世界史の世界観です。
僕は、歴史をもし何も知らなくても、歴史的な考え方をすることはできると考える。
ここで、歴史的な考え方が何かを説明すると、
・世界は昔から今まで続いており、全ては自然の成り行きであり、あったものは昔からあって、変化はしてきたが、場所そのものは変わらなかった、そしてたくさんの出来事やイベントが確かにそこであったということ。
・世界の可能性として、今のこの地球の世界は必ずしも正しいものではなく、江戸時代を現代から振り返るのと、未来から現代を振り返るのは、本質的に変わらないと考えること。
・人々の生活から、この世界における営みの実存を知り、人々が何を考えて生きているかを知ることで、何ができるのかや未来において何をするべきなのかを、自らの実体験から考えること。
・全ての人生は過去にあったものであり、残っていないものもあり、また世界には確かにそれぞれが生きていて、マスコミやテレビが煽り立てるようにそれらは馬鹿でも奴隷でもなく、自分と同じ権利と知性を持った同じ人間なのだと考えること。
・自分のできることは、今、自分にしかできないと考えること。
・社会の実際の変化を眺めること、そして知ること、体験すること、なること、きっかけとチャンスをつかむことが、そのまま、この世界の「文明を知る」ことに繋がること。
・文明の進展はGNU Projectのようなもので、いったん落ち込んでも再度復興するための努力をすることができる(ルネサンスは作り出せる)ということ。
・今の自分にしか、今の自分が欲しがることややりたいことはできないと確信すること。
・科学のない時代がたとえあったとしても、宇宙には地球という星は地球でしかなかったということ。江戸時代でも、日本列島は極東にあったということは、「普遍的で変わらない」ということ。「真実は常に同じ法則と場で動いている」ということ。
このように、「自己啓発的」な歴史の考え方はたくさんある。これらを踏まえて、哲学的に「人々の存在」を考えられる。それを、「実存主義」と呼ぶ。そして、実存主義においては、たとえ自分が何も分からず馬鹿で愚かであっても、「実存は本質に先立つ」。これはフランスの現代哲学者サルトルの、素晴らしい格言である。
また、歴史から経済学のようになるかもしれないが、マルクスと自由をどちらも矛盾なく考えるために必要なのは、「個人と社会の自由を考えること」である。どうすれば自由に立脚した社会になるのか、ということを、論理的かつ自由を元に考えることで、独自の経済学を作ってこの世界を考えられるようになる。
2019-04-17より。
また、最後にもうひとつ、「独自の歴史」を書いておこう。昔は、心から出てくるままに歴史を記述していた。まず、暗闇があった。暗闇の中で、動きが生まれた。次に、動くものが生まれた。動くものは、増えて集団になり、生きるものの複合体としての構成物を形成した。すぐに、それは特徴を増やすものになった。それらは、神が創造した。
何億年の時の中で、人類が生まれた。彼らは、まず、親子を理解した。次に、味方と敵を理解した。次に、作るべきものと与えるべきもの、奪うべきものと倒すべきものを理解した。そして、作ることに対して、役割分担と技術が生まれ、人々は発見したものを伝え聞くためにコミュニケーションのための言葉を話すように進化した。ここで、昔の人類は今の人類になった。
社会は、何万年も同じままの共同体から、次第にそれぞれが生きる意味としての娯楽と宗教が生まれ、その上で社会性を築いた。そこでは、上と下の概念が生まれ、集団の利益にならないものは処罰された。
しだいに国がやるべき仕事が増え、集団によって公共のものを作るようになって、王が生まれた。王は支配し、人々からものを奪っても、軍隊を作ることで、それらに勝った。だが、王はさまざまに変わり、国もさまざまに分裂した。時間とともに、しだいに王は安定するようになり、国も大きくなった。
ローマ帝国とギリシャの知恵から、人々は発展した。そして、「歴史」というものがここで生まれた。人々はさまざまな歴史を生きた。
まず、自由がそこにあった。その上で、良く考えられた国の制度があった。この制度は、経験から少しずつ自由になっていく。まず、人々は個別の人の権利を主張したが、王はそれを従えた。ここから、議論と集会の考え方が生まれた。
しだいに、人々は王による圧政を経験し、「王と民衆の争い」が生まれた。ここで、戦争という新しい概念が生まれる。国や立場の違うもの同士が、集団で殺し合うようになった。
人々を抑えるために、権力が生まれた。権力は力であり、人々は戦争の末に、「強いものにつかなければ殺される」という「強制力」を知った。また、「勝つためには威勢のある王につく」という「政治力」を知った。
人々は、国が強くなると、逆に戦争を望むようになり、さまざまな領土へと「征服」するようになった。ここから、「強い国と強い国の均衡」が生まれた。ここで、戦争は強国の力関係へと変化した。
しだいに、経済力が増えていき、人は奴隷制を作るようになった。また、植民地にあったものを強奪し、自らの富とし、戦争で負けた民族は奴隷にされ、植民地の人種は奴隷貿易となった。
ここで、弱者の間で宗教が生まれた。宗教は、弱者に対して神による平等を唱える。王に絶対に勝てない立場におかれたものでも、精神世界の中で絶対的神を信じることで、王に勝てるような、そういう思想が生まれ、「絶対的な神」が世界に広まっていった。
キリストが降臨したこと、ローマ帝国にキリスト教を国教とさせたことで、キリスト教による身分制の支配が長い間続いた。これを中世とする。
だが、しだいに、キリスト教は変質していき、人々を洗脳して何も分からなくする機関へと教会は変貌していった。
中世の時代、ヨーロッパは大きな勢力圏ではなく、イスラムや中東諸国、東アジア諸国なども長い間繁栄した。中世の文化圏は、ヨーロッパ、イスラム、そして東アジアだった。日本は、その頃、中国の文化の影響下にあり、文明的な進歩は多くが大陸から伝わったものだった。大和時代の日本の「律令制国家」も中国の律令制度を模したものだった。
日本における宗教も同じで、奈良時代から鎌倉時代にかけて広まった日本の仏教は、末法の世と言われる武士の台頭による混乱の時代、弱者を救済するために人々の間に広まった。
中世の後に、人々は気付いた。我々は教会のせいで自由を奪われている。我々の持っている理性は、もっと自由で良いはずだ。人々は、ルネサンスと人文主義、宗教改革とプロテスタント、国王の絶対支配である絶対王政、そして近代科学などによって、少しずつ自由を取戻し、新しい文明に目覚めていった。教会によって洗脳された社会が、少しずつ正常になっていった。
自由は芸術だけではなく、ガリレオやケプラー、ニュートンなど、科学技術の発展を促した。イギリスなどで、多くの資本主義的かつ科学主義的な発見と発明が生まれ、これは世界中の全ての国を凌駕するほど優れたものになった。後に、フランスやドイツなども続き、彼らは次第に世界中を植民地だらけにして征服していった。
新しい大陸の発見は、蒸気船や羅針盤などの発明、そして世界中の植民地による世界分割によって、イギリスの強さを物凄く大きくした。
だが、イギリスは帝王と奴隷を分ける産業革命の利益を使い、人々に格差を与えた。イギリスでは穏健的だった市民革命は、フランスでは暴力的かつ過激なものとなる。ここに、王ではなく民主主義と人権を宣言する、フランスの新しい思想「民主主義」が生まれる。
民主主義とともに、人々は「自分たちで新しい世界と知識を作る」ということに目覚めた。そこから、デカルト、カント、ヘーゲルに代表される「近代西洋思想」が生まれ、また最終的には資本主義が滅びて共産主義になるという、革命と暴力主義的で、人々のものを強奪しながら、それでも理想を目指す「共産主義」がここに生まれる。
第一次世界大戦は、専制君主たちと民主主義の戦いだった。
第一次世界大戦で負けたドイツは、持たざる国としてイタリアや日本と連合を組み、帝国独裁主義的な「ファシズム」を作り出す。ファシズムは、独裁者による戦争に訴える過激な思想だが、本当は救いを求めるドイツ人の最後の手段だった。
実はこの頃、日本は急速に力をつけてきており、明治維新によって富国強兵政策を断行していた、新しい近代国家を目指す日本の政府は、イギリスの科学力を真似て自らの政治制度もイギリスに倣い、軍事力と経済力を高めることで、イギリスやアメリカにも負けないぐらい強くなっていた。日本はアメリカに勝つためにドイツと連合を組んだ。
第二次世界大戦は、民主主義と共産主義の連合である連合国と、ファシズムの枢軸国が戦い、連合国が勝利した。
だが、連合国は一枚岩ではなく、ソ連とアメリカの対立が起きた。彼らは世界を滅ぼすほどの核兵器を作り、いつ世界が滅びてもおかしくない状況を作り出した。ソ連は、共産主義による平等という理想はあったが、経済と技術が何十年もアメリカに対して遅れていた。一方アメリカは、産業革命と世界大戦を経た上で、「大量生産によるさらなる資本主義経済革命」を起こした。資本主義国は豊かさの極みを作り出し、一昔前であれば王がしていたような生活を人々はするようになった。自動車やテレビのような発明で、人々は宇宙人のような生活をするようになった。一方、環境破壊は深刻で、温暖化や放射能汚染の新しい問題を作り出した。
日本はアメリカに負けたが、戦後に大成長し、アメリカに次ぐ第二の経済大国になった。
共産主義国のソ連は崩壊し、資本主義国になった。中国は資本主義をとり入れ、共産主義をしながら資本主義をするハイブリッドな国を作り出した。
まあ、歴史を書くとこんなものだが、せっかくだから未来も書いてしまおう。
まず、それぞれが自由であることから、ひとりの偉大な指導者が統治するようになり、その指導者は増えていき、共同体が生まれ、放っておくと万人が指導者になって、みんなの国になり、社会全体が平等になって、それぞれが自治するようになるが、それは分散して力が弱くなると同時に、その上で争いや抑圧が生まれていく。そこから自由な社会としてまた内戦が起き、また指導者が生まれ、その上でその指導者は安定し、そして人々はもう一度自由を取り戻す。そこで、それぞれが頑張ることで経済は復活する。それをする偉大な指導者が生まれれば、また指導者は増え、共同体となっていく。
昔は、それをもっと先まで、細かく細かくして、宇宙全体の「まるで宇宙人が支配する惑星のような」歴史を書いていた。そういう、普通の人間だった。
これで終わりにしよう。あとは、社会の可能性と過程を全て記述していた。哲学など、自分の経験だけで分かる、コナンで言えば工藤新一のような人間だった。もう、これで本当に全てである。あとは、歴史のことを実感から分かってほしい。環境から歴史が分かるような、ありえない人間が昔の自分だからである。では、また。
どうでも良いことのようだが、裁判では「それぞれの言い分が違う」というのが重要である。どちらが言っていることが正しいのかを考え、刑の大きさを図るために弁護士が必要である。決して、裁判官に「刑期を短くしてください」とねだるだけのものではない。そこが、弁護士の仕事である。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/15より。
歴史について言えることがあるとしたら、それは何度も同じ本を繰り返し読むことだ。一回だけでは十分ではない。特に、哲学者や思想家について書かれた本は、最低でも二回読むこと。二回目になって、はじめて書かれたことの意味がきちんと分かる。また、人物を愛すること。哲学の勉強は人物の勉強だ。
歴史を学ぶ意義がどこにあるか、それは「政治と人生を生きる上で、世界とどのように向き合うか」ということが分かるということだと思う。
「ローマ人の物語」という書籍のシリーズを僕は持っていて、この一巻を読んだことがある。
このローマ人の物語を読んで、それだけでローマの皇帝のような正しい指導者やリーダーになれるわけではない。
だが、それに近づく一歩にはなる。
数学と違って、歴史は何が面白いのかが分かりづらいため、多くの子供たちから「歴史を学ぶ意味はない」とか、「歴史は暗記科目」であると言われるが、それは正しくない。
なぜなら、「ローマの皇帝の為したこととその足跡を読んでいくことで、自らがローマの皇帝に近づき、ローマの皇帝と同じような指導者、王、政治家になることができる」ということが、歴史を学ぶ意義として言えるからだ。
今の日本の政治家は、二世三世の世襲議員ばかりで、自分の頭と判断力で国を率いていこう、というような、腕力と野心のあるリーダーシップの備わった政治家は皆無に等しい。
だが、そのような中で、歴史を学ぶこと、特にローマのような偉大な帝国の足跡をなぞっていくことで、自らもローマの皇帝と同じ「王」となる、あるいはそれに近づいていくことができるのである。
なぜ、日本の学校では、歴史の科目の人気が少ないのでしょうか。
数学や理科は好きな人間が多いのに、なぜか社会科は嫌いな人間が多いです。中でも、歴史は非常に人気のない学問です。
僕は、その理由は、世界における昔の時代の価値観にあると思います。
昔の人類は、「人を殺す」という行為をあまりに普通に行っていました。
今のように、近代兵器や銃がなかったため、人々は刀や槍や弓で戦っていました。
昔の時代の戦争は、そのように、「強い」ということがまるでとてもいいことであると勘違いしていました。生存のためには強くなければならなかったのです。
また、今の近代兵器を使った大量殺戮を行わなかったため、「人を殺すということに対する抵抗が少なかった」のです。
歴史を学んでいると、あまりに「気持ち悪い」と思うしかないような文化が登場します。昔の江戸時代の文化などは、今の日本人からして見ると、「なんであんなに醜いのか分からない」といった文化や芸術の様式であると言えます。
この「気持ち悪さの理由」は、僕は昔の時代が人殺しに対する抵抗が少なかったため、「人を殺す恐怖や気持ち悪さ」が出ているのだと思います。
また、江戸時代以後の、明治維新などから始まる帝国の現代史は、より人を殺すということが顕著になっていきます。まるで、「明治以後の帝国日本は軍事的な戦争がしたいだけ」に見えてしまいます。
それは、それまでのレベルの低い戦争が、レベルの高い戦争へと変わっていく中で、「自分たちもヨーロッパの巨大軍事力に対抗しなければ、日本人は生存できず、日本の未来はない」と考えていたからです。
そう、過去の人類は、あまりに人を殺すということが普通だったのです。間違ったものは共同体から排除し、革命家やテロリストは当然のごとく、公衆の面前に晒して殺していたのです。それが昔の日本であり、ヨーロッパです。文化的・価値観的にそのような時代だったから、子供たちから歴史は人気がないのだと思います。
2022.11.27
2023-08-22の日記に書いたように、歴史は勉強するのではなく、自分で考えるべき学問です。
教科書の歴史をただ覚えても、分からなくなるだけで何も賢くなりません。
そうではなく、世界にあるものと世界の変化を見て、歴史あるものの経緯と過程を知って、時を感じて、意識と経験から、この地球という星の人類の文明について、自分で想像力をめぐらして考えるべきなのです。
教科書の歴史は歴史ではありません。この世界に現実に存在した人々の営みこそが真に歴史なのです。
歴史とは、意識を考える学問です。この宇宙において、「意識がどのように発生したのか」ということを考えることで、かつての歴史上の人間の文明が分かるのです。
歴史を教科書で学ぶ必要はありません。歴史は自分で考えるべき学問です。
歴史は宗教です。なぜなら、歴史とは、その場所に存在したかつての存在の意識と精神を考える学問だからです。
歴史は、「場所の意識」を考えます。その場所において、かつて何が存在したのか、今それがどのように至っているのか、ということを、「意識」と「精神」から考えることで、この世界すべての「意味」が分かる学問、それが本来の「歴史」という学問なのです。
2023.08.22
実際のところ、歴史を学びたい人は、文学作品を読むべきです。
学校の授業と教科書で学ぶ歴史は、王や権力者と戦争や革命が中心となって、王の名前と出来事の年号を教えます。
時代の変転と名前、宗教の問題、世界を変えた発明品、戦争や革命、国を統一した指導者や新しい時代を作った革命家など、そのようなものの「名前」しか教えません。
そのような学校の歴史、すなわち「通史」をいくら学んでも、なんにも分からない人も多くいるでしょう。
そのような、歴史が学びたいにもかかわらず、通史では分からないという人は、文学作品を読むべきです。
僕も、あまり多くの文学を学んだわけではありませんが、たとえば小学生高学年の頃に僕が読んでいた「ズッコケ三人組」シリーズのひとつの巻である「ズッコケ時間漂流記」を読むと、江戸時代に関することがよく分かります。
あるいは、ドストエフスキーの「白痴」を読めば昔のロシアの将軍や社会が分かりますし、ゲーテの「ファウスト」を読めば昔のドイツの一般的な学者が分かります。
そのように、歴史を知りたい人におすすめなのが、文学作品を読むことです。
文学作品には、それ自体が歴史の重要な文献であるようなものがあります。日本にとってそれは万葉集や古事記などであり、ヨーロッパにおいては聖書などですが、僕は北欧神話の本も読んだことがあります。そのような「歴史そのものを表す文献」はたくさんあり、特に宗教や国家の成り立ちに関してはそのような本を読むことで、読む前には分からなかったことがよく分かるでしょう。
「歴史小説を読む」ということも大切ですが、実際には歴史小説ではなくても、普通の文学作品にも歴史のことは多く登場します。なので、僕も今から、歴史を学ぶために文学を学びたいと思っています。
2024.02.27
歴史とは、「意識」です。
ここで言う意識とは、たとえば時代の中での、人々が感じる空気や雰囲気のようなものです。
過去の江戸時代には、江戸時代特有の意識があります。古代ローマにも、古代ローマ特有の意識があります。
そのような、歴史的な時代の「過去の意識」を感じることで、その時代のことがよく分かります。
たとえば、「男はつらいよ」のような昭和の映画を見ていても、その時代特有の「意識」があります。そのような意識を知ることで、歴史書や文献だけでは分からない、「時代その時の空気」が分かります。
大人になると、そのような「意識」ということを忘れてしまいますが、子供にはそういうところが分かります。なので、大人になって知性がなくなり、何も分からなくなった人間は、子供に戻ったつもりで、歴史あるいは地理や地球の生物のような「意識」を感じましょう。それが、もっとも一番宇宙のことが分かります。
歴史とは関係ありませんが、心理学的にも「意識」は重要です。なぜなら、環境に適応できなくなった人間には意識がなくなるからです。そう、意識を思い出すことで、環境に適応できなくなった人間も、環境に適応できるように治ることができるのです。
歴史とは「意識」です。そのことを踏まえた上で、文献で歴史を学びながら、実際のその時その場所がどのような意識を持っていた時代だったかということに、思いをはせてみてもいいかもしれません。
2024.02.28
以下は世界観のページから関連する内容。
日本史 - 日本史について。
日本の和の文化 - 日本の和の文化入門です。
古文・漢文 - 古文・漢文について。
地理 - 地理について。
語学 - 語学について。
英会話(1.入門) - 英会話の入門です。英会話教室で習いながら。何度も言うフレーズを言えるように。
英会話(2.英文法) - 英会話の入門2(英文法)です。
日本語 - 日本語の入門です。nihongo no nyuumon desu. Introduction to Japanese Language.
ヨーロッパ - ヨーロッパについて。
ドイツ(1.ドイツ) - ドイツについて。
ドイツ(2.ドイツ語) - ドイツ語について。
ドイツ(3.ドイツ史) - ドイツ史について。
ナチス・ドイツ - ナチス・ドイツについて。
東ドイツ - 東ドイツについて。
西ドイツ - 西ドイツについて。
フランス(1.フランス) - フランスについて。
フランス(2.フランス語) - フランス語について。
フランス(3.フランス史) - フランス史について。
フランスの王朝 - フランスの王朝について。
フランスの革命 - フランスの革命について。
フランスの現代 - フランスの現代について。
イギリス - イギリスについて。
アメリカ - アメリカについて。
ロシア - ロシアについて。
スペイン - スペインについて。
イタリア - イタリアについて。
中国・モンゴル史 - 中国・モンゴル史について。
そのほか、外国・言語の世界観より、各国・地域のページを参照できます。
交通 - 交通の世界観です。
武器・兵器 - 武器・兵器の世界観です。
美術・イラスト(2.美術史) - 美術史について。
クラシック音楽 - クラシック音楽の世界観です。
文学 - 文学について。
科学者・科学史 - 科学者・科学史の世界観です。
数学史 - 数学史について。
2024-02-18に関連する内容があります。
Wikipedia
書籍
Wikipedia
書籍
Wikipedia
書籍
Wikipedia
書籍
Wikipedia
書籍
書籍