ドイツの世界観3(ドイツ史)です。ドイツ1(ドイツ)の世界観、ドイツ2(ドイツ語)の世界観も参照のこと。
03-文章より。
以下は「図説 ドイツの歴史」を参考に執筆しました。
歴史。
ドイツは、古代・中世は、ゲルマン人のフランク王国、
東フランク王国、神聖ローマ帝国だった。
ブランデンブルク選帝侯国によって、プロイセンが成立した。
近世では、ナポレオンの配下になり、
その後、自由と統一を目指して、ドイツ帝国が成立した。
第一次世界大戦で、ドイツは敗北した。
多額の賠償金を背負う中、民主主義の左派のヴァイマル共和国になった。
それが、戦争で体制打破を訴える、ナチス・ドイツとなった。
ナチは、ユダヤ人を虐殺し、戦争した。
第二次世界大戦で、枢軸国は、最初、フランスなどを含む周辺の地域にいくらか勝った。
しかし、ソ連との総力戦で、ドイツは敗北した。
東ドイツと西ドイツに分かれ、ソ連とアメリカの配下で、
もっとも東側の国と、もっとも西側の国として戦った。
ソ連消滅と同時期に、東ドイツは無くなった。
ドイツは再統一し、今では、経済格差やナチズムを克服している。
ドイツ史については、以下の書籍が参考になります。
歴史的に見ると、ドイツは「もっとも正しいキリスト教の右翼」です。
神聖ローマ帝国は、名前に「ローマ帝国」を継承していることもあり、正しいカトリックの自由な帝国でした。
それが、マルティン・ルターなどの登場もあって、プロテスタントという新しいキリスト教の宗派を作り出しました。
ドイツでは、今でもキリスト教民主同盟という「正しいキリスト教の政党」が勝っています。それに対抗するのは社会民主党です。キリスト教の民主主義か、それとも左翼か、という、「どちらにせよ平等な弱者を救う政党」ですが、それは表向きで、実際には極右勢力の台頭や独裁的・全体主義的な権力の「断行する政治」もあり、今でも余談の許さない、何が起きるか分からない国です。
世界史(中世)も参照のこと。
また、ドイツはマルティン・ルターの国と知られ、スイスのカルヴァン派と並んでプロテスタント発祥の国です。
実際には、地域によってカトリックとプロテスタントに分かれます。北部と東部にはルター派のドイツ福音主義教会信徒、南部と西部にはローマ・カトリック教徒が多いです。
後日注記:ドイツは確かに先進国で新しいが、逆に田舎などに行くと昔の中世のままの田園風景が広がっている。「キリスト教のまま新しくなった」という人間も多い。首相メルケルもキリスト教民主同盟の人間で、野党は左派の社会民主党。まったくどちらも保守的でありながら、「古いままで新しい」。そういうところが、「資本主義も社会主義もどちらも信じない」という、良い意味での「ドイツ主義」を生んでいる。
世界史(近世・近代)も参照のこと。
また、昔のドイツには賢い人間が多かったです。たとえば音楽の父バッハや文豪ゲーテのように、「ヨーロッパでそこまで評価される賢い偉人が多かった」ということが言えます。
カントやヘーゲルの時代には、プロイセンという国がありましたが、これはヘーゲルが見ると「最後にいきつく完成された絶対主義国家」として、「歴史の終わり」のような位置づけでした。そこまで賢い国だったのです。
ナポレオンやデカルトこそフランス人ですが、ドイツは賢い偉人と文献が多く、多くの人が真面目です。それは、ドイツという国が「賢い人間になれる国」だからではないかと思います。ドイツを見ていると、すべてが良く考えられていて、理想的です。アメリカのように儲かる国ではないかもしれませんが、歴史上の全てを経験し、その上で到達した「最高の国家制度」ではないかと思います。
ドイツには偉人が多いことで知られます。
バッハ、ゲーテ、シラー、ベートーヴェン、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ガウス、アインシュタインなど、現代に大きな影響力を与えた偉人は多くがドイツ人です。
後日注記:僕が個人的に思うのは、ドイツは哲学や数学のような「考えてできること」がとても得意。誰よりも深く知りながら賢く考える、そんな人間が多い。また、フランスやイギリスの有名な偉人と比べると、ドイツはとても「体系的」であり、「著作が膨大」である。たとえばフランスにも哲学者デカルトが居るが、彼の著作は薄く、読みやすいが、ドイツ人のカントやヘーゲルの著作は、小難しく、体系的で、なんでもかんでも書いてある代わり、簡単には読めない。ゲーテなども、イギリスの不思議の国のアリスやフランスの星の王子さまなどと比べて、「簡単には歯がたたない」。その代わり、ドイツには多くの作品を作る音楽家が多く、バッハやベートーヴェンなど「本当の意味で偉大な偉人」がとても多いことで知られる。
ドイツ地域はかつては分裂国家の地域であり、ブランデンブルク選帝侯国をはじめとするさまざまな小さな国がありましたが、これをプロイセンのビスマルクが統一し、ドイツ帝国となります。
ビスマルクは「鉄血」と呼ばれた宰相であり、労働者を支援する社会保険制度と社会主義者を鎮圧する社会主義者鎮圧法の「アメとムチ」で知られ、ドイツを「上からの統一」で統一します。
同様に分裂国家だったイタリアも統一され、ドイツとイタリアはこの統一を皮切りに、「持てる国」であるイギリスやフランスに対して、「持たざる国」として対抗するようになり、世界大戦へと発展します。
2023.11.25
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/15より。
第一次世界大戦のあと、敗北したドイツでは多額の賠償金からハイパーインフレに陥る。これがユダヤ人による陰謀論と結びつき、ナチス・ドイツによって第二次世界大戦が起き、枢軸国側が負ける。ドイツのような国は絶対に生まれるべきではなかった。それでも生まれてしまったこと、国民は反省している。
ドイツは、東ドイツと西ドイツに分かれる。西ドイツは、ドイツの発明であるガソリン式自動車を大量生産することで奇跡の復活を遂げる。それに対して東ドイツでは、SED(ドイツ社会主義統一党)のもとに、弾圧・監視・逮捕の遅れた社会主義経済を行う。
ドイツは、第一次世界大戦で敗北し、多額の賠償金を背負って、ナチス・ドイツとなってヒトラーが独裁者となって、また負けて、東西ドイツに分断された、まさに「最悪の現代史」を歩みました。
ですが、戦後に自動車産業などで奇跡の復活を遂げ、日本とともに「不死鳥のように蘇った国」になります。
ドイツがなぜ息の根を吹き返すことができたのか、それは難しい問題です。ですが、「全て失って、それでも滅亡しなかった」という「奇跡」と、「20世紀の全てを経験した歴史」は、僕は地球に残る「最大の国だった」と言えると思います。
ドイツは、第一次世界大戦の敗戦後にヴァイマル共和国と呼ばれる左翼民主主義の国家となり、「もっとも民主的な憲法」と呼ばれるワイマール憲法を裁定しました。
ですが、当時のドイツの賠償金は1320億マルクであり、これは当時のドイツのGNPの20倍、国家予算の30倍でした。
このような大金が払えるわけがなく(しかも外貨によって要求されていた)、ドイツはとにかく紙幣を発行して賠償金の返済にあてたため、「ハイパーインフレ」と呼ばれるインフレ地獄に陥ります。
そんな中でハイパーインフレを「ユダヤの紙吹雪」と言うような反ユダヤ主義的な陰謀論が飛び交い、戦争と反ユダヤ主義によって体制打破を訴える、ナチス・ドイツのヒトラーが政権を得ます。
ヒトラーは「全権委任法」を裁定し、ひとりだけで国家のすべてを行うことができるようになりました。国会で全ての政治家がハイルをする当時の議会は異様です。
ドイツの学校でも、この「ドイツがナチになって戦争に向かっていく歴史」を教えますが、この議論は結論を得ることがありません。なぜなら、「ほかにどのように解決したらいいのか分からない」からです。ドイツが見ても、ヒトラーひとりで戦争や虐殺に向かっていくのは当たり前です。「ヒトラーひとりのせいにするのはおかしい」ため、「悪いのはすべてのドイツ人」だと言えます。
詳しいことはナチス・ドイツを参照してください。
自分の書いた「ニュース - 2021-06-第四週」2021/06/23より。連ツイした投稿。
ドイツ史を勉強したが、戦争なんかしない方がいい。ドイツは賠償金とハイパーインフレが悲惨すぎて、戦争するしかなくなった。あのような国にだけはならない方がいい。誰も戦争なんか本当はしたくない。平和な方がいい。
そもそも、ドイツの間違いとは第一次世界大戦に負けたことである。国家予算の30倍にもなる多額の賠償金を払うために、とにかく紙幣を発行したが、ハイパーインフレによって意味のない国になった。よく考えずに戦争をしてはならない。ドイツにだけはなってはならない。
極右は分かっていない。何も歴史を知らずに帝国を正義だと勘違いしている。ナチのような国は、最初から絶対に生まれるべきでない。
ナチス・ドイツの敗戦の後に待っていたのは、東ドイツと西ドイツの分断でした。
西ドイツは、自動車などで経済を持ち直し、「奇跡の復活」を遂げたことが言われますが、問題は東ドイツです。SED(ドイツ社会主義統一党)の下で、ソ連との連帯のもと、まさに「最悪のドイツ」を経験したのです。
東ドイツには、満足にものがなく、社会主義の洗脳政策を行うという「ソ連の衛星国」としての特徴と、もうひとつ、「同じドイツ民族と戦う」という「ドイツ分裂」という特徴があります。
ですが、ベルリンの壁は昭和が平成に変わるのと同じ時期に無くなり、東ドイツは西ドイツに吸収されました。
しかしながら、ここで「経済格差」の問題があります。西ドイツに比べて、東ドイツははるかに遅れていて、また西ドイツ市民から「二級市民のような扱いをされる」ことがしばしばあり、最近では「オスタルギー」(ドイツ語で東+懐古)という運動があり、「もう一度壁を作れ」と言っている市民が居るのです。西ドイツになったからといって、満足のいく生活ができると夢を見ていたが、結局は裏切られ、いつまでも東ドイツは東のまま、あるいはむしろ東のままの方が良かった、というのです。
さて、現在のドイツは、EUの中でも左派的で穏健的な政策を取りますが、「EUの盟主」のようになっている一方、イギリスやフランスの極右政治家と同様に、EUや移民を排斥する極右勢力が居ます。
ですが、ドイツの違うところは、「まさにナチの本家本元」であるということ。そのため、ナチの敬礼をしたりすることは、法律で禁じられており、市民の間でもタブー視されることが多い一方で、「本当のネオナチ」がたくさんいます。実際のところ、ナチのマークがいたるところにみられ、まるで「テロや革命の代わりにナチ発言をする」といった具合になっています。
ヨーロッパも参照のこと。
僕が思うに、ドイツの政治は「長く短いスパンで変わりながら、新しく生まれ変わって進歩していく」ということが言えると思います。
古くは中世の分裂国家にさかのぼり、絶対主義のプロイセンを経験したかと思えば、ナポレオンの支配下になり、ドイツの統一を勝ち取り、第一次世界大戦で負けたかと思えば、もっとも民主的なワイマール憲法を作って戦後左翼をやってみたり、賠償金がどうしようもなくなって戦争と反ユダヤ主義のヒトラー政権になったかと思えば、また戦争を起こしてまた負け、東と西に分かれたかと思えば、自ら発明した自動車を主力産業にして立て直し、ベルリンの壁を壊して再統一、EUになったかと思えば今のコロナショックです。
また、ドイツにはその時代その時代に色んな偉人が居ます。たとえばバッハやゲーテなどが言えますが、古くは宗教改革のマルティン・ルターが言えるでしょう。ドイツ人ではありませんがイエス・キリストはほとんどドイツの神です。
そういうわけで、ドイツは長く短いスパンでどんどん変わります。ころころと変わっているように見えて、着実に新しくなって進歩しています。「地球の中で唯一違う地域」であるとも言えるでしょう。
ドイツの歴史を一言で言えば、「全てを経験し、乗り越えてきた、古くて伝統的だが同時に新しくて創造的な歴史」であると言えます。
常に時代の最前線で、常にもっとも悲惨で可哀想な状況に置かれながら、決して捨て去ることのできない「確かな宝の経験」を生み出してきた国だからです。
ドイツは多くの経験をしてきましたが、ドイツ人はその経験をひとつとして無駄にせず、新しい地球の未来のために、新しいドイツの将来のために、反省し、培い、時に大きく間違えながら、軌道を大きく修正し、新しい挑戦をし、今までとは全く違った考え方を持ちながら、「伝統と古さ」を「創造性と新しさ」の間で融和させていく、それがドイツ史です。
イギリス史やフランス史のように、かっこよくて強い歴史ではありません。ですが、ドイツ人は「全てを経験してきた」のです。
キリスト教を参照のこと。
フランス革命とナポレオンについてはフランスの革命を参照のこと。
ゲーテを参照のこと。
ナチス・ドイツを参照のこと。
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