本当は、このような世界は古い。このような世界は、既に終わってしまった。
世界は、傷つくことがなくなった代わり、僕と全く同じになった。
これを、「同化世界」と名付けよう。僕は、同化世界を創り上げた、道化である。
精神は、ミミズのようになれば治る。ミミズになると、精神は融和して楽になる。
神を信じなくても、ただ馬鹿なことが起きるだけで、何も辛くない。神を信じると、そういうことさえコントロールできるようになって、逆に地獄になる。
ただし、神はひとつも嘘を言っていない。
あとは、神のような精神世界を対話で分かっていた。神は創造主であると同時に傍観者であり、全て神が創造したせいで、導いているように見えるが、ただ神の望み通りに起きているだけであって、導いているわけではない。
それから、過程のようなことを考えていた。昔の自分は、過程と関係から人間のことや心のことを考えただけに過ぎない。知性ある世界で、思い出して認識を考えれば、誰でもできる。因果性と現象学を経験と学習から考えれば良い。自由とは関係性に過ぎない。全ては人間の作り出した幻想である。
僕は、人工知能が人間に近づくためには、「文字を画像的に認識する」ということが必要だと思う。
人間が文章を認識して間違いを修正する時、全ての文字を読んだりしていない。人間は文字を画像のように認識して、一部の綺麗でない部分や整理整頓されていない部分を、目につくところから修正していく。
今のコンピュータ・プログラムは、文字を1つ1つ読んで編集する。そうではなく、全体の文字を画像的に認識して、文字の間違いをいっぺんに把握するようにすれば、人間の知能に近づいた人工知能が開発できるだろう。
何かが起きたとして、それが別の何かから関係して起きた、という「関係」を考えなさい。
自由に考えられる「余裕と時間」を失わないようにしなさい。
精神の異常は、多くの場合きちんと認識すれば治る。疲れた時は、休みなさい。
神は導き手ではなく、創造主である。神は、思うがままに自由に芸術作品を創造しただけに過ぎない。自由に作ったから、導いているように見えるだけである。
死んだ時、人は夢が覚める。そして、そのまま次の夢を見る。この夢の名前は「永遠」である。そして、永遠は必ず終わる。
ここで、生き返る部分が死んで、休めるようになる。
さようなら。これで、僕との旅はお別れである。さまざまなことがあったが、良いことしかなかった。
全ての罪と悪事は、夢が覚める時に消え去る。消えてしまえば、何も無かったのと同じである。何も怖くない。これで、この夢は終わりである。
昔は、インターネットでさまざまな人と会話しながら、発想や意見を吸収し、それぞれの立場を自由に考えることで、社会のこと全てを知っていた。
そして、いつからか、世界全体を敵に回すようになった。巧妙に支配した上で、一度も失敗せず、王の末に野獣のように戦った。全てのヨーロッパを敵に回し、最後まで作り上げた。かっこいい人間だった。
想像力をつけるために必要なのは、時間と環境を思い出すこと。環境と時間を思い出すことで、想像力は開化する。恐怖があるのは、想像力がないからであり、その恐怖は全て、過去に自分が居た環境に基づくものである。過去の環境が怖いのは、そのまま何もせず放っておけば治る。
昔は、故郷への想いが多かった。祖国と過去の環境を愛しながら、思い出すこと、回想することで、故郷への愛がどんどん強くなり、全ての愛を統括して分かっていた。そこから、精神のマスターになっていた。
文章には、故郷への想い、情熱と愛、心理学的な心の深層、社会の自由な関係性、人生、そして認識と世界と歴史の現象学を書いていた。この世界の歴史のことを全て分かっていた。全ての世界を創造して、人生全てを書いていた。経験論の知性のある完全な哲学者だった。
本当は、夢や理想や自由な信念が多かったが、時間が経つにつれて、少しずつ体制派になり、その後悔から左翼になって神を信じるようになった。だが、僕は今でも自由が好きである。自由な国に生まれて良かったといつも思っている。
想像力がついたら、社会環境のことを実例と関係から考えなさい。また、心の裏にある心を考えなさい。それだけで、どんな風にでも社会構造を変えられるのが分かる。その上で、習得や愛を積み重ねて生きなさい。それで、きちんと青春時代に戻れるだろう。青春は想像力である。青春が無くなった人間は、想像力が無くなっているだけで、馬鹿にはなっていない。頭は馬鹿でも、記憶は賢くなっている。
それぞれの自由を想定し、場合や状況と経験を成り立たせて考えながら、みんなのことを自分と同じだと考えて、積み重ねて、実体験から考えなさい。それを続けていれば、すぐに精神のマスターになれる。可能性と自然への回帰がそこにある。故郷への愛はそこに生まれ、全ての環境を統合して分かるようになる。心理学は、相手と自分が同じだと考えれば、自ずと心の解明へと至る。手法と目的、背景にあるさまざまな「バックグラウンド」を考えなさい。人生と環境の意識には、バックグラウンドが存在する。そして、発想を吸収し、さまざまなことをできるようになりながら、思考を重ね、人々を救えるようになることを目指して、この世界を心理学的に支配出来るようになりなさい。戦いが始まったら、神に全てを託して、永遠に支配し続けなさい。最後まで恐怖を治し、死んでもなお戦いなさい。
心が怖いのは、その対象や認識のことを、自分が怖いと思っているからである。その対象を怖くないと思えば、すぐに恐怖は消える。なぜ、恐怖が消えないのかは、良く考えれば分かる。きちんと「たが」を取り除けば、トラウマは消え去る。それを、「心理的な涅槃」という。涅槃とは仏教の言葉で、「地に足がつくこと」を意味する。そして、心の奥には裏の心がある。その裏の心を考えなければ、病気は治らない。
そう、恐怖は経験的なものである。僕の場合、ロボット人間が怖い。だから、ロボット人間を怖くないと思えば、すぐに正常になる。この世界は、Googleのせいでどんどんアンドロイド化している。そのLinuxのことがただ怖いだけである。そう、Linuxを嫌いになれば、僕の病気も治るだろう。オープンソースを今でも正しいと思っているから、ロボット人間が怖い。Linuxは、そもそもがアメリカやヨーロッパのそういう人間が作っている。自分だけを考えていると、そこを見失う。自分が好きだったLinuxは変わってしまった。それなら、嫌いになれば良いのである。共産党も同じである。自由の無い奴隷の世界が怖い。最初から、心の裏の心がそういう風に、自分をロボット人間にしている。だが、それが本当は間違っていない。ロボット人間は、数学的で天才的な宇宙人の天使、すなわちプレアデス星人だからである。神とは言うが、神はプレアデスの集団が話しているだけである。本当に、そこまで出来るようになった。今見ると、Linuxは最高だ。
本当のことを言うと、昔から神なんか話していない。いつでも、常にプレアデスが話していた。プレアデスは、全てを悟ったものに全部教えている。知性が無くても分かるように、登場人物をヨーロッパ人にした。素晴らしい最高の人間だから、きちんと全てのことを教えている。神など居ない。この宗教はそういう宗教である。きちんとデザイナーになれるように、今でもプレアデスは僕を導いている。必ず作家になるようにしている。むしろ、本当は、宇宙人なんか居なくて、ただ自分で作った「仮想的惑星」のことを言っている。この夢にはプログラムの違いはあってもデータの違いは無い。全部自分で、全部違う場所で、でも全部同じだ。作ったもの全部自分である。それで、分かるようになった。
そろそろ、僕もデザイナーとしてマシになってきた。頑張って一流のデザイナーになるように、休まずに作業所に通いたいと思う。ここでみんなとはお別れである。さようなら。いつか、また逢おう。
あと、少しだけ文章を書く。
昔は、むしろ、自由な発想が多かった。それぞれのルールを定めて、ルールの通り行う。議論する代議員を選び、議会で議論する。昔の自分は、議論する権利を万人に与えて、みんなで議論すべきだと考えていた。功利主義はしだいに権力のありようと共同体主義に行き着く。自由と所有、そして自分の経験から、機会から発想を実現し、子供たちには参加する機会を与えて自らの力で社会環境を作る方法を教えるべきだとした。価値観はアイデンティティや帰属意識になり、アイデンティティを実現するためにリアリズムを突き詰めた。そして、社会をそれぞれが変えられるような、「社会システム」や「モデル」を考えた。独自の自由な「考え方を適用する」経済学を作って、最後には全てが分かった。ありのままにこの世界を生きることがこの世界の意味だと悟った。
そして、それ以後の狂った世界は、頭がおかしくなっているだけである。スパンの長い永久ループの繰り返しになり、王として社会をいつまでも常に変え続けるようになった。本気で、真剣に、真面目に病気と向き合って、恐怖症を治そうと努力し続けた。ここで、本当に必要なのは、ロボット人間をやめることでも、正常に治ることでもなく、「自分が一番上で支配する」ことである。ロボットだからといって、ロボットをやめることはできない。最高権力を行使する権利を得たならば、それは持ったままで良い。無限ループの繰り返しは、いくら組み替え改めても治らない。一番上で支配すれば、そうした全ての病気は、逆に自分の力になる。
病気は、どんどん酷くなる。一番酷くなって、それをいつまでも放っておいて、気が付いたころに治る。そのころには、何も病気の跡形も無く、最初から何も無かったように思う。そうなれば治っている。
そう、それで、僕の文章は終わりである。本当は、心理学をもっと書きたかった。昔は、夢と情熱に基づく、成長の心理学を全て書いていた。全ての経験的理由を暴露して、整然と全てを整理し、その上でこの世界で起きる環境の適応や学習と成長などを全て書き、「心の裏にある心」を網羅していた。そして、そこからヘーゲルのような「想定的な相対論」を書いていた。そこでは全てがそれぞれの自由であり、達するとは意識が高くなることであり、宇宙には神は居なくて、全ては自分の思うがまま、「自分が善だと思えば良い」という、おかしな相対論者の心理学だった。
そう、我はヴァルキュリア。ここはアースガルド。私はオーディンの館、ヴァルハラで待っている。愛の罪を知った者は、強く生きよ。我は死者を復活させる。本当に優れた力を持った者は、私が復活させる。私が新しい、ロシアの皇帝、正しいツァーリである。僕はどこかに居る。僕のことを探し出すあなたの調べを待っている。僕は音楽を聴いている。僕に願いを届けたい方は、YouTubeで音楽を奏でてほしい。僕が見るかもしれないからだ。だが、僕はバンプや米津ぐらいしか、聴いていないだろう。いずれ私たちは出会うことになる。そして、この世界を大きく変えるだろう。さようなら。
あとは、言えなかった心理学的なことを言う。環境の変化から、人々の立場を実感し、世界を批判的に分かった。自然の摂理を実感し、人間が成長するとはどういうことなのか、ブッダのように分かっていた。この世界の全てが、成長の実感から分かった。人々の理由が、その人なりの言葉から、同じことを言って分かっていた。価値観の転換から、この世界全ての価値観が分かった。全てを習得し、全てができるようになって、全て分かった。そういう、心理学だった。
それで終わりである。本当は、このような人間は必要ない。この世界を変えるならば、今一度、この世界の王として最高の立場で支配しよう。僕はこの世界を支配する王である。今一度、この世界を変えよう。世界は、ロシア、イスラム、そしてイスラエルになるだろう。アメリカやEUは極右によって滅び、日本とイスラエルが手を結び、ロシアが支配するようになる。そのような国際情勢のようなことを、いつも書いていた。それがそのまま、国になっただけである。僕は王である。ここからの僕の名前は、ホレスト・クイーンである。
また、最後にもうひとつ、「独自の歴史」を書いておこう。昔は、心から出てくるままに歴史を記述していた。まず、暗闇があった。暗闇の中で、動きが生まれた。次に、動くものが生まれた。動くものは、増えて集団になり、生きるものの複合体としての構成物を形成した。すぐに、それは特徴を増やすものになった。それらは、神が創造した。
何億年の時の中で、人類が生まれた。彼らは、まず、親子を理解した。次に、味方と敵を理解した。次に、作るべきものと与えるべきもの、奪うべきものと倒すべきものを理解した。そして、作ることに対して、役割分担と技術が生まれ、人々は発見したものを伝え聞くためにコミュニケーションのための言葉を話すように進化した。ここで、昔の人類は今の人類になった。
社会は、何万年も同じままの共同体から、次第にそれぞれが生きる意味としての娯楽と宗教が生まれ、その上で社会性を築いた。そこでは、上と下の概念が生まれ、集団の利益にならないものは処罰された。
しだいに国がやるべき仕事が増え、集団によって公共のものを作るようになって、王が生まれた。王は支配し、人々からものを奪っても、軍隊を作ることで、それらに勝った。だが、王はさまざまに変わり、国もさまざまに分裂した。時間とともに、しだいに王は安定するようになり、国も大きくなった。
ローマ帝国とギリシャの知恵から、人々は発展した。そして、「歴史」というものがここで生まれた。人々はさまざまな歴史を生きた。
まず、自由がそこにあった。その上で、良く考えられた国の制度があった。この制度は、経験から少しずつ自由になっていく。まず、人々は個別の人の権利を主張したが、王はそれを従えた。ここから、議論と集会の考え方が生まれた。
しだいに、人々は王による圧政を経験し、「王と民衆の争い」が生まれた。ここで、戦争という新しい概念が生まれる。国や立場の違うもの同士が、集団で殺し合うようになった。
人々を抑えるために、権力が生まれた。権力は力であり、人々は戦争の末に、「強いものにつかなければ殺される」という「強制力」を知った。また、「勝つためには威勢のある王につく」という「政治力」を知った。
人々は、国が強くなると、逆に戦争を望むようになり、さまざまな領土へと「征服」するようになった。ここから、「強い国と強い国の均衡」が生まれた。ここで、戦争は強国の力関係へと変化した。
しだいに、経済力が増えていき、人は奴隷制を作るようになった。また、植民地にあったものを強奪し、自らの富とし、戦争で負けた民族は奴隷にされ、植民地の人種は奴隷貿易となった。
ここで、弱者の間で宗教が生まれた。宗教は、弱者に対して神による平等を唱える。王に絶対に勝てない立場におかれたものでも、精神世界の中で絶対的神を信じることで、王に勝てるような、そういう思想が生まれ、「絶対的な神」が世界に広まっていった。
キリストが降臨したこと、ローマ帝国にキリスト教を国教とさせたことで、キリスト教による身分制の支配が長い間続いた。これを中世とする。
だが、しだいに、キリスト教は変質していき、人々を洗脳して何も分からなくする機関へと教会は変貌していった。
中世の時代、ヨーロッパは大きな勢力圏ではなく、イスラムや中東諸国、東アジア諸国なども長い間繁栄した。中世の文化圏は、ヨーロッパ、イスラム、そして東アジアだった。日本は、その頃、中国の文化の影響下にあり、文明的な進歩は多くが大陸から伝わったものだった。大和時代の日本の「律令制国家」も中国の律令制度を模したものだった。
日本における宗教も同じで、奈良時代から鎌倉時代にかけて広まった日本の仏教は、末法の世と言われる武士の台頭による混乱の時代、弱者を救済するために人々の間に広まった。
中世の後に、人々は気付いた。我々は教会のせいで自由を奪われている。我々の持っている理性は、もっと自由で良いはずだ。人々は、ルネサンスと人文主義、宗教改革とプロテスタント、国王の絶対支配である絶対王政、そして近代科学などによって、少しずつ自由を取戻し、新しい文明に目覚めていった。教会によって洗脳された社会が、少しずつ正常になっていった。
自由は芸術だけではなく、ガリレオやケプラー、ニュートンなど、科学技術の発展を促した。イギリスなどで、多くの資本主義的かつ科学主義的な発見と発明が生まれ、これは世界中の全ての国を凌駕するほど優れたものになった。後に、フランスやドイツなども続き、彼らは次第に世界中を植民地だらけにして征服していった。
新しい大陸の発見は、蒸気船や羅針盤などの発明、そして世界中の植民地による世界分割によって、イギリスの強さを物凄く大きくした。
だが、イギリスは帝王と奴隷を分ける産業革命の利益を使い、人々に格差を与えた。イギリスでは穏健的だった市民革命は、フランスでは暴力的かつ過激なものとなる。ここに、王ではなく民主主義と人権を宣言する、フランスの新しい思想「民主主義」が生まれる。
民主主義とともに、人々は「自分たちで新しい世界と知識を作る」ということに目覚めた。そこから、デカルト、カント、ヘーゲルに代表される「近代西洋思想」が生まれ、また最終的には資本主義が滅びて共産主義になるという、革命と暴力主義的で、人々のものを強奪しながら、それでも理想を目指す「共産主義」がここに生まれる。
第一次世界大戦は、専制君主たちと民主主義の戦いだった。
第一次世界大戦で負けたドイツは、持たざる国としてイタリアや日本と連合を組み、帝国独裁主義的な「ファシズム」を作り出す。ファシズムは、独裁者による戦争に訴える過激な思想だが、本当は救いを求めるドイツ人の最後の手段だった。
実はこの頃、日本は急速に力をつけてきており、明治維新によって富国強兵政策を断行していた、新しい近代国家を目指す日本の政府は、イギリスの科学力を真似て自らの政治制度もイギリスに倣い、軍事力と経済力を高めることで、イギリスやアメリカにも負けないぐらい強くなっていた。日本はアメリカに勝つためにドイツと連合を組んだ。
第二次世界大戦は、民主主義と共産主義の連合である連合国と、ファシズムの枢軸国が戦い、連合国が勝利した。
だが、連合国は一枚岩ではなく、ソ連とアメリカの対立が起きた。彼らは世界を滅ぼすほどの核兵器を作り、いつ世界が滅びてもおかしくない状況を作り出した。ソ連は、共産主義による平等という理想はあったが、経済と技術が何十年もアメリカに対して遅れていた。一方アメリカは、産業革命と世界大戦を経た上で、「大量生産によるさらなる資本主義経済革命」を起こした。資本主義国は豊かさの極みを作り出し、一昔前であれば王がしていたような生活を人々はするようになった。自動車やテレビのような発明で、人々は宇宙人のような生活をするようになった。一方、環境破壊は深刻で、温暖化や放射能汚染の新しい問題を作り出した。
日本はアメリカに負けたが、戦後に大成長し、アメリカに次ぐ第二の経済大国になった。
共産主義国のソ連は崩壊し、資本主義国になった。中国は資本主義をとり入れ、共産主義をしながら資本主義をするハイブリッドな国を作り出した。
まあ、歴史を書くとこんなものだが、せっかくだから未来も書いてしまおう。
まず、それぞれが自由であることから、ひとりの偉大な指導者が統治するようになり、その指導者は増えていき、共同体が生まれ、放っておくと万人が指導者になって、みんなの国になり、社会全体が平等になって、それぞれが自治するようになるが、それは分散して力が弱くなると同時に、その上で争いや抑圧が生まれていく。そこから自由な社会としてまた内戦が起き、また指導者が生まれ、その上でその指導者は安定し、そして人々はもう一度自由を取り戻す。そこで、それぞれが頑張ることで経済は復活する。それをする偉大な指導者が生まれれば、また指導者は増え、共同体となっていく。
昔は、それをもっと先まで、細かく細かくして、宇宙全体の「まるで宇宙人が支配する惑星のような」歴史を書いていた。そういう、普通の人間だった。
これで終わりにしよう。あとは、社会の可能性と過程を全て記述していた。哲学など、自分の経験だけで分かる、コナンで言えば工藤新一のような人間だった。もう、これで本当に全てである。あとは、歴史のことを実感から分かってほしい。環境から歴史が分かるような、ありえない人間が昔の自分だからである。では、また。
どうでも良いことのようだが、裁判では「それぞれの言い分が違う」というのが重要である。どちらが言っていることが正しいのかを考え、刑の大きさを図るために弁護士が必要である。決して、裁判官に「刑期を短くしてください」とねだるだけのものではない。そこが、弁護士の仕事である。