世界史(3.近世・近代)の世界観です。
自分の書いた「エリカの技術・芸術日記」2021/08/15より。
歴史において、中世の長い間、ヨーロッパでは「神」が人間を支配してきた。これに対して、「人間を中心とすべき」としたのが、ルネサンスにおける人文主義である。そして、大航海時代によって新大陸と新航路が発見され、宗教改革によってプロテスタントが生まれ、絶対王政が訪れる。これが近世だ。
しかしながら、王国は腐敗していく。民衆は民主主義による革命を起こす。イギリス市民革命、フランス革命、そしてアメリカの独立戦争が起きる。イギリスでは産業革命が訪れ、民衆の生活はがらりと変わってしまう。これが近代だ。
栄華を誇ったギリシャ・ローマ文化に対して、中世のキリスト教社会は、身分制度による封建社会へと退化・逆戻りしてしまい、暗愚な時代が長い間続いた。
これに対して、北イタリアのフィレンツェで始まったルネサンスは、ギリシャ・ローマへの古代復興思想でありながら、「神ではなく人間を中心とせよ」という人文主義を基本としていた。
ダヴィンチなどはこの時代の芸術家であり、神を信じながらも、人間の「自由」へと舵を切って、新しい芸術文化が栄えた。
また、ルネサンスの三大発明の羅針盤、火薬、活版印刷などにより、長い航海が可能となり、大航海時代においては新航路と新大陸が発見される。
そして、宗教改革により、ドイツでは新しいキリスト教、プロテスタントが生まれる。このために、旧勢力と新勢力で争いが起きる。
絶対王政により、ヨーロッパ各国は「国民国家」を樹立し、これが今のヨーロッパ諸国の基本となる。
だが、王国は腐敗していく。イギリスの市民革命、フランス革命、アメリカの独立戦争が起きる。ここで「啓蒙主義」が世界を席巻する。
同時に、イギリスでは蒸気機関による産業革命により、工場労働者という新しいスタイルの労働と生産が行われるようになる。
この工場の労働形態が、新しい思想である共産主義を生み出していく。同時に、民主主義と専制主義の戦い、世界大戦へと続いていく。
近代ヨーロッパ史については以下の書籍が参考になります。
近代ヨーロッパには、いくらかの概念があります。まず、近代の事前段階とされる近世の時代には、大航海時代、ルネサンス、宗教改革、絶対王政があるとされています。これらは、技術力の向上と発明による「できること」が増えたこと、キリスト教のローマ・カトリック教会に対する「人間主体の自由」が唱えられるようになったことに帰依します。
ルネサンスは、「神だけをあがめ奉るのではなく、もっと人間の主体となる自由を目指そう」という思想です。人々は、神を信じるだけの隷属された身分社会を改め、「人間の自由」を目指しました。
特に、その上で、古代のギリシャ・ローマの文化が理想とされました。古代の人々は、今よりももっと自由だったのだから、わたしたちももう一度自由に戻ろう、という思想だったのです。
後日注記:彼らは、神をあがめ奉るしか能のない中世を嫌い、「もっと人間の方に目を向けよう」と考えました。そのため、彼らは人文主義(ヒューマニズムあるいはフマニタスと呼ばれ、「人間主義」とも訳せる)と呼ばれました。また、コペルニクスをはじめとする新しい科学革命が起き、彼らは「人間の経験的方法(観察や実験)に基づいて科学と理性で宇宙を把握する」という「科学」を作りました。
これは、正確には中国の三大発明であったと言われますが、活版印刷、火薬、羅針盤です。これによって、人々の出来ることは飛躍的に高まりました。
グーテンベルクの活版印刷によって、人々は教会の聖書だけではなく、さまざまな文学作品を手にすることが出来るようになりました。
火薬によって、近代的な戦争が可能になりました。
羅針盤によって、大洋のようなあてのない航海でも方向を知ることが可能になり、飛躍的に長い航路を航海することが出来るようになりました。
2023.11.25編集
ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどが有名ですが、ルネサンスは新しい時代として、自由な芸術思想が栄えました。
ルネサンスは主に北イタリアのフィレンツェで栄えました。人間は自由であるとされました。
それぞれの人間を身分と血統で抑圧する身分制度の中世とは異なり、またキリスト教の神を中心とする世界観でもなく、ルネサンスでは人々が文化的な「人間中心主義的な自由」を手にすることになりました。ルネサンスとは「古代復興」という意味であり、そこではギリシャ・ローマ文化が模範とされました。
人物 | 説明 |
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レオナルド・ダヴィンチ | ルネサンス期のイタリアの芸術家。 |
ミケランジェロ | ルネサンス期の巨匠。 |
ラファエロ | ルネサンス期の芸術家。 |
時のローマ法王の「金を払えば罪が赦される」とする贖宥状(免罪符)を批判した、ドイツの神学者ルターにより、教会信仰ではなく聖書だけを中心に信じるべきだとする、新しいプロテスタントと言うキリスト教が生まれました。
ドイツ、イギリス、スイスなどで、プロテスタントは信者を増やしました。
宗教改革とともに、新教徒とカトリック教徒との間でたくさんの宗教戦争が起こりました。
現在、ドイツではプロテスタントとカトリックが地域によって共存し、スイスではカルヴァン派などのプロテスタントが居ます。イギリスには独自のプロテスタントであるイギリス国教会が成立しました。フランスはカトリックですが、歴史的にはプロテスタントの方につくこともありました。
人物 | 説明 |
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ルター | ドイツの宗教家。 プロテスタントという新しいキリスト教の宗派を作った。 |
カルヴァン | フランスの宗教家。 カルヴァン派というプロテスタントの派閥で宗教改革運動を展開した。 市民階級に支持された。 |
後日注記:プロテスタントでは、「教会に付き従うのではなく、聖書を読む全ての人のため」にキリスト教の新しい一派を作りました。この時代、さまざまなヨーロッパの国で宗教戦争が起きており、「カトリックかプロテスタントかで互いに戦争で殺し合う」時代が続きました。
後日注記:プロテスタントの潮流はドイツやスイスだけではなく、ピューリタン(イギリスのカルヴァン派)やユグノー(フランスのカルヴァン派)へと繋がり、宗教戦争へと発展していく。
後日注記:宗教改革はプロテスタントという「新しい自由なキリスト教」という点がクローズアップされがちですが、実際は古い旧来の教会勢力とそれに反発する革命勢力の「血みどろの戦い」です。ルター派(ルーテル派)、スイスのカルヴァン派、イギリスのピューリタン、フランスのユグノーなどプロテスタント勢力が、スペインや各地の旧来のカトリック勢力と宗教戦争をします。スペインなどは逆に対抗宗教改革として、世界中に宣教師を派遣してカトリック教会の信者を増やす(たとえばイエズス会)などを行いました。日本にもイエズス会からスペイン人で宣教師のフランシスコ・ザビエルがやってきました。
2024.09.10編集
スペインやポルトガルが中心となって、コロンブスが新しいアメリカ大陸を発見し、またアフリカを経由してアジアに進む新航路が発見されました。
スペインやポルトガルは、その大陸の住民(インディオ)を大量に奴隷にして売り渡し(奴隷貿易)、金銀財宝を奪いました。
あとに、イギリスやフランスも続きました。
現在、ラテンアメリカではスペインやポルトガル、北アメリカではイギリスの文化的・侵略的影響があります。一部、カナダのケベックなどでフランスの影響も残っています。
人物 | 説明 |
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コロンブス | アメリカ大陸の発見者。 だが、先住民インディオを奴隷にして奴隷貿易を行うなど、過酷な支配をしたことで知られる。 |
後日注記:羅針盤の発明によってヨーロッパ各国は長い航海が可能になり、新航路と新大陸を発見する。また、カリブ海を発見したスペインがインディオを奴隷にし、その結果インディオが激減するとアフリカの奴隷を代わりに使ったため、ヨーロッパ各国による「奴隷貿易」が始まる。
絶対王政の時代、国王の権力と富は最高潮に達し、国王は自分一人の力で国を改革しようとしました。
イギリス、フランス、プロイセン、ロシア、スペインなど、ヨーロッパ各国は絶対王政の時代に、国民主権の国家と言う概念を生みました。
フランスなどでは、太陽王ルイ14世が「朕は国家なり」と宣言しました。国王による絶対的権力から、新しい専制的な国の支配の形が生まれます。これはこれで、当時は賢い思想でした。絶対主義と言われます。
この絶対王政の時代に起こった権力者や貴族などの特権階級への批判と不満から、後にイギリスやフランスで革命が起こります。
人物 | 説明 |
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カルロス一世、フェリペ二世 | スペインの絶対王政の王。 |
ヘンリー八世、エリザベス一世 | イギリスのチューダー朝の王。 |
アンリ四世、ルイ十三世、ルイ十四世 | フランスのブルボン朝の王。 |
フリードリヒ二世 | プロシア(プロイセン)の王。 |
マリア=テレジア | オーストリアの王。 |
ピョートル一世、エカテリーナ二世 | ロシアの王。 |
後日注記:当時のヨーロッパ世界の覇者はスペインやイギリスであり、無敵艦隊などを例とするような巨大軍事力を用いて戦争をし、また重商主義によって世界中の富を奪取しました。
当時のヨーロッパの王国では、「王権神授説」という考え方を信じていました。これは「王の権力は神の与えた聖なるものである」という考え方で、王の権力の正当性を説明するためのものです。すなわち、王は半分神のようなものでした。日本の天皇が戦後に人間宣言をするまで、太陽神の末裔であり現人神であるとされていたのと同じです。
絶対王政において、ヨーロッパは王を中心とする「国民国家」を形成し、これが今のヨーロッパ各国の基本となります。ですが、絶対的に力を持つ独裁権力は腐敗していき、王は無能でありながら国民を軽視しておごり高ぶるようになります。そのため、イギリスの市民革命やフランス革命など、王を打ち倒して国民に主権を取り戻す「民主主義」の革命勢力が誕生していきます。
2024.09.11
イギリスやフランスでは、イギリスの市民革命、フランス革命、産業革命、そしてアメリカの独立宣言のような、「新しい近代社会」が徐々に形成されて、昔の伝統的社会を破壊していきました。
アメリカがイギリスから独立し、奴隷制を認めるか認めないかで、南北戦争を戦いました。
南北戦争では、アメリカは民主主義を正義とし、奴隷制を廃止しました。
現在でもアメリカの黒人差別は根強いところがあり、南部の方へと行くと人種差別主義者は多いと言われています。
人物 | 説明 |
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独立宣言 | アメリカの独立の理念を記した宣言。 |
リンカーン | アメリカの北部(非奴隷制)の大統領。 「奴隷解放宣言」で有名。 |
アメリカも参照のこと。
イギリスでは、早くから二度の市民革命が起きて、先進的な民主主義の議会制民主主義と三権分立を実現します。
国王の議会軽視から、まず、ピューリタン革命が起きます。ピューリタンとはカルヴァン派プロテスタントのことです。ここで、クロムウェルが禁欲主義的な独裁政治を行います。
名誉革命では、国王は無血で交替させられ、立憲民主政を実現します。
人物 | 説明 |
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ジェームズ一世とチャールズ一世 | ピューリタン革命時代のイギリスの王。 |
クロムウェル | イギリスのピューリタン革命の革命家。 |
チャールズ二世とジェームズ二世 | 名誉革命時代のイギリスの王。 |
トーリー党とホイッグ党 | 名誉革命時代のイギリスの政党。 |
ウィリアム三世とメアリ二世 | 権利の章典を発布したイギリスの新しい王。 この時代から議会制内閣の政党政治が始まった。 また、「君臨すれども統治せず」という立憲民主主義の考え方が生まれた。 |
アン女王 | イギリスの女王。 |
イギリスも参照のこと。
フランスでは、国王の圧政と貴族の優遇に反発した市民が、自由な権利を求めて戦いました。人権宣言を採択し、革命後の恐怖政治などの混乱に乗じてナポレオンが台頭し、ヨーロッパ各国と戦いながらナポレオンの独裁政治を行いました。
人物 | 説明 |
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ルイ十六世 | フランス革命時代のフランスの王。 |
マリー=アントワネット | フランスの王妃。 |
ジャコバン派とロベスピエール | フランス革命期に、フランスを恐怖政治へと陥れた革命派閥とその指導者。 |
人権宣言 | フランス革命期に定められた人権の保障を記した宣言。 |
ナポレオン | フランス革命後の混乱期に台頭し、皇帝となったフランスの革命家。 ナポレオン法典で有名。 |
後日注記:彼らイギリスとフランスは、新しい技術と豊かな富によって最強の力を持つと同時に、そうした新しい社会においてどのように社会があるべきかを考え、国王に逆らうこともいとわず、新しい近代民主主義思想を作り上げた。
イギリスでは、産業革命が同時に進み、イギリスの力は飛躍的に高まりました。
産業革命によって、人々は工場で大量にものを作るようになり、それと同時に社会主義的思想も少しずつ生まれていきました。
蒸気機関の発明によって、蒸気船が生まれ、イギリスは世界各地に植民地を作るようになりました。
水が水蒸気になる時のエネルギーの爆発的な増加を利用した蒸気機関が発明され、鉄道や船に応用された。このことから、長い航海と海上での高度な戦争が可能になった。
また、工場で大量にものを作る工場型の労働形態が生まれ、人々はチャップリンのモダン・タイムスに見られるように、どんどん工場のロボットのような作業員となり、資本家階級と労働者階級の格差が生まれていった。
フランスではさらに七月革命と二月革命が起き、社会主義的な思想も見られました。
人物 | 説明 |
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ルイ=フィリップ | 七月革命のフランスの王。 |
ナポレオン三世 | ナポレオン・ボナパルトの甥で、フランス第二帝政の皇帝。 |
スタンダール | 「赤と黒」を書いたフランスの文豪。 |
ボードレール | 二月革命の時代のフランスの詩人。 |
ビクトリア女王 | 黄金期を築いたイギリスの女王。 |
また、ヨーロッパには文化史というものがある。主な文化時代は以下のようになる。
時代 | 説明 |
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ルネサンス | ルネサンスの科学者は、実験や観察などの経験的方法を重視する。 |
バロック | バロックは、片方では天を、片方では現実の苦しみを、というように、いびつな世界観をする。 |
啓蒙主義 | 啓蒙主義は、理性が世界を変え、導くとする。 |
ロマン主義 | ロマン主義は、実現不可能な夢を追い求める。 |
ヨーロッパの文化史については、以下の書籍が参考になります。
建築も参照のこと。
ヨーロッパにはさまざまな偉人がいるため、すべてを網羅するのは難しいですが、ここに、最重要な偉人に限って、ヨーロッパの芸術と文化の歴史を書きます。
ヨーロッパの芸術は、キリスト教とともにありました。
ヨーロッパの教会は、単に建築様式という点から見ても美しいですが、内部がステンドグラスや室内装飾、そしてキリスト像や天使の彫刻などによってふんだんに装飾されています。中にはサン・ピエトロ大聖堂のように、都市と教会が一緒になって、都市全体が芸術作品のようになっているところもあります。
ルネサンス以降、「神中心ではなく人間中心の芸術が栄えた」と、教科書には書かれています。
ですが、実際のダヴィンチやミケランジェロが描いた芸術作品には、まだキリスト教の影響が色濃く感じられます。彼らは聖書の王ダビデ、アダムとイブ、イエス・キリスト、聖母マリア、天使、そして偶像崇拝であるため描いてはいけないはずの神の像を、絵や彫刻に残しました。つまり、まだまだ教会などのためのキリスト教の芸術が主な仕事だったのです。
ダヴィンチについて言えることは、今でも、美術学生は模写の勉強としてダヴィンチの作品に大きく接しています。ダヴィンチの絵を模写すると、絵が上手くなります。たとえば「最後の晩餐」は、人物の描き分けや手や指の表現や遠近法の練習になります。「岩窟の聖母」は光の表現や岩肌のタッチの練習になります。また、「モナ・リザ」は女性の微笑みの表情や肖像画の練習になります。また、著作権も気にする必要がありません。
そのようなルネサンスの文化が終わると、次はバロックの文化が訪れますが、それでも、まだキリスト教の影響が強いです。
バロックの偉人と言えば、バロック音楽の大音楽家であり、「音楽の父」と言われた、J.S.バッハが挙げられるでしょう。ですが、バッハの音楽は、まるで教会のミサで歌われるような讃美歌のような、いわば「宗教音楽」でした。バッハは神の秩序に染め上げるような、「正しい教会音楽」を作り、その結果クラシック音楽の父のような存在になりました。
ですが、バロックが終わり、啓蒙主義やロマン主義が訪れると、少しずつ、神と人間の戦いは、人間のほうに引き寄せられていきます。
啓蒙主義はカントの啓蒙主義哲学などから直接的に始まりますが、その間接的な要因となったのはデカルトの科学的合理主義や、ガリレオやケプラーなどの観察と実験に基づく経験的な科学的手法です。
彼らの時代には、コペルニクスが「回っているのは宇宙ではなく地球である」とする地動説を発表し、万有引力を発見したニュートンが古典力学によって宇宙の秩序を正しく説明します。「宇宙のことをなんとなく分かったのではなくきちんと正しく原理的に説明する」ということが確立されるようになります。
啓蒙主義の時代には、ヨーロッパの人々は、もうキリスト教の権威を信じなくなります。啓蒙主義の革命的思想家にはルソー、モンテスキュー、ヴォルテールなどがいますが、彼らの中でもヴォルテールは、王の権力や教会の権威など、旧来の権威の一切をこき下ろし、「宗教は人間を不幸にする元凶である」と強烈に言い放ちます。
そして、そのような啓蒙主義が、フランス革命を実現します。
ですが、そのフランス革命は、今でこそ「民主主義の祖国」と称えられますが、当時の人々にとって必ずしもよいものではありませんでした。革命は恐怖政治を作り出し、ナポレオンはヨーロッパに戦争をもたらしました。ヨーロッパの人々は、そのような理性に基づく啓蒙主義に嫌気がさしていきます。そして、理性ではなく、人間の心や感情に訴えるロマン主義の時代が訪れます。
ロマン主義において、人々は本当に人間の心に根差した「人間中心主義」を実現します。ロマン主義の代表格と言われたのは文豪ゲーテであり、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」はロマン主義者のバイブルと呼ばれました。また、音楽については、モーツァルトやベートーヴェンの音楽がバッハに続いていきます。(実際は彼らはロマン主義でなく古典主義に分類されることもあるが、分類上の正確な区分にすぎず、実際には区別なく呼ばれることも多い。)
彼らの作品を思い起こせば分かるように、キリスト教の「神への信仰」ではなく、ありありと「人間中心主義」が見て取れます。
そして、近代哲学の完成者であるヘーゲルによって、近代の文化は終わりを告げ、現代へと移ります。
近代が終わり現代を告げる大きな発端となったのは、ニーチェとマルクスです。ニーチェによって、旧来の「キリスト教中心主義」はトドメをさされます。ニーチェはキリスト教について、「天国というありもしない世界ばかりをいいものと信じ、実際の現実世界を無価値なものと見なしている」と批判します。また、産業革命によって工場中心の新しい労働環境が生まれていく中で、マルクスは労働者の平等なユートピアを実現するために「万国の労働者は団結せよ」と宣言し、共産主義革命を目指していきます。ニーチェ思想はナチス・ドイツに利用され、マルクス主義はロシア革命とソ連の樹立へと続いていくのです。
以下は参考文献。
2024.09.11
近代の大発展にはいくつかの区分があると思います。
発展 | 説明 |
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宗教・芸術思想の克服 | ルネサンスの芸術や思想、ルターの宗教改革と宗教戦争。 |
科学技術的な発展 | ニュートンなどの科学技術の発展、羅針盤と蒸気機関による大航海技術の進歩、そして産業革命による社会の工場化。 |
社会思想的な発展 | 絶対王政の後のイギリスの市民革命、フランスの近代革命、アメリカの独立など。 |
哲学思想的な発展 | デカルト、ロック、ルソー、カント、ヘーゲルに代表される近代哲学・近代思想や、地動説、ダーウィンの進化論など。 |
世界大戦以降の思想的発展 | 共産主義とファシズム、近代兵器、アインシュタインの相対性理論、核兵器、東西冷戦など。 |
こうした区分で、近代の世界史を大まかに捉えられます。
僕は、もっとも歴史を変えたのは、鉄道と工場ではないかと思います。
たしかに、もっと重要な歴史を変えた技術はたくさんあります。ルネサンスの火薬・羅針盤・活版印刷の発明、イギリスの議会制民主主義、フランスの啓蒙主義などがそれに当たります。
それらは歴史を大きく変えました。ですが、それは「世界において」であり、日本において何が一番日本社会を変えたかといえば、そうした発明や政治思想ではなく、鉄道や工場のような「社会インフラ」ではないかと思うのです。
鉄道は、一気に人々の生活領域を結び付けました。新鮮な魚が山間部の田舎でも、鉄道が通っていれば食べられるようになり、また大陸を横断して「世界の大きさを小さくした」のです。
また、工場は新しい労働と大量生産を可能にしました。「安く、大量にものがある」ということは、古代の国からは考えられません。
そして、労働の仕組みは変わり、マルクスの言うように「大量の疎外された道具のように扱われる人々」を生み出しました。
よって、僕はあえて、鉄道と工場を「歴史を変えた重要ファクター」と考えるのです。
僕は、近代の歴史が「自由」や「人間中心」のものになった理由は、ルネサンスや宗教改革の影響もあるとは思いますが、大航海時代の新大陸発見によってアメリカ大陸が発見され、そのアメリカ大陸で、「自由かつ解放された国家」であるアメリカ合衆国が誕生したことが大きな要因だと思います。
ヨーロッパの王権主義から解放されたアメリカでは、あらゆる出身国からの人々の受け入れを歓迎し、「わたしたちの自由な国を作るのだ」という、気概がありました。
このアメリカ合衆国という新しい存在が、ヨーロッパを「自由」へと推し進める要因になったのだと思います。
一方でアメリカという「解放された存在」を見ながら、イギリスやフランスの国民は「腐敗した王権主義」を目の前にして、「アメリカのような自由な国家を作りたい」と思って、イギリス市民革命やフランス革命を成し遂げたのではないでしょうか。