フランスの王朝の世界観です。フランス3(フランス史)の世界観も参照のこと。
(図説 フランスの歴史 (ふくろうの本/世界の歴史)を参考に執筆しました。)
03-文章より。
フランスは、さまざまな王朝があった。
メロヴィング朝、カロリング朝、カペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝。
13-歴史3より。
フランス史。
先史・古代・中世。
先史時代、ケルト時代、ローマ帝国による支配ののちに
メロヴィング朝フランク王国が設立し、ピピンがカロリング朝を開いた。
カール大帝が西ヨーロッパの基礎を築いた。
フランク王国はのちに分裂して、フランス地域では西フランク王国が支配した。
カペーがカペー朝を開いて、フランク王国は消滅した。
フランスは封建国家となり、諸侯および中小領主の分立割拠が進んだ。
城を拠点とする領主権力の確立によって、領地ごとの小主権国家が分立した。
カペー朝が断絶すると、イギリス国王がヴァロワ朝を認めず、百年戦争になった。
フランスはルイ11世からフランソワ1世にかけて、ヴァロワ朝が王権の拡大に努めた。
ルネサンス文化が花開いた。
近世。
アンリ4世によってブルボン朝が開かれ、ルイ13世と続き、
ルイ14世によって絶対王政が繁栄した。
フランス史の中でもっとも有名な王は、「太陽王」であるルイ14世でしょう。
ルイ14世はブルボン朝でもっとも有名なフランスの王であり、「朕は国家なり」と述べて絶対主義的王政を行い、名実ともに近世のフランスの「シンボル」になりました。
また、彼の腹心の部下だった、コルベールも忘れてはいけません。コルベールによる重商主義政策がなければ、フランスの絶対主義政策は失敗していたかもしれません。コルベールがいてこその、ルイ14世の絶対主義だったのです。
2023.11.25
フランスは17世紀半ばごろから植民地帝国を本格的に築いた。北アメリカ大陸やカリブ海の島国、あるいはアフリカやインドなどを植民地支配し、アフリカの黒人を奴隷として連行した。
(フランス史 (新版世界各国史)を参考に執筆しました。)
2024.10.01