世界史(2.中世)の世界観です。
中世のヨーロッパでは、封建社会の身分制度がある中で、キリスト教の強い支配を受けました。この世界の説明は教会が与え、キリストの愛は教会が引き継ぎました。
当時進んでいた地域は、イタリアです。イタリアは地中海の交易の拠点となって、「中世都市」を作りました。この考え方は、イギリス、フランス、ドイツ(神聖ローマ帝国)でも、中世の自由都市などに見ることができます。他にも、中国やインドなどのアジアとヨーロッパを通るシルクロードを中心とするオスマン・トルコのようなイスラム諸国が交易で栄えました。イスラム教の中心的な預言者であるマホメットもイスラムの商人だったとされています。
中世のヨーロッパでは、血筋と身分で奴隷のように従う中で、キリスト教を信じて、農業とギルドと中世都市の商売で国民は生きていました。
中世は、それまで自由だったギリシャ・ローマの文化が「後退」し、人々は血筋と土地に隷属された「身分制度」に戻ってしまいました。こうした社会を「封建社会」と呼びます。
中世は千年以上もの間、キリスト教の教会を中心にありました。人々は「神による世界」を守るだけになり、「人間としての自由」は無くなってしまったのです。これが、キリスト教の功罪です。
中世の各地には、城と教会がありました。何か事があると、人々は城に集まって戦いました。
中世農業革命によって、たくさんの食料を作れるようになりました。
特にイタリアのような進んだ場所では、たくさんのものが交易されました。それによって、豊かな「都市」が形成されました。
(以下は放送大学「ヨーロッパの歴史と文化 ―中世から近代― ('09)」を参考に執筆しました。)
中世ヨーロッパは封建社会であり、城主によって関連地域が支配されていました。
中世農業革命によって農業機械が進歩し、ヨーロッパは飛躍的に人口を増やしました。
ヨーロッパは都市文明だった古代ローマ帝国から都市区を引継ぎ、キリスト教の教会と結びついて中世都市となりました。
キリスト教の教会は、仕事の同業者を超えた人的関係を都市の中で形成しました。
中世の歴史は、中国や日本を中心とする中世の律令国家、中東のイスラム世界、そして中世ヨーロッパの3つの区分によって分けられます。
ルネサンスで国民が新しい自由な精神を培うまで、千年もの長い年月の間中世は続きました。この間、ヨーロッパではキリスト教の教会が支配していました。
古代イスラエルのページに、セムとヨーロッパについての内容があります。
ヨーロッパの中世については以下の書籍が参考になります。
よく、中世ヨーロッパが、古代ローマの文明的な社会に比べて、封建社会という、より原始的・古代的な「退歩」を遂げたと言われます。
ですが、僕は中世ヨーロッパの世界には「悪」が存在せず、長い間悪が登場しなかったため、より原始的な封建社会であっても、人々は長く幸福な時代を生きられたのではないかと思います。
歴史において、「悪が登場する」ということは重要なことです。
本当のことを言えば、最初から悪が登場しないのが一番よいのです。
ルソーなどの社会契約論が言うように、原始時代の人間社会というのは、この世界を抹殺できるような悪が存在しなかったため、王が存在しない村の共同体社会や、あるいは王国のような単純な国家制度においても、人々の幸福な暮らしは成り立ち、人々は悪の存在を気にせずに自由で平等な社会を生きることができたはずです。
中世もこれと同じで、キリスト教という「人民のための愛の宗教」を信じたため、古代ローマのような「皇帝だけの自由な権力」を「遅れた封建社会」に戻しても社会は成り立ち、遅れた社会であっても人々は幸福に暮らしていたのではないでしょうか。
確かに、ルネサンスの人文主義やそれ以後の近世・近代の思想によって、文明は花開き、ヨーロッパは新しい時代になりましたが、これは「神中心」から「人間中心」になるとともに「啓蒙主義的な王の権力と学者の権威を受け入れる」ということであり、ある意味では「それまでの人民のための神の愛」を失ったということです。
すなわち、ヨーロッパは近世・近代によって先進的かつ文明的になりましたが、それは「再び悪を受け入れた」ということなのです。
その後に、イギリスとフランスは民主主義の革命と産業革命を経験し、どんどん文化は進歩していきますが、ドイツやソ連が台頭する中で世界大戦が起き、人間は戦車やミサイルなどの巨大兵器、すなわち「世界を抹殺するほどの悪」を作りあげました。
これは、確かに科学的に見れば進歩でしょう。ですが、文明史的に見ればどうでしょうか。いつまでも中世の遅れた封建社会を続けていたほうが、人類は社会的には「進歩」していたと言えるのではないでしょうか。
中世と言えば、わたしたち日本人が思い浮かぶのは、「アルプスの少女ハイジ」のような、大人と一緒に少女や少年が村と自然の中で牧畜しながらチーズを食べて生きている世界でしょう。
今の小学校や中学校のような学校はなく、ほとんどの子供は教育もなく文字も読めなかったと、今の人々は想像してしまいます。
ですが、中世にも学校はありました。それは「スコラ」と呼ばれる哲学です。
スコラとは、特定の学問を指す言葉ではなく、今の学校が行っているような、「学習様式」を指す言葉です。
スコラでは、今の学校と同じように、テキストで問題を与えられて、その問題を解決します。あるいは、弁証法的に矛盾を証明します。今の子供のように、テキストは算数や国語ではなく、聖書のような著名な文献が使われました。主に行われるのは、入念にテキストを読み解いて理解すること、そこから「何が本当は正しいのか」ということを説明することです。
そのように、中世にも今の学校と同じような学校はありました。そして、今の大学教授が行っていることは、修道院の修道士や神学者が行っていました。すなわち、聖書を翻訳して記述したり、残すべき文献を書き写して残すということを神学者や修道士が行っていたのです。
教育も参照のこと。
2024.09.11