語学の世界観です。Assyの英会話入門、ドイツ語の世界観、フランス語の世界観も参照してください。
日本人は、漢字を文字に意味のある「表意文字」であり、ひらがなやカタカナを文字に意味のない「表音文字」であると学校で習うため、なんとなく、英単語のスペルや綴りのことを、ひらがなやカタカナに相当するものだと捉えています。
ですが、フランス語などを学習すると、これは間違った認識だということが分かります。
フランス語は、単語の綴りの通りに発音することがほとんどの場合ありません。単語のスペルは、日本語で言えば漢字に相当するものであり、読み書きの時にだけ重要です。実際に発音する際にひらがなやカタカナに相当するのは、「発音記号」です。
英語についても、フランス語と同様です。英語は、カタカナ発音で発音しても間違いですが、単語のスペル通りに発音するのも間違いです。本当は、カタカナでもスペルでもなく、発音記号の通りに発音しなければなりません。
なので、英語の勉強として単語帳を見た時に、単語の綴りだけを見たのでは、ネイティブのように発音することはできません。必ず発音記号を覚え、CDなどを使って実際のネイティブの発音を聞くようにしましょう。
たとえば、ドイツ語でDas Wasser läuft nicht.(水が流れません。)のように、複数の言葉でひとつの「言い方(文脈)」を言う。
日本語でも、食べません(食べ+ません)、とか、動かない(動か+ない)、とか、そういう風に、動詞のあとにnicht(ない)をつけることで、ひとつの言葉として意味を持つ。
そこが分かると、フランス語やドイツ語でも聞き取れるようになる。「どこで単語を区切るのか」もそこから分かってくる。
また、言い回しとして、最初に疑問文や人称代名詞、たとえばドイツ語ならWas(何)やIch(私は)などを、最後に意味のある言葉(簡単に分かる言葉)を言うことが多い。意味のある言葉を言うまでは、全て説明である。
そのように考えることで、フランス語やドイツ語の「文の流れ」が聞き取れるようになる。
僕が勝手に考えるに、英語の「a」と「the」の違いは、日本語の「が」と「は」の違いに近いです。
日本語で「人が歩いている」は「A man is walking.」ですが、「人は歩く」は「The man walk.」となると思います。
ですが、これは必ずしも正しくはありません。なぜなら、バスを取り逃がした時は「I missed the bus.」と言います。上の「The man walk.」も、普通に人が歩いている時にも使います。
英語は、そのように考えると、日本語と同じようにペラペラ話せるようになります。
英語はこれでいいのですが、問題はドイツ語やフランス語です。ドイツ語では、derとeinが日本語のてにをはのように「格変化」をします。それだけではなく、名詞の男性、女性、中性があり、それに応じて違った規則性で変化します。また、前置詞とくっつくことで、「zu dem」は「zum」(~へ)となります。ここまで来ると、わけがわかりません。
フランス語も、名詞の男性と女性で冠詞が変化するほか、複数形専用の冠詞(lesとdes)があり、前置詞と定冠詞は縮約(結合)します。àは「に」、deは「の」を表し、à + le = au, à + les = aux, de + le = du, de + les = desとなります。
言語とは、「それがそうであることを伝えるための道具」であり、「自分の言いたいことを表現するための道具」です。
そう、言葉とは表現です。この、表現をする、という発想が、他言語習得のための基本の考え方です。
ここで重要なことは、英語のBe動詞は「です」を意味している、ということです。Be動詞はIt's an apple.やIt's a fruit.のような、単純に名前を言い表すだけの言葉ではなく、It's red.やIt's good.やIt's crispy.やIt's scary.のように、特性や特徴、あるいは意味や評価のような場合にも、「It's」を使います。
それが分かってしまえば、あとは、日本語と英語の言葉の対応関係を作るだけで、言葉の基本が身に付きます。日本語と英語は、言葉や語彙だけではなく、言語要素やその使い方においても同じです。完全に同じではありませんが、言い方が違うだけです。日本人にドイツ語が好まれるのは、日本語とドイツ語は対応関係を付けやすいからです。日本語とドイツ語は全く同じ言語です。英語やフランス語も同じです。
英語を学習するのであれば、単語や文法を頭に詰め込むだけではなく、自分で考えたことや観察したことを英語で表現してみましょう。日本語と何が対応しているのか、ということから、「勘で当てはめていく」ことで英語でもドイツ語でも何でも話せます。英会話学校などでの英語は、単純なDoやWhatなどの簡単な疑問文に、簡単な応答をすることしかしません。自分でキャラクターを作って、AとBの会話にしてしまえばいいのです。そうしたダイアログ的な会話ができれば、英語は誰でも話せます。
たとえば、名前はKerryとAndyで構いません。KerryとAndyの会話を適当に作ることができれば英語は話せます。そこから、逆に自分で思考することもできると思います。ただし、上に言ったように、英語と日本語は全く同じ言語です。話せないのであれば、話せなくても構いません。日本語で考えれば良いのです。必要なのはひとつだけで、それは表現することです。
僕は英会話学校に行っていますが、この経験から言って、英語では、単数と複数の関係や、時制や、そして代名詞を重要視します。
これはとても論理的で、数学的で、とても良いのですが、その結果、「ものを数量で考える」ということを基本にしているのです。
僕は、日本語は、複数形や代名詞をあまり使わない言語だと思っていますが、これは僕は、言葉の表現や形容詞の豊富さ、すなわち、「ものの細部の違いを捉えて表現する表現力の豊かさ」に繋がっていると思います。
英語はとても論理的な言語で、複数形を必ず考えて言葉を話しますが、その結果ものごとを数量で考えてしまい、ひとつひとつのものが「単なるone」になるような、均一的になってしまうところがあるのです。
日本語は、全ての言葉を「全体でひとつのもの」として考えますが、さまざまな表現豊かな中国語由来の漢字の言葉があることで、「形容詞や表現性が豊かになった」というところがあるのではないでしょうか。
日本人は、魚を考えるのであっても、それを名前で「鯛」と考えますが、英語はむしろ、「a red fish」のように、簡単な「ただのもの」のように考えてしまうのです。それが、僕は日本語と英語の一番大きな違いではないかと思います。
実際のところ、英語は、ドイツ語の部分が何も無くなった言語です。
英語には、ドイツ語にあった部分が何にもありません。これは、ドイツ語が特有の「書く言語」だからです。
ドイツ語は、英語のようにどんどん、何も無くなって書くようになります。その結果、ドイツ人は英語というありえない言語を作ったのです。
まさに、この文章がドイツたる所以です。同時に、このようなドイツ語を治す方法があります。それは、言葉の単語を分からないこと。言葉の単語ばかり永遠に分かるからこのようになってしまうのです。
言葉の単語を分からず、「僕は」を最初につけて話すようにすれば、このような「ドイツ病」は治ります。
また、ヨーロッパ人というのは、よく似た言葉を話しますが、どの言葉にも、それなりの個性や雰囲気があります。
たとえば、ドイツ語を話すドイツ人から見て、英語には英語の個性、フランス語にはフランス語の個性があります。
個性の通り話せば、それできちんとネイティブのように話せるようになるのです。
日本人は、どうしても理論的に考えてしまって、言葉の個性が分かっていないところがあります。ドイツ人が英語を学ぶように、英語をひとつの「個性」であると感じながら英語を学ぶことで、英語とは何であるか、英語の話し方とはどのようなものであるかが分かると思います。
言語には、文法的な分類として、格のある言語と格のない言語があります。
格は、冠詞の格変化や名詞に格助詞をつけることで行われる、「言葉が指している主体や方向」を示す言葉で、主格(は)、属格(の)、与格(に)、対格(を)、造格(で)、奪格(から)、あるいはほかに前置詞を伴う前置格や呼称する時に使う呼格などがあり、言語によってどれくらいの格が用意されているかは異なります。
格のある言語は、古代ギリシャ語のような古い言語から派生した「伝統的な言語」であることが多く、多くの新しい言語では、格が失われ、代わりに前置詞や言葉の順番で「てにをは」を表します。一般的に、格のある言語は古く、格のない言語は新しい、ということが言えます。
格のある言語は、日本語、朝鮮語、アラビア語、ロシア語、ドイツ語、ギリシャ語、ラテン語などです。
格のない言語は、中国語、ヘブライ語、英語、フランス語などです。
世界の言語を見ていると、言語の分類は「文字や語彙の種類」と「格があるかないか」で分類することができます。
言ってしまえば、人種の違いとは、フランス人とドイツ人の違いです。その上で、ラテン文字、アラビア文字、漢字のように、どんな「文字と語彙の世界」に慣れ親しんでいるかが違う、と言えます。
また、ヨーロッパという地域に限って言えば、ヨーロッパの言語は、インド・ヨーロッパ語族に属するヨーロッパ系言語と、セム語族に属するセム系言語が、融和したり使い分けられたりしながら発展しています。
ヨーロッパ系とは、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語のように、ヨーロッパ地域に伝統的に存在する言語です。
セム系とは、ヘブライ語やアラビア語のように、中東地域に伝統的に存在する言語です。
さらに、ヨーロッパ系の言語は、ラテン語に由来する「ロマンス諸語」と、ドイツ語に由来する「ゲルマン諸語」に分かれます。フランス、スペイン、ポルトガル、イタリアなどの人種は、ラテン系の人種であると言われます。同時に、ドイツ語やオランダ語などはゲルマン系の人種、英語やアイルランド語などはアングロ・サクソン系の人種とされます。
こうしたセム系の民族とヨーロッパ系の民族の文化は、伝統的にヨーロッパで混在され、よく差別的に争われます。特に、宗教や文化が違うからです。今でこそ、キリスト教はヨーロッパの主要な宗教になりましたが、キリスト教の兄弟であるユダヤ教やイスラム教はセム系の宗教です。同時に、ギリシア神話、ローマ神話、ケルト神話、北欧神話などはヨーロッパ系の古代の宗教です。昔から、こうした「宗教と文化の違い」によって人々はよく分裂しました。
ヨーロッパ系の神話・宗教は、仏教やヒンドゥー教のようなアジアの宗教と共通点が多く、「目を重視すること」「輪廻して始まりも終わりも無く繰り返し続いていること」「たくさんの神々が物語を構成すること」といった特徴があります。
逆に、セム系の神話・宗教は「耳を重視すること」「始まりと終わりがあり、創造から終末までが一直線で結ばれていること」「ひとりしか神がいなくて、全てはひとりの神が支配して歴史を導くこと」といった特徴があります。
僕は、こうした文化にもうひとつ、日本・中国・朝鮮を中心とした東アジアの文化圏があると思います。中国の三教である儒教・道教・仏教に加え、ヒンドゥー教や神道のような地域の宗教を加えます。「ヨーロッパ」「セム(中東)」「東アジア」という三大文化圏は中世の昔から続く伝統的な地域区分です。
古代イスラエルも参照のこと。
日本語には、漢字、ひらがな、カタカナがあります。漢字は中国から来たものです。
日本語はとても習得の難しい言語に思えますが、一度ひらがなを覚えてしまえば、あとは漢字にふりがなを振って覚えてしまえば、すぐに覚えられます。
日本語を参照のこと。
中国では日本語と同じ漢字を用います。3000以上の文字がありますが、発音が日本語と違い、文法は英語的です。漢字は象形文字を線で記号的にしたもので、文字を見れば意味が伝わります。
中国を参照のこと。
韓国語では、ハングルを用いて言葉を表記します。
このハングルは「科学的組み合わせ文字」として有名で、日本語の五十音のような仕組みを論理的に表現できます。
韓国・朝鮮を参照のこと。
ドイツ語は、ヨーロッパの言語の本家本元のようなところがあります。
文法が日本語に近くて、英語にはない「格」と言うものがあります。これは、日本語で言う「はのにを」を表します。
格は冠詞の変化によって表し、前置詞とくっつきます。前置詞によってどの格と結合するかが変わります(格支配)。
また、名詞には男性、女性、中性の「性」があります。その名詞の性によって冠詞が変わります。
ドイツ語とフランス語は、名詞の性を覚えるのがとても大変です。嫌なら、英語かスペイン語を使いましょう。スペイン語やイタリア語は、語尾によって名詞の性が分かります。
ドイツ、オーストリア、スイスなどで話されます。
ドイツ語を参照のこと。
英語は、格変化が無くて、名詞の性もない、文法的な要素が少ない言語です。
日本語と比較すると、定冠詞や不定冠詞がある、名詞の複数形を使う、命令形を良く使う、have beenなどの言い方が全く違う、などの特徴があります。
ですが、日本人はカタカナ語として英語のことを良く知っています。単語を知らないから話せないと言う方は、カタカナ語を話すだけで良いのだと思えば良いのです。
本家本元のイギリスの他、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、太平洋地域などで英語を話す人が多いです。
フランス語は、英語とは逆に、文法的な要素が多い言語です。リエゾンと言う、単語と単語の繋がりを結合で表す特徴があります。
フランス語では、続けて母音がある場合・次の言葉が母音から始まる場合を除いて、単語の最後の子音を発音しません。
また、一つの言葉の発音される音の数が短く、日本語と同じように同音異義語が多いと言う特徴があります。
言葉と言葉の繋がりから意味を持たせると言う特徴があるかもしれません。
名詞には男性と女性があり、形容詞などが名詞の性によって変わります。
文法的には、格が無く、英語に近いです。ですが、「の」を表すdeに対してさまざまな意味の言葉が続くなど、ドイツ語と良く似たところもあります。
アフリカの黒人の住んでいる地域(ブラック・アフリカ)に、フランス語を話す人が多いです(英語も多い)。
フランス語を参照のこと。
南欧の言語です。まだ、言語の使用者が多い方です。
スペイン語とポルトガル語では、!と?を逆さまにした記号を使います。
また、名詞の性を表すために、名詞の語尾の形が一律で規則的に決まります。
スペイン語には、「線過去」と言う独自の時制があります。
ポルトガル語はブラジル、スペイン語はその他の南米各国で話されます。
ラテン語は、ローマ帝国で昔使われていた言語です。今ではあまり使われていません。
デカルト以前の時代、スコラ(学校)や知識人の文章は、ヨーロッパではラテン語で書かれることが多く、デカルトが自国語のフランス語で読みやすい形で哲学書を発表したことは、当時では異例なことであったと言われます。
古代ローマを参照のこと。
ユダヤ人の使う言語です。旧約聖書はヘブライ語で書かれています。
今でもイスラエルで話されていて、古代の言語が現代に蘇ったと言う特徴があります。
ヘブライ文字は、アラビア語と同じように、右から左に書くことで有名です。現代イスラエルでは、さまざまな地域から帰ってきたユダヤ人のために、英語も使われます。
有名な言葉としては「ハレルヤ」など。これは、賛美を意味する言葉「ヒッレール」の複数命令形「ハレルー」に神を意味する「ヤハウェ」を短縮した「ヤー」を付け足した言葉で、日本語や中国語の漢字の熟語や省略語と良く似ているところがある。
ヘブライ文字は朝鮮語のハングルと良く似ていて、朝鮮語と同じように、子音と母音の組み合わせで一つの文字になる。
イスラエル・パレスチナ問題を参照のこと。
昔、ギリシャ人が使っていた言語です。哲学などの古典を解する時に使います。
大国ロシアのロシア人が使う言語です。ラテン・アルファベットとは違う、キリル文字と言う文字を使います。
ロシア語には、ドイツ語と同様に「格」がありますが、違うのは「で」を意味する造格があることです。また、前置格もあります。
日本語のように、言葉の後ろに格をつけます。
姉妹言語にウクライナ語などがあります。
ロシアを参照のこと。
イスラム教徒のアラブ人が使う言語です。コーランは、「アラビア語で声に出して読め」と言われています。
イスラム教では、コーランの中で「アラビア語を使うこと」が決まっていますが、トルコ語(トルコ)やペルシャ語(イラン)など、他の言語を使っている地域もあります。
全く違うアラビア文字を使い、右から左に書くことで有名です。
コーランでは、アラビア語以外の言語に訳されたコーランもありますが、儀式や礼拝の際にアラビア語以外の言語を使うことは禁止されています。それは、
“クルアーン(コーラン)は、アラビア語韻文の妙義を縦横にちりばめた散文詩の形式をとっており、声に出して朗誦することによって、韻文の音の美しさが際立つといわれる。”
と言われるほど、コーランとアラビア語が美しく密接な関係にあるからです。
中東を参照のこと。
インドには、ものすごくたくさんの言語があります。
特に、サンスクリット語は、仏教の経典で有名です。三蔵法師は、サンスクリットで書かれた仏教の経典を中国に持ち帰り、中国語に訳しました。
公用語はヒンディー語と英語。文字も数種類あります。
インドを参照のこと。
アフリカ、アジア・太平洋、アメリカ大陸・カリブ海などの言語について。
世界にはたくさんの言語がありますが、これらの地域でも、昔植民地競争(世界分割)を戦ったせいで、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語などを使う地域も多いです。
特に、英語が公用語のカナダのケベックではフランス語も公用語になっています。南米ではスペイン語とポルトガル語を話す地域が多いです。
カナダやオーストラリアやニュージーランドは、英語が公用語にされているだけではなく、英国連邦(イギリス連邦や英連邦王国)と言う連邦を組織しており、元首はエリザベス女王となっています。
ちなみに、パラオと言う国ではパラオ語、英語とともに地域によって日本語が公用語になっています。また、朝鮮や台湾には、日本語を話せる方がたくさんいます。昔、日本が戦争で植民地としながら日本語の教育を行っていた(強制的に教育させられていた)影響です。
アフリカも参照のこと。
日本語の賢い点とは、僕は「英語系の単語」と「中国系の単語」がどちらも分かる、というところだと思う。
上に列挙した言語では、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語などでは、英語系の単語を使い、中国語、韓国語などでは、中国系の単語(漢字由来の言葉)を使う。
だが、日本人の本当に賢い点は、「漢字を使いながらカタカナ語をとり入れる」ということをしたことで、それら語彙集が両方とも分かるようになってしまった。
僕は、それはとても良いことだと思う。日本人には、音読みだけではなく訓読みを行うことで、「日本の読み方」と「大陸の読み方」のどちらもを分かることが出来ている。
だが、僕が思うに、日本人は自分の居場所が日本であることを知らない。漢字とカタカナをどちらも使うことで、どちらが本当の日本の場所なのか、分からなくなってしまう。
日本語の天才ぶりは凄い。
ドイツ語には、名詞や代名詞には格がありますが、動詞には格はありません。
これは、ひとつの文に、名詞や代名詞はたくさんありますが、動詞はひとつしかないからです。
なので、ドイツ語では、名詞や代名詞には格を付けますが、動詞には付けません。
すなわち、ドイツ語では、名詞や代名詞に格と前置詞を付け、動詞を定めることで文が成立します。
ですが、実際に行動を考える時は、「動詞がひとつだけ」というルールは当てはまらない時があります。
すなわち、「てにをは」の「て」を使いたい時が、実際の言語表現では存在します。
そのような時、日本語では、「て」を使うことで、複数の動詞を同時に使うことができます。
確かにドイツ語は論理的で優れた言語ですが、真に正しいのは日本語だと言えます。
2024.03.16
僕は、人種というものは遺伝子ではなく使っている言語で決まると考えている。
たとえば、白人の言語というものは、aやtheを多用し、時制や複数形を重視するなど、「論理的」である。また、特にアングロ・サクソンの言語(英語など)は、「想像力で分かる」という発想をする。
逆に、日本人の言語というのは、線を多用し、「はっきりとまざまざと分かる」言語であり、「表現的」である。言葉や文字の種類が豊富で、これでもかというぐらい違う表現の仕方がある。だから、これでもかというぐらい、同じものを作る。芸術でも、技術でも、漫画でも、同じようなものをとてもたくさん作る。
そう、人種は遺伝子的なものではなく、アーリア人が優れているわけでもない。むしろユダヤ人が言っていることが正しい。全てはロゴスから生まれたのである。
また、学校の生物では遺伝子は死ぬまで変わらないものとされており、進化は突然変異であるとされているが、僕は遺伝子も経験や記憶によって変わると思う。そうでなければ、美しい髪が生えてくる理由がない。何かおかしなことが分かったから、白人は美しくなったのである。必ずしもそれが賢い人種の条件というわけではない。新しい人種がいつアジア人から誕生しても、おかしくはないのである。
また、僕は遺伝子以外のどこかの部分で、記憶や経験や成長過程のような「個人的要素の継承」が子に対して起きている可能性はあると思う。そのために「子育て」と呼ばれる人間特有の「継承行為」があるのではないかと思う。遺伝子的な容姿や性格だけでなく、僕は「生きた結果」が子に何らかの形で受け継がれているのではないかと思っている。
また、外国語を学ぶコツは、日本語をよく考えることです。
このために役に立つメディアは、インターネットです。
インターネットの掲示板で、人々とコミュニケーションすることは、「日本語の学習」という意味で非常に有益です。
インターネットで日本語を話していると、頭の中に「仮想的な日本語の経験」が生まれます。これは「言語の知性」となって、自らを導いてくれます。
このような言語の知性がある人間は、日本語だけではなく、英語やフランス語やスペイン語などを学ぶ上でも、「聞けばすぐに覚える」という、言語習得のための知性となってくれます。
ですが、このような言語の知性は、大人になると衰えます。大人になると、逆に新しい日本語の言葉を聞く必要がなくなり、言語の知性を使うのがおっくうになってしまうのです。
なので、子供時代に友達やインターネットとたくさんコミュニケーションし、学習的な「言語の知性」を付け、その状態で英語やフランス語を学ぶことが、外国語を学ぶコツであると言えます。
ヨーロッパなどの言語には、よく「男性名詞」とか「女性名詞」が登場します。
この名詞の性について思うのは、僕と同じように、「昔の人生」と「今の人生」を分けた時に、昔の人生にあるものを男性、今の人生にあるものを女性、と言っているのだと思います。
そうなるのは、僕だけではありません。なぜなら、キリスト教を信じると、誰もがそのように、男性を最後まで生きた上で、今度は女性を最初から生きる、という風になるのです。
そのようになるのは、特に男性よりも女性が多いと思います。
多くの女性が、ある日を境に新しい人生へと生まれ変わります。その時、世界にあるものそのものが変わります。そのために、昔にあったものを男性、今にあったものを女性と呼び、昔と今の人生が混在する生活を楽しんでいるのだと思います。
2024.10.02
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