日本の和の文化入門。日本史については日本史に移動しました。仏教や社会・制度も参照のこと。
今、日本社会は文化的な危機に陥っています。それは、「自分たちらしさ」あるいは「自分たちのアイデンティティ」というものが失われているからです。
つい最近まで、日本には自分たちらしさというものがありました。SONYにはSONYらしさがあり、松下には松下らしさがありました。その根底には、日本の和の文化、縄文時代から平成時代まで続く、「日本の誇りと魂のアイデンティティ」がありました。
競争が楽しかったのも、アメリカと争いながらもアメリカ人たちと融和的に交流し同盟国を形成できたのも、全て、「自分たちらしさ」があったからです。
ですが、Windows 95がでて、みんなパソコンを使うようになって、ケータイが普及して、スマホやSNSが流行することで、そうした自分たちらしさを、日本は失ってしまいました。
何もかも、自分たちのアイデンティティが無くなり、人々はアメリカの文化の劣化コピーのような文化で、昔の日本の和の文化と離別し、無意味な画一社会になってしまったのです。
こうした無個性な社会では、競争にも、芸術にも、何にも意味がありません。利益追求だけが残って、価値あるものなど何も生み出さず、同じものを改良しながら、「どの会社も同じ」で「どの国も同じ」という社会になってしまったのです。
競争はコスト削減とノルマ強制の、ブラックなものにしかなりません。
今必要なのは、本当に「昔の自分たちらしさ」の復活に他なりません。そこから、みんなで作る新しい民族の文化が見えてくるでしょう。そう、僕はLinuxぐらいで、そうしたアイデンティティの文化が一変したと考えています。Linuxが流行したぐらいから、そういうものが急速になくなっていきました。
和の文化の復活は、難しいことではありません。なぜなら、日本には和風のものが普通にたくさんあるからです。そうした和風のものを好むことで、「もう一度日本は華開く」と僕は考えています。
僕は、「ジコチューでも個性があるべきだ」と思います。
自分勝手で自己中心的な人は嫌われますが、それでも、その人の個性を出すことで、この世界における新しい文化を創造することができるのです。
ジコチューでも個性を発揮していけば、必ずこの世界は救われます。日本はそうしたカリスマのジコチューな天才を待ち望んでいます。
僕は、最近、「日本の文化を学びたい」と強く思っています。
その理由は、「日本の文化を学ぶと生きられる」からです。
日本の文化には、かつての古代・中世の日本の中で、どのように日本人が生活し、生きてきたのか、という教えがつまっています。
僕が考えるに、日本の昔の和の文化と、その中での生活のさまざまなことを知ることで、日本人として、日本の中で生きる方法が自然に身に付きます。
確かに、現代の科学技術や社会の進歩によって、変わったところはあります。
ですが、その変わった部分は、昔の日本の文化の延長線上にある、「プラスアルファ」にすぎません。
なので、かつての日本の文化が分かってしまえば、それ以上はプラスアルファを分かるだけで、簡単に今の現代社会で生きていく方法が分かるのです。
何も分からなくなって、生きる方法が見当たらず、途方に暮れている人がいるとしたら、僕は「日本の文化を知ること」をおすすめします。
2023.04.24
僕が、日本文化の根底にあると思える精神は、「可愛くて儚い美しさ」と、「誠の心と礼儀正しさ」だと思います。
まず、日本的な美しさについて。日本の美しさは、「可愛い」という言葉が当てはまります。中国の美しさが、王や皇帝の力強さや4,000年の歴史において絶対的に残る偉大さを示していたり、インドの美しさが、神々の賢さや慈悲深さ、精神世界における巨大な存在を示しているように、どこか「恐ろしい美しさ」を持っているのとは対照的に、日本は優しく庶民的で、まるで犬や猫や小動物を愛するかのような「可愛らしさ」を好みます。
たとえば、かつての日本少女は、紅色や紺色の浴衣を着て、下駄を履き、カランコロンと音を鳴らしながら城下町や細道を歩きました。
そのように、日本での美しさは、強さや賢さといった「巨大な力」を堅持せず、どこにでもあるような普通の日常を、できるだけ愛し、可愛らしい表現にすることを好みます。
また、日本人は、写実的に描くのではなく、デフォルメして描くことを好みます。そのため、日本画における美人は、みんな完全にデフォルメされた美人画になります。みんなが同じように美人画を描くのですが、実際の日本人の女性の姿とは似ても似つかないものになります。女だけではなく、男も同じです。江戸の火消し隊はまるで歌舞伎役者のように描かれます。
それから、日本の美しさは、「儚さ」があります。美しく煌びやかである時代は一瞬だけであり、すぐにその一瞬は消え去り、なくなってしまう中で、その一瞬を大事に逃さず記録するような芸術を好みます。これは、仏教のような「諸行無常」の考え方に通じるところがあります。中国のような、4,000年の歴史におけるド派手で巨大な建築物を作るのでもなく、インドのように精神世界の中で永遠に存在している聖なる存在を作るのでもなく、ただ一瞬だけ存在する、花が咲いたその状態が枯れるまでの間を表現するのです。
美術以外の考え方としては、僕は「誠の心」が言えると思います。誠とは社会的な善のことで、「正義」と翻訳することもできますが、権力者の義に従うことを押し付ける「正義」とはまったく違う言葉で、己の心や行いや言葉に常に誠実であり、悪いことをせず、常に正しいことをし、世間に対して失礼をせず、迷惑をかけず、良いことができなくても悪いことだけは絶対にしないということです。この「誠」という考え方が、武士の信じる「武士道」や仏教の「禅宗」と融和し、一種の行き過ぎとも言えるような「礼儀正しさ」と「しきたり」の文化を作ります。そこでは、人々に対して失礼のないように、常に礼儀正しく生きながら、自らの反省できる点を常に改め、世間を裏切ることのないように生きます。ある意味では、ヨーロッパのキリスト教修道院の修道士やシスターだけが信じていたようなことを、日本人はみんなで「誠の行い」と信じているのです。
そういうわけで、日本伝統の和の文化は素晴らしい文化です。相撲や腹切りだけを見て、日本人を遅れた文明であると考えるのは間違っています。
また、日本人は決してモノマネ猿ではありません。パクリ製品を作っていると思われているのは完全な誤解であり、日本の社会をよく見ていると、外国から評価されることがない分野で、これでもかというぐらい独自の文化を作りあげていることが、食事や衣服や建築物を見ても、漫画やアニメやゲームを見ても、J-POPの音楽を見ても誰でも分かります。日本は決して、猿真似しかできない人種ではありません。きちんとオリジナルの「和の文化」を、外国のほかのどの国よりもたくさんの量と高い質で作っています。日本は素晴らしい、世界に誇れる偉大な文明です。
2023.04.26
僕は、日本の文化には日本的な美しさがあると思う。
たとえば、金閣寺や銀閣寺。金と銀の装飾をあしらいながら、日本的な建築の美しさ、中国から引き継がれて日本へと継承された「美」がある。
あるいは、浮世絵や美人画に見られる女性の独自の美しさや、和服や着物、髪飾りなどにみられる「おしとやかで質素だけども、人間を芸術作品にするかのような美しさ」がそこにある。
日本の建築や美術などにおける美しさは、全体を和の雰囲気にしながら、個々の要素が絶妙に調和されている。イタリアやフランスなどの「ただ美しく精巧なだけ」ではない、独自の「美的哲学」がそこにある。これが中国の長い歴史と相まって、独自の「東洋的な美の極まり」の境地に達しているのである。
日本の建築は、中国の様式と神道・仏教などの日本思想を合成し、封建社会の武士の文化と融和して形成された。白と黒をベースとしながら、中国風の家屋のスタイルを行う。
日本には優れた建築がたくさんあり、僕の住んでいる広島においても、宮島の厳島神社は平清盛が作った海に浮かぶ鳥居が有名で、とても美しい白と赤をベースにした建築を築いている。他にも、奈良の東大寺や京都の清水寺など、さまざまな建築が存在しており、中国のような文化の中で西洋のような近代的技術が彩られる、「雅やかなのに美しい」文化を作っている。
建築を参照のこと。
香りを楽しむ文化である香道は、日独伊三国同盟を結んだごろのドイツ人が「唯一理解できない」としたところのひとつである。
日本の和食は、健康志向でヘルシーであり、同時にいつも食べていても飽きがこず、白いご飯とみそ汁に合う味(テイスト)が特徴。
昔の日本人は、一汁一菜(いちじゅういっさい)といって、白ご飯に味噌汁などの汁を一杯と、漬物のような野菜を一皿食べる。
だが、武士は五合の飯を食べると言われ、武士はとてもたくさんのご飯を食べる。そもそもが士農工商であり、農民は自分の作った作物の多くを年貢に取られるなど、農民には辛く苦しい時代だった。
料理を参照のこと。
昔の日本には水道設備がなく、井戸を使って水を掘っていた。
また、昔の日本には整備されたキッチンがなく、かまどと鍋で飯を炊いていた。
いろりでは、芋を煮て芋煮を作ったり、かゆを作ったりして食べた。
日本の旅館の料理も、これでもかと言うぐらいに量を出しますが、外国人は量を多いとは思わないかもしれません。
日本の茶道は礼儀正しくお茶を入れる。英語では「ジャパニーズ・グリーンティ」と呼ぶ。
日本の和服は、男性が身につけるものと女性が身につけるものがある。日本画のような美しい装飾のついた衣装を、くるまるように着ることが特徴。
現在は成人式や祭りなど、特別な行事や式典で着られることが多い。子供は学校の制服を着たり、社会人はスーツを着ることが増えたが、日本には和服と洋服両方のファッションがあり、特に洋服やメイクなどについては日本の黒髪(あるいはそれを染めた茶髪・金髪)に合うような「独自のカワイイ」を目指す女性が多い。
民族衣装も参照のこと。
衣服においては染物といって、衣服を綺麗な色に染める。特に藍職人による藍の色の染物などが有名で、かつては藍職人が長者番付に載るほど儲かる職業だった。
昔は、機織り機で衣服を作っていた。
衣類も参照のこと。
日本の美術は日本画に代表される。中国の水墨画をイラストにしたような文化で、派手な装飾は無く、ただ線と面による平面的な美術を行う。
絵の具ではなく墨の濃淡を使って描かれる中国古来の「水墨画」が多いが、色をつけることもある。
また、浮世絵や美人画では、外国人が「芸者」といって興味を持つような、美しい美人画を描く。これは日本の美術独自の特徴で、全員が同じように女をおかしな美人に描くという文化である。
美術史も参照のこと。
現代日本独自の文化として、漫画とアニメが挙げられる。漫画は、線だけで平面的なイラストとして描かれたキャラクターを使って、「コマ」ごとに絵を描き、それによって絵の変化と動きをつけて、物語として読者を楽しませる。それをカラーリングし、一つの絵が動くようにテレビや映画観などの「ディスプレイ」で「本当に動く漫画」を上映し、見ているだけで楽しいのがアニメである。
最近はアニメ的キャラクターだけが一人歩きし、オタクの間では同じキャラクターを使って二次的な物語を創作する「二次創作」が行われるようになった。同人誌とよばれるコミック媒体や、インターネットの個人サイトなどで、「著作権的なグレーゾーン」として今、流行っている。
漫画・アニメも参照のこと。
裸で男二人が組んで、土俵の外に出すか倒れるかまで、相手と取っ組み合って行う、誰でも出来るスポーツ。
日本の国技ですが、外国人は「日本だけの裸のデブのレスリング」として誰でも知っています。
二人で竹刀で剣術を行い、相手のこて、めん、どうのどれかを取ると勝利する。
剣道も参照のこと。
日本の独自の武道。道具は使わず、「一本」を取るまで相手と取っ組み合いを行う。さまざまな技がある。
日本独自の拳法。
ヨーロッパに騎士道があるのと同様に、日本には武士道があります。禅宗の寺と結びつきながら、独自の「武士としての精神論」を唱えます。
日本文学は、万葉集、源氏物語などに始まり、明治時代の夏目漱石や太宰治などに続く、日本のお家芸である。
古来の文化としては、俳句と短歌が存在する。俳句は5・7・5の言葉の文字数で決まったリズムを刻む。和歌が遊びに応用されたものとして、百人一首がある。上の句を読むのを聞いて、下の句を当てて札を取る。カルタも良く似ているが、カルタはひらがな一文字を聞いて札を取る。
日本の和楽器は、琴、尺八、三味線などをベースに、「雅楽」と呼ばれる独自の音楽を演奏し、その音色に民謡を重ねて歌う。
クラシック音楽も参照のこと。
演歌は、民謡が発展したもので、独自の「こぶし」を聞かせた歌を、流れるような演歌の音楽とともに一人で歌う。
昭和以降の音楽としては、子供向けの童謡が発展したものとして「唱歌」を戦前に歌っていた。また、テレビの発展とともに歌謡曲が流行り、歌手のアイドル化とともにJ-POPが生まれた。
歌手(2B.旧世代・昭和)も参照のこと。
神楽は、日本の伝統的な収穫祭のような、祭りのような式典で、舞台の上で踊り、歌う。
日本舞踊は、日本の独自の踊りと舞台のスタイル。舞を踊る踊り子として舞妓さんと呼ばれる職業がある。
能・狂言は日本の踊りと舞台のスタイルで、源平合戦のような物語をベースに、独特の調子によって舞と歌を踊る。
歌舞伎は日本の独自の舞台のスタイル。女役を含めて全員男でストーリーのある舞台を演じる。独特の舞台表現により、ファンや外国人旅行者などに人気である。
落語は、日本独自の「お話」のスタイル。笑いを取れるような物語を、一人の話し手が最初から最後まで演じるように語り、話す。それによって笑いを取る。
戦後以降の笑いを取る話のスタイルで、二人の「ボケ」と「ツッコミ」の合いの手で観客を引き込み、おかしな話をして笑いを取る。最近ではコントのようにさまざまな舞台的な役者を演じたり、一発ギャグをやったり、あるいはテレビのバラエティ番組に出てコメントやリアクション、現地リポーターなどを引き受けたりする。
昔の日本人にとって牛と馬は必須の家畜。牛乳が採れるだけではなく、移動手段や畑の耕作のための力にもなる。
牧場も参照のこと。
犬と猫は今のようなペットではなく、外敵から身を守ったり、あるいはネズミのような悪い動物を捕まえてくれる「人間のパートナー」だった。
養蚕業は、虫を飼うことで糸を出してくれる。れっきとした真面目な職業である。
衣類も参照のこと。
日本では、羽子板や駒、凧揚げのような古来からの遊びがある。カルタや百人一首なども、それに含まれる。
時代とともに日本の遊びは変化し、戦後のベーゴマのような子供の遊びから、テレビアニメ、ゲーム機などが生まれた。
テレビゲームも参照のこと。
日本の神話。日本神話を参照のこと。
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