ロシアの世界観です。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/15より。
ソ連は、共産主義経済を行ったが、スターリンの極めて厳しい経済政策で国民は苦しい思いをした。フルシチョフの政権になってもそれは改善されず、次第にソ連は「末期症状」を示す。ペレストロイカによってソ連は崩壊し、東ドイツは西ドイツに吸収されてドイツは再統一をする。
ソ連の問題は、計画経済では十分にものを生産できなかったこと、強制ノルマは非常に苦しいものであったこと、国民は自由がなく何も言えなかったこと、独裁者スターリンが人を殺しすぎたこと、そして働いても働かなくても変わらない給与では働くモチベーションがなかったことなどである。
ソ連は社会主義による平和と平等を目指したが、その実核兵器によって西側諸国を脅すなど、いわば「ならず者国家の代表」であった。アメリカとソ連による冷戦は、自由か共産かというだけの米ソの代理戦争を国民が行い、「米ソがつるんでその国に戦争をしかけている」と言われるものだった。
しかしながら、20世紀のもっとも愚かな国家であるソ連とドイツは、独裁政権ではなく民主主義政権となった。民主主義において、果たして幸福かつ平和な国家は生み出されるだろうか。国際社会は複雑さを増しており、中国は東アジアといっても軍事力から言えばもっとも現実的な日本の脅威である。
ソ連にもいい点はある。それは「ユートピアの実現を約束する国だった」ということ。
ソ連の共産党政府は、マルクスの資本論の通りにすれば、ユートピアを必ず実現できると信じて、一握りの資本家だけが莫大な富を得て、ほとんどの労働者は奴隷にならざるをえないような、資本主義の市場経済(金による経済)ではなく、みんなのものを平等に生産し、すべての人民に平等に分配する「労働者と人民の国」を作りたかった。
そして、そのために、資本家が工場や農地などの生産手段を独占するのではなく、生産手段を国営化し、共同体の人民が共有するような、正しい計画経済を、プロレタリア独裁の中央集権のもとに行おうとした。
結果、西側よりも進歩や発展の遅れた国となり、ソ連の計画経済は社会主義経済が間違っていることを証明したが、それでも、西側のような「何もせず自由放任に放っておくだけ」の資本主義ではなく、「マルクス・レーニンの唱える楽園の地球」を本当に築きたいという、「理想を実現するための国家」であった。
それに、社会主義運動によって、労働者は資本家から一日8時間の平等な労働時間を勝ち得た。社会の不平等を正すために、ソ連はすべての意味では間違っていなかったと言える。
ソ連のことを、「上手くいくわけがない社会主義経済を採用した失敗国家」であると評する人は多いですが、必ずしも、平等な理想が間違っているわけではありません。
確かに、みんながそれぞれ働けるだけ働いて、その成果となる富をみんなで平等に分配するという社会主義経済は、資本主義に比べて成果主義的でなく、国家の経済としては成り立たない、とする自由主主義側の言い分には一理あります。
ですが、平等に統一することは、本当は間違っていません。
たとえば、誰かがそれを「欲しい」と思うとして、それが誰かひとりだけであれば、その人に与えればいいのですが、「僕もそれが欲しい」と別の人が言い出したら、それをどちらに与えるのかを考えなければなりません。
このような時、どちらかが勝つまで戦うということにすると、多くの犠牲が出てしまいます。
このような時は、半分ずつにそれを分割して、どちらにも平等に分配するべきではないでしょうか。
また、「僕はこの国をこのようにしたい」と思った時に、その人だけがそれを名乗り出るのならば、その人を王にすればいいでしょう。ですが、「僕はこの国をそうではなくこのようにしたい」と別の人が言い出したら、どちらを国の王にすればいいでしょうか。
このような時、それぞれの共同体で国を分割することが正しいと言えるでしょう。
ですが、このような時、もうひとつ別の解決策があります。すなわち、どちらか優れたほうを王にして、国をその人の王国に統一し、「ほかの人は誰一人王にはなれなくする」という解決策です。
これはまさに、王国制や民主主義制による考え方であると言えます。この考え方でいいのであれば、誰かが勝利してその人を王に統一することでも、世界を平和にできます。
ですが、本当に理想的な社会にするためには、平等と統一は同時に行うこともできます。すなわち、「世界全体の全人類を平等にするように全世界を統一する」ということです。
そして、ソ連という国は、まさにそのような「平等な世界の統一」を目指した国だったのです。
これに対して、アメリカや西側諸国のとった解決策は、「自由」です。自由とは、すなわち、どちらかが勝つまで、世界全体を平等にせず、「放っておく」という解決策です。
ですが、放っておくという解決策は、簡単に勝敗の決まる争いや戦いであれば、どちらかが勝って終わりになるでしょう。ですが、簡単には勝敗の決まらない解決策だった場合、いつまでも犠牲者を出し続け、どちらかが勝つわけではない「永遠に続く戦い」をしなければならなくなるのです。
ソ連は、自由が嫌いです。その理由は、そのような「永遠に続く戦い」が嫌いだからです。ソ連はこの世界の争いをなくし、世界を平等に統一するのです。すべての富はみんなに平等に分配し、全世界はソ連の平等な共同体に統一するのです。
このようなソ連以外にも、「リベラル」という考え方があります。リベラルは、「自由な権利の平等」を信じています。それは「全員に自由な権利を与える」ということです。
ですが、自由な権利といっても、すべての権利を全員に与えれば、誰かが特別大きな力を持って、ほかの人々の自由を奪い、支配したり危害を加えたりする自由が考えられます。
そのため、自由なリベラル主義者は、「自由といっても、ほかの人間の自由を奪うような自由は認めてはならない」という、リベラルな平等を信じることが多いです。
これは、それだけを見れば上手くいくように見えますが、実際は資本主義経済、すなわち「金儲け」を認めるのか認めないのか、という「リベラルな考え方の矛盾」が起きます。
つまり、金を多く持つものは、金を少なく持つものよりも、多くの特別な力を持つということが、果たしてリベラルにおいて、平等な自由であると言えるのかどうか、ということです。
リベラル派は、資本主義を認めるのか、それとも資本主義を認めないのか、ということから見解が分かれます。社会主義経済についても、社会主義経済を行うのか、それとも行わないのか、ということで見解が分かれます。その結果、リベラル派は分裂し、あるいは烏合の衆となってしまうのです。
つまり、リベラル派は、「自由で平等」とは言いますが、「何が自由で何が平等なのか」ということが人によって異なるため、考え方の違う烏合の衆になってしまうことが多いのです。
このような結果、リベラル派はまったくバラバラになってしまいますが、その代わり、社会主義経済を採用するコミュニストたちは、ソ連という同じ理想の下、自由なく「全員の思想が統一」されてしまいます。
本当は、このような理想的なことは、信じたいと思わない人も居るかもしれません。たとえば、保守派の自由主義者などは、「理想の実現よりも今ある経済の立て直し、そしてアメリカなどの外国に勝つこと」を優先します。これは、「勝つ」という意味からすると、間違っていると思われるかもしれませんが、実際は正論です。
たとえば、マイクロソフトのWindowsに負けているオープンソースのLinuxが、いくら理想論を唱えたところで、理想とするオープンソースのフリーソフトウェア社会を築くことはできません。必要なのは、マイクロソフトにシェアで勝つことです。いくら理想だけを述べていても、その理想は理想だけでは実現できないのです。
このような自由主義者は間違っていません。勝つことは国家にとって最重要課題です。
本当は、かつてのソ連も、そのような「勝つ」ということを重視してきました。西側諸国に対して、経済面で勝てないのであれば、軍事的な恫喝で勝つ、すなわち「核兵器を大量に作ってアメリカを脅す」ということでソ連は西側やアメリカに勝とうとしました。それは平等な統一勢力が勝つということであり、間違っていることではないため、かつての社会主義者たちは「ソ連の核はきれいな核」とまで言ったのです。
このように、ソ連は決して間違っていません。世界を平和にするためには、世界を平等に統一する必要があります。
ですが、ソ連が正しいということと、平等な社会主義経済が上手くいかないということは、別の問題です。平等な社会主義経済は、みんなでそれぞれ働いたとして、自分がみんなよりも多く働いたとしても、自分が得られる給与は全体の平均値です。それが競争を否定した結果です。どれだけみんなよりもたくさん働いても、稼ぐことができないのであれば誰も働きません。「みんなで並んで一緒にゴールイン」では、足が速くなる努力をする人は居ないでしょう。結果、みんなの足が遅くなってしまう、これがソ連の直面した「西側諸国に対する経済的な遅れ」なのです。
また、社会所有について、「すべてが独裁者のものになる」と揶揄する人も居ますが、そもそも、人間がものを所有するという必要が本当にあるのかどうかは分かりません。そもそも、労働者を奴隷のようにこき使うという発想は、「奴隷を自分のものにする」という考え方から生まれたものです。そもそも、「僕がそれを欲しい」とか「僕もそれを欲しい」とか思うのは、そもそも「所有」という概念が間違っていると言えます。つまり、「最初から誰のものでもないものにして、平等に必要なものだけを分け与える」という解決法もできるのです。この解決法は、一番エレガントな解決法です。地主のもとに耕作する必要も、工場の労働者としてこき使われる必要もなくなり、全員は同じ立場の公務員となり、あらゆるすべてはみんなで作るみんなのものとなります。これを目指したのが共産主義です。
必ずしも、労働者をこき使うのは資本家だけではありません。王や権力者なども同様です。王のような絶対権力者の存在を共産主義者が否定するのは、「国は王のもの、領土は王のために守らなければならない自分たちの勢力である」という考え方を、左翼はもっとも嫌うからです。このような考え方が、王による戦争と多大な犠牲を生み出すのです。
共産主義を「狂っている」などと言う人も居ますが、共産主義は発展した「未来の進歩した地球文明」と言える、本当に素晴らしい思想なのです。
2022.12.06
2022.12.07編集
このように、正しい思想を信じているはずのロシアですが、実際のロシアは、なぜか最悪のクズ国家です。
今のロシアは、プーチンがなりふり構わずに戦争をしていますが、このロシアとウクライナの戦争は最悪です。プーチンという人間は、残虐で極悪非道であり、狂っているとしか思えません。
プーチンは、反戦争のデモの参加者や刑務所の囚人などに、「戦争に行って戦ってこい」という召集令状を配布します。
また、ウクライナで国民投票を無理やりさせた上でロシアに併合した地域では、その地域に住んでいた人間を、ウクライナ兵ではなく今度はロシア兵として戦わさせます。
このように、ロシアのプーチンは、ロシア人のことを人間だと思っていません。自らの道具や「もの」であるとしか思っていないのです。
このような考え方は、20世紀のスターリン時代には既にありました。スターリンは、国民のことを道具や「もの」であるとしか考えていません。何も信じないスターリンは、「人殺しは悪いことである」ということすら信じていません。共産党の公式な式典などで、スターリンは国内の締め付けのためにみんなの前で政敵を銃殺します。はっきり言ってスターリンは「殺人鬼そのもの」です。
さらにその昔、ロシア帝国の時代にも、そのような予兆はあったと思います。ドストエフスキーの白痴などを読めば分かりますが、ロシアでは昔から「シベリア送り」が普通です。シベリアの強制収容所に政治犯を逮捕して収容するという発想は、スターリンの発想に見えるかもしれませんが、実際はそれより前のロシア帝国の時代から、ロシアでは悪い人間はすべてシベリア送りです。
このような国が、どのように努力したところで、自由な楽園であるアメリカに勝利することはできません。ソ連が頑張っても、なんの意味もありません。ソ連は地球上から排除されるべき国家であり、共産主義思想などにはなんの価値もありません。少なくとも21世紀の今の時代、ロシアは地球にとって不要です。誰もが資本主義が好きなのに、プーチンだけはそれをかたくなに拒み続けているのです。
2022.12.07
まず、日本とロシアには文化的な共通点が多いです。
日本とロシアは国境を海で接する隣国であり、古代から通じて、良く似た衣装を着て踊り、良く似た言語を使います。
日本語は格助詞を言葉の語尾につけますが、同様にロシア語も格変化を語尾につけて表現します。よって、キリル文字であるという違いはありますが、同じように話します。
ロシア語には造格や前置格がありますが、これも日本語の前置詞と良く似ています。
ロシアはソ連という共産主義国を作りましたが、大東亜共栄圏という理想が大日本帝国にもありました。
何より、僕はロシアが好きです。ドイツ再統一が僕の生まれた時期と重なるのと同様、同時期のロシアのペレストロイカも、僕の生まれた時期と重なります。
ロシアと日本はとても良く似ていると思います。
最近は、日本のアニメなどのオタク文化がロシア人の間で流行っています。オタクとかコスプレとかドウジンという言葉は、ロシアでとても流行しています。彼らは日本のアニメのキャラクターを「テンシ」と呼びます。ツイッターなどでこうした言葉を検索すれば、ロシアでどれほど日本のオタク文化が流行っているのかが分かります。
海外で特に人気のあるアニメは、クレヨンしんちゃんやセーラームーンなどですが、一部にはスタジオジブリやNARUTOのようなファンが居て、彼らは自国のテレビで日本のアニメを見て好きになり、そのまま日本の同人誌を日本に訪れて買ってファンになります。また、アジアの後進国では巨人の星なども人気であり、同様に自国のテレビで日本のアニメを見てファンになります。
僕は、ロシアと日本は、補完的な相互関係を築くことができると思います。
ロシアには、優れた宇宙開発技術や、近代兵器の開発技術があり、ソ連は失敗したとは言われますが、アメリカと並ぶ「超大国」になることには成功していますし、西側諸国の言う「遅れている」という言葉は西側から見た視点にすぎず、雇用が平等で格差が少ないなど、東側諸国から見れば「逆に進んでいる」と言えるようなことはたくさんあります。
日本は、江戸時代の鎖国から明治維新という革命で近代国家として立て直した経験があります。ほかの周辺国とまったく付き合わない「鎖国状態」は日本も経験したことがあり、ロシア革命とよく似た「遅れた徳川幕府を打ち倒して近代国家を築く」という明治維新という革命も日本は経験しています。
もし、プーチンが、社会主義経済を資本主義経済に転換するのが困難であり、諦めようと言うのであれば、社会主義経済に戻した上で、日本と相互の同盟を築いてはどうでしょうか。
もしロシアが社会主義経済に戻れば、グローバル資本主義を採用する必要がなくなり、今ウクライナ戦争でロシアが被っている「経済制裁」は効力をなくします。
日本とロシアは、相互に補完的な関係を築けます。ロシアが宇宙ロケットの開発を行い、日本が自動車の製造を行います。ロシアのエネルギー産業や資源と日本の工学技術や最先端科学を組み合わせ、日本人の勤勉な労働者が働く工場をロシアに作れば、「日本とロシアだけで成り立つ工業・農業的な完全自立国家」を築けます。また、ロシアの社会主義経済の経験や、ユートピアを作るためのビジョンと、日本の世界第三位のGDPを誇る豊かな経済圏を組み合わせることで、「今度こそは成功するだろう完璧な共産主義圏」を築くことができます。
そもそも、日本の国粋主義者たちが、日本に対する「愛国心と帰属意識」を大いにふりまき、左翼が日本の自民党の無策無能を批判するのを、右翼が「逆に批判し返す」ということが、日本を最悪の国家にしています。これ以上ないほど日本の文化は終わっていて、日本の社会は狂っています。かつてのような「日本人のための国」は日本ではありません。日本政府はわたしたち、日本国民のための政策を何もしていません。真にわたしたちのための世界を作ろうとしているのはロシアであり、真に人類のための指導者であると言えるのは世界においてプーチンひとりだけです。
僕は、日本政府を批判することはしません。日本の既存の政治家が無能であるということは誰でも知っていることであり、あえて批判する理由もないからです。僕は、日本に対して反抗も復讐もしません。ですが、僕は日本を信じません。僕は「検討」しかできない日本の政治家を一切信じていません。正しい政策を検討だけではなく「実践」できるのはロシアのプーチンだけです。
ウクライナ戦争によって、ロシアのプーチンは国際社会から厳しい風当たりを食らっていますが、それでも僕はロシアを支持します。ロシアは悪い国ではありません。僕はロシアと日本が強固な同盟を組むべきであると考えます。日本とロシアの両者の力があれば、必ず「誰もいじめられる経験をする必要がなく、ありのままの自分が許される、自分らしく自分の生きたいように生きられる世界」を作ることができます。それができるのは日本とロシアだけ、すなわち僕とプーチンだけです。
ですが、残念ながら、日本がロシアと仲良くしたいと思っているにもかかわらず、ロシアと付き合うのは並大抵のことではありません。ロシアは、日本の約束を守るようなふりをして破り、日本の善意を引き出すように日本を騙して、すべてをロシア側だけが優位になるように国益を奪っていく、ということを繰り返してきました。北方領土問題もそのひとつかもしれません。
ですが、僕はアメリカ一辺倒の日本外交は間違っていると思います。日米同盟で確かに平和憲法の日本をアメリカは守ってくれていますが、日本が戦後自由な国になったというのは、実際は「アメリカと同じになった」ということを意味しているだけです。民主主義で選ばれた首相が、血筋で選ばれる天皇陛下より、果たして賢くて優れていると言えるでしょうか。日本の首相は「検討」するしか能がなく、実際に国民のためとなる政策を何一つ「実践」できていません。
なぜ、戦後がよくなったと国民が思っているか、それは、戦前と戦争中が悪すぎたからです。ですが、戦前の帝国制度が悪いならば、権力を否定して「人民のための平等な社会主義」を行うということに、どうして抵抗があるのでしょうか。権力に従わざるを得ない、不平等な帝国を否定するのであれば、民主主義をさらに超越して、社会主義国家とすることも間違いではありません。
今、日本は「自分らしく生きられない画一化された管理社会」になっています。このような中で、日本社会の秩序や倫理観を立て直すためには、社会主義思想や平等政策もある意味では必要だと、僕はそう思います。
ロシアの歴史は、以下の書籍が参考になります。
ロシアは悪い国であるかのように思われるかもしれませんが、ロシアは良い国です。
正しいことしかしない、公正な国です。みんなのことを本当に思いやる、「きちんと人民のことを愛する」良い国です。平和な社会秩序を重んじる、平等な権利のある社会的な国です。人々は、発展してユートピアになれば楽になる、と教えられて働いています。集団農場は、そもそも、人民のことを楽にしたくて始まったのです。ソ連は、自発的な共有と手助けを社会制度にし、誰もが人々のことを手助けすることを最優先に社会を構築しています。自立した社会で、人々は貧しくても幸福に生きています。指導者はきちんと計画的に考えて、正しい社会を築いています。ロシアには未来のビジョンがあります。計画的に経済を築くことで、普通の民主主義国家にはできないことをやります。ゼロからものを築くのは、ロシアの計画経済でしかできません。
それこそ、ロシアには宇宙ロケットの技術もありますし、オリンピックでも強い国です。
ソビエトは、悪い部分ばかりがクローズアップされる可哀想な国ですが、良い面もあって、公正で正しい経済を目指して世界を変える計画経済の平等をやろうとしいた国は、ソビエトしかありません。ソビエト一国だけが、そのような正しく賢い善良な国でした。もっと、その良い面や正しい面を見た方が良いと思います。似ているのは、世界の警察をやっていた昔のグレートなアメリカ合衆国ぐらいです。そもそも、昔は、そうした「世界全体を良くする正しい国」が好きな人が、どこにでも多かったのですが、それはアメリカとソ連という2つの超大国がそれぞれ別の道で世界を良くしたいと努力していたからです。世界の平和は、ソ連によって成り立っていました。今の世界は、経済学者の言うG0の時代になっています。みんな、自分勝手で、自分の国しか考えない「自国ファースト」な国が増えました。それが必ずしも悪いわけではありませんが、ソ連が無くなったせいで白人が強くなり、イギリスやフランスも自国のことしか考えなくなりました。昔のような超大国の「リーダーシップ」というものが無くなって、自由になった代わり、この世界を束ねる「首長」が居なくなりました。それが今の、この世界です。
ソ連型の社会主義モデルは、「計画経済」「社会所有」「平等分配」です。
共産主義を提唱したカール・マルクスは、資本と資本主義社会の問題を明らかにしても、理想の社会主義がどういうものかという「モデル」は示しませんでした。
革命家レーニンも、「プロレタリアによる独裁」などを唱え、資本主義による帝国主義に危機感を表しましたが、実際の国のモデルについては「ソビエト体制」などをベースにしただけです。
スターリンや毛沢東は、自らの手で、資本主義の金や市場に頼らない、独自の共産主義のモデルを作る必要がありました。
そこで、スターリンがとったのが、「計画経済」「社会所有」「平等分配」です。
まず、当時の革命後のソ連というのは、ほとんど無血(犠牲者は出したもののボリシェビキ側が出しただけ)のロシア革命を終えて、右翼から全権をソビエトに移しますが、資本主義の会社を国営化し、農民からは農作物を強制的に徴収しました。
ネップ政策でいくらか自由な農作物を作ることが許されましたが、外国からの反革命圧力もあって、レーニンが死去し、スターリンになった後は、食べ物や工業製品を作ることよりも、「軍事力と兵器」を作ることが優先されます。
そうしたソ連の社会で、内政経済としてとられたのが、計画経済・社会所有・平等分配のモデルです。計画的に農作物や工業製品を作り、私的所有権を禁止して社会所有とし、平等分配で「みんなのものをみんなに与える」ということが理想とされました。
ですが、資本主義の市場経済に比べて、このモデルはとても劣ったものでした。計画経済ではなかなかものが生産されません。スターリンや共産党がいくら正しい道を示しても、強制的に平等な労働をしていた労働者は、従う意味もなければ、働く意味もありませんでした。スターリンが死去し、フルシチョフやブレジネフの時代になると、ソ連は「完全な遅れた国」となって、「末期症状」の状態を呈します。ゴルバチョフはペレストロイカを行うことでソ連を改革しようとしましたが、ドイツが再統一されたこともあり、時代の流れには逆らえず、ソ連は消滅して資本主義のロシア連邦となりました。
これが、「ソ連の失敗の歴史」です。実際の苦労や苦しみは、全て末端の農民や労働者に押し付けられました。ものは十分に無く、社会も遅れ、働く意欲も無く、逮捕や殺戮ばかりが起きた、知性と心のない、まったく駄目な国でした。
最近、この世界は「自由」の世界になっている。そして、この自由とは、「弱肉強食」である。
自由なルールと資本の下で、強いものが勝ち、弱いものが負ける。それだけの馬鹿な自由な世界になっているのである。
そして、この世界をどう、自由から変えていけば良いか。
僕が考えたのは、「上部構造」と「下部構造」のモデルである。マルクスの言っていたこととは違うかもしれないが、僕の指す「上部構造」とは、「決まり・法・ルール」を表す。そして、僕の指す「下部構造」とは、「共同体・組織・社会」を表す。
そして、法律やルールでは、それぞれが「どのようにするか」を規定し、共同体・組織では、それぞれが「何をするか」を規定する。
その上で、正しい法と共同体を作る。そうすることで、権利が守られ、全員は自由なままに平等になるだろう。それが、「新しい社会のモデル」になる。
労働を自由にし、自由に働き口を求めて、自由な報いを得られるようにすべきだと、民主主義ではよく言われる。
だが、これは無意味だ。なぜなら、自由にすればするほど、安定しなくなる。いつ収入が途絶えるか分からなくなるのである。
新しい社会では、こうした自由な労働のやり方はとらない。逆に、きちんと安定した収入を全員に与える。平等に与えなければ、分配の意味が無い。だが、これをするあまり、ソ連は失敗した。誰も働かなくなってものが生産できなくなった。
それなら、バランスが必要である。全てはバランスであり、「クビになる危機感」というのもある意味では必要だろう。
中国を参照のこと。
経済学でまことしやかに言われることとして、「計画経済の分配は破綻し、上手くいなかった」と言われます。
ソ連が崩壊した今、市場経済と計画経済の争いは、市場経済が勝利したかのように、受け止められています。
ですが、ソ連は遅れていただけで、きちんと動いていました。確かに、平等分配では、努力する意味がなく、強制ノルマを課せられ、もの言う人間は逮捕されます。そして、ものはなく、作ることもできず、作るものの多くは兵器や戦争の武器でした。
ソ連は、アメリカのような西側諸国に比べて、遅れに遅れていました。
ですが、考えてみてください。計画経済は、本当にどこの国でもしていないでしょうか。それは、僕が思うに、「大企業の生産は、分業の中での計画経済の一種ではないか」という意見です。
大企業が、全く計画経済ではないかというと、そうではありません。大企業も、市場経済の分業の中ではありますが、きちんと会社の社長が「計画」して経営施策を進めています。
また、国の政府が計画経済をしていないかというと、それもそうではありません。政府は、きちんとした政策を行うために、計画し、丹念に準備して経済活動を支配しています。これは、計画経済と同じです。
あくまで、僕の言いたいことは、「ソ連は計画経済できちんと動いていた」ということです。そして、平等な資本の配分は人々を幸福にします。少数の金持ちが大部分の資産を握るのではなく、みんなに分け与え、みんなでユートピアを目指して平等に働く、そうした理想をしていた国が、ソビエト連邦という国です。
そして、ソ連が全く民主主義的でなかったかというと、それも違います。ソ連は確かに、スターリンが独りだけで決める独裁者の国でした。ですが、彼らには「評議会の上での平等な共同体」という理想がありました。この、平等な共同体とは、すなわち、「それぞれが同じ権利を持って、それぞれの共同体で自由に決められる」というものです。ソ連は評議会でノルマを決めるため、強制労働とはいっても、みんなの意見で決まったノルマです。そう、ですから、決められた通り、働かなければならないのです。これを、「共産主義」と言うのです。
社会主義経済を成り立たせるために、以下が必要です。
1.どれだけの資産が必要かを分析し、生産すべきものを決め、計画する。
2.その計画した経済において、人々を働かせて生産を行う。
3.生産したものを、十分に、そして全員に平等に分配する。
ここで、社会所有は、昔のヨーロッパで見られた考え方で、「全員へ分配する資本をみんなのものとして、みんなのものをみんなで生産し、社会所有された富を維持し、それを平等に再分配する」ということです。それぞれに分配を行う事前の段階として、社会所有された富を生産する、ということです。
そういうわけで、必要なものは多岐にわたります。以下にリストアップしてみましょう。
・健康的で、十分に栄養を取ることのできる、おいしい食べ物。
・日常の中で、十分に生活を送ることのできる、恒久的な日用品と、家電製品。
・衣服と家屋。
・知識や情報を得られる、テレビ放送、インターネット通信、新聞などのメディアへのアクセス手段。
・仕事やビジネスを行う上で必要な、コンピュータや事務製品。
・移動に必要な交通手段。
・水道な電気などのインフラ。
・学校や教育に必要な経費。
・医療や介護、あるいは保険などのリスク対策。
・音楽や英会話などの趣味の教室や、漫画やぜいたく品などの娯楽。
そういうわけで、このように生産を行いましょう。
生産対象 | 必要なもの | 生産手段 |
---|---|---|
食べ物 | 和食や洋食の三食を提供する。 まず野菜や肉・魚などの食料品、そして料理を作るための調味料など。 外食もあると良い。 | 農場と市場 |
日用品 | 食器、家具、家電製品、AV機器、文房具、冷房と暖房、寝具など。 | 工場と会社 |
衣服と家屋 | 20着ほどの服と、一戸建てやマンションの一室。 | ファッションデザイナーや不動産業者 |
知識と情報 | パソコン、ケータイ、ブロードバンド、テレビ、新聞、50冊ほどの書籍。 | 製品開発とインフラ |
事務製品 | プリンター・スキャナー、事務コンピュータ、社内システム。 | コンピュータ企業 |
交通 | 自動車、公共交通機関の代金。 | 大規模な工場と維持システム |
インフラ | 水道、電気、ガス、道路建設。 | インフラ施設 |
学校や教育 | 子供たちの活動と知識を与えるための学校。 ただ知識を与えるだけではなく、考え方と生き方を教える。 | 学校と教育審議会 |
リスク対策 | 医療、介護、保険などを提供する病院や薬と、施設・スタッフの提供。 | 病院 |
ぜいたく品 | 音楽・英会話などの教室と漫画や酒、娯楽施設など。 | 教室・娯楽施設 |
また、これらを生産するために、農場と工場と会社のオフィスを作ります。これらを実現することは、きっと社会主義でもできると思います。
それから、政府として行う外務省や経済産業省などの「政府の仕事」もあるでしょう。この政府の仕事は、日本のような資本主義国家の政府を継承して、省庁を作ることができると思います。
また、労働者には給与を払う必要がありますが、僕は自由に格差を作らないために、「平等に安定した生活を送られる程度の給与を一律に与える」で良いと思います。要するに、毎年一律で600万円を与えます。人々は政府から与えられた公的予算の下で、公務員として働きます。
政治経済(3.思想・マルクス経済学)やマルクスや労働地域党を参照のこと。
ボリシェヴィキはロシアにかつて存在した革命組織で、指導者はレーニン。「プロレタリア独裁」を主張してロシア革命を成功させた。
2024.06.08
ロシア革命は、ほとんど無血革命に近いものだった。レーニンも、「われわれは、ほとんど血を流さないで権力を掌握した。犠牲者は出たが、われわれの側が出しただけである」と言っている。
ただし、スターリンの厳しさには想像を絶するものがあった。秘密警察と密告による逮捕により、監獄や強制収容所に収容し殺害することで、約1,200万人もの人々を逮捕し、その多くを殺害した。
詳しくは以下が参考になる。
2024.06.08編集
独裁者スターリンは、まず、レーニンの後継者ということをアピールするために、「レーニンの党である」ということを示しました。
それが、レーニン崇拝、そしてスターリン崇拝に繋がりました。
スターリンは、共産主義のプロパガンダを多く発信しましたが、そこにあるのは「労働者の勝利と平等の正義」であり、ヒトラーのようにユダヤ人を排斥するのではなく、「必ずわたしたちがユートピアを作る」というものです。洗脳のような側面があるのは、政府のレベルで言論を統制し、検閲したりはむかうものは逮捕したからですが、「みんなで社会主義の勝利の歌を歌う」といったように、「半ば社会主義にはむかうことのできないような社会的誘導」をしたと言えます。
スターリンは正義を高らかに宣言しましたが、実際は劣悪で、ものを十分に生産することができず、遅れた貧民国家になりました。また、スターリンは自分のことしか考えませんでした。権力闘争の中で粛清を行い、はむかう共産党の議員は目の前で銃殺しました。多くのヨーロッパ人が「ヒトラーかスターリンか」を選択しました。
スターリンに唯一の良い点があるとすれば、それは「ドイツとの戦争に勝った」ということが言えます。ドイツには巨大な軍備がありましたが、良く準備ができておらず、ソ連の極寒の中で、ソビエト軍に地の利があり、スターリンは総力戦を戦って勝利しました。
スターリンは秘密警察を強化し、逆らうものは強制収容所送りにするなど、強権的な反動体制を強いた。
国民に強制労働を強いて、工場では生活のための日用品や機械よりも、戦争のための兵器を作った。
強制労働は地獄のように辛く、ユートピアという理想からかけ離れた労働を行っていた。
平等な労働は働く意欲を低下させ、大量生産ができないという弱点から国民は満足にものを手に入れることができなかった。
その一方で、資本家や民主化を望む人々を不当に逮捕した。
そもそも、共産主義の理論はマルクスによるものでしたが、フランスで一時期行われていた「パリのコミューン」が共産主義の理想とされていました。
また、レーニンは「ソビエト体制」というものを考えました。ソビエトとは、評議会という意味で、帝国や資本主義ではない、平等な共同体の評議会の連邦という意味で、「ソビエト連邦」という名前をつけました。「全ての権力をソビエトに」とレーニンは唱えました。
そうした「レーニンの理想」は、スターリンがことごとく壊していきました。彼は赤いツァーリとして、帝国主義のように逆らうもの全てを処刑しました。経済や内政はスターリンという無能な独裁者の下で、銃や兵器しか作ることができず、人々は平等な中で強制労働を強いられ、資産の再分配を行うために独裁者に強い独裁権力が与えられ、満足にものも作れず、農民からはほとんどの農作物を強制的に徴発しました。戦後は西側陣営と比べて完全に遅れた国になり、ペレストロイカとソ連崩壊によってソ連は消滅しました。
ソ連や東ドイツ・東欧などの社会主義国家が、独裁国家になった理由はなぜか。それは、「資産の再分配を行うために、強い独裁権力が必要だったから」です。
マルクス経済学の言う、資産の再分配と生産手段の共有を行うためには、資本家や金持ちから資産を没収し、生産手段を奪う必要があります。
そのため、資産を強制的に徴収するために、「強い独裁権力」が必要だったのです。
また、レーニンの唱える「ソビエト体制の国」を作るためには、帝国や資本主義の国の仕組みを抜本的に変える必要があります。そのために、独りの指導者に国の政治や経済の改修と計画を委ねる必要があったのです。
ですが、権力をふるうためには、民衆を説得するための「正当性」が必要です。スターリンは、そのために、「レーニンの党」であることを利用し、レーニン崇拝を強制しました。スターリンはプロパガンダを広く流して、国民に共産主義の思想を押し付け、革命に反対するもの全員を処罰し、また、裏切り者を処罰するように人民たちに強制しました。
平等な経済と格差是正を成り立たせるためには、強権的な力が必要だったのです。
スターリンは、さらに、外国からの干渉にも対抗しようとしました。アメリカや英国・フランスなどに介入されないように、軍事力を強化し、さからうものや裏切るもの全てを逮捕し、政敵を徹底的に粛清したのです。
結果、ソ連や東欧諸国は、軍事主義の独裁政権となって、逮捕者と犠牲者をたくさん出しました。社会主義はそもそも、独裁権力にならざるを得ないのです。
ただし、左翼政権全てが軍事主義の独裁者になるかというと、そうではありません。中道左派の社会民主党政権などは、ドイツなどでも政権を担ったことがありますが、彼らは税金を富裕層にかけることで、平等な福祉政策を行います。もし、現代の日本で左翼政策をやるのだとしたら、そうした「税金による平等」が中心になるでしょう。ですが、この税金による格差是正は、経済政策の中でもっとも嫌われる政策です。頑張って成功しているものの富を、失敗者や弱者に分配するのであれば、金を儲けるために頑張る意味が無くなり、働く意味そのものを失わせます。これはソ連のような社会主義でも同じで、平等は「意欲の低下と社会の停滞」を生み出します。社会主義国家が末期症状に陥って失敗したのは、そうした理由です。
僕は、ソ連における「社会所有」という考え方を、日本人は「所有」という漢字で考えるから、良く分からないのだと思います。
英語における、所有と言う言葉は、「own」であり、所有者は「owner」すなわち「オーナー」あるいは「主人」です。この言葉には、「自分勝手に支配し、何をしても他の人間には文句を言えない」という意味合いが含まれています。
社会所有を、「アンチ・オウン」だと思えば、ロシア人が何を考えていたのか、良く分かります。彼らは、奴隷や農奴の主人である地主や、工場の所有者に対して、「みんなのものにしろ」と革命を起こしたのです。
社会所有は、主人と奴隷を殺し合いにするだけの思想ではなく、「みんなのもの」という理想があります。
カール・マルクスは、科学的共産主義の中で、生産手段を共有することで資本主義社会の矛盾を正そうとしましたが、それ以前から社会所有という考え方は歴史上に存在し、ルソーやヘーゲルも所有権の撤廃に触れています。
結局のところみんなのものとは何なのか。僕は、特に三つの理由があると思います。まず、全てのものに所有権を見出すことのむなしさです。地球は、宇宙は、星は、そして太陽や月は誰のものなのか、全てのものに値段をつけて誰かのものにすることが、いかに愚かであり、社会を間違ったものにしているのか、ということです。
社会は、それら自然環境と同様に、みんなのものです。一握りの王や権力者、貴族階級や大金持ちのものになってはいけません。みんなのものは、社会所有にして、平等でなければいけないのです。
もうひとつが、新しい社会と発展の在り方です。特に、労働スタイルの進歩と、工場を中心とした産業革命以来の近代化によって、労働のやり方も、工場型の生産方式も変わっていきました。そうした変化に、従来の貨幣経済は激変を経験し、さまざまな矛盾と歪みを生み出しました。平等な労働の在り方を求める上で、工場はみんなのものにする、農業もみんなで行う(集団農場)などが唱えられました。
最後に、ロシアがやろうとしたのは、「金のない社会によって、新しい経済と社会の在り方を作る」というものです。スターリンは、独自の「全体主義様式」という芸術を生み出しました。その評価はどうあれ、ソ連は全く資本主義とは違う国を目指して、計画経済と平等分配を中心とする、「もっと優れたユートピア」を作り、「善き発展」を行おうとしたのです。
ソ連は弱者を救うと同時に、強い国を目指して軍事力を強化しました。ヨーロッパやアメリカなどは、こうしたソ連の「軍事的な側面」を高らかに主張しますが、これをアメリカと日本に置き換えて考えてみましょう。アメリカにとってもっとも怖いのは、日本がキリスト教よりも優れた弱者救済の宗教・哲学思想を作って、アメリカよりも賢い文化圏になりながら、アメリカと対抗できるぐらい、強い軍事力を持って世界を征服することです。そう、ソ連はそれをやりたかっただけにすぎません。最強の軍事力を持つと同時に、ユダヤ教のような新しい弱者救済の思想を作り上げることで、「最高の文化圏」になることを目指したのが、ソ連という国でした。
ソ連の社会主義経済は失敗しましたが、僕はカール・マルクスの思想自体が失敗であるとは思いません。疎外や搾取、歴史の必然、生産手段の共有などに始まるマルクスの思想は、今の日本の経済や社会を的確に言い表しています。このまま地球は環境破壊によって滅びるでしょう。もし、アメリカの方がソ連よりも早く崩壊していれば、環境破壊も起きなかったのかもしれません。マルクスをもう一度やれとは言いませんが、民主主義の金による経済には限界が来ています。たくさんの科学技術が発展はしましたが、その多くが裏目にでて、結果100年もせずに地球は滅びたのです。共産主義者が言うように、もう一度、古代の時代に戻って村社会をやる必要がでてくるかもしれません。最後のこの星で、人々は何を夢見るでしょうか。後悔と絶望と犠牲ばかりの星にはならないでほしいと願っています。
最後に、共産主義を平等の思想だと思っている人が多いですが、実際は平等の思想ではありません。スターリンが全体主義の平等な経済を作ろうとしたあまりに、平等な格差のない社会という側面ばかりがクローズアップされましたが、実際のマルクスの大本の思想は、「努力の質と量に応じて必要なものを分配する」という経済思想です。よって、ソ連はもっと、自由になればよかったのです。僕は、「自由な社会主義」というものが実現できるはずではないかと思います。
また、僕が感じるに、ロシアはあまりに権力というものを否定しすぎました。もっと、権力を平等にした上で、知恵を使って上手く使えばよかったのです。たとえば、全員を公務員にして、評議会で決めるようにすれば、もし権力がそこにあるのなら、それは「平等な何でもできる権力」になるはずです。また、産業を国営化した上で、人々の労働や往来を自由にすれば、どんな仕事でも自由に就けるようになるはずです。同時に、公務員と国営化によって、失業者は生まれなくなるでしょう。最初から必要なものを与えることで、人々に「正しい生活」を与えることもできます。たとえば、書籍や音楽などを無料で与えることで、誰もが正しい生活が送れるようになるでしょう。町を社会所有にすることで、町を多様にし、個性のある芸術様式を持った町が生まれるはずです。ロシアには、そうした「知恵のある自由」という発想が欠けていました。もっと汗だけではなく知恵を出して、国民の喜ぶような「社会主義の自由政策」を行えばよかったのです。
それこそ、社会主義の計画経済が、資本主義よりも安定してものをたくさん作れないのはおかしいのです。普通、自由に作った方が、いつどれだけ値上がりし、いつどれだけ不足するかはあやふやで、いつでも同じ生活をすることは難しいはずなのに、社会主義の経済ではいつもものが不足し、満足に作れませんでした。消費だけではなく、労働についても、資本主義では、いつクビになって失業するか、いつ会社が倒産したり買収されたりするかは分かりません。社会主義では労働するモチベーションが無いとよく言われますが、それは労働しなければものが買えない「労働者階級」にのみ適用される話であり、金持ちなどは労働などしなくてもいくらでもものが買えるのにかかわらず、「良い役職に就ける」という理由で誰よりも働いて価値を生産しています。こうした経済の「資本主義的な考え方」は多くが間違っており、ソ連というひとつのモデルだけを見て社会主義を判断するのではなく、「非ロシア型の社会主義国」というものを、描く理由でもあり、また必要とする理由でもあるのです。
ロシアの共産主義者はプロレタリア独裁、すなわち無産階級の独裁を主張したが、これは単にレーニンのような賢い人間に独裁してほしい、というだけではなく、昔から、独裁者が平等にすると良い国になるからである。
ただし、あまりロシアに傾倒しすぎない方が良い。ロシアは本当におかしな国である。最近の経済学では、むしろ、市場経済の優位性が説かれることが多い。市場経済では、必要に応じてものを作って売るために、どんな田舎でもガソリンが十分に手に入るとよく言われる。市場経済を採用した資本主義国では、ありとあらゆる「金儲けのチャンス」があれば、どこにでもものがあふれるのである。ロシアの経済は、一見正しく見えて、本当は完全に間違っている。これが、世界の常識、「共産主義は失敗に終わった」である。そう、一見馬鹿に見えて市場経済はとても賢くて優れている。人々は豊かになって、王のような生活ができるようになったのは、市場経済の優位性のおかげである。最近のロシア、特にプーチンなどはそれに気付いている。社会主義者や帝国主義者が市場経済をやると、成功する。それが、ドイツや日本、そして中国などの繁栄の秘密である。市場経済は、とても優れた「自動化された魔法のお鍋」である。
僕は、ソ連の問題とは、「金儲けからの脱却は果たしてできるのか」ということだと思います。
金儲けをやめること、金儲け以外の方法で経済を成り立たせることは、果たしてできるでしょうか。
資本主義の政治経済では、全て、「金」がなければできず、「金」に基づいて経済が行われます。
国家予算は「財源」がなければ実現できず、自動車産業のような屋台骨の産業は、たとえ「環境破壊の問題」があったとしても、国民が反対するため「無くすことができない」のです。
ソビエトは、全ての会社を国営化し、計画経済を行いましたが、ここで言えるのは「きちんと国民が働かない」という問題で、ソ連はこれに対して「きちんと働かないものは処罰する」という「強制労働」を行いました。
ですが、僕は「処罰」というやり方ではなく、「もっと違ったやり方」があったのではないかと思います。
地球が環境破壊の危機に瀕していても、一向に金儲けをやめる気配はありません。ですが、資本主義の論理では環境問題は解決しません。どうにかして、金儲け以外の経済政策を考えなければ、金儲けのままでは解決することはできないと思います。
結局、ソ連とはなんだったのか、それは「革命」ということです。
レーニンにとっての革命とは、すなわち「国営化とソビエト体制」でした。レーニンは、革命がまだ起きていない段階で、ロシアにおいて「何をなすべきか」を考えた結果、資本家が搾取や疎外をしている生産手段の現状を改め、すべての権力を共同体の評議会組織である「ソビエト」へと移したかったのです。
レーニンにとっての共産主義とは、社会の「国営化」を意味します。すなわち、すべての生産手段、すなわち工場や農地などが、資本家や領主によって私有財産化されているのを改め、国家における公有化をすることで、全員が平等に生きられるような「正しいユートピア」を作ること、これこそが、レーニンにとっての革命でした。
ですが、スターリンにとって、革命とはまさに「独裁権力と粛清」でした。
これを考えるには、革命とはなんであるか、という一般的なことを考える必要があります。
すなわち、革命によって起きた権力は、維持するのが難しいです。政府が特定のテロリスト勢力に敗北して、革命家が政権を握ったとして、誰がその革命政権を支持するでしょうか。多くの人々の支持を持つ革命の指導者であるレーニンならばまだしも、スターリンといういわば「どうでもいい革命勢力くずれ」に、どうして人々が支持を寄せるでしょうか。
スターリンは、自らが政権を持つ革命勢力の権力を維持するために、どうしても独裁権力によって国民が「絶対に従わざるを得ない」ような状況を作り出し、自らの命を狙う政敵を、かつての盟友であったことなど考えなく、粛清して次々に殺し続けました。
スターリンにとってのソ連とは、「レーニンの意志を継いで徹底的に革命独裁をすること」でした。ですが、スターリンのような指導者は、本当にレーニンの後継者と言えるのでしょうか。レーニンがやりたかった「平等政策」は、スターリンにとっては「全体主義様式」にほかならず、まったく共産主義の理想とはかけ離れた、「平等かつ民主的なレーニンの革命の思想とは真逆の悪の帝国」を作り上げただけであるとすら、言えるかもしれません。
スターリンの死後、ソ連ではフルシチョフが政権に就く。フルシチョフは公然にスターリンの犯罪を批判する「スターリン批判」を行い、改革を行う。だが、フルシチョフの政策は「思いつき主義的」と言われることもあり、改革を断行するものの社会の混乱を招き、フルシチョフの後を継いだブレジネフの時代にソ連は「末期症状」を示すようになる。
ブレジネフの後に、アンドロポフ、チェルネンコなど、相次いで高齢の指導者が就いたが、その後にゴルバチョフが書記長に就く。ゴルバチョフはペレストロイカを行い、言論の自由や自由選挙など、ソ連を改革していく。最終的にソ連は民主化して解体し、ソ連はなくなり、民主主義のロシアとなる。エリツィンが初代ロシア大統領となる。エリツィンが辞職すると、プーチンが大統領となる。
(図説 ロシアの歴史 (ふくろうの本)を参考に執筆しました。)
2024.06.08
プーチンの人気はロシア国内でとても高く、メドヴェージェフ首相と大統領・首相を交替して長期政権を作るなど、その姿勢は「強いロシアへの回帰」を彷彿とさせる。プーチンはウクライナとの対立から西側諸国の批判を受けながらもクリミア半島をロシアに併合し、G8から締め出されるなどの批判を浴びているが、北朝鮮に好意的な意見を言う(北朝鮮は経済制裁で核兵器を作るのをやめるわけがなく、草を食ってでも核ミサイルを作るだろう)など、「新しい冷戦」の時代に、アメリカなどとの関係は冷え切っている。
後日注記:プーチンを「陰の支配者だ」とか「KGBのスパイ出身だ」などと言って批判する人はどこにでもいますが、彼はとても優秀で賢い政治家です。この地球上で一番賢い大統領と言っても良いでしょう。柔道が好きなほか、ジェット機を操るなどその才能と強さは優れたものがあり、日本に対しては北方領土の返還問題や無条件による平和条約の締結など課題が山積みですが、僕は日本とロシアというのは、日本は資本主義の経済力と技術力を持っていて、ロシアは広大な領土と豊富な資源に軍事力や宇宙開発力などの超大国の強さを持っているため、「補完的な関係」が築けるのではないかと思っています。僕は日本人の代表としてロシアと仲良くやりたいです。ただし日本は資本主義の大国であり、一部の極右にとってはまさに「最大の敵がロシア」であることから、ロシアが警戒するのは分かります。ですが、もし僕とプーチンだったとしたら、僕はきっとロシアと日本が仲良くやれる道を模索できると思います。
北方領土問題については太平洋戦争も参照のこと。
ポーランドは旧東側諸国でしたが、その経済は酷いものでした。
食べ物を得るために、極寒の中を5時間待ってようやく肉の一切れが得られるのが普通で、食料が必ず得られると限らないため冷蔵庫には二週間分を備蓄するのが普通、お客に出す食べ物がなくお客の朝食がビスケットになってしまうこともあったそうです。
(以上は大人になって読む経済学の教科書の内容を自分で思い出して書きました。)
東側諸国は最悪です。経済面だけではなく、政治面から見ても、ソ連は核兵器を何千発作って地球と人類を滅ぼそうとしました。共産主義者は悪魔です。騙されてはいけません。
ソ連解体により、ウクライナなど旧ソ連の共和国らはロシアから独立し、CIS(独立国家共同体)を形成しながら民主的な国となった。東ヨーロッパのスラブ人国家や東ドイツなども、相次いで民主化された。ポーランドなどは、NATOに参加するなど、完全にロシア寄りから西側寄りの国家に転換した。社会主義国は中国や北朝鮮などの一部の国を除いて地球上から消え去った。アメリカはソ連に勝利した形である。
ポーランドは東側諸国において重要な国で、重要な条約である「ワルシャワ条約機構」のワルシャワとは、ポーランドの首都ワルシャワのことを表す。ただし条約が締結されたのがワルシャワという意味であり、本部はモスクワ。
かつてはポーランドは東側諸国を率いる「社会主義の第一旗手」のような国だったが、今ではEUとNATOに加盟する単なるドイツの周辺国家のような国になった。つまらないことである。
コミンテルンについてはフランスの革命を参照のこと。
2024.06.08
ウクライナとロシアを参照のこと。
ロシア語ではキリル文字というラテンアルファベットと良く似ているが異なる文字を使う。
また、ドイツ語にはない造格と前置格があり、格変化を語尾につけるなど、日本語との共通点が多い。
僕が思うに、ロシア語には「きちんとした考え方における区別」というのがあると思う。疑問詞などをきちんと意味ある分け方で区別する。とても哲学的な言語である。
以下のページが参考になります。
ロシア語の特徴として、僕の偏見があるかもしれませんが、「ロシア人は簡単には信じない」ということがあると思います。
ロシア語には、「疑う」という考え方が強いと思います。この世界のすべてのことを、まるでデカルトやカントのように「疑う」というところから、ロシア語はスタートします。
ロシア語は、理性をきちんと考えた時に、どのような考え方と考え方が似通っていて、どのような考え方と考え方がはっきりと異なるのか、ということをよく考えます。
同じような意味に思えるものであっても、ロシア人はきちんとした考え方の区別から、それを整合性のある「言葉の意味」として分類し、整理整頓するのです。
ロシア語は、簡単には嘘を信じません。この世界が絶対にこの世界のままである、ということをロシア人は信じていません。この世界はたくさんの可能性のある世界であり、今のままが永遠に続くとは限らないのです。
僕は、ロシア語をそのような言語だと思います。とても論理的で、哲学的で、よく考えられた、優れた言語であると思います。
2022.12.06
ロシアの首都。
ロシアの二番目の都市。ソ連時代はレニングラードと言う名前でした。
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