古代ギリシャの世界観です。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/16より。
古代ギリシャには、都市国家という性格があった。都市によってまったく異なる政体を持ちながら、時には協力する。たとえばアテネは民主主義による市民国家であり、スパルタは軍事的な厳しい支配の国だった。だが、ギリシャが危機に陥ると、アテネとスパルタはともに協力して戦う仲間だった。
古代ギリシャでは、ギリシャ人が都市国家を作って、ギリシャ神話を信じていました。ここで、初期の哲学者たちが生まれました。
都市国家は、民主主義のアテネと、軍国主義のスパルタが有名です。イオニア地方など、他の地域への植民活動も活発でした。
都市国家(ポリス)は、たくさんあって、互いに争うこともありましたが、ペルシャ帝国などとの戦争の時は、ポリスが結束して戦い、結果として勝利し、繁栄の時代を築きました。
ポリスは時代とともに衰退し、隣国マケドニアなどで有能な王が生まれると、ギリシャ文化はヘレニズム文化となって、アジアのさまざまな文化と融和しました。
人物 | 説明 |
---|---|
ソクラテス、プラトン、アリストテレス | 古代ギリシャの哲学者。 |
アレクサンダー大王 | マケドニアの王。 |
古代ギリシャでは、多様性のあるポリス(都市国家)が栄えました。同じギリシャの民族的風習を持つ仲間であっても、それぞれの都市国家は全く逆の性質をもち、すでに民主主義と知的階級を奴隷制の下に行っていたアテネのようなポリスと、軍事的で厳しい強制的支配を行うスパルタのようなポリスがありましたが、ペルシャ帝国のような強大な国家には協力して戦争しました。
ギリシャでは、哲学や数学のような「考え方を考える人々」が多く生まれました。特に、ソクラテス、プラトン、アリストテレスの三傑が有名ですが、ギリシャ神話を信じてデルポイの信託(「一番賢い人間はソクラテス」との信託が有名)を行ったり、地中海の他の都市と交易や植民地化をしたり、世界市民主義のヘレニズムの下に他のヨーロッパや北アフリカ、アジアのような地域と交じり合って、独自の文化を形成しました。
古代ギリシャとゆかりの深い場所として、エジプトのアレクサンドリアがある。
実際はギリシャではなくエジプトの都市(カイロに続く第二の都市)だが、ヘレニズム時代の地中海における貿易と文化の拠点とされ、「原論」で知られるユークリッド(ギリシャ系)や、天動説の集大成を著したことで知られるプトレマイオス(ローマ系)もアレクサンドリアで活躍した。
ペルシア戦争では、大国ペルシア(アケメネス朝ペルシア帝国)に対して、アテナイやスパルタのようなギリシャの諸都市が協力して立ち向かった。
これに対して、ペロポネソス戦争では、アテナイ中心のデロス同盟と、スパルタ中心のペロポネソス同盟が戦争し、古代ギリシャのさまざまな諸都市を巻き込んだ。
このように、ギリシャの都市国家は、時には協力し、そして時には争い合う。国のような結束した集団ではないために、味方なのか敵なのかが分からないことがある。都市の政治体制も民主主義だったり軍国主義だったり、まったく異なる。
2024.09.10
古代ギリシャ人は、地中海に面するアナトリア半島(現在のトルコ)のような場所に植民都市(イオニア地方など)を作った。
ギリシャがマケドニアに制圧されて、多くの都市国家社会が解体し、アレクサンドロス大王による世界帝国が実現すると、ギリシャの文明は新しい段階を迎える。ギリシャの文化はアジア(オリエント)の文化と融和して、世界市民主義(コスモポリタニズム)のヘレニズム文化が生まれた。
2024.09.10
世界史的に見ると、歴史は征服と侵略の繰り返しです。
たとえば、古代ギリシャのドーリア人を考えてみましょう。ドーリア人は、鉄器(鉄製の武器)を使い、武装した軍事主義者の民族です。
ドーリア人は、武装して他の人種や民族を征服します。ドーリア人は、良い民族も、悪い民族も、全てを殺し、奴隷にし、自らの領土にし、全ての資源を奪います。
結果、良い民族も悪い民族も、みんなドーリア人に負けていきます。
結果的に、その地域には、一番悪いドーリア人しか居なくなるか、あるいはドーリア人が支配して、弱小民族全てを武力で支配するようになります。
そう、これは何もドーリア人に限った話ではありません。アーリア人、ユダヤ人、インド人、モンゴル人、多くの民族が、そのような中で「本当に強くなって」自分の血を遺してきました。
ただし、古代ギリシャの話で言えば、全てが悪い民族ではないようです。たとえば、アテネとスパルタはどちらも古代ギリシャの都市国家ですが、アテネは当時奴隷制ではありましたが、既に先進的な民主主義の市民社会を築いていました。これに対して、スパルタは軍事主義の国家で、強くなるために弱い赤ん坊は全て虐殺するような民族でした。
アテネとスパルタは、対立もしましたが、同じギリシャ人であることから、さまざまな場面で協力しました。ともにペルシャの軍隊などと戦い、ギリシャの勝利を収めました。
そう、最初から、この世界は基本的に「悪い民族しかない」代わり、「民主主義の国は強い」のです。
後日注記:実際のところ、今の近代民主主義の市民社会は、そうした「強者が弱者を全て殺す社会からの解放」であると言えるでしょう。昔から、強いものは弱いものを全て殺します。今のヨーロッパや日本の社会はそうした意味で、まさに「自由」です。
民主主義の起源は、古代ギリシャのポリス(都市国家)のアテネに見ることができます。
古来より、国の体制は、民主主義による多数決の投票や議論、あるいは国王による支配で行われるのが普通です。
この2つを融和して、民主主義の投票によって国王を決める「選挙」が行われることも良くあります。
古代ギリシャでは、早くから民主主義の市民社会を形成しており、自由民による多数決で国のことが決められてきました。
また、同じく都市国家で軍国主義のスパルタや、他の国の民族が征服してきた場合に備えて、「自由な軍隊」を持っていました。
彼らは、民主主義の自由と平等を信じながら、ほかの民族や国家に対抗して、自らの国と社会の治安を守ったのです。
一般に、民主主義の方が国王による支配よりも善良であることが多いです。それは、国王は独裁に走るからです。カリスマ性を持った専制君主が、ひとりだけで国を改革する姿は、世界史を通じてよくみられますが、国王の多くは独善的で、人々を圧制し、命令します。サンテグジュペリの小説「星の王子さま」でも、「国王は偉そうだが、実際は無力な老人」であると言われます。
ですが、アテネの民主主義が必ずしも善良で平等だったわけではありません。それは、古代ギリシャや古代ローマでは、「奴隷制」が公然と行われていたからです。
ギリシャ人やローマ人は、征服した土地の国民や、先住民、捕虜となった敵国の兵士などを、奴隷にし、奴隷市場で高額で販売しました。
奴隷は、牛や馬と同じ「私有財産」だったのです。
男の奴隷は、肉体労働や鉱山の開拓など、力仕事が必要なところで「酷使」するために使われましたが、悲惨なのは女奴隷です。家事を担当するだけではなく、男たちの性欲を満たすための「慰安婦」として使われました。年頃の、16歳ぐらいの少女すら、性奴隷として日常のように暴行されたのです。
また、ロシア帝国では、農民を「農奴」として、土地に隷属した「奴隷」として扱いました。日本のように、奴隷ではなくても、小作人には土地が無く、ただただ地主の持つ土地で奴隷のように働かされました。
古代ギリシャ・ローマだけではなく、ロシアやアフリカなど多くの国で奴隷のように国民は働かされました。
これに対して、「万国の労働者団結せよ」と唱えたのが、現代のマルクス・レーニン主義者たちです。彼らは、革命によって資本主義は倒れると説き、「社会所有」「計画経済」「平等分配」「プロレタリア(無産階級)の独裁」や「集団農場」「生産手段の国有化」「労働条件の改善」などを唱えました。
しかしながら、世界史の革命を見ていると、革命に携わるのは、そうした「下層民」だけではなく、中産階級の「ブルジョワ」であることもあります。特にフランス革命などでは、下層民とブルジョワの意見がバラバラで、革命派閥として対立することがしばしば見られます。
ギリシャ神話も参照のこと。
古代ギリシャ・ローマについては以下の書籍が参考になります。