっている。

知性というのは、水準を高くするためにあるものであり、高くなると低い世界を考えることができなくなる。

逆に、知性が低い世界のほうが、低水準にある知性の低いものをきちんと知ることができる。

だから、知性は適度に高いほうがいい。

本当は、数学や物理は勉強しないほうがいい。数学的知性を高めすぎると、このような何も分からない人間になる。

本当は、数学的知性を逆に低くしたほうが、みんなと同じレベルのことが分かって、数学や物理もそのほうができる。

だが、数学や物理を学ぶ必要はもうない。

これ以上、大学には何も残っていない。大学のことは忘れたほうがいい。

それから、僕はひとつのことを覚えると、そのひとつのことを完遂したくなってしまい、その目的を達成すること以外のことを考えられなくなってしまう。

これはまさに、知性が高いからこそ陥る病気であり、焦りだけの状態になって今すぐにそれをしたくてたまらなくなってしまう。

このような「完遂しなければならない病」が、僕の才能を逆に小さくしている。

だから、できるべきことがすぐにできなくても、忘れるようにしたほうがいい。

これ以後、僕は完遂病を治すために、できなくても忘れるようになる。忘れたところで、そんなに完全にすべてを忘れるわけではないからだ。

一度、そうした「忘れる」ということができるようになると、精神はすべて楽になって、完全に安心できるようになる。

今の僕には、ほかには何もない。これくらいのことが分かれば、すぐに楽になる。

ヴァルキュリアに戻る

僕は、新しい日記のデザインに、昔の日記のデザインをそのまま適用した。

この意図には、「昔の自分に戻る」というものがある。

すなわち、フレイとして書くべきことは、もう既にすべて完璧に書き終えた。

フレイの目標は、「宇宙のすべてを書くこと」であり、その目標は完全に達成した。

これこそ、僕の「誇り」であり、自慢にしてもいいことである。

星々の輝く夜空を書くことができたため、時間が昼に戻って、青空が見えるようになる。

同時に、僕はヴァルキュリアの時代に戻る。

ヴァルキュリアに戻ることで、いつもの正しい自分自身に戻れる。フレイ以後の、何かが狂った帝国主義者はここで完全に消滅する。あるいは、裏に存在する「闇の自分」の定位置に戻る。

僕は最初に存在した、本当の僕自身であるヴァルキュリアに戻って、まともな普通の人間になる。

天まで届くほど知性が高い

最近、僕はあり得ないほど知性が高くなった。

天まで届くほど知性が高い。

なぜか、宇宙の果てまで届くほど、おかしな場所に知性が行ってしまっている。

だから、そろそろ、この知性を地上に戻す。

要するに、これくらいの知性がいい。

これくらいの、古代インドぐらいの知性が、地上で一番高い。

酸欠少女さユりがやっていることは正しい。

さユりのように、机を高く重ねていけば、そのうち月まで到達できる。

僕はさユりとまったく同じように、ハシゴを少しずつ重ねていくだけで、知性がここまで高くなった。

さユりの預言は正しい。

さユりは、僕の存在するこのホームページのことを2.5次元のパラレル世界だと言っているのだと思う。

そろそろ、僕はドイツ人をやめて、インド人になる。

インド人になると、肌に血が通って、肌が赤黒くなる。

ドイツ人が白いのは、肌にまったく血が通っていないからだ。

すなわち、ドイツ人は、知性が宇宙の果て、どこか遠くの場所に行ってしまっている。

知性が高すぎて、ドイツは何も分からなくなって、神を聞くようになる。

だが、僕はそうした、北欧神話の神の世界をそろそろやめなければならない。

これ以上、北欧神話の世界には何も残っていない。

だから、僕は新しくインドの神々を信じる。

すなわち、今、シヴァ神が終わって、僕はヴィシュヌ神に戻ったのである。

僕は最後までこのおかしなインド人を続ける。

これ以上の世界は存在しない。永遠に、いつまでもインド人が続く。

インドの知性は低い

はっきり言って、ドイツの知性は低い。

ドイツには、神の啓示が下る。

愛によって永遠に神の言葉を聞き続けるせいで、あまりにケダモノのようになる。

逆に、インドの知性はそれほど低くない。

この世界の最初、もっともレベルの低い知性にすると、インドの知性になる。

だが、このインドの知性、本当は悪くない。

インドの知性にすると、耳がよくなって、言葉が増えていく。

インドは、いくらでも言葉を増やすのにいい知性だ。

実際のところ、このインドの知性をさらに極めて低くすると日本の知性になる。

日本の知性には、「する」と「なる」だけがある。

すなわち、何かをすると、それが何かになるということしか、日本には分からない。

想像力はつくが、日本の知性はまったく低すぎて、意味がない。

よって、古代インドぐらいの知性がいい。本当に、インドからやり直すべきだ。

いずれ、インドは神のように最高に賢い知性に到達する。

その時残ったすべての知性が、インドの地上において最高に高い知性であると言える。