古文・漢文の世界観です。日本文学も参照のこと。
古文・漢文の読み方を最近勉強している。高校で習われた方は僕よりも詳しい知識をお持ちだと思うが、僕自身も参考書を読んでいる。
まず、古文においては、歴史的仮名遣いや豊富な活用形など、今の現代語の日本語とは文法が違う。今よりも古いからといって、今よりも劣っているとは言えない。僕の個人的な主観からすると、古文のほうが美しく、「正しい日本語」だと言える。
文法の中で特筆すべきことは、主語を見つけるのが難しいこと。古文では、主語を明確に示すための「は」のような言葉を使わないことが多い(すべての場合に使わないわけではなく、「春はあけぼの」(枕草子)のように使う時と使わない時がある)。それから、「誰が言ったのか」という主語の情報は度々省略される。そのため、主語を推測するために、文法以外の要素(文脈など)から考える必要がある。
また、文法だけではなく、言葉の意味も違う。たとえば、「うつくし」という言葉は、現代語の「美しい」ではなく「可愛らしい」という意味になり、小さな動物や赤ちゃんのような可愛らしいものを「うつくし」と言う。また、万葉集などでは「妹」という言葉を「妻」を意味するために使う。
それから、文法や単語の知識だけではなく、「古文常識」の知識も必要。古文常識とは、古文の実際に書かれた古い日本の生活についての常識のこと。古文常識が分かっていないと、単語や文章の意味するところが分からないことがある。古文常識を身に着けるもっともよい方法は、たくさんの古文の文章を読むこと。万葉集以外にも、さまざまな日記や随筆が古文として残っているので、それをたくさん読むことが古文常識を知るために必要となる。
また、ひらがなと漢字で書かれた古文に対して、漢文は漢字だけで書かれている。漢文の文法は古代の中国語であり、英語と同じSVOの語順であるため、日本語にする時は漢字を読む順番が逆さまになることがある。このために、「レ点」や「一二点」や「上下点」を用いる。レ点は、漢字を上から下ではなく、下から上に返って読む。一二点は一を先に読んで二を後に読む。上下点は一二点がある中で上から下へと移動する。
このような古文と漢文が読めるようになると、文学だけではなく歴史のことがよく分かる。特に、日本史を学ぶ上で、古文と漢文が読めることは、歴史の勉強をする上で大きな助けとなる。だから、「古い日本語なんてなんの役に立つの」と言わずに、真面目に古文と漢文を勉強しよう。そうすれば、王や権力者の歴史ではない、「本当の日本の歴史」を学ぶことができる。
(「基礎からのシグマベスト 高校 これでわかる古文・漢文(文英堂, 2008年発行版)」を参考に執筆しました。)
2024.04.17
2024.05.04編集
僕はもっと古文の勉強がしたい。
古文の日本語は、現代語の日本語よりも美しいと僕は思う。活用形も文法も異なるが、今の日本語よりも美しい表現の仕方をしている。
それから、古文の時代の作家は、僕と同じように、日記を書いている作家が多い。
古代に書かれた日記が、そのままの状態で残っている。そのため、日本史を下手に学ぶよりも、古文の勉強をしたほうが昔の日本は分かる。
僕はそのような古文の作家の中でも、僕と相性がいいのは清少納言ではないかと思う。
今のところ、僕は清少納言の書いた古文の文章をほとんど読んだことはないが、僕の経験から言って、彼ら古文の作家、特に日記を書いている作家は、同じように日記を書く僕とよく似たところがあると思う。
いわば、僕の人生から言って、「一番賢いのは清少納言である」ということが言えると思うのだ。
だから、僕はこれから古文を勉強して、清少納言の作品を読んでいきたいと思う。そして、僕自身も詩人として、清少納言のような文章を書けることを目指したいと思う。
2024.05.03
僕は今まで、大学の勉強をしたいと思いながら、自分の専攻したい学問を正しく決めることができませんでした。
情報専攻もなんか違いますし、生物専攻もなんか違います。歴史であっても哲学であっても、僕の性格に相応しくありません。
ですが、そのような僕が、最終的に行き着いた専攻があります。
それは「清少納言専攻」です。
すなわち、僕は日記に文章を書くということが好きですが、早い話、清少納言やほかの古文の時代の作家とやっていることが同じです。
なので、僕のことを紹介する際に、「現代の清少納言です」と言えばそれで終わりです。
僕が日本文学を読まないのは、無駄に長い文章を活字で読みたくないからですが、古文の勉強がしたい僕にとっては、「古文の勉強になる」という意味で、清少納言は「二度美味しい」と言えます。
あるいは、僕は昔から英語やドイツ語やフランス語をやりたくて、さまざまな外国語の勉強をしましたが、どれもちっとも話せるようになりませんでした。
それは、「ヨーロッパの言語は日本語と違いすぎて、どう話していいか分からないから」です。
すなわち、英語やフランス語はドイツ人のような同じような言語を話す民族にとって話しやすい言葉であり、日本人には向いていないのです。
ですが、古文・漢文は違います。古文・漢文は、現代語の日本語と似通った点があり、今の日本語を知っている人が見て面白くて楽しいポイントがたくさんあります。まったく違うわけではなく、かといってまったく同じわけでもない、古文・漢文の勉強が僕にはジャストフィットだったのです。
なので、今から僕は生物学の勉強を諦め、新しい「清少納言専攻」になろうと思います。それが一番、僕に向いていて、僕が相応しい、正しい専門だと思います。
2024.05.03
先の記述で、清少納言を読みたいと思ったが、それとは別に、今の僕は徒然草を読みたいと思っている。
徒然草は吉田兼好による鎌倉時代の作品で、清少納言による枕草子や鴨長明による方丈記とともに「日本古典三大随筆」に挙げられている。
たとえば、徒然草や枕草子や方丈記は以下のようなサイトから原文を参照できる。
この中から、もっとも読みやすそうなのは徒然草なので、徒然草を読みたいと思う。
枕草子に限って言えば、ネット上には枕草子のよいサイトが見当たらなかった。少ししか検索していないので探せばあるかもしれないが、枕草子は本を買って読んだほうがいいと思う。
後日注記:ほかにも以下のようなサイトがある。
2024.05.03
2024.07.17編集
最近、僕は清少納言の「枕草子」を図書館で借りて読んでいます。
古文を読むコツは、まず、できるだけ訳を見ないこと。現代語の訳をすぐに読むのではなく、できるだけ原文だけを見て、分からなかったとしても訳を見ずに、「もしかしたらこういう意味かもしれない」ということをふんわり感じながら次を読みましょう。
また、図書館で本を借りる際には、まず、原文が掲載されているものを選びましょう。中には原文がなく、現代語の訳しか掲載されていないものがあるからです。
それから、古文の知識がまったくなくても、解説が書かれている本があります。そうした本は、古文の勉強をする際にとても参考になります。いちいち古文の単語帳を引かなくても、解説を読めば難しい単語の意味が書いてあります。なので、そんなに古文を理解するハードルは高くありません。僕が既に知っている古文の少しの知識だけでも、枕草子はほんの少しのさわり程度は読めます。意味は分からなくても、古文の美しい表現を味わうことができます。
僕自身、枕草子を読んで、「日本語を新しく理解する」ということができるようになりました。僕はこう見えて、昔から日本語の意味が分からないことが悩みの種でした。中学生時代や青春時代は分かっていたのに、途中で分からなくなってしまったのです。その理由は、既に日本語を知っているせいで、「新しく日本語を理解する」ということができなかったせいです。そして、古文を読めばそれができます。
清少納言は、本当に僕のやっていることとよく似たことをやっています。起きることや世界にあるものを全部書き、それに対する普通の感想のようなことを述べて、情景をありありと随筆していきます。完全に僕と同じではありませんが、やっていることはよく似ています。
それから、そのような文学作品を読んでいると、きちんと大人として賢く生きられるようになる、ということが、枕草子を読んで分かりました。特に古文でなければいけないわけではありませんが、専門知識をいくら読んだとしても、小説や文学には負けます。文学作品を読むことで、大人としてきちんと生きられるようになります。経済学や社会学を学ぶより、はるかに効果的です。
2024.05.05
また、紫式部の源氏物語は、昔漫画で読んだことがあります。主人公の光源氏はかなりの女たらしで、いろんな女みんなと恋愛します。
2024.05.13
2024-05-04、2024-05-05に関連する内容があります。
万葉集・古事記も参照のこと。
日本語も参照のこと。
日本史(古代)を参照のこと。