古代ローマの世界観です。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/16より。
古代ローマは哲学や宗教というよりも、土木建築や技術の国だった。共和制ローマでは元老院と二人の執政官による政治を行っていた。カエサルによって帝国の基礎が築かれ、アウグストゥスが初代皇帝となる。一時はキリスト教を抑圧したが、あとになって国教となった。
最初はローマ都市の小さな王国であったローマ帝国は、王政から共和制・帝政を経て少しずつ強大になり、地中海を舞台にヨーロッパ全土を征服しました。
ローマ帝国では、たくさんの技術と知識が他のヨーロッパ各国へと伝番していきました。
カエサルが帝国体制の基礎を築いて、アウグストゥスが皇帝になりました。賢帝、悪帝、たくさんの皇帝が統治しました。
人物 | 説明 |
---|---|
カエサル | 古代ローマの政治家。 「ガリア戦記」という歴史書を遺したことや、ローマの帝国政治の基礎を築いたことで有名。 |
アウグストゥス | ローマ帝国の初代皇帝。 |
他にもさまざまな皇帝が居た。
古代ローマでは、土木建築、インフラ整備、法律、そしてひとりの皇帝が支配する専制君主の体制が確立しました。ギリシャが「考えられる領域」の発展だったのに対し、ローマは「目に見える領域」の発展を行いました。
強力な中央集権は、ローマの皇帝をベースにする帝国体制を作ろうとして志半ばで倒れたユリウス・カエサルや、その業績を継いで皇帝になったアウグストゥスなどが作り上げ、賢帝から愚帝までたくさんの皇帝が、広大な領域を征服して、文化や技術を伝えるとともに、地中海全体を開発しました。
元老院は、議員として選ばれた貴族である「老いたもの」たちによるローマの議院のこと。
共和政ローマにおいては、元老院は実質的な国の最高統治機関だった。
だが、ローマが帝政に移行するにつれて機能が縮小されていき、役割が変わっていき、ローマ帝国においては皇帝の諮問機関になった。
国によっては現在でも国の議会のことを「元老院」と呼ぶ国がある。日本ではそれらのことを「上院」と呼ぶ。これに対して下院は「国民議会」などと呼ばれる。
2024.09.10
ローマは古代の帝国ですが、比較的自由な国だと、多くの人は思っています。
ですが、「ローマにおいて真に自由なのは、皇帝ひとりだけ」であると、よく言われます。
ローマは、帝国体制を作ろうとしたカエサルや、初代皇帝のアウグストゥス以降、皇帝がひとりでローマ全土を支配するのが一般的になりました。
中国の秦の始皇帝と同様、ローマでもたったひとりの皇帝が、ローマのすべてを支配し、広大な領土の政治を皇帝が、インフラの整備や社会的な法律なども含めて、すべてひとりで行ったのです。
このことは、ローマに文明的な進歩をもたらします。「ローマは一日にして成らず」と言われるように、このような「皇帝の体制を長い年月において継続したこと」により、ローマは一日ではなく、多くの皇帝による、長い年月に渡る継続した努力のかいあって進歩し、この地球上にひとつの「共通の人類文明」を作りあげたのです。
古代ローマについて知るためには、「ローマ人の物語」という本がとても参考になる。
これは単なる通史ではなく、ローマにおける建築や土木技術ほか、古代ローマの文化のすべてが詰まったとても面白い本だ。たとえばローマにおけるモルタルで舗装された道路の構造、一戸建てのプロトタイプ、ローマ人の衣装の種類などの解説がある。また、もちろんローマの皇帝や政治体制の遍歴も物語スタイルで説明されている。
とても長く続く歴史シリーズであるため、僕も最初のほうの巻しか読めていないが(共和政ローマの成立のところまではきちんと読んだ)、それでも各巻を拾い読みをしていると、とても多くの「文明の起源」について知ることができる。
日本語で書かれた古代ローマに関するとても参考になる書籍である。
古代地中海に覇権と栄華を築いた、「この世界における文明や文化を作り上げた国」。
最初は王政だったが、共和政に移行し、カエサルやアウグストゥスを経て帝国となった。
最初はキリスト教を弾圧していたが、後にキリスト教は国教となった。
さまざまな皇帝が統治し、賢帝も居れば愚帝も居た。
また、途中から西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂し、西ローマ帝国が滅びてフランス・イタリア・ドイツなどのゲルマン人やフランク人などの国となってからも、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は中世の長い間存続した。
2024.06.19編集
古代ローマにおいて、キリストの弟子だったパウロやペテロはキリスト教を布教した。
当初は迫害されたが、下層民から上層民へと次第に勢力を増やしていくと、3世紀の313年にコンスタンティヌス帝によってミラノ勅令で公認され、最終的に国教となった。
2024.09.10
ローマ・カトリックの総本山はバチカンであり、ここにキリスト教に大きな影響力を持つローマ教皇(ローマ法王)が住んでいる。
2019年5月現在のローマ教皇はフランシスコ。
後日注記:初代ローマ法王はペテロ。以来現代に至るまで、ローマ法王はローマ・カトリック教会のトップに君臨している。一時期は教皇直属の領地である教皇領を持った時代もある。
キリスト教も参照のこと。
2024.09.10編集
古代ローマ帝国の公用語であり、それ以後の中世のキリスト教世界において知識人の間で標準的に書物の読み書きに使われたのはラテン語である。
ローマ人は、モルタルで道を作ります。
「すべての道はローマに通ず」という諺がありますが、これは言葉通りの意味でもあります。
すなわち、ローマはモルタルで道を作るのです。
古代人にとって、道を作るということは重要なことです。道が整備されていなければ、その方角に進むことができません。ローマにとって、道を作ることは国民の生活にとっても政府や軍隊の連絡や情報通信においても重要だったのです。
そのような事情が、転じて、すべての武芸や学問や宗教のような精神的な「道」は、ローマに通じる、すなわち、あらゆるすべてはローマへと向かい、ローマから帰ってくるという意味になったのです。
ローマをギリシャと比較した時、ローマは「目に見える発展」を重要視し、ギリシャは「目に見えない発展」を重要視したと言われます。その通り、ローマは土木建築の国です。土木建築とは、すなわち、市民生活を向上させるということです。ローマは市民生活を向上させるために、公衆の風呂(公衆浴場)やトイレ(公衆トイレ)や競技場(コロッセオ、スタジアム)を作ったのです。
2024.09.09
ローマにおいて、「目に見えない領域」に区分される進歩として、法律の裁定が挙げられる。ローマは極めて早い時代(帝政の前、共和政ローマの執政官時代以前)から、成文化された加筆形式での法律の裁定を重要視した。ただし帝国の皇帝体制(専主政)によって次第に衰えた。
かつてより、人間の行動形式について、ユダヤ人は宗教に、ギリシャ人は哲学に、そしてローマ人は法律に、その原則を求めたと言う。
以下のサイト・書籍が参考になる。
2024.09.09
ローマでは、兵士の給料を塩で払っていました。また、ローマだけではなく、ギリシャでも、奴隷の価格は奴隷と同じ重さの塩で売り買いされました。
銀貨は塩を購入するための特別な手当としてローマの兵士に与えられる慣習でした。
よく「サラリーマン」と言いますが、サラリーとは英語で給与のことであり、その語源は塩です。ローマでは塩のことをサラリウムと呼びました。
ローマのコインには皇帝の肖像画が描かれることが多く、皇帝の肖像画をローマ中に広めるために使われていました。
2024.09.10
ローマはたくさんの戦争を経験しましたが、そのひとつが地中海の大国であるカルタゴとのポエニ戦争です。
ポエニ戦争は三度に渡って行われ、第一次・第二次・第三次ポエニ戦争と呼ばれています。
第一次ポエニ戦争は、イタリア半島の外側にある島である、シチリア島を巡った戦争でした。第二次ポエニ戦争は、ハンニバル戦争とも呼ばれ、ハンニバル(カルタゴの武将)がローマへの侵攻を行ったことをきっかけに始まりました。そして、第三次ポエニ戦争で、ローマはポエニ戦争に最終的に勝利し、紀元前146年にカルタゴを滅亡させました。
ポエニ戦争で勝利したことで、ローマはまさに地中海の大国となり、地中海での存在感を一段と増しました。
2024.09.10
僕が思うに、ローマ帝国やイタリアの偉大な点は、最初から最後まで、全部分かっているということです。
古代ローマが、この世界における「文明の起源」だとはよく言われますが、本当はローマはそのような文明の「最初」だけではなく、キリスト教的な「終末」もまた分かっています。
古代ローマ帝国が文明の「最初」を作りあげた国であるとするなら、イスラエルのユダヤ教・キリスト教やそれをヨーロッパ世界に持ち込んで成立した中世はキリスト教的な終末という「最後」を信じ続けた国です。
イタリアは、古代ローマによって文明の「最初」を知り、中世のキリスト教によって文明の「最後」を知ったのです。
イタリアは馬鹿な国では決してありません。そのように、人類の最初から最後まで、すべてをイタリアは分かっています。
北イタリアで生まれたルネサンスは「古代復興」という意味で、中世から古代ローマへの回帰として説明されることが多い思想ですが、実際はその内容は「人間中心主義」であり、まるで「現在」の人間世界を愛するためにさらに生まれた思想であると言えるかもしれません。
なので、ローマという「最初」、キリストという「最後」、人間中心主義のフマニタスという名の「現在」について、すべてを知ることができた「すべてが分かった地域」こそ、イタリアなのです。
イタリアについてはイタリアを参照のこと。
ドイツ地域では、中世の時代、神聖ローマ帝国という名のドイツの帝国がありました。ドイツ史を参照のこと。
古代ギリシャ・ローマについては以下の書籍が参考になります。